465.ディアブロ・シスその2



 気持ちのいい朝を迎えた。


 眩しい快晴の青に、打ち上がり続ける多彩な花火。

 朝の陽射しが降り注ぐ魔力の雪ティアーレイに乱反射して、煌めいている。


 お祭りならではの不思議な空の下、俺は大きめの外套で顔を隠して、ヴァルトの市場を通り抜けていき――途中、お祭りを楽しむ人たちとすれ違った。中には「あれが欲しい」「俺も欲しい」とねだる姉弟の子供がいて、両親と思われる男女が「今日だけだぞ」と答えていた。


 その光景を、やっと俺は穏やかな気持ちで見ることができて。

 懐かしみながら一刻ほど歩き、目的地に辿りつく。


 フーズヤーズ大聖堂では昨晩、大々的な集会ミサが行われていたらしく、神官たちは忙しそうに歩き回っていた。

 だが、俺が顔を明かして「シスに会いに来た」と堂々と宣言すると、すぐに面会は許された。


 事前に上から、言い含められていたのだろう。

 俺は最奥の神殿まで案内される。

 ただ、人払いが行われたようで、中に一般客は見当たらずに、騎士と神官たちのみだった。


 少しだけ懐かしい。


 綺麗に切り取られた立方体の空間に、一定間隔で石柱が立ってある。

 床と壁は鏡のように磨き上げられて、厳かな空気を強調する。

 入口から祭壇まで赤いカーペットの道が敷かれて、その両隣には来客用の長椅子がいくつも並んでいた。


 一年前、俺は賓客として、その長椅子に座っていた。

 祈祷用の似合わない服を着せられて、いまかいまかとカナミがやってくるのを待っていたが――今日の俺は真逆。


 安物の外套の下には、迷宮探索用の装い。使い込まれた革の手袋と胸当てに、神殿に相応しくない武骨な剣を佩き、後ろの腰には薬の入った袋や小道具を下げている。


 この姿で、今日俺はカナミを迎えに行く。 


 そのつもりなのだが、赤いカーペットの上に立った俺を取り囲む騎士たちは、それを許しはしないだろう。

 包囲する騎士を見て、ぼそりと俺は呟く。


「……これだけか」


 ざっと見たところ、五十人程度。

 広い神殿を全く埋め切れていない。

 戦力の少なさに、俺は顔を顰めた。


 新しい『元老院』たちが出てこない。


 騎士たちの淀みない動きから、指揮系統は上手く機能している。近くで『元老院』の誰かが、隠れて指揮していると思いたい。だが、代表格であろうクウネルは俺との対決を避けて、下の『政務資料室兼コネクション保管所』から別の場所に移動した可能性が高そうだ。


 どうにか移動先の情報を読み取れないかと、周囲の騎士たちをつぶさに観察し続けていると、神殿の隅にある出入口から足音が鳴る。


 シスが姿を現した。

 そして、ゆっくりと神殿の壇上に登っていく。

 騎士たちは仕える使徒の登場に、一斉に騎士の礼を取った。

 俺とシスを結ぶカーペットの上を妨げるものはなくなり、壇上に立つシスと目が合う。


 ステンドグラスを通り抜ける光のせいか、後光が射しているように見えた。

 使徒の神聖さを纏ったシスは、静かに語り出す。


「落ち着いてるわね、ディア。私が中にいた頃と比べると、本当に成長したわ」


 情報収集に余念のない俺を見て、そう評した。


「……まあ、そりゃあな。これでも、色々と修羅場をくぐってきたんだ。なんだかんだで迷宮探索者として、もうベテランだ」


 褒められたので、少し自慢してみた。


 ただ、成長してるのはシスもだろう。

 早朝の厳かな神殿内で、シスは淡い光を浴びながら、ゆったりと話す。


「そうね。もうあなたを超える迷宮探索者は、この連合国にいない。確か、最後に潜ったのは、80層くらいだったかしら? ……本当に、もう終わり間近だったわ」

「そうだな。だから、たぶん、今日にも俺は『最深部』に辿りつくと思う。それで子供の頃から憧れ続けた『冒険』は、終わりだ」

「子供の頃から? ……ああ、村の教会にあった娯楽小説ね。そういえば、あればっかり読んでいたわね。ちょっと懐かしいわ」

「なんだ。あのときから意識があったのか、おまえ」

「少しだけね。あなたが中々レベルを上げてくれないから、全然表に出られなくて、ずっとやきもきしていたわ」


 使徒特有の一方的な語りをしない。

 シスは声を張り上げることなく、こちらに対して聞く耳をちゃんと持っていた。


 おかげで、遠くで打ち上がる花火の音がよく聞こえる。

 さらに、祭りの喧騒や演奏も。

 厳かな神殿で語るシスを讃える伴奏のように流れている。


 その耳を澄ませる俺を見て、シスは警戒を強める。


「本当に落ち着いてるわね。まるで、こうなることがわかっていたみたいに……。ねえ、ディアは主の『計画』を、いつから見抜いていたの?」

「んー、難しいな。……もうカナミ駄目っぽいなって、はっきり意識したのは温泉旅行あたりだな」

「温泉旅行って……。『血陸』攻略前の? ほぼ直前じゃない」

「ああ、ほんと直前だったんだ」


 例の最後の戦いを超えてから、カナミが苦しんでいたのは誰もが薄らと感じていたことだ。

 だが、シスの望む答えに相応しいのは、温泉旅行だろう。


 あの温泉旅行の日、俺はマリアたちと一緒に、『終譚祭』について話し合った。

 そして、ラスティアラの言っていた「最後の敵」を一致させて、この祭りに待つ戦いを予期し、覚悟を決めた。


 それは、どれだけ困難な戦いが待っていても、決して諦めないという覚悟なのだが……あのとき、こうもマリアは言っていた。

 馴染みの仲間たちと露天風呂に浸かりながら、「――でも、もしカナミさんが変な気を遣って、この温泉の話し合いを覗いてなかったら、話は別ですね。すごく楽な戦いになるかもしれません」と冗談めかして、笑っていた。


 そのマリアの読みを、俺は信頼している。

 もちろん、スノウもリーパーも。……当然、ラスティアラも。


 みんなを信頼しているから、こうして俺は安心して、一人でシスに会いに来た。


 その俺の内心を読んだように、シスは頷く。


「そう……。覚悟して、一人なのね。でも、どうして、まずここに来たの? あなたなら、真っすぐ『最深部』に向かいそうなのに」

「もちろん、すぐ迷宮には行くさ。けど、ただカナミのところに行くだけじゃあ、駄目らしい。色々準備しないと駄目なんだ」


 シスは純粋な質問を続けて、俺は偽りなく答えていく。


 というより、俺とシスは交渉や駆け引きに向いていないので、そうする他ないと言ったほうが正しいかもしれない。


「準備? へえ……、どんな準備がいるの?」

「俺は余り頭がよくないから、ラスティアラの遺言は全部理解できなかった……。けど、なんとなくはわかってる。あれはたぶん、忘れものがあっちゃ駄目だってことだ」


 行くだけでいいなら、既に行っている。


 しかし、目を閉じれば、思い出のラスティアラが俺を止めるのだ。あの最期の夜も、彼女は「『みんな一緒』だよ」と繰り返して、笑っていた。


「忘れものね。……もう『終譚祭』は始まってるというのに、随分と悠長なこと言ってるのね」

「別に焦る必要はないって、マリアに教えて貰ったからな。だから、俺は俺らしく、全力で止めるだけだ」

「……止めさせないわよ。いえ、もう主は止まれないのよ。新生するレヴァン教と『神聖暦』は、これから永遠に続くわ」


 止めるという言葉を聞き、シスの顔に緊張が奔る。

 すぐに両手を広げながら、自らが保護する宗教を説明していく。


「我が主に魔法《シス》として復活させてもらってから、ずっと私はレヴァン教を広める仕事をさせて貰ったのだけれど……。こんなに素晴らしい宗教は他にないわ。私の知る限り、最高で完璧な教えよ」


 説得しようとしているのだろう。

 できれば俺と戦いたくないと考えているのが、かつて一心同体だったからこそ分かる。


「いい宗教だって俺も思う。けど、最高で完璧とまで言われるとな……。そうか?」

「そうよ。だって、このレヴァン教は『本物』よ? 偽物と違って、確かな加護がある。千年前では『魔の毒』に苦しむ人々を救い、生活を豊かにする神聖魔法を広めて、現代ではパリンクロンや陽滝といった敵たちから世界を救った。ただ、《レベルアップ》させるだけじゃない。様々な恩恵を人々に与えてくれる」


 マニュアル通りの説法ではない。

 シスの心からの布教だと、言葉にこもる熱から伝わってくる。


「それは、なぜかしら? 他の宗教と違って、新生レヴァン教には『本当の神』がいるからよ。だから、祈ったら祈った分だけ、しっかりと返ってくる。……ねえ、ディア。こんな宗教が他にある?」


 このレヴァン教に比類するものは、大陸のどこにもないだろう。

 それは否定できないと、俺が首を振って応えると、


「そうっ、他にないわ! ……ずっと、なかったのよ。でも、私たちはやっと……、やっと長い苦しみの末に見つけた! それは偽物でも紛い物でもなければ、気休めでもない! 『本当の神』を、私たち使徒が見つけた!!」


 次第に、シスの視線が宙を彷徨い始める。

 その先にいる・・と信じているのだ。


「いえ、私たち使徒じゃなくて、この『私』ね。目を閉じれば、この使徒シスの功績をすぐ思い出せるわ。正義の使徒だった私は、いつも同じ言葉を繰り返していた。「世界を救う礎になれるのは、とても誉れ高いことだ」と、まだ神じゃなかった頃の主に向かって、何度も言ったわ。何度も何度も何度も、「主に犠牲になれ」と言い続けて……。ついに、その私の言葉が、主を……」


 ここにいないカナミを見つめて、シスは口元を緩めた。

 笑っている。

 ただ、眉尻は下がっていた。



「――この『シス』が、『カナミ』を『本当の神』にしたのよ」



 誉れ高そうな笑顔だった。

 ただ、同時に懺悔するかのような表情にも見えた。

 シスは布教を続ける。


「千年前から色々なものを犠牲にして、犠牲にして犠牲にして犠牲にして――たくさんの礎を築き――とうとう世界を救うという使命を、私は果たした。ちゃんと『最深部』まで見届けて、前の主に褒めても頂いた。一言だけだったけれど、確かに褒めて頂いたの……」

「……シス、よかったな。色々あったけど、おまえが頑張ってたのは、俺もよく知っている。これで、おまえの使徒の使命は、やっと終わりを――」

「違うわ。まだ終わりじゃない」


 労いは遮られた。

 シスは複雑な笑顔を崩して、決意に満ちた鋭い顔つきとなる。


「まだ使命は続くわ。使徒の使命には、続きがあったの。……その続きとは、新たな主を守ること」

「……守ってくれって。あのカナミが、そう命令したのか?」

「いいえ。ただ、『最深部』の主の姿を見て、そう私が心に誓っただけ。これは誰かに命令されたからじゃない。この使命の続きは、『私』の意思で選んだ私の道」


 元主のノイすら関係ないと、あのシスが言い切る。

 さらに、視線の先にいる・・カナミに向かって、宣誓する。


「ゆえに使徒シスは命尽き果てるまで、この身全てを新たな主に尽くし、守り続ける」


 後光が眩しい。

 初めて見るシスの姿だった。


 だが、俺の人生で初めて見る姿ではない。

 シスは使徒という枠組みを超えた大事なものを、ついに手に入れたのだろう。

 新たな心の支えを得て、命懸けで自分の選んだ道を突き進もうとしている。

 そのカナミを捕まえて離さない姿は、どう見ても俺そのものだったから・・・・・・・・・・――


「そうか。『じぶん』の意思でか。なら、仕方ない。……やっぱり、俺がシスだったのは、運命だったってことだ」

「運命……? ディア、何を言ってるの?」


 その俺の妙な返答と表現に、布教を空振りしたシスは首を傾げた。

 一言で説明できないことだが、俺は俺なりに伝えていく。


「俺が使徒シスの転生先になったのは、必然だったんだろうな。俺は生まれながらに『おまえ』だったから、あの日にカナミと出会って、迷宮に誘った。……確かに、あれは『俺』から誘ったんだ」


 魔力の雪ティアーレイが降る夜だった。

 あの日、まだレベル1だった俺は、酒場で働くカナミを連れ出した。

 千年前のシスと、やったことは変わらない。


「シス、カナミを追い詰めたのは『おまえ』だけじゃない。『俺』も使徒の使命を果たしていた。それは運命の『繋がり』だったと、俺は思っている」

「……それは違うわ!! 運命!? 本当に何を言ってるの!? ディアに使徒の使命は関係ない! だから、後悔することだって一つもない! 主の言葉を忘れたの!? ディアはディアよ! 罪も責任も・・・・・、一つだって――……っ! あるわけない! 全ては『私』だけの話! 少し考えれば、当たり前のことでしょう!?」


 咄嗟に、シスは俺を庇った。

 ただ、その庇う言葉の中に「後悔」「罪」「責任」が混ざっていることに途中で気づき、酷く動揺した。


 そのシスの言葉に、すぐ俺は同意して、話を続ける。


「ああ、罪も責任もあるはずない。俺もそう思う。ただ、それは、シス――」


 あの日、カナミを迷宮に連れて行ったことを悔やみはしない。

 カナミと俺が出会ったのは間違いじゃなかったし、『なかったこと』にもしない。

 そう思っているから、まず俺は大聖堂ここに来た。


「シス、それはおまえもだ。おまえも俺と同じなんだから、何の罪も責任も感じなくていい。……使命を果たしたおまえは、もう使徒じゃない。そういうのは全部、ここで終わりにしようぜ」


 今日一番の目的を口にした。

 ただ、それは予想通り、シスにとって受け入れがたく、徐々に表情が険しくなっていく。


「もう使徒じゃないですって……? この私が?」

「ノイってやつのところにカナミを連れて行ったなら、もう使徒の役割は終わりだろ? もう、ただのシスだ」

「ディア、あなたでも言っていいことと悪いことがあるわ。まだ私は使徒よ? これまでも、これからも、ずっと私は主に仕える使徒シス。ただのシスなわけがないわ……! ずっと特別な存在で、対等な相手なんてこの世にいない……! いなかったのよ!」


 シスの『使徒』は、俺の『剣士』と同じなのだろう。


 もう意味はなくとも、その役割にこだわり続ける。

 その気持ちがわかるから。

 対等の友達として、俺はシスを誘う。


「シス、俺が止めると言ったのは、カナミでも『終譚祭』でもない。……おまえだ。俺はおまえと一緒に、カナミのところに行きたい」


 ただの名前を繰り返し呼び、俺は右腕を――魔力で固めた義手を伸ばした。

 さらにカナミを真似るように、シスを口説いていく。


「最後に一度だけ、『ディアブロ・シス』を今日限定で復活させようぜ。二人で一緒にカナミを捕まえて、引っ張って、連れ出してやるんだ。きっと驚くぞ」

「そ、それだけは……、絶対にさせないわ! だって、主は行くのよ? 『最深部』へ! いや、『その先』へ! 誰も行けなかった領域まで! そこでみんなを『幸せ』にしてくれる! 主自身も! 元主のノイ様も! 私も、あなたも!! みんなが『幸せ』になって、世界は救われる! その完璧な結末を、邪魔する気!?」


 俺の目的を知り、シスは顔を何度も左右に振った。

 両の拳を力一杯に握りしめては、自らの正義を力説し続ける。


「『幸せ』は自分で手にするものだって、俺は読んだことがある。必死に手を伸ばして、やっとの思いで掴み取るから、代えがたい価値を持つ。……そう本には書いてあって、間違ってなかったことを俺は『冒険』で確認した。ただ無条件で降って湧いてくるような『幸せ』は、すぐ普通になるだけだ。いつまでもみんなが有り難く、神に祈り続けてくれるわけがない。その内、必ず『呪い』になる」


 上手く反論できているとは思わない。


 ただ、使徒として各地を回った経験が、ただ祈って祈られての関係では共倒れになると言っている。

 実際に俺は倒れて、この連合国までやってきた。

 探索者としての経験でも、絶対に間違いだと言っている。


「それはつまり、人々が『幸せ』に慣れるって話かしら? いいえ、慣れることはないわ。その程度の問題、すでに主はセルドラやクウネルで実験して、解決済み。どれだけ論じても、常に主が流れ・・をコントロールする限り、『計画』に隙は生まれない」

「カナミ一人だけが『幸せ』じゃないって隙がある。そんなやり方じゃあ、いつか絶対にカナミは倒れる」

「いいえ、主も『幸せ』になるから平気よ。『その先』で『幸せ』になるって、そう私と約束してくれたもの」

「それ、まだ『幸せ』じゃないってことだろ。……そもそも、案外カナミは約束を破る。その場だけ誤魔化す悪い癖もある。今回も、「俺の傍にいる」って言ってたくせに、あっさり行ったしな……」


 言い合いになる。


 そして、意地の悪いことを言っている自覚はある。

 だが、確認のためにも、もう少しだけ続ける。


「そ、そんなことない! 主は約束を守る! いまも『切れ目』を通じて、ちゃんと傍にいてくれているわ! 『終譚祭』のあとも、魔法になって私たちを見守り続けてくれる! 主は千年前の私との約束を、きちんと守ってくれた! 私に本当の『魔法』を見せてくれた! 今度も、約束を守ってくれる!!」

「そうやって、カナミは仲間にも恰好いいところしか見せようとしないから、すぐ限界を迎えるんだ。それが原因で大事なときに弱くて、負けてばっかりだ」

「弱い!? 主は強いわ!! 本当にすごいのよ!? 使徒を生んだノイ様をも、超えた存在よ!? その私の真の主を、馬鹿にするな……! 主を馬鹿にするのだけは許さない! ディア、たとえあなたでも許さないわ!!」


 シスは服の裾を掴み、ぎゅっと強く握り締めながら、そう叫んだ。

 その仕草を見て、どれだけカナミが好きなのかが確認できた。


 やっぱり……。

 ここに来て良かった……。


 ――俺の一番の絆は、シスだ。


 だって、俺もそう思ってる。

 俺だって、カナミを強いと思ってる。

 本当はすごいって尊敬してる。

 きっと約束だって守ってくれると信じている。

 カナミを馬鹿にするやつは絶対許さない。


 その『繋がり』を強く感じるから。

 ラスティアラが言っていた『みんな一緒』の中に、シスもいると確信できる。


 当たり前だ。

 あのラスティアラの『みんな一緒』が、俺たち仲間とだけ? 


 そんなに狭いはずがあるか。ラスティアラは俺の知る誰よりも心が広くて、俺がどんなに錯乱していても、笑顔で受け入れてくれた人だ。


 その尊敬するラスティアラを真似て、俺はシスと本心をぶつけ合う覚悟を決める。

 同じ人を好きになったからこそ、殺し合ってでも、もっと言い合おう。

 その戦いの先に強い絆が生まれると、俺は知っているから――


 ――だから、今日必ず、俺はシスおまえと一緒に、カナミのところに行く。


 戦意が伝わったのだろう。

 シスは震えながら、悔しげに口を閉じていく。

 そして、目の前にいる俺から視線を外して、俯きながら周囲に知らせていく。


「みんな、聞いて……。残念だけど、ディアの説得はできなかったわ。彼女は私を迷宮の『最深部』に、引き摺ってでも連れていく気よ。その上で、我らが神も倒す気でいる」


 その発言によって、神殿内に緊張が走る。

 神を信じる敬虔な者たちが集まる場所だからこそ、その緊張は只ならない。


「もちろん、神が倒れることは絶対にないわ。けど、私の巫女は新生レヴァン教を祝福する『終譚祭』を崩す可能性がある。絶対、迷宮に入れてはいけないわ。神の儀式を邪魔させちゃ駄目……!」


 そう宣言したところで、シスの纏う魔力が変質した。

 白く発光し始めて、指向性を持ち、背中から扇のように広がっていく。

 天使が翼を広げるかのように美しく、よく目を凝らすと魔法陣の模様が描かれているのが見えた。


 神殿のステンドグラスから差し込む陽光と合わさり、本当に神々しい。

 天から神の加護を受けていると、誰もが信じられる姿だった。


 そのシスがゆったりと手を持ち上げて、指先を俺に向ける。


「みんな、私が力を貸すから、優しくディアを捕縛してあげて。私の巫女は凄まじい魔法を使うけど、室内だと全力では使えない。もし追い詰められて使ったとしても、全く同じ魔法で私が必ず『魔法相殺カウンターマジック』する。だから、その間に、どうか早く……」


 神聖なる使徒から、指示が出された。

 そして、カナミの魔法による流れ・・のせいか、迷えども足を止める騎士は一人もいない。


 控えていた騎士たちが近づいてくる。

 とはいえ、全員ではない。

 精鋭と思われるのが、五人だけ。

 まず柔らかい口調で話しかけてくる。


「ディア様、失礼します。進言したいことがあれば、『終譚祭』のあとで」

「あなた様はただの巫女ではありません。使徒様と同様に……いや、それ以上の存在だと思っている騎士は多いのです」

「この距離で、この人数。どうか、ご抵抗はなさらずに。誰もあなたを傷つけるつもりはありません」


 忠告と共に、先頭を歩く貴族出身らしき騎士の手が伸ばされた。

 すぐに俺も手を伸ばし返す。


 貴族騎士の右手と俺の右義手が合わさった。

 同時に視線も合わさり、俺の微笑が騎士の瞳に映る。


 貴族騎士は小さく嘆息する。

 俺が降参したのかと、安心したのだろう。

 すぐさま紳士が淑女の手を引くように、優しく奥へ誘おうとしてくれる。


 ただ、その優しさに対して、申し訳ないが俺は力を入れる。

 それは数値にすれば、レベル59。

 『筋力』は15.00を超える。


 人外の膂力をもって、不意を討ち、貴族騎士を上空に放り投げた。

 矢を放ったかのように軽々と天高く、重さ七十キロはあろう男性の肉体が打ち上げられる。


「――――っ!!」


 その迎撃に対して、他の精鋭騎士たちの行動は迅速だった。

 俺の膂力に目を見開きつつも、「降参する気なし」と判断して、同時に疾走し始める。


 前方から、さらに四人。

 常人ならば目にも留まらぬ『速さ』で距離を潰し、捕縛しようと腕を伸ばしてくる。

 その全ての腕を、俺は大きく身体を反らして躱した。

 同時に左足の先を跳ね上げさせて、直近にいた二人目の騎士の鳩尾みぞおちにめり込ませる。肺の空気が押し出され、悶絶しつつ蹲る騎士――の左右から、俺を抑え込もうとする残りの騎士たちが近づき、手を伸ばす。

 さらに俺は、頬が床につきそうなほどに身を反らして、また躱した。


 身体の反れ具合は、限界も限界。

 普通ならば倒れる体勢だ。

 だが、魔力で固めた義足のおかげで、倒れることは決してない。

 左義足は形状を変えて、床を貫き、根を張り、俺の全身を支えていた。


 おかげで、その無茶苦茶な体勢から、攻撃に転じられる。

 まず手を伸ばし切っている三人目の騎士の腕を、両手で掴み、背負い、神殿の壁に向かって投げた。四人目の騎士は躊躇なく剣を抜いていたが、その白刃を右義手で掴み、握り折ってから、左の拳を顎に入れて気絶させる。


 五人目の騎士は、かなり出遅れていた。なので、直近で悶絶していた二人目の騎士の胴体に回し蹴りを叩きこみ、吹き飛ばし、五人目の騎士ごと剣の間合いから追い出した。

 そこで、最初に上へ投げた一人目の貴族騎士が落ちてくる。

 流石は精鋭の騎士で、神殿の天井を足場に跳躍して、加速した上に魔法まで唱えていた。


「巫女様を捕らえろ! ――《ウォーターフィッシャー》!!」


 しかし、選ばれたのは、水の網の魔法。

 まだ捕縛を優先とは、本当に紳士的だ。


 俺は回し蹴りを終えた体勢から、右義手を掲げる。

 しかし、魔法を使うわけではない。

 魔力で構築された右義手を長く鋭く変形させて、迫りくる水の網を斬り裂き、そのまま貴族騎士に向かわせた。

 だが、切っ先が届く前に、騎士は突風を発生させて、真横に移動し、神殿の壁に張り付く。


 見覚えがある魔法運用だ。

 若さからして、ライナーの友人かもしれない。


 一通りの戦闘が終わり、魔力の粒子が神殿に散り舞う。

 一息ついたことで状況に理解が追いついたシスが、驚愕の声をあげる。


「な、なっ……? どうして……!?」


 接近戦が弱点だという認識があったのだろう。


 それは距離を取っている騎士や神官たちも同じようで、与えられた情報の修正を頭の中で必死に行っているのが、表情から伝わってくる。


 そして、まだシスは『魔法相殺カウンターマジック』のタイミングを待ち構えて、動かない。

 ありがたいことだ。

 ならば、俺は『魔力物質化』を操って戦うだけだ。


 師から聞いた話によると、この『魔力物質化』は『剣聖』を多く輩出するアレイス家に伝わる技術で、騎士の奥義の一つらしい。


 正直、俺が使えない道理はない。

 それどころか、ずっと俺は無意識に、この奥義を使い込んでいて、次の領域スキルまで踏み込んでいる。


 自らの身体を見直す。

 限界まで胴体は捩じれて、顎先は天井に向き、いまにも倒れそうな体勢で静止している。


 左義足が『魔力物質化』の上級応用によって、腰あたりまで魔力を根のように張り巡らせ、身体のバランスを安定させている。

 右義手は『魔力物質化』の初歩運用によって、長く鋭い剣となっていたが、その刀身をゆっくりと縮ませていく。


 ここまで力強く流麗に運用できるのは、一年前から日常的に使っていたおかげだろう。

 それと、あの最後の戦いで、『水の理を盗むもの』ヒタキが見せてくれた手本・・のおかげでもある。


 俺は掲げられたままの右義手の切っ先を見つめて、こんなときだというのに感慨深さを感じる。


 本当に、俺は成長した。

 変わりもした。

 でも結局、いま俺が掲げているのは『剣』でなく、『剣の形をした魔力の塊』。


 思えば、ずっとこれに振り回されてきた人生だった。

 その異常な魔力ゆえに、故郷の村に帰れなくなったのが、全ての始まり。

 使徒と呼ばれ続けて、自分を見失い、逃げるように連合国の迷宮に辿りついた。

 そこでレベル1のカナミと出会って、仲間のみんなと仲良くなった。あとはシスに身体を奪われたり、大事な人を失ったり、最終的には世界の危機に立ち向かったりして、その日々は本当に――


「――本当に、苦しかった。けど、楽しい『冒険』でもあった。それは『まるで、昔読んだ英雄譚のようで』――」


 思わず、言葉が出た。

 詠んでしまった。


 周囲を囲む騎士たちが息を呑み、警戒を増していく。

 想像以上のおれの強さに、戦術を見直しているのだろう。


 ずっとこちらは不安定な体勢で隙だらけを演出しているが、引っ掛かってくれそうにない。

 俺にはオーバーなところがあって、フェイントや誘いこみが下手だという師の忠告を思い出して、諦める。


 右義足の固い魔力を膨らませ、変形させる。

 腰から背中まで覆いながら持ち上げて、ゆっくりと胴体を起こしていく。

 肉体に頼らず、魔力だけで体勢を直立に整えた俺は、『剣の形をした魔力の塊』をアレイス流『剣術』で構えた。

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