410.星空の月が綺麗だから

〝「よーしっ!! 陽滝姉、『約束』だよ!!」

 「ええ、『約束』です……」〟



〝――その頁も読み返す。


 それは、かつて交わした『約束』。

 兄妹ではなく、姉妹の思い出。


 その『約束』を思い出したであろう姉は、私の顔を見て驚く。

 伸ばした手を戻して、兄を奪われないように――いや、【『永遠』に二人】という自分の『最後の頁』を奪われないように警戒する。


「ティアラ――?」


 あの陽滝姉が、お化けを見た子供のように、息を呑みながら私の名前を口にした。

 たったそれだけのことが、私は嬉しい。


(うん、ティアラだよ。ひひっ、やっと読めた……、陽滝姉の心の闇)


 兄と姉を真似て、私も作り笑いではなく、本心の笑みを見せた。

 私にも、もう演技などない。

 その必要はなくなった。


 逃げて逃げて逃げて、逃げ続けて、やっと私は読んだからだ。

 暴いて、読んで、触れて、噛み締めて、舌で転がしてみたかった『異邦人』二人の核心部分。


 人生で最も濃厚で美味しい『心の闇』を味わった!


「……読んだのなら、もうわかっているはずです。私は、あなたが思うような完璧な人間じゃありませんでした。……がっかりしたでしょう?」

(ううん)


 そんなはずあるわけないと、陽滝姉を安心させるように即答する


 むしろ、逆。

 より私はあなたが好きになった。


(嬉しかったよ。だって、陽滝姉は期待通りの、想像以上だったから)


 『相川陽滝』は、本当に特別だった。


 その上で、私が求めていたものを全て揃えてくれていた。

 意味は少し変わるが、私にとっては本当に完璧だった。


(陽滝姉は、ちっとも私の予想を裏切らなかった。私の助けの要らなかったあの子・・・と違って、陽滝姉は『主人公だれか』の助けをずっと必要としてた。私の期待していた通りに――)

「き、期待していた通り……? つまり、最初から、これを読めていたと?」

(ううん、全く読めなかった。――でも、何かあるって思ってた。すごく悲しくて、辛くて、苦しいような何かがあるんだろうなって、ずっと思ってた! だって、陽滝姉は本当に特別だったから! もし、これが本なら、何かないとおか・・・・・・・しいくらいに・・・・・・!)


 ずっと私は何も分からなくても、「何かあるだろう」と信じていた。

 分かり続けて、何も信じられなかった陽滝姉とは、真逆で。


「な、何かって……。そんなあるのかないのかも分からないもののために、あなたはここまで……? 何度も私に、殺されかけて……」

(うん。殺されかけてでも、私は読みたかったんだ。二人の『異邦人』の物語を――)


 本当は、このまま、ずっと話していたい。

 しかし、そうはいかない。


 私は物語を味わった。

 大好きな『相川兄妹の物語』を読ませてもらった。


 ――その御代を、払わなければいけない。


 彼女の後ろで倒れている師匠に目を向ける。

 未だ魔法《私の世界の物語テイルズ・ラストティアラ》は維持され続けている。

 だから、まだ『ティアラ』という『魔法』は生きて、存在できている。


 その信頼の証に、これから別れを告げないといけない。


(ありがとう……。大好きだったよ。それと、これからもずっと愛してる)


 私は陽滝姉と二人だけで行く。

 けれど、師匠には私の『愛してる』を――我が娘『ラスティアラ・・・・』を残していく。


 ――あの『告白』の日は、嘘ばっかりだったけど、嘘じゃないんだ。


 その想いを胸に――いや、そこに捨てて・・・・・・、私は前だけを見据える。


(だから、この『ティアラ・フーズヤーズ』が、師匠の代わりに『約束』を守る。たとえ死んでも、『約束』は果たす)


 陽滝姉あなただけを見た。

 その私の所作の一つ一つが、魔法《ティアラ》の人生であり、『詠唱』。


「ティアラ……、あなたは……」


 『彼女・・の贔屓で・・・・いま・・陽滝姉に残された・・・・・・・・スキルは・・・・読書・・だけ・・

 だから、私の遺す一言一言から、陽滝姉は『ティアラ・フーズヤーズの物語』を読み取ったのだろう。


 生まれながら病に侵されていて、すぐさま隔離塔に追いやられて、そこでは本だけが救いで、偶然出会った『異邦人』に憧れて、何もかも全て捨てながらも、物語を最後まで生き抜いてきた私の人生を――


 瞬間、『ティアラ・フーズヤーズの物語』を読んだ二人の感想が――物語に感じる想いが、いま『行間』で重なっていく。


 あの始まりの場所が、蜃気楼まぼろしのように周囲に映し出された。

 千年前の滅ぶ寸前だったフーズヤーズ国。

 その象徴といえる朽ちた城。

 敷地内には塔が建ち並び。

 その合間に、大きな庭が広がっている。

 丈の低い草が自生し、『体術』と『呪術』の鍛錬には最適だった。

 そこで二人は、かつて何度も『答え合わせ』をした。

 その思い出の場所が、足元から――地平線まで、一瞬にして広がった。


 ――つまり、この果ての果てまで続くフーズヤーズの庭は、二人にとって「『世界』など、私たちの庭も同然だった」ということ。


 これは過去の再現でなく、物語の感想。

 ゆえに、その庭は不可思議な夜を構築していき、陽滝姉の瞳に映し出されていった。


「こ、これは……」


 黒瑪瑙の瞳の中で、たくさんの星が煌く。

 『世界』は夜だった。

 しかし、全く暗くはない。

 それは、倒れている師匠から光が滲んでいるからではなく――下ではなく、上で――満天の星のおかげで、庭は淡く明るかった。


 『魔の毒』の暗雲は皆無で、夜空は澄み渡り切っている。

 その空を見上げて、生まれて初めて陽滝姉は星を見た子供かのように見惚れていた。


 そして、その星の一つ一つの意味を悟っていく。


「もしや……、魂の光、なのですか?」

(……うん、正解)


 頷く。


 過去の戦いの中に、一つだけ類似例がある。

 それは迷宮六十六層の『裏側』で、相川渦波と『風の理を盗むもの』ティティーが戦ったときだ。

 あのときも、『魔石たましい』という星々が空に浮かんでいた。


 あれと原理は全く同じ。

 ただ、今度は一つの『国』ではなく、一つの『世界』の規模。

 一世代ではなく、千年間の祈りの煌き。


 ――みんなの祈りが光となって、星空から降り注ぐ。


 星の斜光が黒キャンバスの夜空に、流れ星のような線を刷毛のように引いた。

 その線の束が天幕のように揺らめいては、垂れて、大地に立つ私たち二人に触れる。


 光から『繋がり』を感じる。

 それは赤でも白でもない『糸』。

 《本物の糸ライン》を通して、いま、《神聖なる祈りレヴァン》が届いていた。


(――ロマンチックって思わない? 星って、綺麗だよね)


 この光景をフィナーレにすると、私は最初から決めていた。

 私の人生は『星空の物語』。

 だから、最後の頁には、ちゃんと私が見つけた宝物も記したかった。

 それを陽滝姉と一緒に見て、同じ想いを感じたかったから――


(じゃあ、行くよ……)


 長年の願いが叶った私は、最後の舞台を歩き出す。


「行く? ティアラ、あなた――」


 陽滝姉は私が現れてから目まぐるしく変化する状況に、疑問ばかりが頭に浮かんでいるようだった。


 行くとは、どこへ?


 その疑問の『答え』を陽滝姉は、必死に自分で考えて――この『約束』の場所から、すぐに思い至った。


「――――ッ!」


 これより、私と陽滝姉の『決闘』が始まる。

 いや、千年前から、ずっと『決闘』は続いている。

 一度も終わってないし、止まってもいない。


 その『決闘』は、私と陽滝姉の殺し合いであり、同時に『世界』の防衛戦。


 かつては、その力の差に絶望したが、いまや私たち二人は――

 とある『世界』を食らい尽くしてさらに奪いに来た『異世界の侵略者』、相川陽滝。

 この『世界』の全てを食らい尽くしてでも止めに来た『異世界の防衛者』、ティアラ・フーズヤーズ。

 ――『対等』。


 もう戦いは、どちらに転ぶかわからない。

 戦ってみないと『答え』はわからない。

 その初めての勝負に、陽滝姉は吐きかけた息を――


「――――ァ、ハアッ、フッ」


 呑んだ。

 もう陽滝姉は溜息を出すことはない。


 頬を紅潮させて、息を止めて、彼女は私を見る。


 ――目が合った。


 そのふわりと浮き始めた黒い前髪の下にある黒い瞳に、私の姿が映っている。

 もう私と陽滝姉の間で遮っていた黒いカーテンはない。


 いま陽滝姉は人並みに慌てて、緊張して、混乱しているようだ。

 ずっと読めなかった陽滝姉の心の内が、いまなら簡単に、すらすらと読めた。


 それが、本当に嬉しい……。

 陽滝姉の読んでいる本の一文字一文字が、私でもわかる……。

 一緒に同じ文章を追いかけて、重ねて、読むことができる……。


 ずっと私は陽滝姉の気持ちが知りたかった。

 ずっと私は陽滝姉と同じ気持ちになりたかった。

 ずっと陽滝姉と同じになるために教えを守ってきた。

 ずっと陽滝姉の真似をして親和できるような人生を歩んだ。


 全ては、この『最後の頁』の為。

 このとき、この頁を、陽滝姉と一緒に読みたかったから――


 だから、いま、あなたに合わせる・・・・

 陽滝姉が合わせてくれたように、私も。


 『理を盗むもの』の最後の戦いは、いつだって。

 互いが互いに向かっていくものだったから――〟


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