384.新暦0007年、新暦0008年
この世に生きる誰もが「どうか自分の未来を思いのままにしたい」と挑戦する。しかし、「ああ。しかし、現実は厳しいものだ」と、すぐに挫折していくものだ。
スキル『読書』を『執筆』と呼び換えたからと、陽滝姉のように未来を手繰り寄せるような真似はできない。
あれは人の擬似神経である『糸』があっての芸当だ。
いまの私では、足りない。
才能も、魔力も、数値も、時間も――レガシィに言わせれば、熱意すらも陽滝姉に及んでいない。
その自分の現状を確かめつつ、まず一つ私は異世界にて『呪術』を身につけていく。
それは違う次元を移動する呪術《コネクション》。
異邦人を召喚するのではなく、マーキングした特定の場所を繋げる『呪術』だ。これを覚えなければ、何も始められない。
「――呪術《コネクション》!」
一組の紫色の扉を作り、異世界の地下空間とフーズヤーズ城の自室を繋げる。
これで私は『呪い』から、いつでも緊急避難ができるけれど――
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
喉奥から血の匂いが漏れるほどに息が切れる。
《コネクション》の『術式』が詰まった魔石と『ルフ・ブリンガー』の魔力に補助をさせても、扉の維持は容易ではなかった。
鍛えに鍛えた身体でも負担が激しい。
『次元の力』の模倣なのだから当然だろうが、ただ身体から魔力が抜けるだけでなく、まるで自分そのものが
しかし、私は〝――どのような『代償』だろうが屈するのは甘いと、その
私はもたれ掛かるように紫色の扉を開いて、久しぶりの我が家に帰った。
まだ『切れ目』が私を見つけていないのを確認して、ゆっくりと城内を歩く。
フーズヤーズ城は慌しく、騒然としていた。
国が頼りにしていた『異邦人』の片方が死に、残った兄が『使徒』様の命を狙っていると噂されていたからだ。
動揺は大きい。
なにせ、この数年で師匠は始祖として名を広め、大陸では『救世主』と呼ばれ初めていたところだった。さらに同じくして、付き従っていた『聖女』の私も行方不明となってしまっている。
だが、その動揺を全て抑えるだけの手札が、いまのフーズヤーズ国にはあった。
『使徒』であるシス姉とディプラクラ様が、ノースフィールド・フーズヤーズを『光の御旗』として掲げていたからだ。さらに、その下に付き従うのは、この数年で大陸に名を轟かせたティーダ・ローウェン・ファフナーの三騎士。
フーズヤーズの誰もが、いまや我らこそが大陸最強国であり、正義も我らに在ると安心していた。
その様子を私は物陰に隠れて確認して回っていく。
私が異世界で《コネクション》を修得する間に、シス姉と師匠の喧嘩が本格的に始まってしまっている。
それを止めることは諦めている。
なにせ、この状況は、あの陽滝姉が何年も時間をかけて導いた結果だ。
もし、ここで私が陽滝姉を槍玉に挙げたとしても、誰からも賛同は得られないだろう。むしろ、死んだ陽滝姉を悪く言う私を、敵として見る人のほうが多いはずだ。
些細な敵意も殺意に変えてしまう私にとって、暴露は自殺行為だ。
もう『呪い』を分け合っていた陽滝姉はいない。次、
ゆえに私は、慎重に最低限の情報収集だけで終わらせる。
すぐに紫色の扉を使って、異世界に避難した。できるだけ、『切れ目』の視線に捕まらないように、長時間の滞在は避ける。
いつもの地下空間まで戻って、私は次の『呪術』を――いや、『魔法』を開発していく。
「結局、師匠たち『異邦人』の用意した《レベルアップ》は、根本から間違っていた。でも、主さんの用意した同士討ちの道も納得できるものじゃない。なら、私は――」
いま私の持っている魔石には、《コネクション》だけでなく、未知の『術式』も多くこめられている。
おそらく、『私と陽滝姉の同士討ち』に必要なものを、主さんが入れてくれたのだろうが――私は中の『術式』よりも、その魔石そのものに意識を傾けた。
主さんの『次元の力』で構築された魔石は、ヘルミナさんの『血の力』で作ったものよりも純度が高い。
血に含まれる情報は莫大だ。『魔人』から抜き取った血で、『魔石』を作っていたヘルミナさんは間違っていない。
しかし、単純に主さんの扱っている
私は魔石に触れて、目を瞑る。
ここまでの《コネクション》習得で、私は『次元の力』の基礎を掴みかけていた。
そのおかげで、魔石の表面にある魔力的な壁を感じ取れる。
それは次元と次元の間にある狭間であり、境界。
あらゆる物質は内部に広い『領域』があり、その奥深くにある『核』を守っている。
その境界と『領域』という二重の防壁に守られているものを――
――
血でなく魂でも『術式』を書けるとわかったとき、そっちのほうが私に
「私は……、新しい『魔法』を作るよ……」
呟きつつ、魔石と魂だけに集中して、研究し続けていく。
もう協力者はいない。
師匠もヘルミナさんも『使徒』様も、誰もいない異世界で、黙々と試行錯誤し続けていく。
目が掠れて動けなくなるまで魔力を練って、魔力不足の痛みで目覚めて、地面を這いながらも魔石を握って、また『術式』を読んでいく。
その果てに、私は――
『次元の力』の一端を掴み、僅かだけれども指先に紫色の魔力を集められるようになる。
それは師匠の言う《ディメンション》に近く、指先で物に触れると色々な情報が読み取れた。
雪に触れれば、空で雪が生成される仕組みがわかった。空気に触れれば、空気の流れていく道がわかった。異世界の特殊な石に触れれば、それを構成している物質の比率がわかった。
あらゆる
もちろん、もう読むだけでは終わらない。すぐに私は、その大量の情報の書き込まれた魂に触れて、抜き取ろうと試みる。
また試行錯誤の繰り返しだ。
死に掛けながら、研究開発を進めていった。
『呪い』で体調を崩すことは何度もあった。
でも、不思議と辛くはなかった。
病床の頃の懐かしさだけがあった。
こうして、昼も夜もない時間を延々と過ごしていき――
とうとう降り注ぐ雪の一粒から
それは血よりも密度が高く、まるで『雪』という本が一つ詰まっている魔石だった。
その『雪』という本に、『水が凍っていく仕組み』という『術式』を書き足して、軽く魔力を通してみる。
「――《アイス》」
御伽噺の本でよく使われている適当な名称を呟いてみた。
それだけで、自然の摂理に反して、手のひらの上で自然現象が起きる。
雪のような小粒の氷を作った私は、口元を緩ませる。
すぐに私は、あらゆるものから魔石を抜き取る。
最初は一つ抜くのに丸一日かかったりしたが、何度も繰り返していく内に少しずつ効率化されていった。
近くの瓦礫からは『地の力』を、焚き火の炎からは『火の力』を、近くの暗がりからは『闇の力』を、仄かに広がる太陽光からは『光の力』を、あらゆるものから節操なく抜き取っていった。
私は何の理も盗んでいないおかげだろうか。
その魔石の全ての力を、最低限ながらも扱うことが出来た。
ときには、元の世界から生き物を調達して実験する。無害な動物は抜きやすかったが、濃い魔力を持つモンスターは弱らせないと成功しなかった。
そして、ここで一旦、私は今日まで成果を確認する。
私は地下空間に張った簡易
同じ系統の力の魔石を並べたとき、共振しつつ引かれ合うときがあった。
ほぼ同種の魔石を並べて重ねると、石が形状を変えながらもくっつくこともあった。まるで、まだ生きているかのように魔石は動くのだ。
何より重要なのは、くっついて一つになった魔石は魂の体積が増えているということだ。
使徒ディプラクラ様が説明していた『器』という言葉を、私は思い出す。
人は誰もが『器』があって、その容量が足りないせいで『魔の毒』を浴びたときに身体が変化していると言っていた。その『器』とは、この魂のことではないのだろうか?
――確かめたい。
そう思った私は、フーズヤーズに移動する。
ただ、その途中、私は城内で一つの噂を耳にした。
それは『使徒シス』に襲撃を繰り返していた『相川渦波』が、とうとう敗れて捕縛されたいう話だった。
「……だよね」
スキル『読書』で読むまでもなく、あの自棄になっていた師匠に勝機は全くなかった。
シス姉を狙い続け、守護するティーダ・ローウェン・ファフナーの三人を相手取り、順当に敗北したのだろう。
私はことのついでに、師匠の様子を見に行くことにした。
いまならば安全だろう。
城内の噂を信じれば、いま師匠は――
「お父様……」
フーズヤーズ敷地内に新しく建てられた館に、師匠と彼女はいた。
私の『代わり』として、この数年間『光の御旗』としてフーズヤーズに貢献していた『光の理を盗むもの』ノースフィールドだ。彼女が動かない師匠の世話をしていた。
師匠の伸び切った黒髪の下にある目は虚ろで、廃人に近い。
おそらく、精神が限界間近のところで、ティーダかファフナーの力が直撃してしまったのだろう。もはや、壊死した
なにせ、もうこの世界は、そういう物語になってしまっている。
あらゆる困難が師匠の成長を促すためにあって、必ず乗り越えられると決められてしまっている。
「お父様、目を……。どうか、わたくしを……」
けれど、心を痛める『光の理を盗むもの』は、甲斐甲斐しく師匠の世話をし続ける。なのに、師匠の口から漏れ出るのは、健気に献身する少女の名でなく――
「
「――ッ!!」
ぞっと背中に悪寒が走る。
すぐさま二人の様子を覗くのを止めて、私は駆け出した。
少しだけ『呪い』が薄まることを期待していた。
けれど、あんな状態になっても、まだ師匠は私を殺すほどの好意を向けてくれている。
口元が緩むのを押さえつけて、私は本来の目的の人物を探していく。
『切れ目』に捕捉される前に、実験を終えないといけない。
その迅速の移動の最中、スキル『読書』で先ほどの少女の未来を軽く読んでおく。
『光の理を盗むもの』という駒の動きを知っておくべきだと思った。
〝――間もなく、ノースフィールド・フーズヤーズは相川渦波の精神の負債を『代わり』に背負うことになる。しかし、そのとき、父が取る行動は拒絶だった。
自分と妹の遺伝子を合わせた人造の子供と知り、男は「まともな人間じゃない」という言葉を突きつけて逃げ出す。
それを追いかける少女は、まだ背負い足りなかったのだと自分を責め続ける。
諦めなければ、いつか報われると『光の理を盗むもの』は信じて、ただ前へ。
前へ前へ前へと――〟
ああ、やっぱり……。
いま『光の理を盗むもの』の役目がわかった。
いや、正確には
私は館から離れて、騎士の宿舎近くまでやってきた。
そこには『光の御旗』を守護する三騎士が集まっていた。
結婚パレードが近いという噂もあったので、そのための賓客兼護衛として、前線から呼び戻されているのだろう。
私は特にローウェン・アレイスの反応に気をつけて、遠くから様子を窺った。幸い、いまは『次元の力』を身につけているおかげで、覗き見は楽だ。
この三騎士の中、二世代目と言えるのはローウェンとファフナーの二人だ。
二人は『使徒』であるシス姉が選んだ『理を盗むもの』とされているが、実際のところは違う。
――選んだのは、陽滝姉だ。
この二世代目たちは、師匠の力に換えることを主眼に置いた人選となっている。
それぞれ、とても献身的な性格をしていて、『血脈』『剣術』『不死』と極まった特性を他人に継がせることができる。この極まった三つを師匠に継承させるのが、陽滝姉が『理を盗むもの』を量産した狙いと予測する。それを可能とする現象を、つい先ほど魔石で確認したところだ。
「陽滝姉は、いつからこれを……」
私が悠長に生き残ることだけを考えていた間、陽滝姉は誰も見ていないところで三人に接触していたはずだ。
例えば、先ほどの『光の理を盗むもの』相手ならば、母を装って近づいて、師匠が父であることを印象付けさせたのだろう。
私は自分が成長すれば成長するほど、陽滝姉の本気の周到さがわかってくる。
助けを求めたい人には必ず『糸』が絡まって、解くことは不可能。
いま私が話せるとすれば、陽滝姉が来る前からいた一世代目の『理を盗むもの』しかいない。その中で、私の目的に見合う能力を持つとすれば、それは――
「ティーダ。こっちこっち」
私は三騎士たちがばらけるのを待って、ティーダが一人っきりになったのを見計らって声をかけた。
フーズヤーズ城の騎士宿舎の裏手で、私は姿を見せる。ティーダは結局治ることのなかった黒い能面を蠢かせて、私の登場に驚きを見せる。
「――なっ!? フ、フーズヤーズの姫か……? ずっとどこにいたんだ? てっきり、もう死んでいたものかと……」
そう思われていても仕方ないだろう。
行方不明から、もうかなりの時間が経っている。たまにフーズヤーズに戻っているものの、それを知っている人は少ない。
「あー、色々あったからね……。師匠が暴走しちゃってから、フーズヤーズに私の居場所がないってのもあるけど……。とにかく、いまは大人しくしたほうがいいって思ってる」
「それは……そうだな。そのほうががいい。カナミと常に行動を共にしていた君を、敵として語る騎士はかなりいる」
その私の適当な言い訳をティーダは信じた。
そして、とても懐かしそうに、親しみを込めて私の名前を呼ぶ。
「それにしても……大人になったな、ティアラ・フーズヤーズ。見た目もだが、物腰も変わった」
「え……?」
その意外な評価を受けて、自分の手のひらを見つめる。
大きさは昔と変わらない。
身長も伸びていないし、喋り方も変えていない。
私には大人になったという実感はなかったが、ティーダが嘘をついている様子もなかった。
「いや、あれから七年だ……。フーズヤーズの姫が大人になったのは当たり前か。逆に私たちが成長していないだけだろう」
黒い能面にティーダは自嘲の笑みを作る。
さらに両の腕を広げて、自分の状況を自虐していく。
「フーズヤーズの姫、笑えばいい。結局、私に騎士など最初から無理だったわけだ。いまや、私は北も南も唾棄する騎士モドキ。……あのときから、すでに君はわかっていたのだろう? この結末が」
ずっとフーズヤーズに滞在しているわけではないので、その『騎士モドキ』という話は噂でしか聞いたことがない。
だが、それだけでもスキルで読むには十分過ぎた。
〝――七年前、私たちと別れたティーダは騎士になった。
当初は、異形の姿であれども愚直に職務をこなすティーダに、周囲の騎士たちは好感を抱いていた。ただ、その信頼は長く続かない。一度戦いが始まれば、崩れるのは一瞬だった。
騎士ティーダ・ランズは誰よりも仲間を大事にしていた。
だからこそ、一人の犠牲者も許さずに全力を尽くそうとしてしまう。
そうなれば、もう騎士らしく剣を振るうなんて余裕を、ティーダが見せることはない。友ロミス・ネイシャの教えのおかげで、彼はよくわかっていた。
もし誰かを救いたいのならば、その剣を振るうのではなく『闇の力』を振るうべきだと。
もし仲間を守りたいのならば、仲間と結束するよりも一人で暗躍したほうがいいと。
彼は騎士でありたいと願いながら、誰よりも騎士と離れた戦い方を選択してしまう。
徐々に仲間たちが離れていき、騎士モドキと揶揄されるのに大した時間はかからなかった――〟
妥当な結末。
ただただ、ティーダは騎士に向いていない。
そう思った。
しかし、目の前で、いまにも泣きそうになっているティーダの前で、それは口に出せない。
その黙りこむ私を肯定と捉えて、ティーダは話を続けていく。
「君の予想通り、私は騎士足りえなかった。いかに『光の御旗』を守護する三騎士と謳われようと、私を信じる部下は一人もいない。当たり前だ。この私が、誰よりも私を信じていないのだからな。……そんな男を騎士として慕ってくれるやつなどいるわけがない」
心が折れている。
再会したばかりの私に愚痴をぶちまけるほどに、弱ってしまっている。
「結局、私はロミスやアルティだけでなく、カナミまでも裏切ってしまった……!! 友に恩を返すと言っておきながら、この様だ……」
「いや、あれは師匠が先に敵になっただけで……」
「そのカナミの裏切り自体が、私の『呪い』ではないと言い切れるか?」
あれは陽滝姉の計画だと言い切れる。
だが、私は言い返さなかった。自虐的になっているティーダに、何を言っても届かないとわかっていた。
もし、これが盤上遊戯ならば、彼は死に駒になる寸前だ。
もう手を差し伸べても無駄。しかし、だからこそ私は手を伸ばす。
「もう私は誰も信じないと決めた。信じなければ、決して信じられることはない。裏切られないし、裏切らないで済む。一人だっ。もう一人でいい。……私のような罪人には、それが丁度いい」
ぶつぶつと呟き続けるティーダを前に、私は腰の佩いた剣を手に当てた。そして、その『ルフ・ブリンガー』を鞘ごと、目の前の男に渡そうとする。
「……ティーダ。これ、あげる。もう私は戦いとかしないつもりだから」
その剣を見たティーダは、驚きの声を出す。
「剣を、私に……? 見たところ、大事なものじゃないのか? ……いまだ私は、獣のような振り方だぞ? なにせ、それだけで、誰も俺には勝てないからな。鍛錬する意味が全くない。ははっ」
ティーダは貰っても宝の持ち腐れになると言っている。
だが、それを否定するように、私は首を振って剣を押し付けた。
「振らなくてもいいよ。ただ、持っているだけで役に立つ剣だからさ、これ」
「持っているだけでいいのか……? これは剣に見せかけた別の何かか?」
「剣だよ。ただ、魔力を吸う剣。敵の魔力を吸うのがメインだけど、周囲からも吸収するから……あなたの『呪い』が軽減されるかも」
「私の『呪い』を軽減する剣……。何をしているかと思えば、そんなことをしていたのか……」
驚きの次は、感動の声をこぼしていく。
『ルフ・ブリンガー』はティーダのために作った剣ではないが、勘違いは訂正しないでおく。恩を売りつつ、私は本題に入っていく。
「その代わり、お願いがあるの。もし師匠が目覚めるようなことがあったら、そのときは逃げ出すのを手助けしてあげて」
「……カナミの手助けだと? 確かに、我が主の献身によって、目覚める可能性は高い。だが、いまのカナミは世界を酷く恨んでいる。放っておけば、何をしでかすかわからない状態だぞ」
「わかってる。それでも、お願い。きっとシス姉は、師匠を犠牲にするから。物みたいに扱って、世界平和のための犠牲に……。そんなの私は見たくない……」
「確かに、『使徒』ならば……、いまのカナミを使い捨てるかもな……」
私は悲しんでいる振りをして、もっともらしい理由を付け足して説得した。
それにティーダは頷き、同意していく。
予想通りだ。
相変わらず、『理を盗むもの』は強大な力を持っていても、
「フーズヤーズの姫、その裏にあるものは何も言わなくていい。……ただ、それは誰のためかだけは教えてくれないか?」
内心を読まれたかのような質問が飛んできた。
「……っ!?」
一瞬だけ、動揺で言葉を失った。
しかし、すぐに杞憂とわかる。心を読まれたわけではない。ただティーダは自らの『呪い』を信じて、私が裏切ると確信していただけだ。
今日に至るまで、ティーダは何度も仲間と約束をしては、裏切って裏切られてを繰り返してきたのだろう。
結果、彼は自分が裏切られる未来だけを、疑いなく信じるようになってしまった。
その『呪い』に抵抗することを諦めて、ただ自分の犠牲で救われる人物がいるかどうかだけを確かめる姿を見て――
「いつだって、私は師匠のために生きてる。でも、今回は師匠だけじゃないよ。――〝誰もが幸せになれるように、いま私は戦ってる〟」
そう感情のままに書き紡いだ。
予定とは違う台詞を吐いてしまい、自分でも驚いてしまう。
「……そうか。誰もが幸せになれるように、か」
その返答は、ティーダも予期していなかったものだろう。
明るい声をこぼして、微かに笑った。
「……わかった。もし、そのときが来れば、私はファフナー・ヘルヴィルシャインとローウェン・アレイスを裏切って、戦おう。おまえから貰った剣で、あの『狂信者』と『死神』の背中を刺す。それが裏切った友カナミにできる――唯一の贖罪だ」
請け負ってくれた。
いまの仲間たちとの『信頼関係』を失ってでも――いや、もう諦めてしまっているからこそ、彼は「カナミの救出」に動いてくれるようだ。
七年前に友ロミス・ネイシャを救えなかったことを悔やんでいるのだろうか。
今度こそ、絶対に後悔はしないという意思を感じる。
「ありがとうね……」
「いや、礼はいらない……。これは私自身が望んでいることのはずだ……」
そのお礼を最後に、ティーダと私は別れた。
――そして、その日から私は定期的にティーダの途中経過を、影から記録していく。
今回の私の一番の目的は、『ルフ・ブリンガー』という空っぽの魔石を持たせた場合の『理を盗むもの』の変化だ。
すぐに変化は見て取れた。
ティーダの身体の黒い泥の部分が僅かに減少して、代わりに『ルフ・ブリンガー』が生き物のような意思を持ち、禍々しさを纏うようになった。
その実験結果を確認したところで、『光の理を盗むもの』と師匠の結婚パレードが始まる。
七年目の終わり際に、フーズヤーズが再興を祝い、国を挙げての祝祭が行なわれた。
間もなく、『光の理を盗むもの』がカナミの精神を『代わり』に背負う。
正気を取り戻した師匠は逃亡を図り、フーズヤーズが総出で追っ手を出したが――約束どおりに、ティーダが裏切ったことで、使徒シスの追撃から師匠は逃げ切った。
師匠は『北連盟』への亡命に成功した。
対して、『光の理を盗むもの』が『南連盟』を代表して、『北連盟』に宣戦布告。
――とうとう大陸を二分する大戦争が始まった。
しかし、師匠を早期に『北連盟』に加入させたことで、二世代目の『理を盗むもの』から力を継承させることを防いだ。
あのままだと、最低でも師匠は『剣術』を手にしていた。〝カナミとローウェンは親友となる〟という頁を飛ばしたことで、例の〝誰よりも強くなった男は、妹と同じ『化け物』に成り果てる〟の頁が遠ざかったはずだ。
しかし、その程度の時間稼ぎは予想範囲内とでも言うように、次の事件は起きる。
その日、フーズヤーズの敷地内に、一本の見知らぬ樹が生えた。
それは世界樹という種類の若木で、この世で最も強固で旧い『封印』の『呪術』に使われる媒体であると、生やした本人から聞いた。
私は犯人の弁を、フーズヤーズの貴賓室で聞いていく。
「――だ、だって、ディプラクラは嘘つきよ! 悪い『使徒』だった!!」
仲間であるディプラクラ様を世界樹に『封印』したことを、シス姉の口から直接聞いた。
その経緯も理由も、何もかもを彼女は私に話して、同意を求める。
「嘘をつくやつは、最低よ……! そうよね? ねっ、ティアラ……!」
ディプラクラ様と仲違いする兆しは、随分と前からあった。
全ては陽滝姉の書いた脚本なのだけれど、彼女は自分を責めるように震え続ける。
天真爛漫で自信満々だった彼女が、とても弱々しくなっていく姿は見ていられなかった。
「私は世界を、正義だけにしたい。悪いやつのいない世界にしたい……。でも、もう私には助けてくれる盟友はいないの。私の陽滝もいなくなった……。この世界に、正義の使徒は私だけ。だから、お願い……、ティアラ――」
自分では気づいていないだろうが、いまシス姉は失恋して混乱している。
そして、それが契機となって、心のあらゆるものが崩れ落ちていっている。
その憧れの人の弱りきった姿を見て、ティーダのときと同じ感情を私は抱く。
――ああ、
「私たちは、友達よね?」
シス姉には、もっと笑っていて欲しい。
そう願ってしまって、予定とは少し違う言葉を私は紡ぐ。
「……うん、シス姉と私は友達だよ。私も嘘つきは最低だって思う」
「……っ!! ああ、よかった……」
心底安堵したシス姉は涙ぐみ、私の胸の中に飛び込んできた。
その彼女の頭を撫でて、あやしながら、とても古い願いを私は引っ張り出す。
「大丈夫だよ、シス姉。だって、人はわかり合える生き物だから……」
「わかり合える……? 本当……?」
「うん、いつかはわかり合える……。誰でも、絶対に……」
かつて私は、憧れの人とわかりあうために、あらゆるものを『読みたい』と願った。
けれど、いまは違う。
物語の先を『読みたい』とではなく、『変えたい』と願っている。その願いに導かれて、体内の熱と魔力が変質し、とあるスキルに加算されていく。
私の中で育った新しい
「私はシス姉の味方だよ」
「ティアラ……」
「私だけじゃない。きっと師匠とも、いつかは分かり合えるよ。"最後はみんな一緒に笑い合える〟。だって、人は分かり合える生き物だもん。だから、大丈夫」
胸の中のシス姉が驚いた顔で見上げていた。
私の顔を見て、嬉しそうに悔しそうに唇を噛む。
「ティアラ、あなたは大人になったわ……。なのに、私は……。私は――」
なぜか、ここでティーダと同じことを言われてしまった。
「…………」
少しショックだった。
そんなに老けただろうか。
ふと気になって、私は貴賓室に備え付けられていた鏡台に目を向ける。
鏡面には少女から成長し、大人になりかけている女性が一人立っていた。
その女性は死の境を彷徨い続けたせいか、青白い死相の浮かんだ顔をしていた。
背は師匠に届かないが、年は召喚時の師匠を超えている。
〝金砂が流れている〟という表現とはかけ離れた若白髪の混じった長髪。
〝まるで人形のような〟なんて口が裂けても言えない現実じみた顔の作り。
〝幻想的な黄金の瞳〟ではなく、くすんだ黄土色の瞳が二つ。
全身に白い『糸』が絡んでいて、操り人形のように見える。その少し後ろでは徐々に『切れ目』が裂け始めていた。
私は「ああ、そろそろ異世界に逃げる時間だな」と思いつつ、鏡に映ったティアラ・フーズヤーズに笑いかける。
その余裕こそが、大人の証なのかもしれない。
そして、私はティアラ・フーズヤーズの時間だけは動いていたという――レガシィの言葉を認める。
『静止』した登場人物の中、私だけが成長を許されていた。確かに、それは本ならば、『主人公』の証と言っていい特別待遇だろう。
「うん……。だから……、もう終わらせよう、
大人らしく責任を持って、胸の中の『使徒』に囁いた。
私は指先に紫色の魔力を集めて、近くの『糸』を一つ摘む。さらに、くるくると指に絡ませて、そのまま力を込めて、捻じ切った。
〝――やっと新暦八年が始まる〟
思えば、世界の全てを捨てることを私が決意したのは、この〝新暦八年〟からだ。
八年も遅れて、やっと私は陽滝姉との『
「……シス姉、魔法陣って知ってる?」
まず、面倒な『呪い』の清算だ。
誰もが幸せになれる『魔法』のために、私も『糸』を操り始めていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます