487.第七十の試練『地獄』



 俺は宣言し終えて、『経典』を手にした。


 それをカナミさんも真似て、鏡のように動く。

 右手の氷剣を魔力の粒子に戻して、『持ち物』から『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』を取り出した。


 そして、本の頁を捲り、先んじて読み始める。


「――ファフナー、君の本当の・・・魔法・・』がどんなものかを、すでに僕は読み終えている」


 『世界との取引』の仕組みを知っているからこそだろう。結末から逆に読んでいくことで、いまの宣言に水を差して、台無しにしようとする。

 流れを堰き止めるように、カナミさんは俺の『魔法』の種明かしを始める。


「君のゴースト混じりは特殊で、無形の想いものに形を与える。その力は人類が抱く共通の認識や概念すらも、現実で形作ってしまえるのだろう。一時的だけど、新たな『理』の作成と言っていい。……悪く言えば、自分ルールの押しつけだけどね」


 その通り。

 おそらく、事前に『未来視』で確認されて、対策されているのだろう。

 俺の人生と『魔法』は、つらつらと説明され続ける。


「これから君は、その手の『経典』を通して、『大いなる救世主マグナ・メサイア』となる。そして、ついに君は『碑白教の神』を降臨させるだろう。幼き日に読んだ伝承の一文こそが、君の探し続けた希望の認識ひかり――現代で言うところの『本当の英雄』だからだ」


 これも、その通り。

 思えば、『大いなる救世主マグナ・メサイア』を探し続ける人生だった。


 だが、都合のいい誰かを探し続けるだけでは、誰も救うことはできないと俺は思い知った。

 だから、都合のいい誰かに降臨して貰うのではなく、自分がなる・・・・・と決めて、ここまで来た。


「君の本当の『魔法』には、人類が『神』『救世主』『英雄』といった認識ひかりに祈ってきた『代償』全てが、乗る。間違いなく、凄まじい力になるだろう。剣や魔法といった次元を超えて、まるで神の如き力を、僕にぶつけてくる――」


 カナミさんの読みは完璧だ。

 というより、俺以上に俺の『魔法』を理解している可能性が高い。


 その上で、油断は全くないようだ。

 ざざざと、波の流れる音が聞こえ出す。

 彼の足元の浅瀬に、渦が発生していた。


「正直、僕の『理想』とする魔法と、少し似てるんだ。本当に、いい魔法だと思う……。ただ、だからこそ、僕には通じない。なぜなら、神を騙る戦いで、僕に勝てる者は存在しないからだ」


 これから先の戦いを、カナミさんは「神を騙る戦い」と称した。

 すると、足元の浅瀬に張られていた『紫の糸』たちが、全てカナミさんに向かって常に流動し始める。


 魔法の大渦と化していく。


「君にも振り・・をする才能があった。だけど、僕のスキル『演技』はレベルが違う。僕は生まれたときからずっと、この『生まれ持った違いスキル』だけを育ててきた。家族も幼馴染も恋人も『代償』にして、完成させた。その数値は、いまやあらゆる『ステータス』の追随を許さない。――教えよう、僕が46.21で、君が4.56だ」


 桁違いだと忠告して、カナミさんは鏡のように俺と向かい合う。

 どうやら、俺の本当の『魔法』を真っ向から上回るつもりのようだ。


「同じ神の求道者でも、『相川渦波』は君を大きく上回っている。――僕こそが、この『異世界』の真なる『神』となったからだ」


 堂々と勝利宣言もされてしまった。


 カナミさんが勝利する未来は既に『執筆』されていて、その流れには誰にも逆らえない。そう思わせる口調だったが、その勘違いに俺は苦笑して、答えていく。


「……くははっ、話が長かったなあ、カナミ。だが、おかげで俺とおまえでは、演じる役割が違うって、よーく分かったぜ。なんせ、いまの俺が目指しているのは神じゃねえ。謂わば、この『世界』の真の守護者ガーディアンだ」


 『執筆』された未来には向かわないと、堂々と宣言し返す。


 自信があった。

 たとえ未来が『執筆』で決まっていても、その流れを変えられる人たちがいた。

 その人たちに憧れて、ずっと俺は振りをしてきた。俺は「神の如き力」ではなく、「憧れの人の如き力」を信頼して、ここまで来た。


 その返答にカナミさんは困惑する。


守護者ガーディアン? ここにきて、どうして『理を盗むものそんなもの』に……」


 純粋に聞いてくるのが、本当に『理を盗むもの』らしいと思った。


 ただ、俺とカナミさんの仲だ。

 あなたが視野の狭い人なのは、もうよく知っているから。

 苦笑を止めて、『友人』らしく、教えよう。


「どうして? セルドラさんにも聞かれたが、答えは簡単だ! ずっとあんたらが、俺の憧れだったからさ! いまも千年前も、色んな人を助けようと頑張り続けて、強くて格好良かったおまえらが、俺は本当に大好きだ! その大好きなおまえらのように、俺はなりたかった!!」

「確かに、『理を盗むもの』たちは必死だったかもしれない。けど、本質的には弱者だ。弱くて、情けなくて、誰も助けられなくて……。君のように、元々から『強い人』が憧れるようなものじゃない」


 俺の憧れは最も『理を盗むもの』らしいカナミさんに、あっさりと否定されてしまった。

 セルドラさんのときも思ったが、『理を盗むもの』たちは自己肯定感が低過ぎる。


 いまとなっては、強いも弱いも関係ないということに、いい加減気づいて欲しい。

 俺が好きなのは、頑張っている人だ。

 特に、弱くても頑張り続けている人はもっと好きで、憧れで――こんなところまで、釣られて来てしまった。


「くはっ、くははははっ、どうだろうな。俺はあんたらこそが、本質的な強者だと思ってるぜ? ……どっちが本当に強いって言うか。そこらへんも含めて、俺の『魔法』で確かめさせてくれよ」

「……その『魔法』では、何も変わらない。僕には、決して届かない。はっきり言って、僕と相性が悪いんだ」

「ああ、俺のは・・・相性が悪いって、ちょっと予感してる。それどころか、全く合わないんだろうなぁ……。分かってるとも。ただ、それでもだ。やらせてくれ。聞いてくれ。それに意味があると、俺は思う」

「…………」


 聞いて欲しい。


 未だにカナミさんは、属性の相性や数値を頼りにしている。

 目の前にいるおれを、『狭窄』で見失いかけている。

 そのすぐ傍にいる人を見ない――という道の果てに待つ結末を、つい先ほど俺は知ったところだ。


 愛しいローレライに教わったことを、俺は先んじた者として、カナミさんに教えたい。

 自らの人生の『詠唱』を通じて――


「――『空に手を差し伸べて、俺は世界あなたが見えない』――」


 俺は高くて明るいところばかりを見過ぎて、すぐ隣の大切な人を見逃してしまった。

 死して、千年後の99層に至るまで、その大切な人を見ようともしなかった。


「――『彼女の声を頼りに歩いた。その魂の歌に合わせて・・・・、空に触れる』――」


 その自分の人生を認めつつ――しかし、無駄ではなかったと、高らかに明るく、祝福するように――いま、『詠唱』を合わせる。


「――魔法・・生きとし生きた赤光ヘル・ヴィルミリオン・シャイン》」


 振りをし続けて、ついに『本物』となった俺の本当の・・・魔法・・』を口にした。


 そして、空いている右手をかざす。

 ただ、魔法が発生するのは、その手からではなかった。


 手をかざした先。

 遥か彼方の水平線にて、100層を照らしている朝焼けの橙光が、急激にうねり、膨らみ始める。


 その赤みの強い黄色は、現実の光ではない。

 基本的に、100層は来訪者の想像するものを見せるだけだからだ。


 ――つまり、これは俺だけが見ている幻覚の光。


 その幻の橙光が、俺に手をかざされて、膨らみ、扇状に拡がっていく。

 眩い。そして、美しい。

 どれだけ世界が暗くても、『魔人』たちが先に死んで行っても、子供の頃から俺だけには見えていた認識ひかりは、とても明るくて、幽玄だった。


 それを確認してから、次は手をカナミさんに向ける。

 すると、カナミさんは自らの漆黒の瞳を隠すように、瞼を落として、目を細める。


「――――っ!」


 これが魔法《生きとし生きた赤光ヘル・ヴィルミリオン・シャイン》の力の始まり。

 まず俺だけが見えている『俺の世界の幻覚ひかり』を、手を差し伸べた相手にも見せる。


 続いて、そのイメージは際限なく膨らみ続けて、赤みがかった眩い光はどこまでも膨らんでいく。

 朝焼けの橙色が100層の明るい空を、どこまでも温かく塗り潰した。

 それはまるで夜明けの朝のようだった。

 いま、その橙光の源が、遥か彼方の水平線から、白い太陽として昇る――ことはなかった。


 俺に手をかざされて、昇ったのは白い太陽ではない。

 橙光の発生源が水平線を超えても、白い光に変わることはなかった。


 ――昇ったのは、途方もなく巨大で、赤く輝く靄・・・・・


 まるで雨雲のように、俺たちの上空に広がり始めて、100層全てを照らしていく。


 赤光しゃっこうが、天を埋め尽くす。

 その赤光は特殊で、目にした人の心も照らして、染めて、塗り潰す。

 だから、直視し続けていると――


「くっ、ぁあ――!」

「ぁ、ぁあああっ――!」


 俺とカナミは同時に呻き、急に涙を零す。


 その赤光を見ていると、全身の血が沸き出すのだ。

 心臓が早打ち、興奮が止まらない。止め処なく、生きる希望が湧き出す。

 さらには、その赤光への憧憬が止まらなくなって、涙がぼろぼろと止まらなくなる。


 つまり、この異常な精神干渉を、敵味方関係なく与えて散らす。それが俺の本当の魔法《生きとし生きた赤光ヘル・ヴィルミリオン・シャイン》の効果だった。


「うぅ、ぁあ……、カ、カナミさん……。どうですか……? 楽しいですか……?」

「ぐ、ぅう、くぅうう……!」


 俺もカナミさんも、辛くて、苦しそうで――しかし、目を輝かせて、笑っている。


 誰だって、生きるのは辛い。苦しい。けれど、いつかは救われるから頑張ろう――と信じられるように、心を強制的に変質させる魔法《生きとし生きた赤光ヘル・ヴィルミリオン・シャイン》は、精神干渉魔法の究極であり極悪だろう。


 なにせ、その魔法を受けた者は例外なく、心を根底から変えられる。

 どんなに暗くて、後ろ向きだろうとも、俺と同じ心の強さを与えることで、明るく、前向きにさせる。


 良く言えば、精神強化の魔法。

 悪く言えば、非常に身勝手な救済を心だけに与えて、肉体との不均衡をもたらす魔法。


 その魔法を受けて、カナミさんは俺と一緒に、涙ながらに膝を突いた。

 二人で呻き、涙を流し、生きる希望を湧かし続けていく。

 その赤光の魔法は、生きとし生きる生物たちに、決して自傷や自棄を許さない。

 自殺なんて以ての外。

 たとえ、どんな『試練』が未来に待ち受けようとも、乗り越えて成長しろと。

 激励と言う名の強制をし続ける魔法――なのだが、その過剰に眩しい光を浴びながら、ゆっくりとカナミさんは顔をあげる。


 俺の赤光を直視して、瞼を限界まで見開いて、話す。


「――読んでいたんだ」


 一切の光がない瞳を輝かせて、俺を見つめて、微笑んだ。


 どれだけ明るい光だろうとも、その漆黒の瞳が吸い込んでいくのを感じる。

 『俺の世界の幻覚ひかり』が、カナミさんの深淵の底の底の底まで――


「ファフナー、とても眩しくて、神々しい光だね……。でも、もっと綺麗な光を、僕は娘に見せて貰ったことがある。もっと恐ろしくて冷たい神様みたいなやつが、僕の妹だった。なにより、もっと眩しくて神々しいのを、僕は知っている。――『ラスティアラ』だ。たとえ神の光だろうと、僕と『ラスティアラ』が二人で育んだ『本物の愛』の輝きには、決して敵わない」


 間違いなく、俺の『魔法』は直撃している。


 しかし、それをカナミさんは真っ向から受けて、手元の『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』に目を落とす。いや、真っ向から背中を向けて、『狭窄』に逃げ切っていると言うほうが正しいか。


 事前の忠告通り、俺の『魔法』とカナミさんの相性は最悪だった。


「うん、相性は最悪だ……。悪いけど、いまの僕に精神干渉は通らない……。単純な話だよ。この世全ての温かさと比べても、『ラスティアラ』のほうが温かいんだ。この世の全ての美しさと比べても、『ラスティアラ』のほうが美しいんだ。この世の全てのあらゆるものが、『ラスティアラ』と比べれば、数段劣る。いまや、天上の神さえも『ラスティアラ』には遠く及ばないだろう。それが僕の世界の『ラスティアラ』となった。ファフナー、この程度の赤光で、僕たちの『本物の愛』は覆い尽くせない」


 分かっていたことだが、カナミさんの精神状態は『ラスティアラ』一色。

 その暗すぎる瞳は、あらゆる光を吸収する。


「……そもそも、僕は前向きの魔法をかけるまでもなく、世界一前向きだ。だって、ずっと僕の魂は、『ラスティアラ』だけに向かって進み続けている!」


 立ち上がったカナミさんは叫び、赤光を乗り越えて――いや、『ラスティアラ』で塗り潰すことで、完全に俺の《生きとし生きた赤光ヘル・ヴィルミリオン・シャイン》を破った。


 乾いた笑いを浮かべるカナミさんを前に、俺は嗤うしかなかった。


「くははっ、くはははは……! やっぱ、駄目か。俺の人生は、他の『理を盗むもの』と比べれば、軽く、温く、緩かったからな。ただよぉ……」


 ただ、まだだ。


 立ち上がったカナミさんと違い、俺は下を見つめる。

 地面に広がった浅瀬――赤光で染め上げられた浅瀬に手を付けて、さらなる魔法構築を続けていた。


「……浅瀬が、赤い? いや、血?」


 それにカナミさんは気づいた。

 天の赤光に紛れて、地に血液が広がっているのを見つける。


 俺の人生の赤光は、その血を隠す囮だ。


「こ、これは……」

「ああ、これは――」


 カナミさんは足元に広がった血の浅瀬を見た。

 俺と一緒に、その魔法名を呟く。


「「――魔法・・生きとし生きる赤ヘル・ヴィルミリオン・ヘル》」」


 声が揃った。

 ただ、声質は違った。


 俺は愛おしそうに。

 カナミさんは驚いて。

 その名を呼んだ。


 本当の『魔法』の同時使用は、自分以外にはできないという驕りがカナミさんにあったのだろうか。

 しかし、俺だって出来ますと、少し自慢するように俺は続きを詠む・・・・・


「――『空に爪を突き立て、私は世界あなたを掻き切った』『見上げて瞠れ。いま肉裂いた空から、血の雨を降らせる』――」


 ヘルミナさんの墓参りの魔法を発動させた。

 その効果範囲は、俺ごと100層全て。

 天の赤光と対照的に、地に血液は広がり、カナミさんを包み込んでいく。


 いま、天と地から、カナミさんは本当の『魔法』に挟まれた。

 しかし、その漆黒の瞳は、まだまだ問題ないと保たれ続ける。


「本当の狙いは、二重の魔法……? 僕の視ていないところで得た力を、僕の視えないところで……。いい『魔法戦闘』だね。けど、それも精神干渉の魔法。いまの僕には通じない……!」

「カナミさん、二重じゃありません。だって、俺たちの本当の『魔法』は絶対に、重ならない・・・・・。全く別の道で、別の魔法じんせいだった……。ただ、だからこそだ! だからこそ、合わせたいと! ずっと俺たちは願い続けてきたんです! そうだろう!? 【ローレライ】!! 【ニール・ローレライ】は合わせたかったと、地獄で歌った! その歌を、もう一度!! もう一度だけ、おまえの魔法じんせいを聴かせてくれ!! ――嗚呼っ、美しく哀れな儚き【ローレライ】よ!!」


 叫ぶ。

 ただ、その名を聞き、カナミさんは困惑する。


「ロ、ローレライ? それは、君の――」


 俺の名前じゃない。

 あなたがセルドラさんと戦っている間に、彼女の名前にもなったのだ。

 そして、いまも、ずっと一緒にいるから、俺は胸に手を当てて、祈り出す。


 いま、俺には俺の心臓がない。

 けれど、俺には俺たちの心臓がある。


 ――胸の中ここに、俺たちは三人。


 ああ。

 あの地下室には、三人いた。

 三人の【ニール・ローレライ】の人生を『詠唱』する――!


「――『空に声を届けても、私は世界あなたに救われない』――」


 膝を突いたまま、泣いて、赤光に顔を向けた。

 彼女の人生を想って詠みつつ、どうか俺の人生と合って欲しいと願って、詠む。


「――『血塗れて祈ろう。いま血の雨を浴びて、魂の歌を響かせる』――」


 すでに俺は、二つの本当の『魔法』を使っている。


 ――そこに本命の三つ目を、繋げる。


 魔法じんせいは、決して重なりはしない。

 重ならなかったんだ。

 けれど、地獄を越えて、この『最下層』で、いま――


 輪唱だ。

 輪唱のように、魔法は続く。

 その赤の『魔法』たちを締める名は――



「――魔法・・生きとし生きたヘル・ヴィルミリオン・赤光の歌ローレライ》」



 愛しき人を呼んだ。

 その『詠唱』と名前通りに、それは歌の魔法となる。


 どこからともなく、歌が《――ねえ。どうして、私は生まれてきたの》と聞こえ始めた。ただ、その歌声も俺やヘルミナさんの『魔法』と同じく、幻。


 ――まず、隣からローレライの歌が100層に響き出す。


 そして、その幻の旋律を聞いた者は、例外なく別の幻聴も聞こえるようになる。


(――……【ニール】。あなたの光が、いま届きました。これから、教祖様を救うんですね。あの日、私たちの世界に現れた『不幸』で『不運』で、誰よりも『弱い人』を――)


 彼女の本当の・・・・・・魔法・・』を発動させた俺に、愛しき【ローレライ】は話しかけてくれる。


 死者の声だ。

 彼女の《生きとし生きたヘル・ヴィルミリオン・赤光の歌ローレライ》も、ヘルミナさんと同じく墓参りの魔法だった。


 ただ、その効果は大きく異なる。

 異なるヘルミナさんの声が、この『最下層』まで、俺に届く。


(ファフナー君、私の分まで頑張って……。ファニアの託した全てを背負って、もっとヘルヴィルシャインを照らして欲しい。私たちヘルミナの地獄まで届くように、もっともっともっと――!)


 励まされる。

 幻聴こえたのは、死者特有の呪詛こえではなかった 


 ヘルミナさんの魔法《生きとし生ける赤ヘル・ヴィルミリオン・ヘル》は罪悪感を膨らませる呪詛・・幻聴かせた。

 しかし、ローレライの魔法《生きとし生きたヘル・ヴィルミリオン・赤光の歌ローレライ》は逆に、罪悪感を和らげる祝福・・幻聴かせる。


 もちろん、どちらも『本物』ではない。魂からではない。

 生きている人にとって都合のいい幻聴でしかない。


 しかし、俺は単なる幻聴の魔法とは決して思わない。

 真価は別にある。

 きっと、これは幻聴だと知った上で、それを信じる魔法だから――


「はぁっ、はぁっ……。カナミさんも……、幻聴こえてますか……? 呪詛でも祝福でも、好きなほうを選んでくださいね……」

「これは……、くっ……!!」


 それをカナミさんも幻聴き、呻く。


 もちろん、聞こえてるのは、俺とは違う相手だろう。

 しかし、俺と同じく、親しい人や愛する人に励まされているのは間違いない。


「くぅうう……! そ、そんな、まさか……。違う……!!」


 カナミさんは顔を歪ませて、声を荒らげる。

 幻覚には慣れていても、死者からの呪詛と祝福に挟まれるのは初めての経験のようだ。


 おかげで、やっとのようだ。

 三連の本当の『魔法』を叩きつけて、やっと精神干渉の魔法が、カナミさんに通じていく。


 すぐに俺は畳みかけるべく、苦しむカナミさんに向かって魔法を強める。

 そのために必要な魔力は、人生という『代償』で、重ねて払っていこう。


 もっと楽しく輪唱しよう。


「――『空に手を差し伸べて、俺は世界あなたが見えない』『愛しき声を頼りに歩いた。いま魂の歌に合わせて、空に触れる』――」

「――『空に爪を突き立て、私は世界あなたを掻き切った』『見上げて瞠れ。いま肉裂いた空から、血の雨を降らせる』――」

「――『空に声を届けても、私は世界あなたに救われない』『血塗れて祈ろう。いま血の雨を浴びて、魂の歌を響かせる』――」


 三つの『詠唱』は似ていた。


 ――『血の理を盗むもの』たちの『詠唱』には、三節目が揃って存在しない。


 三節目を別の『詠唱だれか』に繋がって欲しいと願って、合わせようとしているからだ。


 だから、二節ずつ、二節ずつ、二節ずつ。

 ぐるぐると。

 繋がり、終わることなく、輪唱し続ける。


 俺が詠っては、ヘルミナさんが謳い、ローレライが歌うから、俺が詠っては、ヘルミナさんが謳い、ローレライが歌うから、俺が詠って――無限に繰り返される。


 それが『血の理を盗むもの』の本当の・・・詠唱・・』だった。


「く、ぁああっ……!! ア、アルティ……? これは、アルティの声が……、声が幻聴こえる……!?」

「『――いま血の雨を浴びて、魂の歌を響かせる』『空に手を差し伸べて、俺は世界あなたが見えない』『愛しき声を頼りに歩いた。いま魂の歌に合わせて――くっ、ぅう……!」


 『詠唱』の途中で、俺も呻いてしまった。


 『血の理を盗むもの』による三連の『魔法』の力は申し分ない。

 しかし、問題が別のところにある。


 とにかく、俺の身体への負担が凄まじい。

 本来、『魔法』は一つだけでも、全身全霊を尽くす。

 その上で、これは敵味方を選ばない自爆タイプの『魔法』だ。


 セルドラさんから魔石を二つ託されて、かなりの負担軽減はされている。

 だが、三つもの『魔法』は、維持するだけで精一杯。いや、いまにも限界を超えて、継ぎ接ぎの身体が崩れてもおかしくはない状態だ。


 だが、まだだ。

 諦めはしない。

 だって、まだ俺には幻聴こえる――


(――【ニール】)(ファフナー君――)

「ああっ!! はい!! けど、どうしたって話だ……! だから、ここから頑張るんだ……!! それでも、頑張り続けるんだ!! 俺はぁあああ――!!」


 たくさんの幻聴の中から、最も都合のいい声を選んで、俺は「むしろ、ここからだ」と奮起する。


 三連程度で、輪唱を止めるな。もっともっともっとだ――!

 もっと繋げていくのが、俺の役目だろう!? 叫べっ!!


「聞こえるかぁっ、グレン・・・!! 俺も来たぞ!! いまっ、予定通りに100層まで辿りついた!! だが、予定通りに予定外過ぎる!! おまえが背中を押したおかげで、俺たち二人では辿りつけず! ご覧の有様だ!! くはっ、くはははははっ!!」


 千年前でなく、現在いまの時代の仲間に呼びかける。


 予定では、100層で俺とグレンは協力して、二人でカナミさんを説得し始めるはずだった。しかし、いま、ここにいるのは二人じゃない。

 俺の身一つだけで、すでに三人。

 当初の予定を超えている。おまえのおかげで――!


「だから、グレン!! おまえもだ! いますぐ、魔法《生きとし生きたヘル・ヴィルミリオン・赤光の歌ローレライ》に、続け!! 一時とはいえ、おまえも『血の理を盗むもの』だったろう!? だから、四人目・・・の『黒い糸』に導かれて、ここまで俺は来た!! グレン、どうか俺たちをもっと先の未来へと、頼む!! 強くっ、俺たちを先へと引っ張ってくれぇえええぇえええええええ――!!」


 願う。

 俺たち三人の本当の『魔法』を、さらに次へ繋げたい。


 もしも繋げてくれる糸があるとすれば、それは白でも赤でも紫でもなく、俺とお前で作った黒がいい。

 そして、お前の力が通じるならば、四連の『魔法』どころか、もっともっともっと――


「俺を、セルドラさんまで! おまえの力で俺たちを繋げてくれ! 俺はセルドラさんと一緒に、悪竜ファフナーの咆哮で、カナミさんの中にいるみんなの振動こえも大きくしたい! みんなの振動こえを、大きく!! そこの割れた鏡が砕けるくらいに、大きく大きく大きく!! もっともっともっと大きい振動こえをぉおおおおぉおおおお――――!!!!」


 カナミさんの『計画』通りならば、いまここには、俺とグレンの二人だけだったことだろう。

 しかし、もう違う。

 グレンやセルドラさんが生き抜いたおかげで、ずれた。


 そして、その二人は死して魂だけとなっても、俺たちの傍で見守って、激励をし続けてくれている。そう俺は信じているから――



((ああ、もちろん。――魔法・・不死殺しの紅蓮竜シン・ブラッドファフニール》))



 幻聴だ。

 こんなに都合良く、グレンとセルドラさんの声が重なって返ってくるわけない。


 しかし、俺は信じ続ける。

 この幻聴と全く同じ声を、グレンとセルドラさんは魂だけとなっても、いま地獄から紡いでくれたのだと――強く信じるのに合わせて、俺を応援する白虹の別の『魔法』を感じた気がして――カナミさんの身体から、異変が現れる。


 血管が浮き出るかのように、その全身に『黒い糸』がびっしりと一瞬で張り巡った。


「これは、セルドラ……!? セルドラの使った陽滝の改悪神経!? 僕の中の『無の理を盗むもの』の魔石が、勝手に――!」


 いま、カナミさんの中から、元『血の理を盗むもの』代行者グレンの本当の・・・魔法・・』が使われた。


 しかし、それをカナミさんは正しく理解できていない様子だった。


 ゆえに、止められない。

 すぐさま、『黒い糸』は脈打った。

 神経ではなく翅脈として、ドクンドクンッと体液の運搬を始める。

 セルドラさんの魔石を心臓として、カナミさんの身体に別種の血液を輸血していく。


 もちろん、それはただの血液じゃない。

 しっかりと盛られてある。


 千年前の『神殺しの毒』をも超えた毒。

 現代の『不死殺しの毒』に塗れた血だ。


「……ぐぅっ!?」


 カナミさんは呻くが、容赦なく『黒い糸』は脈打つ。


 そして、俺の願いを汲んで、震えもする。

 まるで地上の《ライン》を利用する魔法道具の拡声器マイクのように、俺たちの『魔法』に反応して、翅脈が振動こえを増幅させてくれる。


 ただ、増幅された振動こえは無音だった。

 正確には、俺には聞こえず、カナミさんだけに幻聴こえる振動こえで――


「この声は、セルドラ……? グ、グレンさん……? まさか、馬鹿な……。こんなことが、あって……、――――っ!?」


 無音だけれども大音量が、カナミさんの中で直接響いているのだろう。

 『黒い糸』による振動こえの拡声は、まだまだ止まらない。


「アイド、ティティー……!? み、みんな……!? みんな、やめてくれ……。僕が悪いんだ……。何もかも僕が悪いから、僕が一番苦しむべきなんだ……!」


 まずセルドラと親しい二人の振動こえのようだ。

 その二人から繋がって、さらに広がっていく。


「違う……! ノスフィー、陽滝……、違うんだ! みんなが死んだ分まで、僕が死ぬまで頑張って、それで『ラスティアラ』を救う! それが『一番』なんだ!! ……う、うるさい。うるっさいぞっ、さっきからラグネェエエ!! なんで僕が、おまえとの約束を守らないといけないんだ!? おまえは黙れぇええええええ!!」


 家族たちの振動こえにより、カナミさんは弱々しくなった。

 しかし、すぐにラグネ・カイクヲラの振動こえで、一気に荒々しくなる。


 魔法の効き具合が覿面過ぎて、俺は笑う。

 息切れしながらだから、煽る。


「はぁっ、はぁっ……、ははっ! 主ラグネ様の福音が聞こえるとはお揃いだなぁ、カナミィ!! 俺にも聞こえるぞ! 〝カナミのお兄さんみたいな胡散臭い人が、私たちの神様? 悪夢みたいなお話っすねえ! 迷惑なんで止めて欲しいっす!〟ってなぁ!」

「くぅっ、ぐうう……! これは、魔法的干渉……。『聞きたくない声を聞かせる魔法』が、呪詛だけでなく祝福も聞かせている……だけっ、だが――!」


 流石、カナミさんだ。

 重なった『魔法』の独特な効果を、完全に看破している。


 聞こえる全てが、魂とは繋がっていない幻聴と分かっていて――しかし、深く苦しみ続ける。


「く、ぅうっ、だ、駄目だ……。駄目なんだよ、みんな……!」


 なぜ幻聴と分かっていて、苦しむのか。

 みんなの鏡として看取ってきたカナミさんには、「もしみんなが、いま、ここにいたら、カナミに言うであろう言葉」が分かるのだ。


 ――幻聴の『祝福』と本当の『祝福』が、一字一句違わないと分かってしまう。


 『未来視』『過去視』を極めているのも原因の一つだろう。

 簡単に言えば、カナミさんはみんなの人生を読み込み過ぎている。

 だから、本来『作り物』のはずの幻聴が『本物』同然となって、誰よりも苦しんでしまう。


 カナミさんはみんなが自分を傍で見守ってくれている前提で、怯えて、動揺して、言い訳を口にし続ける。

 そして、迷いに迷った末、ついに堪らず――


「ノ、ノスフィー……。い、いま、ファフナーたちの『毒』が危ないんだ……。危ない、から……、妹と一緒に、『持ち物』で……、お、お姉ちゃんだから……、ねっ――」


 カナミさんは『魔法』に負けた。

 自らの胸に腕を突き入れて、『光の理を盗むもの』ノスフィー・フーズヤーズの魔石を、『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』と一緒に『持ち物』へ避難させる。


 危ない『毒』というのは、グレンの『不死殺しの毒』のことだろう。

 その影響を危惧しているような口ぶりだったが――彼女の元従者である『御旗の三騎士』の俺には分かる。そのえにしから感じる。


 いま、間違いなく、最も大きい振動こえは元主ノスフィーだ。

 最もカナミさんに甘い『理を盗むもの』が、誰よりもカナミさんを心配して、優しく、苦しめた。


 そのノスフィーの優しさを受け止め切れないカナミさんの弱さが、俺は嬉しくて、笑う。


「くはははっ、自ら取り出したなぁ! それで、いま聞こえている幻聴は、魂からの声じゃないって確信できる! ――いや、本当にそうか!? みんなから魂を託されたあんたなら、魂からの声は途絶えないんじゃないのか!? 地獄帰りの俺が保証しよう! セルドラさんの『竜の咆哮』に乗ったみんなの祝福こえは、次元を超えて、必ずあんたまで届くと!!」

「『持ち物』の中は、次元の壁によって完全に遮られている! 魂は僕と途切れて――」

「魂がない程度、さして重要じゃねえだろ! セルドラさんが、さっき俺たちに教えてくれたことだ! 魔石なんてなくても動くっ、届くっ、繋がるんだよっ、カナミさん! だって、みんなあんたのことが大好きだから!! 少し考えれば、ちょっと『持ち物』にいれたくらいで、あんたを愛するノスフィー様の声が途切れるわけねえって分かんだろ!? なあっ、カナミィ!?」

「…………っ!! だ、だとしても! 無駄だ、ファフナー!! こんなふざけた戦いは、すぐ終わる! この程度の不安定な状態は、何度も経験しているんだ……。どうすればいいかを僕は、何度も学んできた……。ああ、慣れてるんだ。この程度、この程度、この程度……、くっ、ぅうっ……!」


 慣れていると言うが、さらに魔石を一つ抜いたカナミさんの身体は、明らかに異常をきたしていた。


 精神安定のスキル『最深部の誓約者ディ・カヴェナンター』などで感情を整理しても、常に聞こえる声で感情が何度も乱されているのだろう。

 『半魔法』とも呼べる四肢が点滅して、その境界線が何度も揺らめく。


 間違いなく、効いている。

 元々、儀式で不安定だった身体に、セルドラさんが物理的ダメージを積み重ねて。

 そこからさらに、俺が精神的ダメージを積み重ねて。

 大事な魔石を『闇』『地』『光』の三つも身体から取り出してしまって。


 ――いま、カナミさんの『半魔法』の身体が、崩れ始めていた。


 生身と『半魔法』の境界線は揺らめき、俺の身体のように継ぎ接ぎのようだった。

 そして、その境界線の隙間から、血のように濃い紫の魔力が噴出する。


 原因は、『魔の毒』の器漏れ。キャパシティオーバーだろう。

 カナミさんはレベル99を超えた『魔の毒』を持ちながら、その器を魔石三つ分も減らしてしまった。そのせいで、限界を超えた身体が変質し始めている。


 『魔人返り』だ。

 漏れ出る濃い魔力が、隙間という傷口を塞ぐ瘡蓋のように固まっていく。

 ただ、それをカナミさんは制御しようとしていた。

 先ほど「学んでいる」と言っていた通り、『詠唱』によって補助を始める。


「――つ、『月の理・・・を盗んだ罪人は二度死ぬ』『一度の死では罪を償えない大罪人ゆえに』――」


 黒いローブの袖から覗く右腕に、『血の人形』のような赤い肉が泡のように発生して、その隙間を埋めた。


 さらに、その赤い肉は皮膚の代わりのように張り付く。一瞬だけ鏡のように輝く『表皮』となり――すぐさま、魚の鱗に変化した。場所によっては、獣毛や羽毛になっているところもある。左腕のほうは、爬虫類に近い前足に変身している。


 モンスターのパーツで足りないものを補う『化け物』のような姿は、末期のグレンと同じだ。それは死期が近い『魔人』の最終手段のはずだが――


「――『ああ、我こそが死罪人』『月の理を盗むもの』――」


 カナミさんの身体は『化けもの』であることが自然で、これこそが本来の姿と言わんばかりに安定した。


 先ほど『魔人返り』と表現したが、『理を盗むもの』たちにとっては『半死体ハーフモンスター』というほうが正しいだろう。

 ならば、カナミさんは何のモンスターの『半死体ハーフモンスター』なのかと考えると、頭に思い浮かぶのは『血の魔獣』たちの姿。


 暫定的に俺は仮説を出す。

 カナミさんは古代から伝わるモンスター『合成獣キメラ』の混じりかもしれないと。


「はぁっ、はぁっ……、僕にとって『半死体ハーフモンスター』は、さほどリスクじゃないよ……。陽滝のおかげで、この状態には慣れてるからね。なにより、ここまでの『半魔法』の身体と違って、こっちは完全に戦闘用だ……、ははは」


 キメラの特徴を得たカナミさんは、強気に両腕を広げた。

 確かに、慣れているというのは嘘ではないようだ。


 分析を深めると、【ローレライ】の『人』の混じりにも似ている気がした。もしかしたら、千年前のファニアの非道な実験に似たものをカナミさんは経験していて――と俺の好奇心が次の仮説を出そうとしたとき、カナミさんの姿が揺れる。


 蜃気楼のように消えたかと思えば、すぐ目の前で異形の両腕を振るっていた。

 咄嗟に俺は、大きく後退する。


 先ほどよりも、大幅に速くなっている。

 『剣術』の身のこなしに従わなければ、あっさりと魔石を奪い取られるところだった。


「くっ――!」

「僕が戦いを避けなくなれば、困るのはそっちだ……! 迂遠な次元魔法を捨てて、形振り構わなくなれば、僕には誰も勝てない……! 君たちの魔法にも、もう慣れた!」


 間違いなく、魔石が減って、カナミさんは強くなっていた。


 話し合いによる『未練』解消や洗脳による無効試合を、完全に諦めたからだろう。足元に発生していた『紫の糸』と大渦も、もう消えている。


 戦いに向かない《ディメンション》といった補助魔法は絶って、ただただ攻撃だけに集中しているのだ。

 それだけで、これまでとは比べ物にならないほど、カナミさんは強い。


 カナミさんは余力があればあるほど、相手を気にして全力をセーブする悪癖がある。

 他のたくさんの致命的な負け癖も全て消えて、俺は完全に押される。

 そして、後退し続けて、叫ぶ。


「ああ、知ってるとも! カナミは余裕がないほうが強い! つまり、普段は戦いを避けようと迂遠で、形振り構ってて、クソ弱かったってこともな!! 千年前から、ずっとあんたはそうだった! しかし、その生まれながらに弱いあんただから、みんなから託されたんだよ! 生まれながら強いゆえに誰からも託されなかった俺は、あんたに憧れたんだ! だから、それは強くなったんじゃなくて――」

「そんなことは、もうどうでもいい……! いま、この戦いで大事なのは、もう君がフラフラだってことだ、ファフナー!」


 異形の前足の鉤爪で、俺の揺れる膝を指差した。


 ここに辿りついたとき、すでに俺の身体は崩壊寸前だった。

 そこから、さらに単独で、複数人の本当の『魔法』の使用と維持。

 カナミの言う通り、もう俺は――


「もう限界だ。君は迂遠な『血の理を盗むもの』の『魔法』の使い過ぎで、空っぽになってしまった。……けど、僕は違う。まだまだれる」


 指摘して、カナミは上を向いた。

 そこに俺とカナミの最大の違いがあった。


地上うえで『終譚祭』が続く限り、僕には無限の『魔の毒』が供給され続ける。そして、ただ形振り構わずに戦うだけなら、小難しい次元魔法は要らない。僕という大きな蛇口を捻って、基礎属性の魔法を使い続けるだけで――」


 離れた距離で、カナミは腕を持ち上げる。


 不味い。

 接近戦ならば、『剣術』のおかげで俺が上回っていた。

 しかし、それには「もう付き合ってやらない」と言うように、中距離でカナミさんは片腕を振った。

 魔法が放たれる。


「――魔法《【フリーズ】》」


 氷結属性の基礎中の基礎、《フリーズ》。

 もちろん、いまのカナミが使えば、次元が違う。


 腕の一振りで季節が変わったかのように、周囲の気温が急激に低下した。

 髪の先と睫毛に霜が張って、手足が芯から凍る。体内の血肉が、比喩でなく本当に凍り付き出しているのだ。さらには精神こころの温度という無形のものも凍らせていくのは【水の理】による『静止』の力。


 すぐに俺は『闇の理を盗むもの』の黒剣の形状を変えて、闇の軽鎧で精神干渉を遮断しようとする。


 だが、その俺の防御をカナミさんが視認した瞬間、その『半死体ハーフモンスター』の異形化が進められる。

 燃え出す。

 カナミさんの左肩から背中にかけて、火炎が迸ったのだ。それは翠色の混ざった燃え盛る片翅。珍しいモンスターの特徴だが、おそらくはフレイムフェアリー――と古い知識から引っ張り出したところで、また振るわれる腕。


「――魔法《【フレイム】》」


 視界一杯に津波のような火炎が膨らんだ。

 先ほどの氷結魔法から一転して、凄まじい温度差だ。さらに、これは消えることのない『忘却』の炎でもある。ただ、いまの俺にとっては、単純な闇と火の属性相性が最悪だった。

 火の明かりで、目に見えて闇の力が減衰していく。

 慌てて、俺は纏う鎧を『地の理を盗むもの』ローウェン・アレイスの水晶製に変えて、その分厚くて【絶対に砕けない】装甲で、身と『経典』を守ろうとする。


「――魔法《【ワインド】》」


 しかし、続いて唱えられたのは、風の魔法。

 カナミの背中に生えた炎の翅が、いつの間にか鳥の翼ようなものに変わっていた。モンスターのハーピィと思われる翼を羽ばたかせながら、また片腕を振る。


 炎の次は、風が俺を包んだ。

 すると、『地の理を盗むもの』の水晶に罅が入り始める。

 その力の本質が『統べる王ロード』の『自失』による強制的な自己崩壊と知っている俺は、慌てて大きく後退して、さらに防御に専念するしかない。


 しかし、その距離を空けた先で、足元から無数の木の根が蚯蚓のように這い出して、『依存』先を探すかのように俺の足に絡み付こうとする。


「くそっ――!」


 その魔法を俺は動き避け続けるが、余りに迅速で多様な魔法の連発過ぎる。

 大雑把で単純な基礎魔法が、どれもが純粋に重くて、厄介。


 本当にカナミさんは、迂遠な補助魔法を一切頼らなくなった。

 俺の状態と距離を見て、何も考えずに、その膨大な魔力に任せて、適当な攻撃魔法を放つだけ。


 それが余りに強すぎる。

 俺にとって、『最悪』の展開だろう。

 『最悪』の結末が、急速に近づいてくるのも感じる。


「――『愛しき声を頼りに歩いた。いま魂の歌に合わせて、空に触れる』――」


 しかし、構わない。

 その『最悪』の結末に向かって、憧れの人と同じように、『魔法』を維持し続ける。


 赤光の歌を、振動うたい続ける。

 カナミさんの『狭窄』による聞こえない振りを崩すまで――

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