61.現人神ラスティアラ・フーズヤーズ


 僕は顔を隠していた外套を脱ぎ捨て、パリンクロンが用意していた金の刺繍の入った高そうなローブを上に羽織る。さらに汗を拭い、身なりを整えてしまうことで、どこかの貴族のような格好になる。


 パリンクロンが豪奢な紋様の入った扉を開き、その後ろをついていく。


 大きな音を立てながら扉は開け放たれ、中の様子が視界に入ってくる。儀式を進行する神官たちと賓客たちは、唐突な来訪者に目を向けた。


 その中、壇上のラスティアラはこちらを見て、目を見開く。


 僕は目と目を合わせ、ラスティアラを観察する。

 まず何よりも、異常な疲れが見て取れる。ディアの話では昨日の夜から一睡もせず、今の今までずっと祈りを捧げていると聞いた。まさしく、疲労困憊といった様子だ。


 ――そして、違和感を覚える。


 抜けている・・・・・

 ラスティアラを見て、そう思った。

 憑き物が落ちたように見える。こちらの目論見通りに彼女を縛る枷が、何か一つ外れているのがわかる。


 ラスティアラから目を逸らし、次にディアを探す。

 見渡すと、軽く腰を浮かしてるディアを見つけた。


 すぐに僕は、それを手で制す。

 ディアはゆっくりと座り直して、頷いた。


 一瞬のやり取りだったが、それに気付いた者はいなそうだ。先頭に立っていたのがパリンクロンだというのが大きい。


 ディアとのやり取りを終えたあと、状況を把握した一人の神官が儀式全体の進行を止めて、声をあげる。


 濁った目をした年の過ぎた男だ。壇上に立ち、神官の中でも極めて特徴的な服装をしている。代表格を思わせる装いから、この男がフェーデルトという人物であると、あたりをつける。


「儀式中だぞ。一体何事だ?」


 フェーデルトは低い声でパリンクロンに用を問いかけた。


 重苦しい声だ。

 儀式が滞ったことに対し、怒っているのだろう。


 対して、パリンクロンは飄々と答える。


「いや、申し訳ありません。宰相代理殿。少しばかり遅刻していますが、賓客と思われる方がいらっしゃったので神殿内までご案内しました」


 パリンクロンはその身をずらして、ここにいる全員に見えるように僕を晒した。


 僕は軽く礼をして、神殿全体に応える。


 とりあえずはパリンクロンの策に乗る。乗っかりながらでも、僕のやることは変わらないからだ。結局、最後はごり押しの誘拐が待っているのは間違いない。


 奇襲の芽は潰れたが、その分、ラスティアラの状態をしっかりと把握できた。

 あとは攫う前に、ラスティアラと一言でも言葉を交わせれば、パリンクロンの策に乗った甲斐は十分にある。


「何を言っている……。賓客席は全て埋まっている。そのような者は誰も知らぬ。すぐに退出せよ」

「いえ、この少年の事情を聞く限り、列席の資格があるのではないかと私は思いまして……」

「くどいぞ。どんな事情があろうと、ありえぬ」


 食い下がるパリンクロンを、フェーデルトは一刀両断していく。


 場の空気も唐突な来訪者を受け入れるものではない。

 壁に待機していた神官と騎士たちも、不審者を確認してこちらに寄ってくる。退出を促すつもりなのだろう。


 しかし、パリンクロンは動じず、話を続ける。


「しかし、現にここにいるのですよ? 全ての『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちが道を通し、大聖堂の結界を無傷でくぐり、ここまで辿りついた人間です。これがお客様でなければ、一体何だというんですかね? 私ごときでは、正当なる賓客かどうかの判断が難しく、こうしてお連れしたわけですよ」


 よく回る舌だと僕は呆れる。

 しかし、そこには僅かな説得力があった。寄ってきていた神官と騎士たちも、歩みを緩める。騎士の頂点たちである『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』が無傷で通したとなると、その部下である彼らは手を出しづらいのだろう。


 いま僕は無傷の上、身なりのいい格好で、ここに立っている。

 『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の力を信頼している騎士ほど、パリンクロンの嘘に騙されるだろう。外を『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』が守っている以上、賊が無傷でここまで辿りつくわけがないと考えるからだ。


「戯言を! そもそも、このタイミングで入ってくるというのが――」

「おや? しかし、ラスティアラ様はこの少年を見知っているご様子ですよ。やはり、この少年の言う、聖人ティアラ様のゆかりの者というのは本当かもしれないですね?」

「は、はあ!? 縁の者だと!?」


 しれっとした顔でパリンクロンは大嘘をつく。

 フェーデルトはありえないといった顔で、語尾を荒立たせた。


 いや、嘘ではないか……。

 ラスティアラは聖人ティアラになったあとも、僕の仲間でありたがっていた。そういった意味では縁がないわけでもない。


 賓客も含めて、周囲のざわつきが増していく。


 聖人の縁者という話になり、寄ってきていた神官と騎士たちは、とうとう足を止めてしまった。

 どう対応していいかわからないといった顔を上官たちに見せている。


 場の空気が少しだけこちらに傾いた。

 この気を逃さずに、僕はラスティアラに話しかける。


 ラスティアラまでの距離は数十メートル。

 話しかけるには少し遠いくらいだ。だからといって、大声はあげない。

 部屋全体に通るような、穏やかな声を心がける。閉めきった神殿内ならば、反響を利用すれば可能のはずだ。


「ラスティアラ……。友人として――いや、仲間として聞きたいことがある」


 仲間であることを強調する。

 ラスティアラは驚いた表情のまま、呼応するように言葉を漏らす。


「キ、キリスト……」


 僕の名前を返してくれた。

 何が起きているのかわからない様子だ。

 少しばかり混乱しているように見える。単純に驚いているのか、それともラスティアラにかかった魔法が消えた影響なのか、そこまではわからない。


 それをラスティアラの隣で聞いていたフェーデルトは堪え切れず、大声をあげる。


「ゆ、友人など、虚言を! いますぐその少年を抑えろ!」


 これでパリンクロンの要求は一つクリアだ。

 先に大声をあげるのはフェーデルトであること。

 これが事前に言われた条件だったのだ。


 だが、その声に押され、周囲の神官と騎士たちは、迷ったようにだが僕に向かって歩みを再開させる。迷っているのはパリンクロンの言葉に齟齬がなく、ラスティアラが僕を見て名前を呼び返したからだろう。


 その迷いをつき、パリンクロンは神官と騎士たちに先んじて、剣を抜いて僕の背中に突きつけた。


「うんうん。相手が聖人様の縁者なら、君たちは剣を向け難いよね。大丈夫、ここは責任を持って、『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』であるわたくしが、後ろからちゃんと抑えておくから」


 いけしゃあしゃあとパリンクロンは、自分で招いたはずの客に剣を向ける。

 一見すると、僕は『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』によって動けないように見える。


 こうなると彼らが無理をしてまで動く理由はなくなる。

 正確には、判断が難しすぎて、末端の自分たちでは対応できないと思うはずだ。


「なっ――! おまえたち!」


 フェーデルトは息を荒げて、騎士たちを叱咤しようとする。

 それに僕は被せるようにして声を出す。さっきより大きい声で――そして、力強く、自信を持って、ラスティアラに話しかける。


「ラスティアラ。昨日は答えられなくて、ごめん。でも、いまなら答えられる。昨日の全部が……肯定イエスだ」


 全て叶えてみせる。


 ――キリストは助けてくれるの?

 ――どこか遠く違うところで、私と二人で旅してくれるの? 

 ――連合国の騎士全てを、フーズヤーズと言う国を敵に回せるの? 

 ――明日の儀式を壊してくれるの?

 ――色んなリスクを負って、私を助けてくれるの?


 ――私の物語の主人公をしてくれるの?


 どうやら、僕はおまえのことが好きだったみたいだから……。

 そのくらいは、なんとかしてみせないといけないらしい。


「さあ、僕は答えたぞ。だから、今度はラスティアラが僕の問いに答えてくれ。……ラスティアラの夢が何なのかを聞かせてくれ」


 僕は優雅に切れ目なく、言葉を続ける。役者の気持ちでやれとパリンクロンに厳命を受けているので、協力している間は全うするつもりだ。


「夢……?」


 ラスティアラは僕の言葉を聞いて顔を青ざめる。

 聞いてはいけないタイミングで、聞いてはいけないことを聞いてしまったような――そんな表情だった。


 それを隣で確認したフェーデルトが焦った顔になり、壇上から降りて、ラスティアラと僕を繋ぐ絨毯に足をつける。


「くっ――」


 僕はフェーデルトが小さく呻いたのを聞き逃さない。

 つまり、パリンクロンの描いたこの流れは、主催者であるフェーデルトにとって大変困るものだということだ。


 フェーデルトは檄を飛ばしながら、こちらに近づいてくる。


「いいから! その少年を捕まえろ! いますぐだ!!」


 それに対して、横の長椅子から、賓客の一人が出てくる。


「――しかし、宰相代理殿。私は少年の言っていることに興味ありますね。かの聖人と成る者の夢とやらが」


 ディアだった。


 ラスティアラと同じく純白のドレスで着飾ったディアが、絨毯に身を躍りだし、フェーデルトの行く手を阻んだ。

 声は冷静に見えるが、その身に纏う魔力は異常だ。恐ろしいまでの魔力のプレッシャーをフェーデルトにかけている。


「シ、シス殿……? 何を言って……。あれはただの賊で――」


 思いがけぬ人物の参入で、フェーデルトは気勢を削がれた。

 唐突に巨大な魔力にあてられて、戸惑っているようだ。


 僕はディアに感謝しながら、急いて言葉を紡ぐ。


 たった一度。

 あとたった一度、ラスティアラを揺らせばいいだけなんだ。

 いまなら、『作られたラスティアラ』はいないはず。


 いないと信じて、言葉をかける。


「ラスティアラ、思い出してくれ。僕たちは『契約』した。僕たちが仲間になったとき、『契約』をしたんだ。 僕はラスティアラの夢を叶える・・・・・代わりに、ラスティアラは僕が帰る・・のを手伝うって『契約』した。そのときの夢を、もう一度聞かせてくれるだけでいい……!!」


 僕はラスティアラから言葉を引き出すため、いつかの約束を持ち出す。


 ラスティアラは息を呑んで身体を硬直させた。そのときのことを思い出してくれたようだ。


 あの夜、酒場の裏。

 二人で夢を語り合ったときのことを――


 あと少しだ。

 僕は一歩前に出て、声を少しずつ、大きくする。


「そもそも僕に選択権なんかないんだよ。『契約』上、僕はラスティアラの夢を叶えないといけない。おまえには、たくさん迷宮で助けてもらったから――」


 それをラスティアラは潤んだ目で見つめている。

 しかし、まだ何も言ってくれない。


 もっと感情を揺らさないといけない。

 さらに一歩前に出て、ラスティアラへ近づいていく。


「「聖人ティアラにならないといけない」とは聞いた……! けどっ、「聖人ティアラになるのが『夢』」だとは聞いていない!! 僕は一度も聞いていない!!」


 僕は騎士たち、神官たち、賓客たちが観覧する中、絨毯を一歩一歩ゆっくりと歩く。


 あと一言。

 ラスティアラがあの一言を口にしてくれたら、場を支配する全ての条件は満たされる。


 なにより、僕も――あのときの後悔を払拭し、迷いなく戦える。それを聞けば、僕は何に代えてもおまえを助けると誓える。

 だから、どうか言ってくれ――!


「答えろ、ラスティアラ!! おまえの本当の夢を、はっきりと!! いま、ここで!!」


 声を荒げると賊に見える。

 パリンクロンには注意された。

 しかし、ここに来て、声を抑えることはできない。

 いや、もうしないほうが正しい。


「心配するな! 『契約』は終わっていない! ここにある全てがおまえの夢の邪魔だって言うのなら、僕がその全てを壊してみせる!! 代価は、僕のところに戻って来るだけでいい!!」


 そう言い切った。


 これで僕は後戻りできない。

 完全にフーズヤーズの敵対者だろう。


 僕から言えることに、もうこれ以上はない。

 あとはラスティアラの返答を待つだけだ。


 ラスティアラは震えている。

 喉から声を出そうとして、喉の奥から沸く嗚咽に邪魔されている。


 混乱しているのはわかる。けど、答えてくれ。

 その一言があるとないとじゃ、大違いなんだ。


 それとも、儀式の時に魔法が解かれるというのは勘違いだったのか? 『そこにいる少女』も『ラスティアラ』もこの世にはおらず、『作られたお嬢様』だけがラスティアラの全てだったのか?


 僕は頭を振ってそれを振り払い、全てを賭けて、ラスティアラを見つめ続ける。


「わ、私の……、夢……」


 ラスティアラは掠れた声で答える。

 そして、微かな笑みを浮かべて、僕の目を見つめ返す。


「英雄に……、聖人ティアラになるのが夢……――」


 ラスティアラは何かを思い返すように言葉を続ける。


「――じゃない・・・・。そうじゃない。私が憧れていたのは、なることじゃない・・・・・・・・。英雄になるまで・・・・の物語が、私の夢……!!」


 そうだ。

 当たり前のことだ。


 ラスティアラが虚栄心を満たす栄光を望んでいたわけがない。彼女は目を輝かせていたのは、いつもそこに至るまでの冒険だ。だからこそ、迷宮でも結果より過程を重視していた。


 はっきりとラスティアラは夢を語り続ける。


「ここで『聖人ティアラ』になると、私の物語が終わっちゃう……。キリストと過ごした数日。あのたった数日で、夢が終わっちゃうんだ……。それは、ちょっとだけ……。ちょっとだけだけど……――」


 夢を語りながら、肩を震わせ、目を潤ませ、僅かに俯く。



「――寂しい・・・



 それが全て。

 ラスティアラの――いや、『そこにいる少女』の全てだ。


 もはや、ここに『作られたお嬢様』がいないのは間違いない。


 ラスティアラは言葉を続ける。

 僕に想いを伝えようと、全身全霊で叫んでいく。


「すぐに終わる『聖人ティアラ』なんかより!! これから始まる私の物語がいい……!!」


 聖人ティアラの否定。

 それを、はっきりと全員に聞こえるようにラスティアラは叫んだ。


 それは間違いなく、この儀式を受け入れていないという意思だった。

 これで、全ての条件をクリアした。

 ついでだが、僕の決意も完全なものとなった。


 ――ああ、よかった。


 不安だった。

 もしかしたら、『ラスティアラ』と『作られたお嬢様』が逆なんじゃないかと。

 そんな恐れも抱いていた。けれど、これで安心した。


 安心して、ラスティアラを弄んだ全てを、怒りのままに壊せる。


 弱々しくこちらを見つめるラスティアラに、僕は頷いて応える。 

 彼女も、無邪気に笑って頷き返した。


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