388.兄と妹と


 かつての仲間ティアラヒタキの裏側を僕は視た。


 以前に視た千年前と同じ光景シーンはとても多かった。

 けれど、ほんの少し視点を移しただけで、「異世界で陽滝を救おうとする僕の物語」は、「世界を陽滝から救おうとするティアラの物語」に変わってしまっていた。


 僕たち『異邦人』が異世界に召喚されたのは、偶然でなく陽滝の仕業だった。

 さらに妹は、僕の『たった一人の運命の人』を押し付ける相手を探しに、この異世界まで来たらしい。


 僕が妹の病を心配している間、ずっとあいつは如何いかにして僕を『対等』な兄に育てあげるかを考えていた。

 僕が強引に得た力の『代償』を、この異世界で如何にして支払わせるかを企てていた。


 ――途端に、今日までの人生が、とても軽く感じる。


 最も顕著だったのは、いま目の前で死体となっているラスティアラとの思い出だ。


 いまのティアラの記憶が本当ならば、彼女と僕が結ばれるのは千年前から決まっていた予定調和。

 この胸にある恋慕は全て『執筆』で用意されたもので、そもそも僕たちは二人とも『作りもの』ということ。


 思い当たる節は多い。

 僕たちは迷宮探索を繰り返す度に、合う・・と強く思い合った。

 そして、まるで本の恋物語のように、近づいては遠ざかったりを繰り返して、結ばれた。


 途中、何度かスキル『???』がリセットをかけたけれど、あれは陽滝の仕業だったのだろう。

 本来なら、死を避けるだけのスキルが恋心に過剰反応していたのは、敵であるティアラの身代わりを邪魔していたからかもしれない。


 ――知れば知るほど、僕の人生そのものが、盤面で駒を奪い合う『遊戯ゲーム』でしかなくなる。


 全てが陽滝とティアラの手の指し合いでしかなくて――さらに、その『遊戯ゲーム』は、いまも続いている。


 『過去視』を終えた僕は、動揺で全身が固まっていた。

 しかし、陽滝の『白い糸』が届かない地下空間まで誘導したティアラは、その『赤い糸』で強引に自分の書いた頁まで持っていこうとする。


(――ねえ、師匠。らすちーちゃんがどうなったのかを、一番知りたがってたよね?)


 ティアラの過去の前に、僕は『水の理を盗むもの』『血の理を盗むもの』『無の理を盗むもの』の三人と戦っていたラスティアラを視ている。


 あの続きを何よりも知りたくて、僕は陽滝の『冬の異世界』から逃げて、この大聖堂地下の最奥までやってきた。


 だから、読まないと、何も始まらない――と、そうわかっているけれど、身体は拒む。


 今日まで幾度となく僕を助けてくれたスキルたちの警告音が聞こえるのだ。「手記に書かれた『ラスティアラの夢』だけは視るな」と助言をしてくれているが……その古いスキルの力を打ち消すかのように、新たなスキルの力によって、パラパラと流れる頁が頭に浮かんでいく。


〝――相川渦波は千年前の裏側を知った。しかし、所詮は千年前。彼にとっては、物語の前日譚に過ぎない。本当の英雄譚は、千年後の少年少女の『冒険』だった。そこに『全て』が収束していると知っているからこそ、彼は彼女の遺した手記を読む。そして、彼は遅れながらも、『たった一人の運命の人』であるラスティアラ・フーズヤーズの本心を知ることになる。そのとき、少女の前では、かつて『一番大切なもの』と信じていた相川陽滝が、その本心を語っていた――〟


 スキル『読書』が発動した。

 望んでもいないのに、先ほどの『過去視』で模倣コピーさせられてしまったようだ。


 スキルによると、手記を読めば、僕はラスティアラの本心だけでなく、陽滝の本心も同時に知れるらしい。

 余りに都合が良過ぎて、また乾いた笑いが出そうになる。


 『糸』の感触だ。

 いまの時代だと、『魔法の糸』と呼ぶべきものが赤と白の二種。

 全身に絡み付いて、縛り付けて、締め付けて、ずっと僕という駒のコントロールの奪い合いを行っている。


 いま、その奪い合いで優位に立っているのは、ティアラの『赤い糸』のようだ。

 この『糸』に引っ張られて、僕はティアラの用意した未来に入っていくのだろう。


(――師匠、もう読むしかないんだよ)


 それはわかっている。

 読むことはメリットしかないと頭では冷静にわかっているからこそ、僕は躊躇う。


 少し前に僕は、ティアラを「嘘つき」だと断じたばかりだ。

 最低でも、彼女の考える『魔法』とやらの詳細が、はっきりとわかるまでは軽率なことはできない。と、誰かと似たとても悠長・・・・・なことを考えたとき――その声は聞こえた。


「――キリスト!!」


 その呼び方をするのは、もう一人しかいない。


 僕は信頼に値する友人の登場に、思考を中断して、俯けていた顔をあげて振り向く。


 いつの間にか、全身を縛っていた血の『糸』は解けていた。

 おかげで、後方の部屋の扉に身体を向けることができた。そして、そこに立っている友人の名前を呼ぶ。


「ライナー……? どうしてここに……?」


 扉を開け放ったライナーの姿は、霜に塗れて真っ白だった。

 髪や睫毛が凍りつき、寒さで身震いし続けている。分厚い防寒着を纏っているが、その身体を冷気から守り切れていないのが一目でわかる状態だ。


「どうしてって……、あんたを起こしに来たんだ!! ――いや、それよりも、僕が見えているのか? なら、なんで、『南北連合』まで合流しない!?」


 ライナーは僕が正気であることに驚いていた。

 対して、僕は彼の口にする初耳の単語を、静かに繰り返していく。


「『南北連合』……」


 その言葉の意味が、習得したてのスキルで読めてしまう。


〝――『南北連合』の正式名称は、『対異邦人ヴィアイシア国連合軍』。新暦1015年、たった一人の『異邦人』ヒタキの手によって、本土の大聖都が陥落し、続いて開拓地の迷宮連合国も氷付けと化した。多くの大国の首都が冷気で機能停止に追い込まれていく中、被害を免れていた北のヴィアイシア国を拠点として、連合軍が編成されることになる。このとき、ヴィアイシア国が世界の先頭に立ったのは、『人』も『魔人』も『魔石人間ジュエルクルス』も受け入れる代表ルージュ・ヴィアイシアの思想、それと中立の後見人として理想的なクウネル・クロニクル・シュルス・レギア・イングリッドの存在が大きかった――〟


 という情報の中で、僕は『魔石人間ジュエルクルス』という文字が目に留まった。


 ヴィアイシア国は『木の理を盗むもの』アイドによって、保護された『魔石人間ジュエルクルス』が多い。

 しかし、『魔石人間ジュエルクルス』こそ、ティアラの最も手の入った千年前の遺産だ。

 だからこそ、その『南北連合』結成の流れ・・を作るのが容易だったのではないかと疑ってしまう。


 僕が『南北連合』という存在そのものに疑惑を抱いていると、ライナーは眉間に皺を寄せながら状況確認に努めていく。


「キリスト……? 渡した『天剣ノアあれ』を『過去視』したんじゃないのか?」


 僕が『冬の異世界』の幻に囚われているとき、マリアの家で怪しい影から剣を受け取っている。

 それがライナーの仕業であることを確認して、ゆっくりと僕は首を振っていく。


「あれは……、まだしてないよ。いまは、それよりも――」


 途中、突如ライナーは目を見開き、大声をあげる。


「――ッ!? そ、その本が、なんでここに……!? いや、それでもいい! キリスト、それを早く『過去視』して、全てを知ってくれ!!」


 ライナーは僕の左手を見つめながら叫び、魔法の使用を急かした。


 いつの間にか、僕は『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』を手に持っていた。


あの日・・・! 大聖都のフーズヤーズ城で何が起きたのかを! あの『頂上』と地下で、誰と誰が戦ったのかを! なによりっ、『水の理を盗むもの』ヒタキこそが、あんたの真の敵だったことを! いますぐ思い出してくれ!!」


 あの日とは、ノスフィーとラグネが消えて、『相川渦波が生き返った日』のことだろう。


 ずっと千年前の記憶ばかりを視てきたせいか、とても遠い日に感じた。

 けれど、あの日こそが、ティアラの捨てた『全て』が収束した日だと、いまの僕にはわかる。


「この本に、陽滝のことが……?」

「ああ! そこに、あんたの妹の所業が全て書かれてる! あんたの戦う理由が『全て』ある! それを読めば、やっとあんたは妹の束縛から逃れられるんだ!!」


 ライナーは嘘をついていない。

 しかし、その流れ・・からは、硬くて重い音が伴っていた。


〝――手記を読んだ相川渦波は、騎士ライナー・ヘルヴィルシャインと共に立ち向かうことになる。自らの人生を操り続けた存在との決別を懸けて……ああ、ついに。ついに、最後の敵との戦いに赴く――〟


 耳鳴りのように、二つの駒が前に進む音が聞こえた。


 一度湧いた盤上遊戯のイメージは、簡単に脳裏から消えてくれない。

 僕とライナーという駒の周囲には、様々な形の駒たちが数え切れないほど倒れていた。『全て』が犠牲となって、盤上の一番奥に待つ陽滝という駒までの道を作ろうとしていた。


 いま無防備に前へ進めば、僕もライナーも倒れた駒の一部になるとしか思えなかった。


「キリスト……?」


 一向に動こうとしない僕を見て、ライナーは不思議そうな顔をした。

 しかし、すぐに自分の責務を果たそうと、丁寧な説得を繰り返していく。


「目覚めたばかりで混乱しているだろうが……よく聞いて欲しい。いま、上ではみんなが全力で戦ってる。あのヒタキを相手に、大陸の全ての人が協力して、立ち向かってる」

「……うん。地上のことは、大体だけどわかってるよ」


 少し前に、この『異世界』の地上の様子は目を凝らして確かめた。


 ティアラの記憶から視た『元の世界』と同じ運命を辿るまで、そう時間はかからないだろう。


「あんたの妹は、この世界全てを凍らせようとしている。しかも、凍らされた人間は、あいつの魔力の供給源になる。凍ったあと、誰もが幸せになれる幻が待ってるって話らしいが……馬鹿にしている! そんな死ぬも同然の幻、誰が認めるか! あの女は、僕たちの生きる世界そのものを馬鹿にしてやがる!!」


 同感だった。


 幻の中で生き続けることを、人生とは言えない。

 たった一人に支配された世界を、『世界』とは言えない。


 経験から、それが正しいとはわかっているが……いまの僕の耳には、少し痛かった。


「だから、本土の『南北連合』は、世界の敵であるヒタキを倒すと決めた! その作戦の要が、あんたなんだ! あんたを救出し、正気に戻せば、必ず勝機はあると『南北連合』は考えている!」

「……僕なら、勝機があるって? 『南北連合』の人が?」

「ヒタキが大事に育てているあんたを、こっち側に引き込めば戦況はひっくり返る! いまのあんたのレベルを見てくれ!!」


 僕は言われるがままに、とても久しぶりに『表示』を見る。



【ステータス】

 名前:相川渦波 HP――/―― MP2561/4947 クラス:

 レベル86

 筋力50.13 体力61.19 技量72.89 速さ96.11 賢さ90.39 魔力370.01 素質10.21



 レベル86……。

 もう遊びは終わりという言葉が似合うほどに、ふざけたレベルだ……。


 一見すると凄まじい力を手にしているように見える。

 だが、この『表示』が何の意味も持たないことは、僕が誰よりも知っている。


 このステータスの数値は、調子に乗った千年前の僕が遊びで作ったものに過ぎない。

 あくまで数値は指標だ。

 むしろ、罠の側面のほうが強い。


「誰もが思ってる!! あんたの仲間やフーズヤーズの騎士たち! ヴィアイシアの『魔人』や『魔石人間ジュエルクルス』たち! 全世界の英傑たちが揃って! あの『大英雄』ならばと、キリストの帰りを待っている!」


 それでも、ライナーは僕に期待していた。


 ライナーにも『糸』が絡まっていると思わざる得ない剣幕だ。

 どこか特別だと思っていた彼でも、ティアラとヒタキの手のひらの上から逃れられないとわかり、次の盤面が薄らと見えてくる。


 それは陽滝にチェックメイトをかけるという道筋のために、僕たち二人が倒れている未来だった。


 その道筋だけは認めたくなかった。

 なにせ、僕が目覚めてから目指しているのは――いや、この異世界にやってくる前から、僕が目指していたのは、もっと別の道筋だったからだ。


「聞いてくれ、ライナー。僕が陽滝を止めないといけないのはわかってる。それでも――」


 それを最も信頼できる騎士に伝える。


「僕は陽滝が『水の理を盗むもの』であることに意味があると思ってる。あいつにも『未練』があるんだ。きっと、他のみんなと同じように……、僕に助けを求めてる・・・・・・・・・。その『未練』を僕は、ずっと探し続けてる……。きっと、この異世界に来る前……、最初の最初から、ずっと……。ずっとだ……」


 ティアラの記憶を視たことで、それを僕は確信していた。


 本来、それこそが物語の『最後の頁』だったはずだ。

 陽滝自身の口から、僕を強くするのが最大の目的と聞いた。

 遠い昔の僕との『約束』を果たすために、異世界までやって来たとも言っていた。


 陽滝の全ての始まりが兄の相川渦波だったからこそ、家族だけで解決したいと、ずっと僕は願っていたのだ。


「……本当に『未練』が見つかるなら、それでいい。『未練』で敵が弱るのは、僕もローウェンさんたちの姿から知っている。……ただ、一つだけ言わせてくれ」


 しかし、その僕の出した『答え』に、ライナーは苦々しい顔を作る。

 最も信頼している騎士ライナーの手によって、『答え合わせ』は行われていく。


「あんたは元の世界にいたときから、ずっと探し続けて来たんじゃないのか? ずっとずっと、最初の最初から、それだけを探し続けて……けど、あんたは結局、見つけられなかった」


 それはティアラの記憶にあった『答え合わせ』と比べると、余りに情けなく――落第点のように聞こえた。


千年かけて・・・・・こうなってしまうまで・・・・・・・・・・。……だから、もう僕は【相川渦波では相川陽滝を助けられない】と思ってる」

「――――っ!」


 もう『約束』は果たせないと聞かされて、僕は息を呑む。


 いや、そもそも、その『約束』そのものを覚えていないことが、僕の『答え』だったような気がする。


「なにより、もうそんな悠長なことを言ってられる場合じゃないんだ……! 明日にでも、この世界が凍りつく! まずは、それを防がないと、助けるも何もない! この世界に生きる一人の人として、僕は戦うつもりだ! 世界の敵となった『異邦人』ヒタキは、ここで止めないといけない!!」

「世界の敵……?」


 その単語を聞いたとき、とある記憶が、ふと脳裏によぎった。


 それは記憶を失っているからではなくて、ただ余りに古過ぎるという理由だけで、掠れて、上手く読めなくなってしまった頁。


〝――兄は幼少の頃、妹の才能に打ち負かされ、父親から逃げ出して、家の中で『いないもの』として扱われていた。

 演者の道を諦めた彼は、自室に引き篭もってゲームをし続ける。明かりのないの部屋で明滅する大型液晶の前に座り込み、コントローラーを動かす。なぜか、その隣には、なぜか当時は犬猿の仲だった妹も座っていることもあった。

 兄妹らしい談笑は皆無だったが、平べったい液晶の画面に写った兄のゲームのプレイを、じっと妹も見ていた。

 兄弟の会話はない。聞こえる会話は、ゲームの登場人物だけ。薄暗く静かな部屋に、スピーカーからの色鮮やかな音だけが鳴り響く。

 兄がプレイするゲームは、どれもメジャーでベタな王道RPGばかりで、どの物語でも世界を守ってばかりだった。

 大体、『主人公』の隣には仲間や『ヒロイン』がいた。

 大体、『冒険』の果てに「世界の敵」と称されるような強大な存在が現れて、立ち塞がる。

 大体、『主人公』たちが力を会わせて、その「世界の敵」を倒して、ハッピーエンドを迎える。

 はっきり言って、プレイする前からわかりきっている物語だ。

 早熟だった兄妹にとって、これは茶番劇だと最初からわかっていた。

 けれど、兄妹二人とも魅入っていた。

 画面の向こう側にとても深く感情移入しながら、その物語を読んでいた。

 もはや、それだけが救いだというように、一緒に暗い部屋で、液晶の画面を、じっと二人で、目で追い続けて――〟


(陽滝姉……)


 途中、後ろから小さな声が聞こえて、スキル『読書』が止まる。

 どうやら、いまの頁をティアラも、スキル『読書』で読んだようだ。


 唯一、この場でスキル『読書』を持たないライナーだけが、言葉を続けていく。


「あんたの妹は、過去に取り返しのつかない罪を犯した。僕たちの世界でも、これ以上の罪を重ねようとしてる。もうあんたにできるのは、止めることだけじゃないのか? 自分の妹の手を掴んで、兄として叱ることだけじゃないのか!?」


 間違っていない。


 ライナー・ヘルヴィルシャインの止めて叱ると提案は正しいと確信できるが、いま見えた頁が脳裏から離れて消えてくれなかった。


「でも、まだ僕は――」

まだ・・!? もう・・、だろう!? キリスト、いつまで目を逸らす!? まだなんて言える段階は、もう過ぎてるだろ! もうっ、死者が出てるんだ――! いいか!? いま僕たちが、あんたの仲間たちが一番怒ってるのは――!!」

「ライナー、言わなくていい」

「そこにいるラスティアラを、あの女に・・・・殺されたからだ・・・・・・・!! あんたは『たった一人の運命の人』を殺されて! それでも、まだ・・なんて言うのか!?」

「…………」


 一度聞いてしまえば取り返しはつかないと、咄嗟に止めようとしてしまった。

 けれど、ライナーの激怒を前には無意味だった。


「あんたとラスティアラは、恋人だったんだろ!? ラスティアラが一番好きだったんだろ!? あの日、僕の前で誓った『告白』は、そんなに軽いものだったのか!? あれは全部嘘だったのか!? 答えろ、キリストッ!!」

「か、るい……?」


 僕は様々な戦い乗り越えて、磐石と言える精神を手に入れたつもりだった。


 しかし、まだ唯一、その精神こころを大きく揺らすものがある。

 そこを的確に貫かれ、またスキル『読書』が発動していく。


〝――十一番十字路で『告白』をするのは金砂のような長い髪を靡かせる少女。

「カナミが好き――!! 好きだよ、カナミっ!! 大好きっっ――!!!!」

 それを聞いたとき、少年の目の奥から熱い何か・・・・が込み上げた。

 腹の底から奮い上がり、喉の痙攣が止まらない。

 歓喜という感情が全神経を駆け巡り、いまにも全身が弾き飛びそうだった。少年は「やっと辿りついたんだ」と涙が零しそうになる中、精一杯の返答をする。

「ああ、僕も大好きだ。――ラスティアラを心から愛してる」

 そう答えた。

 世界一幸せな『答え合わせ』をした。その果てに、

「カナミッ……!!」

「――っ!」

 少年少女は『たった一人の運命の人』と口付けをして、結ばれた。

 それは迷い続けた二人の『作りもの』が、やっと辿りついた『本物』の幸せな終わりに違いなかった――〟


 あの日の僕を、読み返してしまった。


 ――熱い・・


 途端に、冷え切った全身に熱が駆け巡る。


 その熱を外側から冷やしてくれていた冷気は、この地下空間まで届かない。

 もう身体の奥にあった『水の理を盗むもの』の魔石もないし、『糸』は全て千切ってやって来た。

 あの『鏡』のような少女バカのせいで、本当の自分の姿を知ってしまっている。


 だから、僕は喉奥から吐き出してしまう。


「……嘘じゃない! あれだけは、嘘じゃなかった!! たとえ、あれが軽くて、薄っぺらい『作りもの』だったとしても! あれが、僕たち二人の――精一杯だった!! 僕とラスティアラは、僕たちなりに精一杯の『告白』をしたんだ!!」


 僕たち二人は誰かに確認してもらわないと、全身全霊の告白すら安心できない情けない『作りもの』だったかもしれない。


 けれど、あの告白は『本物』だった。

 『矛盾』しているかもしれないが、そう信じている。


「あれは偽りじゃない! この道だけは間違ってない! あの日、僕たち二人が、自分たちの意思で選んだ! ――ああっ、『相川渦波』は『ラスティアラ』を、『たった一人の運命の人』に選んだんだ! 彼女も僕を選んでくれた! あのとき、僕たちは世界で一番幸せな二人だった!!」


 僕の一番大切なものは、『陽滝』でも『ティアラ』でもなく、『ラスティアラ』であると、そう叫んだ。――叫んでしまった。


 いま、この地下空間にも『切れ目』がいるのを、目で確認していたというのに。

 声に出して宣言することが儀式の一つと、ティアラの記憶から学んでいたというのに。

 はっきりと、後ろで僕を見守っていた取立人に、自らの弱点を教えてしまった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 息切れと共に、また耳鳴りが聞こえる。

 先ほどよりも大きい音だ。

 今度の音は、駒が一つ前に進む重い音ではない。

 『相川渦波』という駒そのものに、亀裂が入った軽い音だった。


 ただでさえ罅だらけだった僕の駒の――罅が広がる。


 視界が狭まる。

 ずっと見えなかった風景の欠片ピースが、逆にそれだけしか見えなくなる。


 目を開いていても、閉じていても、ラスティアラの姿が見えてしまう。

 彼女は笑顔だった。

 その長髪は、金砂が流れているかのような綺麗で。

 その顔の作りは、まるで人形のように整っていて。

 その双眸は、幻想的な黄金色で、一切の無駄がない完成された美の体現者。


「僕はラスティアラのことが好きだ……。ラスティアラが世界で一番好きだ……」


 『次元魔法』の数値が伸びていく。

 同時に、名前の隣にある『自己認識クラス』が変わっていく。


 こうして、僕が腹の底からの熱い想いを吐き出しきったとき、ライナーは静かに返答した。


「……わかった」


 ライナーは背中を見せる。

 その声には、いつもの信頼が混じっていた。


「主が『アイカワヒタキ』じゃなくて、『ラスティアラ・フーズヤーズ』を選んでいるのなら、もう何も言わない」


 やってきた道を戻ろうとする。

 部屋の扉をくぐり、冷気に満ちた階段を上がっていく。


「ライナー……?」

「我が主が手を抜いてるとは思わない。なら、こっちはこっちで出来ることを全力でやるだけだ。主が『未練』を探る時間が必要と言うなら、忠誠を誓う騎士は限界まで時間を稼ぐ」


 そう言い残して、ライナーは部屋から出て行った。

 その背中が「準備ができたら、追いついてくれ」と言っているのが、信頼し合っているからこそわかった。


 ただ、すぐに後方からの声が、その信頼に水を差す。


(――師匠。いま、陽滝姉が大聖堂に入ったよ)


 ライナーがいなくなったのを見計らって、僕たち主従の絆などお構いなしに、冷酷に数字を告げていく。


(ここまで降りてくるまで、数分。ライナーが稼げる時間も、数分。時間はないよ)


 ライナーの信頼に応えたいが、余りに時間が足りなかった。


 しかし、その解決策は都合よく、すぐ後ろに用意されている。

 かつて僕と同じように「足りない」と嘆いた少女の技術の結晶が、台座の上に横たわっている。


(…これを読ませるために、私は準備したよ。死ぬまでずっと。死んでからもずっと)


 わかっている。

 ティアラが千年かけた準備の力は、『理を盗むもの』を軽く超えている。


 今朝、あの完璧な陽滝が勘違いをしていたのは、僕の必死の抵抗のおかげではなく、千年前のティアラの準備の力だ。

 そして、なによりも恐ろしいのは、あれで全てではないということだろう。


 ――まだティアラは隠している。


 それは例えば、「死ぬまでずっと」の新暦13年から後の物語。

 さらに「死んでからもずっと」の約900年分の物語。


 しかし、それをいま『過去視』で探ろうとすれば、ティアラの『赤い糸』の力で、確実にラスティアラを通して視ることになる。


 僕という駒の選択肢は、余りに少ない。

 そして、どの道を通っても、陽滝に届くための捨て駒にされると、魔法の『未来視』とスキルの『感応』が訴え続けている。


 僕では『水の理を盗むもの』の『未練』を見つけることさえできない。

 それを認めたくなくて、必死に僕は新たな選択肢を探り続けて――


(……もし陽滝姉の『未練』を果たしたいなら、師匠も本気で・・・やればいい)


 業を煮やしたのか、ティアラはいままでの柔らかくて可愛らしい口調でなく、厳格な大人の声で諭し始めた。


(本気なら、いますぐラスティアラ・フーズヤーズを捨てればいい。外にいるライナー・ヘルヴィルシャインもディアブロ・シスもマリア・ディストラスもスノウ・ウォーカーもグリム・リム・リーパーも全員捨てればいい。都合よく信頼してくれているのだから、その絆を利用して、裏切って、命を奪い、『代償』にして使い捨てればいい。その守護者ガーディアンの魔石も、後生大事に抱えてないで、もっと有効活用する方法がある。『切れ目』に向かって、ちょっと取引を持ちかければいい。この綺麗な石ころを全て捧げますから、代わりに力をくださいって一言だけ。――たった数秒で終わる)


 それができて、初めて陽滝と『対等』だと言われた気がした。


 そして、もし『未練』を知りたいのならば、もっと先に進む必要があるとも言われてしまう。


(本当に本気なら、『全て』を犠牲にして、陽滝姉と話せばいい。――いますぐ・・・・


 そう脅された。

 だが、そう簡単に捨てられるはずがない。

 守護者ガーディアンたちの戦いも、大事にしてきた仲間たちとの絆も、全てがラスティアラと同じくらいに大切なもの。


「…………っ!」


 そう言い返そうと振り返ったとき、見てしまう。


 ラスティアラの腹の上で、樹木のように立ち昇る血の塊が蠢いていた。

 涙を零すように無数の血の水滴を落としながら、おぞましい風切り音を鳴らし続けている。


 ――僕と違って、千年前の時点で『全て』を捨てて、本気で戦う・・・・・と決めた少女の姿を見てしまった。


 彼女は『たった一人の運命の人』を捨てて、仲間も家族も自分も捨てて、『全て』を捨てて、一人で戦っている。昔からずっと。――いまもずっと・・・・・・


(そういうことだよ、師匠。そのまま、師匠は拾って、進み続けて。振り返る必要なんてないよ。間違いなく、師匠はラスティアラ・フーズヤーズを救う『主人公』だから。……でも、代わりに・・・・、陽滝姉を救う『主人公』は、このティアラ・・・・フーズヤーズ・・・・・・だ)


 もし『水の理を盗むもの』に『未練』があるとしても、それは僕に晴らせるものではないと告げられて、身体から力が抜けていく。


 ああ……。

 負けだ……。


 負けた気がした。

 それはティアラは足りていて、僕は足りていないという感覚。

 陽滝の家族としてもティアラのほうが相応しいと思うほどの敗北感だった。


(もう私も陽滝姉も、信じなくていいよ……。師匠は代わりに、この『新しい私ラスティアラ』の言葉だけを信じてあげて。……お願い)


 その言葉に釣られて、僕はラスティアラの死体を見る。

 結局、僕は『赤い糸』に引っ張られて、彼女の隣まで歩いて、膝を突いた。


 そうする他なかった。

 兄として妹を見ることも、仲間として旧友を見ることもできず、『たった一人の運命の人』の顔だけを見続けていく。


 ――もう僕は悠長とせず、全てを知るために魔法を使った。


 取り返しのつかない筋道に入った実感があった。

 手記に書かれた「ラスティアラの夢」を知ってしまえば、必ず僕は叶えようとするだろう。

 きっと『水の理を盗むもの』の『未練』よりも優先して、戦ってしまう。


 ――そして、魔法の『過去視』によって、少しずつ新暦1011年が視えてくる。


 それは籠の中でラスティアラが産まれてから一年目の物語。

 舞台は大聖堂。

 清流の川と鉄の柵に囲まれた連合国の最大の砦。

 そこでラスティアラは、とても大事に育てられていた。


 彼女の隣には初代の『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちが、いつだって揃っている。

 総長のペルシオナさんに副総長さん、ホープスさんにセラさん。いまは亡きハインさんとラグネとパリンクロンの三人も含めて、七人。

 ラスティアラの人生は始まっていく――

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