457.〝エピローグ後編〟

〝――セルドラ・クイーンフィリオンは、流れに身を任せた〟


〝ゆえに、もう何も起こらない。

 本土港町コルクから、開拓地連合国グリアードまで。


 恙無く、大船団は海を征く。


 海上でも、日夜を問わずに祭りは催され続けた。

 宴は万全。

 様々な国の領海を通り過ぎていくことで、陸路以上にあらゆるしがらみを振り払う。

 険悪な南と北の騎士さえも、このときだけは因縁を忘れて交流を深め合った。


 進めば進むほど、あらゆる意味で大船団は膨らんでいった。

 沿岸部の街に寄港しては数を増やし、新たな賓客や王族たちを積み込んでは格を高めていく。

 祭りの空気も、大陸のみならず大海の島々も含めて伝播して、膨らんでいく。


 そして、その航海の終着点は、連合国。


 ――太陽の光が燦々と降り注ぐ日中、グリアードで最も大きな港に大船団は辿りついた。


 連合国の歓迎も、本土の街々に負けじと壮大なものとなった。


 近海を埋め尽くすように、ずらりと並んだ船たちが祝砲を鳴らす。

 常備戦力の艦隊が順番に、音楽を奏でるようにリズムよく放つ。

 続いて、奥の街から歓声が鳴り響き、グリアード以外の四国から花火が打ち上がった。

 火薬を中心としたものではなく、魔法による特殊な花火だ。

 千の色の瞬く星が、青い空を彩った。それは空に花が咲くというよりも、青いキャンバスに宝石箱の中身をばら撒いたかのような光景。


 その後、すぐに魔力の雪ティアーレイが降り出す。

 ばら撒かれた宝石が、手の届くところまで落ちてくるのだ。こちらこそが本命だったのかと言わんばかりの幻想的な光景に、誰もが見惚れる。火薬よりも魔力を多めに使用している異世界の花火大会ならではの現象だろう。


 その花吹雪ならぬ魔力吹雪の中、大船団の乗船者たちは連合国の地に足を付ける。

 ぱらぱらと降る魔力の雪ティアーレイが肌に付着するものの、冷たさはない。

 陽滝の《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》と違い、積もりもしない。

 これこそが、本当に言葉通りの『冬の異世界』だと思ったところで――〟


 思ったところで、パタンと。

 頁を捲るのではなく、本を閉じた。


「……はあ」


 僕は繋げていた『紫の糸』を切り、溜息をつく。

 ここまでセルドラの視点を通じて、お祭りを感じていたけれど、その必要はなくなった。


 セルドラは全てを、僕に委ねてくれた。

 数日間、ずっと遠隔魔法で祭りの熱気だけでなく、都合のいい噂話も伝播させているが、それを止めようとする人物は現れない。ここまで肥大化した流れ・・は、もう誰にも止められないだろう。


 僕は『紫の糸』に合わせて、魔法も一旦全てを打ち切る。

 そして、自分の目と耳で物語を感じるために、周囲を見回していく。


 それは、本の続き。

 魔力の雪ティアーレイが降る連合国グリアードの港街が広がっていた。

 無論、僕の知っている姿とは全くの別物。

 所狭しと海に船団が詰まっていて、陸地では船乗りや神官たちが忙しなく走り回っている。旅行者たちは浮かれた様子で、連合国で行われる祭りのイベントについて楽しそうに話しながら、下船中だ。


 『終譚祭』として、理想的な光景だと思う。

 貴族に、平民に、旅行者に、獣人に、『魔石人間ジュエルクルス』に、騎士に、神官に――役職も、国籍も、種族も、関係なく全員が揃って『終譚祭』を全力で楽しもうとしてくれている。


 ちなみに、僕たちの乗ってきた馬車たちも、下船中だ。

 だが、この人で溢れ返った港で、新たに車列を組み直すのは時間がかかるようだ。


 なので、凱旋のメインイベンターの僕たちは、いま港の隅っこにある倉庫の影で、一休みしているところだった。

 関係者のみが入れる場所のようで、周囲にはギルド運営者や神官たちの姿が多く、一般人はいない。


 そこでセルドラとクウネルの二人が、何かを言い合っていた。

 そう遠くないので聞き耳を立ててみると、今回の凱旋についての細かな取り決めで、年上のクウネルが言葉巧みに利己的な提案をしては、セルドラがペースを握られまいと言い返す。

 その仲のいい二人を見て、さらに僕は安堵を深める。


「色々あったけど、なんとかなりそうだ……」


 少年ニールとグレンさんによって『計画』は、ずれた。

 しかし、そのずれた分の調整を、いま終えた。

 というより、負け慣れている僕は、こうして調整を入れることを予定していたというのが正確なところだ。


 予定通りに調整を一つ終えたところで、すぐに次の調整の予定がやってくる。

 港町の隅のさらに隅の物陰から、フーズヤーズの神官たちが集団で姿を現す。

 その中心を歩く代表者は、この『終譚祭』の大部分を取り仕切っているフェーデルトさんだ。

 連合国の復興中、何度も助けてくれた頼れる大人が、また僕を助けてくれる。


「お待ちしておりました、カナミ様。すぐに、ご報告をさせて頂きます。ノワールとシア・レガシィの捜索ですが、発見することはできませんでした。申し訳ありません」


 『血陸』出発前に頼んでいた依頼が果たされる。

 深々と頭を下げるフェーデルトさんに、首を振る。


「依頼したときに言った通り、見つからないことを確認して欲しかっただけですから、気にしないでください。それより、セラさんのほうはどうなりましたか?」

「こちらも、カナミ様の予言通り。『終譚祭』においての『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』召集に、セラ・レイディアントだけが応えていません。どうやら、『血陸』の防衛線を出たあと、ずっと消息不明となっているようです。同時期に、連合国からディア様、スノウ様、マリア様の三名も姿を消しました。調査報告書は、こちらに」


 そのフェーデルトさんの報告を受けて、僕は連合国に《ディメンション》を広げた。

 ただ、あくまでライナーたちを捉えていないのを確認するのみ。


 ――正直、もう僕は《ディメンション》も『紫の糸』も、信用していない。


 魔法は便利な力だ。

 セルドラたちなんて、全知全能の神の力と思っているほどだ。


 しかし、絶対ではない。

 あの陽滝が活用していても、『白い糸』はティアラによって完全攻略された。

 ならば、僕の《ディメンション》『未来視』『過去視』『紫の糸』といった力も、大事なときには破られるものと、僕は思っている。実際、セラさんたちは《ディメンション》から逃れ切っている。


 頼るべきは、自分の魔法ちからじゃない。

 仲間のフェーデルトさんが地道な調査によって集めてきた情報を、僕は何よりも信じて、お礼を言う。


「本当にありがとうございます、フェーデルトさん。僕の頼みを聞いてくれて」

「全て、フーズヤーズの為ですよ。カナミ様の『未来視』で、彼女らが『終譚祭』を邪魔すると視えたのならば、どうにか先んじて捕縛したかったのですが……」


 迷いのない愛国心で、フェーデルトさんは悔しげに答えた。


 そのフェーデルトさんの報告書を、僕は本を脇に抱えて急いで眺めていく。その僕の真剣な表情に気づいたのか、少し遠くにいたはずのセルドラたちが集まってくる。


「おい、カナミ。いまの確認……。おまえでも、スノウたちは見つけられないのか?」

「大丈夫、セルドラ。このときのために、僕は仲間を集めてきたんだ。……そろそろ、仲間の最後の一人も、ここに来てくれる」


 心配は要らないと笑い返したあと、先ほどフェーデルトさんが出てきた物陰に再度視線を向ける。


 年老いた使徒が、小走りで現れる。

 その瞳が僕を捉えた瞬間、喜色を交えて叫んでいく。


「おおっ、カナミよ! やはり、ここにいたか!」


 ディプラクラさんだ。

 フェーデルトさんと違って、護衛は一人もいない。

 単身で走り抜けてきたのだろう。

 理由は彼自身の口から、すぐに語られる。


「『ファフナー・ヘルミナ確保作戦』が上手くいった報告は既に聞いたぞ! 予定通りに『終譚祭』も始まった! しかし、この祭りの終わりに、おぬしが『最深部』に到達するという噂はどういうことじゃ!? 人によっては『世界の主』となることを、おぬしに期待しておる! 儂は何も聞いておらん!」


 驚き、興奮した表情で、詰め寄ってくる。

 こうして、はっきりと顔に出てしまうから、ディプラクラさんには知らせることができなかったのだが……。 


 僕の口からは言い難いので、後ろにいるもう一人の使徒シスに説明を任せる。


「来たわねっ、ディプラクラァァァアァァ! あーっはっはっはー! やぁっと知ったのね! ふ、ふふっ、そう! 実は私とカナミの二人で、ずっと裏で『計画』を進めていたのよ! それも、ただ交代するだけじゃなくて、より完璧に、より上位の『世界の主』となるための『計画』をね!」

「よ、より上位じゃと……!?」

「当たり前よ! ただ『最深部』に行って『世界の主』を交代するだけでは、我が主の真の救済にはならないでしょう!? カナミには星の循環システムの不備を、根本から解決して貰わないと困るわ! 例えば、自らが全ての『魔の毒』を収める器となったりね!」

「それは、当初の『理を盗むもの』計画の終着点じゃな……!?」

「ええ! こうして、交代したあとの憂いも断つことが、使徒の真の役目! きっと、いま我が主と会えば、私が一番褒められるわねー! あーっはっは!」


 シスは高笑いしつつ、びしっとブイサインを決めてから、そう勝ち誇った。

 千年前と比べると、ティアラやディアの影響をかなり受けている仕草だと思う。


「つーまーり、ディプラクラ! 勝負は、私の勝ち! 一番の使徒は私! 正義の使徒も私! 何か申し開きはあるかしら!?」

「……う、うむ。そうじゃな。おぬしの勝ちでよい。そして、儂の負けじゃ。シスよ、よくぞやった」


 ディプラクラさんは頷き、同意した。

 勝負などしていないとはいえ、使徒として悔しそうな表情が確かにあった。


 だが、それ以上に喜びのほうが大きいのだろう。同意で頷く以上に、長年の悲願達成を噛み締めては、何度も頷いていく。


「何にせよ、これでやっと終わるのじゃな……。千年前より、ずっと続いておった『異邦人カナミ』たちと『使徒わし』たちの物語が……。うむ、うむ、うむっ! シスよ、本当によくぞやった! 同じ使徒として、おぬしを誇りに思うぞ!」

「でしょう? ……でも、なんだかあれね。ちょっと最初に思っていたよりも、違う感じね。私が変わったから?」


 シスはブイサインを作った指を、ぺちぺちと合わせ鳴らしながら、照れる。

 彼女の予定では、地団駄を踏むディプラクラを、限界まで馬鹿にしてやるつもりだったのだろう。しかし、そうする気が全く起きない自分に困惑している様子だった。


 その珍しい表情のシスを置いて、ディプラクラさんは再び僕に詰め寄る。

 今度は静かに厳粛に、使徒の名に相応しい落ち着きだった。


「カナミよ、ちゃんと進めてくれておったのじゃな。あの日、あの最後の戦いを終えたとき、儂らを見捨ててはおらんかったのじゃな」

「不安にさせて、すみません。どうしても、ディプラクラさんには隠しておかないといけない理由がありました」

「うむ、わかっておる。儂に知らされておらずとも、ちゃんと進んでおったのなら、それでよいのじゃ。世界が救われるのならば、それ以外は、もうよい。儂のことなど、気にするでない」


 薄らと涙を浮かべていた。

 それは同僚のシスでも驚きの感情のようだった。


「ディ、ディプラクラ……」


 すぐにシスは顔を引き締め直した。

 ディプラクラを真の仲間と認めて、『計画』について話していく。


「ディプラクラ、早めに新たな『代償』について話しておくわ。まず、この『終譚祭』が終われば、カナミは『なかったこと』になる。過去も未来も、永遠にね。存在そのものを『代償』として、より次元の高い『世界の主』となる為よ。これならば、相川兄妹召喚の『代償』だった『世界永住』『世界救済』の二つも、きちんと満たしているわ。視線・・は、いま、感じられる?」

「……ふむ。確かに、『世界』との取引は、正常にされておる様子じゃ」

「正直、ここまで私たち使徒は、本当に捩れ曲がった道を通ってきたわ……。けど、その全てを纏めて、この『終譚祭』が解決してくれる。ずっと私が言っていた通り、カナミが世界を救う為の犠牲となるからよ。喜んで礎になると、私に言ってくれたわ。だから、この流れが止まることは、もう決してない。私が、させない」

「これで、やっと『魔の毒』による汚染も終わるんじゃな。我々使徒の役目も、全て……」

「そう。もう私たち使徒は悩まなくてもいい。私たちの主も、あの地獄から解放される。ただ、代わりに私たちが召喚した『異邦人カナミ』は、これから……、全ての魂を、あの場所で一人、見守り続けて……、…………」


 言葉を続けるのを、シスは躊躇った。

 しかし、その責任感は間違っていると、口を挟む。


「シス、僕が『世界の主』となるのは、誰かに言われたからじゃない。これは『ラスティアラ』と『幸せ』になるための過程みちだから、進むんだ。……僕を異世界に召喚してくれて、本当にありがとう。おかげで、僕は『たった一人の運命の人』の彼女と出会えた」

「…………っ!」


 そう伝えると、シスは目を伏せた。

 そして、僕とは視線を合わせずに、とある方角に指先を向ける。


「世界を救ったあとも、決して立ち止まらずに、どこまでも進み続けなさい。我が主が辿りつけなかった果てまで辿りつき、ラスティアラ・フーズヤーズと『幸せ』になるのよ。……必ずよ。ならないと、許さないわ」


 シスの指先の方角に、僕は目を向ける。

 倉庫といった建物に遮られているが、その先に迷宮があることはわかる。


「ああ。僕は必ず、『幸せ』になる。……ディプラクラさん、すぐに僕は迷宮に入ります。そのまま、『最深部』まで辿りつき、《コネクション》を置くつもりです。みんなを呼んで、守って貰いながら、この交代の儀式の締めを行うために」

「守る……。つまり、妨害者が現れるのじゃな。おぬしが『なかったこと』になるのを、よく思わぬ者たちが邪魔をしに来る。そう、おぬしは『未来視』で視えておる」

「はい、現れます。僕にできる大きな隙は、もうそこだけですから」


 実際のところ、儀式は『世界の主』の交代だけでなく、その後の『魔法カナミ』にも関わっている。

 ノイと二人で綿密に決めた儀式なのだが、それは使徒たちに伝えられない『契約』だ。


「僕が迷宮に入っている間、シスやセルドラたちには凱旋を続けてもらいます」


 ずっと僕の身体は、迷宮の方角に向いている。

 しかし、他の人たちには、いま準備中の馬車に向かってもらうように指先を向けた。


「うむ、凱旋も重要な儀式のようじゃからな。そちらも準備が出来ておるようじゃの、フェーデルトよ」

「もちろんです、ディプラクラ様。ここまで、滞りは一切ありません」


 ほぼ全てが、事前に『計画』で決まってある。

 そして、その通りに進んでいる。

 なので、いまからディプラクラさんにしてもらえることは本当に少ない。


「連合国の祭事は、フェーデルトに任せるのが最もよい。もはや、レヴァン教に関しても、儂の『改新派』よりもシスの『真史派』のほうが必要そうじゃ。……カナミよ、手の空いている儂は迷宮に付いていったほうがよいか?」

「ディプラクラさんは地上で、凱旋を手伝っていてください。正直なところ、迷宮終盤のモンスターは強くて、厄介です。いまの僕だから、ようやく辿りつけるくらいには危険な場所なんですよ、あそこ」


 使徒が強いと言っても、魔力が豊富なだけで、戦いは素人だ。

 九十層近くのモンスターたちに囲まれたら、守り切れない可能性が出てくる。

 それにディプラクラさんが頷いて納得してくれたところで、後ろで待っていた仲間が主張を始める。


「はいっ、はいはいはいっ! あても手は空きますけど、迷宮には行きませんよー! あんな死亡リスク高いところ、死ぬまで絶対行かへんで!」

「わかってる。そのために、清掃員さんに魔石を譲ったんでしょ? クウネルは予定通り、ルージュと一緒にいてあげて欲しい。『南北連合』の顔役として、色々と困ってるはずだ」

「了解! やったー、あては完全に予定通りー! やっぱり、ルージュちゃんの傍が、あては一番好きー! 待ってて、私の可愛い可愛い傀儡ルージュちゃん!」


 それを別れの挨拶として、急いでクウネルは馬車列のほうに走り去っていった。

 その後ろをセルドラがついていこうとして、言い残す。


「俺は流れのまま、この凱旋を楽しむぜ。……だが、凱旋が終わり、《コネクション》が繋がれば、すぐに呼んでくれ。おまえに全力で協力すると、俺は決めている」

「頼りにしてる。……でも、気を楽にして、楽しむのも大事だよ。少しずつ、故郷のセルドラの悲願を果たして欲しいからね」

「ああ、絶対に楽しんでやるとも。でないと、カナミがここまで『代償』を払う意味がない……!」


 楽にしてと言っているのに、セルドラは険しい顔で去っていった。

 使徒たち二人は軽く「『最深部』で」と言って、さらに後ろをついていく。

 最後にフェーデルトさんが一礼をしてから、神官の集団たちと共に去っていった。


 その仲間たちの背中を、目で追いかける。

 丁度よく、遠目に車列が整っているのが見えた。

 その中で最も大きな儀装馬車に、仲間たちが揃って乗り込んでいく。


 やっと全ての下船作業が終わり、凱旋が再開されるようだ。

 祭りの再開を予感して、港に集まっている民衆が色めきだち――そこで、僕は視線を切る。


 歓声のない港の隅っこ。

 倉庫の建物の影で、一緒に残ってくれた少女に声をかける。


「じゃあ行こうか、清掃員さん」

「…………」


 凱旋の裏、二人で迷宮に向かう。

 仮面を被った彼女を手招きするが、なかなか動き出してくれない。


「いつか必ずニールのほうから、僕のところにやって来る。だから、ずっと僕の傍にいたほうがいいよ。……それに、これから向かう先は、君の故郷と同じ『最下層』だ。きっと地上よりも、迷宮のほうが君は落ち着くと思う」

「…………」


 利害の一致を利用して、誘いをかけると小さく頷いてくれた。

 彼女も『狭窄』の数値は違えども、僕と同じように、もうたった一人しか視えない様子だ。


 僕たちは人目から隠れつつ、物陰を伝い、迷宮に向かって歩き出す。

 ただ物陰と言っても、どこもかしこも人に溢れていて、完全に人気のないところは少ない。


 いかに僕が他人の視線から逃れるのが上手いとはいえ、いまティーダの仮面という反則アイテムは清掃員さんが装備中だ。

 道中、顔を隠し切れない僕と視線の合う人が、幾人かいた。

 しかし、僕がアイカワカナミであることに気づく人はいない。いや、そうかもしれないと思った人はいただろう。しかし、いまは祭りのメインである英雄たちの凱旋中だ。わざわざ確認の為に声をかけようとする人はいなかった。


 つまり、そういうこと。

 きちんと代役さえ立てていれば、僕がいなくても大丈夫。


 それを再確認したところで、僕たちは――迷宮入り口前にまで、辿りつく。


 思えば、グリアード国側から迷宮に入るのは初めてだ。

 だが、ヴァルト国やフーズヤーズ国の入り口と、そう変わらない。

 洞窟のような穴に『魔石線ライン』が通っていて、騎士たちが数人ほど見張っている。入り口には鎖のようなものが、立ち入り禁止テープのように張られていて、しっかりと封鎖されていた。


 一般人が中に入ることは不可能だろう。

 けど、僕たちは一般人ではない。

 騎士の目を盗んで、こっそりと入るのは次元魔法を使えば容易だった。軽く空間を歪ませて、騎士に眩暈を覚えさせた上で、距離そのものを縮ませる。


 普通に歩いて、僕と清掃員さんは進入禁止テープをくぐって、入る。


 ――そして、迷宮一層。


 じめじめとした石造りの回廊は薄暗く、非常に黴臭い。

 他の入り口で入ったときと、内装は全く代わり映えしない。


 懐かしの迷宮探索だ。

 僕は『魔石線ライン』の通っている『正道』を辿って、奥に真っ直ぐ進み出す。

 その後ろを清掃員さんは歩きつつ、興味深そうに周囲を見回していた。


「ここが、千年後の『魔の毒』の浄化施設……。ファニアの研究院に、似てる?」

「似てるから、来て欲しかったんだ。たぶん、君にしか見えない改良点とかがあると思うから、よく見て欲しい。……本当は《コネクション》で色々ショートカットできたんだけど、妹と戦ったときに全部消えちゃったから、そこはごめん」


 この二ヶ月間で、大陸の各所に《コネクション》は通してある。

 しかし、その全てが復興用のものであり、迷宮深部には一つも設置されていない。


 今日は、普通に攻略する必要があった。

 一層から百層までとなると、六十六層から地上まで一気に駆け上がった記憶を思い出す。

 間違いなく、重労働だし、時間がかかる。


 しかし、この最後の探索が数日かかってもいいように、『終譚祭』の予定は余裕を持って、長い日程で柔軟に組まれている。


 さっきまでいた『血陸』と比べれば気楽だと思いつつ歩いていると、『正道』から少し離れたところに、モンスターを視認する。


「あれは……」


 獣系のモンスターだった。

 大きさは二メートルほど。

 毛並みの色は鮮やかな翠で、獰猛な牙を持っている狼。


 見たことがある。

 戦ったこともある。

 僕が迷宮で初めて遭遇したボスモンスターの巨大狼だ。

 あと少しで迷宮の製作者を殺すことの出来たモンスターで、この左頬に火傷跡を作った原因の一つでもある。


「懐かしい」


 思わず、感想を口にしてしまった。


 本当は、モンスターも道も、大量の魔力を消費すればカットする方法がある。

 建前としては、いま清掃員さんという仲間が一緒だからと考えているけれど……そうじゃないのだろう。


 ――これが、僕の最後の迷宮探索になる。


 だから、懐かしみながら、モンスターを『注視』した。



【モンスター】エメラルドファング:ランク7



 なんとなく、最後に最大ダメージを試したくなる状況だった。

 けれど、後ろの清掃員さんの視線が痛いので、思い留まる。


「…………」


 彼女の動物愛護の精神は強い。『正道』によって近づいてこないモンスターを、わざわざ手にかけることは良く思わないだろう。


「先に進もうか。道は長いからね」


 余計な体力と魔力の消耗は避ける。


 ――そう決めてからは、時間の消耗も少なかった。


 大した時間もかかることなく、僕たちは二層に辿りつく。

 『正道』に沿っているので、モンスターと遭遇することは滅多にない。

 暗い回廊をほんのりと灯す『正道』の上を歩き続けるだけの探索だ。

 二ヶ月の入り口封鎖のおかげで、同業者もいない。


 何も起こらないように準備したのは僕だが、本当に静かな探索となってしまった。

 ここまで来ると、地上の『終譚祭』の賑やかな喧騒とは完全に切り離されている。


 そして、懐かしみながら歩け続けて、三層へ。

 四層へ、五層へと進んでいく途中――


「はあ……」


 大きく息をついた。


 疲れたわけではない。

 ここまでの凱旋の合間に、しっかりと睡眠も休息も取った。

 長期間『紫の糸』を維持して、さらに遠隔魔法を乱発したが、いまHPMPは満タンだ。


 だからこそ、安堵に安堵が重なって、深い溜息をついてしまった。

 いま清掃員さんと二人で静かに、緩々な迷宮探索していることで、やっと少し実感できていることがある。


 『計画』の流れ・・は、想定していた未来の中でも、最上に近い。

 予定外に『ファフナー・ヘルヴィルシャイン』と『グレン・ウォーカー』の二人を逃がしてしまったが、その程度は逆にありがたい。


 自分でも歪んでいるとわかっているけれど、ずれているからこそ安堵できるのだ。

 順調に進んで欲しいけれど、順調過ぎるのは怖い。

 上手く行って欲しいけれど、上手く行き過ぎているのは信じられない。


 ただ、もちろん。

 予定外のマイナスだけでなく、予定外のプラスだってあった。

 いま、僕の後ろにいる清掃員さんだ。


 彼女とは『繋がり』を一度作ったことで、その心を通わせている。

 ファフナーに執着する限り、僕とは利害が一致しているので、擬似的な『契約』がされた仲間の一人だ。


 清掃員さんの能力は、誰よりも『迷宮の主』に向いている。

 セルドラやクウネルたちと同じく彼女も、あのヘルミナ・ネイシャと共に研究し続けた生きる伝説の一人だ。


 これから、僕は『最深部』で魔法構築に集中して、他のことに手を割けなくなる。

 その間、迷宮運営は彼女に任せたいと思っていた。

 血の操作は――いや、遺伝子の操作は迷宮のモンスターを操り、弄り、配置するのに適している。


 清掃員さん自身の特殊なコミュニケーション能力も強力だ。

 単純に、モンスター飼育が得意なだけではない。

 正気を失った相手だろうとも、意思疎通することができるから、彼女は『第七魔障研究院』で重宝され続けたのだ。


 千年前の始祖カナミよりも容赦なく、素晴らしいダンジョンに改良してくれることだろう。

 物語が終わったあとのダンジョンで、色違いの強化されたモンスターたちが出てくるのは王道だ。

 それを、みんなが――


「ディアたちが、攻略するんだ。マリアやスノウと協力して、一層ずつ突破していく。『ラスティアラ』、面白いと思わない? 僕はすごく楽しいよ。あはは。楽しいんだ、『ラスティアラ』――」

「きょ、教祖様……?」


 迷宮の暗闇を突き進む。

 ぱらぱらと手元の本を捲り、そこに書かれた『計画』を読みながら、笑う。


 やはり、新たな仲間の加入というのは、いつになっても嬉しいものだ。

 正直、『無の理を盗むもの』セルドラだけでも、迷宮の防衛は磐石だった。


 しかし、元『次元の理を盗むもの』ノイを初めとして、その使徒であるシスとディプラクラさんに、国の運用が得意なクウネルやフェーデルトさんまで、『計画』に協力してくれている。


 清掃員さんを足せば、七人。

 七人もの心強い仲間が、僕を守る。


 歩く道は暗いけれど、不安はない。

 ここまで来ると、もはや光源は周囲の石の仄かな発光しかない――けれど、もう僕は、それすら視えていないので問題はない。

 セルドラと戦ったときから、ずっと僕の視界は歪み、ずれて、水中どころか多彩な絵の具を垂らして掻き混ぜたコーヒーのような状態だ。


 けれど、その歪んだ視界の上に、透明の思い出写真を乗せたかのように、ずっと『ラスティアラ』の姿は視えている。


 ――『たった一人の運命の人ラスティアラ』が視えている。


 その限り、僕は大丈夫。

 そこに向かって進み続けるだけでいいんだ。

 暗くても、前へ前へ前へ進み続けていれば、その先に『ラスティアラ』が待っている。

 どれだけ苦しく辛くても、『ラスティアラ』との未来が、いつか待っている。


「ははは」


 だから、順調とか、『計画』通りとか、上手く行っているとか。


 ――本当は・・・どうでもいい・・・・・・


 どちらにせよ、僕は進み続けるだけなのだから。

 それだけで、いつかは辿りつくのだから関係ない。

 『矛盾』しているかもしれないけれど、『矛盾』はない。

 降りて降りて降りて、降りていくだけ。『ラスティアラ』に向かって進み続けている限り、僕は『ラスティアラ』を感じられる。たとえ、それが彼女にとっての『主人公』だろうと『敵役』だろうとどっちでもいい。ただ、僕は『ラスティアラ』を感じていたいだけ。届きたいだけ。二人で一緒に、ただただ『幸せ』になりたいだけだから――


他人ひとの目がなくなると、教祖様の症状が悪化を……いえ、悪化していたのは、他人の目があったときですか。……私と同じ。この暗い迷宮の底じゃないと、素になれないのですね」

「あはははは――」


 なんて単純な答えか。

 数ヶ月前の絶望していた僕に、いまの僕を見せてやりたい。

 いまの僕ならば、声を大にして言える。


 少し勇気を出せば、『たった一人の運命の人』は手の届くところにいるんだと――

 全てを捨てさえすれば、死んだ『ラスティアラ』は帰って来るんだと――

 そう伝えたい。


 もう『呪い』で何も視えない。

 圧し掛かる『代償』で、身体が重い。

 悲しくて、苦しいけれど、続きの物語は楽しくて、気持ちよくて、身体が軽い。

 大丈夫と繰り返し続けて、前に進み続ける。『最深部』に辿りついて、新たな『世界の主』になって、この世界を救い続ける。救って救って救って、『その先』で――『ラスティアラ』と、会いたい。ああ、僕は会いたい。どうしても、会いたい。いつか『ラスティアラ』と会って、それで――



「――?」



 異常を前に、僕は硬直して、手元の本を閉じた。


 『狭窄』していた僕でさえも足を止めざるを得ない異常が、目の前に現れたからだ。

 歪みに歪んだ視界でも、それを確かに目にできる。


 現在位置は、迷宮の9層。

 その終わり際にある階段の前。


 異常とは、10層に続く穴から昇る――熱気だった・・・・・

 何かがこの先で燃えて、異常なほどに熱気が溢れている。

 その熱気に伴う魔力が、あらゆる魔法の干渉を弾いている。


 明らかに『計画』の予定外のことだった。

 だが、僕のやることは変わらない。もう変えられない。

 何も考えずに、階段を降りていく。


 ぶわりと熱風が下から巻き起こり、前髪が跳ねて、身体のバランスが崩れかけた。

 足を止めるほどではない。

 構わずに、下へと突き進んだ。


 ――そして、10層。


 見渡す限りの燃え盛る火炎。

 眩しくて、目が眩んだ。


 先ほどまで、暗い暗いと繰り返していた僕を嘲笑うかのような明るさだった。

 まるで、太陽の上に立っているような気さえする。


 そして、階層の中央に一際大きな火柱が昇っている。

 パチパチと音をたてながら、キャンプファイアーのように。

 燃えている前で、一人の少女が背中を向けて、体育座りをして蹲っていた。


 僕たちが10層に入ったのを感じ取ったのだろう。

 少女は立ち上がり、振り返った。

 黒髪を揺らしながら、その『呪布』で瞳を隠した顔を僕に向けて、口を動かす。


「――カナミさん・・・・・


 マリアが・・・・僕を待っていた・・・・・・・


 かなり長い時間を、ここで待っていたのだろう。

 もしかしたら、ついさっきまで仮眠を取っていたのかもしれない。

 小さな欠伸のあとに、彼女は微笑む。


 ――おかしい。


 10層には、何もなかったはずだ。守護者ガーディアンである『火の理を盗むもの』アルティが消えて、冷たくて広い石造りの部屋となっていたはずだ。

 しかし、主が帰ってきたかのように、活き活きと脈動している。


 ずっと真っ暗だった頭の中が、強制的に真っ白となっていく。

 その真っ白な頭の中に、澄んだ声が通る。


「こういうとき、何て言うんでしたっけ? 最近、ずっと魔法の歴史書ばっかり読んでて、上手く言葉が出てきません。私はみんなと違って、娯楽系の本に疎いので……」


 ふふふと笑って、その『呪布』を外しながら見つめてくる。

 視線が合った。

 炎を凝縮した魔法の瞳が、瞼の下で燃え盛っていた。

 もう決して虚ろではない『目』で、こちらを見ている。


 どくんと。

 心臓が大きく跳ねる音が聞こえた。


 僕の胸ではない。

 もう僕は何も考えていないし、感じてもいない。跳ねようがない。


 鼓動は、マリアからだった。

 彼女は胸に手を当てながら、僕と同じく誰かを感じていた。

 もう決して偽ることのない魂で、続きの言葉を紡いでいく。



「――ようこそ、カナミさん。ここが・・・この十層こそが・・・・・・・百十層・・・。『火の理を盗むもの』マリアの階層です。急造でも無断拝借でもなく、ここを百十層と思ってくれて構いません。そして、誰よりも早く、カナミさんに『第百十の試練』を受けて貰いたいと思います」



 マリアは仰々しく礼をした。

 その仕草は、いつかの守護者ガーディアンを思い出させる。


ひゃ・・……、……?」


 色々な疑問が湧き出ている。

 けれど、最もおかしいのは、その数字。

 迷宮製作者として僕は、その勝手に対して、どうしても声を震わせざるを得なかった。



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