313.第■十■■練『■■』

 そのノスフィーの風の魔法《タウズシュス・ワインド》に対し、僕が魔法を放つことはなかった。避けるつもりも防ぐつもりもない。

 代わりに、後ろにいたラスティアラが同系統の魔法を叫ぶ。


「――《ゼーア・ワインド》!!」


 手の平から風の魔法を発動させて、《タウズシュス・ワインド》とぶつかり合わせる。

 それは相殺というほど綺麗なものではない。二人の能力差から、それはできない。ラスティアラは斜め方向から上手く風を当て、なんとか魔法をそらす。

 ノスフィーの放った巨大な杭は僕たちではなく、四十五階の壁を砕き壊し、外へ消えていった。


 そして、ラスティアラは一歩前に出る。

 ノスフィーの説得に失敗してしまった僕は、それを止めることができない。戦いに発展しないように連続で話しかけると、事前に方針を決めてある。


「ノスフィー……」


 僕の前に立って名前を呼ぶラスティアラに対して、ノスフィーは冷静に目で退去を促そうとする。


「ラスティアラさん、これは私たち二人の問題です……。口を挟まないでください……」

「そうだね。聞く限り、これは家族の問題だね。部外者が口を出していい問題じゃないって私も思う……」


 しかし、ラスティアラは退かず、むしろさらに一歩前に出る。


「でも、私はノスフィーを家族の一人だって思ってる。同じ生まれの同じ『魔石人間ジュエルクルス』同士、姉妹みたいだって――勝手だけど思ってる」

「姉妹……」


 その一言にノスフィーは反応した。

 驚くわけでも嫌悪するわけでもなく、噛み締めるように繰り返す。その反応から、ノスフィー側も似たことを考えていたことが読み取れる。


「うん、姉妹。こんな感じにさ。『魔石人間ジュエルクルス』たちは、みんなが家族って感じでいいんじゃないかなーって私は思う。連合国のほうだと、私って百人くらいの『魔石人間ジュエルクルス』のお姉ちゃんをやってるんだ。みんな結構きつい生まれで、かなりアレな人生送ってたけど、いまは肩を寄せ合ってそれなりに楽しい人生を送ってるよ……」

「ええ、それは聞いています。みんな家族ですか……。ふふっ、みなさんの暮らしぶりが目に浮かびます」


 わかっていたこととはいえ、僕のときと違ってノスフィーの対応は柔らかい。あえて憎まれ口を叩くこともなければ、煙に巻くような話し方もしない。


 むしろ、少し動揺しているように見える。

 ラスティアラと対面し、心が揺れ動いている。グレンさんの話では、いまノスフィーは『代償』で『素直』になっている。それが良い方向に傾いているのだろうか。


 ノスフィーは十分に言葉を噛み締めて熟考したあと、ゆっくりと答えていく。


「姉妹で家族――確かに、この時代で作られた『魔石人間ジュエルクルス』のみなさんはそれでいいかもしれません。ですが、わたくしは駄目です。生まれた日が遠すぎます。その製法もまるで違います。家族と呼べるほどの繋がりはありません」

「そんなことない! 同じだよ。結局、みんな生まれた理由は同じ……! きっとノスフィーなら大丈夫! 一番上のお姉ちゃんになれる!!」

「……いえ、わたくしだけは厳密に言うと違うのです。わたくしだけが、誰とも繋がりがない。そう、もう誰とも……――」

「ノスフィー、本当に? 私とも、全く繋がりはないって思ってる?」

「ラスティアラさんとは繋がりが濃い方でしょう。けれど、それは友人としての繋がりです。ティティーと同じく、似た運命を辿った友人……程度の話です」

「なら、もう友人としてでいい」


 ラスティアラは食い下がることなく、新たに得た立場を使う。家族の問題だと話したばかりだろうとも、友人として豪快に口を挟んでいく。


「ノスフィーの言うとおり、カナミは駄目なやつだよ。怒るのも無理もないと思う。聞けば、あっちこっちで迷惑かけて、あっちこっちで女の子泣かしてたらしいからね。はっきり言って最低な男だね」


 さらには黙って聞いている僕を遠慮なく貶していく。

 つい最近、聖人ティアラから聞いた話のことだろう。あれが本当だとしたら――いや、本当なのだろう。あの本当に最低な話を元に、ノスフィーと共感を育もうとしていた。

 とはいえ、それはラスティアラにとって侮辱をしているのではなく賞賛しているのだろう。その表情を見れば、それは容易に想像がつく。


 対し、ノスフィー側はそれを侮辱と受け取ったのだろう。

 懸命に僕のフォローをしようとしてくれる。


「別にわたくしは、最低とまで思ってはいません……。渦波様は過去に、様々な偉業を成してきました。ただ、英雄というものは自然と誤解を生んでしまうもので……」

「――やっぱり。ノスフィーって誤解してるよね。カナミのことを立派な人格者みたいに思っているみたいだけど、そんなこと一切ないよ。カナミは臆病で優柔不断で、今日までに何度も大事な選択を間違えてきた。物語を楽しくする才能はあっても、人を幸せにする才能なんて一つもない。そんなやつだよ」


 ラスティアラはその認識こそがノスフィーの一番の間違いであると忠告した。


「い、いいえ……! そんなことはありません。渦波様は強く正しい人です。みんなを幸せにできる立派な人です……!!」


 少しムキになって、ノスフィーは言い返していく。

 いまあれだけのことを僕に言ったノスフィーだが、根本にあるのは僕への盲目的な信頼であることがわかる。


 僕を正しいと信じている彼女は、僕のしてきた全てが正しいとも思っているのかもしれない。だから、もしかしたら――僕が負債をノスフィーに押し付けたことも僕が無視をしてきたことも、正しいことだったと未だに思っている可能性がある。


「私はカナミほど弱くて間違ってる人はいないと思うよ」

「そんなことありません! いつだって渦波様は強かった! だから、千年前だって勝ち残れた! それは渦波様が強く、正しかったから!!」

「そうだね。確かにカナミは、いつも最後には何とかしてきた。けど、強くて正しいから世界が何とかなるなんて……そんな甘い考え、ノスフィーはしてないよね」

「そ、それは……!」


 ラスティアラに圧され、ノスフィーは口ごもった。

 先ほどから、ノスフィーの弱いところを突くのが本当に上手い。彼女には正しさと強さに自信がある時期があった。けれど、そのとき何もかもが上手くいかなかった。それをラスティアラは『過去視』するまでもなく理解している。


「私は最後まで諦めずに抗い続けることが、一番大切だって思ってる。だから、もう少しだけ……。もう少しだけでいいから、カナミに時間をあげられないかな? もちろん、私もノスフィーとの時間が欲しい。マリアちゃんたちだって、もう一度ノスフィーと遊びたがってる」

「ここにきて、一緒に過ごす時間を作れということですか……? それはありえません。マリアさんなんて、特にわたくしを嫌っています……。それだけのことをわたくしはしました……」

「大丈夫っ、マリアちゃんはツンデレなところがあるだけだから! 平気!」

「というかわたくしは彼女に一度殺されかけて――」

「それはよくある!」

「……っ!?」


 なんとか遠慮しようとするノスフィーに、ラスティアラは遠慮なく返答を被せていく。

 心配はいらない。何があっても平気だ。そう言い聞かせるように返答しながら、一歩、また一歩と近づいていく。


 その無防備すぎる接近をノスフィーは許してしまっていた。

 僕のときと違って、余りにガードが甘い。


「大丈夫……。何も怖がらなくていい。ノスフィーがいい子でも悪い子でも関係なく、私たちは仲良くなれるよ。というか、たぶん私たちのほうが、たぶん駄目なのが多いと思うしね。ノスフィーほどいい子なら、みんな大歓迎だよ。だから、遠慮しないで……。きっと何だかんだで仲良くなれる。特に私とノスフィーなら、本当の家族のようにだって、なれる――」


 ラスティアラは僕には入れなかった距離まで、容易く入っていく。


 予想以上にラスティアラの説得が上手くいっている。

 ここまでノスフィーがラスティアラに対して甘いとは思わなかった。思えば、『過去視』で昔のノスフィーの気持ちはなんとか理解できたが、直近いまのノスフィーの気持ちまでは理解し切れていない。しかし、ラスティアラは薄らと理解しているように見える。その差が如実に出ている。


「ノスフィー、一緒に帰ろうよ……。こういう城みたいなところで過ごしてると性格がひん曲がっちゃうよ。私も宮仕えが長かったから断言できるけど、ここは見たところ……駄目っ。全然駄目っ」


 少し冗談めかしながら、本当に妹のように親しげに近づいていく。

 それをノスフィーは唇を噛みながらも許容する。その両目を見れば、間違いなく彼女がラスティアラを妹のように見ているのがわかった。


 妹からの言葉に、ノスフィーは光の旗を持つ力が弱まっていた。


「わたしたちのところ……もしくは、連合国大聖堂にいる同じみんなのところでさ、ゆっくりと考え直そう……。うん、色々とやり直すのがいい。そのためにノスフィーは、千年前からこの千年後の世界までやってきたんだと思う。私の知ってる守護者ガーディアンローウェンとか、まさしくそんな感じだった。だからノスフィーも『聖女』とかフーズヤーズとか関係なく、ただのノスフィーとして生きようよ。本当の願いだけを間違えちゃ駄目だよ……」

「ただのノスフィーとして生きる……。それは……」


 それはノスフィーの友人であるティティーが望み、得た願いと同じだ。

 六十六層の街にいたとき、ノスフィーは彼女の願いを知り、共感し、協力しようとした。そして、一人だけ願いをかなえてしまった友人に対して怒り、拗ねてしまった。


 それが彼女の中にある願いの一つであるのは間違いないだろう。


「ただのノスフィーとして私たちの仲間になって、私たちの新しい家で一緒に暮らそう? 新しい場所で新しい道を、みんな一緒に生きていこう。……ね?」


 誘う。

 とうとうラスティアラは手の届くところまで近づいた。

 そして、その手を差し伸べる。


 無防備な姿を晒し、ノスフィーを抱き締めようとする。


「み、『みんな一緒』に……?」


 戸惑い続けるノスフィーはラスティアラの言葉の一つを繰り返した。


 それはラスティアラが最も大切にしている言葉。

 新たな人生の指針と言ってもいい言葉。

 それを聞き、ノスフィーは表情を変える。いまにもラスティアラの両手の中に吸い込まれそうだった顔が歪んだ。


「うん、みんな一緒に……。駄目かな……?」

「そ、その――」


 絞るようにノスフィーは言葉を発する。

 その差し伸ばされた手に対し、一歩近づく。

 互いに近づき、そして――


「そのっ! その言葉が、わたくしはぁあ――!!」


 ノスフィーは悲鳴のように叫んだ。

 手にしていた光の旗を手離し、代わりに手にしたのはラスティアラの差し伸ばした手――ではなかった。


 ノスフィーは懐に手を伸ばし、赤い十字架のアクセサリーを取り出した。それに魔力を通し、形状を変化させる。


 その十字架の力を僕は知っていた。


「ラスティアラ!!」


 叫ばずにはいられなかった。

 当初の約束を破ってでも、間に割り込まずにはいられなかった。


 しかし、それでも間に合わない。

 位置が悪かった。二人の絆を信じていただけの距離を取ってしまっていた。


「――ふっ、ふふふ、ふふふふ……。ふふっ――ふふふ、ふふふふ! あはっ、はははハハハ――!」


 搾り出した悲鳴の次に、ノスフィーは喋るように笑い、叫ぶように笑った。

 そして、ラスティアラは呻く。


「ぐっ、うっ……!」


 ラスティアラの腹部に脈打つ赤い剣が突き刺さっていた。

 それが昨日、ファフナーと戦ったときに見たものと同じであるとわかる。見ようによっては片刃の剣に見える十字架――『血の理を盗むもの』の心臓だ。


 赤い剣が、濃く発光している。

 とにかく赤く。あらゆる不吉を孕むかのように赤く紅く朱く、毒々しく輝いている。

 その生理的に嫌悪を感じる赤色にラグネは頬に傷をつけられ、【二度と元には戻らない】と宣言されたのだ。忘れるわけがない。


「ハ、ハハッ――う、上手く騙されましたね! ラスティアラさんはお馬鹿です! 本当にわたくしが絆されていたとでも!? 全てがこの一撃の為だって思わなかったのですか!? ラスティアラさんは戦いというものを本当にわかってない!! この一撃の為、わたくしはあなたの懐に入っていっただけ! まんまと引っかかって、こんなに大事な局面で一人、わたくしに無防備に近づいた! 本当にお馬鹿さんです! 何もかも嘘だったというのに!!」


 ノスフィーは赤い十字架を引き抜いて、ラスティアラの身体を突き飛ばした。

 先ほどまでの説得を否定するかのように後退して、左手に光の旗を右手に赤い剣を持つ。

 そして、緩んでいた戦意を作り直して叫ぶ。


「本当は渦波様に、このヘルミナ様の盗んだ『理』を使う予定だったのですが、これも悪くありません……! はっきりします! ええ、これではっきりする!!」


 すぐに僕は突き飛ばされたラスティアラの身体を後ろから支え、その出血箇所に回復魔法を使った。しかし、当然ながら傷は治る気配がない。


 ラスティアラは苦しそうに呻き続け、それを見るノスフィーは笑い続ける。


「ふ、ふふっ、渦波様……。ラグネさんと違って、出血箇所がとてもまずいですよ……? 出血というより、臓器の損傷が致命的。ええ、これは命を脅かす傷……。命の危険ですっ、渦波様ぁ?」


 ぞわりと背筋が凍りつき、心臓から喉にかけて灼熱が灯り、駆け抜けていく。

 腕の中のラスティアラが死に近づいているとわかり、僕は反射的に叫ぶ。


「――くっ、ノスフィー!」

「さあ、戦いが盛り上がってきました……! ふふっ、やはり、戦いには時間制限がなくては! たらたらと魔法戦を始めるよりもよっぽどわかりやすい!」


 ノスフィーの言葉を聞き、一気に世界が狭まる。

 視界だけでなく、思考の幅が狭まる。ラスティアラ以外の全てが色褪せ、漆黒に染まる。守護るべき『たった一人の運命の人』だけにしか、もう色がない。自然と、その焦点にある彼女しか見えない。考えられない。頭を占めるのは焦燥と愛情。彼女を守らないといけない。命を懸けて絶対に守らないといけない。守らないと守らないと守らないと。そう、感情が魂の許容量から溢れそうになり――



「――カナミィ・・・・ッッ!!」



 叱責が飛ぶ。

 それは目に映るラスティアラの唇の奥から響いた。

 そのおかげで、ぎりぎりのところで僕は我に返る。


「カナミ……!! 首でも心臓でもないっ! 傷はお腹だよ……!」


 致命的な傷を負いながらも、ラスティアラは冷静に報告する。

 これは大した傷ではないと僕に訴えかけている。


 その訴えの裏にある意味もわかっている。


 それは絶対に応戦するなということだろう。

 むしろ、このために・・・・・自分は来たのだ・・・・・・・とラスティアラは言っている。


 だから、ほんの少しの勇気でいいと。

 ノスフィーとの絆を信じてと。

 戦いではなく話をしてあげて欲しいと。

 誰でもない『たった一人の運命の人』が、そう僕に願っている。だから、僕は――


「……ああ」


 頷いた。

 この『流れ』を可能性として視ていたおかげか、その先の選択肢を選べる。


 腹の底から湧いてくる衝動と感情、この熱を消すことを決める。

 それはつまり、スキルを発動させるということだ。

 成長によって進化したスキル『最深部の誓約者ディ・カヴェナンター』を、



【スキル『最深部の誓約者ディ・カヴェナンター』が発動しました】

 いくらかの感情と引き換えに、精神を安定させます

 混乱に+1.00の補正がつきます



 初期の使い方で発動させ、感情を保管する。


 途端、狭まっていた視界が広がるのを感じる。

 同時に頭の中に一つだけとなっていた選択肢が、無数に広がっていく。すぐに僕は、その中からノスフィーを絶対に助けるという道を選択し直し、死に掛けているラスティアラに声をかける。


「ただ、ラスティアラ……。もしものときは――」


 ラスティアラのおかげで持ち直したものの、まだ勝算は薄い。いまの展開はコインの裏――救えない未来に近い。それでも構わないかと、ラスティアラに聞く。


「うん、一緒に」


 それに彼女は即答した。

 ここへ来る前から決めていたことだ。

 迷いはない。そして、同じく僕も迷いなく頷き返す。


 これで確認は終わりだ。

 僕は守るべき人を床に横たわらせて放置し、ノスフィーに近づいて向き合う。


「ふふっ、ふふふ――さあさあっ、渦波様ぁ! 人質が増えましたね……! ラスティアラさんを助けたいのなら、わたくしを倒して、『経典』を奪うしかありません……! この期に及んで、わたくしを仲間に迎えたいなんて戯言を仰るのなら……そうですね。ラスティアラさんの命と引き換えですねっ。ふふふっ」


 ラスティアラを刺したことで笑いが止まらないノスフィーを、僕は冷静に見る。


 スキル『最深部の誓約者ディ・カヴェナンター』の力は凄まじい。何度僕の命を救ってきたかわからないその反則的なスキルによって、頭の中がとても軽くなった。

 いまならば彼女の気持ちを、とても落ち着いて読み取ることができる。


「そうですねぇ……――ふふふぅっ。もしラスティアラさんが死ねば、先ほどの渦波様の謝罪を聞いてあげましょうか……? そして、一考はしてさしあげます。ええ、一考だけは――ふふっ、はははっ!」


 きっと笑いが止まらないのではなく――笑わないと止まってしまうのだ。

 いまノスフィーは敵であろうと必死だ。

 とにかく恨まれようと必死だ。

 必死に必死に必死に、自分の生まれた意味を探しているだけ――


 それがわかってしまえば、僕から返せる言葉は一つだけだった。


ごめん・・・、ノスフィー。僕もラスティアラと同じ気持ちだ。ノスフィーを仲間に誘いたい……。一緒に帰ろう……。そして、やり直そう。新しい家族で、新しい生き方を探そう……。僕はおまえと一緒にいたい……。贖罪の時間がどうしても欲しい……!!」

「――っ!」


 剣も魔法も持たず、戦意どころか謝罪を繰り返して近づく僕に、ノスフィーは信じられないものを見るかのような顔を作る。


「ま、まだ! まだそんなことを言うのですか……! それどころではないでしょう! もうその話は終わりました!! ここから先は戦うしかないんです!!」


 ノスフィーは戦いを再開させるために動き出す。


 まず先んじてノスフィーの光が僕の体に浸透して、『話し合い』の準備が済まされる。もし僕が魔法を使えば、すぐさま同じ魔法をぶつけて相殺するつもりだろう。

 だが、僕に魔法を使う気はないので、さほど問題はない。


 そして、『話し合い』は胸のペンダントに対しても行われる。彼女の光属性の魔力が消費され、しかし紡がれるのは別属性の魔法。


「――《ダーク・フーリネス》!! 《ワイルドウッド・ウィップ》!!」


 『闇の理を盗むもの』と『木の理を盗むもの』の魔法だ。

 全く素養のない属性だというのに、ノスフィーはとてもスムーズに力強い魔法を構築した。


 四方一メートルほどの黒いガスが部屋の中に生まれる。

 輝く世界だからこそ際立つ闇が、獣のように駆け抜け、僕の頭部を呑み込む。視界を閉ざされていく。続いて、足元から振動を感じた。


 それに対して、僕は両手を顔の前で組み、身を固めた。


 見えない視界から攻撃が迫る。

 おそらくは木属性の攻撃魔法。複数の太い木の根が鞭のように振るわれ、全身を四方から叩く。


 骨に響く衝撃だ。

 当然だが、僕はバットで打たれた球のように部屋の壁に叩きつけられる。脳天だけでなく、全身に電流が奔るような痛みが灯った。


 ――追撃は来ない。


 まだ続けられるはずの黒いガスの魔法が解かれ、僕は視界を取り戻す。

 四十五階の床板から生えた蛇のような木の根が消えていくのを見届けたあと、僕は立ち上がる。


「渦波様……! どうして、避けないのです……!? せめて、防ぐくらい――」

本当にごめん・・・・・・、ノスフィー……。おまえと戦うことだけはできない……」

「わ、わたくしとは戦えない……!?」


 ノスフィーは困惑しつつ、有り余った魔力を震わせる。

 一度迷宮で僕に惨敗した彼女は、この戦いのために様々な準備をしてきたのだろう。


 僕の知人を引き抜き、守護者ガーディアンを手駒にし、人質を作った。

 さらに国に結界を張り、僕の弱体化と自分の強化を図った。自らの力の真価を発揮し、限界まで魔力を高めた。守護者ガーディアンたちの魔石を奪い、そのそれぞれの属性の最高位魔法を引き出せるようにした。ファフナーの大事にしていた『経典』と『心臓』も奪って、切り札にもした。


 その準備の意味はなかったのだと僕は言ったことになる。

 その予定と違いすぎる展開に、ノスフィーの表情が歪むのも無理はない。


「戯言はやめて、いいから戦ってください! もう時間はありません! 早く! さあ、早く! 渦波様は誰を助けたいんです!? 誰を選ぶんです!? 誰にっ、その手をっ、伸ばすんですか!? ――早く!!」


 ノスフィーは焦り、早口で僕に戦いを促す。

 しかし、僕は動くことなく、攻撃を耐え続ける姿勢で取り続ける。


 正直、いま時間がないと思っているのは、この場でノスフィーだけだ。

 彼女の作った時間制限は優しい彼女だけを追い詰めている。

 焦りに焦り、うっかり本心が漏れ出かけているほどに――


 ――『誰に手を伸ばすか?』。


 結局は、それが全てなのだろう。そして、それをノスフィーは諦めている。僕のせいで諦めてしまい――間違った方法で『未練』を果たそうとしてしまっている。

 それを解決するまで、僕は絶対に戦えない。


 ノスフィーの困惑は加速する。

 そして、取り返しのつかない負傷者が出ながらも未だ戦おうとしない僕に、彼女は僕が状況を理解できていないと思ったようだ。本当に優しくも、丁寧に現在の状況の説明を始めてしまう。


「――いいですかっ? わたくしを殺せば、『経典』が手に入り、ファフナーに言うことを聞かせられるようになり、ラスティアラさんは助かることでしょう! もちろん、ラグネさんも助かります! それはつまり、使徒ディプラクラの解放も意味します! 陽滝様だって助かるのです! ラスティアラさん、ラグネさん、ディプラクラ様、陽滝様――の四人ともが助かる! しかし、わたくしを助けたいと戯言を言い続けるならば、それら全てを捨てることになります! 捨てられますか!? 捨てられませんよね!?」 


 戦いを早める為に、自らの考えた策略を自らの口で暴露していく。


「渦波様はわたくしよりも妹様が大事です! ラスティアラさんは、いまや恋人! 一番大切な人となった! 『一番』はわたくしじゃない! 『素直』に言ってください! わたくしよりも、他が大切だと!! 構いませんから!!」


 何もかもが予定通りにいかず、癇癪にも似た叫び声をあげる。

 そのノスフィーの姿を見て、涙を必死に堪えている子供がいるようにしか見えなかった。


 僕だから、いまの彼女の気持ちがよくわかる。


 僕もそうだった。

 幼少期、父と母に見捨てられたとき、似たような感情を抱いていた。

 両親にとっての一番が自分ではないと知ったとき、泣きそうになった。

 この世の終わりだと思い、自暴自棄になり、一人部屋に閉じこもった。


「全部わかっていますから、遠慮なんていりません! もう素直に言っていいのです! わたくしは渦波様の一番愛する人にはなれないと! ノスフィー・フーズヤーズは、一生渦波様の『たった一人の運命の人』にはなれないと! わかっていますから! だから、わたくしはあなた様の敵としてここにいるのです!」 


 そして、とうとうノスフィーは策略だけでなく、自分の戦いの目的まで口にしていく。

 動かない僕を動かす為、自分が倒されなければいけない理由を説明していく。


「わたくしはとても卑怯な方法で、あなた様の記憶に残ろうとしています! まさしく、渦波様の厄介な敵となりました! 渦波様の『一番辛い記憶』となることを願う敵! そのためにあなた様の大切なもの全てを壊そうとしている! わたくしは『敵』! 『敵』『敵』『敵』っ、『一番の敵』となった! ――《ゼーアワインド》! 《ワイルドウッド・ウィップ》! 《ダークフィッシャー》!!」


 複数の属性の攻撃魔法が僕に襲い掛かってくる。


 それらを解析することも、見ることもなく、僕は適当に防御していく。

 腕で頭部だけを守り、何度も吹き飛ばされる。裂傷で目を剥き、打撲で胃液を吐きかけ、出血と共に激痛が襲った。


 ――魔法で攻撃される最中、僕は会話のみに全神経を集中させていた。


 戦うのではなく話に来たという方針は未だ変わっていない。

 身体の痛みよりも、ノスフィーのほうが重要だ。


 いまノスフィーは、あのときの僕と同じことをしている。


 幼少の頃、僕は一人部屋に閉じこもりながらも、父と母の住むマンションから離れることは絶対になかった。

 ちゃんと毎朝顔を出して、何の期待もされなくなった自分の存在を示していた。

 一人普通の学校に通って、両親や妹と違う世界に生きながらも、決して一人立ちしようなんて考えはなかった。


 すぐ傍で色んなことをして、気を引こうとしたのを覚えている。

 わざと近くで転んで見せて、泣いた振りをしたことがある。いじけてみせて、悪いこともやった。その懐かしく恥ずかしい失敗の数々を思い出せる。


 あの日、僕は両親にどうして欲しかったのかも思い出しながら、僕は話し合いを続ける。


「違うっ、ノスフィー……! 僕はおまえを誰よりも助けたいと思ってる……! 『娘』だと思ってる……! おまえを一番――」

「ならっ!! 本当に私を『娘』と思ってくれるのなら、目の前にいる『敵』と戦ってください! その手で殺してください! そして、一生悔やんでください! それがわたくしは一番嬉しい!! ――《ライトアロー》ォオオオ!!」


 過去の僕も、いまのノスフィーも。

 拗ねながら、必死に叫んでいる。


「ここでラスティアラさんを救えずに、わたくしを一生憎むか! ここでラスティアラさんを救って、わたくしを殺したと一生後悔するか! どちらかでいいのです! どちらでもわたくしは渦波様の『一番』となれる!!」


 どちらかでいいなんて嘘だろう。

 その戦いぶりからわかる。


 もうノスフィーに勝つ気はない。

 明らかに自分が殺されるほうへ誘導している。

 人生に疲れたというのもあるだろうが、それ以上に勝っても負けても目的達成できる戦場を作ってしまったのが原因だ。その時点で、優しい彼女は誰かの迷惑になり続けるより、消えることを望んでいる。


 全て――僕のせいだ。


 余りに長く、苦しみ、助けられなかったせいだ。

 その間、誰も手を差し伸ばしてくれなかったせいだ。必死に命を削り続けたけれど、それでも自分を愛してくれた人はいなかったせいだ。


 僕のせいで壊れに壊れ、視野は狭まり続け、歪みに歪んだ心が導き出した答えは一つ。

 敵として一番になることだけが救いとなった。

 一番に愛されることを諦めてしまった彼女は、最悪の記憶として残ることだけしか道はないと思っている。


 『敵』であることだけが彼女の生きている感触であり、もう僕がどれだけ『娘』と繰り返しても、それだけではノスフィーにとって生きている感触には足り得ない。


 いまさら子ども扱いなんて遅いのだ。

 千年経って、ようやく大人になって、いま初めてだなんて――


 手遅れ過ぎる。

 信じてもらえるはずがない。

 事前に覚悟はしていたが、それでも悔しい。自分の至らなさと情けなさが恨めしい。どうか、もう『敵』でなくてもいいのだと信じて欲しくても、僕には説得し切れそうにない。


 ふと周囲を見る。

 話に夢中になっている間に、四十五階の大広間は激変していた。

 木の根の魔法によって、至るところに大穴が開いている。暴風の魔法によって、窓硝子や調度品は全て砕けてしまっている。闇と光の魔法が入り乱れ、床も天井もわからない宇宙のような景色が広がっている。


 続いて、自分の身体を見る。

 ろくな防御もせずに話を聞いていた為、全身が傷だらけだ。

 四肢のどこを見ても、傷のないところはない。無数の打ち身によって、指一本動かすのも痛みが走る。頭部からは血が流れ続け、視界は真っ赤。それでも、両腕で頭部を庇い、立ち続けるだけの僕の姿。


 見覚えがある。

 この四十五階の光景は『未来予知』で視た光景の一つ。

 危惧していた最もありえる失敗の流れだ。


 フーズヤーズ城侵入開始時から転がり続けているコインが、あと少しで止まる。裏になりかけているのがよくわかる。


 ……当たり前だが、やはり僕はノスフィーに謝り切ることができなかった。


 たとえ、いまラスティアラを見捨てて、ノスフィーを助けると僕が言っても、それだけですべてが解決するほど話は甘くなかった。

 そもそも、スキル『最深部の誓約者ディ・カヴェナンター』で感情を整理しようとも、『たった一人の運命の人』がラスティアラのままなのは変えられない。その根本の不変を、ノスフィーは本能的に感じ取っている。


「駄目……か」


 説得は失敗に終わった。

 だが、説得に失敗はしても、これは『最悪』ではないと思う。

 ラスティアラを連れてきてよかった。ここにラスティアラがいないと、この話にすら入れなかった可能性がある。そして、これから行う説得の選択肢も選べない。


「渦波様! わたくしを殺すか! ラスティアラさんを殺すか! 早く――」

「ごめん、ノスフィー……。僕はどちらも選ばない」


 なにより、こうも本音をぶつけ合えることができた。

 ノスフィーの本心を聞くことができた。

 それだけで満足なところもある。

 だから、ここから先の作戦は決まっていなかったが、その言葉はすんなりと出てきた。


 もう話すべき言葉は用意していない。

 けれど、もう作戦はなくとも、誓ったことがある。

 ノスフィーとは絶対戦わないと、ここへ来る途中に僕はラスティアラに誓った。それがある限り、未来予知の保証がなくても僕は続けられる。だから――


「どちらを選んでも、ノスフィーは『未練』を抱えたままだ……。僕とラスティアラは、そんな結末を見に来たんじゃない。僕たちはおまえを助けに来たんだ」


 これで迷いなく続けられる。


「ノスフィー。もしかしたら、この場で生き残るのはおまえだけになるかもしれない……。そうなったときは、本当にごめん……」

「わたくし、だけ……?」


 ――死ぬまで、話を続けられる。


 そう心に決めた僕は繰り返す。

 過去への謝罪でなく、これから起こることに対する謝罪を行った。

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