431.粛綽と、思い竦む



 あえて小さい家屋を、セルドラは拠点に選んだ。

 頑丈とも立派とも言い難い家で、どちらかと言えば小屋のほうが正しい。


 生活用具のほとんどが壁に吊るされてあり、家具は一人用のベッドが一つだけ。

 五人も入るには手狭だったが、それは丁度良かった。


 小屋に入ったクウネルは、すぐに力を強めて、小屋の中に大き目の安全地帯を作っていく。そうしなければ、床も壁も血塗れで、碌に使えたものではなかった。上位魔人の力は凄まじく、ベッドに沁みこんでいた血まで制御し切り、引き潮のように屋外まで追い出していく。そして、急いで出入り口を塞ぎ、隙間を血糊で固め、木製の蓋がついた窓も締め切り、クウネルは「密封完了!」と宣言した。

 さらに綺麗好きのカナミが風魔法で軽く掃除をして、一行は休息に入っていく。


 狭いからこそ、安全地帯は短時間で完成した。


 ベッドはシスが占領して、地べたにクウネルは寝転び、男二人は壁に背中を預けて目を瞑る。歩き尽くめの身体を休めて、少しでも睡眠を取ろうとした。

 その様子を私は、出入り口前に立ったまま見守り――


 僅か数分後のことだった。

 木製の扉にノックが鳴った。

 トントンッと、短く小さな音だ。


 見張りのために熟睡する気のなかったカナミとセルドラが、まず顔を上げた。

 続いて、突っ伏していたクウネルが、両手を後頭部に回して、防御体制を取る。

 傍観者の私は、邪魔にならないように部屋の隅へ移動した。

 シスはベッドで、すやすやと寝続けている。


 カナミは立ち上がり、小屋の窓を少しだけ開いて、外の様子を確認する。

 だが、すぐに私たちに向かって、首を振ることで「誰もいない」と伝えた。


 ならば、いまの音は何だろうか……?

 聞き間違えかと思ったが、あのカナミも聞いた以上、その可能性は低い。

 私が首を捻っている間に、カナミは座り直して、また背中を壁に預けているのだが……、またトントンッと、短く小さな音が鳴る。


 もう一度、カナミは外を確認させられて、首を振らされることになる。そして、この『血陸』という場所は「そういうものか」と納得して、壁際で目を閉じ直した。

 セルドラも同様に、ノックの無視を決め込み始める。


 だが、誰も確認しないとなると、それをいいことにノックの音は急激に大きくなっていく。ドンッドンッと、このままだと扉が壊れるかもしれないといったところで、セルドラが魔法を唱える。


「――《ヴィブレーション》」


 ぴたりと音が止まる。

 ノックの衝撃も含めて、外からの干渉の一切が部屋の中に届かなくなった。


 おそらく、いまのは消音の魔法……いや、『呪術』? 

 魔法でなく、『呪術』のような気がする。

 どこかで、これと同じものを、私は見たことが――


「(――え?)」


 カナミから得た知識でなく、私が見たことがあるとすれば――それはつまり、千年前の『第七魔障研究院』で《ヴィブレーション》とやらが使用されたということだ。


 ゆっくりと私は、視線をセルドラに向ける。

 彼の古傷の刻まれた顔を見つめていると、妙に浮き足立つような感覚に襲われる。


 私の視線に気づいたセルドラは、すぐに顔を逸らして、瞼を閉じ直した。

 雑音が消えた部屋の中で、休息に集中するといった様子だ。


 それは他のメンバーも同じようで、誰もが静寂を邪魔することなく、今日一日の疲れを取ろうと努める。


 ――だが、次はコロコロと。


 どこからともなく、人の丸い眼球が一つ。

 小屋の地面を転がっていき、部屋の中央に突っ伏していたクウネルの横腹あたりにぶつかった。


 クウネルは寝転んだまま、自分の懐に手を持っていき、ぶつかってきた異物をまさぐり……、それが眼球であるとわかった瞬間、小さな悲鳴をあげた。

 ただ、そこからの対応は迅速だった。その眼球を指先で摘みとって、窓を少しだけ開けてから「ぽいっとな」と言って捨てる。

 クウネルは額の冷や汗を拭いながら、また部屋の中央で防御体制を取って、眠りにつこうとする。


 ――その数十秒後。


 間隔が短くなってきた

 またコロコロと、どこからか眼球が転がってきて、クウネルの腰にぶつかった。

 それも今度は、三つ。

 クウネルが目を向けると、その三つは一斉に、ぎょろりと動いた。


 完全に目が合ったクウネルは、顔を引き攣らせた。

 とうとう休息時間を断ち切って、本格的に叫び、喋る。


「――ね、眠れぬぁああぁあああい! 会長、どうにかしてええええ!」


 彼女が立ち上がるのに合わせて、カナミは渋々と動き出した。

 転がっている眼球たちを、両手で優しく掬い取って、窓から外に放り出す。


 そして今度は、じっくりと家屋の内外を見回していき、原因を突き止める。

 いかに次元魔法を禁止されようとも、その他のスキルたちを本気で使用すれば、彼に見破れないものはないのだろう。


「……んー。目を離していると、その隙に地面から湧いて出てくるみたい。たっぷりと血が、地面ここに染みてるせいだね」


 現代的な石造りの家と違い、ここは千年前の建築物だ。

 綺麗に踏み均された土が、小屋の床となっている。

 その湿った地面を指差しながら、カナミは説明を続けていく。


「ちょっと『血陸』のルールが、わかった気がする。いきなり、『血の人形』が生まれるんじゃなくて、まず『目』とか『腕』とか……、身体の部位から湧き出てくるんだ。よく見たら、扉の外に『腕』っぽいのが、へばりついてた」

「ぶ、部位から……? そのへばりついてた腕が、ずっとノックしてた? いまさっき、目が動いてたみたいに?」

「そういうこと。でも、部位だけじゃあ、そこまで害はなさそうだ。これから目とか腕とか臓器とか、色々と地面から湧いてくるだろうけど、気にせずに休もう」

「いやっ、休めませんって! 気にします! あては、すごく気にします!」


 カナミ的には「原因のわかったホラー体験ほど、怖くないものはない」と言いたいのだろう。だが、それでクウネルが安心することは一切なく、さらなる叫びが小屋に響いていく。反応して、ベッドにいるシスが「ん、んー……」と唸った。


 慌ててカナミは口元に指を当てて、クウネルを落ち着かせる。

 そして、そのリーダーの説得に、セルドラは援護を入れていく。


「クウネル・レギア。いまのところ、セラ・レイディアントの報告と比べたら、何十倍もマシだろ? いいから、目を閉じろ。それだけでも休まる」

「いやいやいや、こんなところで、目を閉じるとか……」


 クウネルは周囲を見回していく。

 部屋の隅っこに『脚』だけがあるのを見つけて、その首を小刻みに振ってから「無理」と答えた。


 おそらく、たっぷりと休んだあとの状況を想像したのだろう。

 目を覚ましたら、隣に人間の四肢が散らばっているのが耐えられない様子だ。


 ただ、それは「怖いから」ではなく、「安全でないから」のほうが重要のようだ。クウネルは真剣な顔になって、この状況に関する意見をパーティーリーダーに述べていく。


「会長……、私たちを休ませないという『血の理を盗むもの』ファフナーの意思を、この状況から感じます。はっきり言いますが、もうあてたちは完全に捕捉されて、攻撃を受けてるんですよ、これ」


 それは『一次攻略隊』の最終目標である平和的解決に関わることだった。

 カナミは即座に否定できず、代わりにセルドラが曖昧にだが答えていく。


「捕捉されてるなら、魔法か何かで話かけてくるんじゃないのか? 『血の理を盗むもの』と言えども四六時中、大陸全体を監視できるほど万能じゃないだろう」

「……どちらにせよ、ファフナーは《ディメンション》対策をしていたという事実が、すでにあります。ノスフィーさんの『次元属性を弾く術式』を、長い時間をかけて『血陸』に沁みこませていたんですよ? これは、すでにもう――」

「カナミを拒絶してるってことか? どこからカナミが侵入してくるか分からないから、こんな嫌がらせのようなルールを『血陸』全体にいてるんだろうな」

「セルドラ様は、ちょっと黙ってください。……会長、すでにもう敵対しちゃってると、判断していいんじゃないですか? バアンッと一気に次元魔法を使いません? やろうと思えば、強引に『次元属性を弾く術式』を押し退けて、《ディメンション》を大陸全体に浸透できるんでしょう?」


 雇われに過ぎないクウネルは、作戦の早期切り上げをリーダーに求めた。

 同じ『一次攻略隊』と言えども、意思や目的が完全に揃っているわけではない。そのモチベーションの低いメンバーに向かって、カナミは話していく。


「それは、まだ早い。強引に『血陸』を侵略すれば、ファフナーとの話し合いが遠退いて……、絶対に拗れる・・・・・・。できるだけ、僕は争いなく終わらせたいんだ。できるだけ、穏便に」


 カナミは自分の右腕を見つめながら、そう呟いた。


 狙いは、わかる。

 先ほどの『血の人形』と同じく――いや、いままで倒してきた『理を盗むもの』たちと同じように、『過去視』することでファフナーの『未練』を果たしたいのだろう。


 表情は優しく柔らかいが、意志は強固だ。

 よほどのことがなければ方針は崩れないとわかり、クウネルは肩をすくめるしかない。


「はあ……。穏便になんて、本当にできるんですかね? 人類の行く先を憂う余り、人類絶滅を目指しているような頭のおかしい方と」


 『血の理を盗むもの』の人格・目的は、事前に情報共有されている。

 だからこそ、クウネルは相容れないものを敵に感じて、こうも警戒しているのだろう。


 その情報も警戒も、誤りはないだろう。

 千年前からファフナーを知る私が断言する。

 ずっと彼は変わっていない。千年前から、その目的は――


 ――この世界を生きる『不幸』な人々を、一人でも多く救うことだ。


 立派な志だ。

 ただ、その手段が、ころころと何度も変わっていることを除けばだが。

 最初、ファフナーは神学者の一人として、愚直に宗教を広めることで人々を救おうとしていた。しかし、その信じていた宗教が「弱者から搾取するための道具」と知り、アイカワ・カナミという個人にのめり込み始めてしまう。さらに、その千年後。『救世主カナミ』とて絶対ではなく、死ぬときは死ぬものと理解して――人も魔人も問わず、人類を絶滅させることこそが、最も確実に世界を救う方法だと答えを出してしまった。


 いまも『血陸』が広がり続けていることから、まだファフナーは人類絶滅を目指し続けているはずだ。

 人類を代表している『元老院』も、そう判断している。


 その『血の理を盗むもの』の異常性に、クウネルは愚痴を零す。


「……ファフナー・ヘルヴィルシャインは馬鹿です。たとえ、人類を上手く滅ぼせたとしても、また似たような生き物が生まれるだけだって、あては思っています。あの人がやろうとしてることは、ただの虐殺。真面目に生きる人々にとっては、迷惑なだけですよ」


 もう眠ろうとする気配はない。

 目を瞑れないのならば、話すことでストレスを発散しようとクウネルは決めたようだ。


 そのちょっとした愚痴に、カナミは付き合う。

 ただ、必要以上に、真剣に。


「それは、ファフナーもわかってると思う。……だから、もし人間に代わり得る可能性が生まれたら、即座にむつもりだったはずだよ」

「え?」


 ちょっとした愚痴で、予期せずクウネルは、ファフナーの願いが人類絶滅以上・・だったことを知る。


「人類絶滅を果たしたあとは、『最後の一人』として何千年でも何万年でも、その平和な世界を守り続ける。『異世界』からの干渉があったとしても、全て独りで跳ね除ける。……少なくとも、ファフナーに人類絶滅を提案したあるじラグネ・カイクヲラは、それを覚悟してた」


 カナミは自身の胸に手を当てながら、一人の少女の心中を断定した。

 いまのカナミの状況を知っているクウネルは、それが嘘でないと信じるしかない。


「そ、そこまでする気なら……、陽滝さんの《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》よりも酷いじゃないですか。あの幻覚による世界征服は、まだ理解できる部分がありました。けど、ファフナーは露骨に『世界の敵』です。会長、そういうことは先に『元老院合議室』で言ってくださいよ」

「これを先に言うとクウネルは本気で逃げ出す気がして……、黙ってた。ディプラクラさんやフェーデルトさんたちが、『二次討伐隊』のほうを先行させる危険もあったし」

「え、ぇえええ……。や、やめましょうやあ。だからと言って、敵地のど真ん中で逃げられなくなってから言うのは、ほんまやめましょうやあ……」


 思いがけず、これから会う相手が理解の範疇を超えているとわかってしまい、クウネルは縋りつくように懇願する。だが、無慈悲にもカナミは、追撃を重ねる。


「その上で僕は、まだファフナーが人類絶滅の『夢』を願っているなら、それをできる限り叶えてあげたいって思ってる」

「か、叶える!? だから、いまこんなところで新情報を出すのは、止めましょうって! 会長の予想通り、本気で帰りたくなってきたぁあ!!」


 ついでに、いま話している上司リーダーさえも理解できなくなってきて、とうとうクウネルは泣き叫んだ。


 私とカナミは慌てて、ちらりと部屋のベッドに眠っているシスを見る。

 起きる様子はなかった。一日歩きっぱなしだった疲れもあるだろうが、眠りが深いタイプのようだ。

 ほっと安心するカナミの代わりに、セルドラがクウネルとの話を続ける。


「安心しろ、クウネル・レギア。『夢』を叶えられるような世界を用意してやるだけで、俺たちの生きる世界に手出しはさせない」

「いや、そうやって、さらっと「世界を用意する」とか言い出すのが、あては怖いんやぁ」


 それには私も同感だ。

 あの研究院で色々な『呪術』を体験して、様々な研究者から知識を学んだ私でも、この二人の『理を盗むもの』の考えと力は埒外だ。


 しかし、先の《ディスタンスミュート》で繋がり、少しは理解できている。

 近い将来、そこにいるカナミは「世界を用意する」というのが冗談ではない立場に着く。

 宗教や神話にしか出てこない『世界の主』に至り、『その先』さえも見据えている。


 だからこそ、こうも彼は余裕があって、『血の人形』と同じ対処法で『血の理を盗むもの』も救おうとしている。――その広過ぎる、できる限りの範囲とやらで。


「ただ、そうなると俺の『未練』と同じで、叶えられるのはカナミが『世界の主』となったあとになるか? どこか天体のある『異世界』を見つけて、星を一つ自由に管理させてやる――って感じで、叶えるのか?」

「セルドラって、ほんとSF好きだよね。そんなことしなくても、ファフナーは《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》で、自分の人生に納得するよ。だから、ずっと陽滝はファフナーを遠ざけていたんだ。うっかり消失してしまわないように」

「いやー、あては問答無用でファフナーは滅して欲しいなー。一般市民代表として、いま要望を言っておいときますねー」


 各々、好き勝手にファフナーの行く末を話していく。


 それを私は見守っていた。

 傍観者として、世界には一切関わらない。交わらない。

 それが千年前から続く、私の生き方だから――


「――君は、どう思う? ファフナーと近しかった君は」


 だが、その生き方は許されなかった。

 カナミが見ていた。

 私を逃がさないようにと、その深い瞳が覗き込んでいる。


「(私は、どう思う……?)」


 予期せぬ問いに、口が動かなかった。

 意見を求められたのは、これが初めて……だと思う。私を正気だと知っているのは、私以外にいなかったのだから、初めてで当然だ。


 誰もが私と会話しようとして、言葉の壁に遮られて、断念してきた。

 千年前の研究員たちは揃って、私を「正気じゃない。狂ってる」と言った。

 だからこそ、「情報漏洩の心配がない。使える子だ」と、私を重用してくれた。


 ――だが、カナミは私の人生を全て、正確に・・・『過去視』をした。


 私がカナミを正気と確信しているのと同じように、カナミは私が正気と確信してしまっている。


「(ファフナーの馬鹿げた『夢』は、『夢』のままがいいでしょう。放っておけばいいんです。彼は『未練』もなければ、救いを求めてもいません)」

「…………。放っておけばいい、か……」


 だから、私も好き勝手に、ファフナーの行く末に口を出した。


 その答えを聞いて、カナミは噛み締めるように繰り返した。

 対照的にクウネルは、とても嬉しそうに近づいてくる。


「おっ? おっ、おっ、おっー! 放っておけばいい!? 清掃員ちゃんは、あてに近い意見やねー。へっへっへ、あては清掃員ちゃんを信じてたでー。仲間、仲間ー」


 私の赤くぶよぶよとした頭を撫でるクウネルは放置して、視線を落とす。


 小屋の湿った地面を睨んで、私は千年前の記憶を掘り起こしていた。

 かつての『第七魔障研究院』の地面も、このように血で浸されていた。

 特に最下層の『御神体保管室』の浸み具合と言ったら、この世で一番赤いと表現しても差し支え無かった。


 あの場所こそ地獄の底であり、この世で最も『不幸』の濃いところだった。

 しかし、あの部屋で、自分が「救われたい」と願った人は、一人もいなかった。

 ヘルミナ様もファフナーも、誰かを「救いたい」と願ったことはあっても、逆の言葉は一度も口にしなかった。――私もだ。


 そうだ。

 たったの一度もなかったのだ。

 だから、ファフナーに「救い」など要るはずもない。


 それは誰よりもカナミが一番わかっているはずだ。

 カナミがわかっていると、私にはわかる。



 ――大事なのは「救われたい」と「救いたい」の一致。



 かつて研究院で救ったあの子・・・が、あなたの大事な人の腹を刺した。

 その出来事が、心のどこかに引っかかっているはずだ。『血の人形』の『未練』まで確認しているのは、それがトラウマになっているからだ。

 なによりも、たった一人の妹の「救われたい」という気持ちに、最後まで気づけなかった後悔。そして、いま現在、二度と『たった一人の運命の人』と一致しないという現実。

 あなたほどファフナーの気持ちがわかる人はいないし、私ほどあなたの気持ちをわかる人はいない。わかっているはずだ。これから、あなたは戦いに赴くのではなくて、結末を選びに行く・・・・・・・・。あなたが演じるファフナーの理想、『大いなる救世主マグナ・メサイア』としての結末を――


「むっ! 清掃員ちゃん、どこを見て……って、またぁ?」

「(……また?)」


 ――クウネルの声で我に返った。


 いつの間にか、私の視線の先に眼球があった。

 今度は五つ。

 湿った地面の上に、固まって転がっていた。

 そして、先ほどと同じように、ぎょろりと動き出す。


 ただ、その眼が見据える先は、クウネルではなく『血の人形』の私だった。

 じっと見つめ合うこと数秒。

 一つの事実に気づく。


 見覚えが、あった。

 特徴なんてあろうはずもない瞳を覗き込んで、それが誰なのかを思い出しかけて――、隣にいたクウネルが眼球を拾ってしまう。


「ばっちいばっちい。とりあえず、外に捨てよっ。できるだけ小屋の中は、綺麗清潔に――」


 五つ全て、両手を使って掬い取った。

 私と彼らの見つめ合いを絶って、軽い口調で窓まで持っていこうとした。


 ――それが、切っ掛けとなる。


「――っ!? クウネル!! いますぐ、放り投げろ!!」


 膨大な魔力の膨らみを感じ取ったカナミが、私よりも先に叫んだ。

 シスが寝ていることなどお構いなしに、大声が小屋の中に響く。


「――っ!」


 そのリーダーの指示に対して、クウネルの動きは迅速で的確だった。

 迷いなく言葉に従い、お椀の形にしていた両手を崩す。

 自然と五つの眼球は、地面に向かって零れ落ちていく――はずだった。


 落ちることなく、それは宙で静止した。

 ぴたりと、目の高さほどで浮き、止まる。

 そして、眼球は魔力も体積も、急激に膨らませ始める。人のものではない大きさとなり、次第に色もおかしくなっていく。白目と黒目に当たる部分が赤く染まり、もはや眼球とは呼べない別のものに変異する。

 次第に、丸くて大きな何かに切れ目が入り、水泡を切ったかのように分裂した。五が十に、十が二十に、二十が四十に増えるのは、葡萄の実がっていくような光景だった。その芳醇な果実たちには、幹と呼べる胴体があった。腸のように細く、弾力のある管が、人の四肢のように伸びている。


 なりは『血の人形』に近い。

 けれど、明確に違う別の『血の何か・・』だと、一目でわかる禍々しさがあった。


 視認して、頭の中が真っ赤に染まった。

 悪い意味ではない。懐かしさに埋め尽くされて、私は呆然としてしまった。


 いま、思い出した。

 これは『血の何か』ではない。きちんとした名称がある。

 千年前の研究員たちは、これを『失敗作』『化け物』と呼んでいたが、その世話を担当していた私は違った。

 動物を飼うような気持ちだったからこそ、彼らの名称にはこだわりがあった。

 彼らは無機質な物でもモンスターでもなく、ちゃんとした意志があるのだ。ただ、それとの意思疎通は、野生の動物と行うのと同じくらいに困難だったから――


 ――けものを飼うのに近いと思って、私は『血の魔獣・・』と勝手に呼んでいた。


 その『血の魔獣まじゅう』が一体。

 異形過ぎる姿に、クウネルとセルドラは青褪めていた。

 手足が動くどころか、呼吸すらままなっていない。

 硬直して一歩も動けないのは、かつての研究員たちと同じ症状だ。


 ただ、あの研究員たちと違って、致命的なのは距離。

 狭い小屋の中、目と鼻の先で『血の魔獣』は動き出す。

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