500.第百二十の試練『絆』
ロミスたちに啖呵を切られて、キリストは呆然としていた顔を引き締め直す。
相手が誰であろうともやるべきことは変わらないと、決意を固め直しているのだろう。
「パリンクロン、ロミス、レガシィ……。僕が嫌い、恨み、勝利してきた……。むしろ、戦い易い相手たちだ」
好都合だと強がって、目の前の敵を睨みつけた。
その視線の先、ロミスの足元の浅瀬には、微かだが渦が発生していた。
ただ、吸い込んでいるだけではない。近づけば近づくほど、その水は墨を混ぜたように黒く染まっていく。
ここまでの全てが、『詠唱』の一部だったのは明らかだ。
ロミスは笑う。
「(戦う? 悪いが、そのような野蛮な真似は好まない。私たちが行うのは唯一つ。これまで我らが支払ってきた『不信』の分、正当な報酬を受け取ること。つまり、『闇の理を盗むもの』ティーダ・ランズの――
隠すことなく宣言したとき、急激に足元の渦が大きくなった。
黒染めも濃くなる。
まるで周囲の赤光を食らって、暗黒が自己増殖しているかのようだった。さらには水だけでは足りないと、周囲の空気の流れも変わっていく。
空気も同じく、近づけば近づくほど明るさを失うので、黒い霧が無限に吸い込まれていくような光景だった。
そして、紡がれるのは、正当な手続きの『詠唱』。
「(――『
キリストは無言で動き出す。
僕と同じく、予感があるのだろう。
このままだと、ティーダたちの人生を懸けた『魔法』をぶつけられる。
それは他の『理を盗むもの』の誰にも負けず劣らない。
だから、僕も負けじと、無言で動く。
まだ《ディスタンスミュート・エクソシス》による皮膚を剥いだかのような痛みは残っていて、まともに身体は動かない――のだが、僕以上に苦痛を感じているはずの魂が、その動かない身体を動かしてくれた。
「(――行かせませんよ。私とパリンクロンの信頼の証の為にも)」
ハイン兄様が、ふらつきながらも僕に立ち塞がらせてくれた。
先ほど、キリストが跳躍で距離を置いてくれたおかげだ。
ロミスたちの言葉を借り受けて、騎士として双剣を構えていた。
もちろん、最初の自分の「私が前で、あなたは後ろから――」という言葉の責任もあるのだろう。絶対に退けないという意思を兄様から感じられる。
その僕たちを見て、キリストは舌打ちしながら前に進み、ぼそりと魔法を口にする。
「……――《ディスタンスミュート・エクソシス》」
こちらの弱点を突き、触れれば終わる濃い紫の光の魔法。
それが今度は、八つ腕の持つ氷剣全てに灯った。
このまま、全力で突っ切るつもりだ。
いま僕たちの後ろには、危険な魔法を発動させる直前の後衛がいる。間違いなく、先ほどの『演技』の温い剣ではない。
そして、一太刀でも受ければ、先ほどシアが切り離されたように、僕も兄様との繋がりが絶たれる。
それはつまり、兄様が僕の中から消えるということ。
ついに再会できた大切な家族を失うということ。
いまならば、まだ一時停止は間に合う。
この身体の主導権を取り返して、少し横に道を空けるだけで兄様が消えるのは止められる。
しかし、分かっている。
――むしろ、前へ。
パリンクロンの信頼に応える兄様の信頼に応えるように、その前進の足並みを揃える。
別れを恐れることなく、一人ならばふらつく身体を、兄弟二人で前へ。
力を合わせながら、魂ごと身体を
魂を絞るように、自分の腕と『魂の腕』を振るった。
それは兄弟最後の共同作業。
兄弟一緒だった昔を思い出させて、二人で何かを楽しく名づけたい気分になって――
「行かせるかよ、キリスト……! (ええっ、これは我らが兄弟の証でもある! ――ヘルヴィルシャイン流共鳴剣術『
「…………っ!」
襲い掛かったのは、僕と『魂の腕』の息の合った剣閃八つ。
対して、険しい顔のキリストが、『魔獣の腕』を無言で振るい返す。
こちらの八つの魔剣に、それぞれ氷剣を綺麗に打ち合わせた。
それは互角のようでいて、魔法《ディスタンスミュート・エクソシス》の直撃。
剣と剣を伝って、こちらの『魂の腕』までキリストの魔力が侵食してくる。
また激痛が走る。今度こそ確実に『魂の腕』たちは霧が吹き消されるように形を崩して、実体を失っていく。
合わせて、『魂の腕』が握っていた血の剣、闇の剣、木の剣、風の剣も、霧のように消えた。
実体のある『ヘルヴィルシャイン家の聖双剣』だけが地面に落ちていく。
僕の本来の両腕が握る双剣は失っていないが、一呼吸の間に六つの『魂の腕』と魔剣を失ってしまった。
剣の比べ合いが、いま終わる。
完全にキリストに上回られてしまった。
だが、その比べ合いの時間を使って、奥から『詠唱』の続きが聞こえてくる。
「(――『もし全てが黒に染まるなら』――)」
「――くっ!」
僕たち以上に慌てた声を漏らすキリストに向かって、まだ僕は戦えると、痛む身体を前に倒しながら、残った双剣を振るおうとする。
しかし、キリストは疾走を緩めず、勢いを乗せた八つ腕の連突きを放った。
当然、こちらは手が足りない。
僕の双剣では、その氷剣たちの軌道を逸らすので精一杯――いや、全ては逸らせなかった。一つの氷剣が肩に突き刺さり――いま、完全に《ディスタンスミュート・エクソシス》が僕の体内で発動する。
「――ぐっ、ぁ、ぁあっ!」
生皮剥ぎを超えて、骨から肉を削ぐような激痛。
それが魂の奥深くまで根を張って、身体はどうしようもなく硬直する。
その僕たちの隣をキリストは通り過ぎて、奥にいるパリンクロンに向かって駆けた。
もう一度、双剣を横薙ぎに振るいたかった。
だが、もう身体は動いてくれない。
正直、貫かれた肉体のダメージは、さほどではない。《ディスタンスミュート・エクソシス》による激痛も、さほどではない。
ハイン兄様が消える。
繋がりが途切れていく喪失感によって、僕の心と体から力が抜けていっていた。
いまにも涙が零れて、慟哭したくなる。
その前に、僕は――
「ありがとう……、ございました。兄様……、もう……」
両の膝を突いて、礼を述べた。
そして、ここから先は僕一人で大丈夫だと、ここまで協力してくれた兄に感謝を伝える。
「(ああ、もう大丈夫……。心配していないよ、『本当の騎士』ライナー。私と繋がったということは次にも繋がるということ。我らの魂は、どこまでも繋がっていくだろう。それは、我が友たちとも――)」
一人の喉で会話したあと、眼球が勝手に動いた。
四肢で追いかけるのは難しくとも、目で追いかけることならば出来た。
その双眸の先には、僕たちを置いて走るキリストの異形の背中。
その背中の奥には、僕たちを信じた黒い泥の異形の姿。
兄様が消えて逝くのを『代償』として、いま、『闇の理を盗むもの』の人生が詠み終わる。
「(――『私も私を裏切り続ける』。――
本当の『魔法』が発動した。
ここまでずっと黒い泥の人型は周囲に渦を作り、100層の浅瀬から水を汲み、周囲から空気を吸い込んでいた。
その黒の泥と霧が全て、両腕に集中して、凝縮されて、固められ、一対の槍と化している。
その黒き双槍の先端が、近づく敵に向かって、すぐさま勢いよく突き出される。
だが、キリストは半身になることで軽く避けて、その進みを衰えさせることは全くない――どころか、すれ違いざまに、避けた槍を一呼吸で容赦なく、側面から斬り刻んだ。
黒い双槍が柔らかい。
というよりも、単純に硬度や『槍術』の練度が、キリストの剣に全く追いつけていないのだろう。
だが、そんなことは百も承知だと言わんばかりに、ロミスは黒き双槍を失いながらも前に進む。
その動きは、子どもが抱き着くかのように稚拙で、分かりやすかった。
黒い泥の人型の主導権を握っているロミスに、戦闘のセンスはない。しかし――
「――――っ!」
キリストは息を呑んだ。
動きも警戒も、全く緩めることがない。
そのロミスの突進を紙一重で避けることなく、大きく安全に距離を取りながら避けて――その黒い泥の人型の身体も、槍のときのようにすれ違いざまに斬り刻み、百以上の黒い泥の肉片に分けた。
徹底して、氷剣の攻撃のみ。
いつでも溶かして消せる氷剣で攻撃し続けることで、万が一の接触さえも潰したいキリストの考えが分かる。
そして、その黒い泥の接触を徹底して避ける作戦は、正解なのだろう。
斬り分けられた百の黒い泥たちが、宙で形状を針のようなものに変える。
見間違えでなければ、通常の縫い針ではなく、注射器の針。
なんとしてでもキリストの体内に侵入してやるという意思が形になったかのような針の群れが、一斉に鋭い
先ほどの双槍の比ではない攻撃だ。
しかし、キリストが身体を陽炎のように揺らすと、飛来する黒い針全てが空を切る。魔法は一切使われておらず、身のこなしだけで避け切った。
――ただ、その奥にいる僕は避けれず、一つの黒い針が大腿部に突き刺さる。
奇襲を捌き切ったキリストだが、まだ警戒を緩めることはない。
散らばった百全ての黒い泥が、次は獣のように飛び跳ねるとでも思っているかのように睨む。
それもまた正解なのだろう。
散らばった黒い針は溶けて、気化し、黒い霧となっていく。
この明るい赤光の空間に、部分的にだが暗闇を成立させた。
その黒い霧の一部分を人の口に変えて、ロミスは喋る。
「(……流石だ、光神様。しかし、『魔法』とは人生。それは我が友がファニアの昏き町で、『
その説明の続きを、キリストが先んじて口にする。
「暗所で迷った者を逆さにする怪異。噂では、出会えば終わりの殺人鬼だった」
「(そう。つまり、この魔法《
魔法の本当の成立条件が宣言されて、キリストは険しい顔となる。
いつの間にか、その身体から漏れる紫の魔力が、『闇の理を盗むもの』の黒に染まっていたのだ。
明らかに、何らかの精神干渉を仕掛けられて、冒されている。
「(この魔法の精神干渉は、当然ながら『不信』。これもまたティーダの人生と同じく、『不信』の対象は自分自身となる。……疾患者に自分の行動を疑わせて、その信念を根元から腐らせていく)」
数ある精神干渉の中でも、概念が曖昧で広義的だと思った。
ただ、その曖昧さと広さで、本当にあらゆる心の動きに干渉していくのだろう。
例えば、自分の視界の明るさが信じられなくなり、まるで『暗闇』のように冒す。
例えば、自分の身体が動くと信じられなくなり、まるで『麻痺』のように冒す。
例えば、自分の行動の正義が信じられなくなり、まるで『恐怖』のように冒す。
先ほどの言葉通り、全ての根本を腐らせることが、本当の『魔法』ならばありえる。
その脅威を教えられたキリストは、不敵に笑みを浮かべて、頷く。
「あぁ。それは一度戦って、分かってたよ……。本当の『魔法』はどれも、不可避で究極的だった。だが、その本当の『魔法』も、これで最後……。これさえ凌げば、もう……! もうっ、これ以上はない! この最後の悪足掻きを、掻き消せっ! ――《ブラックシフト・オーバーライト》!!」
これで最後だからと、溜まり直していた膨大な魔力を、ここで絞り切るつもりだろうか。
今日一番の次元魔法と思わせる圧倒的な密度で、身体から紫黒の煙も生み出していく。
相手が濃い霧を使うならば、さらに凶悪で濃い霧で上書きして、『なかったこと』にしていくつもりだ。
その《ブラックシフト・オーバーライト》も、不可避で究極的な魔法だろう。
ただ、それはキリストが万全の状態だったならばの話。
儀式の中断も含めて、その身体には異常と
いま使われている《ブラックシフト・オーバーライト》は不完全で、不十分――と分かっているキリストから、さらに叫び足される。
「消せない『状態異常』は先送りにしろ、『
冷気の渦がキリストを中心に吹き流れる。
既存の魔法と力を流用してだが、また新たな魔法だった。
分かっていたことだが、もう限界と思われたところからキリストはしぶとく、粘り強い。
魔法《
一瞬にして、水の浅瀬が凍り尽くされて、鏡面のように煌めく。
さらには無形の黒い霧さえも含めて、全てを紫の凍った花に作り変えた。
恐ろしい魔法だ。
これで《
だが、キリストの顔は、まだ険しいまま――
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! 全部治して、全部凍らせた……のに、なぜ……、まだ……!?」
まだ自らを侵食する『不信』が消えない。
その疑問に答えるのは、凍った紫の花たち。
パキパキと音を立てて、その口から声を発しながら砕け散っていく。
「(
隣人と言われて、すぐにキリストは視線を落として、自らの胸元を見た。
その皮膚では未だ、セルドラとグレンさんの遺した『黒い糸』がびっしりと張り巡らされて、脈打っていた。
さらに、その奥にある魔石たちが、『不信』を自分に伝染し続けると理解したようだ。
あらゆる意味で除去が不可能な魔法の厄介さに、キリストは下唇を噛んで、全ての魔法とスキルを解除する。
その様子を、口のついた凍った紫の花たちが笑う。
「(本当に厄介だろう? これには、生前の私も手を焼いたんだ。そして、その厄介さが『闇の理を盗むもの』の人生であり、強さだった……。……そう、この『不信』は強さだったのだ。ゆえに、これは対象への精神攻撃でなく、精神強化の魔法に属すると私は判断する)」
「こ、これが、強化……? こんなものがか?」
「(ああ。いま、おまえは『不信』の果てに、他人の『理』に頼っただろう? この『闇の理を盗むもの』の『呪い』は、私たちに本当に大事なものを気づかせてくれる……、――『
キリストと話す途中、ロミスは誰かの
言葉を修正して、『魔法』の真価を説き直した。
それに賛同するのは、また凍った紫の花々。
いま戦っているのはロミス一人じゃないと、使徒レガシィの声も響いていく。
「(そういうことだな、ロミス・ネイシャ。この世に生まれた奇跡、血術、呪術、魔法。全てが、『人』から『人』への強化であり、応援であり、『祝福』だった。ははっ、俺の言った通りだったろ?)」
次々と砕け散りながらも構わず、その遺言を100層に――いや、この世界に聞かせて、染み込ませていく。
そして、レガシィたちは二人だけでもないと、次から次へと言葉を繋げていく。
「(そして、いま、おまえは『呪い』を超えて、幼馴染を信じ抜き、『魔法』まで至った。ついに、本当に大切な魂を見つけることができたな――)(――はい、レガシィ様。心より感謝しています。確かに『契約』通り、私は最期の機会を頂きました。その甲斐あって、今度こそ憎き
ロミスの
『未練』を果たしていった『理を盗むもの』たちのように、世界や戦いよりも大切なものに向かって、最後の時間を使いたいようだ。
残り少ない凍った紫の花々を砕き使って、掠れた声を届ける。
「(なあ……? ティーダ、それがいいだろ……? もう私たちの『証明』は終わった……。おまえの顔だって、いまならよく見える……。私たちが揃えば……、ファニアどころか……、本当は……――、世界、だって……――)」
全ての花が砕け散り終えて、声は途切れた。
舞う氷片が宙で雪のように溶けて、魔力の粒子となって天高くまで昇る。
100層の赤光の空に、星屑の川が流れ掛かった。
怨敵のキリストを川の根元に置いて、ロミスの魂たちが先に行く。
それを見届けるのは僕とキリスト――と、もう一人。
先ほど、無数の針となって散らばった際に、僕の腿に突き刺さった一つの黒い泥が、まだしぶとく残って、喋る。
「見たな、ハインの弟。いや、『本当の騎士』ライナー・ヘルヴィルシャインよ。……
『闇の理を盗むもの』と使徒たちを、本当の『魔法』を使わせるためだけに呼び、利用した男。
パリンクロン・レガシィが感慨に浸っている暇はないぞと、僕の余韻を消した。
「いま、我らがご先祖様たちの遺したものを、おまえが繋げていくんだ。兄のハインでなく、弟のおまえがな」
「……分かってる」
おまえに言われるまでもないと、激励される前に力を振り絞っていく。
もう休憩は十分過ぎた。
生皮を剥ぐような痛みも緩み、慣れてきた。
そのゆっくりと立ち上がる僕に向かって、さらにパリンクロンは煽る。
「全ての条件は揃った。――これで、もうおまえに知らない魂はない。その責任を持って、全てを繋げろ。続けろ。畳みかけろ。おまえならできる。いや、これはただ懸命に生き抜き続けた『
「本当に……、煽るのと他人任せが得意なやつだ。死んでなければ、ここで僕が殺してる」
兄を殺した仇に向かって、僕は憎まれ口を叩く。
だが、そこに殺意はない。
かつてのキリストやラスティアラたちと同じく、もう恨みは乗り越えてしまった。
そのパリンクロンとの繋がりを手繰り、僕はロミスから譲られた
「ははっ、ライナー。見せ場を譲ってやってるんだって、年長たちからの気遣いを察しろよ。俺らも、いまのご先祖様たちと同じなんだ。カナミの兄さんとは色々あったからこそ……、最後はおまえに譲りたい。それが、もっといい流れらしいからな」
嘘か真か。
本当ならば、パリンクロンは自分一人だけでもキリストに勝てたかのような物言いをする。
しかし、もっといい流れがあると言い残して、喋り続ける泥を蠢かせ、僕の身体に這わせた。
――先ほどの氷剣の刺突で空いた傷口に辿りついて、中に
全身の血が、焼かれたように湧き立った。
学院生時代、魔法を覚えるために魔石を呑み込んだときと同じ感覚だ。
いま、僕の血に新たな魔法が刻まれていっている。
――それは確かに、キリストを単独で倒せたかもしれない術式の数々。
だが、あえてパリンクロンは自らの魔石であり血でもある身体を犠牲にして、全てを僕に託していく。
傷口を黒い泥で塞ぎながら、その瘡蓋を口のように動かして、最後の言葉を残す。
「いま、使徒レガシィとファニアの積み重ねた術式全てが、おまえに継承された。俺たちの遺志も纏めて、全部持って行け。代金として、120層から先の『試練』は頼むぜ? そのもっといい流れを……いや、『
先ほど聞いたロミスとレガシィの遺言に似た遺言。
パリンクロンなりに繋げようという意思がある。
同時に、あの千年前の幼馴染たちにも自分たちは負けていないと、固く強い絆で結ばれた相手に呼びかけた。
呼応して、僕の体内で消える直前の魂が、最後の力を振り絞る。
二人は言葉を重ねて、僕の喉と最後の別れを終わらせていく。
「(ええ、我が友……。先んじるのが役目であり、ご先祖様たちに対する作法でしょう。なにせ、私の弟こそ……、ヘルヴィルシャインで最高の……、『本当の騎士』だったのだから……)」
「そういうことだな。ここまでお膳立てしたんだから、勝てよ、ライナー……。嘘臭くない『本当の英雄』ってやつを……、最後に見せてみろ……」
「(見せてくれます……。なにせ、私たちが託した……、少年少女たちは……――)」
「あぁ、俺たちを超えて、行く……。俺たち自慢の……、教え子たちだった……――」
傷口に黒い泥が
瞬間、二人の言葉は途切れた。
キリストの《ディスタンスミュート・エクソシス》によって、二人は消えてしまった。
大切なものが欠けて、心に穴が空いた気分だった――が、すぐに僕は前に歩き出す。
喪失感以上に、得たものがある。
二人は、先に行っただけ。
消えて行った人たちの遺した道が、目の前にある。
おかげで歩き易く、道の先で立っているキリストも見え易い。
舞台からの退場者が続いて、いま100層に立っているのは僕とキリストの二人だけとなった。
だから、一対一の決闘を持ちかけるように、声をかける。
「……キリスト、決着をつけよう」
呼びかけられたキリストは、ロミスたちが消えた場所で空を見上げていた。
昇って行った魔力の粒子を、心底羨ましそうに追いかけ続けている。
あの恐ろしい魔法たちよりも、心に刺さる言葉たちよりも。
二人揃って消えて行った『証明』が、キリストの心を一番揺るがしていた。
そのいまにも泣きそうなキリストが、こちらに向き直って、僕を見る。
もう余裕という余裕がないようで、その動きだけで足元がふらついていた。
本当にボロボロだ。
外傷はなくとも、自壊のような『半魔法化』『半死体化』を繰り返したことで、魂の損耗が激しい。
ずっと浅い息切れは続いていて、肩を上下に揺らしている。
ただ、それはキリストだけでなく、こちらも同じ。
氷剣の傷は塞がったが、度重なる魂の多重化・強化によって消耗は激しい。疲労困憊の上に、置き土産も残っている。
「はぁっ、はぁっ……。ライナー、君の身体からも……」
その置き土産をキリストは指差した。
僕の身体からも、黒い霧が漏れ出ている。
死して100層を満たした魔法《
はっきり言って、100層というフィールドは、もう混沌そのものだ。
長引く戦いの間に、あらゆる魔法が使用され、その残滓が溜まりに溜まり続けた。
あらゆる属性のフィールド魔法がぐちゃぐちゃとなって混ぜ合わさり、多重に展開されている。
そのフィールド魔法の負担は凄まじく、100層で息をしているだけでも苦しい。
常人ならば間違いなく、その無数の状態異常によって、立つことすらままならないだろう。
しかし、僕もキリストも尚しぶとく、足掻くように魂から魔法を絞り出し続けていく。
もはや、迷宮100層の最後の戦いは、泥仕合の極致と言っていい。
僕は色々なものを認めながら、キリストの指摘も受け入れる。
「ああ……。僕も感染させて貰って、もう自分の力も勝利も信じられない。……けど、何も変わらない。なぜなら、騎士ライナー・ヘルヴィルシャインは主と同じく、最初から自分なんて信じていない。ただ、それは自分が嫌いだからじゃない。自分を憎んでいるからじゃない。自分を殺したいからじゃない――」
僕もキリストも限界を超えて、取り繕う余裕は一切ない。
いま、ありのままの本音を吐き出していく。
かつて教わったことを繰り返す。
心を、ぶつけ合う。
『理を盗むもの』との戦いが、終わりを迎えていく。
「僕は
『闇の理を盗むもの』の『祝福』は、本当に大事なものを気づかせてくれる。
その『祝福』に背中を押されるように、答えた。
不思議な感覚だった。
僕の言葉は矛盾しているし、論理も破綻しているだろう。
しかし、いまの僕たちの気持ちを最も正しく表している気がした。
そして、その感覚は、きっと――
「なあ、そうなんだろう?
きっと、みんなも僕と同じ気持ちのはず。
だから、ロミス・ネイシャが行った
「もし、みんなも同じ気持ちなら……。どうか、僕に力を貸して欲しい。その為に、ここまで僕は来た……」
言い終えたとき、肩の瘡蓋の奥で、血がドクンッと脈打った気がした。
その音のリズムに合わせて、いま聞いたばかりの『詠唱』を、まず確実に繰り返す。
「――『
その『詠唱』の男たちの人生を僕は知らない。知るはずもない。
しかし、人生を詠むことで、繋がっていくのを感じる。
「――『もし全てが黒に染まるなら』『私も私を裏切り続ける』――」
誰と誰がではない。
『人』から『人』へと繋げてきたのが、本当の血脈。
この世界を生き抜いた『
その『ヘルヴィルシャイン』の真価を信じて、宣言し終える。
「――
ロミスたちと同じく、僕の足元の浅瀬も渦巻いた。
黒い泥が身体を這い登って、両手の剣を黒い泥が覆い尽くす。彼らが構築したものと形状は少し違うが、全く同じ質の黒い双剣だった。
その魔法の完成と共に、100層のどこかから
(――ロミス。……信じて、託そう。この千年後の少年少女たちに)
そして、それが
「ティ、ティーダ……? …………っ!」
キリストは驚きつつ、また《
向こうからすれば、先ほど全力を尽くして
だが、すぐにキリストは戦意を持ち直す。
何も問題はない。何度でも消してやると、ふらつく足で、こちらに向かって歩き出す。
その途中、キリストの氷剣が形状を変えた。
同じ攻撃で斬り刻んでも、また同じ結果になるだけだと疑ったからだろう。自らの神懸かった『剣術』を信じられずに、『魔獣の腕』の持つ氷剣の形を崩してしまう。
八つ腕の氷全てが合わさり、大きな
それは氷の蛇か竜か。恐ろしく巨大なモンスターの大口を、キリストは目の前に作って、視界から自分の姿を覆い隠した。
本当に、分析と対抗策の構築が早い。
間違いなく、この「視認を避けての巨大質量での圧殺」こそが《
しかも、その大きな氷の
呑み込まれれば、たとえ本当の『魔法』だろうと『静止』した上で噛み砕いて、消化される。
これで《
歩みに合わせて、100層のどこかから聞こえる
それは非常に尊大なようで、とても寂し気な少女の
(――ティーダ、手伝おう。千年後まで見守ってくれた君も、私は応援する)
誰の
しかし、また体内の血がドクンドクンッと激しく脈動して、繋がっていく気がした。
そして、今度は僕だけじゃない。
キリストの身体に張り巡らされた『黒い糸』も。
さらに100層そのものも、心臓のように同じリズムで鼓動していく。
続いて、僕の喉を誰かが利用して、紡がれる
「――『私は
それは、とある少女が忘れないと願い続けて、ついに至った『詠唱』。
「――『火を点けては嘘を
『詠唱』の意味を理解したとき、体内に新たな魔法が構築されていた。
その属性は、火。
黒い双剣に、焔が巻き起こり、絡みついていく。
こうして、『闇の理を盗むもの』から次へ。
次から次へと、本当の『魔法』は繋げられていく。
その繋がりたちを、僕の最後の攻撃としたい。
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