389.この手紙があなたの手に落ちる頃には



 ――ラスティアラ・フーズヤーズは、最期まで『夢』を見ていたのだと思う。


 ただ、その『夢』というやつは本当に不確かで、手を伸ばせば簡単に掻き消えるような不安感が付きまとう。


 『魔石人間ジュエルクルス』として生まれた者は、その不安感から一生抜け出せない。

 聞けば、全ての大元となる血の持ち主が、その感情に死ぬまで支配され続けていたせいで、自然と娘たちも同じような感覚に陥ってしまうらしい。


 しかし、この私だけは、他の『魔石人間ジュエルクルス』とは一味違う……はずだった。


 なにせ、ラスティアラ・フーズヤーズは『魔石人間ジュエルクルス』の欠陥を全て克服した最高傑作。

 生まれる前に莫大な資金を投じて、血にあらゆる『術式』を足した。

 これでもかと禁忌の『呪術』を使って、洗脳じみた精神の安定を施した。


 その調整は完璧で、計画に死角は一切なし。

 たとえ、生まれた直後に死者の代わりとなることを告げられても、全く不安は感じない。


 それどころか、用意された英雄譚を読めば読むほど、過去の偉人の器となれることに誇りを感じる。

 レヴァン教の信者たちと話せば話すほど、この使命を持って生まれたことに優越感を覚える。


 ――私は消えるのも、死ぬのも怖くはなかった。


 嘘ではない。


 多くの英雄譚を読んだからこそ、私は本当に不遇な端役たちの存在をよく知っていた。

 世界のみんなに祝福されながら英雄の礎となれるのは、相対的に見てだが……そう悪くない人生だと思っていた。


 つまり、『フーズヤーズ』と『元老院』の洗脳じみた教育と調整は成功していた。


 それが大人たちの心の優しさであったことも理解していた。

 けれど、残念なことに――私は結局、他の『魔石人間ジュエルクルス』たち同じように、強い不安を心に抱くことになってしまう。


 その不安とは、いずれ訪れる儀式のことではない。

 調整が完璧だったはずの私を怖がらせたのは、いつだって一つだけだった。


〝――新暦千十一年〟


 それは私が生まれてから一年後。

 フーズヤーズ大聖堂の中央にある大庭。


 屋根まで届く大きな噴水が、涼やかな飛沫を撒いている。その隣には、晴天の空の下でありながらも、簡易な教壇が用意されていた。

 さらに、その前方には、計るのも億劫なほどに高価そうな机と長椅子が並んでいる。


 ちょっとした教室の様相だったが、そこで授業を受ける生徒は、贅沢にも私だけ。

 そして、その壇上で教鞭を振るうはずの男は、『元老院』の用意した歴史書も英雄譚も隅っこに放り投げて、一つの少年少女の物語を読み聞かせていた。


「――こうして、少年と少女は多くの国民の見守られる中、劇的に美しく、もちろん感動的にっ、その秘めていた愛を叫び合うのです。ふふっ、想像して見てください、ラスティアラお嬢様。祝福と見紛うような煌く白光の下で、大観衆の祝福の声が世界を震わせていく様子を。いまにも空から巨大な幕が引かれるかのような素晴らしい結末でしょう?」

「は、はあ……」


 もし調整が完璧だった私を怖がらせたものがあるとすれば、それは――この教育係の脅しだけだろう。


 巷では最優の騎士などとと謳われる男ハイン・ヘルヴィルシャインの個人的な演劇趣味を、私は聞き入る。


「はい。では、これで今回の物語は終わりですね。こうして、艱難辛苦を乗り越えた少年少女は、ずっと幸せに・・・・・・暮らし続けます・・・・・・・。生まれの違いなど気にする必要のない遠い地で、二人でゆっくりと、幸せに、ずっと……」


 当時、精神的に幼かった私は、乾いた土が雨を吸うように、そのハインさんの冒険譚の皮を被った恋愛物語を聞いた。


 それは生まれたばかりの私には避けられないことだった。

 私は他に誰もいない長椅子に一人で座り、新たに与えられる知識を噛み締めていく。


ずっと幸せに・・・・・・暮らし続ける・・・・・・……」


 ――これこそが、私の物語の終わりから逆算した際の、ラスティアラ・フーズヤーズの始まりだったような気がする。


 ゆえに、私の『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』は、ここからが序章となるのだろう。


「はい。二人はとても幸せに過ごし続けます。創作の話ながら、とても羨ましいことですね。ええ、本当に羨ましいことです……」


 いつもと違って教師然とした服装の騎士ハインが、拳を握りこんで創作の登場人物の未来を力説していく。


 けれど、まだ私は彼ほど物語に感情移入できていなかった。

 その理由を、生まれたばかりの私は口にしていく。それは創作の物語を読み始めた『読書』初心者ならではの疑問だった。


「幸せに過ごす……。ハインさん、それはこの頁の後も、ずっとですか?」

「は? え……、この後の話ですか?」

「この後の話です。その『最後の頁』の続きはどこですか?」


 私は周囲を見回して、同じ題名の本を探した。

 ハインさんは少し困ったように頬を掻いたあと、ゆっくりと首を振っていく。


「続きはありません。本とは、そういうものなのです。執筆者が手を止めたところで、物語は終わりです」

「……いまので終わり? けれど、私はもっと本を読みたいです。その続きの、幸せな暮らしをもっともっと知りたいです、ハインさん」


 物語を気に入ったからこそ、そう強く思った。

 しかし、目の前の教育係は、心配ないと優しく微笑む。


「お嬢様、大丈夫です。確かに、これで物語は終わりですが、間違いなく少年少女は幸せに暮らし続けられますよ。それだけは間違いありません」


 そうハインさんは言い切った。

 だが、私は彼と違った感想を抱く。


 間違いないとは思わない。次の頁には「と思いきや、実は――」と続いているかもしれないし、その数年後には「実際に一緒に住んでみたら、そこまで合わなかった」という一文があるかもしれない。


「……わかりました。それで、物語は終わりなんですね。諦めます」


 けれど、私は素直に頷いた。


 本の楽しみ方として正しいのはハインさんだ。私は創作と現実の境界が曖昧になっているだけだと、血に刻まれた一般常識のおかげで判断できた。


 その私の不満を察したのか、ハインさんは微笑みは崩さないながらも眉間に皺を寄せて答える。


「お嬢様のお気持ちはわからなくもありません。しかし、信じましょう。苦難を乗り越えた二人には、それだけのご褒美があると……。少なくとも、そう信じて、いつも私は本を読んでいます」

「そう信じて、本を読む……」


 本の読み方を――『読書』を、私はハインさんから教わっていく。

 不満で頬を膨らませていた私だったが、その考えは不思議と呑み込み易かった。


 次のページには「いつまでも二人は幸せに――」と続き、何年経っても「二人は仲むつまじく暮らす」と信じたほうが、楽しいのは間違いなかった。


「確かに、そうですね……。そのほうが、なんと言うか……『夢』があります。やはり、物語と言うのは劇的であって、希望に満ち溢れてこそですから」


 そう最初から仕組まれていたかのように、あっさりと私はハインさん流の『読書』の基礎を身につけた。


「納得してくれたようですね。……では、そろそろ授業に戻りましょうか。いかにお嬢様の授業の呑み込みが早いとはいえ、気分転換ばかりしているのがバレたら、私の査定に響きます」


 そう言って、ハインさんは自分で持ち込んだ本を大切そうに教壇の上に置き、無造作に近くの長椅子に置かれていたフーズヤーズの歴史書を手に取った。


 本来の授業の再開だ。

 ただ、その授業の間、ずっと私はハインさんに読み聞かされた物語を反芻し続ける。教えられたとおりに「二人でゆっくりと、幸せに、ずっと……」という後の物語は、とても幸せな時間が待っていると信じて、自分なりの続きを頭の中に思い描いていた。


 ――序章にて、私は騎士ハイン・ヘルヴィルシャインから本当に多くのことを教えてもらった。


 単に、知識や戦い方だけではない。

 日々の過ごし方や人生の楽しみ方まで幅広く含んでいた。


 その結果、一年も経たない内に、私はハインさんの狙い通りの趣味となってしまう。

 本を読むのが本当に好きになった。


 特に『冒険』というジャンルが好みで、『英雄』という存在に憧れるようになった。

 なにせ、私の授業の大部分を占めたのは、フーズヤーズのレヴァン教に伝わる『ティアラ・フーズヤーズ』様の戦いの歴史だ。


 私がティアラ様の再誕を成功させるための器だったから、その物語に誰よりも感情移入することができた。

 その伝説の戦いの中では、私と同じく〝金砂が流れているかのような綺麗な長髪〟のティアラ様が大活躍してくれるのだから、まるで千年前に私がいたかのような錯覚がした。


 『読書』すればするほど、『ティアラ』が使徒様と出会って、聖人となったような気がした。

 悪い使徒と戦うために、始祖となって大陸の国々を纏めたような気がした。英雄となって世界中を『冒険』したような気がして……心の底から楽しかった。


「――ふふっ」


 思わず、笑い声が漏れる。


 それを隣で聞いていた護衛の獣人の女性騎士セラ・レイディアント――セラちゃんは優しい声で私に話しかける。


「本当にお嬢様は本がお好きなのですね」


〝――そして、新暦1012年〟


 この日も私は授業前の自由時間を使って、『読書』をしていた。

 この頃には、フーズヤーズ中の本を読み漁り切ってしまったので、一番のお気に入りの千年前の伝承を読み返してばかりだった。


「はい、大好きです。これが退屈な大聖堂で唯一の楽しみです」


 そう私が即答すると、セラちゃんは近くの運動用の空間に目を向けて、別の趣味の提案をする。


「私としては、もっと剣や魔法の鍛錬をお勧めしたいのですが……。いまなら、私がお付き合いできますし……」

「んー、すみません。どちらかと言うと、私は本を読んでいるほうが好きです。……あっ、剣の指南書ならば、読む気はしますね。できれば、達人さんの自伝付きだと嬉しいです」


 私の『素質』に溢れた身体ならば、読むだけで大体のことは理解できる。

 しかし、その座学ばかりで実践しない私を見て、セラちゃんの溜息は深くなっていく。


「はあ。どれもこれもハインの教育方針のせいですね。あの男が、無駄に本ばかり持ち込むから……」

「セラちゃんは本が嫌いなのですか?」

「別に嫌いではありません。難しい本は好みませんが……こういうのは、時々自費で買って、読みますよ」


 セラちゃんは近くの壇上に積まれている本を一つ手に取った。

 最初の頃にハインさんが持ってきた冒険譚の皮を被った恋愛物語だった。


「『運命の・・・赤い糸』で結ばれた殿方と結ばれる物語。……素敵だと思います」


 少しだけ顔を赤らめて、セラちゃんは目を細めた。


 その本の物語に思いを馳せる姿に、普段の男勝りな雰囲気は全くなかった。

 余りフーズヤーズの騎士たちには知られていないが、意外に彼女は少女趣味なところがある。ただ、男嫌いのところのある彼女は、気を許した同性にしか、いまのような表情は見せないが……。


 そのレアな表情が見れたことを嬉しく思いながら、彼女の物語がいつまでも幸せなものになるようにと願っていく。


「ふふっ、同感です。いつか、セラちゃんに『運命の赤い糸』で結ばれた格好いい人が現れるといいですね」

「そ、そういうつもりで言ったわけではありません……!! それに、私なんかのことよりも、お嬢様にこそ、いつか・・・相応しい殿方が――」


 そこまで言ったところで、セラちゃんは言葉を止める。


 はっとした様子で、その端整な顔を青ざめさせた。

 本当にセラちゃんはわかりやすくて可愛い女性だ。そのいつか・・・の未来が私にはないことに途中で気づいて、いまにも自刃しそうな表情になっていた。


 私は気にしていないことをアピールするために、優しく微笑みながら傲慢な回答を嘯いていく。


「んー、私に相応しい人ですかあ……。しかし、この私と肩を並べられる男性は、そう中々いませんよ? 自慢ではありませんが、かなりのものですからね。この『現人神』ラスティアラ・フーズヤーズ様の美貌は。ふっふっふ」

「お嬢様……」


 冗談であることは、セラちゃんに伝わっている。

 しかし、真面目な彼女は表情を引き締め直して、その真剣に返答していった。


「はい。お嬢様のように可憐で心優しく、慎み深くて思いやりのある女性に相応しい男性なんて……そうそういません!! もし現れたとしても、このセラ・レイディアントが厳しく審査します! 本当にお嬢様を幸せに出来る男かどうか、この私の手で!」

「……なんだか、セラちゃんにお任せすると誰も合格しない気がしますね。もしそのときが来ても、審査は他の誰かに……そうですね。ラグネちゃんあたりにでも、お願いしましょう」

「そ、そんなっ、お嬢様! 私はラグネより劣るということでしょうか!?」

「はっきり言っちゃいますと、そういうことですね」


 そう言い切ると、セラちゃんは大口を開けて「そんな……」と嘆き始めた。

 しかし、もう自害しそうな勢いはないので、柄でもない居丈高な冗談を言った甲斐はあった。


 そのとき、いま名前を出した少女が庭の茂みから姿を現す。


「ははは。私の名前が呼ばれた気がしてー、騎士ラグネ登場っすー。見たところ、まーたお嬢が腹黒いところ出して、先輩を困らせてるっすねー」

「あっ、ラグネちゃん」


 最年少の『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』であるラグネ・カイクヲラが、野生動物のような動きで、ぴょんっと私の隣に座った。


「しかし、また読書っすか。お嬢も飽きないっすね」


 続いてセラちゃんと同じように、近くの適当な本を手にとって――全く逆のことを、『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の中で彼女だけは口にする。


「私はこういうの苦手っすね。活字を読んでると、眉間がきゅーっとなっちゃうっす」


 その感想が私は少しだけ不満だった。

 なので、ラグネちゃんも同好の士にすべく、どうにか言い包めてやろうと彼女の手に取った本に目を向けたところで――その題名に見覚えがなくて、驚いた。


「あれ?」


 この一年の間に読んだ……ような気がする。

 確か、王道の冒険譚ではなく、貴族の娘たちの間で流行っている悲恋の小説だったはずだ。


 王道でないどころか、かなり奇妙な話だったのを薄らと覚えている。

 こことは違う別の世界――異世界からやってきた『異邦人』と出会った貴族の娘の物語だ。舞台はここと同じ迷宮連合国で、典型的な恋物語の出だしながらも、途中で主人公が死んでしまう。それでも、物語は淡々と続いていくのが印象的で、最後には……どうなったっけ? ハッピーエンドだった……気がする。


 最後の頁の二人はとても幸せそうだったから、いつかまた読み直そうと私は手の届くところに、その本を置いていた。……そうでなければ、その本がここにある理由はない。


「――ラグネ、今日は総長たちとの訓練だろう? どうしてここにいる?」


 ただ、セラちゃんの声が割り込んできたことで、私の記憶の確認作業は中断された。


「お嬢たちと一緒で、いま休憩時間に入ったところっすよー。いやあ、最近、総長たちの訓練がキツくてキツくて。お嬢から、どうか軽めの訓練にするように頼んでくださいっすー」

「おまえはそうやって、すぐお嬢様に甘えて……!」


 ラグネちゃんは他の『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちと違って、とても気軽に私と話す。


 そういう役割をフーズヤーズ国から与えられているとはわかっていても、私は彼女を最高の友人だと思って話していく。


「それだけラグネちゃんは期待されているのだと思いますよ? なんと言っても、あのハインさんとパリンクロンの秘蔵っ子ですからね。……英雄譚でよく出てくる秘蔵っ子!」

「いや、そのどっかから湧いた傍迷惑な謳い文句が、私の訓練を苛烈にしている一番の原因だと思うんすけど……。お嬢、それどこで聞いたっす?」

「聞いたというか、秘蔵っ子と喧伝し始めたのは私が最初ですね。……正直、私ばっかり勉強しているのは腹が立ったので、ラグネちゃんを巻き込みました。ラグネちゃんって、大聖堂の敷地内の見回りばっかりで、いっつも暇そうじゃないですか」

「やっぱりお嬢の仕業っすか! あー、そんな気がしてたんすよねー、ちくしょー。せっかくの楽ちんな見回り仕事をー、お嬢めえー……」


 呪詛を吐きながらラグネちゃんは、ぐでりと私の膝の上に頭を乗せて休憩する。


 本当にラグネちゃんは友人役をこなすのが上手いと思う。

 それが仕事だとわかっていても、こうして私は彼女との会話を楽しんでしまう。

 個人的な意見だが、『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の中で最も仕事をしているのは彼女だ。


 そして、その仕事にお疲れなのか、ラグネちゃんは目を細めながら周囲の景色を眺めていく。


「はあ……。しっかし、この庭……。ほんと綺麗っすよねえ……」

「庭ですか? ええ、とても綺麗ですね。連合国で最高の庭らしいですよ」

「あー、ほんと綺麗っす……。このままお嬢と、ずっとここで一緒にいたいっすねー……。あはは」


 それは特訓をサボり続けたいという意味かと思ったが、彼女の顔を見て違うと悟る。


 繰り返すように「ずっと、このまま……」と呟くラグネちゃんの表情は、一度も見たことがなかった。

 笑顔なのは間違いない。

 けれど、そこ付随しているのは、喜びや安らぎではなく、焦燥や後悔のような気がした。


 時々、ラグネちゃんは何を考えているのかわからないときがある。

 いつも元気溌剌で、お日様のような表情なのだが――そのお日様の逆光が強すぎて、何も見通せない。


 もし、いまの彼女の心の奥底を見通せるとすれば、それは特殊な『観察眼』を持った人間だけだろう。そう思ったとき、また新たな『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』が現れる。


「――残念だが、ラグネ。それは無理だぜ。……というわけで、そろそろ俺の授業の時間だな。関係ないやつらは、ここから出ていくよーに」


 最も序列の低い騎士パリンクロン・レガシィだった。

 相変わらず、騎士らしくない商人めいた服装で、とても胡散臭い表情をしている。そして、その隣には対照的な装いと表情のハインさんも連れ立っていた。近頃、この二人が一緒に歩いているところを、よく見る気がする。


 庭に現れたパリンクロンは、私の近くで寛いでいたラグネちゃんとセラちゃんの肩を軽く叩いて、退去を促していく。

 どうやら、談笑している間に、もう休憩時間は終わってしまったようだ。


「もう休憩は終わりっすかー。しかも、ハイン先輩までいるっす。これは逃げられないっすね」

「では、私は見回りの時間だな。それでは失礼します、お嬢様」


 時間を告げられた二人は、騎士らしく迅速に動き出す。

 そして、最後にパリンクロンは、隣を歩いていたハインさんの肩も叩いた。


「ハイン、ラグネのやつが逃げないように頼むぜ?」

「はい。それはもちろんです」


 その瞬間とき、妙な魔力の流れを私は僅かに感じた。


「ん……?」


 魔法の運用ではない。

 生きる魔法辞書である私には、その自信があった。

 ならば、いまの『糸』が切れたような感覚は、何なのだろうかと周囲を見回していると――


「お嬢様……」


 とても悲しそうな目で、じっとハインさんが私を見ていた。

 今年に入ってから、この表情が増えている気がする。

 それを私が不思議がっていると、パリンクロンが私たちの間に割り込んだ。


「おいおい、今日は俺の授業だぜ? いや、代わってくれるなら、代わるけどな」

「……いえ。任せました、パリンクロン」


 ハインさんは名残惜しそうに、ラグネちゃんを引き連れて庭から去っていった。

 その後ろ姿を私とパリンクロンは見送り、大噴水の周辺に誰もいなくなったところで――


「……ままならないもんだな。俺たち『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』は、主を生け贄として完成させるのが仕事だっていうのに……こうやって主の近くで過ごせば過ごすほど、その判断は鈍っていく」


 誰もが口には出すまいと気をつけていた「生け贄」を、あっさりと私の前で話した。

 その堂々と責務を放棄していく姿に、私は呆れながら彼の名前を口にする。


「パリンクロン、あなたという人は……」


 しかし、それが彼なりの教え・・であるのは私にはわかっていた。


 他の『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』による形だけの授業と違って、パリンクロンだけは実践的だ。開始の合図もなければ、道徳や常識も一切気にしない。


「だが、おそらく、こうなるとわかっていて、『元老院』は『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』ってのを用意したんだろうぜ? となると、どこからどこまでが予定通りなんだろうな? 少しだけ俺と考えてみようぜ、ラスティアラ様よ」


 パリンクロンは喋りながら教壇に立ったので、私は緊張感を持って相対する。


 決して彼は信用できる人間ではない。

 けれど、本気で・・・教えたい・・・・」と思っているのは伝わってきたので、私は真剣に答えていく。


「本土の『元老院』には、聖人ティアラ様の予言があります。あれは一種の未来予知の魔法と聞きました。私が聖人ティアラと成るまでは全てが予定通りなのでは? いまの『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の状態も、何もかも全てが」

「へえ、そうおまえは信じているんだな。……なら、いまおまえが抱いている不安も、聖人ティアラの予定通りだと思うか? おまえが『魔石人間ジュエルクルス』としての役目だけでなく、『人』としての人生にも惹かれ出したことは、どう思う?」

「そ、それは……」


 すぐには答えられなかった。


 パリンクロンが私の心の奥底にある「本当にこのままで大丈夫なのか」という不安を読み取っていたことに、動揺してしまった。


 私の抱く不安は明らかに、ティアラ様の再誕には不必要なものだ。なら、なぜ私の周囲には、その不安を煽る『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』という騎士たちが揃っているのか。本当に未来予知の力があるのならば、ティアラ様は、なぜ……。


 そう私が考え込んでいると――また周囲の魔力の流れが大きく乱れるのを感じる。

 水流が肌を叩くような感覚だった。


「…………っ!」


 すぐさま私は顔をあげて、大きく首を振ることで、その奇妙な魔力の流れから逃れた。


 以前からパリンクロンに教えられていたからこそ、それに反応ができた。

 決闘ルールだからと、誰もが決闘ルールどおりに戦うわけではない。

 私は質問に応じず、会話のルールを無視して、逆にパリンクロンに問いかける。


「パリンクロン、いま……。いえ、先ほどセラちゃんたちに何か・・してませんでした? 魔法……ではないですね。もっと別の何か・・を……、特にハインさんに……」


 という『答え』を出すと、パリンクロンは一瞬だけ『答え合わせ』に正解した生徒を見るような柔らかい表情を見せて……すぐにとぼける。


「いきなりなんだ? 魔法以外って言われてもな。気のせいじゃないのか?」

「…………」


 じっと私は睨み続けて、責めた。

 すると、わざとらしくパリンクロンは肩をすくめながら降参していく。


「……ははっ、正解だ。だから、そんな目で見るな。セラのやつらは、なんだかんだで俺を受け入れてくれる仲間だ。ハインは俺みたいなやつを友と言ってくれる貴重な馬鹿だ。あいつらの『夢』を応援こそすれ、変なことはしないさ。それだけは誓う」


 パリンクロンには珍しく「友人」「仲間」といった温い言葉を口にした。

 耳障りのいい言葉ばかりだったので、さらに私の警戒は増す。


「はあ。わかったわかった、騎士として家名に誓うぜ。『契約』でなく、俺自身の意志で誓う。――パリンクロン・レガシィは友の人生を応援している。決して、誰にも操らせず、生き抜かせたいと、心から願っている」


 疑い続ける私を前にして、パリンクロンはにやついた顔で簡易ながらも騎士の宣誓をした。


 正直、全く信用できない。

 その緩み切った表情と仕草だけでなく、宣誓の文言も怪しい。どうとでも取れるように曖昧で、後々の保険に残しているのが丸わかりだ。


 しかし、なぜか「誰にも操らせず」という言葉だけは、本気のような気がした。


 それは例えば、ハインさんを縛るヘルヴィルシャインという家名の鎖。さらにはフーズヤーズという国の重し。その先にある『元老院』といった権力の数々に、友人が操られることだけは許さないという気概だけは感じる。


「……あなたとハインさんの間に、奇妙な友情が僅かにあることだけは認めます」

「僅かかよ……。まっ、ありがとよ。これでも、俺とハインは幼馴染だからな。そこくらいは認めてくれないと困るとこだったぜ」


 結局、パリンクロンは「何かしてませんでした?」という問いに答えず、はぐらかし切った。

 それを私は追及しない。遠まわしに「何かしていないわけがないだろ?」と開き直っているのだから、いくら私が責めても、彼が反省して止めることはないだろう。


 本当に厄介で面倒な騎士だと思いながら、私は大きく溜息をつく。

 そして、反省の様子のないパリンクロンは、懐から見たことのない本を取り出して、本来の職務に集中し始める。


「それじゃあ、今日のおふざけはここまでにして、真面目な話をするか。ちゃんと教えるところは教えとかないと、『元老院』の刺客たちに殺されちまうからな。……いやあ、雇われ教員は辛い」


 その薄らと紫色の魔力を纏った本は、一度も見たことがなかった。

 禁忌の技術を管理するレガシィ家の本なのかもしれない。


「今日は、予言とかいうふざけた魔法に負けないための力。『数値に表れない数値』について話そう。……よく聞けよ、我が生徒」

「……よろしくお願いします、先生」


 授業の体となったので、私は嫌々ながらも頭を下げた。


 その間も、この胡散臭い男に対して決して隙を見せない。いつ何が起きても大丈夫なように私は緊張感を保って、パリンクロンの口にする技術を頭の中に記していく。


 結局、その日は何も起こることなかった。

 とても平和的にパリンクロンの授業は終わった。

 本当に彼が教えたかったことは、その警戒心そのものだったと気づくのは、その日よりも、もっともっと後のことになるわけで……。


 ――私の物語の序章は『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』との交流がメインだ。


 物語が本格的に始まる前、私は『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちから色々なものを教えて貰った。


 いかに私が生まれたときから自我を持っていた完成品だとしても、『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちの与えた影響は大きい。


 なにせ、ラスティアラ・フーズヤーズという『魔石人間ジュエルクルス』には、本来いるべき両親という存在がいなかった。ゆえに、この『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちが、私の親代わりとなっていたのだ。


 そして、私は『行間』にて、親代わりたちから様々な知識と価値観を貰ったことで、『元老院』の予定から外れた道筋を辿り始めていく。

 自分は聖人ティアラの再誕の生け贄という未来ではなく、もっと別の道筋を辿るべきではないかと考え出す。


 はっきりと私の心は揺れていた。

 その果て、あと少しで約束の『聖誕祭』の日となる〝――新暦1013年〟には、


「――ハインさん。最後に、外を、見てみたいです……」


 そう願ってしまう。

 それを乞われた騎士は驚きながらも、決して無下にすることなかった。


「……上にかけ合ってみます。少し時間をください、お嬢様」


 序章が終わりを迎えていき、一章が始まる。


〝――新暦1013年、聖誕祭まで「あと少し」というときに、ラスティアラ・フーズヤーズは「最後に」と口にした。それに最高の騎士ハイン・ヘルヴィルシャインは、迷いながらも喜んで応える。彼女と騎士は、その呪われた出生と向かい合うために、自分の本当の望みを探し出すために、一番の憧れである迷宮に向かっていく――〟


 予め用意された頁が捲られた。

 私は連合国の迷宮に入り、『相川渦波が召喚されるのは千年後のティアラ・フーズヤーズが迷宮に入ったときのみ』という条件を満たした。魔法ではない何かに引っ張られるかのように、その迷宮の中を歩いていって――


「――おい。そこに身を潜めている者、出てくるがいい」


 少年と出逢う。

 黄金の瞳が、彼を捉えたとき――私の中にある全ての血が騒いだ。


 迷宮内だからと常に『表示』させていたおかげで、その彼の冗談めいた『ステータス』が私の目には映っていた。



【ステータス】

 名前:アイカワカナミ HP4/51 MP1/72 クラス:

 レベル1

 筋力1 体力1 技量1 速さ2 賢さ4 魔力2  素質7

 状態:混乱1 出血1 

【スキル】

 先天スキル:剣術1 氷結魔法2

 後天スキル:次元魔法5

 ???:???

 固有スキル:異邦人・・・1



 『異邦人』という三文字で締め括られていたのも含めて、私は全て見てしまった。

 異常過ぎる数値の羅列に、心臓の鼓動が速まる。


 一番の異常は『素質』だ。

 見たことがない。これまで、私は数え切れない人たちをこの『目』で見てきたが、ほとんどが0か1だった。大陸の名家から選び抜かれた『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』でも2。そして、『現人神』とされる私で4。なのに、彼は7だ……! 7だぞ……!?


 その上、レベルは1。

 彼の年ならば、普通に生活してるだけでレベル1からは脱しているはず。

 つまり、それは彼が普通ではないという最大の証明だ。


 『表示』だけではない。

 外見の年齢は自分と同じほどで、とても背が近かった。

 その連合国には珍しい黒髪と黒目は、まるで物語に出てくる登場人物のようで目を惹かれた。


 回廊に吹き抜ける静かな風で、その黒髪の毛先が揺れる度、私は異常な非現実感に襲われていく。そのアイカワカナミという聞いたことのない語感の名前も含めて、私の今日までの現実感が崩れていくのがわかった。


 ずっと大聖堂という揺り篭の中で育った私の脆い価値観が、音を立てて壊れていく。

 それほどまでに、このアイカワカナミは私の『夢』そのもの・・・・だった。


 ――熱い・・


 私は余りもの熱さに自分の胸を抑えた。頬が緩んだ。

 とにかく、熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて、堪らない。


 その感情が何なのか、そのときの私にはわからなかった。

 ただ、『読書』しているときと似た感覚だったのは、自分でわかった。


 いや、本音を言おう。

 私は彼が本に見えた。

 本に出てくるような『冒険』をしている彼を、心の底から羨んだ。

 こっちは生まれてから、馬鹿みたいに退屈な牢獄の中で勉強の毎日だったのだ。授業が終われば、次は剣と魔法を鍛錬の繰り返し。私が使う予定のない力を、延々と伸ばしていくだけの地獄のような日々。常に大陸最高の騎士たちが見回りをしているから、面白い事件イベントなんて三年間で一つもない。


 なのに、このアイカワカナミは、私が三年かけて辿りついた迷宮内で、レベル1という極限状態で、こんなに楽しそうに死にかけている……!


 羨ましくて堪らない……。

 私だって、あなたのように……。

 できれば、あなたと一緒に楽しい『冒険』を……――


〝――こうして、千年後の迷宮にて、かつて「ずっと一緒に暮らそう」と誓い合った『新しい私』と師匠は再会した。

 しかし、『世界』とは本当に残酷なもので、運命的な邂逅を果たした魂に、千年前の記憶は残されていなかった。けれども、何も悲観することはない。何度『世界』が二人を切り裂こうとしても、運命の『赤い糸』によって、必ず二人は結ばれる。

 今度は、そう出来ている・・・・・のだ。

 少年と少女は作り直した盤面で、新たな道筋を進み始める。

 今度は「ずっと一緒に幸せに暮らそう」と誓い直すために。

 本当の『たった一人の運命の人』を選び直すために。

 新たな物語の第一章が、いま、幕を開ける――〟


 大混乱の最中、奇妙な語りが頭の中に浮かんだ。


 ハインさんの語り口と似ていたので、この三年間で読み聞かされた英雄譚の一文かと思ったが、題名は出てこなかった。

 そもそも、『魔石人間ジュエルクルス』という性質上、自分のものじゃない記憶が私には多い。正確に照合するのは難しいと考えてから、いまはそれどころじゃないと、奇妙な語りを頭の外に追い出していく。


「それよりも……!」


 いま私は『夢』のような状況と遭遇している。

 すぐに私は今日までの知識を全て使って、どうすれば彼と一緒に『冒険』できるかを計算していた。


 もう我慢できない。

 残された時間が少ないとわかっているからこそ、いま『冒険』すべきだと思った。

 最後の時間は、大好きな本の中に入って過ごしたいと――今日までの『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』との交流で『答え』を出していた。


 すぐに私は動き出す。

 まずは彼を助けないといけない。

 間違いなく、彼は私の物語の『主人公ヒーロー』――というのは、ちょっと恥ずかしいし、まだわからないから『候補』としておこう。


 その『候補』を死なせないためには、《キュアフール》で回復させて、《レベルアップ》で丈夫にする必要がある。しかし、ここで動き過ぎると、随伴している騎士たちに気取られるだろう。いかに最後の自由時間とはいえ、『元老院』の予定から大きく外れてしまうのは不味い。ならば、ここは慎重に一旦別れて、夜に大聖堂を抜け出してから、一人で会ったほうがいい――


〝ひ、ひひひ……〟


 と思考している間、どこか遠くで頁が捲られる音がした――



 全てが終わったあとならば、その正体がはっきりとわかる。

 それはどんな選択を私がしても、必ず次の頁が用意されているという不思議な本。

 ちょっと血塗れてはいるかもしれないが、世界で最も神聖な本だったと――私は信じている。


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