458.いつか、化け物は百十層に辿りつく。少女は貴方をずっと忘れていませんでした。
いま手元の『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』に、物語が足されていくのを感じる。
しかし、紡いでいるのは僕でなく、マリア。
〝「――ようこそ、カナミさん。
あるはずのなかった文章。
言いたいことはたくさんあったが、一つずつ指摘していく。
「……マリア。ここは、十層だ。百十層なんて存在しない。そういう風に、僕が作った」
「しかし、カナミさんは続けるんですよね? 物語の続きを」
押し出されるように話す僕と違って、マリアの答えは素早くも緩やかで、落ち着いている。
「続くのは
「聞いてます。
「き、聞いている?」
まただ。
また『未来視』を超える
あれだけ『紫の糸』や『執筆』で、綺麗な流れを作っていたのに、一体誰が――
「ラスティアラさんから、聞きました。カナミさんは、全て『なかったこと』にすると」
「…………っ!!」
マリアは当たり前のことのように言ったが、こちらの内心は荒れに荒れた。
『ラスティアラ』から、いつどこで?
ずっと『ラスティアラ』は僕と一緒だ。
僕の知らない『ラスティアラ』など存在しない。
その僕の不安を払うように、マリアは言う。
「
それは僕が何度も口にしていた「大丈夫」よりも、何倍も安心感のある「大丈夫」だった。
「…………」
おかげで僕は落ち着きを取り戻して、マリアが「『試練』を受けて貰いたい」という宣戦布告をした上で「大丈夫」と言う意味を、スキル『並列思考』で考え始める。
マリアは『なかったこと』になるのが嫌だから、全力で邪魔しに来たはず。
しかし、それは僕の自惚れだった?
応援に来たと言っている。
つまり、マリアは僕の味方?
燃え盛る瞳を見つめる。
魔法の炎の瞳には、鏡を見ているかのように僕の姿が映っていた。
もう僕に仮面はない。髪は伸びた。黒いローブは、始祖カナミのようだ。けれど、火傷跡が千年後であることを示している。出会った頃のマリアを見ているかのように、僕の瞳は
対して、マリアの瞳は燃え盛り続け、真っ直ぐに僕を見つめている。
嘘だ。
マリアは上手く嘘をついている。
僕の『計画』を止めに来た以外に、ここで待ち構える理由はないのだ。
僕と同じで、嘘をついているとしか思えない。
ただ、嘘という確証はない。
内心を読み取ろうと、その魔法の瞳を見つめれば見つめるほど、過去の記憶が蘇える。
――『炯眼』。
彼女を不幸に突き落とし、僕と引き合わせた『
思えば、一度でも僕がマリアの心を読み切れたことはあっただろうか?
僕は無意識に、袖口から『紫の糸』を伸ばそうとしていた。
『糸』がなければ読み切れないと、心が早々に降参していた。
しかし、『糸』は崩れていく。
この地下空間では上手く保持できない。
なんとか一本だけに集中して、『紫の糸』をマリアに繋げようと努力する。
しかし、次は熱い。
10層の燃え盛る火炎には魔力が伴っており、脆い『糸』を焼き溶かした。
おそらく、マリアには『糸』が見えていない。
それでも、この燃え盛る空間では、不可視だろうが全てが届く前に焼き払われていく。
――強い。理不尽に、マリアは強い。
これがマリアという少女。
はっきり言って、『計画』最大の不安要素は、彼女だ。
唯一、僕以外に『理を盗むもの』の
いまの僕に、
だから、その『火の理を盗むもの』アルティの力を最大限に活かされて、儀式の隙を突かれるのが、最も困る展開だった。
それでも、アルティをマリアの中に残すと決めたのは、純粋に彼女たちには『幸せ』になって欲しかったからだ。
もっともっと報われて欲しい。
『血陸』出発前に、『理を盗むもの』の輪からアルティを外したのは、普通の『幸せ』を手にして欲しいという僕の願い――
――たとえ、相手側に切り札を与えることになろうとも、僕の中にある
なのに、その相手側にとって大事な切り札が、いまここに一人でいる。
隣にディアがいない。
前にスノウがいない。
潜んだライナーがいない。
現在のマリアのリーダーは――シア・レガシィは、「せーの」で『みんな一緒』にいこうと提案したはず。
事実、それが最適解。
もし僕が同じ立場なら、絶対に僕もそうする。敵側としても、それが一番困った。だから、事前にこちらの仲間の人数を増やした。
なぜ、いま来た……?
ディアやスノウは止めなかったのか?
いや、もしかして、ディアやスノウも好き勝手に動いている?
け、喧嘩でもしたのか……?
いや、最後の温泉旅行では、すごく仲が良かった。
仲が良かった……はずだ。
あそこだけ少し記憶が曖昧なのは、全ての
いや、もしあったとしても。
マリアが、たった一人というのはありえない。
わざわざ万全の僕と向き合うのもありえない。
儀式の隙を狙わないと、僕は魔法を使い放題だ。
ばらばらに挑戦しても、各個撃破されるだけ。
リアルの戦争どころか、ゲームですら基本中の基本のこと。
いや、もちろんこれはゲームではない。でも、これはゲームみたいなものなのだ。ゲーム好きだった僕の為に、妹がゲームのような世界を選んでくれた。ただ、決して異世界はゲームではなかったのだけれど、ゲームと同じルールが適応されて――
ああっ、思考が纏まらない。
『並列思考』で、ずっと聞こえている声がうるさい。
というか、視えている。すぐそこ。マリアの右後方。
(――マリアちゃん!!)
もう『繋がり』は、ないけれど。
絶対に、もし『ラスティアラ』がいたら、マリアを応援している。
さらに言えば、もう
例の
くそ……。
君は『異世界』だというのに、この『異邦人』である僕に注目しないのか――
――と、ここまで。
スキル『高速思考』『収束思考』も駆使して、ぴったり一秒熟考した結果。
一秒以上考え込んでいる姿を見せないようにと、ひとまずの返答で僕は取り繕っていく。
「――落ち着こう、マリア。とにかく、一旦落ち着いたほうがいい」
「落ち着くのは、カナミさんですよ。さっきから、どこを見てるんですか? 本当に、もう目が……、見えていないんですね」
だが、取り繕った全てを『炯眼』は見抜いた。
「目は……、見えている。さっきから、一体何言ってるんだ、マリア」
「『
粛々と、一方的に、語られていく。
そして、目の見えない僕を気遣うかのように、マリアは声を出しながら前に出た。
「ここに、このアルティさんの十層で、あなたの前に、マリアが立っています。――そして、
マリアの一歩目に、鮮やかな赤い炎が迸った。
歩いた石の床が、どろりと溶け出す。
二歩目、三歩目も同じ。
歩いた跡が、
高温であることは、見ればわかる。
しかし、ただの高温で溶けるように、迷宮の床は出来ていない。
その異常現象を確認したとき、さらにマリアの足元の炎は強くなり、この部屋全ての光源を上回った。
八方に伸びていた僕の影が、一箇所に集まり後方に大きく伸びる。
「リーパーは、そちらの方を守ってください。ノイさんじゃなくて、そちらの新しい女の子のほうを。カナミさんの新しい犠牲者さんは、保護案件ですよ」
僅かに顔を後ろに向けると、そこには僕の影から出た褐色の少女リーパーが清掃員さんに寄り添っていた。
そして、いま名前を数えられたノイのほうは、僕の中で完全に逃げるタイミングを逸する。――震えていた。
いまのリーパーのように、自分も出たいのだろう。
けれど、しっかりとマリアが「ノイさん」と捕捉しているから、その一歩目が踏み出せない。
ノイは千年前の色々な戦いを見守ってきた。
だから、知っている。
――こいつは、やばい。いま出れば、一瞬で炭にされる。
『世界の主』さえも怯えさせる火力が、『火の理を盗むもの』にはあった。
だから、アルティは
他の全ての『理を盗むもの』たちを差し置き、星の循環機能を最大利用して、その力を削いだ理由。
それを、マリアは正しく理解しているのだろうか。
「……マリア、ちゃんと僕は見えてるよ。聞こえてもいる。だから、僕の話も聞いて欲しい。アルティの全力は、本当に危険なんだ。『親和』したての一年前でさえ、パリンクロンごと大陸を削いだだろう? 『火の理を盗むもの』の力は、いまの成長したマリアが、全力で利用していい力じゃない。氷河期どころの話じゃなくなる」
早口で言い切った。
ただ、まだ『試練』を避けようとしている僕を見て、マリアは驚いた顔を見せる。
「アルティさんの全力、ですか……? いま、私は百十層と言いましたよね……?
少しがっかりもしていた。
まるで目の見えていない僕を、憐れんでいるようにも見えて――
「もし私が『世界の主』となってしまったら、カナミさんの代わりにラスティアラさんを助けます。妹さんもティアラさんも、しっかりと私が受け継いでいきます。そこは安心してください。――『約束』します」
優しい声でマリアは、『契約』でなく『約束』と言った。
なぜか、これだけは真実だと、簡単に読み取れた。
いま、マリアはこう思っている――
思っていたよりも、僕の対応が
軽く勝ててしまいそうだ。
まあ、もし自分が勝ってしまったら、そのときはそのとき。
新しい『世界の主』は、私か。仕方ない。
――くらいの軽さで、四歩目と五歩目を踏み出し、『第百十の試練』を始めようとする。
迷宮の地面さえ溶かす熱源が近づいてくるが、それよりも、代わりに『ラスティアラ』を助けるだって?
させるものかと僕は、無意識に氷結魔法を構築していた。
「――《フリーズ》」
「――《フレイム》」
間髪入れず、マリアは対応した。
初歩魔法が二つ、ぶつかり合う。
瞬間。
10層のフィールドが、僕とマリアの間に包丁を入れたように二等分にされた。
冷気と熱気。
相反する二属性が互いの領域を広げようと、せめぎ合う。
熱風が巻き起こり、水蒸気が満ち――ない。相殺されず、僕の《フリーズ》が一方的に負けて、呑み込まれて、冷気は跡形もなく消えていた。
対して、マリアの炎は一切減衰しない。
《フリーズ》に続いて、地面までも。
10層と11層の間に挟まった石の板が、チョコレートが溶けるようにドロリと融解していった。
――不味い。
マリアは宣言通り、110層に相応しい炎を使っていた。
しかし、ここは10層。
千年前の始祖カナミが想定した迷宮の耐久度は、
だから、10層の地面がマリアの熱に耐えきれず、溶けて、抜け落ちる。
足場を失い、僕は浮遊感に襲われた。
すぐさま、打開策を『未来視』で探そうとするが、まだ熱い。
広げようとした次元魔法の感覚が、高温の鉄に触れたかのように火傷して、中断させられた。
咄嗟にローブの袖から、『紫の糸』を二十本ほど伸ばす。
完成度は低いが、どれか一本。たった一秒だけでいい。
繋げれば、このマリアの異常な強さの理由が判明する。
その思考・行動・目的・理念を読み切り、瞬時の『高速思考』で分析・対策・計画・実行まで動ける。
ただ、問題があるとすれば、110層を自称するマリアから発せられる熱は、80層のセルドラの振動を大きく上回っている――という不安がよぎったとき、同じ高さで落ちていくマリアの姿が見えた。
視線が合う。
同じ浮遊感の中、マリアは前方に魔法を放とうと、片手を前方に構えていた。
癖のように、僕も全く同じ構えを取る。
「『
「『伝え断氷』――」
懐かしい『詠唱』が反響する。
「『夢幻蹌踉と
「『夢幻蹌踉と
「――火炎魔法《ミドガルズブレイズ》」
「――氷結魔法《ミドガルズフリーズ》」
大蛇の魔法。
どちらとも、星を一周りさせられるほどの大きさで構築できる魔力があった。
しかし、凝縮して、この空間を泳げる最高の大蛇が二匹。
崩れ溶けて行く迷宮の中、氷蛇と炎蛇が生成され、浮かぶ。
相反する二属性の魔法が向かい合い、同時に宙を泳ぎ出し、噛み付き合った。
また魔法がぶつかり、先ほど以上の衝撃と熱が奔る。
だから、10層のみならず、11層も。
その地面が熱に堪え切れず、溶けて、抜ける。
さらに下へと、僕とマリアは迷宮を落ちていく。
落下が、『第百十の試練』の始まりの合図となった。
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