455.エピローグ



 『第二迷宮』という特殊な地下空間ならば、『糸』は届かない。


 その為に、本土中央にある都市ダリルへ向かっていく。

 一年前、あのパリンクロン・レガシィが引き起こした『世界奉還陣』の中心地であり、その被害と恩恵の両方を色濃く受けている場所だ。


 地割れが多数あった地域だが、地道な整地や植林が進み、街としての体裁が整い始めている。

 中心部の大穴から『第二迷宮』に繋がっており、それを目的とした来訪者が数ヶ月前までは溢れ返り、大陸では迷宮都市と呼ばれていた。


 だが、『死神付きの魔女』マリアが訪れて、出入り口を溶岩地帯に変えられたことを契機に、都市ダリルの状況は変わっていった。

 北に対する前線基地でもあった都市が、『南北連合』発足によって北と南の中継地点としての機能を期待されるようになる。


 ゆえに、現在。

 ダリルは迷宮都市でなく交易都市と呼称され、特徴的な大量の簡易テントはそのままに野外店バザーの熱だけが倍増していた。


 交易都市ダリルは、城壁や関所といったものがないことで有名だ。おかげで、気楽に人気ひとけのないところから侵入することができて――未だ俺はグレンに抱えられたまま、誰にも見つからないようにテントの合間を通り抜けていき――途中、とある子供たちの声を、街の影から俺は耳にする。


 その話し声の中には、俺たちと無関係ではない情報が含まれていた。


「騎士のおっさんたちが、すげえ喜びようだったぜ! 『魔石線ライン』でなんか連絡あったっぽいな!」

「西の赤い海が、綺麗に消えてた。それで、この前やってきた連合国の英雄たちが、またこの街を通るらしいよ」

「ここを通るなら、新しいお面を用意しよう……。私も、みんなみたいな耳つきのやつが欲しい」

「せっかくだからな! あの人たちの用意してくれた孤児院のおかげで、俺たちが元気にやってるの見てもらおうぜ! 気づくかなー!」


 そんな話をしていた。

 そして、見た。

 獣人の子供だけじゃなくて、『魔石人間ジュエルクルス』の子供も混じった集団が、多種多様なお面を身に着けていたのを。


 頭部だけでなく、人によってはペンダントのように首に下げている。

 その特別な装飾は、街の外から来た旅人たちも同様で――


「ずっと続いていた『境界戦争』の終止符を祝い、人類史上最高のお祭りをするって話だな。噂だが、あの『元老院』が今回は深く関わっているらしい」

「復興だけじゃなく、祭事までも出張ってくるのは初めてのことじゃないか?」

「それだけ、大変だったってことだろう。この前の、あのすげえ氷結魔法が」

「正直、あまり実感はないな。大陸全員が氷付けにされて、同じ『幻覚』を見せられていたって言われてもな……。結局、家とか物とかは無事だったからなあ」

「戦争が勝手に終わって、『南北連合』ができて、いいことしかなかったな」


 何かしらのお面を身に着けて、そんな話をして歩く。

 そこには定住しているであろう街の商人たちの声も混じっていて、新しい暦や国教の制定などについて、話し合っていた。


 動けない分、移動の間、俺は聞き耳をたてた。

 どれもが、すれ違いざまの僅かな会話の断片たちだったが、確かに感じた。

 その感想を零す。


「――妙な空気だ」


 いま、俺とグレンは街を通り抜け終え、例の溶岩地帯も越えて、薄暗い『第二迷宮』の中にいた。

 俺の感想に、グレンは説明するように答えていく。


「『終譚祭・・・』ガ、始まル……。名目上は《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》内で行ナわれた聖誕祭のやリ直しだガ、明ラカに世界そノものを対象としタ儀式ダ……」


 やはり、儀式。

 ただの戦勝祝のお祭りでなく、『代償』が発生するようだ。


 ――つまり、これから大陸は一種の結界に包まれる。


 カナミがラスティアラに告白した『誰もが幸せになれる計画』の中には、『次元の理を盗むもの』の本当の『魔法・・』の完成が含まれていた。

 地上の儀式が、例の『魔法カナミ』に関わっているのならば、本当に向こう側の準備は万端なのだろう。


「そういうことか。しかし、この段取りの早さは異常だ。『血陸』解除は確定事項にされてたってことだろうな。……運命のように」


 その流れを止められなかった俺は、敗北感を覚えながら薄暗い迷宮を運ばれていく。


 『第二迷宮』内部は、開拓地連合国にある迷宮と変わらない。

 偶にモンスターが現れるが、こんなに浅い層では敵にすらならない。迷宮内では『黒い糸』の移動はしていないが、グレンの高レベルの疾走に追いつける存在はいなかった。


 移動中、グレンは思案している俺に対して、話を切り出す。


「すマない……。戦ウ前、あれダケの啖呵を切っテおきなガら、こノ体たラくだ」


 『血陸』でセルドラさんに挑戦して、完敗したことを悔やんでいた。

 なので、たとえ自分の寿命が減ってでも謝罪して、全力で俺を運び切ると誓っている様子だ。


 しかし、俺からすると、敗北は当然の結果だ。

 なにせ、あの憧れの人は――


「グレン、相手が悪かったんだ。セルドラさんは『異邦人』たちを除けば、生き物として『最強』だ。はっきり言って、仕方がない」

「いヤ、違ウんだ、ファフナー。セルドラにハ・・・・・・勝っテイた・・・・・。あト少しデ殺せるトコろだったガ、最後の最後デ……」

「……そ、そうなのか?」


 俺がカナミに挑戦している間、地上で繰り広げられていた戦いの詳細が判明していく。


 嘘や見栄とは思わない。

 カナミの記憶を中継してだが、俺は『第八十の試練』を見た。

 セルドラさんは『未練』の挿げ替えによる弱体化だけでなく、思想・価値観の変化も起こっているのだろう。その結果、グレンと戦うのではなく、会話を優先した可能性は高い。


 おそらくだが、セルドラさんは無防備に攻撃を受け続け、グレンに敗北しかけたところを――あの吸血種クウネルが介入して、『血の理を盗むもの』の魔石を奪った。


 彼女は俺と同じく上位魔人だ。

 疲弊したグレン相手にならば通用する切り札を隠していてもおかしくはない。


 だというのに、俺たちはクウネルの警戒を怠っていた。

 いや、彼女の力で、怠らされていたのだろう。

 クウネル勝利の流れを俺が察したところで、グレンは忌々しげに唸る。


「一族ヲ犠牲にシタ『不死殺しの毒』も、上手ク活かすコトができズ……、無駄ニシた……!」


 かける言葉が見つからない。

 半端な慰めを必要としていないのはわかる。


 だが、どうしても俺はグレンに確認したい単語ものがあった。

 俺にさえも隠していた切り札『不死殺しの毒』を、セルドラに使ったようだが……。


 一族を犠牲にした毒。

 似た話を、つい先ほど聞いたところだった。


「グレン、おまえがセルドラさんにこだわっている理由は……」

「…………」

「もしかして、生まれた一族の名は『フィリオン』か?」

「…………っ!?」


 その質問にグレンは驚いた。


 表情から正解と悟る。

 直感で言い当ててしまった俺は、彼以上に驚いてしまう。


 千年前のあの日、セルドラさんは『智竜の里』を滅ぼしたはずだ。

 セルドラさんの従姉である女の子も含めて、食い殺した。


 生き残りがいたのだろうか?

 いや、いたとしても、グレンが竜人ドラゴニュートじゃない時点で、完全に別の『フィリオン』だ。しかし、交配の末に、竜の血が薄くなったという可能性もある……。血縁を確認するには、検証が必要だろう。様々な角度から、何度も入念に……。


「グレンの里だと、大陸の伝承はどうなってる? セルドラさんやカナミさんに関する特別な口伝が、何かあったんじゃないのか?」

「……口伝ハ、あル。が、そレを説明すルヨりも先に、リーダーと会っタほウが早い。彼女モ僕と同じモノを信じテイる。……到着ダ」


 そう言ったところで、グレンの疾走は止まった。

 俺を『黒い糸』の拘束から解放して、地面に降ろす。


 ふらつきながらも俺は、地に足をつけた。

 ずっと拘束された状態だったからこそ、彼の肩の上で休息できている。なので、ここまでの移動で俺以上にふらふらとなってしまったグレンに、肩を貸して支えた。


 そして、迷宮の回廊の果てにあったものを、俺は目にする。


「迷宮の中に、家?」


 周囲は迷宮低階層にありがちな洞窟タイプで、ごつごつとした岩場に、じめじめとした湿気が充満している。しかし、広く、開けた空間だった。


 特殊なボスのエリアなのだろう。

 だが、その場所の中央に鎮座しているのは、ボスモンスターではなく建物だった。


 一軒家だ。

 迷宮内ならではの異質な形状でもなく、地上によくある一般家庭のものに近い。

 ただ、材質は木材でも石材でもなく、真っ黒な泥のような何かだ。


 魔法で建てられているのは間違いないので、入るのに躊躇する。

 しかし、立ち止まっている時間は俺たちにない。

 グレンに肩を貸した状態で前に進み、恐る恐るも、黒い家の扉を開けて、中へ入ろうとして――ここまでの戦いの終わりに相応しくない陽気で元気な声に、出迎えられる。


「あっ、おかえりなさぁあーい! ずっと待っていまし――って、えぇ!? ひええぇえぇえええっ!?」


 玄関先で、小さなが眩しい太陽のような笑顔で待ってくれていた。

 だが、俺たちの姿を見て、即座に悲鳴をあげながら両手を挙げた。


 栗色の長い髪を二つに分けて結い、とても表情が豊かな女の子だ。

 俺の生きていた時代では、決して見られない純粋さを感じる。


「なっ……!?」


 なのに、なぜか俺は懐かしさを感じて、狼狽した。


 その少女の雰囲気が、匂いが、振る舞いが、妙に心の奥をくすぐる。

 さっきのクウネルの『血の理を盗むもの』代行者ならではの懐かしさとは別物だ。


 故郷の日常の空気が伝わってきて、俺の身体から緊張が溶けていく。

 臨戦態勢を解いたのは俺だけでなく、隣のグレンも同じようだった。

 もはや、俺の体にしがみつく力さえなくして、前に倒れこみながら、帰還の挨拶をしていく。


「リーダー、連レテ来マシタ。遅れて……、しまい、申し訳……――」

「わっ、わわ!」


 慌てて、少女は前に駆け出して、その両手をグレンに伸ばす。


 俺は初めて会うが、この子が例のリーダーなのだろう。

 『血陸』までやって来られないわけだ。

 余りに、弱い。

 身に纏う魔力が薄過ぎる。


「と、というか、ググググググレンさあああん!? む、胸に穴が! 穴がぁあああああ! どうして、そんなになるまで粘っちゃうんです!? 無理そうなら撤退って! まだ行けるは、もう無理って! 諦める判断の速さが、一番大事って! 盛り上がらないことばっかり、いつもグレンさんが空気読まずに言ってたのにい!!」

「ソコのベッドで……、倒れマす。リーダーは、ファフナーの勧誘ヲ……」


 そう言いつつ、グレンは家の隅を指差した。


 家の中の家具も、普通の一軒家と変わらない。

 床や壁が黒くてぶよぶよしている程度で、かなり快適に休息できそうな場所だ。


 そして、隅にあったベッドには、別の顔が先着で座っていた。

 少女と違って、見知った顔だった。以前、大聖都のフーズヤーズ城にて対峙した少年騎士ライナー・ヘルヴィルシャインだ。


 主ラグネと対等な戦いをしていた少年が、溜息をつきながら立ち上がり、その手に魔法を構築していく。


「グレンさん……それと、ご先祖様もお久しぶりです。色々と言いたいことはありますけど、まずは。――《キュアフール》」


 神聖魔法による治療を行うようだ。

 グレンの身体を支えていた俺と少女は、急いでライナーに受け渡す。


 少女は心配そうに、ベッドまで運ばれていくグレンを見送った。

 しかし、自分に治療で手助けできることはないとわかったようで、すぐに大きく首を振って、俺に向き直り、自己紹介を力強く始めていく。


「初めまして、私はシア・レガシィって言います! ここで、パーティーのリーダーをやっています! いらっしゃい、ファフナーさん!」


 レガシィを名乗った。

 使徒の名前を冠する家名を持つ少女が、深く頭を下げながら、俺に願う。


「アイド先生と同じく、昔の偉い人だって聞いてます! どうか未熟な私たちに、色々と教えてくれたら嬉しいです」


 『木の理を盗むもの』アイドの知り合いだった。その直球過ぎる勧誘に俺が戸惑っていると、家の奥から新たに少女が現れる。


 黒い装いに、黒髪黒目。

 シア・レガシィと違い、その少女は禍々しい魔力を纏っており、どちらかと言えば俺の時代寄りだった。


 眉間に皺を寄せて、警戒心を露にしている。

 専門の研究に携わっていた俺は、彼女が『魔石人間ジュエルクルス』であると見抜く。


「シアっち、まだ私は反対ですよ。アイド先生とこいつは、全くの別物です。代わりにパーティーに入れるなんて、亡き先生への侮辱ですよ。この男は、あのクソ研究を重ねやがったネイシャ家の関係者なんですから……」

「ノワールちゃん、先生と同じ『理を盗むもの』さんを信じましょう。ここまで『理を盗むもの』さんたちに、悪い人は一人もいませんでした」

「……だとしても、私とルージュの二人は絶対に納得しないから。もし生きてたら、ハイリねえも絶対に私たち側です。『魔石人間ジュエルクルス』はみんな、研究者とか学者とかが大っ嫌いなんです」

「んー。ハイリ姉は器が大きいから、大丈夫だと思うけどなー」


 俺に嫌悪の感情を向ける黒の『魔石人間ジュエルクルス』ノワールを、シアは窘めようとする。


 話としては、アイドが抜けて空いたパーティー枠を、俺に埋めて欲しいみたいだ。

 俺は家の中を見回して、他に人がいないのを確認してから、聞く。


「そもそも、この集まりは……、一体何を目的にしているんだ?」


 俺と一緒に来たグレンを入れて、いまここには四人。


 カナミと敵対するパーティーとは聞いていたが、まだ具体的な思想や目的が伝わってこない。

 その問いに、リーダーであるシアが間髪入れずに答える。


「何って、私たちは迷宮探索のパーティーです。なので、迷宮の『最深部』ですよ?」


 ついさっき、地獄の底で話していた最重要単語が、軽く出てきた。

 ただ、全く同じ単語だが、まるで印象が異なる。


「あぁっ、その顔は! 私は探索者っぽくないって顔ですねー! ……よく言われます。でも、私は『最深部』の奇跡を求めて、一年前からこつこつと迷宮探索のリーダーをやっているんです。そろそろ、中級探索者くらいです。ねっ、ノワールちゃん」

「そ、それはどうだろ」


 迷宮の探索者。

 千年前にはなかった概念だが、いまでは職業として各地で通じる言葉だと聞く。

 開拓地では、迷宮が人々の生活に根ざしているからだ。


「なるほど。君は探索者として、『最深部』を目指してる。奇跡に縋ってでも、叶えたい願いがある。だから、カナミさんと敵対を――」

「いえ、奇跡はそこまで欲しくないです。なので、単純にカナミのお兄さんは同業者で、好敵手ライバルなんです!」


 な、中々に……。

 凄い子だ……。


 俺でさえ勇気を出して、やっと「敵」という言葉止まりだ。「カナミさんの好敵手ライバル」なんて畏れ多くて、まだ一度も口にしたことがない。


 なのに、この少女はあっさりと、その壁を乗り越えていた。

 ついでに、その後ろのノワールが震えながら、呪詛を紡ぎ始めていた。


「カァナミィ……。あの男だけは絶対に許さない。あいつさえ、いなければぁあ……。どうにか、私の前で這い蹲らせてやる……! シアっちのパリンクロン叔父さんを殺したことも、謝らせてやる……!」


 彼女にカナミは何をしたんだろう。

 わからないけれど、かなりの恨みを買っているようだった。


 ただ、いまノワールの出した人名を聞き、この集団の目的が薄らと推察できる。

 パリンクロン・レガシィと言えば、千年後の『理を盗むもの』の中でも有名だ。


「シアは叔父を、カナミさんに殺されたのか。つまり、これは敵討ちの一種で――」

「私は恨んでいません。カナミさんがすっごいいい人なのは、一度助けて貰ったから知っています。あの人と比べると、パリンクロン叔父さんのほうが悪人だってことも……ちょっと叔父さんが可哀想だけど、家族の私でもそう思っています」


 怨恨は、そこの黒い子だけらしい。


 ならば、シアはどういう気持ちで、『最深部』を目指しているのだろうか。

 家族の遺志を継ぎたい気持ちならば、少しわかるが。


「マリアちゃんとライっちから、聞きました。大陸に『大災厄』を引き起こしたのは、パリンクロン叔父さんで……、死の間際まで心の底から楽しそうにカナミさんと殺し合っていたって」


 カナミとは複雑な関係になっている様子だ。

 魔法の才能は全くないというのに、重い運命を背負わされているのだなと、俺が憐れんだとき――シアは背中にあるもの全てを、背負い投げるように叫ぶ。


「なので、私の中で、それは終わり! あえて言うならば、今回の最優先事項は、カナミさんから叔父さんの形見を返してもらうことです! なんやかんやで『闇の理を盗むもの』……だっけ? その魔石のペンダントを、我が物顔で勝手に持って行かれて、私は怒っているんですよ! ほんとに、ぷんぷんっです!」


 敵討ちが目的ではないと、全身を使って伝えてくれる。

 だが、その話には色々と疑問点があった。


「魔石を……? しかし、あの魔石はティーダ・ランズの魂そのもので……いや、違うのか? そういえば、『闇の理を盗むもの』の魔石にはパリンクロンも混じっているから、『親和』で情報が引き出せたと、以前にマリアが言っていたような……」

「ええ、マリアちゃんは私に『親和』させたんです! 自分もやってるから、私も絶対できるって言って、無理やりぃ……でも、だーかーらーこそ! あの魔石は、私のものだって主張します! マリアちゃんと一緒に『第二迷宮』を探索して、最初に落ちてるのを発見したのは私! カナミさんは一度売り払って、それを叔父さんがちゃんと正規の方法で買い取ったとも聞きました! それって、もうレガシィ家のものだって思いませんか!?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。落ちてたのか? この『第二迷宮』に?」

「え? はいっ。迷宮で拾い物するのは、私の得意技ですので」


 このリーダーさんの話は非常に軽いようで、とても重要な情報が詰まっている。


 『闇の理を盗むもの』の魔石は、ティーダの魂と繋がっているんじゃなかったのか?

 そういえば、『闇の理を盗むもの』の魔石を所持している代行者が死んだ場合、魂はどうなるのだろうか。魂を研究していた者として、気になる。検証したい。単純に、別々の魔石が二つ落ちるわけではない様子だ。もしかして、『血の魔獣』のように、あっさりと混じるのか? それとも――


「嘘じゃないですよー? あれは私の目の前で『想起収束ドロップ』したんです」

「目の前……!?」

「昔から運だけはいいんですよー」


 シア・レガシィ自身は、余り難しいことを考えていなさそうだ。


 魂とか関係なく、形見だから持っておきたい。

 持つ資格が、叔父を慕っていた自分にある。

 少なくとも、勝手に自分のもの扱いにしているカナミとは、腰をすえて話し合いたいと思っている様子だ。


 率直に、カナミの苦手そうな子だと思った。

 シア・レガシィは戦いの素人だ。

 下手をすれば、そこらの街娘にも負けそうな『素質』とレベル。


 それでも、カナミに挑戦する気満々だ。

 運さえよければ、そのまま本当に――それが、たとえ他愛もない子供のような論争だとしても――妙な流れで、カナミに勝ってしまいそうで恐ろしい。


 俺よりも彼女のほうが、カナミと戦うのに正しい戦術を取っている気がした。

 なにせ、カナミは話したいと心から願われれば、話し合いに応じる。


「くはっ、ははは。はははは、はぁ……、あぁ……」


 ついさっきまで、真正面からカナミと戦っていた自分が、どれだけ回りくどい戦い方をしていたのかわかり、笑ってしまった。


 その笑いの終わり際、俺の気の抜け具合は最高に達して、貧血のように倒れかけてしまう。


「わわわわっ、倒れるならベッドで――でも、ここ一個しかないから、どうしよう!?」


 人のいいシア・レガシィは、周囲を見回して休める場所を探してくれる。

 俺は首を振りながら、最も近くにある椅子へと近づいて、勝手に座らせてもらう。


「いや、ここで十分。そこのグレンと一緒で、特殊な疲れなんだ。これは」


 近くのベッドで倒れているグレンを指差した。

 丁度、ライナーが身の魔力を使い切り、神聖魔法をかけ終えたところだった。


 見たところ、まだグレンの状態は悪い。

 見た目の裂傷などは塞がっていても、内部のダメージは治っていない。

 おそらく、セルドラさんとの戦いで特殊な魔法を受け、遺伝子レベル・魂レベルの損傷を受けたのだろう。過度な『魔人返り』と心臓の全損も含めて、いま生きているのが不思議なくらいだ。


 たとえ、俺が『血の理を盗むもの』として万全の状態でも、この治療は厳しいかもしれない。

 その診断はライナーも同じようで、額の汗を拭いながら小さく首を振る。


「神聖魔法で、やれることはやりました。いま俺以上の神聖魔法使いはいないので、これが限界でしょう。正直なところ、もう……」


 長くはない。

 そう告げられたグレンは、笑みを浮かべながら聞く。


「ライナー君の直感はよく当たる。僕の命は、あとどれくらいだと見ている?」

「『魔人化』の維持時間次第ですが……。持って、あと数日ってところですかね。そのあとは、完全にモンスターとなるか死ぬかの二つ。……よかったですね」


 いま、グレンが活動できているのは、モンスターのビーの特殊な器官のおかげ。

 心臓がない以上、意識的な『魔人化』ができなくなれば、死ぬ。


 ライナーは俺と同じ見立てだったが、彼の浮かべた表情は別だった。

 グレンも合わせて、笑みを深めていく。


「ああ、本当によかった……。あれだけの我侭を通して、まだ残っているとは……。全て、リーパー君のおかげだね。色々と厳しい立場にありながら、この僕を全力で贔屓してくれたんだ」

「そこまで感謝する必要はないと思いますけどね。なんとなく、キリストのやり方にムカついたから、逆側を贔屓してやろーって考えただけですよ。たぶん」

「……そうかも。思えば、確かにリーパー君はそういう子だった」


 笑い合う二人を他所に、俺は驚きを増し続ける。


 ずっとライナーは、この『第二迷宮』にいたはずだ。

 しかし、見てきたかのように、カナミを非難する。

 カナミのやり方なんて、全てお見通しのように……。


「君たちは、カナミさんの『計画』を前から知っていたのか?」


 聞かざるを得なかった。

 その問いに、ライナーは冷静に答えてくれる。


「『計画』というのは知りません。ただ、わかりますよ。……たぶん、自分の全てを『代償』にしてでも、ラスティアラだけは生き返らせたいって話でしょう? キリストが他に何も見えなくなってるのは、容易に想像つきます」


 今回、俺がカナミに《ディスタンスミュート》を仕掛けてまで確かめたかったことを、あっさりと言い当てられた。

 ライナーはグレンの言うとおり、非常に直感が鋭いようだ。


「キリストは、ラスティアラと会いたい。でも、誰も不幸にはしたくないから、全力で自分だけを『代償』にする。そんな馬鹿な自傷行為をするのは、最初からわかっていたことです。だって、あのキリストですよ?」


 茶化すように、ライナーは苦笑いを浮かべた。


 嘲笑ではない。

 友人への呆れが含まれている。


 直感の力ではないとわかった。

 これは、絆の力だ。

 そして、大切な人への深い理解。

 ファフナー・ヘルヴィルシャインの人生になかったものが、このライナー・ヘルヴィルシャインにはあった。


「く、くはっ、ははは……」 


 悔しくはなかった。

 嬉しかった。

 千年前からの付き合いの俺以上に、カナミと『友人』だった少年がいることに、俺は少しだけ希望を見出していた。


「よくわかっていたからこそ、ここで準備をしていたということか……。ならば、一体どんな『計画』を、ここで――」

「すみません。大した準備は出来ていません」

「……な、なぜだ?」


 その希望は一瞬にして萎む。

 ライナーは苦笑いのまま、不満そうに眉を顰める。


「ほんと、このパーティーは纏まりも集まりも悪いんです。『終譚祭』が始まるまでは、キリストが思い直すのを信じて見守るって話だったのに……。ここにいない全員が、いま、すでにそれぞれ勝手に動いていますからね。……誰もキリストを信じる気ゼロですよ」

「ライっちの言うとおり! それが、私の一番のぷんぷん案件ですよー! スタートもゴールも、みんなで「せーの」でいこーって約束したのに……! その最たるが、グレンさん! あとライっちも土壇場になったら、全部一人でやろうとしていることくらい、私は見抜いてますよ! ルール違反者はリーパーちゃんに怒られますからねー!」


 パーティーの話になったところで、纏め上げているリーダーが両手を上げ下げして抗議を始めた。

 注意されたグレンとライナーは、さっと顔を逸らす。


 ライナーは図星を突かれたのを誤魔化すように、頭を掻きながら俺に聞く。


「こんな感じです。……あなたはどうしますか? ここにいるってことは、いまのキリストにイラッとしてるんでしょうが、協調を強制はしません」


 選択を委ねてくれる。


 俺はカナミの敵だ。

 しかし、一旦落ち着くと、どう戦っていけばいいのか、まだ明確なビジョンが見えていない。

 シアと出会い、戦い方そのものを大きく変える必要性を強く感じている。


「君は、どうなんだ? 俺と同じ家名を持つ君は、どうやっていく?」

「いつだって、ライナー・ヘルヴィルシャインは変わりません。『キリストの騎士』として、主のために動く。ただ、主が間違っていると思えば、敵になってでも止める。それだけです、いつも」


 カナミの騎士だから、敵になる。

 カナミを助けたいから敵となった俺と、同じような気がした。


「ファフナーさーん! 私は強引にでも、勧誘をし続けますよー! もしいま私の仲間になっていただけるのなら、なんとっ、この『ヘルヴィルシャインの聖双剣』をプレゼント! これ、千年前のファフナーさんのものですよね?」


 ちょっと目を離した隙に、シアは家の中を走って、武器を取ってきたようだ。

 彼女の手にあるものを見て、俺は首を振る。


「いや、俺は実物の剣を使わない。いい剣を渡されても、持ち腐れだ」

「えっ? 剣を使わないって……。ライっちのご先祖様って、騎士じゃないんですか? それも『騎士の中の騎士』と呼ばれるほどだったから、その子孫のハインさんは『最優の騎士』って呼ばれてたのに……」

「俺が『騎士の中の騎士』? くは、ははっ、悪い冗談だ。皮肉が過ぎる」


 もしそうだったら、千年前はあんな結末を迎えていない。


 千年前の戦争の終わり際、俺は狂信者の振りをし続けた影響で、自分がコントロールできなくなっていた。

 本当にフーズヤーズ国には、迷惑をかけっぱなしだった。


 そう自嘲する俺に、ライナーは真剣に話す。


「しかし、ヘルヴィルシャイン家には、口伝として残っています。伝説の三騎士の内の一人は、鮮血魔法と双剣が得意な騎士で、『始祖』とは唯一の対等な『友人』だったと」

「鮮血魔法はわかる。だが、俺が双剣の騎士? 一体誰が、そんな適当なことを……」


 俺は一信者だった。

 次点で、学者か旅人あたりか。

 騎士の精神なんて、全くわからない。


 騎士と言われて思い出すのは、俺でなく同僚の姿のみ。

 『闇の理を盗むもの』ティーダ・ランズ。

 『地の理を盗むもの』ローウェン・アレイス。


 あの二人は騎士だろう。

 戦い方はともかく、どちらも弱き人々の味方となり、真面目な忠義者であろうと努力していた。少なくとも、精神は騎士だった。

 なぜか俺も含めて『御旗の三騎士』とされていたが、それは『理を盗むもの』の力を持ったカナミの『友人』だったからに過ぎず――


「……ずっと俺は、気の狂ったカナミの『友人』の振り・・をしていた。だから、そんな伝承が残っているとすれば、それは一人だけ生き残ったティアラが、都合のいいように残した作り話」


 歴史の捏造だ。

 ただ、その捏造を行なったのが、あの陽滝を圧倒したティアラとなれば、少し話は変わる。


 あの少女は自分の全てを捨てて、未来を読み切ろうとした怪物だ。

 口から漏れる全てが、もはや一種の予言に昇華している。


 そのティアラには、俺が剣を二つ握っている未来が見えていたようだ。

 そうなるように『執筆』で、脚本を書き足していた可能性も高い。

 ならば、その脚本に沿って、俺は双剣を手にすれば、セルドラさんとカナミに勝てるのか?

 しかし、ずっと俺は血と呪詛だけで戦ってきた亡霊ゴーストだ。

 いつも片手は、『経典』で埋まっている。


 あえて双剣というところに、何かの意図を感じた。

 そして、それがグレンとセルドラさんの里と同じように、ヘルヴィルシャイン家の口伝となっているのだから……、どうしても「儀式」という言葉が思い浮かぶ。


 あのラスティアラ・フーズヤーズがカナミと別れる際に言い残した「私は準備した」の意味が、いま少しだけ分かったような気がした。


「本当に少しだけだが……、俺にも流れが読めてきた。君たちは、あのときの少女ラスティアラに……ひいては『聖人』ティアラに導かれて、集まっているのか」


 あの最後の戦いで、ティアラは陽滝と共に舞台から降りた。

 だが、その影響は、まだ色濃く残っている。


 それを感じ取っているのは俺だけでなく、シアが万歳で答えていく。


「ですね! 私のレガシィ家では、ティアラ様に毎日お祈りしていました! レヴァン教にたくさんお祈りしてるから、運がいいんだと思いますー! ねー、ノワールちゃん!」

「ティ、ティアラ様……? ひっ、ひゃぁ、はいっ、ティアラ様ぁああ! やりますやります! 必ずやりとげますので、だからどうかどうかどうかぁあ――!!」

「いけない! いつもの発作が! よーしよしー、ノワールちゃんー、私たちがついていますー」


 なぜか、ノワールは呼吸を乱して、目じりに涙を溜めて、半狂乱となった。

 トラウマという形でだが、確かに彼女もティアラの影響を受けているようだった。


 ベッドに倒れているグレンからも、同意する声があがる。


「僕ノ育った隠れ里ハ、千年前にティアラ様ガ作ったト言わレテいる……。いツカ、『邪神』なるモノが復活したトキのためニ、『最強の毒』を里デ育ててイるとイう口伝があっタ……」


 次々と頷いていくの見て、確信する。


 あの少女だ。

 あの日、カナミの隣に居た少女ティアラが、まだカナミの隣でしがみついている・・・・・・・・

 全て失い、死して魔法となり、目的を果たして尚、強欲にも、まだ。


 思えば、この大陸で彼女の影響がないところは残っていない。

 なるほどと、俺は頷きかけたが――


「違う。ティアラさんじゃない」


 最も色濃い影響を受けているはずのライナーが、それは間違いだと主張していく。


「あの人は、本当にいい加減で、適当で、他人任せで、手柄の横取りが上手い。絶対、今回も手柄だけを奪う気でしょう」


 ティアラとラスティアラを『聖人』として崇め始めていた俺にとって、その評価は辛辣だった。

 少しムキになって、言い返してしまう。


「しかし、ライナー・ヘルヴィルシャイン。現に俺たちがここに揃っているのは、あの少女ティアラの思し召しとしか思えない。特に君は、あのティアラと直接話して、色々なものを受け継いでいると聞く」

「確かに僕は、あの人に迷宮の『最深部』を目指して欲しいと頼まれました……。相川兄妹を相手に勝って欲しいとも、世界を救って欲しいとも。だが、そんなことは全部、言われるまで・・・・・・もないこと・・・・・


 さしてティアラは重要じゃないと、首を振り続ける。

 千年後、『ヘルヴィルシャイン』を名乗る少年が――


「たとえティアラさんがいなくとも、僕らは『自分の世界』を全力で守るように動いていたでしょう。千年前なんて関係ない。現在いま、僕らが必死に動いているのは、生きている僕らの意志だ。絶対に」


 言い切り、俺は胸を打たれた。


 日常で聞けば、無駄に壮大なだけの言葉だろう。

 だが、いま『経典』の続きを勝手に作成途中の俺にとって、後世に記して残したくなる言葉だった。


「じ、『自分の・・・世界』を守る……、『現在いま』……」


 漠然と「『世界』を救う」としか考えずに、身近な『ヘルミナさんの世界』さえ救えなかった俺にとって、誰の・・『世界』を救うのかを見据えるのは大事だ。


「だからこそ、いま『自分の世界』の中に、『大英雄カナミ』『始祖カナミ』『聖カナミ』なんてふざけた存在がいるやつらは、僕らの敵となるんでしょうね。『ライナー・ヘルヴィルシャインの世界』にいる『キリスト・ユーラシア』を守りたい僕とは、相容れない」


 言っていることが抽象的で、意味がわからない――ようで、俺にはよくわかった。

 千年かけて俺が手にした『経典』を、すでに子孫を名乗る少年は手にしているように感じた。


 俺の血なんて誰にも受け継がれていないはずなのに、ちゃんと繋がっているのはヘルミナさんの『幸せ』を思い出す――ので、いましっかりと『経典』の続きにライナーの言葉を刻み込んだ。この章節は、ラグネ記でなくライナー記としておこう。


「いま、この世界を生きている全ての魂たちが、それぞれ別々の守りたい『世界』を持っている。これから始まる『終譚祭』は、その『理想』の押し付け合いをする勝負だと、僕は勝手に思っています。だから、ティアラさんなんて関係ない。あなたもあなたで、好きにやってくださって構いません……が、タイミングだけは合わせてくれるとありがたいです。『終譚祭』を始めたキリストの隙は、全員みんなで一斉に突きたい」


 隙は、突ける。

 《ディスタンスミュート》を仕掛けたことで、カナミが「魔法を作る間は隙だらけになる。だから、仲間が欲しい」という話をしていたのを、俺は知っている。


 結局、準備も計画もしていないと言いながらも、しっかりと勝ち筋を繋げているパーティーだ。


「ライっちって、時々レヴァン教がキマりすぎて怖いよね……。でも、たぶんそんな感じだと、私も思います! 私個人としては、とにかく仲間になってくれるとすっごい嬉しいです! どうか私を応援してください! もし私が『世界の主』になったら、きっとカナミさんはびっくりしますよー!」


 明るく軽く、とんでもないことを言う子だ。

 たぶん、『世界の主』がどんなものかをわかっていないのだろう。

 本当にカナミをびっくりさせる為だけに、なんとなく勝ってみたいと思っている様子だ。


 ――だから、安心できる。


 本当に安心できる子だ。カナミよりも、この子が『世界の主』になったほうが、何もかも上手くいくような気さえする。グレンたちからリーダーと呼ばれている理由も、いまなんとなくわかった。


 しかしだ。もし、シア・レガシィが『世界の主』になれるような事態になったら、グレンもライナーもノワールも、この子を全力で裏切るだろう。こんなにいい子が『世界の主』になって大変な目に遭うくらいなら、自分がやると言い出す。間違いなく。


 そういうことだ……。

 だから、俺もカナミから、『理を盗むものみんな』の魔石を奪う……。


「それだけのことなんだよな……、結局は……」


 俺は笑みを浮かべて、新たな『未練』を固め直し、目を閉じた。

 安心して力を抜き、椅子に全体重を預けて、魂ごと身体を休ませていく。


 そして、いま向こう側にいる魔石の所持者たちは、どんな気持ちで、何をしているのだろうかと考える。

 来たるべき戦いに備えて、遠い誰かの『夢』を見るように、想いを馳せていく。



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