444.本当の地獄

 だから、本当は――

 ずっと『相川渦波ぼく』の空は、最悪・・の天気だった。


 ――物語の頁は、二ヶ月前まで一気に戻る。


 そのとき、僕は全てが終わったという清々しい開放感の中、ぽっかりと空いた穴が埋まらなかった。

 マリアと同じだ。

 ラスティアラを喪ったという事実を前に、たった七日間で心は崩れて、哀しみに耐え切れなくなっていく。


 さらにマリアと違って、僕には続きがあった。


 ――最後の戦いを終えてから、八日目。


 涙の枯れ果てた瞳が、とある『幻覚』を映し始めたのだ。


「ぁ、あぁぁ、ぁああぁ……」


 心の整理をつけようと、思い出の場所に訪れる度に、それは視える・・・


 読みすぎて暗記してしまった『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』の文字が、頭の中で勝手に浮かび上がっては、その通りに現実世界に書き出されるのだ。


 初めて出会った迷宮一層では、〝僕に《キュアフール》を使うラスティアラの姿〟を視た。

 馴染みの酒場の裏に行けば、〝僕を冒険に誘うラスティアラの姿〟を視た。

 大きな街道まで足を運べば、〝僕と前夜祭を遊ぶラスティアラの姿〟を視た。


 そして、そのラスティアラと過ごした楽しい日々の終わりには、あの十一番十字路が必ず待っている。

 こここそが、全ての『運命』と『呪い』が決まった場所。

 この十一番十字路で、僕たちは「愛している」と『告白』し合った。


『――とにかく、頑張ってるカナミが私は大好き――』


 ああ、わかっている。

 だから、ラスティアラの『主人公』の僕は、どんなことがあっても頑張り続けると決めている。


 多くの苦難が待ち受けてても、前に進み続ける。

 そう僕のことをあいつは信じているから、僕は生きていく。

 そう決めたから……。


『――でもね、そこに私はいなくてもいいんだ――』


 思えば、あれは後の戦いを予期しているとしか思えない台詞だった。

 その言葉通り、ラスティアラは死んでしまった。


「薄々と……、気づいてたんだろうな。あのとき、僕たちの待つ『運命』に……」


 いま僕は、左手に『手記』を持ち、右手に『白虹色の魔石』を持っている。


 その魔石は『作りもの』のように美し過ぎて、どこか呪われているように感じた。

 ずっとラスティアラは、この中で『夢』を見ている。

 物語が終わったあとも、僕と一緒に『冒険』し続けているという『幸せ』な続きを、ずっと――


 その綺麗な『夢』は、次元魔法使いである僕にも感じられた。

 もちろん、それは魂と魂に『繋がり』があるからこそ、聞こえる『奇跡』。



(――カナミ・・・大丈夫・・・?)



 『幻覚』の果て、『声』が聞こえる。それだけじゃない。

 右手から、柔らかな感触と暖かな温度も感じられる。


 いつの間にか、僕は『白虹色の魔石』ではなく、手を握っていた。

 それは『たった一人の運命の人』の手。


 目を横に向ける。

 隣に、悪天候の風で長髪を靡かせるラスティアラ・フーズヤーズがいた。

 手を繋いで、恋人同士のように、ラスティアラと僕は、十一番十字路にある石の長椅子に座っていた。


 この連合国で最もロマンチックな場所に相応しいカップルとして、僕はラスティアラしか視えないほどに『狭窄』して、話す。


「うん……。ラスティアラ……、大丈夫だよ」


 左手に持った『手記』の頁が、風で捲れた。

 白紙だったはずの頁には、続きの物語が『執筆』されているのが見えて、僕の『幻聴』『幻触』『幻視』は悪化していく。


(もうカナミだけだよ? まだネチネチと、過去の思い出に浸ってるのはさ)


 隣で、あのラスティアラが喋る。

 声が聞こえる。

 体温を感じる。

 僕の口から、自然と返答が零れ落ちるのは無理もないことだった。


「……うん、わかってる。僕だって、みんなと一緒に前を向きたいって思ってる。でも、流石に、すぐには無理だよ。できたら、そもそも僕はこんなことになってない」

(それは、まあ、確かにね……。ほんとカナミって、後に引き摺るタイプだよね。そういうところが、暗い! すっごく暗いよ!)


 いつもと変わらない様子で、元気に、快活に、笑う。

 だから、僕もいつもと変わらない笑顔を浮かべて、話を続けられる。


「知ってる。けど、『元の世界』でゲーム漬けだった頃と比べると、これでも、かなり明るくなった方なんだよ」

(んー……、ほんと? ……まっ、私を視る度に大泣きしてた頃と比べると、ちょっとは前進したのかな? 少しずつ、いまの状況に慣れていくしかないかー)


 ちょっとだけお姉さんぶって、ラスティアラは僕の成長を見守つつ、微笑む。


 その笑顔を見ているだけで、心が軽くなる。

 彼女の明るさに、本当に僕は助けられてきたことを再確認した。

 ただ、まだまだ余裕のない僕は、その気遣いに直球で返答してしまう。


「僕が一番時間がかかるのは仕方ないよ。……だって、僕が一番おまえを好きなんだから」

(…………っ!)


 ラスティアラは一気に赤面して、大きく開けた口をあわあわと震わせ始めた。

 けれど、すぐに口を一文字に閉じて、負けじと言い返す。


(私も、カナミが一番好きだよ……。そうやって、必要以上に苦しんじゃうところが、本当に大好き)

「…………っ!」


 直球に直球で返されてしまい、僕の口も一気に緩み、大きく開かされてしまった。

 ただでさえ紅潮していた頬に、さらなる熱が灯って、震え始める。


 十一番十字路に相応しい馬鹿な会話をしている僕とラスティアラだった。

 ただ、その馬鹿な会話一つ一つが、僕は嬉しかった。


 だって、好きな人とは、ただ話をしているだけで楽しい。


 他人が聞いたら眉を顰めるような中身のない会話でも、適当に投げかけ合うだけで、罅の入った心が満たされていく。

 それはラスティアラも同じようで、隣の僕の顔を見返しては、理由はないけれど嬉しそうに、にへらと口元を緩めた。


 僕たちは十分に、互いの赤面を再確認し合ったあと、視線を前に向ける。

 賑やかな街並みが広がっていた。

 十一番十字路をカップルたちが歩いているのを眺めつつ、充足に満ちた溜息をつく。


「……はあ。平和な時間だ」

(うん……、平和だね。私たちの物語が終わったと同時に、この連合国の歴史も一区切りついた感じかな?)

「連合国の歴史って言うよりも、ティアラの歴史が終わったって言ったほうが正しいと思うよ。……何にせよ、ゲームエンド後の光景って感じだ。あとは、ゆっくりとここで、これまで苦労した分、静かな続きを紡いでいくだけ。こうやって、おまえとくだらない話をしながら、ちょっとずつちょっとずつ、物語の続きを……」

(物語は終わっても、艱難辛苦を乗り越えた少年少女は、ずっと『幸せ』に暮らし続ける……。カナミ、知ってる? これが、私の『夢』だったんだよ?)

「知ってる。おまえの『手記』に書いてたから」

(もちろん、その『夢』の中には、私たち二人だけじゃなくて、みんなも一緒。ディアがいて、マリアちゃんがいて、スノウがいて……、私の大好きなみんなが揃った状態で、この最後の頁を迎えた世界は――)

「このゲームクリア後の世界は――」

(「続く」)


 僕たちは声を合わせた。

 気持ちは齟齬ずれなく、一つ。

 この続きの楽しい日々が、僕たちの『幸せ』であると通じ合う。


 …………。

 うるさい。一つも胡散臭くなどない。

 人によっては、いまの僕たちを見て、ただの現実逃避だと否定するだろう。しかし、誰にも否定はさせない。


 僕とラスティアラの世界では、これが『幸せ』だ。

 これ以上に、楽しい時間はない。


(うん。私も、すごく楽しいよ。例えば、いま周りから、カナミがどんな目で見られているかを考えるだけでも、かなり楽しい)


 僕の感想に同調して、ラスティアラも「楽しい」と口にしてくれる。

 そのどうでもいい無駄話に、僕は喜んで付き合っていく。


「いや、そういう楽しみ方は絶対させないからな。おまえと話すときは、誰にも見られないように、念入りに魔法をかけて話してる」

(むっ? つまり、世界に私たちは二人っきりってこと? それもロマンチックで悪くないけど……、私としてはみんなにも見て貰いたい気持ちがあるんだよね。これは、カナミを苦しめたいとかそういう話じゃなくて、ちょっとした自慢話。あの噂の大英雄様は、このラスティアラ・フーズヤーズと結ばれたってことを、みんなに伝えたい。一年間、本当に私たちは色々あったけど、ちゃんと私たちは『幸せ』になれたんだってことを、みんなと一緒に祝いたい……!)

「もう十分だと思うけどね。前の『告白』のときに、かなり連合国で噂されるようになったし」

(もっともっと噂されたいんだよ。お母様や妹ちゃんのお墨付きを頂いた以上、大々的に私が独占しないとね。たとえマリアちゃんたちでも、易々と割り込めないようにさ)


 少し真剣な表情だった。

 自分以外の誰かが、僕の『呪い』で死なないようにと気を遣っているようだ。


「ラスティアラ、その心配は要らない。おまえは僕が死ぬまで……いや、死んだあとも永遠に、僕の『たった一人の運命の人』だ。この繋いだ手は、二度と離さない」


 安心させるために、そう誓いつつ、右手を強めに握り締めるのだが……一気に、互いの赤面が加速する。

 自分で言ってて自分の台詞の臭さにかなりのダメージを受けていた。


 隣を見ると、ラスティアラの顔が過去最高に真っ赤となっている。

 ぶるぶると全身を震わせて、いまにも恥ずかしさで全力逃走しそうになりつつ――でも、いつかの船旅のときとは違って、僕の言葉を受け入れていく。


(うん、私もカナミを離さないよ。これからも、ずっと私はカナミの心の隅っこにい続ける。それで、カナミが迷ったり苦しんだりするのを、にやにやと隣で見るんだ)

「……ああ。ほんと悪趣味だ」


 わかっていることだが、ラスティアラは気持ち悪いことこの上なくて、スリルジャンキーで、怖くて、下世話なところがあって、本当にろくでもないやつだ。


(うん。私は悪趣味で、嫌なやつ。でも、私の悪趣味そこが好きってカナミが言ってくれたから、私は私らしくてもいいんだって……、安心してる)


 でも、そんなラスティアラを、僕は好きになった。

 僕の悪い部分を見て笑顔になってくれるから、いつだって明るくて、眩しくて、救われていたんだと……、何度でも何度でも何度でも、確認し続けたい。


「僕もだ。おまえが僕の駄目なところも好きって言ってくれたから、別に完璧じゃなくてもいいんだって……、安心できた」


 『告白』で確認し合ったから、もう齟齬ずれは一切ない。


 愛で通じ合っているから、『安心』して、手を繋ぎ、空を見上げて、この気の滅入る曇り空でも、まだ頑張ろうって思える。


 こうして、もう何度目かわからない愛の確認を終えたところで、ラスティアラからギブアップが入る。


(――はいっ! 私たちの話は、ここまでにしよう! 照れるから、こーこーまーで! それよりも、それよりもー!)


 お互いに照れ屋だが、先に限界が来るのは、いつもラスティアラだ。

 ぶんぶんと空いた手をたくさん振り回したあと、仲間たちの話に移っていく。


(それよりもさ、私は明日が楽しみだな。そろそろ、みんなも私のことを引き摺らなくなってきてるからね。いつもの空気に戻って、早くカナミがマリアちゃんやディアやスノウに振り回されてるのを、私は見たいなー)

「……最初のときほど、殺気立つことはもうないと思うけどね。ラスティアラの遺してくれた絆のおかげで、最近みんな本当に仲がいいから」

(いやあ、それはどうかな? ふっふっふ、死ぬ前に色々とけしかけたからねー。特に、スノウあたり)


 ラスティアラは自分の色恋沙汰には弱いけれど、仲間たちには強気だった。

 その彼女の期待しているものがわかり、僕は少しだけ冷たく突き放す。


「何をけしかけたのかはわかるけど、それはありえないと思うよ」

(そうかな? スノウのお義母さんとか、カナミと縁組したがっているから、一悶着起こるって私は見てるけどね。あの人なら、一夫多妻ハーレムとかにも躊躇しないし)

「それ、リーパーも前に言っていたけど、それだけは絶っ対ありえないからね。人は『たった一人の運命の人』と結ばれるべきだって、いまでも思ってるから」

それ・・も、私は時間が解決していくと思ってるよ。いますぐは無理でも、何年か経って、みんながいい大人になったら……、色々と気持ちも変わってるはずだよ)

「気持ちが、変わる……?」

(なにより、ノスフィーお姉ちゃんの件もあって、私たちの倫理観ってもう滅茶苦茶だからねー。いまさら、お嫁さんの一人や二人、増えても面白いだけじゃない?)

「面白いだけって、おまえな……」


 これを本気で言うから、ラスティアラは厄介なのだ。

 相変わらず、愛が軽くて広い。こちらが、どれだけ強く重く、愛を訴えかけても、ひらりとかわされるのが少しだけ悔しかった。


 ラスティアラには悪いが、僕は誓っている。

 これから先、永遠に。

 僕がラスティアラ以外と結婚することはない。

 それは別に『契約』というわけではないが、ルールみたいなものを自分で作っている。


 ――もし、その自分ルール・・・・・を違えるとすれば、それは僕が死ぬときだけだろう。


 ただ、その僕の決意は虚しく、ラスティアラは笑い続ける。


(私は時間が解決していくって本気で思ってるし、みんなを信じてるよー。だから、いつか本当に、みんな一緒に『幸せ』になれる! 必ずね!)


 人の気持ちは、うつろう。

 不変なものなど、この世にはない。


 それがラスティアラの価値観の一つのようだが、それは――この僕の『狭窄』も、永遠じゃないと言われているような気がして、少しだけ嫌だった。


 ただ、ラスティアラが生きていれば、必ずこう言うと僕にはわかっている。

 どれだけ僕がラスティアラを見続けていても、彼女は二言目には『みんな一緒』と言って、視線を逸らす。


 それが、わかる。

 わかるからこそ、掻き立てられる感情がある。


 自分でもわかっているが、それは清くない。

 粘度があって、熱がこもっていて赤く、いまにもドロリと這い出てきそうなものが――



「おい。そこに、ラスティアラがいるのか?」



 二人きりの世界に割って入る第三者の声が聞こえた。

 僕は慌てて、ラスティアラ以外にも意識を向ける。


 いつの間にか、目の前に青い短髪の男が立っていて、僕が見つめている先に視線を向けていた。


 『無の理を盗むもの』セルドラだ。

 口を半月のように歪ませて、笑っている。

 飽きっぽい彼にとって、いまの僕の様子は『新鮮』なのだろう。彼の悪癖が全開だが、僕やラスティアラも他人のことを言えないので、そこに苦情は入れない。


 それよりも、いまの質問が僕にとっては重要だった。

 ここに、ラスティアラはいるのか。それとも、いないのか。


「いるよ。そう僕は信じてる」


 即答した。


 それを聞いたセルドラは眉を顰めて、理解し難いことを表情で主張した。

 けれど、何もない宙を数秒ほど睨んだあとに、微笑と共に嘆息する。


「……信じてる、か。ああ、いまのおまえが信じてるなら、本当にいるんだろうな。俺も信じよう」


 否定しなかったどころか、強く肯定した。

 ただ、その理由は僕と少し違うようだ。いまの僕ならば、魂さえもコントロールできるという圧倒的な力への畏敬である気がして、少し言い足す。


「いや、そこまで深い話じゃなくて、これはただの『呪い』だよ。『狭窄』の支払いも兼ねて、ラスティアラと話してるだけ」


 さらに言えば、戻ってきた『並列思考』や新たに得た『執筆』といったスキルの試運転も兼ねている。


 しかし、その僕の軽い態度が、セルドラにとっては、更なる恐怖のようだ。

 ぼりぼりと後頭部を掻きながら、『呪い』の異常さを再確認させようとする。


「ただの『呪い』って……、おまえにとってはそうかもしれないが……。言っとくが、すごい光景だったぞ。俺にしか見えないお前が、延々と独り言を繰り返してるんだ。俺は俺の正気を疑って、数分くらい動けなくなったほどだ」


 わかっていることだが、ここまでの全ては『幻覚』で、他人から見たら正気なことではない。いまも『僕の世界』ではラスティアラがセルドラに向かって、「久しぶり。死んだとき以来だねー」と『幻覚』は話しかけているが、僕が代弁しない限りは、決して届かない。


 このままだと会話が成り立たないので、僕は十一番十字路の長椅子に一人で座っているという現実に戻って、セルドラと話す。


「……うん、ちゃんとわかってる。だから、こうやって魔法で隠れて、話すようにしてるんだって。みんながいる前では、ラスティアラと話さないようにしてるよ。一回、ライナーの前でやって、すごく心配されたからね」

「それがいい。狂気に慣れてる俺でも、いまのはちょっとトラウマ気味だ。常人じゃあ絶対に受け入れられん」

「というか、そもそもの話なんだけど、よく僕を見つけられたね。探知が得意なスノウでも、もう僕の『隠密』は突破できないのに」

「おいおい、あの怠け者と比べるなよ。俺は初代『次元の理を盗むもの』ノイを二度捕まえた男だぜ? 元々、探索とか斥候とかは、すげえ得意なんだ」


 そのセルドラの自慢に、偽りはない。


 全ての記憶を取り戻した僕は、千年前のことも本のように思い出せる。

 過去のセルドラが敵国で行っていた本業のことも、よく知っている。


「もちろん、いまのおまえが本気になれば、そう簡単にはいかないだろうがな。《ディメンション》を駆使されると、接近する前に気取られる」


 セルドラは何かを確かめるように聞いてきた。

 別に隠す理由はないので、僕は素直に答える。


「もう常に《ディメンション》は使ってないよ。いま、セルドラの接近に気づけなかったのは、そういうことだね。……緊張しっぱなしの生活は終わりにしたんだ」

「……本当に使ってないのか? 少しも?」

「あれを使うと、みんなのプライバシーが筒抜けになるからね。かと言って、広げた《ディメンション》の中にあるプライバシーを避けようとすると、すごく疲れる。それなら、もう一切使わないほうがいいって決めたんだ」

「ぷらいばしー? ああ、個人の秘密のことか。確かに、それは大事なことだ」

「だから、もう僕は【他人のプライベートを魔法で視ない】」


 反則的な魔法なんて、もう僕には必要ない。

 それを力強く宣言することで、セルドラを安心させようとする。


 だが、その宣言が力強過ぎて、『理を盗むもの』であるセルドラは特殊な重みを感じたようだ。まるで、新たな『世界の理』を聞かされたかのように、警戒している。


「心配しなくても、いまのは理とかじゃなくて、ただの自分ルールだよ。もう『呪い』や『代償』は、うんざりだから『取引』はしてない。……セルドラも、『世界』を感じられるよね?」


 そう言って、僕は振り向くことなく、背後から感じる視線・・に向かって指差した。

 その先にあるだろう『切れ目』を、セルドラは睨む。


「薄らとはな。確かに、さっきの宣言で、魔力は行き来していない。おまえの中でだけのルールだな」

「そういうこと。……それにしても、セルドラでも薄らってことは、『世界』の好みで視線の濃さって変わるのかな? ちなみに、僕とラスティアラは注目度抜群の物語みたいで、あの最後の戦いが終わってから、ずーっと見られてる」

「見張られているのか。おまえがラスティアラを生き返らせないように」

「そういう敵意は一切ないんだよね。ただ、僕たちと一緒に、このラスティアラの物語の続きを楽しんでるだけで……。だから、厄介なんだ」


 僕たちは『世界』に気に入られてしまった。


 ここで重要なのは、僕よりもラスティアラのほうが気に入られていることだろう。

 いま『世界』が見ているのは『ラスティアラの主人公』であって、『相川渦波』ではない。

 ただ、その趣味に僕は、かなり共感できる。

 なまじ話が合うやつだから、色々と僕は困っている。


 その複雑な感情を、僕の苦笑からセルドラは読み取ったようだ。

 目的である確認を、彼は続けていく。


「楽しんでる、か……。それが、これからのカナミの目標でもあるのか?」

「うん。これからは、普通に『冒険』していくよ。『ラスティアラの主人公』らしくね」


 連合国の復興が終われば、次は世界を救う『冒険』が中心になるだろう。


 陽滝やティアラの負債を解消するのも大事だが、その土台となる世界が滅んでしまっては元も子もない。

 そのために、僕は自分の作った『迷宮』を、自分で攻略することになる。


 正直、モチベーションは上がらない。

 『迷宮』の作者が自分なのでマッチポンプ感が出ているとか、レベルがカンストしてしまって手応えがなさすぎるとか、それ以前にクリア報酬である『最深部』に魅力がない。


 『迷宮』の黒幕だった僕は、そこに何があるのかをわかっている。

 無限の魔力という水源に、『魔石』や『術式』といった蛇口をつければ、何でも願いは叶うだろう。――ただ、僕の本当の願い以外の「何でも」だ。


 僕だけが使えない魔法のランプ状態なので、使徒ディプラクラあたりに何度も急かされても、こうして空いた時間はデートに使われてしまっているのが現状だ。


「…………」


 その僕の姿を、じっとセルドラは見守り続けていた。


 『世界』と似ている視線だ。

 僕に何かを期待しているように見える。


 セルドラの場合、『理を盗むもの』であるゆえの期待だろう。

 千年前の記憶や千年後の行動を掛け合わせると、薄らとだが答えは出る。彼の上司であるティティーも言っていたことだ。

 セルドラが今日一番確認したいことを察して、僕は謝る。


「ごめん、セルドラ。『異世界』への旅行は、もうちょっとだけ待って。旅行の安全性を考えると、魔法の練習はしておきたいんだ」

「……は? 『異世界』への旅行?」

「え? セルドラは『異世界』に……、僕と陽滝の生まれた世界に行きたいんだよね? 陽滝の魔法《リプレイス・コネクション》で」


 最後の戦いで陽滝は、魔法《リプレイス・コネクション》を使って『元の世界』に逃げようとした。

 あの魔法を、僕は陽滝の魔石から学ぶことが出来る。


 もちろん、その『術式』は妹用に複雑で、そう易々とは真似できないだろう。

 くらいで言えば、最上位さえも超える魔法だ。


 だからこそ、失敗や副作用の危険を考えて、事前に実験をしたおきたいという話だったのだが……。セルドラの頭の中にはなかったようで、歯切れが悪い。


「あ、ああ……。そうだ。その魔法が報酬だったから、俺は陽滝に一時的とはいえ従っていた。それは間違いない」


 不思議に思い、僕は確認する。

 もちろん、スキルの『読書』でも魔法の『糸』でもなく、言葉を交わしての確認だ。


「前に、ティティーが言ってたよ。セルドラは飽きやすくて、いつも笑っているようで笑ってないって。……『自分の世界』が退屈だから、『逃避』したいんだよね? 向こうで楽しいことを探して、人並みの『幸せ』を感じたいって、千年前からずっと考えてる」

「…………っ!」


 これまで戦ってきた『理を盗むもの』たちは、誰もが大仰な願いの果てに、ささやかな望みを抱いていた。

 その経験則に沿って、自分なりに指摘してみたのだが、想像以上に核心を突いてしまったようだ。


 セルドラは非常に動揺して、否定の言葉を見つけられずにいた。


 少なくとも、大きくは外れていないと判断して、僕は約束する。


「お礼は絶対にするよ。セルドラのおかげで、色々と助かったからね」

「た、助かった……? 何言ってんだ? 俺は陽滝の《リプレイス・コネクション》って報酬に釣られて、おまえの想い人を殺すのに加担したんだぞ?」


 信じられないといった様子で、セルドラは首を振った。


 ここで僕は色々な疑問が氷解する。

 どうやら、僕がラスティアラの仇を取ることを警戒していたようだ。


 対話を積み重ねる大切さを再確認しながら、僕は再度お礼を言う。


「妹の味方をしてくれたことは、兄として感謝してる。それは、陽滝を救いたがっていたラスティアラも同じだよ。僕たちの敵になってでも、独りぼっちの陽滝の傍に立ってくれたセルドラに、僕たちは本当に感謝してるんだ」


 だから、僕たちがセルドラを恨むことはありえない。

 そう厳粛に伝えて、やっと理解してくれたようだ。

 セルドラは胸を撫で下ろしながら、答える。


「……そう言ってくれると、助かる。少しだけだが、気が楽になった」


 どこか納得がいっていない様子だった。


 他人から許されても、自分で自分が許せないのかもしれない。

 むしろ、許されてしまった自分を恥じているようにさえ見える。


 ――おそらく、これが『無の理を盗むもの』セルドラの核心なのだろう。


 大前提として、自分が大嫌い。

 だから、どんなに明るくて優しい場所を歩いていても、ずっと『自分の世界』だけは薄暗くて、淀んでいて、沈んだままで、何一つ変わらない。


 その気持ちが、僕にもわかる気がした。

 頑張って頑張って、戦って戦って、その果てに待っているのが虚無感だけというのは辛いものだ。


 だから、僕はセルドラの代わりに、彼を精一杯褒める。


「セルドラは本当に立派だよ……。いつだって平等に、みんなの味方であろうとしてくれた。どんな状況でも、善人であろうと努力し続けた。たとえ、それが自分の楽しみに繋がらなくても、世のため人のために、頑張り続けた。その成果が、いまの連合国の発展にも繋がってるって断言できる。ただ、それなのに――」


 セルドラは頑張って頑張って、戦って戦って、自分なりに周囲の人たちを助けてきた。

 理不尽な『生まれ持った違い』を持ちながらも、人間社会に『適応』しようとし続けた。


「なのに、『セルドラの世界』は一つも変わらない。それは、辛いよね。本当に辛い」


 頑張ったら頑張った分、周囲の人は少しずつ『幸せ』になっていく。

 けれど、当のセルドラは何も得られないし、満足できない。――ちっとも人生は、楽しくない・・・・・


 その虚しさに僕が共感すると、セルドラは驚きつつ、地獄から救われたかのような表情になった。

 長年の悩みに共感者が現れて、心からの笑みを浮かばせかけた。


「…………っ!!」


 ただ、すぐにセルドラは首を振る。

 とても小さな声だが、一人の仲間の名前を呼んで、自戒する。


「……『ファフナー・・・・・』」


 僕はスキルも魔法も使っていない。

 しかし、いまセルドラが、かつて竜人ドラゴニュートを含む全ての『魔人』を救おうとした少年を思い出して、『後悔』したように見えた。


 やはり、ただ話すだけで『未練』は解消できそうにない。


 特に『無の理を盗むもの』は複雑で、特殊そうだ。

 千年前の他のみんなと違って、自由に北と南を行き来できていたのが原因だろう。

 『糸』が至るところに括りつけられていて、連なり、絡まり、容易に解けない。


 すでに最難関である百層の『試練』を、僕は乗り越えている。

 だからと言って、この八十層の『試練』は油断できない。


 僕はスキルと魔法を自動的にでなく、自発的に使う準備をする。

 それだけの余裕が、『狭窄』のおかげで出来ていた。

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