409.本当の兄妹
〝――これが、渦波の求めた『元の世界』の真実。
つまり、後の『属性』で分けるならば、本来彼は『月』だった。
それ以外の属性は、後天的なもの。フーズヤーズの騎士ラグネ・カイクヲラと同じく、「誰かの『理想』になる」という本質の発露でしかない。
『星』を
それが渦波とラグネだった。
似た者同士の二人だが、その本質を渦波だけは捻じ曲げられる。
妹の陽滝が、兄の記憶抹消と再構築を繰り返し、別の才能を人工的に作ろうとしたからだ。
そして、不幸にも『月』という属性は、その作業に最も適していた。
何度も渦波は、記憶を消された。
新しく生まれ直す度に洗脳をされた。
あらゆる『代償』を払わされて、力を得ては――それが陽滝の納得の行かない才能であったならば、即リセットだ。
もう陽滝は何も考えていない。
彼女の中にあるのは【『永遠』に二人】という結末だけ。
その『最後の頁』に至る為の装置――いや、現象と化していた。
そして、その非人道な実験の果てに、ようやく『理想の雛形』が生まれる。
それが『次元』の属性を得た相川渦波だ。
実験の末に陽滝は、この属性こそが全てを司る最強の力であり、自分と『対等』になれる性質だと発見した。
ようやく、陽滝は『理想の兄』を得た。
もちろん、その才能だけでなく、人格や記憶も完璧だった。
例えば、その『理想の兄』は妹に向かって――
「――陽滝、これからは僕がおまえを守る。……絶対に守ってみせる」
そう、誓わされた。
あの『病院の日』に、物語が繋がっていく。
それは異世界に迷い込んだ少年渦波が、最初に思い出した記憶。
ラグネ・カイクヲラが渦波の死体で追憶していく中、記憶の連なりに明らかな異常を見つけた記憶。
――『家族』を永遠に失った兄妹が、これからは二人だけで生きていくと誓い合った『病院の日』だ。
それは何度もリセットされた記憶の帳尻を合わせるための
その日、とある病院の一室で、兄妹は向かい合っていた。
病弱な妹はベッドで上体を起こして、心配する兄に確認していく。
「これからは兄さんが私を……?」
「ああ、守る。ずっと一緒だ」
執筆されている時点で、全ては茶番だ。
陽滝の脚本による人形劇。
それが、あの『病院の日』の真実だった。
「大丈夫だよ、陽滝。これからは一緒だ。僕たちはずっと――」
「……ふふっ。ああ、やっと私を見てくれた。……私の兄さん」
「『約束』する。ずっと一緒だ」
こうして、いままでの不和を上書きするように、相川兄妹の新しい暮らしが始まった。
相川家の資金面の恩恵をなくして、普通の生活に――いや、貧乏な二人暮らしに兄妹は陥った。『苦しく質素ながらも、幸せな家族の物語』を陽滝が本能的に求めて、執筆した結果だろう。
そして、兄が病の妹の為にアルバイトをする裏で、しっかりと陽滝は動いている。
――陽滝は自らの目的のために、『世界』を犠牲にしていく。
もう彼女は後に退けない。
まず『魔の毒』の吸引と『質量を持たない神経』の生成を、あえて加速させた。
その異常な速度の『魔の毒』の吸引は、少しずつだが『世界』を変革させていく。
目に見えた形として現れたのは、天体の異常。それと、地球の気象変化。
生物を凍らせる氷河期――とまではいかないが、小氷期に似た現象が各地で起こった。
そして、一般人でも見える大きな『切れ目』が地平線に発生して、僅かだが『魔の毒』に適応できる人間も出てくる。
その異常事態に人類は、ただ手をこまねいていたわけではない。
ただ、これもまたわかり切っているし、知っていることだが、この氷河期を人類は止められなかった。
何度か、人類は陽滝の頭部破壊に成功した。
だが、もう『相川陽滝』の身体は、すでに人間ではなかった。
決して死なず、壊れず、止められず、非物質的な『糸』で人々を操り続け、常に冷気を星単位で発するという『化け物』となっていた。
もし人類に『魔の毒』を研究する猶予が何年かあれば、何かしらの打開案は見つかっただろう。だが、その時間は用意されておらず、人類は余すことなく『静止』されて、氷像と化した。
その氷像の脳には『質量を持たない神経』を植えつけられる。
このとき、『切れ目』の向こう側にいる『世界』も、人類と連動して消えた。
――完全なる『最後の敵』の勝利だった。
もちろん、そこで終わりではない陽滝は、すぐに次のステップに移る。
まず『切れ目』の中に《コネクション》を置いて、七十億以上もの『質量を持たない神経』を束ねて、通した。この《コネクション》は直接、陽滝の魂に繋がっている。
続いて、『異なる世界』へ――つまり、『異世界』への移動。
陽滝が『異世界』に求める役割は三つあった。
一つ、兄の心身を成長させる舞台であること。
二つ、兄の『魔の毒』の供給源となること。
三つ、兄の『呪い』を全て除去できること。
実験とリセットの際に、渦波は多くの『呪い』を付け外しされたのだが――全ての始まりである【最も愛する者が死ぬ】だけは解消することができなかった。
一度『魔法』で、最も理想的な『大切な人』である水瀬湖凪と出会ったせいで、この『元の世界』に彼女以上の存在がいなかったからだろう。
あらゆる意味で、『異世界』への移動は必須だった。
陽滝は『切れ目』の中にて、『質量を持たない神経』を駆使して、無数に存在する『異なる世界』を一個ずつ検分していく。
できれば、種族的な差異は最小限で、重力や空気などといった問題は『魔の毒』で解決できて、次元を繋げるための相手がいると理想的だ。
その入念な精査の結果、見初められた『世界』は――
――『剣と魔法の世界』。
その王道ロールプレイングゲームのような『異世界』に、なぜか陽滝は惹かれた。
もちろん、建前としては「ここならば、兄さんに合っている」と判断したからだ。
『魔の毒』の増加によって、危機に直面した『異なる世界』は救世主を求めていた。その状況に陽滝が執筆者として加われば、間違いなく渦波は「あの平等なゲームのように、世界を救う『主人公』の如く、成長できる」と確信できた。
陽滝は妙な縁も感じて、その『異世界』を次の犠牲先に選んだ。
すぐさま安全確認も含めて、陽滝は先んじて一人で移動する。
次元を繋げるための相手が居たため、その移動に陽滝側の『代償』はなく、とてもスムーズだった。
――こうして、舞台は『異世界』に移る。
その始まりは、フーズヤーズ国の城の地下室。
ゲームにありがちな魔法陣の上に、輝く『魔の毒』の粒子と共に陽滝は召喚された。蝋燭の灯りの中、世界の危機に立ち向かう『使徒』たちと出会い、台本を喋っていく。
「ここは……? 一体……」
『世界』を一つ滅ぼしてきた元子役の少女が、新たな舞台で演技を始めた。
「歓迎するわ! 私はシス、世界を救う正義の使徒よ!」
「戸惑うのも無理はない。驚かせてすまない、『異邦人』よ」
「ここは、おまえにとって『異世界』だ。落ち着いて、俺たちの話を聞いてくれ」
「い、『異世界』……? どういうことですか? 詳しく、聞かせてください――」
何もかもが陽滝の書いた台本どおりに進んだ。
だから、この『異世界』も、『元の世界』のように食らい尽くされるのは、すぐ――
その数日後。
次の渦波の召喚の時点で、小さな
『異世界』に呼び出された渦波が逃げ出してしまい、フーズヤーズの敷地内を歩き周り、陽滝より先に『少女』と出会ったのだ。
その
――けれど、放置した。
何もかもが自分の思い通りに行くとは最初から思っていないし、どのような手順を踏んでも、最終的には【『永遠』に二人】という『最後の頁』に辿りつくとわかっていたからだ。逆に言えば、結末さえ変わらなければ、あらゆるものに寛容だった。
だから、代わりを見つけ出す手間が省ける
――これが、物語の最大の分岐点。
すぐに陽滝は、ティアラ・フーズヤーズが『呪い』を果たすように、その『質量を持たない神経』を駆使して脚本を書いた。その筋書きは兄好みで……ついでに、ティアラ好みにもアレンジした。
ただ、その愛し合う二人が別れるはずの『冒険』で、ティアラは生き残ってしまう。
その上で、なぜか陽滝は感謝されてしまう。
「――私は陽滝姉のことが大好き。だから、陽滝姉のことが一杯知りたい。一杯おしゃべりしたい。一杯思い出を作りたい。ずっと隣にいて、できれば、いつか――『対等』になりたい」
その『対等』という言葉を、どうしてティアラが口にできたのか。
陽滝が考えることはなかった。
――こうして、ティアラの望むままに、あの『決闘』は始まった。
それも結末は変わらないという理由で、陽滝は受け入れた。
その『決闘』は思いがけず長引いて、千年後まで、ずれていく。
ただ、それでも問題は全くなかった。
ティアラが『質量を持たない神経』を真似て、『赤い糸』で対抗し始めても、何もかもが陽滝の書いた筋道に近かった。
ほんの僅かなアレンジ分しか、脚本は変わらない。
そして、陽滝は千年かけて、計画通りに渦波を『次元の理を盗むもの』として完成させて、多くの『理を盗むもの』の力も受け継がせ、『永遠』に生きられる存在まで誘導し終えた。
順調に兄は成長した。
『魔の毒』の量が『対等』になるのも、あと少し。
これから『永遠』の旅が待っていたとしても、兄は耐えられる。
唯一、予定外のことがあったとすれば、それは【最も愛する者が死ぬ】という『呪い』が、ティアラ・フーズヤーズから別の『
その
ただ、結末を教えてくれるスキルに従うだけだった。
対照的にティアラは、ずっと考えていた。
『決闘』に勝つために自らのスキル『読書』を使いこなし、考えて考えて考え続けて――
その積み重ねは、『異世界』での最後の戦いに収束していく。
渦波は一度殺され、『光の理を盗むもの』ノスフィーの『不死』を受け継いだあと、陽滝は目覚め、万を持して『異世界』は『元の世界』のように凍りついていく。
渦波は『魔の毒』を世界一つ分を吸収する寸前だった。
『異世界』も氷河期に入る寸前だった。
本当にあと少しというところで――ここまで積み重なった
「――こんな無茶苦茶! 世界よりも先に、私たち三人が壊れます! このまま、三人で心中するつもりですか!?」
このとき、陽滝の中では、ずっと止まっていたものが動き出していた。
それは「相川陽滝を救いたい」という願いが込められた《
とても暖かくて、優しくて、神聖な『魔法』が、いまさら彼女に『相川兄妹の物語』を読み直させて、自分の力で――
生まれながら人と違っていた自分。
初めて交わした兄との『約束』。
一度だけ、二人で優しい『魔法』を探した。
けれど、待っていたのは『呪い』――
もう誰も信じられないし、何も信じたくない。
でも、本当は信じたい。信じられるものなら、信じさせて欲しい――
――そんな人生と、いま、陽滝は強制的に向き合わされていく。
ああ、
いま、お揃いのスキル『読書』で、最後の戦いをしていた三人が『陽滝兄妹の物語』を読み終わった。
だから、これで回想は終わりだ。
ここから先は、いま、陽滝という少女はどうなっているのか。
『過去視』の旅を終えて、陽滝が辿りついたのは――
◆◆◆◆◆
陽滝が辿りついたのは――『
『次元の狭間』と呼ぶ者もいる。
ここは物語と物語の合間であり、現在と過去の合間だ。
どの時間にも属さず、あらゆる物理法則・魔法法則から逃れた場所では、魂以外は存在できない。
死者ばかりが辿りつく場所なので、いつもならば虚無のみ。
意識だけが
真っ暗な部屋だった。
そして、音が聞こえる。
自然の音とは程遠い機械音の集合だ。
その音は軽やかで、激しくて、心を奮わせて、彩ってくれる。
続いて、カラフルな光が明滅する。いつの間にか、液晶画面が一つだけ置かれていて、その前で陽滝は体育座りをしていて、瞬きを惜しんで、
『相川兄妹の物語』を読み終えたばかりの彼女が考える
彼女の隣には、かつてと同じく、渦波が座っていた。
その兄は
つまり、『相川兄妹の物語』を読み終えた兄も、妹と全く同じ
かつてと同じように、
『異世界』で活躍する『主人公』の姿を。
『ヒロイン』と共に『冒険』していく日々を。
最後の戦いで、『最後の敵』が破れる光景を――
ついに、エンディングだった。
もう誰もコントローラーは握っていない。
だから、二人でゲームを遊ぶのは、終わり。
奇妙な虚無感に包まれながらも、それを陽滝は認めていく。
それと全く同じことを、兄の渦波も認めていた。
まず、兄が口を開く。
座ったまま、視線は動かさずに、隣りで、ぽつぽつと――
「湖凪ちゃんは……、僕たちが原因で死んだ……。父さん母さんがいなくなったのは、おまえが守ったからか……」
『相川兄妹の物語』を読み直したことで、ようやく渦波は真実に辿りついた。
ただ、その真実は、いままで戦ってきた意味が全て失われるには十分過ぎた。
さらに、まだ絶望的な最後の『真実』が残っている。
「それに、僕は『約束』していた……。
「はい……。私たちは『約束』をしてました」
核心に迫る話だったが、二人の声は穏やかだった。
互いに、その『答え』には最初から、考えるまでもなく、気づいていたからだろう。
最後の『答え合わせ』が、いま、なされていく。
「陽滝、僕は『約束』を守れない。いや、最初から守る気なんかなかった……」
「そう、みたいですね……。そうだって、私も最初から、わかってました。考えないようにしていただけで……」
「そして、僕はおまえが嫌いだった。いつも僕の前を歩き続けるおまえが、ずっと嫌いだった……」
「それも……わかってます」
「ずっとずっと嫌いだった。僕の欲しいものを全て、最初から持っていたおまえが……。いつも僕を手の平に置いて、見下し続けるおまえが……」
「嫌いも、当然です。私は逃げる兄さんを捕まえて、何度も頭を弄繰り回しました。私の都合のいい玩具として、何度も何度も何度も――」
本音をぶつけ合う。
そして、ついには――
「ただ、
陽滝は薄く笑って、目じりに涙を浮かべて、そう『告白』した。
「ああ、大嫌いだったんだ。僕たちは、僕たちのことが、本当に大嫌いだった」
渦波も薄く笑って、顔を俯けて、その『告白』に頷いた。
もう作り笑いじゃない。
生まれながらの演技者だった二人が、いま――
やっと演技から解放された瞬間だった。
――その『考えれば当然のこと』を、やっと二人は言えた。
本当は二人とも、ずっと作り笑いは辛かった。
『世界で一番仲のいい兄妹』の演技には、疲れていた。
ずっと兄は妹を疎み、妹は兄を恨んでいた。
――それが最後の『真実』。
決して変えようのない真実だった。けれど――
「
「ああ、わかってる……。やっとわかったんだ、僕も。ここまで来て、やっと……」
嫌いだけど、好き。
そんな矛盾した想いがあることを、すでに渦波は『月の理を盗むもの』ラグネから教わっている。
その人生は全て演技で、偽物だったかもしれない。
その演劇は最後まで茶番で、脚本はご都合主義だったかもしれない。
けど、その時間が在ったことは、確か。
兄が大好きな妹も、妹が大好きな兄も、確かに存在していた。
それを大事にしたいと思う意思だけは――
「この意志だけは、絶対に私は曲げません。曲げるわけには、いかない……! 私は【『永遠』に二人】という『最後の頁』の為に、色々なものを犠牲にしてしまった。兄さんだけじゃありません。母さんも、湖凪姉も! 『元の世界』を生きる人々も、何も関係のない『異世界』を生きる人々も! 全てを犠牲にしてきた私は、誰にも負けられない……!!」
陽滝は強い心で、その初志をぶれさせることはなかった。
ただ、その心を支える理由は、余りに聞き覚えがあった。
「私は負けません! もし負けることがあれば、今日まで犠牲にしてきたものが全て無駄になる! 蹴落としてきた意味が、全てなくなる! それは計算がおかしいんです……! 【相川陽滝には誰も勝てない】の計算が、おかしくなってしまう!!」
それは幼き頃の渦波と全く同じ文句と怒りだった。
その類似に、渦波が気づかないはずがない。
――渦波は理解する。
どんなに『生まれ持った違い』という名の深い溝があっても、自分たちは似た者同士の兄妹だった。いや、正確には、どんなに強大な力を持って、無敗の人生を歩んだとしても――妹も思い悩み、迷って、間違いもする女の子。
心に罅の入った『理を盗むもの』の一人だった。
「ええ、もうこれは『元の世界』だけの話じゃないんです! 私は罪のない『理を盗むもの』たちを唆して、兄さんの踏み台にした!! 『呪い』をもって、ラスティアラさんを殺して犠牲にした! だからっ!!」
ずっと渦波は陽滝を嫌いながらも、同時に病的なまでに盲信していた。
その力は絶対であり、比類する者など皆無。だからこそ、心配は無用。
たとえ、どんなことがあっても、陽滝なら大丈夫だと……そう思考停止していたのは、渦波も同じだった。
「だから、私は進む! 進み続ける!! 残念ですが、考えても考えなくても、私の『答え』は同じです! 私は【『永遠』に二人】という『最後の頁』の為に、本気で! 手段を選ばず! これからも、ずっと勝利し続ける!!」
悩まないはずがない。
考えても考えなくても同じのはずがない。
必死に考えてしまった結果、いま陽滝は苦しそうに叫んでいる。
生き抜こうとしている、全力で。
「兄さんは『私の兄さん』です! 最初からずっと、そしてこれからも! ずっとずっとずっと『永遠』に! でないと、私はっ! 私は――!!」
決して兄を逃がさないと、陽滝は戦意をもって、立ち上がった。
途端に、『行間』に広がっていた部屋の
魂以外は何もない場所。
そこに漂う魂二つの本当の姿も、いま
陽滝は長い旅を終えて、最後の戦いを経て、あらゆる本当の『魔法』に身を晒されながらも、いまだ無傷だった。
対して、渦波は満身創痍。
魔力を使い切り、膝を突いて、いまにも倒れる寸前だ。
『過去視』を始める直前の姿が模られた渦波は、その左手は一冊の本を持っていた。そして、その右手は、もう――
「ごめん、陽滝。それでも、僕は――」
陽滝と違い、渦波は立ち上がらなかった。
いや、単純に限界を迎えて、立ち上がれなかった。
直前の最後の戦いで立ち続けられたのは、ずっと右手が陽滝の身体を掴んでいたからだ。
ただ、いま彼の右手にあるのは『白虹色に輝く魔石』。
もう渦波は、
「それでも、僕はおまえと一緒には行けない。――僕は『ラスティアラ・フーズヤーズ』と一緒に、この先へ行くよ」
もう力が入らないから、顔を上げることすらできなかった。
その視線を落として、渦波は『たった一人の運命の人』だけを見つめて、想い続けるしかなかった。
その手にある本の最後の頁を――
〝【愛してる】
【その一文を抱いて、私は死ぬ】
【ここで永遠に、ラスティアラ・フーズヤーズは『夢』を見続ける】〟
頁を読んで、その続きを、渦波も想い続ける。
立ち上がろうともしない兄を見て、その意味を考えて、陽滝は唇を噛んだ。
いま、心中に去来するのは、初めての敗北感――だったが、初めてだからこそ、まだ陽滝は気づいていない。
「そんなこと……、わかってます!! けれど、これから私に負ければ、ラスティアラさんを兄さんは忘れることでしょう……! なかったことにするのは簡単だって、今日までの兄さんが証明しています。それとも、いま『約束』を果たすつもりですか? 兄さんは、私に勝てるのですか?」
「僕は、おまえに勝てない……。結局、『異世界』に来ても、僕は弱いままだった。でも、そのおかげで……」
渦波は項垂れていく。
もはや意識を保つのも限界で、声も途切れ途切れ。
ただ、それは諦めの言葉ではない。
「
最後に渦波は、フーズヤーズ城の『頂上』を思い出す。
『
二人の『理を盗むもの』のおかげで、いま、こんなに酷い場所でも明るくて、道を間違えることはなかった。
「ああ、あのラグネと……、僕も同じだ。どこにも辿りつけないって、最初からわかってた。だから、ノスフィーの眩しい姿に、希望を感じた。この長い旅の間、ずっと僕たちは捜し続けていたんだ。本当になりたかった自分を……、本当の『理想』の誰かを、求めて……、彷徨い続けて……」
「に、兄さん、何を……?」
もう完全に渦波は、陽滝と話していなかった。
その兄の独白に、陽滝は混乱する。
「やっと、見つけた。ここまで、連れて……くることが、できた……」
ただ、その呼びかけの意味を、少しずつだが陽滝は悟っていく。
兄を逃がさないと伸ばした手を止めて、スキルに『答え』を与えられるのではなく、自分自身の力で、意味を考えていく。
「僕は『約束』を守れない。けど、『約束』は果たされる。いまから、『彼女たち』が果たす――」
ずっと渦波は自分の中の『ラス
「ラスティアラも僕も……、あの『告白』の日は嬉しかった。本当に、もう死んでもいいってくらい嬉しかった……。それは、すごく懐かしくて、嬉しくて……。やっぱり、『作りもの』だから、ストーリーは綺麗なんだって思い出せた……。だから、僕もラスティアラと同じ気持ちだ……」
「…………っ!!」
ずっと『彼女』に
「ありがとう。だから、
そこで言葉は途切れ、渦波は倒れた。
ただ、意識を失っても、宣言した魔法は止まらない。
――渦波は「『魔法』を信じる」という『代償』で、その神聖な魔法を維持し続けていた。
この『行間』というあらゆる理の外にあるはずの空間で、魔法《
白虹の光が陽滝も含めて、全てを包み込んでいた。
「――っ!!」
陽滝は自分で考えて、辿りついた『答え』によって、振り返った。
――…………。
――どうやら、もう終わりのようだ。
渦波が呼びかけて、陽滝が気づいた。
だから、これを最後の独白にして、『最後の頁』を始めようと思う。
正直なところ、この『最後の頁』は、賭けだった。
場合によっては、三つ巴の戦いとなっていただろう。
誰も魔法を信じてくれない可能性も十二分にあった。
けれど、どうにか辿りついた。
それは『理を盗むもの』たちのおかげであり、
ラスティアラの「大丈夫」という言葉。
渦波の「大丈夫」という言葉。
あのときの
身勝手だけれど、心の底からそう思えるから、その「大丈夫」って言葉を聞く度に悲しくて、泣きそうで吐きそうで悔しくて嬉しくて――
――振り返った陽滝は、見る。
『次元の狭間』に浮かび、ぼこぼこと沸騰する血液の塊と対面した。
それは、とうの昔に肉体を捨てた『魔法』。
自らの意思で、力と引き換えに、自分を分割し続けてきた愚かな魂。
まともな魂の形を保てていない。
近くの兄妹と比べると、余りに不安定な『化け物』だ。
しかし、少しずつ血液の塊は変形して、人型を模していく。それは神話に出てくる邪神が、人に化けるかのようにおぞましく、冒涜的だった。
すぐに見覚えのある小さな子供が完成した。
しかし、魂に問題があるのか、どこか子供は歪だった。
口と思われる部分が開いても、その空洞から響くのは人ならざる声で――
(陽滝姉……、来たよ……。『約束』を守りに……、ひひひっ――)
それを間近で見る陽滝は、目を見開き、慄く。
嗤い声を耳にして、身体を震わせる。
(逃げて、逃げて、逃げ続けて……。本気で、何もかも利用して……。好きな人も、自分さえも……、犠牲にして……――)
それは陽滝自身が、彼女に教えた戦い方。
忘れられていなかった――
――忘れていなかった。
あの日、「私たちは三人兄妹だ」って励ましてくれたのを、陽滝姉は覚えてる?
(――これで、『対等』だね)
こうして、相川兄妹の物語の『最後の頁』に、
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