361.ファニアの街


 ファニアは大陸北東の果てにある鉱山都市の名前だが、その周辺地域も括って使われることが多い。


 その鉱山都市はフーズヤーズと同じく険しい山岳に囲まれていて、他国他領との交流が少ない。そして、形式上はフーズヤーズ国支配下となっている。だが、実際は主従関係でなく対等な取引相手に近い。


 地方を治める貴族たちの力が、フーズヤーズ国とそう変わらないからだ。

 ファニアは大陸の位置関係や伝統を考慮し、いまは仕方なくフーズヤーズ国に従っているだけで、無茶な税などを課されれば拒否できる立場にあった。いざというときが来れば、あっさりと他国に寝返ることだってありえた。


 それがフーズヤーズ国王族であるティアラ・フーズヤーズの持つ知識だったが――もうすでに、そのいざというときは来ていて、ファニア地方はフーズヤーズ国からほぼ独立し、特殊な形態の都市国家になっているだろうと私は推測していた。


 ぶっちゃけると、親にあたるフーズヤーズ国が余りに情けなくて貧乏なので、子にあたるファニア地方は早々に庇護下から抜け出して、一人暮らし中という感じだ。


 ここ数年、そのファニアの一人暮らしの様子を、余裕のないフーズヤーズはろくに観察することができていなかった。

 だが、いまやっと、フーズヤーズの民が二人、ファニアの鉱山都市にまで辿りついた。


 その実体を、目だけでなく全身で感じ、第一声で感想を叫ぶ。


「ふーーーーー、さっぱりしたーーーーーーーー!! 最高!!」


 全身から湯気を立ち昇らせ、清潔な衣服を纏い、全身の汚れを落とした私は、生まれ変わったような気分を言葉に換えた。


 隣には私と同じく、衣服を現地のものに替えた師匠が感慨にふけっている。


「ああ、最高だ……。すごくさっぱりした。凄いよ、ファニアは……。用水路こそ、文明と活気の源だよ……」


 というか泣いていた。

 しみじみと頷き、何度も周囲を見回し、この街の素晴らしさを讃え続ける。


 私も師匠と同じく、街の様子を見回していく。

 私たちが出てきた公衆浴場の周囲には、活気で満ちていた。真っ当な石造りの店がいくつも並び、風呂上りの人間の胃袋を刺激する食べ物の匂いを立ち昇らせている。


 さらに、その少し遠くでは、食べ物以外を取り扱う店舗が並び、その煙突から黒い煙を立ち昇らせている。日用品や衣服を扱う店舗は少なく、鉄の工芸品や武具を展示している店が多く感じる。


 鉱山都市と聞いてはいたが、加工技術が伴っているとは思っていなかったので驚きだ。軽く並ぶ店たちの内部に目をやれば、そのほとんどが炉のある工房を備えていた。


 驚きは止まらない。

 この街の一番の特色は、その明るさだ。

 いたるところに例の『炎を生む石』が設置され、明かりを灯している。

 綺麗に整備された石畳の道路の両端には、一定間隔で『炎を生む石』の街灯。並ぶ店の看板の隣には、必ず『炎を生む石』のランプ。少し遠くに目をやれば、巨大な『炎を生む石』を掲げる灯台。これに至っては、本でしか知らない太陽と見紛う大きさだ。


 つまり、この街に『魔の毒』の暗雲による闇は一切ない。


 まだ驚きは続く。

 極めつけには、その明るく活気に満ちた街を囲む防壁だ。

 フーズヤーズの首都ほどはある広い街を、このファニアはぐるりと人工の壁で囲み、外部のモンスターからの脅威を減らし、ちゃんと検問まで行っていた。


 外部からの訪問者を選別し、街の治安を高めているのだ。

 そのおかげで、少し前の街で出会ったような賊の視線は皆無だ。街道を歩く人々の目は血走っておらず、飢えに苦しんでいる様子もない。

 

 人に本来あるべき活気が、この街にはあった。

 正直、道中の街どころか、フーズヤーズの城さえもしのいでいる。


「ほんと凄いねー。これは、うちの負けだよ……」


 周囲を見回し終えた私は、フーズヤーズ王族でありながら認めた。

 それを口にすると、とても上機嫌な様子の男が笑いながら近づいてくる。


「ははは、我がファニア領の名物を堪能して頂けたようですね」


 若白髪の目立つ男性が、フーズヤーズならば王族しか身につけられないほどの上等な布を纏って現れた。

 彼は街の領主であるネイシャ家に仕える侍従の一人だ。


「どうぞ、ティアラ様。確認は終えました」


 この街に入ったときに渡したフーズヤーズ王家の紹介状が、手元に返ってくる。

 これだけは肌身離さずに持っていたおかげで、いま私たちはファニアで客人として扱われていた。最近は泥にまみれ、夜盗から血反吐を浴びる毎日だったが……これでも一応私は、国の首都からやってきたお姫様なのである。


「ありがとね。街の検問所にあなたがいて、とっても助かったよー。あなたのおかげで、話が簡単に進むこと進むことっ」


 この街に辿りつき、まず私たちは厳しい検問を受けた。


 何の伝手もなく街に入るならば、莫大な賄賂が必要になるとわかった私たちは、早々に切り札である王家の後ろ盾を使うことになった。というか、もうそれしか切れる札がなかった。


 そして、その検問所には、この侍従さんがいて、紹介状の検分をしてくれた結果、街で自慢の公衆浴場まで連れて貰えたわけだ。


 おそらく、この街で中々の権限を持っているであろう侍従さんは、自らフーズヤーズの使者である私たちをもてなしていく。


「他国要人の応対は、わたくしの仕事の内ですので。……ちなみに、領主様の館での歓待の件ですが、明晩を希望しております。どうか我々に一日ほど、ティアラ様に相応しいものを準備する時間をくださいませんか?」


 急な訪問に対して、明晩の宴か。


 予想していた対応の中では、かなり普通だ。領主のプライドと王家への配慮が、急ごしらえのもてなしを許さないのだろう。フーズヤーズの使者に対して、失礼がないように気を遣っているのがわかる。


「明晩かあ……。出なきゃ、駄目? いまのご時勢、どこも余裕はないだろうし、形式とか省略してもいいんだよ? 最初に言ったけど、かるーい扱いが一番助かるんだけど。私たち、お忍びで視察に来ただけだからね」


 私たちの目的は人材の勧誘――というか、拉致である。

 あくまで視察はついでなので、面倒はできるだけ避けたい。


「そうもいきません。ティアラ様を館で歓待しないということは、フーズヤーズという国を軽んじるも同然。どうか、我らがファニアに機会を」

「いや、本当に私ってフーズヤーズだと末席も末席だよ? まじで」

「はい、だからこそ。だからこそ、全力でファニアは歓待したいのです」


 できるだけ、躾のなっていない放蕩お姫様を強調してみたが無駄だった。その二度の「だからこそ」から、私を歓待したい理由が複数あることを察して、諦める。

 

「……わかった。出るよ、せっかくだからね」

「ふう。これでわたくしも、一安心です。それでは、この街で一番の宿まで、ご案内させて頂きますね。街のご案内も兼ねて」


 侍従さんは私たちをエスコートし始めた。

 その少し強引な流れから、この男は見張りではないかと疑う。どこかで私たちの目的が漏れて、先んじてこの街まで伝わっている可能性はある。


 私は作り笑いを浮かべながら、慎重に男の後ろをついていく。ちなみに師匠は心の底からの笑顔を浮かべて、子供のように侍従の男と話し始めていた。


「す、凄い……! これ、ただの石畳じゃないですよね。歩きやすい……!」

「おお、アイカワ様は目の付け所が違いますね。わかりますか? この工夫と苦労が」


 ちなみに、師匠にはフーズヤーズでの適当な爵位を与えて、護衛の騎士という扱いにしている。その上で、私の剣術指南役という設定だ。


「わかります。外壁も、フーズヤーズと違って工夫が凝らしてありますね。あの形状といい、角度といい、材質といい、ただ囲ってるだけじゃない」

「ここは特殊な鉱物が豊富ですからね。それ相応のものをみなで考え、なんとか実現させました」

「素晴らしいです。生半可なモンスターでは、あれを破壊することはできないでしょう」

「はい。いまのところ、破壊されたという報告はありません。ただ、登攀とうはんの報告は少しありまして……」

「あの角度でもですか? しかし、あれ以上角度を変えるとなると――」


 二人は偶々趣味が似通っていたのか、とても楽しそうに話す。

 ただ、それを横で聞く私は、とても冷静に別の感想を抱いている。


 確かに、このファニアの街は先進的で素晴らしい。

 ただ、本質は別のところにある気がする。

 この滑らかな道は、本当に物の流通のためだけだろうか? あの絶妙な外壁の高さは、モンスター以外のものを意識していないだろうか?


 国政に裏があるのは当然だが――この街の裏は、他国と繋がっているとか、交易禁止品を売買してるといった『通常』のものだとは思えなかった。

 師匠たちが来たことで活気を得始めたフーズヤーズと、同じ匂いがする。間違いなく、『理を盗むもの』や『使徒』といった『異常』が関わっている。


 特に感じるのは、いま私たちが歩いている道の端にあるものだ。

 それを丁度、師匠が褒め称えていく。


「――なにより! この『炎を生む石』が凄いです! どういう仕組みなんですか!?」

「それは『炎神様の御石みせき』ですね。一介の侍従である私には詳しく説明できませんが、この街の『第一魔障ましょう研究院』で生産されているものです。それを街の鍛冶師たちが、加工してくれています」

「みせき! けんきゅういん! ……なるほど。この街は世界の先を見据えて、あの『魔の毒』を解明しようとしていたんですね」

「……ええ。この『魔の毒』が世界に溢れ出してから、その解明は人類の課題でしたから」


 …………。

 いま、少しだけ侍従さんの様子が変わった。

 嘘をついたと私にはわかったが、師匠は暢気に明るい未来の話を続ける。


「ティアラ、この石は絶対に持って帰ろう! いや、むしろここの技術者をスカウトしよう! 間違いなく、こっちの『呪術』開発が早まる!」

「お、おぉう? いやー、私もそうしたいけど、それは難しいと思うな。自国領だからって、そんな無茶はできないよ。師匠」

「え? フーズヤーズの領地内なんだから、そういう命令ってできるんじゃないの?」

「命令はできるよ。ただ、その命令を聞くかどうかは、その領主の力次第。正直、ここの人たちが、落ち目の首都の言うことを聞く理由はないんじゃないかな」

「じゃあ、技術者の交換とか……。こっちはシスさんあたりを出して……」

「交換ー? んー、それなら――」


 結構酷い取引を口にする師匠を置いて、ちらりと侍従さんの顔を見る。

 そこには苦笑いを浮かべただけで、決して頷くことのない顔があった。


「駄目っぽい」


 侍従さんの反応を見て、師匠もフーズヤーズとファニアの力関係を理解したようだ。

 悔しそうに唸り、研究員の拉致を断念する。けれど、すぐに気を取り直して、いま自分にできることを提案していく。


「それじゃあ、見るだけでもお願いできませんか? この街の鉱物の加工技術と研究院を見学してみたいです」

「加工技術と研究院……。ええ、それはもちろん。我々の街に、フーズヤーズの使者から隠すようなものは一つもありません」

「よかった……!」


 師匠は太っ腹な対応に喜んでいるが、本来ありえない要望が通ったことに私の嫌疑は深まるばかりだ。

 後ろめたいものはいつでも隠せる準備をしていたのか。もしくは、決して真似できない技術があると、フーズヤーズに見せつけたいのか。


 この街の思惑を知るためにも、いまは大人しく動いたほうがよさそうだ。

 私は小さな声で、師匠だけに同意を伝える。


「……そうだね。見ながら、色々と捜すことにしようか」

「うん……。もし彼ら・・がいなかったとしても、それ相応の情報と技術は持って帰りたいからね」


 何を捜すかは口にしなかったが、ちゃんと師匠は『理を盗むもの』を思い浮かべて頷いてくれていた。観光に浮かれて、本来の目的を忘れていなくてちょっと安心だ。


 ……いや、逆か。


 師匠は自分の本来の目的を忘れていないから、こうも浮かれているのか。

 師匠の最優先事項は『理を盗むもの』の捜索でなく、妹のための『呪術』技術促進だ。だから、『理を盗むもの』よりも価値のありそうな文化ものを前に、捜索が後回しになっているのだ。


 私たちは互いの旅の目的を再確認しつつ、侍従の男に案内されていく。

 その最中、街道の両脇に建ち並ぶ建物を私たちに見せつつ、ファニアの人々の生活を教えてくれる。


 そして、鉱山で働く工夫や鍛冶職人たちの生活は過酷だが、それに見合った豊かさがあることを知った。街で働く誰もが、街の外の悲惨さを知っているからこそ、ここでの生活に深く感謝していた。呼吸を乱し、大量の汗を流しながらも、顔には満足感が浮かんでいる。


 その中でも、一部の人たちが目立った。

 街にある大きめの『炎神様の御石』に向かって、額を地面につける団体を先ほどからいくつも見かける。嫌々やっているわけではない。以前の街のように、絶望の果てに祈っているわけでもない。自ら望んで、祈祷していた。


 それを私と師匠が見つめていると、侍従の男から説明が入ってくる。


「珍しいですか?」

「いえ、ここまでの道中で見てきましたので、珍しいとは思いません。確か、ファニアではアルトフェル教というものを信仰しているんですよね?」

「それは朗報ですね。壁外に派遣した宣教師たちは、少しずつ教えの素晴らしさを広めてくれているようです」

「ただ、ここほどたくさんの信者がいる街はありませんでしたが……」

「このファニアはアルトフェル教の聖地であり総本山ですからね。その上、領主様がアルトフェル教を推進しているので、信徒は多いですよ。定期的に儀式とお祭りも行っています。丁度、いまはお祭りの最中ですよ」

「ああ、お祭りの期間だったんですね。それで、こんなにも活気が……」

「とはいえ、まだ店が並び、お面でふざけあう程度のものです。数日後には『炎神様の御石』を使って、派手な催しを行う予定ですので、それまでお二人には滞在して貰えると嬉しいですね」

「…………。へえ、それは本格的な……」


 会話の途中、急に師匠の顔色が変わった。

 あれほどの楽しそうだったのに、戦闘態勢に入ったかのように目つきが鋭くなった。


 まだ《ディメンション》は使っていない。

 あれは師匠の消耗が激しいので、最後の切り札だ。つまり、それ以外の要因で師匠は、いま殺し合いの準備に入った。


「ええ、我々はアルトフェル教に、とても力を入れております。街に設置された礼拝用の柱に祈りを捧げることで、炎神様の御神体まで願いが届くのですが……どうです? アイカワさんも一度だけ、祈ってみては?」


 そうとも知らずに、侍従さんは街にある大きなモニュメントに向かって、礼拝を促してきた。それを師匠は苦笑いで遠ま儂に断る。


「届く? え、えっと、その……。すみません。こういうのは余り慣れてなくて、ははは……」

「……ああ、申し訳ありません。壁外の人々には親しみのない習慣だというのに、軽い気持ちで勧めてしまいました。頭ではわかってはいても、ファニアに住んでいると、どうしてもやってしまいます」

「いえ、よりよいものを知ってもらいたいという気持ちは、よくわかりますよ。自分たちの街から生まれたものなら、それは尚更です!」

「ああ、アイカワ様は本当に理解が深くて助かります。こんなにも楽しく街を案内するのは、とても久しぶりです」


 一つ相容れない点はあったが、二人の仲を壊すほどではなかったようだ。


 何事もなかったように、また二人は街作り談義に花を咲かせて、街道を歩いていく。そして、街の中心あたりまでやってきたところで、一際大きな建物の前まで辿りつく。侍従さんは自慢するように、両手を広げた。


「ここが、我が町で一番の工房を持つ店です。お二人は、ここで少々お待ちを。先に見学の話を通してきます」


 見学の許可を取る為、先んじて店内に入っていく。

 その後姿を見送り、すぐに私は隣の師匠に確認を取る。


「師匠?」


 先ほどの殺気の理由を問いかけた。

 しかし、師匠は侍従の男がいなくなった瞬間から、宙を睨みながら独り言を呟き続けていた。


「――これ、『魔の毒』が一方向に流れてるのか……? いや、これは変換済みの力? 僕の『次元の力』と同種の力が動いてる……。どうやって? 誰が、なんのために……――」


 その師匠の視線を私も追いかけるが、何も見えない。

 『理を盗むもの』にしか感じられるものが、この街には蠢いているようだ。


「――もしかして、この街そのものを『代償』にした? 信仰って概念が存在するだけで、世界との取引が成立してるのか? それなら、あれにいるのは・・・・・・・――」


 とても面白そうな話だったので、私は見守るのをやめて叫ぶ。


「しーしょう!! 何かに驚いてるのはわかるけど、私にも教えてよ!」


 ハッと我に返った師匠は、小さく「ごめん」と謝りながら答えていく。


「……ティアラ、ごめん。でも、長くなりそうだから、後で君用にわかりやすく書き留めて渡すよ」


 教えてくれない。

 ただ、師匠が緊張で冷や汗を垂らすだけの脅威があったことは伝わる。


「ここ、そんなにやばい街なの?」

「やばくないよ。むしろ、とてもいい街だ。ただ、この街にいるかもしれない『火の理を盗むもの』と空気中の『魔の毒』の奪い合いをしたら、僕は負けると思う。ここは完全に向こうのテリトリーだ」


 『呪術』を持ってしてでも危険があると、目で私に訴えかけてくる。

 私の身体能力は『呪術』で人外の域に達したが、油断はできないようだ。

 私からも警戒の意志を目で訴え返し、頷き合った。


 そこで建物の裏手から侍従さんが出てきて、こちらに向かって手招きする。


「お二人とも、こちらからどうぞ! ここの親方様が、直に会ってくれるようです!」


 正面口ではなく裏口からということは、特別扱いのようだ。

 その厚意を無下にするわけにはいかないので、私たちは急いで建物の中に入っていく。


 裏口から入ったおかげで、大した時間もかからずに店の最奥にある工房まで辿りつく。

 城の広間ほどはある広い空間に、巨大な土釜のようなものが複数並んでいた。天井は限界まで高く作られ、足元には柔らかい土が敷き詰められている。

 本でしか知らないが、一般の工房と大きく変わらないと思う。唯一つ、明らかな相違点がわかるとすれば、熱源だろう。部屋の隅には例の『炎神様の御石』が大量に保管されていた。あれを使って、土釜内の高熱を保つのだろう。


 いま一つだけ火の点いている土釜の中では『炎神様の御石』が輝き、火の粉を散らしている。


「こちらがフーズヤーズ国からのお客様。ティアラ様にアイカワ様です」


 私と師匠が田舎者のように内装を見回していると、工房内に一人だけいる浅黒い肌の男に紹介される。

 親方であると察し、私と師匠は慌てて頭を下げた。


「おう。話は聞いた。遠慮なく見ていってくれ」


 親方は気さくに歓迎してくれた。その口ぶりから、侍従の男は私たちの事情を上手く伏せてくれたとわかる。


「ありがとうございます。急な話にもかかわらず――」


 すぐに師匠は礼を言って、工房の親方に話しかけていく。


 この街の製鉄技術が気になって仕方ないのだろう。挨拶もそこそこに、この工房にある施設や道具の説明を親方から聞き出そうとする。

 質問の嵐にさらされても、親方は技術を隠そうとしなかった。時には師匠の為に製鉄の作業を実演までして、この街の技術の高さを教えようとし始める。


「…………」


 その温くてありきたりな話を、途中までは私も一緒に聞いていた。

 だが、すぐに一人で工房内を歩き回り始める。師匠を囮にして、こっそりと面白いものを見つけたかった。


 私の興味の惹くものはないかと探していると、壁に立てかけられている鉄製品たちが目に付いた。

 日用品の鍋や鋏、鍬や金槌。中には剣や斧もある。

 その隣には、『炎神様の御石』が山積み。


 それとなく、一つだけ石を取って眺める。

 一見、赤い宝石だ。

 しかし、よく見ると内部には『魔の毒』と黒い液体――それと、何かしらの文字が刻まれていた。これを作った人は、師匠の『術式』と同じ発想をした可能性が高い。師匠と比べると『術式』の出来は劣っているが、私の考えていた量産計画に成功しているのが大変素晴らしい。


 私は視線を、近くの剣にも向ける。

 その刀身には装飾以外の文字が刻まれていた。

 石と同じく、『魔の毒』も含まれている。


 ――要る・・


 この技術は絶対に要る。

 師匠と同じように親方さんの話を聞いたほうがいいと思い、私は戻ろうとする。だが、その私の後ろに、すでに親方さんが立っていた。


「お嬢さんは、お話より武器に興味があるのかい?」


 勝手に歩き回っていたことを責められると思ったが、親方さんは壁に立てかけられた武器を見つめる私を見て、嬉しそうに笑っていた。


「あ、うん……。護身用のものが欲しいなあって思って……」


 私は適当な理由をつけて、頷き返す。


「ああ、なるほどな……。確かに、ここ最近は物騒だからな。例の殺人鬼のせいで、壁の中でも安心できん」

「さ、殺人鬼!?」


 すると思いもしない話が返ってきて、私は歓喜の感情が漏れ出かけてしまった。


「ん? いま、この街では、真夜中に現れる殺人鬼の噂で持ちきりだろ?」

「ううん。初めて聞いた……」


 か弱く怯える振りをして、私は静かだった侍従の男に顔を向ける。


「隠していたわけではありませんが……。はい、確かです」


 客人に対して、堂々と話すことではない。そのことで彼を責めようとは思わないが、詳しい話が聞きたくて堪らなかった。


「というか、殺人鬼? 賊とかじゃなくて?」

「ああ、殺人鬼で合ってるぜ。被害者を弄びもしなければ、物盗りもしない。ただ、殺すだけだ。それも幸せそうなアルトフェル教徒を、よく狙う。もし、お嬢さんも教徒なら、気をつけてくれ」

「いや、私は教徒じゃないから大丈夫だよ」

「そうか。ちなみに、そいつを俺たちは『黒吊り男ブラック・ハングド』と呼ぶ。僅かな目撃情報から、天井に張り付いて立つ男ってことだけはわかってる」

「へー、ふーん。いまどき殺人鬼か……。こんな世界で根性あるなあ……」


 それは『異常』だ。

 本来の私たちの目的である可能性が高い。それは師匠も同意見のようで、目を向けると軽く頷き返された。


 私たちがいい情報を得られたと喜んでいると、親方さんは続いて商品を売り出していく。


「念のため、護身用のナイフを持つのはいいと思うぜ。うちのはどれも一品で、炎神アルトフェル様のご加護がある。護衛の兄ちゃんには、これとかいいな」


 立てかけられた剣を紹介され、それを師匠は嬉しそうに眺めていく。


 目的の『理を盗むもの』たちの脅威を知ったことで、師匠は武器を持つことに乗り気だった。幸い、隠し持った金貨のおかげで、そこまで購入は痛手ではない。


 師匠は適当な軽剣を見繕い、その腰に佩く。

 さらに、もう一振り剣を手に持ち、私に差し出してくる。


「ちょっとこれを持ってみて。ティアラなら、この大きさでも平気だよね?」

「え、私も? 師匠が持つなら、私はいいよ。お金がもったいないし」


 師匠なら様になるが、私のような低身長チビが剣を持つのは違和感しかない。悪目立ちを避けるためにも首を振ったが、それを師匠は認めない。

 

「いや、ティアラこそが持つべきだよ。君のほうが強いんだから」

「陽滝姉から教えてもらった『体術』があるし、私には必要ないと思うけど……」

「持ってることに意味があるんだ。襲われたら、これで抵抗する覚悟があるって周囲へのアピールだね。殺人鬼は別にして、以前の追い剥ぎみたいな人たちへの抑止力にはなると思う」


 少し強引だ。

 その口ぶりと表情から、本心は別にあるとわかった。


 師匠は少しでも多く、私の安全を確保したいのだろう。

 こうなったときの師匠は頑固だと知っていたので、私は諦めて適当なものを選ぶ。師匠の持つものよりも、さらに小さめのやつだ。


「じゃあ、これにしようかな……」


 剣よりは小さいが、ナイフよりは大きい。この長さなら、道中の木々の蔦を切ったり、食料を切ったり、汎用性が高そうだ。


 それを私は衣服の裾から少し覗く形で身につける。

 すると間髪入れずに、師匠は褒めてくれる。


「うん、似合ってる。すごくかっこいいよ。旅の者って感じが増した」

「……そう? なら、いっか」


 私は顔が紅潮しかけるのを抑え、軽くお礼を言う。


 本当に師匠は、ずれている。

 王家の女性の価値というのは、いかに男性を虜にできるかどうかだ。口にするなら美しさや可憐さだというのに、堂々と正反対の部分を褒めてくれる。


 見事師匠が私の心の琴線に触れたことを悟られないように、軽口を続けていく。


「はー、本当に師匠は仕方ないなー、もー……。この剣で、しっかり師匠を守ってあげるから、安心してね」

「……ありがとう。僕もティアラを守るよ。何があっても絶対に」


 しかし、返ってきたのは、さらに重い言葉。

 こちらも師匠の琴線のどこかに触れてしまったのかもしれないが、重すぎる。


 ああ、本当に師匠は……。

 そうやって、じっと見つめられるだけで、こっちは色々と大変なのだ……。


 というか、この人は他の女性にも同じことをやって回っているのだろうか? もし、そうならば由々しき問題だ。フーズヤーズの城の侍女たちが浮き足立っていた原因がわかった。早急に解決する必要がある。


 そんなことを茹った頭で私が考えているとき、まさかの親方さんから追撃が入ってくる。


「――へえ。最初は兄妹か何かかと思ったが、二人は恋人・・なのか?」

恋人・・……!?」

「――っ!」


 私と師匠は同時に大ダメージを受ける。

 無表情が得意な私でも、完全に動揺が表に出た。いや、少し前から感情が表に漏れ出てしまっていて、それを親方さんに感じ取られたのかもしれない。


 私は沈黙に徹したが、師匠は慌てて否定していく。


「いや!! いやいや! そんなんじゃありませんって!」

「んん? そういう反応・・・・・・になるのか・・・・・? ああ、つまりそういうことか。ははっ、中々初々しいな」


 親方さんは私たち二人を見て、とても不思議そうな顔をした。

 そして、微笑ましそうな顔で勝手に得心し、勝手に手心を加えていく。


「悪いこと言ったな。その分、ちょっと代金は割り引いてやるよ」

「ほ、本当に違いますから……。僕とティアラは……」

「ああ、わかってる。謝る謝る」


 もう親方さんの中で、私たち二人はそういう関係だと決まってしまっていた。

 私に遅れて否定は不可能と気づいた師匠は、恥ずかしそうな顔で押し黙り、勘定を行っていく。


 こうして、私たちはファニアの特産品を手に入れる。

 ただ、師匠は親方さんのにやけ顔を嫌がったのか、見学を続けるのを諦めて、急いで工房から出て行くことが決まった。


 私も賛成だった。

 早くしないと取り返しがつかなくなる。ずっと師匠も私も、こういう空気にならないように気をつけて旅をしてきたのだ。それをこんなところで水の泡にはしたくない。


 外に出た私と師匠は協力して、いまの出来事を薄めようとしていく。

 しかし、まず目が合う。


「…………」

「…………」


 ずっと避けていた単語、『恋人』が頭に浮かぶ。

 それを振り払うように、私たちは雑談をしていく。


「い、いいもの見たな、ティアラ! それにいいものも買えた!」

「そうだね。専門外でも、色々と勉強になったよ。私たちに足りなかったものが、あの工房にはあった気がする」

「ああ。ずっと僕たちはあるものだけでなんとかしようとしてきたけど、各国の協力を得る重要性がよくわかった」

「だねー。正直、フーズヤーズだけだと限界あったっぽいねー」


 適当な話をしてから、師匠は侍従さんに移動をお願いする。


「それじゃあ、次に行きましょう! お願いします!」

「ふふっ。ええ、早く行ったほうがよさそうですね……」


 侍従さんの視線が少し温かい。

 親方さんと同じく微笑ましいものを見守るものに変わっているような気がしたが、それを私たちは受け入れるしかなかった。


 また私たちは侍従さんに先導され、街中を歩いていく。

 そして、大した時間もなく、次の目的地に辿りつく。街一番の工房の近くに、その建物はあった。


「では、次は『第一魔障研究院』です。これが最後になりそうですね。そろそろ、時間が『在りし夜』になります」


 その建物は巨大だったが、フーズヤーズの建築物とは大きく違った。空へ高く伸びるのではなく、地を這って平面に広がる石造りの建物だ。

 どこまでも横に石壁が伸びて、『炎神様の御石』が一定間隔毎に飾られ、その端を見ることは叶わない。


 入り口は一つだけだった。

 一度に何十人も通れそうな巨大門が口を開けて、街の人々が絶えず出入りしている。


「『在りし夜』というのは、例の明かりを消す時間のことですか?」

「ご存知でしたか、アイカワ様。その通りです。このファニアでは炎神様に頼るだけでなく、その炎の恵みに感謝する時間を設けています。それが、全ての『炎神様の御石』が力を失う『在りし夜』です」

「なるほど……。宗教的な意味を持つと同時に、街全体の時間を整えているんでしょうか?」

「はい。他にも色々と理由はありますが、その二つが主な理由ですね。暗雲が空を覆ったことで一番の痛手は、人々から時間を奪われたことだと私は個人的に思っています。例えば、その弊害は――」


 私が周囲を観察している間、師匠と侍従さんは話をしていく。

 街の文化のことになると、この二人は早口で話が止まらないので厄介だ。


 その二人を放置して、私は街の人々を見比べていく。

 『第一魔障研究院』の中に入る人と通り過ぎる人には、明確な差があった。 


「病人……?」


 間違いなかった。

 顔色の悪い者や身体に何かしらの問題を抱える者が、この建物の中に集まってきていた。


「ああ、ティアラ様。それはですね。ここは病院の側面も担っているからですよ」


 何でもないことのように侍従さんは答えた。

 確かに、その二つが同じ場所にあるのは、そこまで不思議ではないが……。これではまるで……。


「ティアラ様が不審に思うのは無理もありません。しかし、この中を見てもらえると納得して貰えると思います。実は、ここは本当に特別な場所で、研究院と病院という役割だけでなく、大切な三つ目の役割も担っています」

「え、二つだけじゃないの……?」

「少し前に、ファニアにはアルトフェル教の聖地があり、総本山でもあると言いましたよね?」


 この話題に入ったとき、徐々に侍従さんの熱が高まり始めた。拳を握りこみ、舌の回りを速め、目を輝かせて、自分たちの街の一番素晴らしいところを自慢していく。


「この研究院は、街で最も大きな施設。ファニアの血液とも言える『炎神様の御石』を最初に見つけ出し、生産を始めた場所。つまり――」


 その様子から『普通』ではありえない場所というのが伝わってくる。

 この街に漂う『異常』の原因もわかってくる。


「こここそが、炎神アルトフェル様の御神体のある聖地! ゆえにファニアの人々は、御神体の奇跡を求めて、ここまで足を運びます! ここの聖なる炎こそが、この暗闇に閉ざされた最後の医療であると知っているからです! さあ、どうぞ! 我らがファニアの誇る『第一魔障研究院』へ!!」


 私たちの前を歩く侍従さんは両手を広げ、この『第一魔障研究院』を強調して示し、内部に誘った。

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