65.そして、英雄は十層に辿りつく。化け物は貴方をずっと待っていました。
パチパチと音をたてながら、キャンプファイアーのように燃えていく
家の周りには、ちらほらと人だかりが出来始めている。このままだと、ヴァルトの警備兵が集まってくるのも時間の問題だ。
いますぐにでも、マリアを連れて、ここを離れないといけない。
燃えている家に未練はない。
迅速に行動すればいいだけ。
それだけでいいはず、なのだが――
目の前にいる少女たちが、それを躊躇わせる。
虚ろな目で僕たちを見つめるマリア。
そして、そのすぐ後ろで浮いている身体の半分を炎に変質させたアルティ。
どちらも、気軽に近づける様子ではない。
だが、このまま、ここで立ち尽くしていても解決はしない。
僕は前に出て、燃え盛る家の前で佇むマリアに声をかける。
「マ、マリア……。行こう。とにかく、ここから離れよう……」
いまは時間との勝負だ。まず移動を促す。
しかし、それを聞いたマリアは虚ろな目のまま、小さな声で呟く。
「これで、私のもの……。ずっと私のもの。あとはご主人様を……――」
僕の言葉を理解しての返答とは思えない。
マリアは呟きながら、僕たちを睨んだ。そして、その足を前に出そうとして、隣の少女アルティに止められる。
アルティはマリアに何かを囁く。すると、マリアは大人しくなり、俯いて、小さな声で何かを呟き続ける。
その様子を見て、問題なのはアルティだと判断した。僕は目をマリアでなくアルティに向ける。
アルティは僕の視線を感じ、微笑みながら答える。
「――ようこそ、探索者キリスト。
答えながら、アルティは仰々しく礼をした。
その仕草は、いつかの
あの理不尽で自分勝手なティーダと同じような笑みと態度だった。
「アルティ、おまえが……。おまえが、これをやったのか?」
「そうだ。マリアを唆し、こちらに引きずり込み、私に有利な状況を作らせてもらった」
「…………っ!」
アルティが肯定した瞬間、僕は天地が逆さまになったような錯覚に陥る。
きっと僕は、どこかでアルティという存在を信用しかけていた。
だから、それを裏切られたことに、予想以上のショックを受けている。
僕はショックのまま、『持ち物』から愛剣を抜きつつ、叫ぶ。
「そんな、アルティ……! どうして!? アルティはモンスターだけど……それでも、話し合えてた!! 理解し合えそうだと思ってたのに! 結局、おまえもティーダと一緒で敵なのか、アルティ!!」
叫びながら、アルティに詰め寄る。
その近づく僕を見て、アルティは顎で僕の後方を示した。
「ああ、ティーダと一緒さ。けど、迂闊に近づいても良いのかな?」
釣られて後ろを見るほど、僕は愚かではなかった。敵を前にして、余所見をするなど論外だ。しかし、自分の魔法の特性上、後ろを片手間で確認できてしまう。
そして、後方で起きた惨事に、僕は息を詰まらせる。
「使徒シス、あんたは少し余計だな――」
そう言って、パリンクロンは魔法の詠唱をしているディアの胴体を、下から剣で斬り上げた。
鮮血が舞い、ラスティアラとレイディアントさんを赤く染める。
おそらく、ディアは戦意を見せたアルティに対し、魔法を放とうと準備していたのだろう。それを見た隣のパリンクロンが、無防備のディアを斬ったのだ。その斬撃は腰から肩まで深く斬り裂いた。
立ち位置が悪かった。
そして、なにより関係性が悪かった。
この中でディアだけがパリンクロンを詳しく知らなかった。あの混沌とした性格を知らず、全く警戒していなかった。
さらにパリンクロンは返す刃で、ディアを攻撃しようとする。
このままではディアが死んでしまう。
すぐに僕は方向転換して、後ろに戻ろうとするが――間に合わない。
だが、その凶刃は近くにいたハインさんの剣が防いでくれた。レイディアントさんは、ディアとラスティアラを乗せて、大きく跳び離れる。二人の安全を優先したようだ。
ただ、ハインさんは疲れきった身体を酷使し、無茶な態勢で割り込んだためか、パリンクロンの剣の衝撃で身体が泳いでしまっていた。その隙を見たパリンクロンは、容赦なく剣を横に振り抜いた。ハインさんの身体を、凶刃が斬り裂く。
「――っ!!」
ハインさんは横腹が斬り裂かれながら、パリンクロンを蹴り飛ばして距離を取る。
そこでようやく、僕は後方に戻り、パリンクロンとハインさんの間で剣を構える。
「パリンクロン! おまえぇっ!!」
「ふふっ、キリストの兄さんの相手は俺じゃないぜ。聞こえてなかったのかな。いまから、兄さんはそこの
パリンクロンは必死な僕を笑う。
その直後、アルティから炎の矢が放たれた。
それを僕は身を捻って、かわす。
視線の先には戦意に満ちたアルティ。そして、狂気に満ちたマリアが、僕を視界に捉えている。
いまの状況を僕は冷静に、迅速に分析していく。
はっきりとした敵はアルティとパリンクロン。
おそらく、操られたマリアも相手になる可能性は高い。
対して、こちらは五人。
しかし、そのほとんどが疲労困憊。もしくは、重傷。
ラスティアラは儀式の影響でMPは残り少なく、体調は最悪。満足に動けないだろう。
ディアは先の攻撃で、出血多量の上、意識が遠のいている。隣でラスティアラが力を振り絞って回復魔法を唱えてくれているが、魔法の光は弱々しく、効果は芳しくない。
ハインさんもこれ以上は戦えない。今日、最も戦闘を重ねたのは間違いなくハインさんだ。パリンクロンに腹を斬られ、限界が近いと見てとれる。
レイディアントさんだけは深刻なダメージは負っていない。僕に裂かれた手足は回復を終えている。『持ち物』から剣を貸せば、戦力になる。しかし、そうすると、背中に乗っている二人が無防備になってしまう。
なら――
僕は状況を分析し終え、声を張り上げる。
「レイディアントさん、二人を連れて先に逃げてください! ラスティアラはそのままディアをお願い! ハインさんはそれについていって護衛を! ここは僕一人で大丈夫です!! ここは僕の問題です!!」
ディアとラスティアラにもしものことがあれば、全てが台無しだ。とりあえず、二人を遠ざけることを優先する。
「なっ――!? キリスト、私は戦う!!」
ディアに回復魔法をかけながら、ラスティアラは叫んだ。しかし、叫んだあと、すぐに頭を抑えてふらつく。どう見ても、満足に戦えるとは思えない。いるだけで邪魔だ。正直、パリンクロンに人質にでも取られたら、最悪な状態になる。
ハインさんは苦虫を潰した表情で、パリンクロンを睨みながらレイディアントさんのほうに無言で駆け出す。
レイディアントさんも状況を僕と同じように分析したのだろう。狼の鋭い目で僕の目を射抜き、その
「セラッ! 待て、キリストを置いて行くな! セラァア――!!」
そのラスティアラの制止を聞かず、レイディアントさんは皆を連れて、この場を去っていった。
そして、敵に挟まれた僕だけが残る。
それを見たパリンクロンは感心した様子見せる。
「早い判断だ。限りなく正解に近い。……アルティの姐さん、俺はあの四人を追いかけるが、大丈夫だよな? 俺じゃないとヴァルトの兵を動かせない」
「ああ、そうしてくれていい」
「それじゃあ、行ってくるぜ――」
パリンクロンは言葉通り、駆け出そうとして――それをアルティは名前を呼んで止める。
「――パリンクロン」
「ん、んん、なんだい? アルティの姐さん。急がないと見失っちまう」
パリンクロンは立ち止まって、レイディアントさんたちが去った方角を指差す。
それに対し、ゆっくりとアルティは目を閉じた。
「パリンクロン、あなたの人生に祝福を……」
そして、教会の修道女のように、祈りを捧げた。
「は、はあ? らしくないぜ、姐さん。祝福ぅ?」
僕は突然祈りだしたアルティに戸惑った。
しかし、パリンクロンは僕以上に困惑している。
「ただの人であるあなたに使命を押し付けた情けない
困惑する僕たちを置いて、アルティは祈った。
状況に似つかわしくない祈りは、数瞬ほど、この場を静寂に包んだ。
「ははっ。俺は俺のやりたいことをやっているだけさ……」
そうパリンクロンが言葉を返したことで、静寂は終わった。
そのまま、パリンクロンは振り返らずに駆け出し、それをアルティは無表情で見送った。
こうして、場に残ったのはアルティと僕。
それと、虚ろな目で俯いたマリア。三人だけとなった。
それをアルティも確認して、指を鳴らす。
同時に燃え盛る火炎の勢いが増し、丘のいたるところに飛び火し、丘は炎に包まれていく。それは迷宮10層の様相そのものだった。アルティが「ここが10層」と言ったのも頷けるほどの火炎が、僕たちを取り囲む。
「それじゃあ、始めよう……。そして、私の悲願を叶えよう……」
アルティは神妙な顔つきで、そう呟いた。
僕は二人を『注視』し、その始まりに備える。
【十守護者】火の理を盗むもの
【ステータス】
名前:マリア HP107/122 MP855/132+723 クラス:奴隷
レベル10
筋力4.48 体力4.02 技量2.96 速さ2.37 賢さ3.97 魔力6.89+34.23 素質1.52
状態:精神汚染1.98 混乱3.42 記憶障害0.78
先天スキル:炯眼1.50
後天スキル:狩り0.68 料理1.08 火炎魔法1.52+2.00
並行して、周囲の情報も収得していく。
炎に囲まれ、逃げ場がないことを確認する。
できれば、マリアだけを連れてレイディアントさんに追いつきたいところだ。しかし、目の前の
僕は敵であるアルティを睨みつけ、最後の確認をとる。
「アルティ、これがおまえの望みだったのか……?」
「ああ。ここが、これが私の悲願だ……」
そう言ってアルティは両手を広げる。
この状況。この惨状が悲願。ということは――
「僕を殺すことが、悲願だったってわけか……。『恋の成就』なんて嘘っぱちで、ずっと僕を騙していたんだな……!」
「いや、『恋の成就』は嘘じゃない。騙していたつもりはないよ。もしマリアちゃんの恋が叶えば、間違いなく私は力を失い、消えていく」
アルティと僕は淡々と受け答えをする。
「――ゆえに、どう転ぼうと。今日、ここで、私は消えるだろうね」
その最後、アルティは自分が死ぬことを淡々と告げた。
僕は動揺を隠せず、ありのままの疑問をぶつける。
「……っ!? おまえが何をしたいのか、何を言いたいのかわからない……。僕にどうして欲しいんだ……!!」
死ぬことを厭わない人型のモンスターを前に、腹が立ってしょうがない。
「『恋の成就』。マリアちゃんの『悲恋』を叶えさせて欲しい」
「『悲恋』だって……?」
アルティは恋を『悲恋』と言いなおした。
その差がわからず、聞き返してしまう。
「マリアちゃんの恋は『悲恋』だ……。悲しい終わりが決定している恋だ。私たちの『目』には、それがわかってしまう。それを叶えたい。叶えないと、死んでも死に切れない」
「だから、わからない……! 僕はおまえの言っていることが、わからない……!!」
「恋に破れたから、身を引く? 希望のない恋だから、諦める? ありえない。恋とはそういうものではない。恋とは、もっとどうしようもなくて、気が狂いそうになるものだ。届かなければ生きていても意味がない。だから、心中したい。殺してでも奪い取ってやりたい。手段を選んでいられない。正気でいられない。それが、それだけが、悲恋こそが……本当の恋だ!」
およそ普通でない愛を、真理のようにアルティは言い切った。
それを語るアルティの表情は変わっていた。ここにきて無表情は崩れ、自分の内にある熱情を吐き出すかのように顔を歪ませている。
その気迫に一歩だけ後ずさる。
後退した僕に、アルティは言葉を続ける。
「マリアちゃんは『悲恋』を成就させる資格がある。誰よりも……」
アルティはマリアの頭を撫でながら、表情を穏やかなものへと変える。
その撫でる所作の全てが、マリアを慈しんでいた。
間違いなく、アルティは誰よりも――僕よりも、マリアを思いやっている。それが見て取れた。
アルティは表情を真剣なものに変えて、こちらを睨む。
「だから、キリスト。君は今日、ここで、マリアのものになるんだ。たとえ、それが共に死ぬことで永遠とするものでも……私は喜んでそれを成就させてみせる! そして、私も消える。ここで私たち三人が死ぬとしても、私はそれでいい……!!」
はっきりと、アルティは告げた。
僕をマリアのものにする。
それが目的であり、『試練』。
そのために、この舞台を整えたと。
そう、はっきりと告げた。
「そんな、
僕は認めたくなかった。
アルティの目的も、その手段も、舞台も、全て認めたくなかった。
いまの僕は、何かの都合で心を弄ぶことを何よりも許せない。アルティのやろうとしている手段は、まさしくそれだ。
「そんなこと……? そうだ、
アルティは炎を猛々しく燃え盛らせ、身の内の感情を表現する。
「そんな勝手なことに!! マリアを巻き込むな! 一人で解決しろ! そんなことで、人の心をおかしくしていい理由にはならない!」
しかし、アルティの身の内にどんな感情が潜んでいようと、マリアには関係ない。
感情の始末をマリアにさせようとするアルティを、僕は絶対に認めるわけにはいかない。
マリアを見る。
そこには虚ろな目を地面に向け、呟くマリアがいる。
スキル『???』のように、心を弄るという行為だけは許せない……!!
「私はマリアの心を、正直にしてあげただけだ……。これが真実。本当の望みを、本当の恋の炎を教えてあげただけっ! これが正しい姿だ!!」
「それをおかしくしたって言うんだよ! 人が
もはや、話し合いは終わっている。
ただの口喧嘩だ。
お互いを否定しながら、アルティも僕も、身の内の感情を魔力に変えて、魔法を構築している。
戦いは避けられないと、お互いにわかっていた。
先に魔法を完成させたのは僕だった。
剣を突きつけながら、魔法を放つ。
ラスティアラ奪還の際でも出し惜しんだ、全力中の全力。
真なる魔法の冬。
炎の丘全てに冬を展開させ、剣の届く範囲は次元魔法を展開する。
魔法の二重円が構築され、炎の荒れ狂う丘に魔力の雪が降る。
炎の世界に、冬の世界が重なる――
「やっぱり……、
対し、アルティはその手から溢れる穏やかな魔法で、マリアを包み始める。
赤とも黄とも青とも似つかない、幻想的に輝く炎の柱が二人の頭上に昇る。昇った炎は空で散り、炎の雪を降らせた。
「キリスト、君は私に過去を思い出させるんだよ! 過去を! その面影が、かつてを思い出させる! 君を倒して、やっと
重なる世界で、赤と白の
酷似していた。
お互いの秘奥は、奇しくも同じ類の魔法だった。
その理由はわからない。偶然ではすまない一致だが、いまはそれを考えている場合ではない。
アルティの特殊な魔法を、その熱の波動から感じ取り、僕は警戒を強める。
無論、ずっと魔法《
「さあ、起きて……。マリアちゃん。もう少しで、恋は叶う。幸せになれる」
アルティはマリアの耳元で囁く。
ゆっくりとマリアは俯いた顔を持ち上げ、こちらを見つめる。虚ろな目だ。奴隷だった頃より酷い。何もかもに絶望した目をしている。
そこに落とした張本人であろうアルティを睨む。
アルティも狂気の炎を燃やして、僕を睨み返し、呟く。
「いくぞ、
「知るか、
それを合図に、僕は駆け出す。
いま。
炎の理を盗むものによる『第十の試練』が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます