443.本当の書き出し


「――〝ニール〟」


 手を掴まれて、びくりと身体が震えた。

 流れる水よりも柔らかかった手足が、固い芯が入ったかのように硬直する。


「ニ、ニール?」

「それが、本当のあなたの名です」


 耳に通ったとき、いまにも透き通って消えそうだった心に、輪郭が戻っていく。

 すでに『未練』を失ったとしても、続きを聞かざるを得ない重さが、その言葉にはあった。


「教祖様の不完全な『迷宮』を通り、『召喚』されたことで忘れてしまった名前。かつて、あなたはファニア領の〝ローレライ家〟に、ニールとして生まれました」

「……俺の名が、ニール? 確かに、ニールだったような……気がする。けど、その名前は、もう捨てたんだ。俺はファフナー・ヘルヴィルシャインとして生きるって、千年前に誓ったから……」

「知っています。ただ、その役目は、既に終わったと思いませんか? あなたという希望の光は、地獄でも煌々と灯った。……その明るさが、ヘルミナ様を救っていた。だからこそ、その重い役目を脱ぎ捨てて、これからは〝ニール・ローレライ〟として、物語の続きを紡ぎませんか?」


 完全に思慮外からの提案だった。

 まさか、記憶の彼方にまで消え去っていた名前を、こんなところで出されるとは思わなかった。それも、カナミからではなく、あの清掃員の少女から。


 こう言っては何だが、そのニールという名前を使っていた頃の俺は、暢気だった印象しかない。

 どうしても、印象が薄く、時間的にも遠くに感じる。という俺の考えは、はっきりと顔に出ていたのだろう。


「遠いからこそ、です。遠い過去に失くしたものを、千年後の世界で取り戻すべきです。偽者の悪竜ファフナーでなく、本当の貴方ニールに戻りましょう」


 清掃員に新たな人生を示されて、俺の輪郭を取り戻した心は戸惑った。

 ただ、それは苦しいとか悲しいとか、ネガティブな戸惑いではない。彼女も大きく頷きながら、とても前向きに、明るく、楽しそうに、これからの俺の未来を語っていく。


「今度こそ、目指しませんか? 『血の理を盗むもの』ではなく、『魂の・・理を盗むもの』を。ヘルミナ様の遺言通りに、合っている道を進むときが来たのだと、そう私は思っています。私たちは、偉大なる科学者ヘルミナ・ネイシャの一番弟子と二番弟子。その私たちが『ヘルミナの物語』の続きを紡ぐ。とても素晴らしいことだと思いませんか?」


 否定できない。

 『未練』を果たし、ここまで歩んできた道に光が灯った。


 しかし、光を灯せるのは、過去だけじゃない。

 それを清掃員は俺に教えてくれて、道の先で待ってくれている人も同調する。


「そのときは、僕も手伝うよ。その責任が僕にはある。最初に言ったけど、『理を盗むもの』はもっと報われてもいいって、そう僕は思ってるんだ……」


 カナミも頷いた。

 ただ、魔法《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト再譚リヴァイブ』》の負担が大きいようで、まだ身体はふらついている。

 額から垂れる汗を拭いながら、苦笑いを浮かべて清掃員と話していく。


「これは僕の経験だけど、名前を偽っている間は、ちっとも前に進めない。というか、単純に碌なことにならない。……いや、ほんとにさ」

「実感がこもっていますね、教祖様」

「こもってるよ。そもそも、その教祖様って呼び方が、もう碌なことじゃない。……こうやって、周りに弄られるから、本当に気軽にやっちゃ駄目なことなんだよ」

「だそうです、ニール」


 談笑していた。

 その朗らかな空気に釣られて、俺も笑みを浮かべる。


「は、ははっ……」


 空気が軽い。


 当たり前だ。

 もう終わったのだ。


 元『血の理を盗むもの』代行者ファフナー・ヘルヴィルシャインの説得は成功した。

 そして、いま新しく『魂の魔人』ニール・ローレライが仲間になろうとしている。


 ――見事、『血陸』の『一次攻略隊』は、俺と言う難関を乗り越えた。


 だから、こうしてカナミと清掃員は達成感に包まれ、談笑している。


 そして、二人は視線を、綺麗さっぱりとなった『御神体保管室』の出口の扉に向けた。

 開けっ放しのままなので、その先にある石の階段が見える。

 薄らと地上の日差しが、ここまで届いているような気がする。

 少しずつ血の匂いがなくなっている気もする。


「幸い、上にセルドラ様がいます。すぐにでも、熨斗のしをつけて『ファフナー』という名前はお返しできるでしょう」

「それがいいね。たぶん、そろそろ上も決着がついてる。……グレンさんには悪いけど、誰が勝ったにしても全員でヘルミナさんの魔石を回収して、スノウのいる連合国まで無理やり連れ帰ろう」

「グレン・ウォーカーの身体の治療まで考えているなら、急いだほうがいいでしょう」

「ああ。僕が心配しているのは、そこだ」


 よろけながらもカナミは、『御神体保管室』の出口に向かおうとする。


 消耗した体力と魔力は回復し切っておらず、無防備な背中だった。

 もう俺を仲間だと……いや、最初から俺は仲間だと思っていたのが伝わる背中だ。


 その背中の後ろを、清掃員も続く。

 ただ、まだ足を止めたままの俺に気づいて、振り返り、不安そうに問いかける。


「ニール……? もしかして、地上に戻るのは嫌なのですか?」


 俺の傍まで近づいてきて、下から覗き込んできた。


 至近距離で、俺と清掃員の視線が合う――とは言えない。

 なにせ、『血の人形』は人間と違って、頭部に空洞が一つ開いているだけ。俺からは、彼女の表情が全く読めない。


「いや、嫌なわけじゃない……。ただ、色々と驚いて、少し整理が追いつかないんだ。これから、俺がニールとして千年後の世界を生きるってのは、いいことだと思う。少しでも世界に貢献したいって、気持ちは俺にもある。ただ、それは本当に、許されることなのかなって……」

「…………。〝許される〟に決まっています。だって、いま地上は、ヘルミナ様の繋げた『魔石線ライン』と魔法で溢れ返り、教祖様によるレヴァン教で誰もが安心していて、あの憎き暗雲はさっぱりと晴れた世界。――いまや、地上こそが、ヘルミナ様そのものです」

「地上は、いま、ヘルミナさんそのもの……」


 言わんとすることは伝わる。


 千年前、ヘルミナさんは世界の礎となった。

 だから、その世界を生きることが、真の意味での彼女への恩返しになるということ。


「ええ。ヘルミナ様という世界を生きるのが、私たち弟子たちの役目でしょう」


 ヘルミナさんの名前を出して、清掃員は肩を揺らした。

 地上に出れば、楽しいことがたくさん待っていると言うように、じっと階段を見つめている。その先に待つ新しい世界を、彼女は夢想しているのだろうか。


 俺も想像する。

 地上に出た俺が、世界復興に奔走する毎日だ。

 俺の知識や経験を活かせば、補佐できることは色々あるだろう。

 知り合いは、清掃員とカナミだけではない。あの懐かしいセルドラさんも仲間にいて、千年前にはできなかった冗談を掛け合いながら、この新しい時代を少しでも良くしていく。

 そんな未来があるのならば、見てみたいと思った。


 そうだ。

 全てが終わったあとは、ファニアの領主を目指すのもいいかもしれない。


 いまは辺境の貧乏な地域と聞いているから、復興し甲斐が千年前よりもあるだろう。あの気の合うマリアという子も連れて、一度は消えてしまった『アルトフェル教』を正しい形で伝え直してみたい。それは神学者として本懐だし、『火の理を盗むもの』アルティへの贖罪になるかもしれない。


 やりたいことがたくさん……。

 たくさんたくさん、頭に浮かんでいく……。

 まだまだ『夢』は続けられる気がしてくる……。


 一つずつ、ずれていたものを正しい形で元に戻していくのを考えるのが、こんなに楽しいと思わなかった。

 そして、その新しい人生を歩めるのならば、こんなに素晴らしくて、『幸せ』なことはないとも思った。


 その楽しい気持ちに引っ張られるかのように、俺は清掃員の顔を見直す。


〝――清掃員も、楽しそうに、笑っている〟


 千年前は読めなかった友人の言葉と気持ちが、いまやっとわかるようになった。

 俺と彼女は、二人だけの兄妹弟子。ヘルミナさんから受け継いだものを、一緒に広めていくのが、俺たちの真の役目のはずだ。


「ああ……。いまからでも、合っている道を進め直せるなら……、俺は進みたい。ヘルミナさんの物語の続きは、俺たちの手で紡いでいきたい」

「……ならば、教祖様と『契約』して、『未練』を少し変えましょう。取引の仕組みは、ヘルミナ様の弟子なら、よく知っているはずです。『理を盗むもの』化の工程の最後あたりにあるやつですね」


 清掃員は『理を盗むもの』化について詳しかった。


 ヘルミナさんと俺の後ろで、ずっと見て学んでいた成果だろう。

 俺も彼女に負けじと、知識を口にしていく。


「『理を盗むもの』化の基本は、自分を『代償』にして力を得ること。その中の一つに、『未練』を強く持つことで『不変』の『呪い』を身体に定着させるというのがあるね」

「それです。……そこにいる教祖様に願えば、その『未練』を変えることができる。はっきり言いますが、このままだと普通に消えちゃいますよ? ゴーストの『魔人』さん」


 清掃員は俺から視線を外して、部屋の扉に向けた。

 階段の前で『次元の理を盗むもの』カナミは振り返り、俺たちが歩き出すのを待っていた。


「――ニール君。あの日、『第一魔障研究院』に訪れた僕を案内してくれたお礼を、いま、ここでしたい」


 ニールという名前で呼ばれて、俺は少年だった頃に戻った気がした。

 その俺に向かって、カナミは手を差し伸べた。


 ごくりと、俺は口内に溜まっていた唾液を全て嚥下する。

 後光が差しているような気がしたからだ。

 幻覚か魔法かわからないけれど、日のかさがかかっているようにも見える。

 その白虹の眩しさと対峙していると、俺の足は勝手に動き出す。


 ずっとわかってはいた。

 救って欲しいと言えば、カナミは俺を全力で救ってくれる。


 それも、ただ救うだけじゃない。

 次元属性の魔法は、他者の気持ちを読み取ることに特化している。

 反則的な読解力で、俺と共感して、俺を映し出して、俺を真の意味で救ってくれる。

 本人の口にする願いさえも超えて、心の奥底に眠っている真の願いまでも引き出してくれる。


 身体が震える。

 もはや、カナミの力は『大いなる救世主マグナ・メサイア』どころか、『神』そのもの。

 ずっと聞きたかった神の声を耳にして、全身の鳥肌が止まらない。


 そして、その神々しさに目を奪われる俺の隣で、清掃員は囁く。


「ニール、新しく願ってください。これからは、私と二人で楽しい日々を送りたいと。ヘルミナさんの知識を後世に伝えたいと。より良い結末が欲しいと。心からの一言を、さあ――」


 いざなわれる。

 カナミに差し伸ばされた手まで、背中を押される。


 その手を取れば、『幸せ』になれる。

 握手・・すれば、新しい人生が始まる。


 そのための一歩目を、いま俺は歩き出す――

 瞬間、つま先に何かが当たった感触がした。


「…………」


 裸足だったので、触れたものが本だと気づけた。

 思わず、俺は視線を落とす。

 前ばかり見ていて、足元がおろそかになっていたせいで、床に落としたものを軽く蹴ってしまったようだ。


「これは、俺の……」


 いつの間にか、俺は『碑白教の経典』を落としていた。

 千年前と同じく、無造作に『御神体保管室』の地べたに置かれている。


 ――何かを、俺に訴えかけているような気がした。


 気のせいだ。


 ただ、そう錯覚するのも無理はない。

 この本は長年、俺という『代償』を詰め込んで、半身と信じていた。

 『経典』の所持者には逆らえないというルールまで、俺は作っていたほどだ。


 もちろん、あのルールは嘘。


 『経典』の教えに狂信していたのは、振り・・で、ヘルミナさんの真似だった。

 要は、ただの思い込み。

 そのルールを破っても、別に何の罰則もない。


 ――でも、それは確かに、俺のルールではあった。あった気がする。


「俺の……、『経典』……」


 『経典』を守り切れば、いつか『本物』になれるというルールが、俺の中にあった。


 もちろん、それは世界のルールじゃなくて、いわゆる俺ルールや自分ルールと言われるやつだ。影以外を踏むと地獄に落ちるぞと騒ぐ子供みたいだが……、俺は俺なりに俺ルールの絶対遵守を誓っていた。

 気がするだけのようなことを、必死に信じて守るのが、俺は幼い頃から得意だったから……。


 ――それは身体が勝手に動くくらいに、しっかりと、俺の魂に根付いている。


 ふと、あの『経典』の所持者には逆らえないというルールは、いまどうなっているのかが気になり、確認も含めて、本を拾った。

 そして、目の前にいるカナミも含めて、ヘルミナさんやノスフィーやヒタキといった歴代の主たちを思い出していき、その最後に――


 あの『ラグネ・カイクヲラ』の姿を思い出す。


 決して、大きくはない背中だった。

 先ほど並べた四人と比べると、気高さとか清廉さとかはなくて、本当に適当で杜撰で、小ざっぱりとしていた主……。


 あいつと一緒に、俺は人類絶滅の『夢』を追いかけた。

 いま思えば馬鹿のようなことをしていたものだ。


 だが、あいつと一緒だったからこそ、初めて馬鹿なことができたという気もする。

 そう言えば、あいつだけが俺を、騎士として本当に認めてくれて――



『――我が騎士ファフナーに命じる。もう抑えなくていい――』



 あいつは主従関係を利用して、この俺を使い潰そうとした。

 俺を使い捨てにする気満々でいてくれたのは、あいつだけだった。


 ただ、だからこそ、あいつの前では唯一まともに騎士っぽいことができた気がする。


 あいつもカナミと同じで、『鏡』のようなところがあった。

 ならば、あれも俺の『理想』の一面だったのかもしれない。

 あいつが嘯く姿は、記憶は『召喚』による影響がないおかげか、本当に思い出しやすい。


『――『大いなる救世主マグナ・メサイア』ってやつを超えて、世界の何もかもに勝って、勝って勝って勝ち続けて……最後の最後に『神様・・』にでもなれたらいいなあって思ってるっす――』


 耳に残っている。

 カナミと同じで、俺にとって都合のいいことばっかり言ってくれたラグネ。


 いまの俺の主を、『経典』を手にして、俺は思い出した。

 そして、懐かしむ。

 あいつも俺にとっては大事な思い出であり、大切な人生の一頁の一つだった。

 色々なことを、あの主ラグネからも教わって――


『――無理っすよ・・・・・。カナミのお兄さん、胡散臭いっすもん。絶対に途中で裏切るっす――』


 あいつの忠告が聞こえた。

 いや、聞こえてはいない……。

 これは、聞こえた気がするだけの思い込みの『声』。「死者の声が聞こえた」のではなく、「そう俺が思った」というのが正しい。


 状態異常『幻聴』を誘発する『スキル』が俺にはあって、その力が俺の心を楽にしようと発動しただけだ。


 ……抑えないといけない。

 この『スキル』は、自分の聞きたい都合のいい声を、勝手に死者の声として捏造する。

 しかも、死者の声に変えているのは、そのほうが俺の心が楽だから・・・・という理由だ。


 死者の魂を冒涜しているとしか思えない『スキル』だから、俺は必死に抑えようとして、でも――



『――ああ・・胡散臭い・・・・―』



 止まらない。


「あ、あれ……?」


 何かがおかしい。


 背中に悪寒が走って、疑問の声が漏れた。

 それは、かつて感じたことの無いほどの悪寒だった。


 それは『虫の知らせ』と呼べばいいのか、『悪感』とでも呼べばいいのか。

 わからないけれど、この『声』が俺にとって聞きたい声だとすれば、何が胡散臭いのだろうか……?

 俺は何に違和感を覚えて、何に悪寒を走らせている……?


『――何って、最初から最後まで全部っすよ。ファフナーさん――』


 とうとう生前のラグネが一度も言っていない言葉まで聞こえ始める。


 先ほど清掃員とカナミから、俺は決め付けが激しいから、ヘルミナさんの気持ちを間違えていたと教わったばかりだ。


 なのに、その『スキル』は止まらない。

 他人の言葉には耳を貸さず、どんなときでも自分を信じるという――あのロミスと同じで大嫌いな悪癖が、なぜか、いま抑えることができない。


 俺は手に持った『経典』から、視線を上げた。

 目の前には、清掃員とカナミ。


 二人とも、笑顔。

 何度見ても、楽しそうな表情。

 俺を助けられて、厄介ごとが終わり、あとは楽しいことだけが待っているという顔。


 でも、主ラグネの忠告を・・・・・・・・聞き・・、俺は注意深く、二人の表情を観察してみる。


 カナミは柔らかな微笑を浮かべている。

 けれど、一方で似合わない汗を垂らし続けている。先ほどの魔法による負担で、苦しい脂汗を浮かばせ続けている。さらに、ずっと息も切れている。


 清掃員も微笑を浮かべている。

 だが、その『血の人形』に許された表情は、頭部にある空洞の形だけ。いま、その空洞は半月を模っていて、くつくつと笑っている。


 カナミは楽しそうに。

 清掃員も〝楽しそう〟に。


 い、いや、本当に……? 本当にか?

 これが、本当に楽しいって顔か……?


 『悪感』が止まらない。

 もし……、もしもだ。

 いま俺が、何らかの悪意ある魔法を受けているとしたら……。

 視ている世界の認識が、ずれているとしたら……。


 そこまで思い至ったところで、俺は自分の一番駄目なところを思い出す。

 それは決して、『ずれ』とか『声』とかじゃない。

 だから、俺は――



「……騙されやすいんです・・・・・・・・・。子供の頃から、俺は」



 そう俺が告白すると、目の前の二人の微笑が固まった。

 ぴたりと。

 凍ったかのように。


「…………」

「…………」


 張り詰めた空気の中で、清掃員は口を閉じた。

 カナミは無表情のまま、脂汗を流して、息を切らせて、何も言わない。

 どちらも俺を見て、何も言ってくれない。


 ――それが余りに不自然で、覚えがあった。


 俺は二歩目を歩き出し、カナミの差し伸べた手に向かっていく。

 鏡合わせのように、俺からも手を伸ばす。


「カナミさん、あなたは自分を『鏡』だって言いました……。確かに、俺たちを映して、俺たちと同じ目に遭って、俺たちと同じものを感じてくれているって、わかります」


 カナミはラグネと同じく、『鏡』の性質を持っている。

 その表皮かがみは相手の心だけでなくて、相手の人生までも映し出して、自分自身のものとする。

 その真の意味を理解したとき、俺の心に一抹の『不安』が生まれていた。


「――ここまでの全てが・・・・・・・・あなたとラスティアラ・・・・・・・・・・のことでもあるなら・・・・・・・・・、俺の最初の質問に答えてください」


 『不安』になったから、俺はカナミの救いの手でなく、その手首を掴んだ。

 握手・・ではなく、一方的に仕掛けた・・・・


「『ラスティアラ・フーズヤーズ』は本当に、いま、あなたの身体の中にいるのかどうかを……、ちゃんと答えてください」


 その質問にカナミは答えることなく、俺の『未練』を解決した。

 だから、意図的に『行間ページ』を飛ばして、真実を隠されたような気がする。


 これも、気がするだけだ。

 けど、俺は気がするだけで、こんなところまでやってきた馬鹿だ。


 だからこそ、胡散臭いって『声』が、さっきから耳元で囁かれて止まらない。

 戦いが始まる前から、ずっと『声』は言っている。


「カナミさん、俺の主が言っているんです……。『胡散臭い。嘘はついていないけど、絶対大事なところを隠してるっす』って、ずっと後ろで、笑ってる……」


 根拠はないけれど、そう俺は思ったきこえた

 それを伝えると、ずっと硬直していたカナミが、やっと動き出す。


「……ラグネが? それはありえない。あいつは死んだし、魔石も塞がってる。その声は『幻聴』だ」


 自分の胸辺りに目を向けて、何かを確認してから力強く首を振った。

 そこにラグネ・カイクヲラの魔石があるのだろう。


 わかっている。

 この『声』は、俺が情報収集して状況分析した結果を、頭の中にいる仮想人格に喋らせているだけ。

 死者の声を考えているのは、いつだって俺の脳みその異常で、そこに魂なんてない。


でも・・、俺は主ラグネから教わった。――十五章一節〝神の表皮かわは鏡で出来ている。人の願いを映すだけ故に、中身は無い〟と……。あなたのおかげで、俺は『未練』を果たせました。けど、代行者に過ぎない俺にとって、『未練そんなこと』は正直どうだっていい」


 『碑白教』は十四章十節までで、そんな頁は存在しない。

 俺は教えられたことのない教えの続きまで、捏造し始めて、抗う。


「ニ、ニール……?」


 その俺を見守り切れず、清掃員は名前を呼んだ。

 しかし、いまは本当の名前ニールよりも大事なことがあるので、構っている暇は無い。


「俺の世界なかでは、そんなことよりも『大いなる救世主マグナ・メサイア』のことのほうが遥かに大事です。俺に『大いなる救世主マグナ・メサイア』は必要なかったとわかっても、そこを読み飛ばすのは……、歴史と神を研究する者としてありえません。絶対にありえない」


 それはヘルミナさんの悲願に関わることだ。


 きっとヘルミナさんは自分が生きている間に見られないと、『夢』を諦めていただろう。

 だからこそ、その『夢』が叶ったかどうかを確認するのは、この俺の役目のような気がした。


「――ニール、それは空耳! 気のせいです!」


 いや、気がした――じゃない。


 ヘルミナさんのネイシャ家の役目が『研究を使徒たちまで繋げること』だったならば、千年続いたらしい我がヘルヴィルシャイン家の役目は『研究が生んだモノの確認』だったことにしよう。

 初代当主として、いま、そう俺は決めた。


 必ずや『大いなる救世主マグナ・メサイア』と『神』を研究して、解明しなければならない。


 もし、いま二人の笑顔の裏に隠されているものが、俺の『不安』どおりならば。

 その〝楽しい〟という言葉が、改編された偽りの歴史ならば。 

 それを確かめるのが、このファフナー・ヘルヴィルシャインの役目――


「――鮮血・・魔法《ディスタンスミュート》」


 俺は自らの体内に流れる『魔人』たちの力を借りて、その魔法を構築した。


 そのとき、『ファニアの物語』の『行間』を少し思い出した。

 次々と『魔人』の仲間たちが死んでいく中、俺は「いつか神様が必ず助けてくれる。『大いなる救世主マグナ・メサイア』がやってきて、死後に報われる」と死の間際に約束し続けた。

 誰もが暗雲の時代に呑み込まれて、理不尽に殺されていった。

 そのみんなに俺は「俺の『碑白教』を信じれば、大丈夫」と信じ込ませてきた――その責任がある。


「だって、死んだみんなが、死んでも死に切れない……」


 もし、千年後の『大いなる救世主マグナ・メサイア』や『神』が偽物だったならば、死んでいった『魔人』のみんなが安らかに眠れない。


 だから、まだ俺は、この『御神体保管室』から出るわけにはいかないと、手を伸ばす。


「くぅっ……!」


 カナミは小さく唸った。

 俺の《ディスタンスミュート》を纏った腕が、カナミの腕から肩まで辿り、その奥にある胴体まで突き刺さっている。


 それは正しく、今日一番の『奇跡』的な一撃。


「俺も、『本当のカナミさん』の本当の気持ちが知りたい……! またわかったつもりになって、千年前と同じ失敗は繰り返したくはない……!」


 そして、『奇跡』に合わせて、俺は叫ぶ。

 本当の俺が確かめたいものを、はっきりと伝える。


「ここまでの全てが『鏡』だったなら! きっと、いまの俺なら、あなたの気持ちがわかります! わかってあげられます! だから!!」

「――――っ!?」


 そう宣言したとき、カナミの表情から強張りが消えた気がした。


 そして、その視線を、俺の背後に向ける。

 何も無い宙を見て、どこか恥じ入るような表情を見せて、全身の力を抜いた。


 『奇跡』の理由が少しだけわかった気がする。

 俺は隙を突いた。ただ、突いたのは不戦の隙でもなければ、消耗の隙でもなく、『代償』の隙だった――と逡巡する暇さえ、ここからはもうない。


 ようやく、俺は敗北と引き換えに、《ディスタンスミュート》を仕掛けられた。


 すぐにアイカワカナミという存在の領域内に入って、魔法の感覚で探る。

 その先は広大で複雑で、多層的。複数の魔石を内包しているとは知っていたが、人一人の魂とは思えない。


 その中から『ラスティアラ』という六文字の入った本を見つけ出し、掴む。

 開く頁は、最終章の次。

 何百節も積み重なった物語の続き。


 あの『最後の戦い』のあと、アイカワカナミがどのような日々を過ごしたのか。

 好きな人と妹を同時に喪い、その続きを託されて、どのような気持ちになったのか。

 その新章であり後日譚でもある本当の書き出しを、俺は読み始める。それは――



〝――どこまでも広がる憂鬱な曇り空〟



 俺がカナミから聞いた楽しい日々とは、全く逆の日々。


〝無限に連なる雲に隙間はなくて、太陽の光を完全に閉ざしている。


 雲は純白色、白色、灰色、鈍色と段階的に濁っていき、ゆったりと流れていく。

 世界が軋んでいるかのように、不吉な風の音が鳴り響いていた。


 まるで落ちてきそうな曇り空の下。

 『連合国』の十一番十字路にて、黒髪黒目に黒いローブを纏った『異邦人』が立っている。


 フーズヤーズ有数の街道は活気に満ち、常に行き交う人々で一杯だ。

 だが、道の真ん中で天を仰ぐ『異邦人』を、気に留める人は一人もいない。


 その黒いローブには特殊な魔法がかかっていて、誰の瞳にも彼の姿は映らない。

 歩く誰かとぶつかっても、接触することはなく、すり抜ける。


 『異邦人』は次元魔法の終点に辿りついていた。

 ただ、最後の戦いで、全てを喪ってしまっていた。


 もし、いまの彼に残っているものがあるとすれば、それは『次元の理を盗むもの』の『狭窄』のみ。

 それでも、彼は歩き出すしかない。


 たった独り、大切な人の居ない異世界に迷い込んで、『幻覚』に苛まされつつ。

 物語の続きを、『相川渦波』は生きていく――


 それを、俺は視るよむ




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