385.新暦0009年、新暦0010年


 ずっと私は末っ子のように振舞っていたし、事実として誰よりも小さくて、か弱い存在だった。

 だから、最初の七年間は、みんなから可愛がられて、褒められて、見守られながら生きてこられた。

 この世界で最もいい位置で楽しんでいたと、いまならわかる。


 しかし、もう私は末っ子ではなくなった。


 まだ大人になったなんて実感はないけれど、それに近しい感情が湧いてきていた。


 苦しむティーダとシス姉を見て、どうにかしてあげたいと思った。

 話している間、ずっと〝誰も・・が幸せになれる『魔法』〟という言葉が、脳裏から離れなかった。そして、その誰も・・の中には、『理を盗むもの』や『使徒』といった特別な登場人物以外の人々も、ちゃんと入っている。


 昔は全く他人の名前も顔も覚えられなかった私だったけれど、最近は少しずつ記憶でき始めていたのだ。


 その人々の顔と異世界の惨状を思い浮かべると、言いようのない熱を感じる。

 師匠が口にしていた『みんな一緒』という願いが、いつの間にか私にも伝染うつっていると思ったが、それだけじゃない。


 ――きっと私は「この世界を生きるのが好きになった」のだろう。


 たぶん、趣味でしかなかった『読書』が異常な力を発揮し始めた頃から、ずっと私は世界そのものを大好きな本のように読み続けていた。


 けれど、その最高の本が終わってしまう。

 陽滝姉が用意した最後の頁までの道筋は完璧だ。師匠、『理を盗むもの』、『使徒』、この世界を生きる人々――『みんな』の物語は、そこから決して逃れられない。


 だから、私は動き出す。

 レガシィの言葉を借りると、これがやっと私が本気になった瞬間だったと思う。


「――シス姉、魔法陣って知ってる?」


 本気で、私の・・魔法・・』のためだけに、全てを捨て始める。


「それは……知ってるわ。いま考えている私の計画の一つよ。でも、なぜそれをあなたが……?」


 シス姉は少しだけ躊躇ったあと、正直に答えてくれた。


 師匠が〝――『化け物』に成り果てる〟には、魔法陣のように広範囲から大量の魔力を集める手段が必要だ。


 予想通り、物語には魔法陣が組み込まれていた。

 シス姉は陽滝姉の駒だと確信しながら、私は物語に割り込んでいく。

 懐から『血の力』の技術が書き込まれた本を取り出して、『魔石線』の頁をシス姉に見せた。


「……これ、見て。シス姉、私なら魔法陣作成の力になれると思うよ。もう『魔石線』を研究しているのは、私しかいないからねー。ひひっ」


 そこには主さんが使った魔法陣と、ほぼ同種のものが記載されている。

 その本を使って、私は陽滝姉と同じように、シス姉を騙し、操り、誘導しにかかる。


「ティアラ……姿を見せていない間、あれの研究を引き継いでいたの? 確かに、これは私の知っているものとは少し違う技術ね……。主には到底及ばないけれど、中々興味深いわ」

「でしょ? この『血の力』で、私もシス姉に協力するよ。これからは力を合わせて、一緒に世界を救おう?」


 シス姉が好きだからこそ、全力で『詐術』をしかけ続けていく。

 このとき、かつての陽滝姉と同じ微笑を、私が浮かべていると自分でわかった。そして、その全く同じ微笑に、シス姉は何度でも騙されていく。


「……も、もちろん、歓迎するわ! 二人でやりましょう! 私たちは友達だものね!」


 シス姉は寂しくて堪らなかった心の隙を突かれて、私という敵を仲間に入れてしまい、


「それじゃあ、まず私の考えている『世界奉還陣』を、あなたに教えてあげるわ。何かおかしかったり、変えたほうがいい場所があったら言ってみて――」


 その計画の全てを公開する。


 シス姉の『世界奉還陣』の概要は、彼女らしくとても単純で手っ取り早いものだった。

 大陸規模の《レベルアップ》によって、あらゆる生物の魔力を一箇所に集めて、全てを背負いし器を、一人生む。


 その作業の途中で、九割ほどの生物が一度溶けて消えると聞き、これが原因で使徒ディプラクラ様と相容れなくなったとわかった。


 ちなみに、全てを背負う一人に選ばれたのは、『光の理を盗むもの』ノースフィールド・フーズヤーズだ。

 『理を盗むもの』の中で、彼女こそが最高傑作なのは間違いないことだ。魔力を集めるのに長けていて、その献身的な性格もシス姉の好みである。


「――ティアラ! 『光の理を盗むもの』は、他の『理を盗むもの』を吸収することで、どこまでも器を広げることができるわ! まさしく、全てを背負うために生まれてきた存在なのよ! ……だから、陽滝のときのように、上限に引っかかることは決してないわ」


 シス姉は自分の手柄のように『光の理を盗むもの』の力を自慢したあと、神妙な顔つきで陽滝姉の名前を出した。

 前回の反省を活かし、失敗する要素はないつもりのようだが――


「その上、あの人形の身体は特別製よ。あとから、改造で足すのも簡単。どんな状況にだって、柔軟に対応ができる。今回の計画は完璧も完璧、失敗しようがない……!」


 この計画は必ず、とても豪快に失敗する。

 理由は単純で、集めた魔力は『光の理を盗むもの』に注ぎ込むことができないように仕組まれているからだ。


 フーズヤーズの地面に張られた未完成の魔法陣を確かめていく内に、私は確信する。

 この魔法陣は要所が欠けていて、最後の最後に暴走して失敗するようにできている。

 本来なら一割ほどの人類を残して、必要な分だけを溶かしていくようだが――暴走して、全生物を殺す罠がしかけられている。


 暴走の中、唯一溶けないように設定されているのは『異邦人』だけ。

 その結果、異世界で一人生き残ってしまった師匠は全ての魔力を手に入れてしまい、こうなる。


〝――『世界奉還陣』の暴走のあと、相川渦波は死ぬことさえもできず、たった一人で無限の時間を生きることを強制される。狂うのに十分な時間だった。魔が差すのに十分な魔力もあった。果てに、相川渦波は外法の死者蘇生に手を出す。蘇生に成功できたのは同じ『異邦人』という理由で『世界奉還陣』から免れていた妹の陽滝だけだった〟


 ……嫌だ。

 それは私の最も認めたくない最後の頁だった。

 二人に置いていかれる上、誰も救われない終わり方だ。


 ――この結末だけは、絶対に嫌だ。


 けれど、私は『世界奉還陣』に触れて、確かめていく内に、いまからこれを止めるのは難しいとわかってしまう。

 基点となる場所を、使徒たちを心酔するフーズヤーズの貴族たちが守っているのもあるが……単純に、『世界奉還陣』が欠けると、すぐ暴走するように作られていた。


 私は十分な思考のあと、冷静に前言を翻す。


 ――この『世界奉還陣』は止めずに、利用したほうがいい。


 私は目的のために、人類九割が溶けることを容認した。

 前々から思っていたことだが、この世界には『呪い』が多すぎる。陽滝姉が『呪い』を持ち込んだという話以前に、魔力で暗雲ができるほどに末期状態だ。


 この状態から一時的にも抜け出せるとすれば、それは『世界奉還陣』しかない。

 例えば、いま『理を盗むもの』たちは、きっちりと借金が『清算』がされていないせいで、利子を膨らませ続け、延々と不幸を撒き散らしている。

 それならば、まず『世界奉還陣』を正常に発動させて、その『呪い』を支払い切りたい。


 その上で、集まった魔力は『光の理を盗むもの』にも師匠にも――いや、誰にも注ぎ込めないようにして保管する。


 保管するとすれば、あの異世界の地下空間のような場所が理想的だろう。

 ここで重要なのは、人々が溶けていく際に、例の『次元の力』で魂も取り出すことだ。魔力も魂も保管して、しかるべきときに再構築する。


「…………」


 難しいが、勝算はある。

 というよりも、これから勝算ができる。


 正常に『世界奉還陣』が発動すれば、人類の急な減少によってやり直しになるからだ。


 はっきり言って、この大陸という盤面は、もう陽滝姉の手の入っていないところがない。

 だから、一度盤面をひっくり返す。

 それは盤面に並んだ駒たちにとって、到底受け入れられない行為だろう。

 『呪い』を払い切るとなれば、その盤面が壊れる瞬間は、世界で最も不幸な日となるのは間違いない。


 それでも私は、私の勝手で、罅割れた駒たちを全て新品に変えると決めた。

 私の望む〝誰もが幸せになる『魔法』〟のためならば、全人類から恨まれてでても構わない。


 たとえ、私の大好きな人たちに嫌われることになっても、『やり直し』を誓う――と、ここまで考えて、私は残念そうな演技を始める。


「――うーん。……ごめんね、シス姉。私が魔法陣で協力できるのは、基礎的な部分だけっぽいね。あっ、もちろん、私なりの助言はするよ! でも、ちょっと私に使徒の『魔法陣』は難しいかなって……」


 シス姉から『世界奉還陣』の詳細を聞き終わったところで、堂々と自分に都合のいい嘘をついた。

 やり方が陽滝姉に似てきているなと自分で思っていると、シス姉は残念そうに頷き返す。


「そ、そう……。でもっ、とっても助かるわ! あなたが見守ってくれるだけで、とても心強いもの!」

「ひひっ、よかったあ。それじゃあ、私は私にできることをやっていくね。『魔石線』の技術を活かして、魔法陣の補強とか。各地で色々とさっ」

「……ええ、お願いね。ティアラ」


 私は『世界奉還陣』の情報を得るだけで得て、フーズヤーズ城から去っていく。

 そのとき、背後のシス姉が、私と一緒にいて欲しそうな顔をしていたけれど、振り返ることは一度もなかった。


 この日から私は、宣言どおりに『世界奉還陣』の基点となる場所を回って、暴走をさせないためにも『血の力』で補強をし始める。


「シス姉のためにも、早く終わらせよう……。そのためには、まず私の・・魔法・・』の準備をしないと――」


 ――その傍らで、『魔法』という言葉をフーズヤーズ中に広め始める。


 私は異世界への扉を行き来しながら、世界中を旅していった。

 かつては師匠に任せきりにしていた『呪術』の布教を、今度は『魔法』という名称に変えて繰り返す。


 布教方法も以前とは大きく違う。

 例の火や水から抜き取った魔石を配って、それに魔力を通す技術を教えて回った。


 魔石を使うことで『代償』を軽減させ、利用しやすくするのが目的だ。

 かつて、師匠が『代償』を抑えるために書いた本の役目を、この魔石で代行させているわけだ。


 師匠の広めた『呪術』は『代償』が激しく、火をおこすだけで記憶が曖昧になったり、風を生むだけで泥酔してしまうものだった。だからこそ、この『代償』のない『魔法』の登場を、人々は喜んでくれた。


 他にも、『魔法』が浸透する理由はあったと思う。

 それは御伽噺に出てくる翼人種・・・が使う『魔法』の存在だ。


 千年以上前にあったとされる技術が、いま復活していると嘯けば、誰もが信じた。

 大戦争が始まったことで、人々の生活が急激に苦しくなったのもあるだろう。その便利な技術の登場を拒否する人は、本当に少なかった。


 その布教の途中、私一人だけで広めるのは効率が悪いと感じて、才能あるものに『次元の力』の基礎を教えて回ったりもした。

 これで大陸の魔石と『魔法』の量は爆発的に増える。力のバランスが崩れるのはわかっていたが、最後には『やり直し』にするのだからと私は大盤振る舞いした。


 ――少しずつ人々は『魔法』という二文字を信じていく。


 それは各地で、僅かながらも『代償』が発生していくことでもあった。

 その『代償』を掻き集めるために、急いで私は偶像を用意する。


 やり方はファニアの街で学んでいた。

 あの『アルトフェル教』を、より大規模で行う。

 新興の際には、かつてロミス・ネイシャが摘み損ねた『新たな宗教の芽』を利用する。本当は師匠を始祖にして始める予定で大事に育てていたものを、ここで使う。


 ちなみに信仰の対象は、あの『主さん』だ。

 もちろん、ロミス・ネイシャと同じように、あとで改変して丸ごと私が奪うつもりである。『世界奉還陣』が発動して誰もいなくなったあとに、信仰対象も始祖も何もかもを『ティアラ・フーズヤーズ』に塗り替える。


 最後に、その宗教の名前を考える。

 単純に『古き主の教え』としてもいいと思ったが、『主』という単語は後のために外して置きたかった。

 名前すらも『代償』とわかっているからこそ、私はこだわる。


 理想は『代償』がともなっていると私だけがわかる名前だ。


「――レヴァン教・・・・・


 私は自分の知識と異世界の書物を交えて、造語を一つ口にした。

 信徒には『神聖なる魔法』という意味があると喧伝したが、実際は『偽りの呪い』という言葉だ。


 詐欺だろう。

 しかし、戦時中で疲弊していた人々は、何の疑いもなく、この『神聖と偽って、呪いを背負わせる教え』を信仰していった。

 入信すると、便利な『魔法』がついてくるのがお買い得だったと、教祖ながら自分で思う。


 ――こうして、『北連盟』と『南連盟』の戦争が激化していく中、密かにレヴァン教は大陸に広まっていった。


 その頃、私は風の噂で『北連盟』での師匠の活躍を聞く。

 私と同じく、手段を選ばずに『北連盟』を強化しているらしい。特に二人の男――『木の理を盗むもの』アイドと『無の理を盗むもの』セルドラと協力して、異世界の知識を浸透させていっているようだ。


 順調に私たちの世界は異世界に蝕まれているなと自嘲しつつ、さらに時は過ぎていく。

 布教活動に一区切りついたときに、私は『次元の力』を極める。

 これから先の『魔法』のためにも、その力は必須だった。


「――はぁっ、はぁっ、はぁっ……! やっとできた。……ああ、名づけたほうがいいんだっけ? なら、これは『次元の紫色の腕』。――魔法《幻の紫腕まぼろしのしわん》にしよっか」


 ずっと指先だけで魔石を抜いてきた私だったが、紫の魔力を腕一本に纏わせれるようになっていた。


 腕は蜃気楼の幻のように揺れていて不安定だが、これこそが『次元の力』の完成形。

 これ以上の力となると、それは全人生を懸けないと無理だろう。


「『魔法』のついでだったけど……これで一先ず、師匠は大丈夫かな」


 魔法《幻の紫腕》があれば、師匠を正気に戻すことは可能だろう。これは師匠が必要とする『妹の死を覆す可能性』そのものだからだ。


 しかし、まだ師匠に会えはしない。

 まだ足りないと、私のスキル『読書』が読み取っていた。


〝――ティアラ・フーズヤーズは『次元の力』を独自に極めることで、相川渦波の運命を変える道筋を見つけ出した。憧れの人が『化け物』となることを防ぐために、その紫腕の少女は希望と共に歩き出す。しかし、その先に待っているのは――〟


 ただ、その頁の途中、どこか懐かしい声で〝「……ティアラ・・・・。その道筋を選んだのならば、これはどうでしょう?」〟という陽滝姉の言葉が入っているような気がした。


 今日、このとき、私が『次元の力』を完成させて、スキル『読書』で未来を読むのがわかっていたかのように――


〝――その道の末、ティアラ・フーズヤーズは《幻の紫腕》で相川渦波を正気に戻すことに成功した。世界を巻き込んだ大戦争は終結する。そのとき、とうとう二人は気持ちを通じ合わせることもできた。その数年後に、二人は夫婦となり、長い年月をかけて相川陽滝の蘇生に取りかかり始める。『呪い』という障害がありながらも、手を取り合って生き抜く二人は、毎日が本当に幸せだった。そして、その果てに、ティアラ・フーズヤーズは想い人の腕の中で、老衰で死に逝く。本当に楽しかったと、世界にお礼を言いながら、彼女は逃れ続けた『呪い』を払い終えていく――〟


 という頁を、先んじて陽滝姉に置かれていた。


「はあっ、はあっ……!」


 スキルの使いすぎで息が乱れる。


 どうやら、死の『呪い』を乗り越えた私の成長を認めてくれて、陽滝姉は『一生師匠の記憶に残って死ぬエンディング』から『師匠と老衰死まで添い遂げるエンディング』に格上げしてくれたようだ。


 その新たな提案は罠とわかっていながらも、とても魅力的で、決心が揺らぎかける。


 所詮、『みんな一緒』なんて叶わない夢。

 あの相川陽滝と『対等』も現実的ではない。

 ティアラ・フーズヤーズは『理を盗むもの』となって追いかけることもできない。


 なら、大好きな相川渦波と生涯暮らして、ハッピーエンドになるのがティアラ・フーズヤーズの理想の結末――


なわけあるか・・・・・・……! ス、スキル……、『読書』……」


 私は声を振り絞って、名を呼ぶことで、スキルに過去最高の力をこめた。


 そして、もし・・という可能性の未来にさえも手を出して、読んでいく。

 しかし、私の力で読める範囲内の未来全てが――


 例えば〝相川陽滝を助けられると相川渦波を説得した上で、元の世界まで連れて行く。『糸』の届かない地下空間で、世界の真実を想い人に知らせた〟場合の未来を読む。

 しかし、その先は〝――ティアラ・フーズヤーズは想い人の腕の中で、老衰で死に逝く〟という頁で終わっていた。


 例えば〝『北連盟』にいるロード・アイド・セルドラの協力を得て、相川陽滝に対抗しようとする。この世界の最高戦力を揃えて、蘇った彼女と相対する〟場合の未来を読む。

 しかし、その先は〝――ティアラ・フーズヤーズは想い人の腕の中で、老衰で死に逝く〟という頁で終わっていた。


 例えば〝大陸を統一して、レヴァン教の怨敵に相川陽滝を据える。使徒たちの協力も得た上で、異世界からの侵略を防衛し続ける〟場合の未来を読む。

 しかし、その先は〝――ティアラ・フーズヤーズは想い人の腕の中で、老衰で死に逝く〟という頁で終わっていた。


 ――どのような経過を通っても、最終的に私は『呪い』を払い、〝ティアラ・フーズヤーズは想い人の腕の中で、老衰で死に逝く〟となっていた。


 そして、そのときの師匠は若いままの姿で、私は置いていかれている。


 私は自らの力不足を知り、喉奥から声を漏らす。


「嫌だ……、私は、絶対に最後まで……」


 呟きながら、フーズヤーズ城内を幽鬼のように歩き出す。


 足りない力を補充する当てはあった。


 『魔法』の計画の一環として、私は敷地内にある『魔石人間』の研究院に入っていく。

 いつも通りの塔の一階には本棚が並んでいたので、真っ直ぐ私は本格的な実験が行われている三階まで赴く。かつて、ここにはレガシィと陽滝姉の二人がいたけれど、もうどちらもいない。ここで完成した『光の理を盗むもの』も、前線から帰って来てはいない。


「ひ、姫様……?」


 フーズヤーズの優秀な研究員の一人が、突如現れた私に気づいて声をかけた。

 私は陽滝姉の微笑を真似ながら、自分に足りないものを補充していく。


「いひひっ、ちょっと欲しいものがあるんだ……。だから、貰うね。――魔法《ブラッド》」


 歯で軽く手のひらを噛んで傷口を作り、魔法を使った。

 そして、積まれた『魔人』たちの死体から血を吸いあげて、その傷口から飲み干していく。あえて『次元の力』で魂を抜き出すのではなく、『血の力』を使って集める。

 もちろん、この濃い死臭に含まれている魔力も、全て私のものにしていく。


「ひっ――!」


 研究員たちが驚きで短い悲鳴をあげたときには、ありとあらゆる死体から干物になり、塔から血と魔力は一切なくなっていた。


「ごめんね。でも、すぐに新しい死体を持ってくるように根回しするから、安心してね」

「……はい」


 この研究院を潰すつもりはない。

 むしろ、ここを頼りにしてやってきたのだ。


「それと、ここでやってもらいたいことがあるんだ。いいかな?」

「……も、もちろんです。ティアラ姫様」

「ひ、ひひっ。よかった。駄目だって言われたら、どうしようかと……」


 この日から、この研究院では『魔石人間』だけでなく、私の血も研究してもらうことになる。

 かつて、ファニアで『火の理を盗むもの』の血で作っていた平和を、今度は私の血で再現したかった。


 計画の内の一つを終えた私は、避難するように異世界の地下空間まで戻ってくる。

 そこに白紙の本を大量に持ち込んで、私は『読書』の続きを行う。


「もっと、スキルで……、先を読まないと……。もっともっとたくさん、読んで……」


 その書の山の中央で膝を突いて、俯きながら呟いた。


「いや、読むだけじゃ、駄目……。その先を変えないと、意味がない……」


 私は手に羽ペンを持って、白紙の本に文字を書き込む。

 頭だけでなく、手も動かすことで、スキル『読書』の力を補強していく。


 もし〝相川渦波を説得した上で、元の世界まで連れて行く〟で足りないのならば、〝異世界の黒鎧たちも味方に引き込む〟と書き足してみた。

 他にも〝各地の上位の魔人たちを呼び起こす〟や〝『最深部』にいる主も引きずり出す〟なども含めて、大量の文字を書き足してみたが――


「足り、ない……」


 どれだけ書き足しても、あの〝――ティアラ・フーズヤーズは想い人の腕の中で、老衰で死に逝く〟から逃れられる未来にはなってくれない。


 どう書き足せば、結末を変えられるのかと悩む中、私は書くスピードが遅すぎると思った。

 だから、私は人の手で物語を書くことを捨てる。


「手が足りない……。――魔法《ブラッド》」


 手のひらの傷口から、吸い取ってきた血を吐き出す。

 それは生き物のように蠢き、周囲の白紙の本を這いずり回った。そして、赤黒い血の色の文字で、あらゆる未来が紙に書かれていく。


 まず〝いまから私が陽滝姉の魔石を抜いた〟場合の未来を、紙に書いた。


 そして、〝それを師匠に断られた〟場合の未来も、〝それを師匠が承諾した〟場合の未来も書いた。

 さらに〝ノースフィールド・フーズヤーズと協力した〟場合も、〝セルドラ・クイーンフィリオンと協力した〟場合も。〝逃げた〟場合、も〝戦った〟場合、〝話し会った〟場合も、〝勝った〟場合も、〝負けた〟場合も、場合も、場合も、場合場合場合場合場合――


 無限に枝分かれした未来を書き出していくにつれて、徐々に私の意識は遠ざかっていく。


 未来に意識を傾けすぎて、いま自分がどこで何をしているのかわからなくなっていた。

 いかに《レベルアップ》で『賢さ』の数値が上がったといえど、この作業は脳を焼き切るほどに負担がかかる。


 それでも、朦朧とする意識の中、私は『執筆』を続けた。


「まだ……、足りない……」


 すぐに持ち込んだ白紙の紙は全て文字で埋まった。


 それを『次元の力』で――《ディメンション》で読みつつ、《ブラッド》で血を動かし続ける。

 疲労と体調不良の極地で、もう目と腕は動かしていない。けれど、次は地下空間の石の床に、石の壁に、石の天井に、血の文字を書いていった。


「書く場所が……、足りないな……」


 これもまた数日で埋め尽くされてしまい、次に私は魔石に目を向ける。

 ここまでの『執筆』作業で、魔石は『読書』に向いていて、血は『執筆』に向いているというのはわかっていた。


 魔石に別の『術式』が書き込まれていても、『血の力』で強引に上書きしていく。

 魔石の中は本当に広大で、紙の書物や石の壁とは比べ物にならないほどに書ける余白があった。


 だが、一つの問題を解決すると、また別の問題が浮き上がってくる。


「次は……、時間が、足りない……」


 私の未来を読む速度も、未来を書き足す速度も、もはや人の枠を越えている。


 けれど、比べている対象が陽滝姉のおかげで、決して満足のいくものではなかった。そして、陽滝姉を想定しているからこそ、その解決法はよくわかっていた。


「呪術……、いや、魔法《レベルアップ》……」


 私は集めた魔力を消費して、体内の細胞を複製していく。

 さらに、もう戦うための無駄な力は必要ないと、ありとあらゆる魔力を白い『糸』に変換していく。


 私は度重なる《レベルアップ》で、元々常人より高い『賢さ』の数値を誇っていた。

 そこに意図的な変換を行った結果、体内に収まり切らなかった白い『糸』が一筋だけ体外に出てしまい、そして――


「がっ、ぁアッッ――!!」


 空気に触れた瞬間、激しい痛みが全身を襲った。

 皮膚全てを剥いだかのような痺れと、胃と腸を喉から引きずり出されたかのような衝撃だ。


 視界も思考も点滅して、顔面を地面にぶつけた。

 しかし、鼻が潰れる痛みが生易しく感じるほどに、その白い『糸』の痛みは濃い。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 白い『糸』は、変換に失敗して消えていた。

 私は痛みに耐え切れなかったことを悔しがりながら、立ち上がって移動する。


 元の世界に戻った私は、また足りないものを補充するためにフーズヤーズ城内を壁伝いに歩く。


「ひひっ……、私は我慢も、足りないな……」


 体調が悪化し始めていたが、立ち止まらない。

 このとき、私は数え切れないほどの白い『糸』を操っていた陽滝姉の姿を思い浮かべていた。


 いつも庭でたった一人、本を書きながら、陽滝姉は微笑んで、私の帰りを待ってくれていた。

 あの日の『約束』を、いまでも鮮明に思い出せる。

 私が「『約束』だよ!」と手を握ったとき、陽滝姉は嬉しそうだった。小さく「ええ、『約束』です……」と頷きながら、やっと本気を出せると言っていた。


「『対等』には、まだ足りない……」


 私の考える『みんな一緒に』の中には、陽滝姉だって入っている。

 私の・・魔法・・』に例外なんて一人もいない。


 けれど、まだ私は陽滝姉と『対等』にすらなれていない。

 足りないものが多すぎた。

 手も、頭も、スキルも、力も、我慢も、何より――


「早く、しないと……」


 時間が足りないのが、致命的だ。


 準備期間は〝――おそらくは、新暦十二年が限界だ〟と、ここまでの作業で私はわかっていた。

 あらゆる未来において、師匠が〝妹と同じ『化け物』に成り果てる〟となる年は、すぐ近くまできていた。


 ――だが、その直前に私は見つける。


 足りないもの全てを解決できてしまう存在と出会う。

 それを用意したのが他でもない『相川渦波』だったことに、私は意味があると思った。

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