264.エピローグ後編

 アイドとティティーを見送った後、僕は拙いながらも神聖魔法を使ってディアを治療する。だが、かつて自分にかかっていたのと同じ状態異常『認識阻害』は解除できたものの、一番の問題だったディアのスキル『過捕護』は解除されなかった。


 シスさえいなければ簡単に解除できるかと思ったが、思った以上に根が深かった。状態異常ではなく身につけたスキルであるというのが厄介なのだ。

 スキルとは、その人の才能を現したもの――いわば、その人の人生であり魂とも言える。やろうと思えば《ディスタンスミュート》で抽出できる自信はあったが、それのもたらす副作用がわからないために断念する。


 だが、構わないと思った。

 そもそも魔法で簡単に解決していいものではない。

 それよりも、もっと素晴らしい解決法を、いま見たばかりだ。


 あの姉弟に倣って、僕たちも言葉を交わし、一つずつ間違いを確認していく。


「――それで、その時々出る『私』ってのが本当のディアなのか……?」


 王都の中央、決闘の跡地にできた花畑の上で僕たちは話す。


「あれは……余裕のないときの俺だな。追い詰められると素が出て、『私』って言っちゃうんだ。はは、変だろ?」

「『私』が素ってことは、いまの口調は演技ってことか……? 苦しいようなら、すぐにでもやめて――」

「いや、違うんだ。これは別に無理して演技してるわけじゃないんだ。ただ、この剣士を目指す『俺』も、素の『私』も、どちらも『ディアブロ・シス』ってだけで……」


 その悩みは、つい先ほどアイドと交わした話と似ていた。

 なかったことにしたい『自分』から逃げ続けたアイド。もし彼と同じ運命を辿りそうならば、僕は絶対に止めないといけない。だが、その危惧はディア自身が打ち消してくれる。


「心配するな、カナミ。さっきのアイドたちの最期は俺も見た。昔の『自分』をなかったことにしようなんて思ってない」


 どうやら、その様子から使徒シスであったときの記憶もあるようだ。

 つい先ほど大往生した守護者ガーディアンの姿から学び、同じ間違いは繰り返さないと言った。


「ただ、いまの『俺』をなかったことにもしない。いまでも俺は『剣士』には憧れてるし、心から『俺』でいたいって思ってる。この夢は絶対に間違いじゃないって思ってる。きっと間違っていたのは……使徒シスであるという責務。あれだけが、俺の背負うべきものじゃなかったんだろうな……」


 簡単に言えば、ティティーにとっての『庭師』が、ディアにとっての『剣士』なのだろう。そして、ティティーにとっての『統べる王ロード』が、ディアにとっての『使徒』に当たる。

 その答えを前に、僕から訂正を入れるところは一つもなかった。


「わかった。両方とも、ディアなんだな……。なら、このままでいこうか」


 『俺』と言ったときも、『私』と言ったときも、変わらずディア――ただ、もしも、ありもしない使徒としての責任を抱え込みそうならば、そのときだけは口を出そう。

 そう思っていると、目の前のディアはおずおずと不安げに補足を入れてくる。


「わかってくれて、ありがとうな……。たださ、ちょっとだけお願いがあるんだ……。『私』が出てるときって、やっぱり変になってるときだって自分でも思うんだ。でも、それはちょっと弱ってるだけから……。だからさ、カナミ……。もし俺が『私』って口にしたときは……その、できればでいいから少しだけ優しくしてやってくれないか……?」


 その要求に、少しだけ僕は驚く。

 思えば、ディアが僕に真正面からお願いするのはこれが初めてだ。

 今日まで彼女は、僕の迷惑にならないようにと必死に自分を抑えてきた。何も欲しがらないばかりか、ずっと僕や仲間の指示に従っていただけだった。いまそれが解放されたのだとわかり、心の距離が縮まってきている気がした。


「……駄目か?」


 その小さな背丈のせいか、自然と僕を見上げるような格好となる。さらに、その隻腕を動かして、手を握ったり開いたりしていた。魔法やスキルを使わなくても、その不安の大きさが伝わってくる。

 いまディアは勇気を出して何か大切なものを掴もうとしている。それがわかった。


「当然だ。僕たちは仲間だ、ディア。僕に出来ることならなんでもする」


 その握るものを探し続けているディアの手を、僕は握る。

 すると、ディアは眉をひそめてから、微笑んだ。


 ようやく、探していたものを掴むことができた……けれど、それに頼っている自分が少し情けない。そんな様子だ。

 しかし、その情けなさから目を逸らすことなく、ディアは僕に告白していく。ぽつりぽつりと一年前の内情を話していく。


「カナミ……。一年前さ……、実はずっと不安だったんだ……。使徒のやつの記憶が戻ってくるのが怖かった。まるで自分がもう一人生まれるかのようで……。今日までの自分が否定されるかのようで……。本当に怖かった……」


 呟く途中、ディアは額を僕の胸に押し当てた。

 目を合わせて話すのは恥ずかしいのだろう。けれど、離れるのは嫌だから、そうするしかないようだ。

 そのディアの頭の上に手を置いて、僕は話を聞いていく。


「でも、誰にも打ち明けることもできなくて……。いつも一人で悩み続けるしかなくて、苦しかった。本当に苦しかった……」

「うん」


 その怖さと苦しさが、僕にも少しだけわかる。

 パリンクロンのやつのせいで、似た状況に陥っていた。


「本当の自分がどっちなのかわからなかった……。シスが本当の自分なのかと思うと、一睡もできない日もあった……。眠れない夜が続いて、辛かった……」

「ごめん。僕は自分のことばかりで、それに気づけなかった」


 その兆候は間違いなくあった。

 僕に助けを求める素振りもあった。

 おそらく、ハイリとマリアあたりは気づいていたはずだ。僕よりディアと付き合いの短い二人が気づいていたのに、僕は気づけなかった。その事実が、ただただ悔やまれる。


「カナミの妹を壊したのが千年前の俺かもしれないって知ったとき、もう俺はカナミの隣にいられなかった。会わせる顔なんてあるわけなくて……でも、どうにか贖罪できないかって思って……逃げ出したんだ。逃げても意味なんてないってわかってても、怖くて逃げたんだ。俺は……――」


 僕だけでなく、ディアも悔やんでいた。

 一年前と違い、一人ではなく二人で後悔していく。

 それだけで不思議と心の重さが違う気がした。


「当然、その逃げた先で、俺は居場所を失った。頭の中にいるシスのやつを認めてしまって、俺は『俺』でなくなって、『私』ですらもなくなった。もう自分が誰かわからなくて、頭の中が滅茶苦茶で……何が何だかわからなくなって……ずっとずっと、暗い道を歩く夢を見ていたような気がする……」


 一人だと心は弱るものだ。

 そして、それは一人ぼっちになるまで気づきにくい。

 そこを使徒シスに突かれたようだ。


 僕がシスのやつに憤りを感じていると、少しだけ明るい声が発せられる。


「でも、戻れた。カナミのおかげで、やっと戻れた。カナミが俺の名前を呼んでくれたおかげだ。ほんとにありがとな……」


 ディアは僕の胸に当てていた額を離し、伏せていた顔をあげた。

 そして、とても懐かしい笑顔を見せてくれた。


 それは僕と一緒に迷宮探索をしていたとき、共に戦い共に喜んでいたときと同じ笑顔だ。

 あのとき呼ばれていた名前を思い出し、僕も笑顔で答える。


「ディア、もう僕のことは『カナミ』じゃなくて『キリスト』って呼んでいいよ。連合国では『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』なんて呼ばれてるからね。もうなんて呼ばれても気にしないよ」


 冗談を交えて、どちらでもいいと言った。


「ははっ。そういえば、そんな名前も広まってたな。それじゃあ、遠慮なく好きに呼ばせてもらおうかな。……だって、名前や立場なんて重要じゃない。重要なのは、俺は俺で――」

「僕は僕としてここにいる。それが一番大事なことだからね」


 こうして、二人で後悔の答え合わせを終える。

 もう僕たちにとって名前は重要ではなかった。ちょっと恥ずかしい台詞だったが、二人ならば笑って示し合わすことができた。


「ああ、それだけでよかったんだ。二人がここにいる……それだけ、もう、よかったんだ……」


 そして、笑顔のディアの両目から涙が滲み始める。

 ずっと堪えていたものが溢れてきているのだろう。

 ディアは涙を僕に見せたくないのか、ぎゅっと腰に抱きついてきた。また、その額を僕の胸に当てて、強く強く抱きしめてくる。


「この一年でわかった。シスと俺は別ものだ……。いや、そもそも全く同じやつなんていない。当たり前だ。同じ魂なんて、この世界にはないんだから……」


 そのディアの独白を、彼女の後頭部を撫でながら聞く。


「ああ、心も身体も軽くなってく気がする……。もう何も怖くない……」


 本当によかった。

 ディアが自分に正直になってくれたおかげで、僕も心が軽くなっていく気がする。陽滝と共にディアが帰ってきたことで、この異世界の悩みの大半が消えた。


 自分が長い戦いの末に得たもの――ディアを、胸の中でしっかりと抱きしめる。

 それに合わせて、彼女も抱きしめる力を強くしていく。

 もう二度と離さないとでも言うかのように、どこまでも強く……。


 その遠慮のない力強さは、いままでのディアになかったものだ。

 やっと心から通じ合えるようになった。身体だけでなく、魔力も絡み合い、心が重なっていくような錯覚さえしてくる。


 その錯覚の中、何にも代え難い安らかな時間が過ぎていき――その途中で、僕は違和感に気づく。


 というか、急にスキル『感応』が警告音を鳴らし始めた。

 今日一度も鳴らなかった生存本能が、けたたましく僕に「危険」と叫んでいる。


「え、え? ちょ、ちょっと待って、ディア――」


 危険を感じ、焦り、ディアから離れようとする。


 ――が、全く動かない。


 まるで石の中に閉じこまれたかのように、身体が微動だにしない。

 それどころか息さえもできなくなっている。さらに正体不明の圧力によって、肺が圧迫され肋骨が軋んだ。今にも罅が入りそうだ。


「ま、待っ――息が、でき――!?」


 とうとう発声さえも封じられる。

 すぐに僕は無詠唱で《ディメンション》を展開して、状況の原因を解析する。


 いま僕に襲い掛かっている異常――その正体は間違いなく、ディアの魔力だ。

 興奮したディアの魔力によって包まれ、それが物理的な力となって僕を捕まえている・・・・・・。濃すぎる魔力が巨大な手となって、僕を握っているのだ。


 切り札を発動させる状況があると判断し、また無詠唱で魔法を唱え、《ディスタンスミュート》を全身に展開する。


「――っ! ぷはぁ!!」


 ディアの魔力の属性と性質を理解し、そこから次元をずらすことで、なんとかすり抜ける。


 顔を真っ青にした僕が離れたことで、ようやくディアの魔力が和らぐ。

 興奮しすぎて魔力が固く強張っていたことに気づき、慌てて謝罪する。


「あ、あぁっ! ごめん、カナミ! その、体が勝手に……!!」


 おそらく、まだ解除できていないスキル『過捕護』の効果だろう。副作用として、無意識に僕を捕まえたくなるのだ。

 それもレベル59という強さを考えずに、全力で相手を捕まえようとする。


 他の人なら問題だが、スキル『感応』で事前に危険を察知できる僕相手なら、さほど問題ではない。《ディスタンスミュート》があるおかげで、不意を打たれない限り死ぬこともない。そして、この程度の負傷ならば、アイド戦で培った回復魔法でなんとかなる。


「はは。いや、このくらいなら慣れてるからいいよ。全然気にしてない」


 罅の入った肋骨に、回復魔法を当てながら笑顔で答える。

 いまの僕は他属性の魔法を拙いながらも扱える。大きな魔法になると《ディスタンスミュート》を胸に刺して魂を弄らなければならないが、基礎魔法程度ならば問題ない。


「慣れてる……のか?」

「嘘じゃないよ。骨の一本や二本折れても、いまの僕なら簡単に自分で治せるからね。これぐらいなら……子犬がじゃれついてるくらいだよ」


 暗に可愛いものだと言って安心させようとする。

 別に強がりでもなんでもなく、本気でそう思っている。

 痛みに対する耐性は、嫌と言うほどついている。異世界に来たことで基本的な身体の丈夫さも上がっている。このくらいの負傷ならば、魔法の練習に丁度いいだろう。


「で、でも、痛みはそのままだろ……? ごめん、すぐに抑える」


 慣れたものだったが、優しいディアは慌てて漏れでた魔力を身のうちに戻し、体内で凝縮させる。それを《ディメンション》で把握し、一年前との違いを口にする。


「最初と比べると、本当に魔力の扱いが上手くなったなあ……」

「アルティ師匠と……悔しいけどシスのやつのおかげだな。もう出力を間違えることは……焦らない限り、ないと思う」


 自分の性格がよくわかってきているようで「焦らない限り」と付け加えた。しかし、間違いなく魔力の制御は格段に上手くなっている。


 この一年、伝説の使徒から魔法の手本を間近で見せてもらっていたようなものだ。よく考えれば、その上でレベル上げもしてくれたのだから、少しだけあいつに感謝しておこうと思う。本当に少しだけ。


「あ、もちろん、ここまで強くなれたのはカナミのおかげでもあるぞ! 最初、カナミがいてくれたから強くなれたんだ! 本当にありがとうな!!」


 自分の師の中には僕も入っているとディアは言ってくれた。そして、離れていた僕の右手を握って、光が溢れていると見紛うほどの笑顔を見せてくれる。

 正直、僕の周囲には珍しいタイプの笑顔だった。その屈託のない純粋な笑顔に見蕩れかける。


「これからも俺は強くなるからさっ、期待してくれ! カナミに似合う仲間になれるように、精いっぱい頑張る! で、俺と一緒にもっともっと冒険しようぜ!!」


 ぎゅっと僕の手を握って離さない。

 レベル59になってステータスの筋力が跳ね上がっているせいか、また骨に罅が入りそうだったが、その眩しい笑顔を見るとそれも許してしまいそうになる。


 僕とディアは笑顔で握手を続け――話の終わりを察したスノウが、後ろから近づいてくる。


「よーし、終わりかな? なんか凄くいい話だったような? じゃあ次っ、次私も! 私もぎゅっと抱きしめて! カナミ!!」

「え、なんで……?」


 そして、なぜか調子に乗った提案をしてきたので、首を傾げる。


「あれえ!? なんか対応が違わない!?」 

「そりゃあ、ディアとおまえじゃな……」

「酷い! でも今回私も頑張ったよ! かーなーりー頑張ったよ!?」


 必死になってスノウは両手をぶんぶんと回して主張してきたが、それはディアが一刀両断する。


「頑張ったか? 俺と戦ってたときはよかったけど、ヒタキと戦いだした途端、駄目駄目だったじゃんか。スノウ」

「げ、覚えてるの!? あ、あれは、その、守護者ガーディアン相手だとどうしても怖くて……」

「使徒は大丈夫で、守護者ガーディアンは駄目なのか? でも一年前、アイド相手のときは平気だったろ?」

「いや、あのときは責任感があったし……。そんなにアイドは怖くなかったし……。今回はカナミとティティーお姉ちゃんがいたから、ちょっと気が緩んじゃってたというか何と申しますか……」

「んー、そういうところあるよな。スノウ」


 ここにきてディアもスノウの厄介な本質に気づいてきたようだ。

 改善の機会は逃すまいと、僕も同調する。


「ああ、スノウの一番駄目なところだ。自分が本気出さなくても誰かが代わりにやってくれると思ったら、途端に手を抜きだす」

「スノウ、今回駄目駄目だった俺が言えることじゃないかもしれないが……どんなときも全力を出さないと駄目だぞ?」


 僕とディアは手を繋いだまま、スノウを叱責する。

 そのコンビネーションにスノウは、手を口に当ててあわわと震えだす。


「あ、あれぇ……? もしかして、お説教が始まってる……? こ、これは危うい展開っ! ラスティアラ様もマリアちゃんもいないから、まだ甘えられるって思ったけど、そうでもない!?」

「そうやって、常に甘える相手を探してるから駄目なんだって……。はあ……」


 僕とディアは苦笑の混じった溜め息をつく。ただ、それがスノウの短所であるのはわかっているが、スノウのらしさ・・・であるのもわかっているので、本気で追い詰めたりはしない。


 互いに互いの短所を理解し、それを補い合う。

 ここに来て僕たちのパーティーは、『本当のパーティー』に近づいてきている。

 それを確認した僕は、気を取り直して次に向かって動き出す。


「よし、スノウの反省会も終わったし、そろそろルージュちゃんを迎えに行こうか。城の中にいると思うから、僕が一人で走って行って来るよ」


 真剣な戦いが終わったあとのちょっとした冗談が終わったところで、僕はディアの手を離して、大木と化した城に向かって歩き出す。

 この後、僕はルージュちゃんからアイドにヴィアイシアを託されたことを聞き、その解決策としてクウネルを迎えることになるのだ――



◆◆◆◆◆



 ――そして、一週間後。

 いまに至り、ディアは笑顔で僕の帰りを迎えてくれるようになった。


 とはいえ全ての問題が解決したとは言えない。

 まだスキル『過捕護』の厄介な効果は残ったままで、ディアが『キリスト』と認識している僕と陽滝の二人のどちらかから遠く離れてしまうと、酷く不安定になるのだ。


 一度、ディアを客室に残し、僕が陽滝を連れ出したとき、スノウが黒焦げになった。精神の乱れと共に魔力が暴走し、それをスノウが身体を張って止めたのだ。


 一週間前はスノウをからかった僕とディアだが、本当のところでは深く感謝している。ただ、それを口にするとスノウは際限なく調子に乗るので、褒めにくいのが難点だ。


「――カナミ。ここでやることが終わったなら、次はどこに行くんだ?」


 僕が一週間前を思い出し終えたところで、ディアは目を輝かせて聞いてきた。さらに、光の魔力で固めた腕を剣士のように振る。


「俺は剣を振るえるならどこでもいいぞ。そっちで決めてくれ。この数日、スノウとはいい勝負だったから、早く試してみたいんだ」

「え? 剣の勝負は、私の圧勝の全勝……」

「いい勝負だったろ!」

「はい! いい勝負でした!」


 ぷくっと頬を膨らませるディアに、びしっと敬礼するスノウだった。


 どうやら、ディアは剣を使っての冒険がしたいらしい。

 この一週間、時間を見つけては二人で『剣術』の練習をしていたのを僕は知っている。ディアは自分の趣味だが、スノウはティティーの教えを守っての特訓だ。


 ちなみに、ディアには『クレセントペクトラズリの直剣』を使ってもらっている。スノウはティティーから譲り受けた『始祖と魔王の魔剣ブレイブフローライト』だ。


「ごめん、ディア。目的地を決める前に試したいことがあるんだ。これの結果によって、結構変わるからね」


 早く剣を試したいのはわかるが、それよりも大事なことがある。それは冒険する上で、最も大事なことだろう。

 僕は『持ち物』から、数日前に城の工房で作ったアクセサリを取り出して、スノウに手渡そうとする。


「ペンダント……? え、もしかして、それ……」

「ティティーの魔石だね。これはスノウに持ってて欲しい」

「やっぱりお姉ちゃん? うわー、お姉ちゃんペンダントになってるー」


 正確には、アイドとティティーの二人だ。濃い緑と薄い翠の魅力を上手く活かした渾身の一品である。



【首飾り『白翠の理』】

 守護者アイド・ティティーの魔力の結晶をあしらった首飾り


 

「ちょっとつけてみて。あと助けてーって強く祈ってみて」

「うん、わかった。むむむ……ティティーお姉ちゃん、お願いー」


 スノウはペンダントを首に下げて、唸りだす。それに合わせて、僕は《ディメンション》を強める。


 身体に変化が現れたのはすぐだった。一年前の彼女の柔肌にはなかった竜の鱗が、『魔力』の粒子に変わって、スノウの身体に呑みこまれていく。


「おっ、おお? 肩のとこの変なやつが元に戻ったー! 生まれた頃まで戻ってくー!」

「使徒のやつ、やっぱり嘘ついていなかったんだな。はあ、本当に不器用なやつだ」


 スノウのレベルの上げすぎによって起きていた身体の異変が回復した。全て、使徒が教えてくれた通りだ。

 あの決闘前の和平交渉で晒した情報が本物であるとわかり、使徒シスの人柄の極端さに僕は溜め息をつく。


「スノウは二人のペンダントを持っててくれ。レベルの限界値は30って聞いてたけど、『理を盗むもの』の魔石があれば倍に伸びるらしい」


 この世界のレベルの限界ラインがはっきりと見えてきた。

 レベル20前後から人間の枠組みから外れ出し、レベル30から人間でなくなっていくのだろう。おそらく、魔石一個で限界値が三十ほど伸びる。


「なあ、カナミ。俺は何も持ってないけど、レベル高いぞ?」


 そこでディアが質問をはさむ。


「ディアは使徒だから身体が特別なんだと思う。シスがそれっぽいこと言ってたし」

「そうなのか。シスのやつがそう言ったなら、そうなんだろうな」


 ディアもシスの評価は、僕と同じなのだろう。使徒シスは嘘をつける性格ではなかったから、間違いないと判断した。

 

「シスの性格はアレだったけど、こう考えるとあいつから譲り受けた情報や力は多いな……」


 陽滝とディアのレベル59が一番わかりやすい例だろう。ここまでレベルを上げるとなると、本来ならばもっと時間がかかったはずだ。

 それにスノウも頷いて同調する。ただ、彼女は僕と違って、喜びでなく不満ゆえだった。


「そうだね。正直、いま本気で戦ったら、ディアが一番強いかも……。昔は私が『最強』だったのに……、徐々に力関係が……。ああ、でも特訓はしたくない……」


 せっかくレベル上限キャップを上げたのに、本人がこれでは意味がない。

 堂々とさぼり宣言するスノウの頭を小突きながら、次の話に移っていく。


「これで心配事が一つなくなった。それじゃあ、これからどうするかなんだけど……」


 シスの言っていたことは間違っていなかった。つまり、陽滝についても十中八九嘘はついていないと思っていいだろう。


 ちらりと目を、ディアのすぐ隣に座る陽滝へ向ける。アイドのおかげで『統べる王ロード』としての『呪い』は消え、もう誰にも攻撃はしなくなり、とても静かなものだ。

 

 しかし、まだ陽滝は眠りから覚めない。

 夢遊病のように反応はするものの、基本的には意識がない。兄である僕がどれだけ声をかけようとも、まるで『停止』しているかのように何の反応もない。


 この陽滝の目を覚まさせるにはどうすればいいか――


「方針としては、陽滝を起こすために迷宮の最深部を目指そうと思ってる。最深部には千年前の戦いの全てが『魔の毒』となって保管されているからね。迷宮内で無限に『想起収束ドロップ』できるほどの『魔の毒』だから、上手く利用すればだけど、本当に何でも叶うはずだよ」


 おそらく、シスの言っていた主の『代わり』という状態が、陽滝の病気が治る条件のはずだ。だからこそ、千年前の僕は使徒シスの『世界奉還陣』を受け継ぎ、迷宮を作った。


「いや、カナミ。ヒタキを起こすなら、使徒ディプラクラに会いに行くのもいいと思うぞ。シスのやつ、なんだかいつでもヒタキを起こせるみたいな口ぶりだったからな。同じ使徒なら何か知ってるんじゃないのか? アイドが封印したディプラクラは本土の大聖都フーズヤーズの世界樹の中にいるはずだから、そこへ同じ使徒である俺が行けば、間違いなくディプラクラの声が聞けると思うぞ」


 ディアは積極的に意見を出す。

 それは受け身なスノウと違う個性なので、とても助かる。


「確かに、本土のフーズヤーズに行って使徒ディプラクラと会ってみるのも悪くないね……。何より、南にはマリアがいるし……。よし、もう決まりだな」


 やはり、マリアは直接迎えに行くのが一番だろう。

 マリアとディプラクラと会って、それから迷宮のある連合国に戻って、パーティー全員が揃った状態で迷宮探索を再開する。これがベストのはずだ。


「本土の南かー。久しぶりだなー」


 緊張感の増す僕と対照的に、スノウは暢気なものだった。その観光気分を咎めるように、ディアが注意を促す。


「おまえ、総司令代理の途中退職についてなんか言われるんじゃないか? 俺と違って、円満退職じゃないだろ?」

「う……。そ、そのときはカナミに守ってもらうもん……」

「馬鹿か、おまえ。そのときは俺に言え。仲間は俺が守ってやる」

「お、おぉおお? ディア、ありがとうー! 流石ー! かっこいいー! 惚れるー!」

「いや、基本的には一人でやれよ? どうしても無理なときは、俺に頼れってだけで……」

「それでもありがとうありがとうありがとう! あ・り・が・とー!! いやあ、ほんとに最近はいいことばっかりー!!」


 スノウはディアに抱きついて、心の底から感激していた。彼女の人生の中、真っ向から守ってやるなんて言ってくれる人物は、そうそういなかっただろう。身体全てを使って、喜びを表現していた。


 それを僕が温かい目で見守っていると、客室にノックが鳴り、外から女の子の声が聞こえてくる。


「英雄様ー、お手紙が来てますよー」


 おそらく、城で働く『魔石人間ジュエルクルス』だろう。僕は部屋の中で絡み合う二人を置いて、部屋の外に出る。

 そして、まず呼び名について不満を漏らす。


「その英雄様ってやめてくれないかな……?」

「え、でもルージュが言ってますし」


 青い髪の『魔石人間ジュエルクルス』の少女は不思議そうな顔を見せた。


「ルージュちゃんめ……」


 あれだけ言ったのに、いつまでも直してくれない。

 それが敬意の表われとわかっていても納得できないものがある。現に、こうして色々と広まってしまっている。


「それよりも、手紙です。どうぞ」

「ありがとう。けど、誰から……――え?」


 僕は手紙を受け取り、裏に書かれていた差出人の名前に驚く。

 そして、すぐに手紙を広げて、中身を確認する。《ディメンション》で一気に読みきり、その内容に唖然とする。


 その手紙の中に書かれていたのは『救援』の要請だったのだ――

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