460.『マリア』・ディストラスの終着点


 浮遊感が――いや、墜落感が続く。


 もう僕は足場を得ることはないだろう。

 あの太陽と共に堕ちていく限り、二度と足をつけることはできない。


 視線を横に向けると、溶けてドロドロとなった足場が赤黒い雨となっていた。

 熱に耐え切れなったモンスターたちも魔石となり、キラキラと多彩な星が流れていく。


 全てが、あるがまま。

 少しずつ、『第百十の試練』の本質がわかってくる。


 全てが嘘じゃない。

 マリアは偽りなく、ずっと本当のことを言っている。最初から、ずっと――

 それを真正面から受け止めるべきだということも、僕は最初からずっと――


「マリア……。アルティ……」


 正解は、最初からわかっている。

 けれど、その選択肢を僕は取れない。


 これから僕は、儀式を完遂させて、『最深部』を支配し、『その先』へ行く。 

 『魔法カナミ』に支障は出せない。

 僕は現在いまでなく、未来を視て――いや、その未来の果てにいる『ラスティアラ』だけを視ているのだ。

 だから、魂の欠片さえも『忘却』できるはずがない。


「――マリア。僕は『ラスティアラ』と『幸せ』になると誓ったんだ。何をしてでも、何を捨てでも」


 堕ちつつ、そう呟いたのを、マリアは炎の感覚器官で聞いたと思う。


 不正解の一言を返した僕は、もう後戻りは出来ない。

 すぐに僕の中で隠れている同居人に声をかける。


「ノイ、出よう。いま、『計画』を最終段階の手前まで、前倒しする」


 返答はない。

 ぎりぎりまで出てこないというのはわかっているから、呼びかけ続けるしかなかった。


「『世界の主』ノイ・エル・リーベルール。姿を現して、僕と『親和』するんだ。こっちも共鳴魔法を使わなければ、何もかもが終わる可能性がある。あの炎からは、その未来が視える」


 しかし、まだ無言。


 彼女のトラウマが、表舞台に現れることを拒み続ける。


 気持ちが、僕にはわかる。

 誰よりもわかる。

 自分がいたって上手くいかないことばかり。

 全て『なかったこと』にしたい。そう僕も思っている。


「……いいのか? 忘れることになるんだぞ? 今日までの人生をアルティとマリアの炎ならば、本当に浄化することが出来る! 君は全てを忘れるわけにはいかないはずだ! 嫌なことだけを選んで、『なかったこと』にしたいんだろう!? 頑張った果てにある報酬ものを待ってたんだろう!? ずっと!!」


 本当は、ノイの人生を表舞台に出してはいけない。

 彼女の物語を秘匿するという『契約』を交わして、僕たちは協力し合っている。

 だが、いまだけは、その『契約』を一時的に翻すしかなかった。


「僕は君の味方だ。立てなくてもいい。ただ、僕を信じて、一緒に落ちてくれ……!」


 まだ無言は続く。

 僕の言葉はノイの心に届かず、揺るがなかった。


 ――おそらく、まだ飾ってあるからだ。


 という理由が自分でわかっているから、もう脚色を止める。

 飾ることのない本心を、腹の底から吐き出していく。


「ノイッ!! マリアは! マリアはなぁっ! 僕が出会ったきた誰よりも、強い! すごい! かっこいいんだ! 見ろっ、わかるだろ!? 出し惜しみで勝てるわけない! いいから、いますぐ寄越せ! おまえの最後の『術式』を!!」


 余りに情けない弱音を、僕は胸に手を当てて、叫んだ。


 そのとき、ドクンッと。

 鼓動が聞こえたような気がした。


 こうも真っ直ぐ叫んだのは、いつ以来だろうか?


 もう随分と昔に感じる。

 懐かしく、非常に慣れ親しく、紡ぎ易かった。

 そして、いまの一言は間違いなく、『執筆』じゃなくて、ただ必死の即興な演劇アドリブだった。


 だから、鼓動は鳴った。

 今度こそ、僕の胸から。


 落ちていく僕の腹部から、手が生え伸びる。

 水面から這い出るように、女性が長い髪をはためかせながら、上半身だけ姿を見せた。

 大人のラグネの姿を借りたままだが、それでも出てきてくれた。

 表舞台に出て、声を震わせながら、自分なりの台詞を読み上げていく。


「し、知っているさ……。彼女は強いし、すごいし、かっこいい。ずっとボクも、羨ましかった。ああいうかっこいい女性たちが……、いつもいつもだ! だから、君よりも知ってる! 出し惜しみで、勝てる相手じゃないってことくらい!」


 ノイは心底恐怖して、涙を浮かべて、落ちてくる巨大な『炯眼ひとみ』から目を逸らして、口を尖らせていた。


 だが、僕と同じく、決意もしてくれていた。


 僕に共に片手だけを前に――空から落ちてくる太陽に向かって、伸ばす。

 『計画』最終段階の儀式を、即興で始めてくれる。


「だから、ボクは逃げて、君に託すんだ……! この積年の弱音と恨み言を! ああっ、『なかったことになれ』『なかったことになれ』『なかったことになれ』と! ――次元魔法《ブラックシフト》ォオオ!!」


 僕たち二人の手の平から、膨らむ雲のような闇が溢れ出した。


 それは光の遮断によって、暗くするだけではない。

 濃過ぎる『魔の毒』の暗闇であり、形而上こころの認識をも拒む黒だ。


 渦巻く台風のような暗雲が、太陽の光と熱を全て遮ろうとしていた。

 地下に相応しくない明る過ぎる迷宮を、その黒色で元に戻そうとしていく。


 落ちながら、自分の最も得意な魔法よわねを紡ぎつつ、ノイは僕と『親和』していく。

 彼女のオリジナル次元魔法《ブラックシフト》の『術式』が、模倣ではなく完全な形で、僕の中に沁みこんでいく。


「カナミ君、この『術式』は好きに改良してもいい。ただ、この臆病者ボクに、切り札を一枚賭けさせたんだ。必ず、最上の未来を引き寄せろよ。あと気持ち悪いとかも思うなよ! ボクの『術式』は君と違って、じめったいんだ! 『未練』で、べとべとしてるんだ!」


 だらだらと文句と言い訳を重ねつつだが、いま、確かに先代の『次元の理を盗むもの』から秘伝の『術式』が譲渡された。


「ありがとう、ノイ。あと思うわけないだろ。たとえ君でも、いまの僕の陰湿さには負ける」


 僕に負けると言われたとき、ノイは身体の震えを小さくした。


 長らく『世界の主』だった彼女は、誰よりも立派でいなければならなかった。上の次元にいる存在ものとして、ずっと失敗は許されなかった。しかし、いま、ちゃんと敗北できている自分に『安心』して、全てを僕に委ねていく。セルドラと同じく、彼女も身を流れに任せ切っていく。


 そして、託された僕が、流れの主導権を握り、『執筆』していく。

 相川渦波が、彼女の弱音の続きを綴り、加筆し、詠む。


「――ああ、『なかったことにする・・』。『なかったことにする』『なかったことにする』――」


 受け取った『術式』のままに使えば、物事の表面上を黒ペンで塗り潰すだけの魔法だ。


 必要なのは、その上の次元。

 ノイに踏み出せないところまで進むのが、この相川渦波の役目。


 『なかったことになれ・・』と願うのではなく。

 本当に『なかったことにする・・』のが僕。


 ――人生全てを懸けて、『ラスティアラ』『以外は何も要らない』『絶対に・・・なかったことにする・・・・・・・・・』という覚悟を持って、その魔法を昇華させていく。


 物質的な形而下だけでなく、精神的な形而上さえも覆う邪悪な積雲が膨らんだ。

 体積を増やしつつ、少しずつ紫色も加えていく。


 その紫黒しこくの暗雲は、いままでの《ブラックシフト》とは全くの別物だった。

 認識を阻害するだけではなく、本当に『なかったこと』にする為の魔法の塗り潰し。


 今回ならば、太陽の炎や熱が生まれる魔法構築前まで時間を遡り、その元から消していくことになる。――つまり、より時間操作の魔法に近づく。


 もう《リーディング・シフト》で過去を読ませて、それから《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト再譚リヴァイブ』》で了承を取るなんて手順は、必要ない。


 強引な物語の上書き。

 反則ばかりの次元魔法で、最悪中の最悪。

 過去にラスティアラが危惧していた『なかったこと』にする魔法そのもの。

 その過去改編の魔法の名は――


「――次元魔法《ブラックシフト・オーバーライト》」


 完全に自分のものとしたとき、名前を付け足した。

 ただ、一切遊びはなく、率直でわかりやすく、強力そうな言葉オーバーライトを足しただけで、さらに手を伸ばす。


 手から溢れ出す紫黒の暗雲は制御され切り、上空の太陽に対抗して、一つの形をかたどっていく。

 半球形状ラウンドシールドによって、熱と炎を待ち構える。


 その黒紫の盾の表面に、迸る焔の先端が軽く触れたとき、ごっそりと人一人分ほどの炎が歪んで、ずれて、掻き消えた。

 『魔法相殺』でなく、『時間相殺』と言える現象に昇華してる。


 いま、準備は整った。

 この『なかったこと』にする魔法の盾で、マリアの想いほのおを全て掻き消す。


「――魔法《ウッドクエイク・創造クラフト》」


 さらに不退転を誓い、最後の足場を作る。

 上空からの熱を《ブラックシフト・オーバーライト》の傘で遮った上で、空気中の水分を使い、氷を魔法陣のような形状で張り巡らせた。

 そこに土と木の肉付けを行い、風魔法《ワインド》で浮かし続けることで、宙に地面を生成した。


 迷宮の地面より強固にしたつもりだが、長くは持たないだろう。

 太陽と接触する為に、一時的な減速を行うパラシュートのように使っているだけだ。


 そして、それを待っていたと言うように、マリアは直近の炎から声を出す。


(待ちくたびれましたよ、カナミさん。それが、『計画』の最後に待っていた魔法ですね。とはいえ、まだ雛形でしょうか……。本来、それは全ての《ディメンション》と組み合わせる予定だったのでは?)

「ああ。この《ブラックシフト・オーバーライト》は、まだまだ未完成だ。いまの状態だと遠隔操作が出来ず、直接この黒紫こくしの煙をぶつけないといけない。でも、この状況なら、それで十分。いまの僕の魔力は、マリアを大きく上回ってる。さらに、僕は自分自身を『代償』にする覚悟さえある。消せない想いものなど、この世にない」


 ここまで余裕だったマリアを真似て、僕も余裕をもって言い返した。

 その僕を見て、どこか安心した声で、ここで初めて挨拶をされる。


(ふふっ、お久しぶりです。慌てて、必死で、一杯一杯で……でも、抗い続けるカナミさんですね。その黒い瞳が、私は大好きなんです。きっと、ラスティアラさんも)

「何度も言うけど、二人共趣味が悪い。もっと格好いいところに注目して欲しいんだ、こっちとしては」

(いまのカナミさんが、私にとっては格好いいんです。惚れちゃうところなんて人それぞれですよ。……ねえ?)


 自宅のリビングにいるかのような調子で談笑する。


 だが、もう状況は天と地の差。

 太陽と暗雲。

 史上最悪を競う二つの広範囲魔法の中心同士。


 いまも、二つの魔法は徐々に近づいていっている。

 その接触前に、最後だからとマリアからの軽い「ねえ?」という挨拶の続きが、僕の腹部に向かって投げかけられる。


(そちらのあなたは、初めまして。はるか昔から、ずっとずっと影から私たちを見守ってくれていた神様。グレンさんやシアの家に伝わる太古の『翼人種』の生き残りであり、『世界の主』でもあるノイ・エル・リーベルール――)

「ボ、ボクを呼ぶなよぉ……」


 ノイは僕のお腹の中に限界まで引っ込み、身を隠そうとする。

 どうやら、リーパーと違って、マリアは心底苦手のようだ。


(ご心配なく。今回、あなたはついでです。だって、神様とか、私は余り興味ないんです。本当にいたんですねくらいの感覚で、一緒に燃やそうとしてます)

「え、ええぇえ……」


 小ざっぱりとしたマリアの反応に、ノイは全くついていけない様子だった。

 だが、僕にはわかる。付き合いも長くなったから、そういうやつだってわかる。

 いつだって、マリアは――


(私は神の存在とか、大陸の行く末とか、どうでもいい。世界さえも、私にとっては二の次。だって大事なのは、一人一人の気持ち。それを、きちんと伝えること。いつだって、私はそれだけだった)


 嘘偽りのない本心の為だけに、マリアは生きている。


 その余りに真っ直ぐな太陽に近づきつつ、僕は心を固める。

 この『第百十の試練』で、僕は気持ちを伝えられ、教えられる。

 しかし、決して心は揺るがさずに、全てを『なかったこと』にすると覚悟を――


(カナミさん……。言っておきますが、私も『ラスティアラ』さんが大好きなんですよ?)

「…………っ!?」


 覚悟を決めた僕に向かって、マリアは色々な過程を飛ばして、こんな状況で急に、全ての核心を突いてきた。

 それは『未来視』や『逆行思考』しているかのように、本質を見抜く一言。


(初めて出会った日、すごく『ラスティアラ』さんに振り回されて――でも、一緒に眠ってくれました。家族の温もりを求める私を、振り回しながらだけど、ちゃんと手を握ってくれました。……暖かい手でした。だから、私は『ラスティアラ』さんが好き。もうこれは、みんな知っている話だと思いますけどね)


 出会いを話され、マリアと『ラスティアラ』の絆を再確認させられる。


 だが、それでも僕の覚悟は変わらない。

 いや、むしろ、だからこそだ。

 その二人の『繋がり』があるからこそ、僕は『安心』して、自分自身を『代償』に消えることができる。

 別に、そこに僕はいなくてもいいって思える。

 そう思って消えていってしまった『ラスティアラ』と同じことができる。


(ええっ、だからこそ! いま、『ラスティアラ』さん、聞いてください! ちゃんと読んでいますか!? 好きです、『ラスティアラ』さん!! 誰よりも好きだから! あなたと過ごした日々を、私は決して忘れません!!)

「なっ……!?」


 急な好意の主張アピールに、僕は焦る。


 こんなことで何かが変わることなど、万が一にもない。億が一にもない。

 僕とラスティアラは『たった一人の運命の人』同士だ。

 だが、いまの僕のやっていることを考えると、兆が一にもラスティアラの魂は「やっぱり、カナミよりマリアちゃんのほうがいいかなー」と、急な方向転換をしそうな気がした。そして、これこそが僕の『計画』を根底から覆す裏技のような予感もあって、全力で叫び返す。


「ち、違う!! 『ラスティアラ』を誰よりも好きなのは、僕だ! 僕のほうが、『ラスティアラ』を好きに決まってる! 僕は『ラスティアラ』の為ならば、全てを捨てられる! 何だってする! 続きを『幸せ』にしろと言われたら、『幸せ』な続きにする! 世界を救えと言われたら、世界も救う! ひとえに、それは愛ゆえ! そうっ、その僕の愛を読むとすれば、それは! 〝【相川渦波は『ラスティアラ』を愛している】〟と、この一文によって、『証明』されている! 〝当然ながら、その愛は世界の誰よりも深い〟! 〝不変であり絶対の理となったからだ〟! 〝『世界』が認めたことで、『ラスティアラ』への愛は完全に『証明』された〟〝たとえ死が『ラスティアラ』と僕を別つとしても、その真実の愛は『永遠』に続く〟〝僕は『ラスティアラ』だけを視続けて、『世界』の果てさえも行くだろう〟〝いや、必ず『ラスティアラ』のところまで行くと、決め終えている〟!!」


 『ラスティアラ』『ラスティアラ』『ラスティアラ』と。

 土壇場にて、僕は左手の本をぺらぺらと捲っては、全ての根本である『ラスティアラ』への気持ちを読んだ。


 その僕の反応を見て、マリアは嬉しそうだった。

 透き通るように純白な太陽に近づき、その中心にいる術者である彼女の姿を、やっと僕は捉えることができていた。


 ――「はい、兆が一にもありませんよ」と、こちらを安堵させるような笑顔をしている。


 マリア自身、どこか安堵しているようにも見える。

 そう言えば、僕はマリア相手に、ここまできちんと『ラスティアラ』への愛を語ったことがあっただろうか。


(ふ、ふふっ……。はい、そうですね! 私は誰よりも『ラスティアラ』さんを好きなつもりでしたけど、いまのカナミさんには負けます! 認めます! 私よりカナミさんのほうが、『ラスティアラ』さんを好き! カナミさんの勝ちです! 私の負け!!)


 マリアが認めたとき、ぐっと周囲の熱が上がった気がした。

 当たり前だが、太陽に近づくにつれて、あらゆる温度が急速に上昇している。


「それと、たぶん……、私の初恋も……。カナミさんが好きって気持ちも……、いまは、もう『ラスティアラ』さんの勝ち。……そう。どちらにも、私は負けてしまった」


 墜落しながら、上がる温度。

 その気持ちの熱を、ぽつりぽつりとマリアは、少しでも言葉にして吐き出す。


(――私は完全に、失恋しました)


 失恋。

 その言葉は、赤黒い負の感情ほのおのはずだった。


 しかし、いまマリアの炎は透き通り、太陽は白く、どこか嬉しそうな声だけが響いていく。


(だって、仕方ありません! 『ラスティアラ』さんってば、もう本当に滅茶苦茶でしたから! 口では私を応援するっていうのに、すぐにふらふらと! あっちへこっちへ! かと思えば、あっさりと命を捨てて! もうっ、あの子は! 本当に、あの子は! 『ラスティアラ』さん、ちゃんと読んでいますか!?)


 ずっとマリアは笑顔のままだが、僅かな変化が生まれていた。

 じんわりと、目じりに涙を浮かべている。


 身勝手に去っていたラスティアラを責めている。

 いや、叱っているのだろうか。それとも、讃えている?


 あらゆる気持ちが混じり合い、高め合って、純白の太陽の中で一つとなっているのだけはわかった。

 その熱が《ブラックシフト・オーバーライト》を突き抜けて――僕の視線の先にいる幻覚の『ラスティアラ』が、しゅんと項垂れて、申し訳なさそうにしていた。それは『持ち物』の中の魂も、きっと同じで――


(聞いての通り、私はお二人に敗けました! ……だから、すみません。『ラスティアラ』さんとカナミさんには悪いですが、もうお二人さえも私は二の次なんです。いま、私は次の好きな人ことだけを、全力で考えています。私のことを、薄情で現金なやつと思ってくれて構いません)


 次の好きな人。

 それが誰であるかは、いまの状況から語るだけでなく、その口からも教えられていく。


(私の誰にも負けない好きって気持ちは、もう一つだけ。……十層の守護者ガーディアンだったアルティさんだけ。カナミさんがアルティさんのことをちっとも気にかけないから、私が一番になっちゃいました。いまの私は、友アルティのためなら、何だってやりますよ)


 笑みつつ、睨みつけてもくる。

 口ぶりが僕の『ラスティアラ』に対するものと少し似ていると思った。


(――それが、この『第百十の試練』であり、魔法・・灰者の失くした忘れ炎アルティメイト・ライアー》)


 嘘偽りはないと、信頼できる姿と声だった。


 つまり、この状況はマリアの意思でなく、アルティの意思ということ。

 マリアの『第百十の試練』は、アルティの『第十の試練』の延長上にあって――


(ただ! この炎には、私の初恋をぐちゃぐちゃにしたお二人に対する恨みも、ちょっとは込めてますのでご注意くださいね! 失恋の八つ当たり等々とうとう含めて全部、一緒にお受け取りください! なんだかんだで、ほんっとうに大好きですよっ、カナミさんっ、『ラスティアラ』さぁあああん!!)


 いや、やはりマリアの意志が大量に盛り込まれている。


 マリアは叫び終わり、意味がわかったようでわからない二人分の『試練』に対して、僕は現実的に真っ向から拒否していく。


「受け取らない! その炎を受け取ると、僕は『忘却』してしまう! 魔法も記憶も、『ラスティアラ』も! そんなもの受け取れるわけないだろ!? 悪いけど、炎は全て消し去る! 迷宮の『最深部』に火の粉一つ、届かせやしない!!」


 だから、このまま《ブラックシフト・オーバーライト》を維持して、ぶつかり合う。


 ――そう話し終えて、近づきに近づいた太陽と暗雲。 


 僕たちは、純白の炎壁と紫黒の雲壁で、睨み合う。

 会話は限界。

 これから、どちらが迷宮の真の支配者かを競う。

 その直前に、マリアは言う。


「いいえ。必ず、受け取りますよ。だって、カナミさんですから」


 僕が『ラスティアラ』を、そういうやつだからと分かっているように。

 マリアも僕を、そういう人だからと分かっているような言葉だった。


 ――そして、触れ合う。


 迷宮を呑み込もうとする太陽が、僕の広げた暗雲にぶつかった。


 どちらも物理的な重さはない。

 だが、接触の衝撃は凄まじく、まず視界一杯に魔法の閃光が焼きついた。


 反則級魔法二つの接触による『魔の毒』の火花だ。

 続いて、迷宮の音が全て吹き飛び、消えた。


 無音。

 恐ろしいほどに何も聞こえない静寂の後、揺れが襲ってくる。

 地震どころではない。星と星がぶつかり合っているかのような衝撃に、迷宮内の全てがシェイクされて――遠くで、僅かに形を保っていた瓦礫やモンスターなどが、ついでのように焦熱で溶けて、崩れていっていた。


 灼熱地獄と化した。他にも、核融合炉の中とか、宇宙誕生ビッグバンの中とか、最上級の形容が思いつく中、僕は魔力を込めていく。


「…………っ!!」


 迷宮の被害を堰き止めるように、全力で暗雲を広げる。

 それでも太陽は、お構いなしに落ち続けようとし続ける。


 互角。

 どちらも相殺しては、消えている。

 しかし、すぐに術者の魔力で修復して――を繰り返す。


 削り合い、食らい合い、常に術者は魔力を捻出し続ける。

 余波だけが拡大し続ける中で、魔法の押し合いだ。


 これまでに何度も経験のあるシチュエーションだ。

 だが、過去最高の手応えと重さに、発汗は止まらない。

 こちらは端から『なかったことにする』という魔法を広げているのだが、なぜかその作業が非常に辛く、苦しく、重い。


 さらになぜか、じりじりと近づいてくるのだ。

 太陽と暗雲は二つとも宙で、ほぼ制止している。

 しかし、マリアの身体だけは、太陽の中心からずれて、下に落ちようとしていた。


 術者同士の距離が縮まっていく。

 より鮮明に互いの姿が捉えられるようになった。


 だが、このときマリアは真下の僕でなく、なぜか横を見ていた。

 誰もいない隣を見て、優しい声で名前を呼ぶ。


アルティさん・・・・・・――)


 誰もいないに決まっている。

 だが、釣られて、その視線の先を僕も見つめてしまう。


 ――もう『ラスティアラ』以外を視るはずのない僕の瞳が、いま初めて、全く違う誰かの姿を捉えた。


 懐かしい赤い髪の少女の姿が浮かび、「もういい」と苦笑しつつ、首を振っていた。


 その姿は、一年前の十守護者テンガーディアンアルティ――のものではない。

 千年前の『火の理を盗むもの』アルティだろうか。妙に貫禄のある装いをしている。


 ――もしかしたら、千年前に僕が迷宮に呑み込まれてしまった後の姿?


 それに気づいたとき、とある千年前の記憶が呼び起こされる。

 自動的に《リーディングシフト》が発動していた。

 その自動の魔法は、誰かの支援あってか力強く――いや、間違いなく『ラスティアラ』が維持し続けている《私の世界の物語テイルズ・ラストティアラ》のおかげで――力強く、明朗と読まれていく。


 ぱらぱらと。

 本の頁が捲る音が聞こえる。



〝――千年前、北と南を二分した大戦争は、『世界奉還陣』によって決着がついた。

 崩壊したあとの世界を生きる者は少なく、目立った登場人物たちは片手で数えるほども残らなかった。

 だというのに、さらに『迷宮』製作失敗によって、最後の『異邦人』と『使徒』さえも、この大陸から消えてしまう。

 残った『理を盗むもの』は、一人だけ。

 幕引きされた舞台の上、自分の役すら分からずに彷徨い続ける私。

 ――物語から忘れられたかのように、『火の理』だけが大陸で燻り続けていた。

 たった独りで生き残って、あれから何十年経っただろうか……。

 それさえ覚えられていないのが、私の『呪い』……。

 大陸に残された『火の理を盗むもの』は、いつの間にか、たくさん年を取っていた。けれど、姿は少女だった頃のまま。だから、少女の頃の想いのまま、ずっと準備だけはし続けていた。

 ――いつか・・、誰かの助けになりたかった。

 だから、火炎魔法を完全に制御できるようになった。

 その身のスキルも、限界まで研ぎ澄ませた。

 もう立派な大陸有数の偉人様だ。

 ただ、ここまで来ると、もう誰の助けになろうとしていたのかを『忘却』していて。

 大切だったはずの母と一緒に、本当の自分の名前さえも『忘却』していて。

 いま自分はどこにいるのかもどうして生きているのかも『忘却』していて。

「――みんな・・・、行っちゃった」

 燃え尽きた灰が、そう寂しそうに一言。

 そう零してしまったことがあった。

 とっくの昔に、想い人のことは『忘却』している。その上で、みんなの顔さえも遠く掠れていく。もう、なんで『忘却』を恐怖していたのかも、よくわからない。だから、その心の炎が大きく揺れることはない。そこまで悲しくはなかった。次の日には、仕方ないと受け入れていた。

 でも、少し寂しかったのは、確かだった気がする。

 みんなと一緒に行けなくて、一人だけ仲間外れにされるのは、ほんの少しだけ寂しかったから――〟



 大事な『行間』を、読んだような気がした。


 物語から忘れられた。

 それは『不老』を支えるほどの心残りではないだろう。

 あの残虐な物語から忘れられて抜け出せるのは、間違いなく救いの一つ。


 だから、『未練』と比べればだが、それは人生で数ある想いの一つに過ぎない。

 長い人生の間、ほんの僅かに揺らめいた気持ち。

 ただ、そのアルティの気持ちの為に、いまマリアは――


「『忘却』を怯える私に、その優しさを教えてくれたのはカナミさんですよ。ええ、マリアに『呪い』は、もうありません。だから、『火の理を盗むもの』の物語だってこれからです」


 さらに、マリアの太陽は加熱する。

 アルティの為に、限界を超えての火炎魔法が行使される。


 『代償』で、自らの記憶が『忘却』しても厭わない。

 大事な恋心さえも含めて、『なかったことにする』という魔法に晒され続けてもいい。


 血肉どころか、人生どころか、魂すらも薪としていく。

 自分の気持ちほのおを燃え盛らせて、真っ直ぐ真っ直ぐ真っ直ぐ。

 『火の理を盗むもの』の続き・・の物語を強引に紡いで、下へ下へ下へ。


 マリアは止まらない。

 たとえマリアが生まれた瞬間まで『忘却』しても、炎は止まらないと、いま、僕は確信した。


 先んじて落ち進み続けようとするマリアの身体に、後ろの太陽が引っ張られていく。


「マリア――」


 その覚悟に、僕はされた。

 足場の魔法《ウッドクエイク・創造クラフト》がビスケットのように崩壊して、他の地面と同じように溶けた。


 こちらの《ブラックシフト・オーバーライト》は維持できている。だが、押されるがまま、絡み合いながら、一緒に落ちていく。太陽の落下が、再開される。


 止められなかった。

 柔らかなミルフィーユに指を突き刺したかのように、幾層にも重なった迷宮に穴が溶け空いて、落ちていく。


 気づけば、すでに50層を越えていた。

 もう迷宮の地面なんて存在しないかのような抵抗のなさだ。


 本来、迷宮は何日もの準備をして、何時間もの時間をかけて一層ずつ攻略していく。

 それが、たった数秒の落下だけで攻略され、終わらされていく。 


 熱量に合わせて、落下速度も加速していく。

 51層、52層、53層と――、理不尽な迷宮攻略が進む。


 それは熱く、重く、それと速い。

 太陽の肥大化が魔法史上最大となり、加速が止まらない。


 さらに57層、58層、59層と――、誰もいなくなったノスフィーの60層もあっさりと超えて、続いて67層、68層、69層と――、まだ守護者ガーディアンがいる70層まで到達する。


 70層は『血の理を盗むもの』代行者ファフナーの血塗れの階層だ。

 『血陸』に酷似した層なのだが、それを確認する前に全てが融解した。

 特殊なフィールドであるボスの層さえも、いまやあってないようなものだった。


 その本来の役割を果たす前に、問答無用で消滅させられていく。

 そして、ここまで深部まで来れば、徘徊するモンスターたちも強力で凶悪になるのだが――僕とマリアの魔力比べの余波だけで燃えて、溶けて、『なかったこと』になっていた。


 そのまま、77層、78層、79層と落ち続けて――、80層へ。


 80層は『無の理を盗むもの』セルドラの黒石ばかりの階層だ。

 『智竜の里』を思い出せる物々しい谷間の層も、確認できずに全てが融解した。

 その黒石は特別に強固ではあったが、止められる理由が一切なかった。


 千年前の始祖カナミぼくが用意した全てが、容赦なく崩壊していくのを僕は黙って受け入れる。

 逆に、止められる理由のある層が思い当たったからだ。


 この先に、あの層が待っている。

 そこまで耐え切れば、僕は逆転できる。


 そう信じて、90層へ。

 90層は元『次元の理を盗むもの』ノイの黒色に塗り潰された階層だ。

 暗闇で包まれているわけではない。単純に石造りの階層を、黒色の塗料で塗り潰しているだけの層だが、そこは完全にノイのフィールド。

 つまり、『次元の理を盗むもの』のために用意された決戦場。


 本来――、もう本当に「本来」としか言えない話なのだが、迷宮の守護者ガーディアンたちには探索者たちを鍛えて、世界を救う一人を選ぶ役目がある。

 そのために、自身のフィールドで挑戦者を待ち構えて、魔石を託すに相応しいかどうかを限界まで試していく。だから、その決戦場はボスの属性の魔法を補助したり、魔力を補ったり、場合によっては守護者ガーディアンの意志で層をアレンジすることも可能だった。その機能があった。


 いま初めて、その機能が――引っかかる。


 順調に落ち続けていた純白の太陽が、90層で引っかかり、止まった。

 理由は、この層が最も迷宮の中で固く、頑丈というだけではない。

 僕の展開していた《ブラックシフト・オーバーライト》の暗雲が、次元属性を補助する階層のフィールドで、真価を発揮しようとしていたからだ。

 さらに言えば、アルティの十層から遠ざかり、迷宮からの補助の力関係が完全に逆転した。だから――


「だから、ノイ!! いまだ!! ここしかない!!」

「ボクだって、一人の守護者ガーディアン! わかってる!!」


 合図を叫んだ。

 僕とノイは負けまいと、同時に太陽に向かって、その手を限界まで伸ばす。


 いま、確かに《ブラックシフト・オーバーライト》の力は増した。

 ただ、この90層でさえも、すでに地面は溶けつつある。


 とっくに視界は、あらゆる色で塗り潰されている。

 瞼の裏は真っ黒だけど、暗雲を突き抜けた太陽の光は何度も明滅していて、網膜は真っ赤。視界や魔法感覚など、色々な認識が狂って、もう何が黒か白かもわからない。

 衝突していた太陽と暗雲は、混ざり合い、溶け合って、別の事象と化しかけている。

 その果て、とうとう術者同士の距離は、零となって――



「――ほら、アルティ。カナミさんですよ」



 マリアの肉声が、すぐ傍で聞こえた気がした。


 すぐに僕は、右手を上に伸ばしていた。

 大事な本は、左の脇に抱えていた。


 右手が暖かい。

 誰かの優しい両手が、優しく包んでいる。


 全く別の熱を感じたとき、90層の底が抜けていく感触があった。

 91層、92層、93層と――さらに、落ちていく。


 決着がつく。

 とうとう『第百十の試練』が終わっていく。


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