330.この日から始まった
シドア村にある領主の屋敷。
その庭で夜中。
『私』もカナミと同じように、寝ずに特訓していた。
ただ、彼と違って、それは多岐に亘らない。もう侍女としての責務はなくなったし、女性としての魅力も重要ではない。
騎士として『一番』になることを望まれた以上、磨くのは騎士としての力のみだ。
騎士の教養を学びつつ、一心不乱に魔力と身体を磨き続ける。
そして、口にするのは同じ言葉。
「『一番』に……。誰よりも立派な『一番』にならないと……」
目指す役は違えど、その頭の中に潜む強迫観念は全く同じだった。
誰よりも優秀な騎士となるために、私は一切の甘えを捨てて剣を振り続ける。眩暈が起きるまで魔力を練り続ける。どんな苦痛があれども、決して手を緩めはしない。
私は自分の持つ『剣術』と『魔力操作』という才能の二つを徹底的に鍛えていった。
レヴァン教徒の騎士として『神聖魔法』にも少し手は出したものの、この分野で他の騎士を圧倒できる気がしなかったので、すぐに手を引いた。
私は勝ち続けるために、私は唯一無二の力だけを目指した。
夜中から朝陽が昇るまでの間、狂気染みた特訓を続ける。
そして、日中はカイクヲラ家の用意した指南役の下で学ぶ。
その隣には五男のリエルもいた。
結局、カイクヲラ家の子供の中で騎士を目指したのは彼だけだった。
他の子供たちに才能がなかったというわけではない。初期はリエル以外にも、指南役から学ぼうとした生徒はいた。
その中には魔力も素質も高い逸材もいた。だが、共に学ぶリエルと私の騎士としての才能が飛びぬけていたせいで、鍛錬を続けるモチベーションを保てなかったのだ。
戦火から遠い地方という理由もあって、嫡男を含めた他の兄弟たちは武官以外の道を選んだ。
その裏で母の影が見えたような気がしたけれど、私は私の役目に集中し続けた。
目標はシドア村で最強でなく、この国で最強の騎士。
余計なことを考える暇なんて、一瞬たりともない。
その過酷な道を進む私を見て、リエルも触発されたのか、彼も貴族の子息では考えられないほどの過度な鍛錬を積んでいく。どんな日だろうと、病で倒れそうでも、絶対に休みはしない。当然、そのリエルに負けまいと、私も必死になる。
私たちは助長し合い、田舎生まれの騎士候補と思えないほどの急成長を遂げていく。
運がいいことに、その急成長に対して、指南役も手を抜くことはない。時にはシドア村を出て、国の首都で最新の魔法を学ぶこともあった。その勉強の中には、リエルや私のお披露目やお遊びの決闘もあった。
貴族の屋敷や国の学院などで、他国の騎士候補たちと実戦を重ねた。
私は立場上、全勝することはできなかったが、思い通りにならない試合は一度もなかった。
私は強かった。なにせ、勝つことだけに特化していた。
貴族としての使命や誇りを胸にする貴族たちと違って、朝から晩まで勝つことしか考えていない。騙し討ちを恥とは思わないし、どんなときだって謀略を忘れない。
その上、このときにはもう『魔力物質化』という国でも数人しか会得できていない技術を会得していた。まだ正式な騎士になってはいないが、老練の騎士にだって勝てる領域に達していた。
こうして、私たち二人は順調に――数年ほどかけて、国でも噂される有望な騎士候補となった。
勝敗を調整している私の噂は僅かだが、リエルは『ヴァルト国史上最高の逸材』なんて言葉が貴族の中で飛び交うほど有名になった。
本当に順調だった。
屋敷での生活は過去最高に充実していた。
私の話を聞くママはずっと笑顔だし、どこに行っても私は優秀さゆえにちやほやされる。
時々少しは嫌なことはあるけれど、思い通りに改善できないことは一度もなかった。
何もかもが順調で、このままずっと変わらず、この『一番』を目指すだけの時間が続けばいい――なんて思うことがあったほどだった。
そんな気の緩みの中、その話は訪れるのだ。
「――ラグネは『
またカイクヲラ家の庭で二人――けれど、かつてと比べると一回りも二回りも大きくなった騎士候補の少年少女が、肩を並べ合って話をする。
練習を終えたばかりで身体の冷えた私は、汗を拭きながら少しだけ考える。その質問の答えは、この数年で学んだ騎士の教養の中にあった。
「確か、レヴァン教の予言に出てくる騎士様のことですよね? 千年後に『再誕』する聖人様をお守りする七人……って、ちょっと怪しい言い伝えの」
「うん、それ。俺も初めてこれを聞いたときは、たくさんある御伽噺の一つだって思ってたけど……どうやら、実際は違うみたいだ」
「違うというのは、どういう意味でしょう? もしかして、本当に聖人様が『再誕』でもするというのですか?」
「するらしい。しかも、その『再誕』の日は、そう遠くないってさ」
「ほ、本当なのですか……?」
私は口を開けて驚いてみせる。
純真なラグネはリエルの言う全てを真に受ける……という演技を、癖のように行う。
神話の千年後の世界に現れる『
正直、それは女子供を騙す作り話としか聞こえなかった。だが、いつまで経ってもリエルの表情は変わらず、真剣そのものだった。
「本当だよ。……なんでそんなことを知っているかというと、その『
長年の付き合いでわかる。
リエルは嘘を言っていない。
本当にリエルは誘われているのだ。
そして、その『
レヴァン教の伝承の中にある『
そこまで推察したとき、複雑な感情が胸の内で渦巻く。
「ただ、ラグネ……。一度この話を受けると、もうここには戻って来られなくなるかもしれないんだ。だから――」
それは充実した時間が崩れる恐怖だったり、次を受け入れがたいと思っている自分への戸惑いだったり。ただの喜怒哀楽以上のものが私の中に生まれたとき、庭に面する渡り廊下に人影が見えた。
「あっ……」
カイクヲラ家の当主である旦那様とママの二人だった。
いまや、この二人が揃って歩いているのを見るのは珍しいことではない。旦那様は完全に侍従長であるママを信頼しきり、常に傍に置いている。この数年で私がリエルと急接近したように、ママもママの仕事をきっちりとこなしたのだ。
旦那様と侍従長の深い仲は、カイクヲラ家の公然の秘密となっている。さらに言えば、勘のいい人ならば、嫡男である長男との関係にも気付いていることだろう。
ママは見事、カイクヲラ家の奥深くまで入り込んだ。
ただ、その分ママと私の距離は離れたように感じる。
最近は順調に事が進みすぎているせいか、月に一度の母娘の密会がないときがある。
「少しすみません、リエル様……!」
大事な話の途中だったが、勝手に身体が動いていた。
頭の中にある名目は『
「あのっ――」
私の接近にママは誰よりも早く気づいていた。
そして、私の言葉に先んじて、笑顔で称賛の言葉を投げかけてくる。
「ふふっ、今日も鍛錬しているのね。立派よ、ラグネ。この調子でリエル様をお守りできる最高の騎士になるのよ……」
「……え。……は、はい」
立ち止まり、私は頷き返す。
それを確認したママは、すぐに視線を旦那様に戻した。
「失礼しました、旦那様。参りましょう」
「うむ」
一言の激励を残し、二人は去っていく。
その最中、ママは旦那様と楽しそうにお話をしていた。屋敷でのお仕事だけでなく、プライベートな雑談も交えて、心からの笑みを零していく。
私に向けていた笑顔とは全く別物だった。
二人の邪魔をしてはいけないと思い、私は追い縋ることはなかった。
いまママは順調なのだ。この数年の間、本当に活き活きとしている姿を見てきた。旦那様とだけでなく、カイクヲラ家の嫡男とも親しくなり、この屋敷になくてはならない存在になった。もう私の小さな手助けなんていらないくらい価値ある存在に――
「ラグネ、もっと『素直』になってもいいんじゃないのか?」
去っていくママの背中を見続けていたとき、声をかけられる。
「え?」
驚きと共に振り返り、その言葉を投げてきたリエルを見る。
そこには自分の知らない彼の顔があった。
「侍従長さんのことが好きなんだろう?」
確信がある様子でリエルは言葉を続けた。その真剣な眼差しが全てを見通しているようで、私の演技は少し震える。
「その、好きというより尊敬しているだけです……。私を拾ってくれた恩人だから……」
「……そうやって、自分を誤魔化してるラグネを見るのが俺は辛い」
リエルは一歩近づき、私の両肩を掴んできた。
「ご、誤魔化してる? 私がですか?」
表情が引き攣りそうだった。
こうもリエルが私に踏み入ってくるのは初めての経験だ。
「俺にはラグネが無理をしてるように見える。いつもラグネは人を立てるし、どんなときでも褒める。騎士たちとの決闘だって上手に負けてる……けど、それは本当のラグネじゃないだろう? あの侍従長さんを真似して、誰からも好かれようとしてるだけだ」
「え……?」
心からの驚きが続く。
ずっと手の平の上だと思っていたリエルが、私を超えていく。
「確かに、侍従長さんは本当に凄い人だよ。お父様や兄様からは好かれてる理由も、よくわかる。ただ俺は、ああいう八方美人な人は苦手だ……」
いつからかはわからない。
けれど、もう間違いない。リエルは私たちの演技に惑わされることなく、しっかりと本当のところを見抜けるようになっている。
「――
私の肩を掴むリエルの力が増す。
肩に奔る痛みと「大聖都へ」という言葉が、もう終わりだという現実を私に嫌というほど伝えてくる。
いま彼が今日までの関係が崩れる危険を冒してまで、私の中に踏み入ってきたのは『
リエルの姿を見ていると、私は賢く強いつもりになっただけと痛感する。本当に賢く強いのは彼のように、私の演技に気付いていながらも付き合ってくれるような人のことだろう。
私の顔の歪みが深まっていく。
それに対して、リエルは言葉を重ねていく。
「……いや、違うか。いま言ったのは、たぶん建前だ。俺はラグネと一緒にいたいだけだ。ただ、ラグネとずっと一緒にいたいから、俺は侍従長さんから君を引き離したい……! それだけなんだ!!」
ああ、真っ直ぐだ……。
どうにか相手に嫌われまいと、どうにか相手に好かれようと、心にもない言葉を並べる私と違う……。
そして、わからない。
いま間違いなく私は、リエルの『理想』になれていない。演技を見抜かれ、その浅ましく胡散臭い人格が露呈してしまった。その気持ち悪い私と彼は一緒にいたいと言ってくれる。その理由に辿りつけず、私は困惑している。
「……す、少し考えさせてください」
時間が欲しかった。
とにかく、いま私が抱えている全てをママに相談したい。
リエルの『理想』になれていないということは、ママの『理想』からも遠ざかっているかもしれない。彼には悪いが、私にとってはそちらのほうが重大だ。
先ほどのママの私への対応の意味を考えると、私の顔はさらに歪んでいく。
その困った顔を見て、リエルは一歩退く。
「……わかった。ただ、あと数日で、俺を迎えに『
急な話だが、考える時間は数日もあるようだ。
その猶予に私は安堵し、リエルに大きく頭を下げてから、庭から早足で出て行く。いまの自分を誰にも見られないように、急いで自室へ向かう。
何もない部屋だ。騎士候補となってから与えられた部屋だが、正直綺麗過ぎて落ち着かない。かつての汚い小屋に帰りたくなったが、ぐっと堪えて私はベッドで熟考を始める。
順調に私は騎士として育った。
リエルについていって大聖都で鍛錬すれば、世界で『一番』と言えるだけの騎士になるのも夢ではないと思う。ただ、それで本当にママは喜ぶのだろうか。最近のママはカイクヲラ家の男たちばかり見ていて、以前ほど私のことを気にかけてくれていない。もしかしたら、私は騎士の『一番』になれという言葉を勘違いしているのかもしれない。その不安が、私の決断を邪魔する。
その日、私は悩み続け、初めて鍛錬を怠った。
そして、熟考の末に、ついに私は自分で答えを出すことを諦めた。
『
そこでママの判断を聞くことにした。
どうすればいいのかをママに聞いて、もう一度『
じゃないと、わからないことが多すぎて、何も手につかない。何をするのが正しくて間違っているのか、自信がない。私の演技を見抜いているリエルと、どう付き合っていけばいいかわからない。
「ママ、教えて……。私のやることを……」
それは、もう何度目になるかわからない就寝前の呟き。ベッドの中、目を閉じて、ママの顔だけを思い浮かべて意識を手離していく。
――そして、その日の夜。カイクヲラ家の五男リエル・カイクヲラは死んだ。
翌朝、目覚めると屋敷内は騒然としていた。
駆け回る侍女たちに話を聞くと、昨夜近隣の村にモンスターが現れたらしい。それをリエルが処理しに行き、相討ちとなったらしい。
そのあっけなさ過ぎる人生の終わりに私は――
時折、村に害をなすモンスターが現れるのはよくあることだ。火急の際に、騎士もしくは騎士候補たちが向かうのもおかしい話ではない。人の好いリエルが領民のために急ぎ、単独で行動したのも理は通っている。それだけの実力と自負を、この数年で彼は得ていた。この地方に出てくるどんなモンスターだろうと、彼が後れを取ることは絶対にない。
「マ、ママ……?」
その手際は見慣れている。
侍女たちの会話の端々から得られる情報が、その推測を裏打ちしていく。
ママとリエルのことをよく知っている私だけしかわからない『悪意』の連鎖だ。
あらゆるものがリエルを不利にしていた。時間帯、体調、立地、情報の伝達、敵の種類、敵との相性――人伝の話だけでも多くの『人為的な行き違い』が読み取れる。
その中でも一番の不運は、なぜかカイクヲラ家の二人目の騎士候補である私の耳に、その話が入ってこなかったことだろう。
「ぁあ、あぁあ……」
当然だが、事故死でなく他殺の噂も聞こえてくる。しかし、疑いはリエルの兄弟たちへ向けられるようになっていた。動機は騎士として大成する弟に嫉妬。
私は普段のリエルとの仲が知れ渡っているため、嫌疑は僅かしかない。
――間違いなく、ママの仕業だ。
もう何年も前から人間関係を調整し、タイミングを計り、昨夜という事故を計画していたのだろう。
「これでラグネがヴァルト国一番の騎士ね」
その確信を持った瞬間、後ろから声が聞こえた。
振り返ると、他に誰もいない回廊にママが立っていた。
私は予定より早く相談をする。
「ママ……。どうして……、リエル様を……?」
ただ、その内容は昨日考えていたものと違う。
「ラグネ、これは随分と前から決まっていたことなの。もうカイクヲラ家は、当主だけでなく嫡男も私の虜になったわ。だから、もう五男の一人くらいいなくなっても問題ないの。むしろ、問題だったのは、あの男がラグネに匹敵する『素質』を持っていたこと。そして、私たちに迫るほどの目を持っていたこと」
単純な動機だった。
部屋を片付けるような感覚で、このカイクヲラ家にリエルは邪魔なので消えてもらったと答えられてしまう。さらにママは続いて、私に囁く。
「明日、新たな『
短いやり取りだが、ママの狙いがわかってきた。
きっとママは『
その真意を理解したときには、もうママは背中を見せていた。
長く話し込んで、計画に隙ができるのを嫌ったのだろう。ママは侍従長として急ぎ足で、リエル急死という事故の対応へ向かった。
それを見送る私は一歩も動けない。
演技として、最愛のリエルを失った私は放心していないといけない。
今日までのリエルとの深い仲があったからこそ、屋敷の誰もが私を疑うのではなく心配してくれている。それはカイクヲラ家の兄弟たちが疑われるための下地だ。ママの計画の為にも、この演技を崩すわけにはいかない。
私は屋敷を考えなく歩き回り、リエルのことについて聞き回っていく。
「どうして……。どうして、リエルが……」
現実を受け入れられず、顔を青ざめさせて、どうすればいいのかわからない振りをして、一日の時間を潰していった。
そして、その晩。
日が落ち始めた時間に、『
その騎士は正門にてカイクヲラ家の夫人に迎えられた。そして、屋敷内の暗い空気の意味を伝えられ、驚きの声をあげる。
「――そ、葬儀……!? リエル・カイクヲラは死んだのですか!?」
「はい……」
奥様が搾り出すように返答するのを、私は後ろから見守っていた。
朝からリエルの死に混乱していた私だが、それで仕事がなくなるわけはない。
昼からは、奥様の警護と身の回りの世話を任されていた。その理由は単純。都の騎士を奥様が歓待する際、普通の侍女が隣にいるよりも騎士の教養を学んだ私がいたほうがいいという判断らしい。――これも計画通りなのだろうか。
私は奥様の後ろで現れた青年を観察する。
巷では『騎士の中の騎士』と称される大貴族の嫡男、ハイン・ヘルヴィルシャインだ。
その佇まいと身なりは、今日まで出会ってきた誰よりも気品があり、騎士然としている。混じり気のない金の髪に、整った目鼻立ち。目も眩むような輝きが常に身体から放たれているような気がする。
大物だ。
本来ならばこんな田舎までやってくるような人間ではない。
ヘルヴィルシャインと言えば、確か四大貴族に数えられていたはずだ。
使者の格の高さから、いかに『
その命の価値を無駄にしてはいけないとも、わかる――
奥方とハインは正門前で貴族同士の定型の挨拶を交わしたあと、すぐに屋敷の中への案内が始まる。
その道すがら、ハインは礼儀正しく弔いの言葉を奥様に繰り返していたが、一度だけ誰にも聞こえないほどの小声で呟いたのを私は耳にする。
「――困りましたね。予言だと、最後の枠を埋める騎士はカイクヲラ家にいるという話……。これでは七人目が揃いません――」
リエルの死を悼む心はあれど、騎士としての仕事を忘れることはないようだ。
その意味でも、確かに彼は『騎士の中の騎士』のようだ。
「カイクヲラ夫人、非礼を承知の上で聞かせて頂きたい。……他のご子息たちは騎士を目指していませんか?」
その質問の意味を奥様も理解しているのだろう。
来訪した騎士の仕事に協力をしていく。
「……いいえ。騎士としての鍛錬を積んでいたのはリエルだけです」
「そうですか……。申し訳ありません。嫌なことを聞きました」
リエルという名前を出す度に奥様の表情は曇る。
すぐさまハインが深々と頭を下げると、それを奥様は首を振って止めようとする。
「いいえ、失礼なのはこちら側です……。本来すべき歓待を、満足にできず……」
「そのような気遣いは必要ありません。夫人は私たちのことより、ご自分の心配をなさったほうがいい」
そんな二人の会話を見守りつつ、私は後ろを歩く。
そして、屋敷の庭に面する渡り廊下を歩いているとき、私はママの顔を見つける。
見知らぬ胡散臭そうな男と並び、ママは話をしていた。
商人のような格好をした焦げ茶の髪の男だ。
知り合いなのだろうか。ママと仲が良さそうに見えなくもない。
「パリンクロン! この大事なときに、あなたはどこで何を!」
その焦げ茶の髪の男にハインは叫ぶ。
名前はパリンクロンというらしい。その呼びかけから、彼も都から来訪した騎士であることが窺える。
「ああ、ハインか。悪い、道に迷ったんだ」
私たち三人の接近に気付き、パリンクロンはこちらへ歩いて近づいてくる。
ママは奥様に浅く礼をして、その場を動かない。
「はあ……。そういうことにしておきます。いまはそれよりも――」
「ああ、聞いたぜ。どうも困ったことになったな。はははっ」
ハインは奥様に一言「失礼」と声をかけて、すぐさま庭のパリンクロンと合流して話し込み始める。
「笑い事ではありません。私たちはフェーデルト様から今年までに『
「いや、ハイン。候補者はいなくもないみたいだぜ?」
「……いなくもない? それはどういう意味です?」
嫌な予感がする。
その予感のままに、パリンクロンはハインの問いかけに答えず、こちらへ向かって歩いてきた。
そして、無遠慮に私を指差した。
「奥方、そこにいるのはここの娘か? 剣を帯びているが」
私は軽量の剣を服の中に隠し持っている。それを瞬時に見抜いた男は、その理由を奥様に問いかけた。
「……いいえ。彼女は警護の者です。元々は侍女でしたが、思いがけぬ才能があったので別の仕事をさせています」
特に珍しいことでもなければ、隠すこともないことだ。奥方は正直に答えたが、パリンクロンは底意地の悪そうな笑みを浮かべて、私に近づいてきた。
「リエルって新人には強い侍女が従ってたって聞いてるぜ。おまえがそうだな?」
私は一歩後ずさる。
目立ちに目立っていたリエルならばともかく、私について都の立派な騎士様が知っているのは少しおかしい。
「騎士様……。仰るとおり、ラグネは常にリエルの鍛錬に付き合っていました。……うちの自慢の一人です」
驚く私の前に奥様が立った。
奥様は私を少し腕の立つけれど気弱な元侍女と思い込んでいる。私が怯えたと勘違いして、心配してくれたのかもしれない。
役割的に言えば、命に替えてリエルを守る立場だった私。
けれど、リエルの命を守りきれなかった私。
その私を奥様は守ってくれている。
大切な息子を失ったばかりなのに……本当にいい人だ。
ママとは似ても似つかない。
「ハイン、こいつはリエルと同じ鍛錬してたみたいだぜ?」
「それがどうしたというのです?」
「仕方ないから、こいつを連れて行こう。逆にお買い得な話だ」
奥様と私の前に立っていたパリンクロンは、唐突な提案を後ろの連れに投げかける。
「は、はあ?」
当然だが、ハインは口を大きく開いた。
「――っ!」
私も同様に疑問の声を漏らしかける。
こうなるとわかってはいても、余りに速すぎて、余りに順調すぎて、不安が顔に出そうになった。ここまで来ると、この男がママの知り合いなのは確定だろう。
「不慮の事態だ。だが、『
「パリンクロン、馬鹿を言わないでください……! 『
私という本人の手前、ハインは言葉を選んでくれているが、その言わんとすることはわかる。
「でもよ、今回は『素質』重視の人事だろ? 俺はいけると思うぜ? なにより、面白そうと思わないか?」
「リエル・カイクヲラは本土で最も期待されていた少年と聞きます。そこの彼女には申し訳ありませんが、彼に匹敵するものがあるとは思えません。ここは大聖堂で候補者を選定し直すのが一番です」
それを聞いたパリンクロンは笑みを深め、私の背後まで歩き、背中を強く押した。
私は庭の中まで動かされたあと、背後から応援を浴びる。
「……よーしよし。だってよ? 頑張れ、チビ。選定だ。そいつは都でも一二を争う騎士だからな。勝てば、超有名人になれるぜ?」
その発言の意味を私もハインも理解した。
「いまここで選定したいということですか……?」
「私がこの人と……?」
ハインは軽くだが身構え、私も身体を強張らせる。
緊張が走り、私の戦闘用の思考が加速する。
ここで実力を示せば、パリンクロンという騎士が推薦してくれるらしい。
そして、それだけではないこともパリンクロンは私に示唆した。
ハイン・ヘルヴィルシャインは下手をすれば大陸で『一番』の騎士だ。それに勝てば、超有名人というのは間違いない。
眼前の男を見る。
とてもキラキラしている。目が潰れそうなほどの輝きだ。
興味があった。間違いなく、この人の命の価値は過去最高だ。
この人に勝てば、どれだけの値打ちが私につく? どれだけのお金が手に入るようになる? その価値があれば、ママは満足してくれるか?
どうしよう。やるなら『魔力物質化』で不意討ちするか。もしくは、ここで切り札を使おうか。いや、馬鹿正直に勝つよりも接戦を演出したほうがいいか。ここはまず話をして油断を誘おう。
「――っ!!」
ハインは目を見開いて、大きく跳躍した。
庭の端まで跳び、私との距離を空けた。
その表情から私を警戒したのがわかる。表面上は気弱で困惑した少女を装っていた私を見て、
「なっ。ハイン、こいつでいいだろ? いま、おまえに勝つ気満々だったぜ?」
「勝つ気というか、いまのは……。しかし、確かにあなたの言うとおり、悪くないです」
ハインは臨戦態勢に入るのをやめて、パリンクロンに同調し始めた。
二人とも私の考えを読んだかのような対応だ。
もしかして、完成された一流騎士の感覚は、魔力だけでなく殺意も読み取れるのだろうか。戦わずにして力量を測るなんて真似、私以外にもできる人がいたのか……。
「こいつはカイクヲラ家の養子にでもして、連合国に連れて行けばいい。それなら予言からも……まあ、そう遠く離れてないだろ。俺らも怒られないで済む。万々歳だ」
「無理やりですね……。そういうのは、なんというか……」
「お前好みの悪くない展開だろ? どっかの劇場で見たことある成り上がりものだ、これ」
「……否定はしません」
予期せぬ強敵二人に困惑する私を置いて、二人は興奮した様子で話し込み始める。
「この少女を推すならば、周囲の人間を説得する必要がありますね。それと色々潜り抜けないといけないことも多そうです」
「そこは俺たちの得意分野だろ?」
「上には私が通しますね。他の『
「わかった。ただ、お偉いさんは他の候補者を用意するだろうな。こいつと違って、つまらなさそうなやつを沢山な」
「これ以上、私みたいな人間は要りません。『
「色んな意味で鍛え甲斐があるよな。未完成だからこそ、面白いし――」
その話の内容は駆け足で、聞けば聞くほど――不安が胸に募った。
それは昨日、『
「――待ってください!!」
感情に押されて、私は演技でなく心から叫んだ。
話からすると、まるで別の大陸へ連れて行かれるかのような話だ。
私はママの『一番』にならないといけないのだ。
『
「ん……? おまえ、騎士になりたいんじゃ――」
私の表情を見たパリンクロンが不思議そうな顔になり、こちらへ近づこうとする。
しかし、その前に――
「――ラグネ、よかったわね」
ママが動いた。
ずっと庭の隅で静観していたはずのママが、いつの間にか隣にいた。その理由を察し、私は続く言葉を失う。
「ぁ、ぁあ……。その――」
「ずっとずっとラグネは騎士になりたがってたものね……。誰もが憧れる騎士に……」
ママは目尻に涙を浮かべ、とても嬉しそうに私の肩を抱いた。私たちの顔が近づき、その心の内が見えてしまう。
「ご家族の方ですか? 見たところ、姉妹のように見えますが……」
ハインがママに問い、
「はい。私とラグネは二人だけの『家族』です」
即答される。
ここに来て初めて、とうとうママは屋敷内で家族という言葉を口にした。
――嘘ではないが、嘘だ。
そして、その嘘を通せば、私は『
しかし、私はママから離れたくない。
一緒にいたい。ただ、それだけが私の望み――
それを認めたとき、昨日のリエルの言葉が頭に浮かぶ。
『素直』に。私らしく。
「わ、私は……、ここを離れたくないです……」
それを口にした。
一度吐き出してしまえば、それは止まることはなかった。
「私はカイクヲラ家に恩があります! だから、ここで恩返しをし続けなければいけないんです! ――そ、そうだよね!?」
言葉の最後で私は後ろに振り返り、ママの両手を強く握った。
だって、ママは私に言ってくれた。
決して諦めるなって。生き続けて、いつか見返して、いい暮らしをして、幸せになろうって。この屋敷で、いつまでも一緒に。ずっと二人でって――
二人で?
ママは二人って言ってたっけ……?
「ラグネはいい子ね……」
ママは手を振り解き、私の頭を抱き締める。
私を褒めて、優しく撫でてくれる。
「心配しなくても、これが今生の別れというわけじゃないわ。……ラグネが頑張って、いつか『一番』になったとき、また会えるわ。必ずお祝いにしに行くって約束するわ」
よくある門出の言葉。
しかし、その裏の意味を理解してしまうと、胸の内にある感情が激流する。
「でも、私は! 私は……!!」
まだ本当のことを一つも聞いてない。
どうして、私が物心ついたときに小屋で一人だったのか。
どうして、母娘なのにずっと別々に暮らしていたのか。
どうして、私はママをママと呼んではいけなかったのか。
他にも色々。この髪と瞳、パパについての思い出とか。
私が生まれた理由も! まだ何一つ聞いていない! まだ一つも――
「ラグネなら、最高の騎士に……。いえ、世界で『一番』の女の子になれるわ。だって、私の娘だもの」
二人きり以外の場所で、初めてママは私を娘と呼んだ。
それは私だけに聞こえる耳元で、二度繰り返される。
「――
背筋が凍った。
久方ぶりに、ママの癇癪の気配を感じた。
もちろん、人の目のあるところでママは我を失いはしないだろう。しかし、次に二人きりとなったとき、ママは怒る。必ず怒る。それどころか、この話でこれ以上ごねてしまえば、もしかしたらママは私を――
私の震える身体を抱き締め、ママは理由を問う。
「ん、ラグネ? どうかしたの……?」
私は確認がしたい。
いま、たった一言聞けば、その疑問は解消されるだろう。しかし、それは余りに恐ろし過ぎて口にできない。もし欲しい言葉と逆だったならば、誇張無く、私の世界は終わる。
「いや……。なんでも、ないよ……」
だから、私は笑顔を作って首を振るしかなかった。
――どこかの誰かと同じように諦め、逃げ出してしまう。
距離を取って、ママの望む言葉を紡ぐ。
「行ってくるね、ママ……」
顔を俯けたまま、地面に叩きつけるように叫ぶ。
「私、立派な騎士になるよ……。世界で『一番』になるよ……。いつかすごいすごい有名になって、絶対にこの屋敷まで私の名前を届けるから……! だから……!!」
そして、その果てに縋るように聞く。
「む、向こうに着いたら……手紙、書いてもいい?」
聞かなくてもいい言葉だろう。
家族ならば書いていいに決まっている。
「……ええ、もちろんよ」
間を置いての返答だった。
顔を上げなくても、ママが笑顔なのはわかる。
それがどういう笑顔なのもわかる。
きっと、それは数年前、とある罪のない母娘を殺したときと同じ笑顔だろう。
ふいに私は屋敷の隅にある墓地を思い出し――なぜか、墓地でも一緒に眠られる母娘が羨ましいと思った。同時に、あの母娘の価値を奪ったはずの私が、死者よりも価値のない存在になっているような気がして、涙が出そうになった。
――こうして、私は感動の涙の別れを済ませ、屋敷を去ることになった。
カイクヲラ家の誰もが、私を笑顔で送り出してくれた。
様々な思惑があっただろうが、満場一致だった。私は今日まで生きた世界全てに祝福され、その世界を追い出される。
カイクヲラ家の代表として出て行く最後、都の騎士のパリンクロンは確認を取ってきた。
「……いいのか?」
「行きます。行かせてください。私に挑戦させてください」
それに私は即答する。
「――私は騎士の『一番』になりたい」
それが私の願いであるのは間違いない。
というより、これがなくなればもう私には願いがない。
もう他に願うものがなくなってしまった……。
そして、この日を最後に、私はママと一度も会っていない。
おかげで、私は連合国で『幸せ』になれる。確実に、言い訳のしようもなく、安らかな『幸せ』を得てしまう。
リエルの遺言通りに新しい自分も見つけて、新しい大切な人たちも得て、徐々に自分の生まれた意味を忘れていってしまう。
騎士として成長し、誰よりもよく働き、その給金をシドア村に送り続けて、生きているだけでママの役に立っているという楽な人生を過ごしていって――
その数年後、私はカナミと出会う。
そいつは私たち母娘によく似ていた。
合理的で、計算高くて、嘘ばっかりで、逃げ出すのが癖で、八方美人が極まってて、道を間違えてばかりで、常に自分を見失っている――そんなやつだ。
そのカナミとの出会いを切っ掛けに私は、新しい自分を打ち砕かれ、新しい大切な人を失い、本来の自分を思い出していく。
まるで世界が許さないとでも言うかのように、私は【本当に欲しかった愛情は、もう二度と手に入らない】ことを思い知らされる。
カナミと同じだ。
だから、私たちは『親和』できる。
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