390.走馬灯
「目的は一つだけ。――してみたいんだよ。『
そう懇願したのが、カナミとの『冒険』の始まりとなった。
その日の夜、ヴァルト国の酒場の裏手では冷たい夜風が吹き抜けていた。
そして、月明かりの下で『
その姿はまるで本から抜け出してきたかのようで……屋根上で彼の戦いに見惚れていたのを、よく私は覚えている。
カナミほどではないが、私だって記憶力に自信があった。スキル『読書』だって、ちゃんとある。だから、続く会話も、鮮明に思い出して、読むくらいは出来る――
「――そうだな。僕は協力者ならいつでも歓迎してる。様子見でパーティーを組むくらいなら……」
「やった、ありがとう!」
「だが、おかしな真似をしたら、すぐに叩きのめす。君を動けなくして、パーティーから追い出す」
こうして、私の物語の一章は始まった。
無邪気に喜ぶ私を見て、優しさを隠し切れていないカナミが、できるだけ厳しい顔を努めて注意していく。
この頃は、まだカナミは遠慮がちに私を「君」なんて呼んでいたのが、とても懐かしい。
「――私というものをゲットしながら、練習相手もついてくるっ! カナミ、これはいい買い物じゃない!?」
「はあ……。まあいいか……」
「よし! いま頷いた! 確かに頷いた!! あとで駄目って言っても駄目だからねっ!!」
そして、気恥ずかしい。
あのときの私は生まれたばかりだったから、外の世界の色鮮やかさに感動して、浮かれ切っていたのだ。
「ああ。最後に、僕をカナミと呼ぶのはやめてくれ。ここではキリスト・ユーラシアって名乗っている」
「ふうん。わかったよ、キリスト。……ちなみに、その名前、どういう意味なの?」
「僕の世界の有名な教えと大陸の名前だ。知っている人が聞けば、すごくびっくりする」
「なるほど、同郷の人を探すのに都合がいいわけだね。ふふっ、偶然にしても面白いな。私とおんなじだ――」
特に、カナミとの共通点を見つけるたびに「これは運命だ!」と内心で、私は大騒ぎだったっけ……。
…………。
本当に『夢』のような時間だったと思う……。
間違いなく、私はカナミのおかげで、憧れの本の中に入ることができていた……。
ただ、このときの私は、まだ自分を物語のヒロインだとは思っていない。
その理由はとても単純で、カナミと私では「ずっと幸せに暮らし続ける」ことができなかったからだ。
私は近い将来に消えてなくなる運命だった。
所詮、この『夢』は死ぬ前の思い出作り。
そんな私が、カナミの相手に相応しいわけがない。
もし相応しいとすれば、それは――マリアちゃん。彼女こそが相応しいと本気で思っていた。
たった一晩だけ彼女と寝床を共にしただけで、私は思い知らされていた。
『本物』というのは触れるだけで火傷するほどに熱い。マリアちゃんの秘める想いは、私とは比べ物にならないほどに熱かった。『作りもの』が感じていた胸の熱さなんて、微熱にも足りていないと知り、簡単に私は諦めてしまっていた。
だから、私は二人を応援する脇役に回ろうとした。
じれったい少年少女の背中を押す友人役を、余命短い私は選んだ。
そう。
確かに、その役目を私は選んでいた。
だというのに、予め定められた『運命』が、
たとえ、私がどんな筋道を選んだとしても、とある頁に必ず辿りつくように、全ては
カナミと出会った日の夜、《レベルアップ》のために大聖堂から抜け出すという
〝「――私の物語の『主人公』をしてくれるの?」〟
必ず、その一言に私は辿りつく。
そして、それにカナミが大聖堂の衆人環境で、
〝「――心配するな、『契約』は終わっていない! ここにある全てがおまえの夢の邪魔だって言うのなら、僕がその全てを壊してみせる! 代価は、僕のところへ戻って来るだけでいいんだ!」〟
そう最初から決まっていた物語。
それをあらすじにすれば、こうなるだろう。
〝――新暦1013年。迷宮でカナミと初めて出会い、『冒険』を願ったラスティアラだったが、大聖堂からの脱出は叶わなかった。見張りのセラ相手にカナミの話をするしかない日々の中、徐々に全ては『夢』でしかなかったと諦めかけるが……それを騎士ハインが覆す。彼はラスティアラが普通の少女としての幸せが掴めるようにと動いた。結果、彼女は一時の自由を手にし、念願のカナミとの『冒険』が始まっていく。
少しずつだけれども、『運命』の車輪が回り出していた。徐々にラスティアラは自分の人生というものを意識するようになっていく。彼女は『作りもの』として生まれながらも、少しずつ『本物』に憧れ始めていく。
しかし、それは『元老院』の完璧な調整を崩すということに他ならない。本来持つはずのなかった不安によって、徐々にラスティアラの心が崩れ始めていく。そして、聖誕祭の裏にある真実をカナミが知ったとき、『運命の赤い糸』は強く引かれ合う。たとえ、その身のスキルが邪魔をしようとも、ラスティアラを助けると彼は誓うことになる。
なぜなら、二人は『契約』していた。それは【ラスティアラはカナミが元の世界に帰るのを手伝う。代わりに、カナミはラスティアラの夢を叶える】という口約束。
カナミは大聖堂に向かう。
ラスティアラが生まれ持ったしがらみを全て解くために、『世界』全てを敵に回す覚悟を決めて、儀式を壊すべく――ハインとカナミの駒は揃って、一つ前に進む〟
つまり、ずっと私たちは連合国という用意された舞台で、一つの物語を演じさせられていたということだ。
その『糸』に気づけていたのはパリンクロン・レガシィだけだろう。
あの男だけは、このくだらない脚本の裏を掻いてやろうと抗っていたが……結局、その抵抗すらも脚本の内だった気がする。
それほどまでに、この『血で出来た本』は異常だった。
あらゆる演者の即興に対応できるだけの懐の深さがあった。
〝――カナミとハインの乱入によって、聖人ティアラの『再誕』の儀式は失敗に終わった。
大聖堂の神殿にて、ラスティアラは死者に身体を空け渡すことを拒否して、フーズヤーズからの出奔を決心した。しかし、その逃走劇の途中で、『火の理を盗むもの』アルティがマリアと共に立ち塞る。
結局、聖誕祭の終わりに目的地であるグリアードまで辿りつけたのはラスティアラ・セラ・ディアの三名だけだった。
そして、着の身着のままで余裕のないラスティアラ一行は、グリアードの迷宮で逃走資金を稼ぎ始める。その途中、フーズヤーズに残っていた友人ラグネの情報によって、カナミたちの居場所を知ることになる。急ぎ一行はラウラヴィア国に向かったが……そこに待っていたのは、記憶を奪われた仲間たちの姿だった。
すぐさま、ラスティアラたちは怨敵であるパリンクロンの居場所を探し出し、記憶の奪還を試みる。しかし、滞在しているはずの別荘は
彼女の登場は『地の理を盗むもの』ローウェンを巻き込んでの大舞台――『舞闘大会』が始まることを意味していた。
大会には新たな『本物』の熱さを持ったスノウも参加していた。ラスティアラはディアも含めた『本物』の熱に何度か殺されかけながら、そのトーナメントを勝ち上がり、仲間たちの記憶を取り戻すことに成功する。そして、そのトーナメントの頂点にて三十層の
劇場船の観客の誰もが歓声をあげて、彼を見送った。観たのは死闘でなく最高の劇だったと証明する万雷の拍手の中、カナミたちはラウラヴィア国から去る。
こうして、ラスティアラは失った仲間たちを取り戻し、新たな仲間を加えて、舞台を開拓地から本土に移していった――〟
これが私の物語の一章。
『闇の理を盗むもの』『火の理を盗むもの』『地の理を盗むもの』の『試練』を乗り越えるとことで、カナミだけでなく――ディア・マリアちゃん・スノウのみんなも少しずつ成長していった物語だ。
そして、その一章のエピローグにて、とても優雅な船旅が始まる。
『リヴィング・レジェンド号』の中で、私は少しだけ暇を持て余していた。
こういうときは趣味の読書をするのが、私の時間の潰し方なのだが、急遽用意した船に本なんて高価な娯楽品はない。
――部屋の中にあったのは、航海日誌を書くための白紙の束と羽ペンだけだった。
自然と私は、それに手を伸ばした。
最初は、ただの思い付きだった。読むものがないのならば書いてみようとして……それは思いのほかに簡単で、とても楽しかった。
白紙の上でペンを走らせて、自分の物語を書くのは、『読書』と同じくらいに私を興奮させた。この船に本がなくて、白紙とペンだけがあったのは『運命』だったのではないかと思えるほどに、その新たな趣味に没頭していき――
「何を書いてるんだ……?」
途中で大変疲れた様子のカナミが、私の部屋までやってくる。
私は少しだけ考えたあと、自慢するように質問に答える。
「――ふふー。よく聞いてくれました。これ、私の手記。まとまった量になったら、いつか英雄譚にでもするつもりなんだー」
英雄譚という言葉が、自然と口から出た。
一章が終わり、フーズヤーズの呪縛から逃れた私だったが、まだ『夢』は終わっていない証拠だった。
いつか英雄になるというのは、変わらない私の憧れだ。
あの千年前の伝承のような『世界を救う英雄になるまでの物語』を、私も生き抜きたい。
さらに、できるならば『ティアラ・フーズヤーズの伝説』を千年後の私が心の底から楽しんだように、いつか『ラスティアラ・フーズヤーズの伝説』を誰かに心の底から楽しんでもらいたい。
その『夢』を、羽ペンを握った私は答えた。
そして、手記を纏め終わったあと、これもまた
「――
激動の一日が終わった夜。
揺れる船の中、密室に二人きり。
私もカナミも薄着となっていて、明かりは蝋燭の灯火だけという状況で、
「は、はあ?
「うん、抱っこだよ。ぎゅーっと抱きしめてみて。こう、物語の主人公が、ヒロインにするようなかんじでさ」
「な、なんでだ!? なんで抱っこ!?」
「えっと、なんて言えばいいのかな……。こういうのが英雄譚のお約束だからだよ。いつか、英雄譚を書くときの参考にしたいから、一度はやっておきたいなー、なんて?」
「ああ、英雄譚の参考か……」
カナミは想像以上に困惑して、その火傷跡の残った顔を赤らめる。
それを対面で見ている私も、少しずつ恥ずかしさが込みあがってきて、顔が火照ってきた。
抱擁なんて本では何度も読んだ他愛もないワンシーンのはずなのに、いざ初めて自分がするとなると、妙な羞恥心が湧いてきた。
私は血に刻まれた『術式』のおかげで、成人女性と変わらない知識を持っているのだが……実際は、まだ生まれて三年足らずの子供だ。
人生経験の少なさから失敗してしまったのかもしれないと思って、私は顔を俯けながら前言を撤回しようとする。
「だ、駄目なら、無理にとは言わないけど……」
「駄目とは言ってないだろ。別にそのくらい構わない。ああ、そのくらいならっ。そのくらいなら大丈夫だ!」
しかし、カナミが大きな声で「大丈夫」と繰り返してしまい、私の唐突で恥ずかしい提案が棄却されることはなかった。
引くに引けなくなった私たちは、おずおずと慎重に近づいていく。
互いに互いに向かって、ゆっくりと『糸』を手繰り寄せるように――
「そ、そこまで気合入れなくていいよ……? 試し、これは試しだからさ……」
「ああ、試しだ。試しでいこう……」
まずカナミが手を伸ばして、私の身体を引き寄せた。
私とカナミの身長差はさほどない。なので、必然的に二つの紅潮した顔が近づくことになる。慌てて私たちは無駄に高い反射神経を用いて、見詰め合う形を避けた。私は右に、カナミは左に、それぞれ頭部を動かすことで、互いの肩に顎を乗せ合った。
戦闘でもないのに、私もカナミも見事な回避だったと思う。
ただ、次は密着状態となったことで、互いの体温が混じり合っていく。
ふと視線を横に逸らすと、カナミの黒髪の先端が微かに揺れていた。そこには私の金髪の先端も微かに揺れているのが見える。
なぜだろうか、肉体的接触よりも互いの髪が触れ合うほうが恥ずかしかった。
抱き合う男女は本で何度も読んだことがあったけれど、髪の先同士の触れ合いはかなり新鮮だった。
続いてカナミの心臓の音が、肌を通して伝わってくる。私の心臓の音と重なっていくにつれて、明らかに体内を駆け巡る血液が増えていく。
――
熱が膨らむ。
自信のなかった『作りもの』の熱さが、徐々に『本物』に近づいているような気がした。同時に、ずっと私の抱いていた不安が薄れていくのも感じる。
「ずっと幸せに暮らし続ける」という未来が、手の届くところまで近づいていた。
その温かな安心感の中、ぽつりと私は一言こぼしてしまう。
「これで、もう……、寂しくないかな……」
親代わりだったハインさんの悲願を、いま私は正しく理解できた。
これこそが、聖人ティアラの代わりになるという使命から逃れて、私という少女が私の人生を手に入れたということなのだろう。
「ああ、やっと……。これで私の物語の一章はハッピーエンドかな……」
私の新たな人生の一歩目を踏み出したと思って、物語を言い締めた。
同時に全身から力を抜いて、この温もりに身を委ねる。私たちは抱き合ったまま、計りようのない幽玄のような時間を過ごした。
そして、身体を離した瞬間、私たち二人は同時に我に返る。
「…………っ!」
「…………っ!」
密着している間は平気だったのだが、目を合わせると駄目だった。まるで恋人同士のように抱き合っていたことに気づいてしまった。
「え、いや、あの、なんだろ? こういうの見るのはいいけど、やるのはきついね!」
「あ、ああっ。物語だとよくやってるやつだが、終わってみると変な感じだな! やっぱり、試しだとこんなものかっ! 試しだと!!」
「うん、試しだしね! いやあ、試しにでもするもんじゃないね、これ!」
「ああ!」
私たちは呼吸を合わせて、言い訳に言い訳を重ねた。
ただ、気が合うからこそ、言葉を途切れさせるのも同時のタイミングだった。
これから何を言えばいいのか、何をすればいいのか、全くわからない。
私たちは救いを求めるように、視線を彷徨わせて――
赤色の奇妙な線が、私の小指に絡まっていた。
そして、その『糸』のようなものが、目の前のカナミの小指まで繋がっている。
――え?
その余りに直球な光景に、声にならないほど驚く。
『赤い糸』が宙をたゆたい、カナミの胴体を貫通しているのを見て、すぐに物質的なものではないとわかった。戦いの癖で、すぐに魔法かどうか確認したが、私の知識に該当するものはない。
――これは本物でもなければ、魔法でもない。
そこまで考えたとき、私はハインさんから読み聞かされた大量の恋物語を頭に思い浮かべた。同時に、大聖堂を出る前のセラちゃんとの会話も思い出す。
それは「『運命の赤い糸』で結ばれた殿方と結ばれる物語。……素敵だと思います」から始まって「お嬢様にこそ、
「――な、なにこれ! なにこれっ!!」
いま私が見つけた『糸』のようなものが、恋愛小説で使われる
握っていたカナミの肩を全力で左右に振りながら、自分自身の状態を確認していく。
あ、ありえない……!!
『運命の赤い糸』なんて幻覚――いや、妄想! こんな妄想をしてしまうなんて、明らかに本の読み過ぎだ! 心のどこかで、恋物語に憧れていたのはわかってる! 熱いという言葉で誤魔化してきたものが『恋心』だってことも自覚してる! でも、こんな妄想をしてしまうなんて……! まるで、初恋をしたばかりの子供みたいな……! 『運命の赤い糸』だなんて、そんなの、そんなのそんなのそんなのっ……!!
自分の本来の年齢も、ハインさんの演劇趣味を継いだことも、両方理解していた。
それでも、その妄想は恥ずかしかった。
なにより、その『運命の赤い糸』に私一人だけが繋がっていることに、どうしようもない傲慢さを感じて、下唇を噛む。
「
精神的に幼い私は、カナミ自身にでなく、恋愛小説そのものに憧れているだけの可能性が高い。
他のみんなと比べれば、はっきりとわかることだ。
顔を俯けながら、私は仲間たちの『恋心』を思い出していく。
あの聖誕祭の日、燃える家の前で私を睨むマリアちゃんの殺意に濡れた瞳は一生忘れられない。
そのあとの逃亡生活では、スキル『過捕護』で不安定になったディアに、何度も《フレイム・アロー》で殺されかけた。
『舞踏大会』のスノウとの戦いなんて、記憶に新しい最高の熱さだった。
あの『本物』たちと比べて、私の『恋心』は足りていない……!
余りに
そう冷静に自分で分析できる、のに……!
――
温いはずなのに、
私は首を振ることで、その熱いのか温いのかわからない感情を制御しようとする。
しかし、当のカナミが私の顔を覗き込もうとするので、全て台無しだった。
「み、見るな! カナミ、こっち見るな!!」
咄嗟に私はカナミの手を払って、突き飛ばす。
丁度、お互いの顔がよく見える距離になってしまった。
私と同じくらいに動揺して、耳まで赤くなっているカナミが目の前にいる。
その黒い瞳に映る私は、彼以上に赤い。そして、少しだけ涙目になっていながらも、口元が確かに緩んでいた。
それを見た瞬間、両手で自分の顔を隠す。
「あぁあァアア――、ああっ、もうっ!」
大混乱の末、私は全力でカナミから逃げ出した。
跳ねるように駆け出して、手近の窓をくぐる。
風の魔法の浮力を利用して、船の側面を登る。
甲板まで出たところで、すぐに自分の両の頬を強く叩いていく。
「ぁあああぁあああアアア――!! ああぁああ、もうっ、もうっ、もうっ!!」
紅潮しているのか腫れているのか見分けがつかなくなるほど叩いてから、両手を広げて冷たい夜の潮風を浴びる。
風の当たりやすい船首まで移動して、腹の底から出てくる言葉を順次に冷やしていく。
「……違う、はずなんだ。だって、私は……」
いま頭に思い浮かぶのは、船で一緒に旅している仲間たちの顔だった。
マリアちゃんを初めとするみんなのことを考えると、カナミを想うときと同じくらいに熱い想いが湧いてくる。
私にとって、カナミとみんなは同等なのだ。
これもまた私の熱が足りないと思える理由の一つ。
いまの私が一番の願いはカナミも含めて、この船で『みんな一緒』に旅することだ。
みんなと違って、たった一人だけにこだわるだけの熱意なんてない。
「そうだよ……。私はみんなと違って、『みんな一緒』にでいい。それだけで、十分だって思ってる……。別にカナミと結ばれたいわけじゃない、『冒険』がしたいだけ……」
風に当たり、自分の本当の願いが再確認していく。
小指を見ると『運命の赤い糸』は、もう完全に消えていた。
「ああ……。やっぱり、妄想だ……」
――先ほどのは、
なにより、『聖誕祭』や『舞闘大会』のときと違って、いまは考える時間が豊富にある。
目下の敵であるパリンクロンのやつを処理してからでも、答えを出すのは十分に間に合うだろう。少なくとも、今日この状態で、何もかもを決めるのは早過ぎる。
そう判断した私は、とりあえず近くの船首を手のひらでペシペシと三十回ほど叩いた。続いて、もう大丈夫もう大丈夫と二十回ほど頷いて、深呼吸を十回ほど繰り返してから、ゆっくりと動き出す。
カナミの待つ部屋に入って、先ほどの続きを冷静に話そうとする。
「えっと、その、カナミ……」
いざカナミの前に出ると上手く喋れなかったが、なんとか喉に力をこめて、私は続きを搾り出していく。
「――さっきのあれはびっくりしただけだから、勘違いしないように!!」
「あ、は、はい……」
カナミが驚きながらも頷いたのを見て、畳み掛けるように続けていく。
「ちょっと英雄譚っぽいことしようとしたら、シチュエーションに釣られちゃったんだよ! 不覚……! あれは状況が卑怯っ、卑怯すぎ! だからなし! なし!!」
子供みたいな言い草となってしまったが、これが私の一番言いたいことだった。
「わかってる……。僕もなしにしようと思ったところだよ……」
その意見にカナミも同意してくれた。
表情から察するに、彼も私と同じように先ほどの
だから、私たちはお互いの了承を得た上で、いつも通りの私たちに戻っていく。
「うん、なしなし! まあ、英雄譚の参考になったのは確かだけどね……。でも軽い気持ちでやることじゃないね。反省しました」
「少しでも足しになったのなら幸いだよ……」
「やっぱり、記憶のないカナミを騙して要求したのがまずかった……。後悔がすごい……」
「そう思うなら、今後は控えるようにね……」
「うん、もうしない。これで終わり。終わり終わり終わりっ――」
――こうして私たちは、より過酷な道を選ぶ。
もし、ここで軽い気持ちで、『運命の赤い糸』に引かれるままに付き合おうという話になっていれば、もっと本は薄く済んでいた。
けれど、そうならなかった。
さらに本の頁を積み重ねられていくことを選んでしまった。
――そして、二日後。
どんな道を選ぼうとも『運命の赤い糸』から逃れることは許さないと、また私たちは手繰り寄せられていく。
その『運命の赤い糸』の力が最も発揮されるのは、迷宮内だった。
地下空間ならば他に邪魔は入らないとでも言うように、その事故は唐突に起こる。
水浸しの迷宮34層を探索中で、軽い気持ちで迷宮のボスを倒そうと私は提案した。
それにカナミは渋々ながらも了承して、ガルフラッドジェリーのいるエリアに踏み入っていき、偶然が偶然を呼んでいく。
それは間違いなく、予め決まっていた頁だった。
〝――『聖誕祭』と『舞踏大会』の二人を乗り越えることで、やっと少年少女は互いの気持ちに気づいた。しかし、憎きパリンクロンとスキル『???』という壁を前に、その淡い『恋心』を秘め続けようと二人は決断してしまう。
しかし、そんな悠長な真似は許されない。許されるわけないよね。
『運命の赤い糸』を引き寄せることで、カナミたちは『通り掛かる水軍』という二つ名を持つ水棲のボスモンスター・ガルフラッドジェリーと邂逅する。そのモンスターは二つ名の通り、水場においてはレベルの差を埋める力を持つ難敵だった。なにより、最も恐ろしいのは『大洪水』というスキル。
ガルフラッドジェリーの力によって、迷宮の回廊が一瞬で水が満ちた。
カナミたちは水中戦を強いられていく。しかし、『たった一人の運命の人』ラスティアラ・フーズヤーズは不運にも、
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