283.デート


 駆け抜ける。

 足元のぬかるみのせいで走り難く、泥の跳ねる音が耳障りだ。

 いま僕は、下水道のように暗く湿気があり、強い異臭を放つ回廊を走っている。


 迷宮の『正道』から少し離れたところにある特殊なエリアだ。そこで体長二メートルは優に超えていそうなムカデの横を通り過ぎつつ、剣を横に振り抜く。


 ムカデ姿のモンスターは断末魔の悲鳴をあげて絶命した。

 横に両断されたモンスターは、光の粒子を撒き散らしながら魔石と化していく。それを僕は《ディメンション》で見送り、そのドロップアイテムも拾うことなく走り続ける。


 雑魚には目もくれない。

 目的は一つ。この湿地帯エリアのボス、フォビアフライのみ。

 前方数百メートル先で、人ほどの大きさの蝿型モンスターが待ち構えているのを《ディメンション》で把握している。そこに向かって、僕は息を切らして全力で走っていく。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ――!」


 しかし、速さが足りない。

 時間が足りない。

 ボスを倒すのは簡単だろう。

 まだ十層代の浅さなので、どんなモンスターだろうと一人で勝てる。


 足りないのは、前方を走るラスティアラまでの距離だ。


 今回のデートの目的は、ラスティアラを追いかけ、捕まえて、先を越すこととなっている。非常に納得できないが、どういうわけかそうなっている。


 前方を走るラスティアラは僕と同じように全力で走り、息を切らしながら笑っていた。


「はぁっ、ははっ、はぁっ、ははははっははっ――! これが恋人たち定番の追いかけっこ? これ、追いかけっこでいいよね!?」


 よくない。

 全然よくない。


 デートすると聞いて滅茶苦茶期待していた僕のわくわくを返してくれ。


 しかし、そんな文句を言う暇もなく、ラスティアラは残り数百メートルの距離を駆け抜けていき、僕より先にエリアボスのフライフォビアに斬りかかる。


 戦闘は一瞬だった。

 急接近してきたラスティアラにフライフォビアが気づいたときには、その身体が縦に両断されていた。その全力疾走の勢いに筋力と『天剣ノア』の切れ味が乗って、凄まじい攻撃力だ。いかにボスモンスターといえど、その一撃を耐え切ることは不可能だった。


 先ほどの斬り捨てたムカデ型のモンスターと同じように、ボスモンスターも消えていく。

 その光の粒子の中でラスティアラは立ち止まり、追いかけっこの一着を僕に誇る。


「はい! 私の勝ち!」


 数秒遅れて僕も追いつき、肩で息をしながら苦言を呈する。


「いや、これは追いかけっこじゃないだろ……。というか、これデートですらないだろ……」


 デート先に迷宮が選ばれたことに、いまだ僕は納得がいっていない。

 ラスティアラは迷宮に着くなり、追いかけっこをしようと言って、なぜか「ふふふ、捕まえてごらん」とか棒読みを始めて、ゲームの冒険者にありがちな時間制限付きのボス討伐クエストが行われたことも納得がいかない。


 デートと聞いた僕は、てっきり船の甲板でお喋りしたり、《コネクション》で夜の街に二人で繰り出すのかと思っていた。が、そう現実は甘くなかった。


 そんな僕の不満を知ってか知らずか――いや、絶対知っているラスティアラは満面の笑みで、いまの追いかけっこの感想を述べる。


「あぁっ、デート楽しい……! やっぱり、こういうのこそ恋人同士のお約束だね」

「ここが太陽の光煌く砂浜とかだったら、僕も文句はない……」

「え、砂浜よりもここのほうがロマンチックじゃない? ドキドキしない?」

「そりゃいつモンスターに襲われるかわからないからドキドキもする」


 息切れに合わせて、心臓がドキドキと脈打つ。

 さらに地上と比べて迷宮内は空気が薄めだから、間違いなく脈拍数は通常より増加していることだろう。


 ただ、いくらドキドキできたとしても、この迷宮内は砂浜と比べるのはおこがましいほど風情がない。

 環境は劣悪も劣悪。先ほどから鼻がおかしくなるほどの異臭に晒され、靴とズボンの裾が汚水まみれ。迷宮探索者特有の泥臭さで一杯だ。


 これをロマンチックと言ってしまえるのはラスティアラくらいだろう。

 その彼女の感性は一生変わらないし――変わって欲しくないと思っている僕は、溜め息をつきながら諦め、このロマンチックらしい追いかけっこの感想に答えていく。


「はあ……。しかし、割と本気だったのに駄目だったな。瞬発力では勝てても、持続力で負ける」

「身体能力だけは自信あるからね、私。これだけは絶対に負けないよ。それにお母様のおかげか、今日調子よかったし」


 ラスティアラはボスモンスターの魔石を拾って、僕に投げ寄こす。

 その間に、僕は互いのステータスを確認する。



【ステータス】

 名前:相川渦波 HP369/369 MP1312/1312 クラス:探索者

 レベル29

 筋力15.97 体力17.78 技量23.67 速さ30.00 賢さ23.59 魔力53.78 素質6.21

【ステータス】

 名前:ラスティアラ・フーズヤーズ HP923/923 MP521/521 クラス:騎士 

 レベル24

 筋力22.12 体力21.89 技量12.56 速さ15.78 賢さ19.23 魔力16.25 素質6.50



 ティアラの力を得たラスティアラは、以前と比べて全体的に数値を増加させていた。

 けれど、彼女は手に入れた力に慢心することなく、次の自分の課題を見つけようとする。


「でも、身体能力だけじゃ駄目なんだよね。やっぱり、得意な魔法もないと守護者ガーディアンたちとの戦いについてけない。……いわゆる決め技だね。必殺技フィニッシュブローがいる」


 『木の理を盗むものアイド』と『水の理を盗むものひたき』の二人と戦った経験のあるラスティアラは、自分には決め手が欠けていると考えているようだ。


 いくら身体能力に優れようとも、物理的な攻撃だけでは限界がある。

 ディアやマリアの最大火力ならば数秒で街を更地にできるが、オールラウンダーのラスティアラにはそれができない。


 『理を盗むもの』たちは基本的に魔力が高い。

 何より名を冠する属性の魔法のプロフェッショナルである。あの魔法の苦手なローウェンさえも、ちゃんと魔法の決め技を所持していた。


 彼らの本当の『魔法・・』に対して、凡百の魔法では意味がないのは僕も同意だ。


 ……同意だが、そこは適材適所だとも思う。

 僕がゲーム的な考え方をするからかもしれないが、全員が高火力魔法持ちというのはバランスが悪く感じる。


「いや、そもそもラスティアラ一人で戦おうとするのが間違いなんだよ。ラスティアラは遊撃とか撹乱に徹して、仲間にとどめを任せたほうが――」

「それ、いいところだけ持っていかれてずるい! 私も決め技をとどめで叫びたい! 最後の最後に全力で叫びたい!」

「あ、ああ……。そういうことか……」


 大変気持ちはわかる。

 心のままにかっこいい『詠唱』をして、大魔法の名前を叫びたいという欲求は僕にもある。正直、ラスティアラに負けないくらいある。


 いま僕の最大火力は、おそらく《親愛なる一閃ディ・ア・レイス》だろう。この魔法自体は悪くない。

 悪くはないのだが……これは元々ローウェンのもので、僕の決め技かと言われると少し首を傾げてしまう。


 それと、この《親愛なる一閃ディ・ア・レイス》。

 意外に見た目が地味だ。


 ぶっちゃけ、あれって剣を振りぬくだけである。ローウェンも言っていたが、あれはアレイス流の基礎を本気で振るだけでしかない。

 リーパーが後ろで補助してくれたら話は別だが、一人だけだと玄人好みな演出になってしまう。


 剣術と補助に特化している僕は、何をしても派手さに欠ける。

 おそらく、ラスティアラも似たことを考えているはずだ。

 マリアやディアのゲーム的なエフェクトと見紛わんばかりの魔法が本気で羨ましく、一年前の船旅のときから真似してやろうと躍起になっている。


 大量のモンスターを一気に薙ぎ払う爽快感は、魔法だけの特権だろう。身体と剣だけでは成しえない。


「うん。確かに自分だけの魔法は必要だな」

「どうすれば身につくんだろ。……んー、まずは地道にレベルを上げるしかないのかな?」

「そうだなあ……。真似して、張りぼての魔法を使っても駄目だってのは前に試してわかったから……。今度は、ちゃんと自分の長所を活かした魔法を編み出すようにしないと」

「私の長所……。んー、器用貧乏で、身体が『魔石人間ジュエルクルス』で、全魔法を暗記してて、あとは――」


 僕とラスティアラは同じ目標を見つけ、互いに確認し合ながら、迷宮を歩き出す。


 先ほどまでデートではないと愚痴を言っていた僕だったが、二人で必殺技を考えながら歩くのは少し楽しい。


 楽しくて――そして、落ち着く。

 こういったところだけは本当に話が合うのだ。

 ティティーと違ってセンスも似通っているので、技名でぶつかり合うこともない。趣味の共感ができるから、ちょっと話をしているだけ落ち着く。


 きっとラスティアラも同じ気持ちだろう。

 セラさんやラグネちゃん相手に、こんな話はできないはずだ。

 それだけの才能を持ちながら決め技なんて、何を贅沢を言っているのかと呆れられることだろう。必死で考えた技名を自慢したら、なんとも言えない顔をされたことも多々あるはずだ。


 僕らは僕ら二人でしかできない話を存分にしながら、迷宮を進んでいく。

 その途中、一匹のモンスター相手にラスティアラは立ち止まる。


「あ、ミノタウロス発見」


 牛のような頭部を持った巨大な人型モンスターが立ちふさがる。

 それを僕は『表示』して確認する。



【モンスター】カーマインミノタウロス:ランク20



 前にも見たことのある情報だ。

 そして、その情報を見終えた瞬間には、ラスティアラがミノタウロスの頭部を斬り離していた。


「そういえば、初めてカナミと一緒に迷宮探索したときもこいつと戦ったね。ちょっと懐かしいかな」

「あのときは少しだけ危険な相手だったけど、もう余裕になっちゃったな」


 もはや戦闘にすらならない。

 一瞬で倒されたミノタウロスの魔石を拾って、ラスティアラは昔を懐かしむ。


「あのときはマリアちゃんも一緒だったね」


 そして、少しだけ暗い顔になる。

 このミノタウロスと戦っていた頃、ラスティアラはマリアを足手まとい扱いしていた。命を心配しての話だったけれど、上から目線で『素質』の足りなさを指摘していた。

 しかし、いまや自分がマリアよりも弱くなって、守護者ガーディアンたちとの戦いで自分が足手まといになってしまっていることに、ちょっと皮肉を感じている様子だ。


 それを僕は隣で見守る。

 ラスティアラは僕の心配を察したのか、すぐに暗い顔を打ち払う。


「大丈夫。もう私にはティアラお母様がついてる。すぐに私なりの戦い方を早く見つけるから、カナミは心配しないで」


 戦意に溢れた顔を見せて、何かを思い出しながら宣言する。


「私も追いつく。必ず追いつく。マリアちゃんの隣には、私が立ちたいから――」


 きっとラスティアラは以前に『木の理を盗むもの』『水の理を盗むもの』『使徒シス』三人と戦ったとき、マリアの役に立てなかったことを後悔しているのだろう。


「暗い話はやめとこっか。いまは楽しい楽しいデート中だからね」


 ラスティアラは自分の目標をしっかりと見据えたところで、気を取り直して僕の前を歩き出す。その背中に僕は話しかける。


「なあ、そのデートについてなんだが……これ本当にデートか? こんなところを歩いてて、本当に楽しいか……?」

「楽しいよ? 大聖堂にこもってるのと比べたら、そりゃあもう。空気が澱んでて、暗くてじめじめしてて、ちゃんと命の危険がある。生きてるって感じがしない?」


 声をかけられて振り向いたラスティアラは、言葉通りに生気溢れる笑顔を見せた。


「そ、そっか。それならいいんだ」


 楽しんでいるのを邪魔するわけにはいかないと、特に反論はしない。

 しかし、本当は別のところに行きたいという気持ちは消えてくれない。


 正直、女の子とのデートには憧れがあったのだ。

 初デートとなれば特別も特別。一生ものの思い出になるのだから、十分に計画を練っておきたかった。それなりに高価なレストランに予約とかして、夜景を二人で楽しむとか、いくらでも選択肢はあった。


 元の世界の男友達から聞いたデートは、本当に羨ましかった記憶がある。


 もちろん、この異世界では、観光地や映画館でのデートは現実的に無理だろう。けれど、どこかでショッピングや劇場鑑賞くらいならばできたはずだ。

 せめて、迷宮でさえなければ、この他愛もない会話をもっと楽しめるのだが――


「なーるほど。カナミは敵が弱すぎて温いって言いたいんだね。わかるわかる。スリルとかハプニングが足りないよね。このくらいの層だと」

「そういうの僕が求めてないって、知ってて言ってるよな。おまえ」


 微妙そうな顔で歩く僕を見て、ラスティアラは意地の悪い話をする。


「ふふふっ。もちろん、知ってる。前も似たような話をしたね」


 ラスティアラは僕の気持ちを察していることを白状したが、その足を緩めることはなかった。


「ああ、前にもあったな……」


 僕もラスティアラと同じように懐かしくなってきた。


 以前に二人で二十層付近を歩いていたときも、同じように意見が衝突していた。

 どんどん迷宮の奥を行こうとするラスティアラに、稲を刈るかのような作業を求めた僕。

 あのときは二人の間を取って、迷宮を順調に攻略していった。その流れを真似て、僕も自分勝手に要望を叩きつける。


「ラスティアラ、楽しんでいるところ悪いけど……もっと僕はデートっぽいことをしたい。もっともっと恋人っぽい感じがしたい。できれば、スリルとかじゃなくて甘酸っぱい系がいい」

「ふむふむ――」


 ラスティアラは顎に手を当てて、考え込み――大した間もなく答えを出す。もしかしたら、最初から決めていたことかもしれない。


「じゃあ、デートらしさを出すには、こうかな?」


 隣に並んで、僕の左手を握った。

 デートっぽく恋人っぽく手を繋いで歩こうということらしい。

 ここが迷宮でなければという条件がつけば、本当にまともな答えだった。


 その突然の接触に僕は少しだけ緊張する。

 隣のラスティアラも同じように緊張して、声を震わせていた。


「これは……、なかなか……!!」

「ああ、なかなか……。なかなかやばい……!!」


 思った以上のデートっぽさに、僕は感動していた。


 ラスティアラとは付き合いは長いが、こうも改めて手を繋ぐのは……新鮮だ。

 なまじ色々と感知できる技能があるせいで、手の平から伝わってくる情報が事細かに頭に入ってくる。普段は気にならないのに、いまだけは気になる。肌の温度湿度、血と魔力の脈拍、ミリ単位での筋肉の動き、全てを補足てしまう。


 そして、なによりも女の子の肌の柔らかさ――その特有の低反発な弾力に、頬が紅潮していくのが自分でもわかる。

 横を見れば、ラスティアラも僕と同じように頬を染めていた。


「あ、あまりこっちを見ないように……」


 僕の視線に耐え切れず、ラスティアラは少し顔を背ける。

 本気で動揺しているのを理解して、僕は提案する。


「……恥ずかしいならやめる?」

「やめ……はしない。やるよ。このまま、デート続行!」


 意を決してラスティアラは宣言した。

 しかし、デートではなく探索なのは明白。

 僕は冷静に危険性を訴える。


「いや、僕も続行はしたいけど……。こんなところで二人とも片手がふさがるのは、やばくない……?」

「うーん。でも、お互いの要望が、ちゃんと叶ってるし……」


 ラスティアラは上ずった声で答える。


 確かにその通りだ。

 ラスティアラはスリルを味わいたくて、僕はデートらしいことがしたい。

 確かに、これならば両方ともの条件をクリアしている。

 二人とも二重の意味でドキドキできることだろう。


「……そうだな。なら、しばらくはこれで行ってみようか」


 僕は手繋ぎ探索デートを受け入れた。

 一応、心の中で余裕のある低階層の間ならばと条件はつけておく。今日四十層を越えることはないので、ボスさえ避ければ危険はないはずだ。


「よーし、このままどんどんいこー」


 こうして、ちょっとした縛りプレイの感覚で、僕たちは迷宮探索を再開させる。


 ただ、歩き出すこと数秒、すぐに探索にぎこちなさが生まれる。

 手と手を繋ぐ感触に意識が割かれ、目の前の回廊に集中できない。ラスティアラの柔らかい手の平から体温が伝わってくるだけで、その何倍もの熱が頬に灯る。心臓の音が跳ね合って、鼓動のリズムが混ざり合っていく。互いの吐息が隣り合っているのさえ、妙に気恥ずかしい。


 これがゲームならば命中力や回避力に多大な弱体化デバフがかかっている状態だろう。もちろん、それだけではない。肉体面だけでなく精神面も弱体化デバフがかかっている。


 けれど、手を離そうとはしない。

 この高まる熱を互いに望んでいた。


 そして、その勢いのままモンスターとも戦う。


 これもまた懐かしい敵だった。

 二十一層の異形の四本腕モンスター、フューリーだ。


 猿のような雄たけびをあげて襲い掛かってくるフューリーに対して僕たちは、真正面から二人で立ち向かう。


 手を繋ぎ、僕は右手に宝剣ローウェンを構え、ラスティアラは左手に天剣ノアを構えて――敵の腕が振り上がるのと同時に駆け出す。


 もし僅かにでも二人の呼吸が乱れたら、繋いだ手を離さざるを得なくなかったが、一切の呼吸のずれのない戦闘開始スタートだった。

 リーパーやティティーのときのように『繋がり』で心を通わせたわけでもないのに、僕たちの動きは完全に重なっていた。


 フューリーの攻撃に合わせて僕たちは、低く突進する。

 敵の股下をくぐり抜けると同時に、僕が敵の右足を、ラスティアラが敵の左足を斬りつける。支える足を負傷したことで、敵は膝を屈してしまい、急所の位置が低くなった。それと同時に僕たちは振り向き様の一閃を放つ。


 即死だ。

 僕が敵の首を飛ばし、ラスティアラは胴体を両断していた。

 一閃を放った後の体勢のまま、背中合わせで僕たちは手応えを確かめ合う。


「おー!? 思ったよりいけるね! やっぱりカナミが一番相性いい!」

「うん。想像以上で、ちょっと僕も驚いてる」


 僕たちは手繋ぎのハンデなど存在しなかったかのようにモンスターを倒せた。


 さらに実戦を経験したことで、この戦い方がそう悪いものではないともわかってきた。感覚が常人離れしている僕たちだからこその考え方だが、手と手が触れあっていることで隣の相方の動きが手に取るようにわかる。もし相方が隙をつくって敵の攻撃にさらされても、手を強く引っ張って動きをフォローできるだろう。共鳴魔法が撃ちやすく、回復魔法や補助魔法も二人同時に浸透させられる。

 そう悪くない戦い方かもしれない――という言い訳を元に、僕たちは手繋ぎ探索デートの続行を決めて、再度歩き出す。


 スキップこそしないが、それなりに浮かれた気分で歩く。

 途中、先ほどのフューリーの断末魔の叫びに釣られて集まってきた複数のモンスターたちとも戦うが、息の合った僕達の連撃に耐えられるモンスターは一匹もおらず、すれ違い様に倒されていく。


 魔石と経験値を貯めながら、僕たちは三十層まで進んでいく。

 熱で体力を奪う溶岩地帯。硬さが売りの鉱石地帯。ラスティアラとくだらない話をしつつ、かつて攻略した迷宮を抜けて、自分たちの成長を確認しながら攻略していく。


 自然と手繋ぎにも慣れてきたところで、クリスタルのモンスターを斬り倒しながら、ラスティアラは話しかけてくる。


「ふう、やっと三十層まで来た。……あ、そう言えばさ。私たちがいない間に、カナミは迷宮をどこまで攻略したの?」


 その質問はちょっと責めるような言い方だった。

 ラスティアラにとって楽しみにあたる迷宮探索を、一人で勝手に楽しんだのを咎めているのかもしれない。


「攻略したかと言われるとちょっと違うかもしれないけど、六十六層までは大体わかるよ」

「え、もう六十六層も……!?」


 文句を言うならパリンクロンのやつに言って欲しい。あそこに落とされなければ、僕だってそこまで攻略してはいない。


「ちなみに守護者ガーディアンの層の内訳は……四十層がアイド、五十層がティティー、六十層がノスフィーの階層だったな。アイドとティティーが消えて、六十層以外には《コネクション》を置けると思うから、ひとまずはそのあたりを目標としようか。あ、もしかしたら六十六層にも置けるか……?」

「へー、ふーん、そっかー。……で、その中で私が会ったことのない守護者ガーディアンはノスフィーかな? ねえ、ノスフィーってどんな感じ?」


 どんな……?

 改めて聞かれて、少しだけ僕は困惑する。


 まず「悪意」という言葉が浮かんだ。

 彼女ほど僕に悪意を向けてきたやつはいない。敵であることを隠そうとせずに、どんなときでも僕を苦しめようとしてくる。


 だが、それが彼女の全てではないのはわかっている。おそらく、千年前に彼女を捻じ曲げる出来事があったのだ。

 しかし、その出来事を僕は思い出せないから、僕はノスフィーのことを何も知らないも同然のように感じる。


 仕方なく、いま僕のわかる範囲での人物評をラスティアラに伝える。


「正直、はっきりとはわからない……。初めて会ったときは礼儀正しくて優しくて、『聖女』とか『お姫様』なんて言葉が似合う女の子に見えた……。けど、それだけじゃないのは間違いない。あいつは怒りっぽくて、執念深くて、手段を選ばなくて……。でも、それは千年前に色々と裏切られて、悲しい目に遭ったからだって知ってる……」


 その話をラスティアラは真剣に聞く。

 いつか出会う守護者ガーディアンの情報を一つも聞き逃すまいとしているのを見て、さらに詳しい話を僕はしていく。

 相手がラスティアラだからこそ、隠そうとは思わない。


「千年前、ノスフィーはフーズヤーズの『南』の『御旗』として一軍を率いていたんだ。その目的は『北』に寝返った始祖渦波の捕縛。始祖渦波とノスフィーは……その、夫婦だったから、逃げた夫を追いかけたんだと思う。思い出せないけど、僕と関わりが深いのは間違いない」


 少しだけ怖がりながらノスフィーと夫婦であったことを伝える。

 この話を僕は本気で信じてはいない。けれど、ここで言い訳のように「千年前だから失効してるとか」「あくまで夫婦だったかもしれないという可能性の話だから」と曖昧にする気にはなれなかった。


 交際初日に妻がいたなんてことを恋人に告白した僕は、冷や汗を垂らす。

 そして、恐る恐ると隣のラスティアラの顔を見ると、


「――会いたいな・・・・・


 憧れの有名人に思いを馳せるかのようにラスティアラは、ノスフィーとの邂逅を待ち望んでいた。

 怒りや失望といった感情は一切見られない。それどころか、歓喜していた。


 ああ、やっぱり。

 こいつはこうなるのか……。


 確認するように僕は彼女の顔を覗き込んで聞く。


「えーと、ラスティアラ……? いま結構驚きの話をしたつもりだけど……。僕とノスフィーが夫婦って話……」

「お母様のおかげで色々と心の準備ができてたから、そのくらいは想定内かな?」

「想定してたの?」

「してたしてた。もうカナミはそういうもんだと私は思うようにしてる。で、カナミのそういうところ嫌いじゃないから安心して。というか……正直、いまの話はとても楽しい話だったよ。ああ、わくわくが止まらない……!!」


 その広過ぎる心に軽く圧倒されかける。

 いや、よく見ればラスティアラの興味が完全に別のところにあるのがわかる。

 彼女にとってノスフィーが僕と夫婦という話なんて、本当に些細なことなのだ。


「ああ……、六十層の守護者ガーディアン『光の理を盗むもの』ノスフィー! ノスフィーノスフィーノスフィー! ノスフィーに早く会いたい!」 


 ただただノスフィーに会いたがるラスティアラ。

 ここで彼女は、とうとうスキップを始めてしまう。

 手を繋いで隣を歩く僕は体勢を崩されながらも、なんとかついていく。


「ほんとご機嫌だな……」

「ノスフィーの話を聞いて、やっぱりカナミと一緒にいるのは楽しいって再確認できたからね」


 鼻歌でもしそうなラスティアラは、スキップの理由を説明していく。


「この迷宮たんさ――手繋ぎデートも楽しいし、船に帰ったらみんなもいる。寝て起きたらスノウやディアたちが待っててくれて、ちゃんと挑戦すべき迷宮ばしょがある。今度こそ一年前みたいに、みんなで冒険できる」


 この一年の大聖堂生活での鬱憤が溜まっていたのだろう。

 新しい生活の全てが余すことなく楽しみであると言ってのけた。


「カナミがいるから、これから先もずっとずっと楽しいんだろうなあって心から思える。そりゃ、ちょっとくらい浮かれて、変な顔にもなっちゃうよ」


 ラスティアラは迷宮探索に相応しい真剣な表情を努めようとしているのだろうが、にまにまとした笑いが一向に止まらない。


 そして、僕の手を引きながらラスティアラは願う。


「――だから、カナミ。これからもずっと一緒にいよう?」


 ラスティアラの輝く髪が後ろに流れて、僕の鼻先をくすぐった。

 その光そのものかのような髪の集う先には、共に将来を誓おうとする少女の顔がある。とても嬉しそうに笑って、とても大事そうに僕の手を握って――僕を『先』に誘おうとしている。


 その『先』とは迷宮の奥という意味だけではない。

 その『先』は『未来』だ。


 彼女の言う「ずっと」に、僕は思いを馳せる。

 ずっとずっと一緒にいて、遠い未来でも僕たちは二人。

 その光景を頭の中に思い浮かべる――


 できれば静かなところがいい。

 ぽつぽつとある農村に紛れて、小さな家で一緒に暮らしている僕達。

 いまの僕の力なら家屋を自作して、自給自足の生活も簡単だろう。できれば海の近いところなんて理想だ。

 いや、手持ちの財産を使って、どこかで店を構えるのも悪くない。医者は無理だと諦めたから、料理か服飾関係か。協力し合って店を切り盛りできたら、とても楽しいはずだ。


 そんな辺境の片田舎あたりの生活が僕の理想だけれど、きっとそうはいかないだろう。


 間違いなくラスティアラは田舎ではなく、危険な地域を移住先に選ぶ。

 世界各地の厄介なモンスターを討伐しようと、勇者はここにありと喧伝し、傭兵みたいな真似事を一人で始めるかもしれない。いや、一人は絶対にないか。ラスティアラは僕を誘って、冒険に出るに決まっている。嫌がりながらも断らない僕を強引に連れ出して、せっかくの新しい家を放置して、世界各地を旅していくのだ。


 人生の方針は逆だけれども、根っこの趣味が同じの僕たちは二人で楽しく世界を冒険する。時々は僕の要求も通って、どこか安全な街とかで休息もするかもしれない。そのとき、本当の恋人らしいデートをしたいところだ――


 ああ、本当に楽しみだ……。

 少し想像するだけでもこんなにも幸せだ……。


 色んなところを旅して、色んなところを見て回って、色んな経験をしていく。

 長い時間をかけて、ずっと二人で。

 ずっとずっと一緒に……。

 『永遠』に――


 その感情のままに笑い返して、僕はラスティアラに約束する。


「――ああ。ずっと一緒だ・・・・・・、ラスティアラ」


 そう答えると、ラスティアラは太陽にも匹敵する今日一番の笑顔を見せて、元気良く「うんっ」と頷き返してくれた。


 少しだけ目が眩んだ。

 ラスティアラの見せる笑顔は純真そのものだったけれど、僕の見せた笑顔には少しだけ黒い感情が混ざっていた。後ろめたい部分を光で塗りつぶされ、一瞬目を閉じてしまった。


 先ほどの感情が何か、僕は知っている。

 ただ、人間ならば誰もが持っているものなので、特に忌避はしない。

 しないが……どうしても、目は眩んでしまう。


 ラスティアラは前を向いて歩く。

 ずっと僕が隣にいると信じて、迷宮の先へ進む。

 その間、僕は彼女の横顔を見続けていた。

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