458.いつか、化け物は百十層に辿りつく。少女は貴方をずっと忘れていませんでした。

 いま手元の『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』に、物語が足されていくのを感じる。

 しかし、紡いでいるのは僕でなく、マリア。



〝「――ようこそ、カナミさん。ここが・・・この十層こそが・・・・・・・百十層・・・。『火の理を盗むもの』マリアの階層です。急造でも無断拝借でもなく、ここを百十層と思ってくれて構いません。そして、誰よりも早く、カナミさんに『第百十の試練』を受けて貰いたいと思います」〟



 あるはずのなかった文章。

 言いたいことはたくさんあったが、一つずつ指摘していく。


「……マリア。ここは、十層だ。百十層なんて存在しない。そういう風に、僕が作った」

「しかし、カナミさんは続けるんですよね? 物語の続きを」


 押し出されるように話す僕と違って、マリアの答えは素早くも緩やかで、落ち着いている。


「続くのは日常エピローグで、『試練』じゃない。……この迷宮は、もう攻略クリアされたんだ。陽滝の百層まで、全ての『試練』を乗り越えた僕が、魔石を集め切った。だから、終わり。そういうものなんだ、マリア」

「聞いてます。そういうもの・・・・・・とは、向こうの世界の『てれびげーむ』……でしたっけ? それを勝手に真似てるカナミさんの自分ルールに、私たちが合わせる理由は、どこに?」

「き、聞いている?」


 まただ。

 また『未来視』を超える情報ものが一つ。


 あれだけ『紫の糸』や『執筆』で、綺麗な流れを作っていたのに、一体誰が――


「ラスティアラさんから、聞きました。カナミさんは、全て『なかったこと』にすると」

「…………っ!!」


 マリアは当たり前のことのように言ったが、こちらの内心は荒れに荒れた。


 『ラスティアラ』から、いつどこで?

 ずっと『ラスティアラ』は僕と一緒だ。

 僕の知らない『ラスティアラ』など存在しない。


 その僕の不安を払うように、マリアは言う。


大丈夫・・・。確かに、明日から、みんなとカナミさんの『決闘』は始まります。……けど、私は違うんです。フライングで、その応援に来ただけ。カナミさんなら、必ず『試練』を乗り越えられますよ」


 それは僕が何度も口にしていた「大丈夫」よりも、何倍も安心感のある「大丈夫」だった。


「…………」


 おかげで僕は落ち着きを取り戻して、マリアが「『試練』を受けて貰いたい」という宣戦布告をした上で「大丈夫」と言う意味を、スキル『並列思考』で考え始める。


 マリアは『なかったこと』になるのが嫌だから、全力で邪魔しに来たはず。

 しかし、それは僕の自惚れだった?

 応援に来たと言っている。

 つまり、マリアは僕の味方?


 燃え盛る瞳を見つめる。

 魔法の炎の瞳には、鏡を見ているかのように僕の姿が映っていた。


 もう僕に仮面はない。髪は伸びた。黒いローブは、始祖カナミのようだ。けれど、火傷跡が千年後であることを示している。出会った頃のマリアを見ているかのように、僕の瞳はうつろ。


 対して、マリアの瞳は燃え盛り続け、真っ直ぐに僕を見つめている。


 嘘だ。

 マリアは上手く嘘をついている。

 僕の『計画』を止めに来た以外に、ここで待ち構える理由はないのだ。

 僕と同じで、嘘をついているとしか思えない。


 ただ、嘘という確証はない。

 内心を読み取ろうと、その魔法の瞳を見つめれば見つめるほど、過去の記憶が蘇える。


 ――『炯眼』。


 彼女を不幸に突き落とし、僕と引き合わせた『生まれ持った違いスキル』。

 思えば、一度でも僕がマリアの心を読み切れたことはあっただろうか?


 僕は無意識に、袖口から『紫の糸』を伸ばそうとしていた。

 『糸』がなければ読み切れないと、心が早々に降参していた。


 しかし、『糸』は崩れていく。

 この地下空間では上手く保持できない。

 なんとか一本だけに集中して、『紫の糸』をマリアに繋げようと努力する。


 しかし、次は熱い。

 10層の燃え盛る火炎には魔力が伴っており、脆い『糸』を焼き溶かした。

 おそらく、マリアには『糸』が見えていない。

 それでも、この燃え盛る空間では、不可視だろうが全てが届く前に焼き払われていく。


 ――強い。理不尽に、マリアは強い。


 これがマリアという少女。

 はっきり言って、『計画』最大の不安要素は、彼女だ。


 唯一、僕以外に『理を盗むもの』の魔石たましいを持つマリアだけに、可能性があった。

 いまの僕に、痛みダメージを与えられる可能性だ。


 だから、その『火の理を盗むもの』アルティの力を最大限に活かされて、儀式の隙を突かれるのが、最も困る展開だった。

 それでも、アルティをマリアの中に残すと決めたのは、純粋に彼女たちには『幸せ』になって欲しかったからだ。


 もっともっと報われて欲しい。

 『血陸』出発前に、『理を盗むもの』の輪からアルティを外したのは、普通の『幸せ』を手にして欲しいという僕の願い――


 ――たとえ、相手側に切り札を与えることになろうとも、僕の中にある自分ルール・・・・・によって、『火の理を盗むもの』アルティをマリアに残した。


 なのに、その相手側にとって大事な切り札が、いまここに一人でいる。

 隣にディアがいない。

 前にスノウがいない。

 潜んだライナーがいない。


 現在のマリアのリーダーは――シア・レガシィは、「せーの」で『みんな一緒』にいこうと提案したはず。

 事実、それが最適解。

 もし僕が同じ立場なら、絶対に僕もそうする。敵側としても、それが一番困った。だから、事前にこちらの仲間の人数を増やした。


 なぜ、いま来た……?

 ディアやスノウは止めなかったのか?

 いや、もしかして、ディアやスノウも好き勝手に動いている?


 け、喧嘩でもしたのか……?

 いや、最後の温泉旅行では、すごく仲が良かった。

 仲が良かった……はずだ。


 あそこだけ少し記憶が曖昧なのは、全ての流れ・・が確定したあとだからだろう。……あと、女の子のプライベートに気を遣ってもしまった。その意識の隙を突かれて、僕が視ても読んでもいないところで、何かの相談があった?


 いや、もしあったとしても。

 マリアが、たった一人というのはありえない。

 わざわざ万全の僕と向き合うのもありえない。


 儀式の隙を狙わないと、僕は魔法を使い放題だ。

 ばらばらに挑戦しても、各個撃破されるだけ。

 リアルの戦争どころか、ゲームですら基本中の基本のこと。

 いや、もちろんこれはゲームではない。でも、これはゲームみたいなものなのだ。ゲーム好きだった僕の為に、妹がゲームのような世界を選んでくれた。ただ、決して異世界はゲームではなかったのだけれど、ゲームと同じルールが適応されて――


 ああっ、思考が纏まらない。

 『並列思考』で、ずっと聞こえている声がうるさい。

 というか、視えている。すぐそこ。マリアの右後方。


(――マリアちゃん!!)


 もう『繋がり』は、ないけれど。

 絶対に、もし『ラスティアラ』がいたら、マリアを応援している。


 さらに言えば、もう一世界ひとり

 例の視線・・も、じっとマリアを見て、とても期待している。


 くそ……。

 君は『異世界』だというのに、この『異邦人』である僕に注目しないのか――


 ――と、ここまで。

 スキル『高速思考』『収束思考』も駆使して、ぴったり一秒熟考した結果。


 一秒以上考え込んでいる姿を見せないようにと、ひとまずの返答で僕は取り繕っていく。


「――落ち着こう、マリア。とにかく、一旦落ち着いたほうがいい」

「落ち着くのは、カナミさんですよ。さっきから、どこを見てるんですか? 本当に、もう目が……、見えていないんですね」


 だが、取り繕った全てを『炯眼』は見抜いた。


「目は……、見えている。さっきから、一体何言ってるんだ、マリア」

「『表皮そと』はまともなようでも、ちっとも中身はまともじゃない。誰かが隣に立って見ててあげていないと、すぐに空っぽ。――それが、零守護者ゼロガーディアンのカナミさんなんですね」


 粛々と、一方的に、語られていく。

 そして、目の見えない僕を気遣うかのように、マリアは声を出しながら前に出た。


「ここに、このアルティさんの十層で、あなたの前に、マリアが立っています。――そして、いつか・・・は、これからですよ」


 マリアの一歩目に、鮮やかな赤い炎が迸った。

 歩いた石の床が、どろりと溶け出す。


 二歩目、三歩目も同じ。

 歩いた跡が、溶けた岩マグマとなっていた。


 高温であることは、見ればわかる。

 しかし、ただの高温で溶けるように、迷宮の床は出来ていない。


 その異常現象を確認したとき、さらにマリアの足元の炎は強くなり、この部屋全ての光源を上回った。

 八方に伸びていた僕の影が、一箇所に集まり後方に大きく伸びる。


「リーパーは、そちらの方を守ってください。ノイさんじゃなくて、そちらの新しい女の子のほうを。カナミさんの新しい犠牲者さんは、保護案件ですよ」


 僅かに顔を後ろに向けると、そこには僕の影から出た褐色の少女リーパーが清掃員さんに寄り添っていた。


 そして、いま名前を数えられたノイのほうは、僕の中で完全に逃げるタイミングを逸する。――震えていた。

 いまのリーパーのように、自分も出たいのだろう。

 けれど、しっかりとマリアが「ノイさん」と捕捉しているから、その一歩目が踏み出せない。


 ノイは千年前の色々な戦いを見守ってきた。

 だから、知っている。


 ――こいつは、やばい。いま出れば、一瞬で炭にされる。


 『世界の主』さえも怯えさせる火力が、『火の理を盗むもの』にはあった。

 だから、アルティは十守護者テンガーディアンだったのだ。

 他の全ての『理を盗むもの』たちを差し置き、星の循環機能を最大利用して、その力を削いだ理由。

 それを、マリアは正しく理解しているのだろうか。


「……マリア、ちゃんと僕は見えてるよ。聞こえてもいる。だから、僕の話も聞いて欲しい。アルティの全力は、本当に危険なんだ。『親和』したての一年前でさえ、パリンクロンごと大陸を削いだだろう? 『火の理を盗むもの』の力は、いまの成長したマリアが、全力で利用していい力じゃない。氷河期どころの話じゃなくなる」


 早口で言い切った。

 ただ、まだ『試練』を避けようとしている僕を見て、マリアは驚いた顔を見せる。


「アルティさんの全力、ですか……? いま、私は百十層と言いましたよね……? ひとりを超えていくのが、『親和』の力。いまの私を、全盛期のアルティさん程と計算しているなら、カナミさん、それはちょっと――」


 少しがっかりもしていた。

 まるで目の見えていない僕を、憐れんでいるようにも見えて――


「もし私が『世界の主』となってしまったら、カナミさんの代わりにラスティアラさんを助けます。妹さんもティアラさんも、しっかりと私が受け継いでいきます。そこは安心してください。――『約束』します」


 優しい声でマリアは、『契約』でなく『約束』と言った。

 なぜか、これだけは真実だと、簡単に読み取れた。


 いま、マリアはこう思っている――

 思っていたよりも、僕の対応がぬるい。ノイも弱い。流れが遅い。

 軽く勝ててしまいそうだ。

 まあ、もし自分が勝ってしまったら、そのときはそのとき。

 新しい『世界の主』は、私か。仕方ない。

 ――くらいの軽さで、四歩目と五歩目を踏み出し、『第百十の試練』を始めようとする。


 迷宮の地面さえ溶かす熱源が近づいてくるが、それよりも、代わりに『ラスティアラ』を助けるだって?

 させるものかと僕は、無意識に氷結魔法を構築していた。


「――《フリーズ》」

「――《フレイム》」


 間髪入れず、マリアは対応した。

 初歩魔法が二つ、ぶつかり合う。


 瞬間。

 10層のフィールドが、僕とマリアの間に包丁を入れたように二等分にされた。


 冷気と熱気。

 相反する二属性が互いの領域を広げようと、せめぎ合う。

 熱風が巻き起こり、水蒸気が満ち――ない。相殺されず、僕の《フリーズ》が一方的に負けて、呑み込まれて、冷気は跡形もなく消えていた。


 対して、マリアの炎は一切減衰しない。

 消えない炎・・・・・が、勢いを落とすことなく、さらに溶かしていく。

 《フリーズ》に続いて、地面までも。

 10層と11層の間に挟まった石の板が、チョコレートが溶けるようにドロリと融解していった。


 ――不味い。


 マリアは宣言通り、110層に相応しい炎を使っていた。

 しかし、ここは10層。

 千年前の始祖カナミが想定した迷宮の耐久度は、守護者ガーディアンアルティの10倍程度までだったのだろう。


 だから、10層の地面がマリアの熱に耐えきれず、溶けて、抜け落ちる。

 足場を失い、僕は浮遊感に襲われた。


 すぐさま、打開策を『未来視』で探そうとするが、まだ熱い。

 広げようとした次元魔法の感覚が、高温の鉄に触れたかのように火傷して、中断させられた。


 咄嗟にローブの袖から、『紫の糸』を二十本ほど伸ばす。

 完成度は低いが、どれか一本。たった一秒だけでいい。

 繋げれば、このマリアの異常な強さの理由が判明する。

 その思考・行動・目的・理念を読み切り、瞬時の『高速思考』で分析・対策・計画・実行まで動ける。


 ただ、問題があるとすれば、110層を自称するマリアから発せられる熱は、80層のセルドラの振動を大きく上回っている――という不安がよぎったとき、同じ高さで落ちていくマリアの姿が見えた。


 視線が合う。


 同じ浮遊感の中、マリアは前方に魔法を放とうと、片手を前方に構えていた。

 癖のように、僕も全く同じ構えを取る。


「『おこれ断炎』――」

「『伝え断氷』――」


 懐かしい『詠唱』が反響する。


「『夢幻蹌踉とせんまにまに』『星を飲み込め』――」

「『夢幻蹌踉とせんまにまに』『星を飲み込め』――」

「――火炎魔法《ミドガルズブレイズ》」

「――氷結魔法《ミドガルズフリーズ》」


 大蛇の魔法。

 どちらとも、星を一周りさせられるほどの大きさで構築できる魔力があった。


 しかし、凝縮して、この空間を泳げる最高の大蛇が二匹。


 崩れ溶けて行く迷宮の中、氷蛇と炎蛇が生成され、浮かぶ。

 相反する二属性の魔法が向かい合い、同時に宙を泳ぎ出し、噛み付き合った。


 また魔法がぶつかり、先ほど以上の衝撃と熱が奔る。


 だから、10層のみならず、11層も。

 その地面が熱に堪え切れず、溶けて、抜ける。

 さらに下へと、僕とマリアは迷宮を落ちていく。


 落下が、『第百十の試練』の始まりの合図となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る