501.『本物の糸』


 これが最後。

 その大切な最後の戦いで、まだ僕は誰かに身体を貸している。

 だから、これは僕が戦っているようでいて、実の所ただ繋げているだけ。


「――『私は世界あなたから忘れられた』。『火を点けては嘘をいてきた』『誰かを私は愛している』――」


 だが、それがいい。

 それが僕にとっての最高の戦い方であり、一撃となると知っていた。


「――魔法・・灰かぶりの失くし炎アルティメイト・ライアー》」


 黒い双剣に燃え盛る炎が纏う。

 その属性変化によって、闇を飲み込もうとしていた氷のあぎとが、瞬く間に溶けて蒸発していく。


 一見すると、基礎的な炎剣の魔法に見えた。

 だが、本質は全く別と、すぐにキリストは気づく。


「アルティ……!? ありえない……! だって、彼女を持ってるのはこっちだ……!」


 僕の知らない名前を出して、氷の剣もあぎとも失った手を一つ、自らの胸に置いた。

 しかし、そこにも『黒い糸』は張り巡らされて、力強く脈動し続けている。


 ――繋がっている。


 まるで喋るように震え続ける自らの身体の『黒い糸』。

 その力が、《ライン》を模した拡声器マイクや毒の循環だけではないと分かり、疑いを自分自身に向ける。


「もしかして……、ぼ、僕なのか? 僕自身が魔法を使ってるのか……!? ライナーに!?」


 魔法構築と宣言が、虫モンスター特有の翅脈の振動こえにて行われていた

 つまり、魔法《不死殺しの紅蓮竜シン・ブラッドファフニール》の三つ目の効果は、『黒い糸』を通じての自動的で強制的な魔法の暴発。


 僕は笑みと一緒に、双剣の焔の赤色も深める。

 意気揚々と楽しく、その借り物の力たちを全力で振るっていく。


「燃やし尽くせ! 『忘却』の『祝福・・』よ! キリストに本当に忘れてはいけないものを思い出させろ!!」

「…………っ!? も、燃やし尽くし返せっ! 『忘却』の『呪い・・』よ! ライナーから僕という記憶を奪い、この戦いを終わらせろぉおおおおっ!!」


 咄嗟にキリストも炎剣を作り、叫び返した。


 無詠唱の《フレイムフランベルジュ》が八つ腕から伸びて、こちらの双剣と打ち合わせられていく。


 どちらの猛火も尋常を超えていた。

 その僕の双剣と八つの炎剣が拮抗して、鍔迫り合いの形となる。

 あと少しで、剣が届きそうで届かない僕たちの炎の刀身。

 そのもどかしく危険な状況で、僕の喉から勝手に紡がれるのは――


「――『私は世界あなたを置いていく』――」


 それは、とある剣士が届きたいと願い続けて、ついに至った『詠唱』。


「――『拒んだのは世界あなたが先だ』『だから私は剣と生きていく』――」


 それが誰の振動こえなのかに気づいて、さらに僕の口元は緩む。

 キリストも誰なのかに気づいて、次を予期したのだろう。


 口を大きく開け広げて、喉奥から嗚咽を漏らしていく。


「あ、あぁ……、ロ、ローウェン……?」


 『火の理を盗むもの』の次へ。

 次から次へと、本当の『魔法』は繋がっていく。

 その親し気な友の振動こえと共に。


(――間違えさせない。これは『親友カナミ』が教えてくれた道だ)


 それが聞こえたとき、キリストの両の目が滲む。

 しかし、僕は容赦なく、次へ。


「――魔法・・亡霊の一閃フォン・ア・レイス》」


 僕たちの炎剣が、剣聖の神業によって振り抜かれる。

 弛まぬ鍛錬の果ての一閃は、時空を超えて、目の前の炎の壁を無視した。


 まるで鍔迫り合いなどなかったかのようにすり抜けて、奥にあるものを斬る。

 キリストの『魔獣の腕』が六つ、根本から絶たれて、宙を舞った。


「――――っ!」


 僕と同じ二本腕に戻ったキリストは息を呑む。


 痛みが理由ではないだろう。

 絶対的優位でなければ、至近距離でまともに相対するのは嫌なのだ。キリストは怯えるように後退して、逃げようとする。

 だが、そんな情けない自分あなたは見たくないと――


「――『自分は唯一人、名も何も無き童の魂』――」


 それは、とある童が帰りたいと願い続けて、ついに至った『詠唱』。


「―― 『迷い子は世界あなたに導かれ』『逆光の果てまで駆け続けた』――」


 『地の理を盗むもの』の次へ。

 次から次へと、本当の『魔法』は繋がっていく。

 その郷愁に駆られる穏やかな振動こえと共に。


「――魔法・・王■落土ロスト・ヴィ・アイシア》」


 発動するのは、いま、『ここ』に帰り続ける最高の帰還魔法。

 キリストは後退しようと大きく跳び、地面に着地した。だが、僕たちの間の距離は全く変わっていない。


 特殊な空間固定の魔法によって、キリストは移動に失敗した。

 そして、当然ながら、その魔法と『詠唱』にも次はある。

 いや、この姉弟ふたりは次ではなく、同時。


「――『この身は地獄路を疾走する魂』――」  


 それは、とある童も帰りたいと願い続けて、ついに至った『詠唱』。


「――『童を堕とした世界あなたのことを』『この地の底で怨み続けた』――」


 『木の理を盗むもの』と重なって。

 弟と姉の本当の『魔法』は、既に繋がり終えている。

 その郷愁に駆られる幼い振動こえと共に。


「――魔法・・■道落土ロード・オブ・ロード》」


 背後から、風が吹き抜けていった。


 ただ背中を押すだけではなく、視界の両端に翠色に薄く輝く風の壁も生んでいる。

 僕からキリストまで、彼女の作ったトンネルが伸びて「行けー!」と促される感覚。


 その魔法は、もう落ちるのではなく、前へ。

 故郷という大切な宝物ものに続く道から、聞こえてくる振動こえたち。


(――ライナーたちは自分の最後の教え子です。手強いですよ、カナミ様)

(――童も教えたよ! 本当に大切な宝物の場所を!)


 僕の師である姉弟たちの魔法により、キリストまで続く道が生まれた。

 それは、この一対一の決着を、優しくいざなう一本道。

 後退どころか、どこにも逃げられなくなったキリストは呻く。


「……くっ!」


 自分がよく知り、使ったこともある魔法たちだからだろう。

 この流れ・・は不味いと、誰よりも正確に理解している。


 すぐにどうにかしなければならない。

 流れの根元を絶たなければならない。


 キリストは焦りに焦り、全ての原因が誰にあるのかを急いで、分析し終えたようだ。

 結果、僕ではない口から、次に待ってくれている人たちの名前が示されていく。


「セ、セルドラッ!! ファフナーもだ!! おまえたちが、さっきから!! この戦いを、ずっと! ずっとおまえたち二人があぁああっっ!!」


 キリストはよく分かってくれている。

 もちろん、その二人のおかげだ。


 二人が『魔法』を使い終えて、100層の赤光あかり振動こえとなった。

 言いたいことも全て言い残して、先に行ってしまった。


 なので、僕は繰り返したい。

 キリストを追い詰める原因を、もっと強めたい。

 もっともっと大きな声で、もっともっともっと遠くまで届くようにと――!


「――『空に手を差し伸べて、俺は世界あなたが見えない』――」


 それは、とある亡霊が救いたいと願い続けて、ついに至った『詠唱』。


「――『愛しき声を頼りに歩いた。いま魂の歌に合わせて、空に触れる』。――魔法・・生きとし生きた赤光ヘル・ヴィルミリオン・シャイン》」


 『風の理を盗むもの』の次へ。

 次から次へと、本当の『魔法』は繋がっていく。

 合わせて、互いの背中を憧れ合った振動こえも続く。


「――『人を殺し吐く人殺し』――」


 それは、とある竜人が謝りたいと願い続けて、ついに至った『詠唱』。


「――『蟲毒を盛られ続けた躰』『俺も世界あなたも殺したい』。――魔法・・神殺しの悪竜シン・ファフニール》」


 『血の理を盗むもの』の次へ。

 次から次へと、本当の『魔法』は繋がっていく。


 それは憧れてくれた後輩に恥じぬ力強い振動こえだった。


 輝く風の道の中で、赤光と『黒い糸』の色が急速に濃くなり、際立っていく。

 同じ『魔法』の二度目の発動は無駄かと思ったが、想像以上に強まった事実に僕は驚く。


 一人が繰り返しただけでは、こうはならないだろう。

 かつて『舞闘大会』で見たリーパーとカナミの『魔法』の受け継ぎと昇華に、少し似ている。

 違う魂が受け継いで、さらに次へと昇華していくからこそ、この重ね塗ったような濃い赤と黒となったのだ。


 昇華された発光あかり脈動こえは、もう二度と止まることはないと思わせるほど力強く、非常に安定していた。

 さらなる流れの悪化を恐れたキリストは急ぎ、その全ての原因に向かって手を伸ばす。


「セ、セルドラだけでも! セルドラさえ抜いて捨てれば! それで、この『最悪』の連鎖は止まる!!」


 自らの右腕に、紫の魔力を纏わせた。

 これは見慣れている。《ディスタンスミュート》を自分に対して使用して、皮膚に張りついた『黒い糸』や『無の理を盗むもの』の魔石を取り除くつもりだ。


 キリストならば自分が不要と思ったものだけを選び、抜くことができる。

 その反則的な力で、この『魔法』の連鎖を止めることができる。


 ――が、止まったのは、逆。


 そのキリストの《ディスタンスミュート》を纏った右腕だった。

 自らの胸に触れるまで、あと少し。

 ほんの少しの直前のところで、凍ったように『静止』していた。


 いま、キリストの右腕は《ディスタンスミュート》が発動している

 この最後の戦いに至っては中級魔法のような扱いだが、本来ならばありとあらゆる障壁を無視して、防御も妨害も不可能にする最上位の次元魔法だ。

 それをこうも軽く止められるとすれば、世界に一人だけ。


「……ひ、陽滝?」


 キリストは動かない自分の右腕を見つめて、震える唇から妹の名を漏らした。

 答え合わせは、僕の端の吊り上がった唇から返される。


「――『生の始りに凍え、死の静かに凍る』――」


 それは、とある異邦人が止めたいと願い続けて、ついに至った『詠唱』。


「――『私は私独りで終わっていく』 『世界あなたに触れることもなく』。――魔法・・雪底の氷、流るる日をヘヴンフォール・ニブルヘイム》」


 『無の理を盗むもの』の次へ。

 次から次へと、本当の『魔法』は繋がっていく。

 その大切な家族を心配する振動こえと共に。


(――ティアラ、ありがとうございます……。あなたを信じて、本当に良かった)

(――私も信じただけだよー。お礼なら、本当の『聖人』ちゃんに言ってね)


 安堵し、一緒に重なった振動こえ


 それを聞いたキリストは、羨望からか目尻から涙を流れ落とした。


 その羨ましい二人に触れたくて、なんとか右腕を自らの胸に入れようとする。

 絶対に負けられないと、全身を使って抗っていく。だが――


「……動か、ない。いや、この程度、まだ……。まだ僕には……、家族がいる……。ま、『魔法』だって……――」


 すぐに諦める。

 妹の『静止』の突破を断念して、まだ動いてくれる逆の手を動かした。


 その先は、何もない宙。

 見えない袋に手を入れるかのように、その手首から先が100層から消えた。


 キリストの信頼する反則的な手札の一つ。

 『持ち物』だ。

 そこには長い二年の『冒険』の果てに、二つの世界のアイテムが無数に揃っている。

 無限の状況を打開するための無限の物資が詰まった『持ち物』をまさぐって――


「…………。そ、そんな……!」


 弄り続ける・・・・・

 本当なら、その『持ち物』の中に、この状況を打開するものがあったはずなのだろう。


 だが、ない。

 先ほどシアの身体を弄ったときと同じように、目的のものが一向に見つからない。


 その事実に、絶望で顔面を染めたときのことだった。

 立ち尽くすキリストの奥に、そのシアの身体を肩に背負った少女が膝を突いているのが見えた。


 いつの間にか身を起こしていた彼女が、いまの「そんな……」という呟きを、とても嬉しそうに笑い飛ばす。


「ふっ、ふははっ……、あーっはっはっはっは! ティアラ様! 先生せんせえーー! 私はやりましたよぉぉおおお!!」


 先ほど、得意の《グラヴィティ・グリード》を打ち破られて、優しく気絶させられていたはずのノワールだった。


 シアを背負い抱える腕とは逆の手に、膨大な魔力の詰まった魔石を二つ・・・・・握っていた。


「ノ、ノワールちゃん……!?」

「英雄様ぁ、お忘れですか? それとも、もう私は眼中にありませんでしたか? しかし、その『持ち物』はティアラ様や使徒レガシィと共同作成した魔法。正式名称は、呪術《マジックバッグ》――」


 だから、ティアラさんと縁の深いノワールならば、先ほどの呪術《ライン》と同じく、呪術《マジックバッグ》にも干渉できると――距離によっては、こうしていつでも掠め盗れたのだと、二つの魔石を手に勝ち誇っていた。


 間違いなく、キリストが迂闊だったろう。

 これだけティアラとレガシィの遺志が色濃く、さらには千年後の人たちに受け継がれていく状況で、『持ち物』が自分だけのものと思い込んでしまった。


 その油断により、『持ち物』に大切に仕舞われていたはずの魔石が二つ。

 ノスフィー・フーズヤーズ。

 ラスティアラ・フーズヤーズ。

 キリストの大事な家族二人が抜き取られていて、ノワールの懐に仕舞われそうになる。


 キリストは今日一番の激昂と絶叫を口にする。


「か、返せっ、ノワールちゃん!! それだけは許されないっ!! すぐに返せ! 返せ、返せ返せ返せぇええエエエエ、ノワール!! ノワールゥウウウッッ!!」


 もはや冷静さは皆無。


 まず『静止』した腕を無視して、乱暴に引き千切った。

 隻腕となったキリストは、《ディスタンスミュート》は残った腕に移してから、血を撒き散らしながらノワールに駆け向かっていく。


 もうキリストはノワールに容赦しないだろう。

 それだけの殺意が身体から迸り、空気を揺るがしていた。

 先ほど気絶させた温い判断の過ちから、今度は「たとえ殺してでも」という本気の気概さえ感じられる。


嗚呼あぁ……」


 ただ、ノワールにとっては、その手加減なしの殺意こそが待望。


 やっと世界に誇る英雄様が、自分を対等以上の敵と認めた。

 その瞬間、恍惚として胸に手を当てる。


 そして、とても満足げな吐息を出してから、詠み始める。


 ……どうやら。

 最後の彼女だけは、本当に僕が嫌いなようだ。

 妹たちの一人である『魔石人間ジュエルクルス』の喉を使って、次へと繋げていく。


「その悲鳴が聞きたかった。そして、ノスフィー様。いまならば、また私も同じように『素直』になれる気がします……。(――『いま、私は旗を捨てる』)」


 それは、とある娘が生きたいと願い続けて、ついに至った『詠唱』。


「(――『世界あなたの祝福は要らない』『私こそが生まれぬ命を祝う光となる』。――魔法・・代わり亡き光ノーライフ・ノスフィー》)」


 『水の理を盗むもの』の次へ。

 次から次へと、本当の『魔法』は繋がっていく。

 その大切な娘の振動こえに、キリストは――


「――――っ!!」


 止まるしかなかった。


 その魔法の効果は、誰よりもよく知っている。

 いまノワールを魔法で攻撃しても、全てを大切な娘の身体が代わりに受けるだけ。


 あと少しで、《ディスタンスミュート》がノワールの胸を貫くというところだったが、それ以上は手が出せない。

 中途半端なところで止まり、悔しそうに唸る。


「ぐ、ぅう……!!」


 一時的とはいえノスフィーがノワールに協力したのは、大好きな父の手を血で染めたくなかったからだろう。

 それをキリストは父として瞬時に理解して、娘の優しさと愛情によって苦しんだ。


「さあさあ、英雄様? 早く敗北を認めて、私の人生の勝利を祝ってくれませんか?」


 その止まったキリストの悔しげな顔に向かって、ずいっと笑顔を近づけて挑発するノワール。


 ああ、本当に……、有り難い。

 ずっと彼女はしたたかだ。

 この戦いに限っては、あのパリンクロンやティアラたちに匹敵しているかもしれない。


 しかも、その強さの上に、彼女は決して自分一人の力だけで戦おうとしない。


 僕と同じく、全力でみんなを頼っている。

 それは家族のルージュだけではなく、ハイリさんやシアも。

 パリンクロンやティーダたちからは、明らかにノワールは「少年少女・・」と意識されて、その援護を受けていた。

 そして、かつてのアイド先生が見守ってくれる中で、自分と同じ『魔石人間ジュエルクルス』であるノスフィーを頼った。


 さらに言えば、ラスティアラとラグネさんもだろう。

 いまノワールの懐の中で、明らかに二人も魔法を使っている。

 その総力をあげたノワールへの過剰な贔屓を、目の前のキリストも感じているのだ。


「ぁ、あぁ……、ぅう……!!」


 自分の家族たちさえも揃って、赤の他人のはずのノワールに賛同している。

 その事実に、キリストは小さく首を振り続ける。


 それは戦う前から分かっていたことのはずだった。

 だが、ずっとキリストが目を逸らしていた事実でもある。


 それがノワールの手によって、いま目の前に突きつけられてしまい、キリストは迷子の子供のように泣きそうになる。


 その背中に僕は向かいながら、ノワールによるノスフィーの代弁の続きを聞く。


「ノスフィー様は、こうも仰っていますよ。(――お父様、一緒というのは通じ合うこと。……だから、どうかお願い致します。もう一度だけ、わたくしと一緒になってくれませんか?)と」

「ノ、ノスフィー……、違うんだ……」


 キリストは限界まで顔を歪める。

 有り難いことに、まだノワールは全力で囮をしてくれて――その視線を、一瞬だけ僕に向けた。


 ノワールが最後に頼ったのは、僕。

 分かっている。

 だから、既に全力で《■道落土ロード・オブ・ロード》の道を駆け抜け終えて、キリストのすぐ後ろまで来ている。


 そして、兄様とパリンクロンでも成功できなかった挟撃を、いま僕たちで成功――

 いや、兄様とパリンクロンが準備して譲ってくれた挟撃を、いま僕たちで繋げていく。


「キリスト! ノスフィーのやつの願いを思い出せ。もちろん、みんなの願いもだ。ここにある『理を盗むもの』の魔石は全て、あんたを苦しめる為にあるんじゃない! そんなわけがない! これはあんたを助けたいと願って、遺された『本物の糸・・・・』たちだ!!」

「…………っ!!」


 『本物の糸』のおかげで、完全に流れは変わった。


 その僕の叫びに反応して、キリストは慌てて振り向く。

 いつの間に、こんなに近くまで来ていたんだと、心底驚いた表情をしていた。


 本当に視野が狭い。


 だが、これがキリストだ。

 所詮、いま持っているスキル『並列思考』『分割思考』は妹からの借り物で、全く使いこなせていない。


 その根っこにあるのは、むしろ逆。

 たった一つのことだけをやり遂げる力だけ。

 簡単に言えば、器用じゃないのだ。

 何か一つに集中したら他が疎かになってしまい、すぐに奇襲されたり、裏切られてしまう。


 なのに、世界を救う?

 無数の魂たちを管理して、世界中の人々も『幸せ』にする?

 いま向かい合って戦っていた相手に背中を取られて、不意打ちを受けているあんたが?


 冗談は休み休みに言えと、僕は双剣を前に突き出す。

 その突きは両方とも、振り向いたキリストの無防備な胸部へ突き刺さった。


 深くまで、炎を纏った黒き双剣が這入はいる。

 ただ、ダメージを与えるのが目的ではない。

 ここまで来れば回復魔法どころか、『半死体ハーフモンスター』の回復力だけで肉体的なダメージは意味をなさないだろう。


 なので、僕の狙いは最初から一つ。

 最初にアイド先生とティティーを奪ったときと同じだ。


 ――剣先による魔石たましいの弾き出し。


 ここまでの連続の『魔法』たちによって、それが可能な繋がりは十分過ぎるほどに生まれていた。

 『魔法生命体』としても、キリストの身体は物質として揺らぎ揺らいでいた。


 だから、カッと剣先に固いものが触れた瞬間。

 さらに僕は一歩前に踏み出して、これはみんなからのとどめだと宣言して、行く。


「みんな、あんたに命懸けで助けられた! だから、あんたを助けたいと死んでも願っている! そのみんなの『本物の糸ライン』を、いま、僕が! このライナー・ヘルヴィルシャインが、100層ここで繋ぐっ!!」


 不安定になったキリストの胸部から、まず二つ。


 『無の理を盗むもの』と『火の理を盗むもの』の魔石を突き押し、出し切る。

 さらに剣が水に沈んだかのように柄まで体内に入り、僕の僅かに緩めた手が、もう二つ。

 『水の理を盗むもの』と『ラグネ・カイクヲラ』の魔石を握ってから、剣を――というよりも、握り拳を左右に振り抜いた。


 炎と黒い泥はキリストの体内に残し、その身体の横を僕は通り過ぎて行く。

 同時に、空間固定と風の道の魔法も解除されて、晴れた。


「がっ、あぁああっ――!!」


 キリストは肺を魔法の双剣で攻撃された。なにより、肺よりも大切な器官ものを一気に四つ失って、呻いた。


 それを背中に聞きながら、押し出された二つの魔石を綺麗にキャッチしてくれていたノワールを脇に抱きかかえる。

 その勢いのまま駆けて、数歩分ほどの距離を取った。


 すぐさまノワールを背に守る形で、今度は僕が振り向く。

 ここまで協力してくれたみんなの願いを代弁しながら、双剣を構え直し、伝え終える。


「――でないと、みんなが死んでも死に切れない……!!」


 その言葉の先で、キリストは離れて行った魔石と僕たちを見て、涙を流しながら隻腕を前に伸ばしていた。


 だが、すぐに伸ばした手を口に持っていき、顔を顰めながら膝を突く。

 吐き気があるのだろう。

 だが、その胃にまともな内容物なかみがあるわけがない。

 なので、その口から出るのは、もっと違うものだった。


「うぅっ……、ぁあ、ぁあああぁぁ……――」


 口に手を当てても、その隙間から濃い紫の魔力が大量に漏れ出していく。


 原因は、『理を盗むもの』の魔石が急激に減ったことによる魔力の器の収縮――つまり、最大レベルの減少だ。


 もう残っているのは、キリスト自身の魔石一つだけ。

 おそらく、いまのキリストのレベル上限は30前後あたりだ。

 つまり、過剰な60レベル分以上の『魔の毒』が、強制的に放出されている。


 その吐き出す姿を見て、僕は安心する。


 ここでレベルのコントロールが出来ない場合は、僕が《レベルアップ》や《レベルダウン》をかける必要があったのだが、その必要はなさそうだった。


 ただ、急ぐ必要はある。


 地上から送られてくる魔力によって、この吐瀉は止まらず、いつかは体力の限界を迎えたキリストは完全なるモンスターとなるだろう。


 その前に、僕は提案しないといけない。

 決着がついた今ならば、その資格がある。


「キリスト。あんたの『未練』はたった一人、ラスティアラ・フーズヤーズ……。ラスティアラに会いたい。それだけのはずだ」


 大前提の話をする。

 同時に、もう一つの大前提も、キリストに突きつける。


「それだけなのに、どうして世界まで救う必要がある? 『魔の毒』を管理して、いつか『最深部』の先まで行くなんて、余りに遠回り過ぎる。あんたは不相応で『夢』のような話ばかりで、現実的な話から遠ざかり過ぎだ」


 それを聞いたキリストは、苦渋の顔を上げて僕を睨む。

 口を手で押さえた状態でも、反論の声は抑え切れないようだ。


「あ、ああ。僕は、どうしても『ラスティアラ』に会いたい……。ただ、その為に世界を救う必要があるんだ……! 遠回りじゃない! 『魔の毒』の管理者という上位次元となって、不可能を可能にする存在になるしか、他に方法はないっ!!」


 こうキリストが答えるのは、最初から僕は分かっていた。


 だから、必要なのは代案だ。

 用意してきた新たな大前提を、僕は提案していく。


「いや、他に方法はないと決めつけるのは、まだ早い」

「あるわけない!! 僕に分からない答えを、他の誰かが見つけられるわけがないんだ!!」

「ああ、確かに僕じゃ見つけられなかった。だから、これは千年前、あんた自身が見つけた答えになる」


 キリストの驕りに驕っていても間違ってはいない真実に、僕は同意した。

 その上で、既に見つかっていると伝えもした。


 結局、僕は最後まで他人頼りとなる。

 繰り返すが……だが、それがいい。

 自分じゃなくて、目の前の主キリストを信じて、僕は提案していく。


「千年前、あんたが妹さんを救う為に立てて、失敗した『迷宮計画』。あれを今度こそ、本当の意味で成功させるんだ。それだけがあんたとラスティアラの病も呪いも治して、救える道だって、そう僕は思ってる」

「せ、千年前の……、僕の『迷宮計画』だって……?」


 それを聞いたキリストは困惑していた。

 その困惑の間にも、話は続ける。


「もちろん、あんた一人で考えた古いアイディアだけじゃ駄目だ。千年前のあれは、協力者のはずのティアラさんもレガシィも裏切っていたせいで、欠陥だらけで……。だから、今度はみんなだ。『みんな一緒』に協力して、やろう」


 当たり前だが、その話は急すぎたのだろう。


 そして、それはキリストだけでなく、視線・・も同様だった。

 100層というゴールで、また迷宮作りの話が繰り返されて、より一層と視線の困惑の色は濃くなる。


 すぐに僕は、視線の先にいる『切れ目』にも目を向ける。

 奥にいるあなた・・・にも、これは話している。


「その為に、まず聞いて欲しい。僕とノワールの、『次の迷宮計画』を。『夢』のような都合のいい未来じゃなくて、『現実』の目標の話をさせてくれ」


 この新たな大前提は、世界あなた次第の部分が多い。


 ここまでの千年の戦いを見守った世界あなたの成長の分だけ、千年後の『現在いま』が変わると言っても過言ではない。


 つまり、『みんな一緒』とは、世界あなたも。

 ここまでの『詠唱』全てが、世界あなたに向けての祝詞こえでした。


 ――いま、『貴方』は何を感じて、何を考えて、何を求めていますか?


 大事なのは話し合いだと、僕は最後の戦いで再確認して。

 こちらからも、視線で問いかける。

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