360.読み飛ばす時間


 こうして、私たちの『冒険』は始まった。


 頁を捲って、次は――「まだ見ぬ『理を盗むもの』たちが待つファニアの物語」。視点は移って、ファニアの街を歩く私と師匠。その異様な文化に困惑しながらも情報を集め、一匹の殺人鬼の噂話を二人は聞く――


 とは、まだしたくない・・・・・・・


 その前に、私は「ただの移動の時間の話」がしたかった。

 それは本ならば、『行間』にあたる部分。

 今回の例で言うならば、「ファニアに続く道を走り出した」と「まだ見ぬ二人の『理を盗むもの』たちが待つファニアの物語」の狭間。


 頁を一つめくるだけで、一行は別大陸の首都まで辿りついてしまうのは――本として、とても正しいことだろう。

 しかし、それを私だけは認めるわけにはいかない。


 「移動した」の一言だけで済んでしまうのならば、旅の死亡事故はどこもゼロ。モンスターによる被害で苦しむ商人や村民だっていない。――なんて、まともな理由からではなく、ずっと城で本の虫となっていた私にとって、道中は険しい以上に楽しいものだったからだ。


 そこには魔法の火種があった。

 無駄に冗長で、退屈と苛立ちまみれで、省略も止むを得ない移動時の『行間』にこそ、私の本当の『魔法・・』に必要な要素ものがたくさん詰まっていた。


 だから、次の場面はファニアでなく、その合間。

 道中にあった、歴史に名すら残らない街の一幕となる。


 ――『魔の毒』の暗雲の下、その荒廃した街は濃い闇に包まれ切っていた。


 足元には舗装されていない汚物交じりの土の道が伸びて、左右には修繕されていない腐った木の家が並ぶ。常に土煙と埃が舞って、木箱や工具の残骸がいくつも放置されている。

 正直、私たちが数日前までいたフーズヤーズと比べると、少し出来の悪い街だ。


 しかし、旅で疲れ切っていた私と師匠は、身体を休められると思って、嬉々とその街の中に入っていった。


 その数刻後、軽率な自分たちの行動を酷く後悔することになる。


 街の濃い闇の中、がなり声が飛び交う。

 内容は物々しく「ぶち殺せ」「逃がすな」「捕まえて犯せ」といった悪意に満ち満ちた言葉ばかりで、いまにも耳を手で閉じたくなる。しかし、手は埃まみれの空気から喉を守るため、口元から動かせない。本当は異臭で痛む鼻だって守りたいが、そっちは我慢するしかない。


 そんな惨状に、思わず師匠は街の感想を口にする。

 

「――最悪だ・・・!! ティアラ、もういい! 無駄だっ、構うな!!」

「う、うん。わかった!」


 師匠は「最悪だ」と評したので、すぐに私は頷き返したが――その実、内心では「最高だ・・・楽しい・・・」と思っていた。


 いま私たちは長旅の途中に何度もモンスターに襲われ、夜盗によって馬車と荷物を失い、やっと辿りついた街で追い剥ぎたちに歓待され、身体を休める機会が遠のいている最中だった。

 だが、私は本では得られない体験に酷く興奮していた。


 何気ない『行間』にも、たくさんの『冒険』が詰まっていることを知ったからだ。これで次に本を読むときは、味わえる部分が何倍にも増える。


 そんな場違いなことを考えながら、私は足元で吐瀉している追い剥ぎの男への追撃の手を止めて、大きく飛び退く。


 本当は血反吐を吐かせたあとに気絶させたかったが、それは師匠の言うとおり無駄だろう。

 なにせ、これで私たちを襲った男は二桁目。

 さっきから気絶させても気絶させても、キリがない。


「向こうだ! 逃げるぞ、ティアラ!」


 私たちは全力で駆け出し、家と家の狭間である路地から出て、街の大通りに出る。


 いま私たちが襲われたのは、裏という言葉がつくほどに狭い路地ではない。

 本当に、ちょっと街の大通りから外れただけの場所だった。

 しかし、そこに入った瞬間、私たちは追い剥ぎたちによる怒涛の歓迎を受けた。


 この街の治安の悪さを私は面白がりながら、隣で息切れしながら呟く師匠を見る。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! な、なんで、襲われたんだ……? ここまでの道のりで、僕たちはかなり汚れてるのに……。年齢のせいじゃない。いまの夜盗やつらの中にも、ティアラぐらいの子供はいた。なのに、なんでこんな……」


 澱んだ空気の中、師匠は自分の格好を再確認しつつ、状況の整理をしていた。

 それに私は現地人としての意見を挟んでいく。


「私たちだけが特別ってわけじゃなくて、旅の人たちはみんな襲われるんじゃないかな? いまだって視線がほんと凄いし」


 開けた大通りを歩いているものの、まだ安心はできない。

 物陰から、薄汚れた外套で顔を隠した男たちが私たちを見ている。すれ違う街の人たちにも安心はできない。誰もが目が血走っており、ちょっとした切っ掛けで凶行に及びそうだ。


「ああ、みたいだな……。くそっ、何が北東部で最も豊かな交易都市だ……!」


 理想と現実の違いに打ちひしがれたのか、師匠は下唇を噛み、八つ当たり気味に怒鳴った。


 そして、私の手を引いて歩きながら、ぶつぶつと呟く。歓迎に揉まれたおかげか、街の人たちと同じく、目が血走り始めている。ちょっと面白い。


「歩いているだけで、臭いがきつい……。これ、上水道どころか、下水道すらないのか……? いや、あったものが止まってる? どこも油ランプは切れてるし。偶にある石畳なんて、ないほうがマシなほど亀裂が入ってる……」


 師匠は街の状態を分析していく。


 的確だ。

 ここは少し前まで交易が盛んなことで有名な街だったが、『魔の毒』の暗雲によって、作物が育ちにくくなり、交易路がモンスターに潰され、例の流行り病が広がり、この様となった。最近だと、よくある話だ。


「んー。きっと昔は、もっと綺麗だったんだと思うよ? でも、あの『魔の毒』の影響で、ちょっと寂れちゃったみたいだね」

「ちょっと寂れたどころじゃないだろ……。これは、もう……」


 師匠は言葉を濁した。

 まだ街で生活している人たちがいる以上、その続きを口にするのは憚られたようだ。私としては、まだまだやれる街だと思うが、彼にとっては違うらしい。


 また師匠は下唇を噛み、泣きそうな顔を強く振る。

 そして、気を取り直し、分析した状況から建設的な話をしていく。


「ちょっと情報収集しようと横道にそれたのが失敗だったな。これだけの目に遭ってわかったのは、大陸の状況が絶望的過ぎて、妙に宗教が盛んになってることくらいだ」


 歩きながら、大通りの左右に目をやる。

 亀裂まみれの石畳には、多くの物乞いや病人たちが膝をつき、真っ暗な天に向かって祈りを捧げていた。


 もう長くない命が、最後の救いを宗教に求めていた。

 ただ、彼らの口にする文言は、結構バラバラだ。祈る対象も神やら精霊やら散らばってて、統一されていない。


「フーズヤーズだと使徒様の伝説しかなかったけど、外に出ると色んな神様がいるんだねー。びっくりびっくり」

「聞く限り、土着の神様に祈ってる人が多いかな? あとは消えた太陽や空を神様に喩えて、呼びかけているパターンか。たぶん、僕らにはわからないだけで、もっともっと多くの種類があるんだとは思うけど……」

「で、これから行くファニアって街では一つの宗教に統一されてるんだっけ? ええっと、確か……『炎神様の教え』?」

「ああ、それで合ってる。この地方の炎神から名前を借りて、『アルトフェル教』だってさ」

「うんうん! あるとふぇるっ、あるとふぇる!! さっきから、その名前がちらほら聞こえるよねー。で、ファニアの領主さんは、その炎神アルトフェル様の声を聞く『炎神様の預言者』だってね。あー、すごい楽しみ! その領主さんも、使徒様たちみたいなのかなあ?」


 私は笑みを深めて、旅の先に待つ未知の存在を期待し、胸を膨らませた。


 今日までの情報収集の中には、本当に楽しそうな話がたくさん交ざっていた。

 例えば、領主さんは『炎を生む石』を作り出し、町人たちに光源・熱源を配っているという話。

 他には『炎の点かない時間』を人為的に作り出して、炎神様への感謝を捧げるという話。

 騎士崩れの盗賊団がファニアを襲ってきたとき、領主さんが一人で迎え撃ち、その炎神様の加護で悪人たちを燃やし尽くしたという話。

 本好きの私としては、どれも楽しみな話ばかりだ。


 ただ、師匠は私と違って、冷めた反応で分析していく。

 

「僕はそこよりも『炎を生む石』のほうが気になるかな……。それが本当なら、すごく明るいところだ。きっと、いまみたいな追い剥ぎは少ない」

「んん? 明るいのと追い剥ぎさんって何か関係あるの?」

「すごく関係あるよ。街が暗いと、悪事に対するハードルが下がるんだ。だからこそ、明かりってのは、文明と活気の源なんだよ」

「あー、なるほどー?」


 師匠が断言したので、この知識はどこかで聞いた文献の引用だろう。


 私は頷きながらも疑った。この街で追い剥ぎのような人間が溢れるのは、もっと根本的な理由があると思う。たとえ、この世界の暗雲が全て晴れて、光の世界が帰ってきたとしても、そう簡単に人の悪意は消えない。


「なら、次の街は活気のある楽しい場所ってことかー。楽しそうな予感!」


 けど、話を合わせた。

 長旅の秘訣は、無駄に意見を衝突させず、互いを尊重し合うことだ。

 ちなみ、これも本からの引用だけど、そこは気にしない。


「僕は悪い予感がするかな……。いま僕たちが会いに行ってるのは『火の理を盗むもの』と『闇の理を盗むもの』で、この炎神の宗教だ。なにかに巻き込まれる予感がする」


 師匠はネガティブ発言をずっと繰り返すが、私は本当にいい予感しかしていない。


 宗教は、私好みの題材だ。私好みの人物も待ってる。なら、私好みの物語が紡がれる可能性は高い。


 その期待に満ちた私の笑顔を見て、師匠は苦笑し、地面に向けがちだった顔を上げて前に進む。


「とにかく早く街を抜けようか。もう、この街に長居する理由はないからね」

「だね。……泊まる場所を探さないってことは、外で野宿?」

「ああ、寝込みを襲われたくない。さっきのやつらに尾けられないように、『次元の力』――《ディメンション》を使おう」


 そう言って師匠は、使徒様から貰った力(この道中でストレスの溜まった師匠は、暴走気味に『次元の力』を《ディメンション》と命名した。気に入ってるらしく、帰ったらみんなに広める気満々だ)を身体から滲ませ、街全体に浸透させていく。


 その力を師匠は、斥候能力の延長程度でしかないと言っていたが、説明を聞いた私は『全てを知る力』としか思えなかった。

 それだけの問答無用の反則っぷりが、『次元の力』にはある。世界を思い通りにするだけの力が――


 ただ、その強大な力を使う際、いつも師匠は顔を歪ませる。


「っ――!」


 いま師匠は『次元の力』で、街全体を理解した。

 どのような造りで、どこに誰がいて、どんなことをしているのかを見た。


 当然だが、この治安の悪い街には、多くの見てはいけないものが存在する。

 まだ私たちの見ていない裏路地あたりには、目を覆うような光景が広がっているはずだ。そのさらに奥では、この暗い世界ならではの人の道を外れた光景もあるに違いない。私の兄妹にも、市井の村娘をさらっては弄び、獣の餌にするような悪いやつがいた。それに近いものを見たであろう師匠は、口元に手を当てた。


「師匠? 大丈夫?」


 いまにも吐きそうな師匠の顔を私は覗き込む。

 けれど、すぐに師匠は作り笑いを浮かべて、平気だと首を振る。


「……大丈夫。ちょっと酔うんだよね、これ。3D酔いの酷い感じかな?」

「すりーでぃーよい? むむ、陽滝姉の翻訳外の単語だ」

「船酔いみたいなものだよ。……それより、早く出よっか」


 師匠は優しい。

 年下の私に気を遣って、いま視たであろう光景を絶対に口にしない。

 痩せ我慢して、いつもと変わらない様子を心がけて、私の手を引いてくれる。


 その無理をしている姿が、私は堪らなく好きだった。

 とても優しいとか誠実だとか善人だとか以上に、師匠は必死だから好きだ。


 私は何も気づいていない振りをして、ぎゅっと師匠の冷たい手を握り返し、その後ろをついていく。


 大通りを抜けて、誰の目もないところから街から出て、急いで森林まで移動する。

 できるだけ、人の手の入った道から離れて、さらにモンスターも少ない場所を選んで、『次元の理を盗むもの』にしか見つけ出せない理想的な野営地を目指す。


 数時間近くの移動のあと、私たちは森林内にある開けた場所で足を止めた。


「よし、ここなら安全だ」


 その師匠の判断を信用し、すぐに私は準備を始める。


 火をおこす囲いを作り、背負った麻袋から鉄鍋と皮の水筒を取り出す。とりあえず、大変喉が乾いたので、独断で飲用水優先だ。平行して、師匠は音の鳴るトラップ――簡単な鳴子なるこを周囲に設置していく。『呪術』や『次元の力』に頼りきると痛い目に遭うのは経験済みだ。


 そのときの経験を思い出したのか、師匠は呟く。


「はあ……。馬車生活が懐かしい……」

「もー、師匠ー。それ言わないでよー。もうないものはないんだからー」

「ごめん……。でも、あのとき、もう少し僕が気づくのが早かったらって、いまでも思うんだ……」


 私たちは準備を進めながら、少し前の出来事を思い出す。

 それはフーズヤーズの城から出発してから数日後。まだ私たちが王家代表としての体裁を保ち、豪奢な馬車に乗って、たくさんの護衛に囲まれていた頃の話だ。


 ――結論から言うと、私たちの乗っていた馬車は夜盗によって破壊された。


 ああいった人たちは馬車を売り払うために、もっと気を使って襲ってくれるかと思っていたが現実はそんなことなかった。

 あとから考えると、私たち一行の身なりのよさから、馬車以上の価値のあるものを運んでいると予測したのだろう。実際、私と師匠を誘拐できていれば、フーズヤーズ王家から身代金を毟り放題だった。


 意気揚々とフーズヤーズを出発した私たちだったが、たった数日で旅に必要な物資をほとんど失ってしまった。


 そして、その時点で、生き残った侍従や兵士たちには全員帰ってもらった。

 馬車なしだとモンスターに襲われる頻度が高い。なのに、《レベルアップ》の恩恵が大してない兵士たちは、命にかえても私たちを守る気なのだ。無駄死にを避け、半ば強引に命令して、私たちは二人旅を選んだ。


 その選択が正しかったかどうか、いまでも自信はない。

 旅慣れした大人たちがいない以上、全てが手探りになる。すぐに私たちは行く先々で財布をすられ、宿に泊まれば家主に持ち物を奪われ、いまや僅かな金貨だけを頼りにする旅に追いやられてしまった。


 もし師匠が身体のあちこちに金貨を隠し持っていなければ、いま私たちが用意している鍋や水、保存食の炒った豆もなかったことだろう。


 ――と、個人的には凄く楽しかった時間を回想し終わり、食事の準備を終える。


 軽めの『呪術』で焚き火を作り、煮沸した水を飲み、時間をかけて豆を噛み、一心地つく。


「ふう……」

「んー、美味しくない」

「おい、ティアラ。おまえな……」


 師匠は気を遣って不満を口には出さなかったが、私は遠慮なく感想として吐き出した。

 すぐに苦笑いした師匠に小突かれ、少し軽くなった空気の中で眠る準備を進める。


「それじゃあ、いつも通り交互に浅く眠ろうか」

「はいよー。今日は、私から火の晩だね」

「……ああ、その前に。夜に纏めてたやつを渡しておくよ。起きてる間、試しておいて」


 そう言って、師匠は自分の麻袋から、ごつごつとした装丁の本を一冊取り出した。フーズヤーズの城から持ち出した高価で丈夫な『白紙の束』だったものだ。


 それを受け取り、中身を見る。

 そこには見たことのない文字がびっしりと書き込まれていた。それは師匠の世界の日本語ではない。どちらかと言えば、こちらの言葉に近い。妙に形は崩れているが、強引に読めなくはない気がする――不思議な文字だ。


「なにこれ?」

「ちょっと変に見えるかもしれないけど、今日までの『術式』を全部、纏めて書き込んだ本だよ」

「あ、これ『術式』なんだ……。んー、略語ってやつ?」

「うん、長い言葉を簡略化させた文字だね。その中にはちゃんと『詠唱』も入ってて、すでに『代償』も済ませてあるから気をつけて。……前に言っていた前払い・・・を試したんだ」

「え、もう? 例のやつが、この中に含まれてるの?」


 本当に師匠は仕事が早い。

 『術式』だけでなく『詠唱』すらも含まれているということは、『呪術』発動に必要な全てが揃っているということになる。急に持っている本が、重く危なく感じた。


「この数日の間に、少しずつ実験してたんだ。本に刻まれた文字一つ一つに力を持たせたつもり。それを持ってるだけで、ティアラの『呪術』が強化されると思うんだけど……」

「大体の仕組みはわかったよ。それで、これにはなんて書いてあって、どんな効果があるの?」

「ええっと、その頁は火の『呪術』の『代償』だね。感情を燃料にする言葉が書かれてる」

「このにょろにょろっとした変な文字で、そんなこと書いてるんだ。確かに、心とか炎とかに似てる文字があるけど……」

「限界の限界まで簡略化したんだ。例えば、この文字には炎だけじゃなくて情熱の意味も含んでる。本来ならば一文いちぶん必要なところを、こうすると一文字ひともじに詰め込めるんだ。あと、他にも――」


 とても楽しそうに師匠は、この造語たちの説明を始める。こうなると話がとても長くなるとわかってるので、できるだけ私は早めに打ち切ることにする。


「つまり、師匠オリジナルの文字なんだね! すごいよ、師匠!」

「え? いや、オリジナルというか……。僕の世界にある魔法のイメージの一つ、魔法ルーン文字みたいなもので……。魔法とか使うとき、その文字が浮かぶとそれっぽいかなーって思って、それで……」


 私が突っ込むと、師匠の歯切れが悪くなった。

 また師匠は、どこかからアイディアをパクったようだ。根が真面目なせいか、すぐ罪悪感が顔に出るのでわかりやすい。


 ただ、私からすると、そう気にすることではない。

 変な言い訳を続ける師匠を置いて、本を読む。

 軽く体内の『魔の毒』を操り、本に流し込むと、文字が発光し始めた。同時に、正面で燃えていた炎が、少し揺れる。


「おっ。『呪術』の下手な私でもいけたよ、師匠。なんか目の前の焚き火が強くなった気がする」

「よかった。これを練習していけば、いつかティアラも戦闘用の強い『呪術』が使える」

「……別に使えなくても、素手で強いけどねー。私」

「モンスターも相手してるのに、いつまでもそういうわけにはいかないだろ? 正直、ずっと心配だったんだ」


 モンスターと戦うとき、師匠は距離を取り『呪術』で何かを操って戦う。私は殴るのが一番手っ取り早いので近距離戦ばかりだ。その戦い方を、師匠は快く思っていなかったようだ。


「ふーん。それで、最近は夜に本ばっかり書いてたんだね。……そんなことしなくても、私は十分に強いのにさっ」


 信頼されていないのかと思い、少しだけ口を尖らせた。

 それを見た師匠は、軽く「ごめん」と言ったあと、言葉を続ける。その少し長くなった前髪の下に隠れた黒い双眸で、じっと私を見つめながら、ゆっくりと――


「ティアラが強いのは知ってるよ。それでも、ティアラが怪我するのは、できるだけ見たくないんだ……。旅に出る前、僕はティアラを守るって誓った。だから、僕のためにも、その本を使って欲しい」


 何の照れもなく、そんなことを言い切った。

 その『理想』に近い文句に私は驚き、鼓動が速まりかける。


「……っ!!」


 心中の淡い感情を読まれないように、私は返答する。


「…………。じゃっ、ありがたく使わせてもらおっかなー。でも、たぶん守られるのは師匠だけだと思うよ? さっきの追い剥ぎだって、基本私が殴り倒してたし」

「そうだね……。ティアラには危険なことばかりさせるって思う。ごめん」

「その分、師匠は『呪術』で助けてくれてるんだから気にしない! 役割分担だって、最初っから言ってるでしょ!」


 師匠が研究し、私が実践する。

 後衛と前衛。

 間違いなく、これが最上の形で、最高の結果を出してきている。


 それでも、まだ師匠は自らが前に立って戦いたいと思っているようだ。

 私の力の全ては師匠の『呪術』あってのものなのに、それを誇ろうとする様子が一切ない。


 とても師匠らしいと思いながら、私は笑う。

 その何度も笑う私を見て、師匠は眩しそうに目を細めて、呟き始める。


「……ああ。ほんと、ティアラが一緒でよかった」


 腹の底から吐くような言葉だった。

 ずっと師匠が抱えていた本心だと、すぐに私にはわかった。


「ティアラは明るい……。その明るさに、ずっと僕は助けられてる。もしティアラがいなかったらと思うと、ぞっとするよ。本当にありがとう、ティアラ……」


 私が明るい……?

 ああ、ほんとさっきから師匠は……。


 この二人きりで野営している状況を、いつもの日常の一幕くらいしか思っていないのだろうか。本ならば記すほどのことでもない『行間』だとでも? ――私は違う。さっきから、胸の奥が熱くて堪らない。どれだけ顔が赤くなっているのか。もう予測がつかない。

 

 私は顔を背け、この暗い世界を利用して感情を隠し、返答する。


「そこはお互い様だよっ。私にとっての明かりは、師匠だからね!」

「そっか……。なら、これからも二人一緒にやっていこうな……。最後まで・・・・、『みんな一緒』に……――」


 その言葉を最後に、師匠は自分の外套に包まり、木を背中にして目を瞑った。

 疲れが限界を迎え、仮眠でなく熟睡に入ったのだろう。


 この数日の間、目を離すたびに人助けの《レベルアップ》をかけて回っていたのを私は知っている。その眠りを容認し、見届け、「お休み」と声をかけた。


 そして、にやにやの私は、先ほどの意識が朦朧としていたゆえに零した師匠の言葉を反芻し、心の中の師匠名言集に追加してから、手に持った本に視線を落とす。


「しっかし、『代償』済みの本かあ。これを持っていれば、私も師匠みたいに戦闘用の『呪術』を使えるっぽいけど……。これ――」


 無駄に大きすぎる。


 物々しい装丁は分厚く、片手で掴みきれない。これでは戦いながら片手に持つのも難しい。強引に端を強く摘んでもいいが、おそらく本が私の握力に耐えられない。


 もっと小さくて耐久力のあるものが必要だ。


「手の平くらいの鉱石とか……? いいヒントが、ファニアの『火を生む石』にあるといいけど……。『芽吹け誕炎』、『熾れ断炎』――」


 適当に『詠唱』しても、文字が発光するだけで、私から失われるものは一切なかった。

 つまり、この厚い本の全頁の『代償』を、師匠は旅しながら払ったということだ。


 ぱらぱらとめくる。

 文字が詰まっているのは、ざっと百頁。


 私を守りたい一心で、ここまで書いたのだろう。

 《レベルアップ》で私に身体能力で劣ってしまい、荒事の全てを任せて切ってしまっても、ずっと代案を模索し続けていたのがわかる。その結果が、この本だ。


 それが愛しくて――チリチリッと、目の前の焚き火が燃え盛る。


「ほんと師匠は……」


 ちょっと夜盗一団ほど襲ってきてくれないかな。

 いまなら、最新の『呪術』で全員火達磨にしてやれる。


 けれど、その私の期待とは逆に、森は本当に静かだった。

 夜盗どころか、モンスターさえも現れない。『次元の理を盗むもの』の選んだ野営地は完璧で、ずっと虫の鳴き声しか聞こえてこない。


 私は黙読を終えてしまい、手持ち無沙汰になってしまう。

 手を動かして本をめくっても、もう面白そうなものは何もない。

 警戒のほうも、起きていることを周囲にアピールするのが大事で、そこまで気を張り続けるものではない。だから、私は――


「よーし、暇だ。何か書こっと」


 私は次の白紙の頁に、今日私が気づいたことを書き込み始める。

 それは師匠の独特な言語と違って、こちらの世界の文字の羅列だ。しかし、心をこめて、師匠に負けないくらいに必死に書き留める。


 この本は、いま、『異邦人』ならではの作品だ。

 ならば、それを私はこちらの世界に合わせて、改良する義務がある。

 それがフーズヤーズの城で決めた最初の約束だ。


 私は先ほど考えていた見解の続きを、思考していく。


 ――本は高価過ぎて、このアイディアには向いていない。


 師匠の世界では紙が安価だったかもしれないが、暗黒時代に入ったこちらの世界では貴重品過ぎる。

 将来的に『呪術』は、『異邦人』『使徒』『王族』といった特殊な人種だけでなく、世界のみんなが気安く使える代物になる必要があるのだ。


 ならば、『術式』を書き込むべきは、こちらの世界で最も安価な物だろう。

 書き込む方法も師匠や私みたいな特定な人間だけでなく、一般の人が理解できないといけない。最終目標は世界全て・・・・なのだから、それに見合った方法論が必要とされる。


 理想は、石よりも丈夫で大きいもの。

 本よりも長持ちで深いもの。

 言語よりも短くてわかりやすいものがあれば、もっともっと広くなる――


 私は師匠の作った魔法ルーン文字の注釈を、白紙の頁に足していく。

 隣にいる師匠の寝顔を見つめながらの作業は、単調ながらも私の心を癒してくれた。


 私は口元を緩め、浮かれに浮かれ、焚き火の前で本を書き続ける。

 それは物語の中にいながら、物語を紡いでいるかのような感覚で、旅や不眠の疲れを吹き飛ばすに十分な興奮を私にもたらしてくれる。

 

「ふ、ふふっ、あはっ、ひひひっ――」


 いま私は物語の中にいる。まだ題名は決まっていないけれど、私は確かに、私のための私による私の物語を書いている。そして――


「しーしょうっ……。ししょうっ、師匠師匠師匠っ。師匠師匠師匠師匠師匠――」


 アイカワカナミがいる。

 寝顔を見つつ、小声で何度も呼んだ。

 この物語の一秒一秒、一文字一文字を大切に読み取って、味わっていった。


 こうして、私は千年後の『魔法・・』の火種を育みながら、旅の『行間』を越えていく。


 ただの移動時間を味わいに味わったあとに、ようやく私は頁を捲って、次の――「まだ見ぬ『理を盗むもの』たちが待つファニアの物語」に移る。

 旅の本編に到着し、視点はファニアの街を歩く私と師匠となる。

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