383.西暦2018年


 その紫の扉を抜けた先には、真っ白な異世界が待っていた。

 まず私は、強すぎる冷風に身を縮こまらせ、目を細めた。しかし、そこまで身体に負担はない。《レベルアップ》の影響がある以上に、例の『呪い』の重圧が消えていたからだ。


 恐る恐ると私は、柔らかい白い土のようなものを靴で踏み抜きながら、ゆったりと降り注ぐ白い粉のようなものを浴びる。


 とても静かだった。聞こえてくるのは、私とレガシィ様の柔らかな足音だけだ。


 ゆっくりと細めた目を見開き、元々は石の世界と呼ばれていた世界を、視界に映していく。

 周囲で山脈のように連なる石の塔が、全て凍っていた。 

 足元にも石の道路が敷かれていたが、全て凍っている。

 透明な氷ではなく、真っ白な霜で覆われているためか、色のついていない真っ白な画布の中に迷い込んだような錯覚がした。


「なに、これ……」


 自らの吐息すら凍りついているのか、口から白い煙が出ることに驚く。


 本当に一面が真っ白だった。


 なによりも白かったのは、天を覆い尽くす雲。

 その私たちの世界の暗雲とは対を成す色彩に、目が眩んで転びかける。


 次に私は両の手のひらを天に向けて、落ちてくる白い粉のようなものを拾おうとする。

 しかし、それは手に取った瞬間に、形を失って水となった。

 最初は『魔力の雨ティアーレイ』かと思ったが、全く別物であるとわかる。


「雪、らしい。『北連盟』で見なかったか?」

「見てません……。ヴィアイシア国あたりで引き返したので……」


 文献で雪も雪原も知ってはいる。


 しかし、ここまで白いとは思わなかった。私は初めて見る新鮮な光景に、体内の血の温度が上がっていく。だが、その場違いの興奮は、すぐに異世界の冷気によって抑えられる。


 ぱらぱらと降り注ぐ雪の向こう側に、狼煙のように揺れる白い『糸』の群れを見つけたのだ。

 ここも戦場であると私は理解して、周囲の情報を集め直す。


 周囲の塔の氷像の群れが、本当に目立つ。

 いま私は塔と表現したが、フーズヤーズにあるものとは大きく造りが異なっていた。円柱ではなく角柱の形状ばかりで、材質も単純に石とは括れない。最近、鍛冶に手を出したからこそ、石と似た別物とわかった。


 その未知の塔の氷像が、とにかく多い。

 フーズヤーズ城に負けないほどに塔は密集していて、ときには連なり、ときには天高く建設されている。


「あの、レガシィ様……。ここはどこかの城の敷地内なのですか?」

「いや、こちらの世界だと、そう珍しくない街の一部だ。あれは『ビル』で、いま俺らが立っている所は『自動車道』らしい。……が、それは覚えなくていい。いま重要なのは、あっちだな」


 レガシィ様は雪原を――いや、雪の積もった『自動車道』の上を踏み歩いて、小さめの氷像まで近づいた。


 その後ろを私はついていき、中身を確認する。

 見たことのない奇妙な服をまとった男の子が入っていた。

 どことなく、師匠と初めて会ったときの服と似ていることから、この男の子も『異邦人』であると理解する。


 そして、私は大きな氷像だけに目を奪われずに、周囲に点在する小さな氷像にも目を向けていく。


 中には異形の鉄塊などもあったが、大体が人の氷像だった。

 老若男女を問わず、たくさんの『異邦人』たちが凍っている。よく見ると、人の入った氷像からは必ず白い『糸』が一本だけ、空に伸びていた。


「見ての通りだ。こちらの世界へ発つ前に、陽滝が全生物を凍らせた」

「……陽滝姉の『氷の力』ですね」

「正確には、凍ったのではなく『静止』だと主は言っている。こちらの世界は、時間といった世の理までも含めて、全て陽滝によって『静止』されている状態だ」


 ふざけた話だと思った。


 だが、陽滝姉という人物名が出ただけで、私から反論はなかった。その凶兆を誰よりも近くで私は感じていたので、軽く「そうですか」と頷き返して、すぐに次の情報を確認していく。


「氷像から陽滝姉の『糸』が出ていますね。それが、向こうの空の――」


 たゆたう『糸』を目で追っていくと、遠い地平線に巨大な穴が浮かんでいるのを見つけた。そこに全ての白い『糸』が集まっているので、まるで空に白い渦ができているようだった。


「ああ。あれは、おまえのよく知っている『切れ目』だ」


 疑問は即答された。

 が、その答えに私は安易に頷くことができなかった。


 私のよく知っている『切れ目』には、常に視線を感じた。

 その視線の持ち主を、暫定的に私は『世界』と呼んでいたのだが……いま私が見ている渦の先には、その気配が全くない。ただ、『世界』は感じないが、誰もいないわけではない。


「なるほど。つまり、あの『切れ目』は――」


 懐かしい匂いを感じる。

 その匂いの持ち主は、間違いなく――


「ああ。あの先は、『相川陽滝』に繋がっている。つまり、いまは俺たちの世界に繋がっているとも言えるな」

「…………」


 また即答されてしまった。


 私は少しだけ頬を膨らませる。

 陽滝姉と比べると答え合わせの楽しみがないなと思いつつも、いまは真面目に彼の話を聞き続けていく。


「最初に『使徒』ディプラクラは、陽滝を見て『魔力を過剰に吸引する体質』だと診断した。だが、それは正確ではなかった。病の一番の原因は、俺たちの世界にいる間もずっと、この異世界の生物の魔力を吸っていたからだ。その得た魔力で、さらに白い『糸』を量産していたのも原因の一つだろうな」


 これも私が答えたかったことだが、レガシィ様は次々と先に説明していってしまう。

 まるで読んでいる途中の本のネタバレを語られているかのようで、少し不満だ。


「陽滝が白い『糸』を増やす理由は一つ。俺たちの世界も、ここと同じ姿にするためだろう。ただ、次は自分でなく、渦波に『糸』を繋げるはずだ。兄にも自分と同じように世界を一つ食らわせて、『対等』な存在にしようとしていると――おまえが聞き出したおかげで推察できている。主はおまえに酷く感謝していた」

「どうも……」


 ちょっと不機嫌になった私は、そっけなく言葉を返す。

 レガシィ様は怪訝そうだったが、すぐに表情を固め直して、また歩き出す。


「こっちに来い。地下のほうが話しやすい」


 そして、地下に続く出入り口と思われるゲートまで、私を誘導する。


 地面に荷車が一つギリギリ通れるほどの穴が空いていて、綺麗に整備された地下階段が続いていた。

 少し雪が積もっているけれど、凍りついてはいない。足元に注意すれば、中に降りていくことはできるだろう。


 私はレガシィ様に続いて階段を降りる前に、ちらりとゲートの頂点に付けられた看板を見た。例の日本語と思われる文字が書かれていたが、霜で真っ白となっていて読み取れない。


 先に進むレガシィ様を追いかけて、足を滑らせないように階段を降りていく。

 数分後、階段の先に待っていたのは、予想を裏切るほどの巨大な地下空間だった。

 城が地面を境にして逆様に建っていたのかと思えるほどに、そこは広大でありながら複雑な構造をしていた。


 私は目を輝かせながら、地下空間を見回す。

 ただ広いだけでなく、目につく全ての物が新鮮だった。ただ、そのどれも霜で真っ白になっているのが少し残念だった。


 どうにか凍っていない物はないかと、忙しなく視線を動かしていく。

 その途中、あちこちに点在する人の氷像に違和感を覚える。

 地下に雪が降っていないのは当たり前だが、もう一つだけ地上との違いがあった。


「……あれ? 『糸』が出てない? というか、ここって――」

「数少ない『糸』の弱点だな。大陸の下だと、『糸』は形を保てなくなる。その理由は……次元が違うからだ」


 レガシィ様は途中で十分な間を置いて、一度聞いたことのある言葉を口にした。

 そこに説明の省略を感じ取り、眉をひそめる。


「……また次元が違う、ですか。その言葉、便利過ぎませんか?」

「俺に言うな。主からの伝言そのままだ」


 レガシィ様は自分でなく、伝言を預ける主さんに問題があると言う。

 嘘は言っていないと思う。その顔は真剣で――ただ、どこか呆れているように見えた。その裏に隠された事情を読み取ろうとすると、レガシィ様は再度歩き出す。


 その後ろをついていき、何度も道を曲がっては、何本もの霜まみれの柱の横を通り、さらなる地下階段を降りる。

 道中、余りに静かだったので、ちょっとした話題を投げつけてみる。


「迷路みたいに入り組んでいますね。兵士を潜ませる死角も多いです。ここは外敵からの防衛を考えているのでしょうか?」

「かもな。南からの侵略を幾度となく防いだ『北連盟』の『ダリルの迷宮城』に少し似ている」

「……案外、色んなところに行っているんですね。まだ私は、ダリルの街には行ったことありません」

「俺もおまえに負けないくらい、旅には出てたからな……。旅は好きだ。伊達に何度も行方を眩ましていない」


 思ったよりも会話は弾む。

 以前に感じたとおり、どこかレガシィ様と私は似ている。

 旅好きという一点だけで、それなりに談笑できるだろう。


 ただ、趣味について話しているはずのレガシィ様の顔は芳しくなかった。理由は、ここに連れて来られる前の彼の独白から読み取れる。

 その旅好きの理由が『使徒レガシィは保険なのだから、物語の外側にいるべき』という産みの親の都合で設定されたものだとしたら、談笑の全てが空しいことになる。


 それに気付いた私は会話を止めて、黙々とレガシィ様の後ろを歩き続けた。そして、数十分ほどの移動の果てに、やっと彼は立ち止まる。


「ここまで来れば、十分か」


 陽滝姉の『糸』を相当に警戒しているようで、何度も周囲を見回したあと、また懐から魔力のこもった石を取り出した。


 また未知の『呪術』が発動するとわかり、私は身構える。すると、レガシィ様は先んじて力の詳細を語る。


「いまから、この異世界であった過去を一つ視せる。危険はない」

「過去を視せる? 一体どうやって……?」

「それは……簡単に言うと、違う次元を視るということだ」

「またですか? さっきの『次元が違う』をひっくり返しただけじゃないですか」


 続く適当な説明に、とうとう私は苛立ちを露にした。

 その私の不平を聞いたレガシィ様は、たっぷりと間を置いたあと、呆れた顔で首を振った。


「…………。……主が怯えている。俺からも頼む。主の説明が下手なのは、もう見逃してやって欲しい」

「え……? えぇぇ……」


 まさかの説明の降参に、私は唸った。

 つまり、何度も「次元が違う」と繰り返していたのは、ただ主さんが口下手ゆえだったせいらしい。


 ずっと私の抱いていた「何千年も『世界』を管理していた上位存在」というイメージが崩れていく。伊達に、あの人の気持ちに疎い『使徒』三人組の産みの親ではないようだ。


「とにかく、始めるぞ。陽滝が不滅だという理由を、いまから『過去視』する」


 しかし、そのイメージ崩壊に、いつまでも動揺してはいられない。

 この異世界に移動した最大の目的を前にして、私は気を引き締め直していく。


 そして、少しずつレガシィ様の持つ石の輝きが増す。

 合わせて、先ほどまで私たちがいた地上の雪原の風景が、いま私が見ている視界の上に重なっていく。


 それはレガシィ様の言葉通りならば、『過去』の風景。

 陽滝姉が私たちの世界にやってくれるよりも前に、この異世界で起こった出来事が、いま私の瞳に映る。


「…………ッ!?」


 その光景を視て、私は息を呑む。

 なにせ、いま私が視せられているのは――雪原の上に倒れ、血を流している陽滝姉の姿だったからだ。


 しかも、頭部の右半分が、何らかの攻撃で吹き飛んでいる。近くには、全身を黒い鎧のようなもので身に纏い、両手に重そうな黒い鉄塊を持った人がいた。


 ――これは、敵の攻撃で相川陽滝が死んだ瞬間?


 しかし、続く光景が、その推測を覆していく。

 陽滝姉は頭部を右半分を欠かしたまま、平然と立ち上がったのだ。

 その足元では例の『糸』が渦巻き続けている。当然だが、対峙していた黒い鎧の人は悲鳴をあげて――次の瞬間には、全身が白い霜に覆われていき、氷像と成り果てた。


 一瞬だった。

 その間に、陽滝姉の頭部も元通りとなっていた。

 見間違えでなければ、足元の『糸』が破損した箇所に集まり、編み物でもしていくかのように頭部を模り、血の通った肉に変換されていた。


 そこで『過去視』は終わった。

 重なった視界が完全に消えて、地下空間にて喋るレガシィ様だけが目に映った。短過ぎる『過去視』に私は文句を言いたかったが、彼の青ざめた顔と大量の発汗を見て言葉を飲み込む。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! その日、この異世界の勇士が一人、針の穴を通すような偶然の果てに、陽滝の頭部を破壊した。しかし、無駄だった。陽滝は『糸』の先から魔力を掻き集めて、破壊直前の頭部を再構築した。突発死でも、自動的だ。――これを主は、不滅と言っている」


 そこまで説明したところで、レガシィ様は深呼吸をして息を整えていく。


 対して私は一息もつくことなく、いまの情報を整理していく。

 主とやらは、いまの光景で不滅と判断したようだが、私の見解は違った。

 むしろ、いまの『過去視』に希望を感じたほどだった。『体術』では触れることすら叶わなかった陽滝姉だが、条件さえ揃えば頭が吹き飛ぶのは、一つの光明だった。治り方も、そこまで理不尽ではない。


 そう無言で考え込む私に対して、レガシィ様は次の話を振る。


「そして、この陽滝をおまえなら殺せると、主は言っている」

「え……、ここまで不滅って言っておいて……。私が?」


 どうやら、そこに話は行き着くらしい。

 要するに、これは「私も『使徒』のような手駒になれ」という勧誘なのだろう。


「俺にもよくわからない。ただ、おまえは確率が高いらしい。無限に枝分かれした未来の中、おまえだけが陽滝に勝っている光景が視えると言っている。それは1パーセントにも届かない可能性で、0.000000と数値でも追えないほどに僅かな確率だけれども、確かに勝利があると、主は――」


 いかに私が陽滝姉に対して有用かを、レガシィ様は淡々と冷ややかに語っていく。それは師匠が提案している数値化の話に似ていて、私は眉間に皺を寄せる。


 そして、途中でレガシィ様は――止まった。


 また説明に手間取ったのかと、私はレガシィ様の表情に注目する。

 しかし、予想とは違う表情が、そこにあった。

 彼は自嘲めいた笑みを浮べて、自分の手のひらを見つめていた。そして、小刻みに何度も首を振ったあと、ぽつりぽつりと呟く。


「ああ……、違う。そんなくだらない話じゃなくて、これはもっと簡単なことだ。主よりも、俺のほうがよくわかる。これは、そういう話じゃない……!」


 そう言って、レガシィ様は顔を上げた。

 そして、今度は淡々と冷ややかにでなく、たっぷりと熱量を込めた言葉を私に送る。


「――ティアラ・フーズヤーズ。本当ならば、おまえは『主人公』だったんだ」

「……え?」


 それは陽滝姉のように、私の好みを正しく理解した説明だった。

 余りにわかりやすく飲み込みやすい。だが、決して容認できないものだった。


「意味はわかるな? 誰かに作られたばかりの存在やつらの中、おまえだけは作られていなかった。産まれたままの『人』だった。『異邦人』と出会ったときからずっと、おまえだけは自由だった。おまえだけが世界を救えた……!」


 これだけは黙って聞いていられず、私は反論する。


「な、何を言って……? そ、それだけは違います! もし『主人公』がいたとすれば、それは師匠で、私じゃない……!」

「あんなのは陽滝の用意した『作りもの』だ。わかってるだろう? 『本物』じゃない」


 しかし、その師匠こそが『理想』の『主人公』という幻想は、ばっさりと切って捨てられてしまう。

 その断言に対して、私の口から反論はすぐには出てこない。


「俺たちの世界に、もし本物の『主人公』がいたとすれば、それはおまえだけだった。……きっと誰より早く、それに陽滝は感づいていたんだろう。だからこそ、時間をかけて、おまえの戦意を削いだ。……なあ、どうだった? おまえの『理想』の『主人公』と共に、命懸けの『冒険』は? 自分が『主人公』だなんて、ちっとも思わなかったろ? 本来の目的を忘れそうになるくらいに、滅茶苦茶楽しくなかったか? 少なくとも、俺は滅茶苦茶楽しそうだって、ずっと羨んでいたぜ。なあ?」

「それは……」

「たっぷりと楽しんだ結果、危機感の足りなかったおまえは、陽滝と『対等』となることに本気となれなかった。現状に満足してしまって、悠長に時間をかけてしまった。そう俺は判断してる」


 ここに来て、ずっとつまらなさそうだったレガシィ様が活き活きとしていた。


 ただ、楽しそうなだけではない。私の好きな本に喩えて表現することで、的確に私の弱点を突き続けている。


 胸が急に苦しくなって、息が止まりそうになる。

 ここまでの『人類初の異世界来訪』とか、『陽滝姉は世界一つ凍らせた』とか、『頭が吹き飛んでも大丈夫』とか、『反則的な過去視や未来視』とか――


 そんな話はどうでもよくて、『主人公』という単語一つだけが、私を追い詰めていく。


 私は本気じゃなかった……?

 本来の目的を忘れかけていた……?


「わ、私は本気、でした……。間違いなく、本気で陽滝姉と『決闘』を……」

「いいや。おまえが『相川渦波』に現を抜かしている間、一人で準備を続けた陽滝のほうが、ずっと本気だった」


 そんなことはありえないと私は小さく首を振ったが、レガシィ様の追及は容赦なく続く。


「もしおまえが本気だったならば、『相川渦波』から向けられた恋心は消さずに利用すべきだった。『相川渦波』を騙し、誘導して、『相川陽滝』にぶつけるべきだった。その上で、俺たち未熟な『使徒』も冷酷に裏切るべきだった。ついでに、哀れな『理を盗むもの』たちの心の隙も突いて、唆し、上手く使い捨てるべきだった」


 これも、また的を射ている。

 少なくとも、陽滝姉は自身の成長と相手の妨害を同時にしていた。けど、私はしなかった。


「おまえは一度も本気になれなかった。だから、残念なことに俺たちの世界は、あと少しで終わるんだ。俺たちの唯一の『主人公』が不甲斐なかったばかりに、異世界からの侵略者の手によってな」


 その皮肉めいた言葉を最後に、レガシィ様は追及をし終えた。

 私から返す言葉はなかった。

 あるとすれば、それは追及の内容とは別の部分だった。


「ねえ、それ……。本当に主って人が言ってること……?」


 態度が変わり過ぎだ。

 明らかに、途中で伝言役を放棄している。

 しかし、レガシィ様は鷹揚おうように頷く。


「もちろん、これは伝言だ。伝言が俺の存在理由だからな。そこだけは間違えない。……ただ、主の「頑張れ、ティアラ・フーズヤーズ」「まだ逆転できる望みがあるよ」なんてやっすい言葉を、そのまま伝えても無駄だと独自に判断して、途中からちょっとしたアレンジは加えた」


 私の推測は間違っていなかった。


 だが、同時に驚く。

 今日まで全く面白さを感じなかった『使徒』レガシィ様が、ここに来て人らしい感情を手に入れていた。


 その私の好みに合う言い回しで主さんを馬鹿にする姿は――彼相手に作っていた精神的な壁を崩すには十分過ぎた。

 おかげで私は容赦なく、レガシィに聞ける。


「ほんとに? ……なら、その主さんって人に会わせてよ。色々と確かめさせて。できれば、さっきの次元が違うって言葉の意味も詳しく聞きたいし」

「残念ながら、それはできない。情けないことに、主はおまえにも恐怖している」


 敬語は完全に取り払われたが、レガシィ様は意に介すことなく、とても軽い口調で受け答えし続ける。


「私を応援してくれているのに、怖がってるの?」

「応援しているのは、『陽滝とティアラの同士討ち』だ。決して、おまえ個人じゃない」

「……やっぱりか」


 主さんが隠していたっぽい事実を、あっさりとレガシィは口にした。


 私に看破されるのは時間の問題と判断して、先に企みを白状することで信用を優先したようだ。

 主さんの伝言に徹していたときとは違って、そこには人同士の駆け引きを感じた。


 ただ、それは完全に主さんが蚊帳の外になったということで、わざとらしくレガシィは肩をすくめる。


「おっと。どうやら、これで主の話は終わりのようだ。主を無視して話したせいか、少しいじけてらっしゃる」

「あー……、それはちょっと悪いことしちゃったね。反省しないと」

「ああ、反省しよう。主には、もっと敬意を持たないとな」


 かなり無礼な会話だったはずだが、それでも主さんからの特別なコンタクトはないままだった。


 その優しい対応から、私の持つ主さんのイメージは「ぐれた息子にショックを受けている母親」に固まった。


 例の『世界』と似ている。

 御しやすそうだと思った。

 いつか必ず直接会いに行ってやろうと私が決心していると、レガシィが唐突に手に持っていた石を放り投げた。


「ちなみに、この『魔石』は主からおまえへの贈り物とのことだ」


 慌てて受け取り、その石を近くで確かめる。

 死んだヘルミナさんの扱っていた『魔石』と同種のものであると、すぐにわかった。

 さらに分析しようと目を凝らしたが、その前にレガシィは来た道を戻るように歩き出す。


「これで、もう俺の役目は終わりだ。俺は先に向こうへ戻って、また自分探しをやり直すつもりだが……おまえは、もう少しここにいたほうがいいだろう。その『魔石』を使って、新たな戦略を練るといい」


 貴重な情報源が去っていこうとしている。


 その背中を呼び止めようとは思わなかった。

 焦らずとも、また私の前にレガシィは現れる。それも今度は『使徒』でなく、ただのレガシィとして、私の前に――


 そんな気がして、私は自分探しの旅に出るレガシィを見送った。


 こうして、私は真っ暗な地下深くで、一人佇む。ここならば、『呪い』の影響がないおかげで、じっくりと考え込むことができる。


 本当に色々なことが続け様に起こったので、レガシィと同じく、私も自分を見つめ直す必要があると思った。


「……私は師匠が好き。もちろん、陽滝姉も好き」


 まず前提を口にした。


 何があっても、これだけは絶対に変わらないだろう。

 私を病床から救い出してくれた『異邦人』と『使徒』に私は深く感謝していて、憧れて、恋焦がれている。私の根幹だ。


「でも、その陽滝姉が私たちの世界を壊そうとしてる」


 酷いことだ。

 ただ、主さんの要望どおりに、世界を守る義理は私にない。


 問題があるとすれば、世界が壊れたら、師匠が悲しむという点だ。師匠の心の奥底には、『みんな一緒』という淡い願いがあったのを私は知っている。


 師匠の笑顔のために、陽滝姉は止めたいとは思う。

 だが、すでに世界一つを魔力源にしている陽滝姉を止めるには、最低でも世界を一つ犠牲にするくらいの『代償』が必要となる。


 もし無理を通そうとすれば、主さんの狙い通りに『陽滝姉と私の同士討ち』となってしまうだろう。

 どう転んでも、師匠は大切なものを失うようにできてしまっている。


 ならば、もう師匠の願いは諦めるしかないのかと自問したとき――私は自分の台詞を思い出す。


〝――これから私が全部を変えてみせるから……。私が『理』の全てを解明して、新しい魔力の法を作るから……。一緒に目指した誰もが幸せになれる『魔法』は私が作る――〟


 咄嗟の約束だった。

 師匠の暴走を止めるだけに吐いた言葉だ。

 けれど、私の心の奥に、それはとても綺麗に収まった。


 もちろん、そんな御伽噺の『魔法』は存在しない。

 スキル『読書』を何度繰り返しても、そんなものはどこにもない。


「誰もが幸せになれる『魔法』……。本当の『魔法』、か……」


 ただ、だからこそ、その『魔法』だけが――


 私は手に持った『魔石』を見つめる。

 その主さんから貰った『魔石』は、『次元の力』だけでなく『血の力』なども含んだあらゆる力の結晶だった。今日までの全頁を纏めたかのような『魔石』を見て、私はいつものように『呪術』開発を始める。


 何をするにしても、『呪い』を跳ね除ける力は必須だ。

 まだ私は、納得の行く『ティアラ・フーズヤーズの最後の頁』を見つけてはいない。はっきり言って、世界が押し付けてくる最後の頁も、陽滝姉の用意した最後の頁も、どちらも嫌だ。


 だから私は、異世界で一人、一頁ずつ書き重ね始める・・・・・・・


 ――その『魔法』だけが、相川陽滝の『最後の頁』を見るための『奇跡』と信じて。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る