112.そして、僕は思い出す


 …………。

 随分と長い間、闇の底を歩き続けた気がする……。

 その世界はとても居心地が良かった……。

 ずっと、そこに居たかった。そこならば、もう苦しむ必要はなかったから……。


 けれど、それももう終わりだ。

 そんなことは許されない。

 僕に安息なんて相応しくない。


 僕は僕の『大切なもの』のために生きている。それをはっきりと思い出してしまった。

 深い闇の世界に暖かな光が灯り、世界が晒されていく。


(――す、凄まじい激闘でした……!! 血を血で洗う戦い……、壮大で美しい技の数々……、紛れもなく名勝負……。しかし、私の見る限り、相打ちのように見えましたが……、結果は――!)


 鳴り響くような声が聞こえる。


 僕を呼ぶ声。

 心配する声。

 期待する声。

 祝福する声。

 様々な声に導かれ――


 僕は光を感じ、閉じた目をゆっくりと開ける。

 そこには心配そうに僕の顔を覗き込む、美しい少女の顔があった。


 どうやら、僕を膝枕してくれているようだ。闇の中で感じた光は彼女のものだったのかもしれない。


「結局、『腕輪』は破壊しちゃったか……。余裕なんてなかったから仕方がないか。どう、ディア。なんとか治せそう?」

「なんとかいけそうだと思う。よかった……、後に残りそうな異常はない。隅々まで浄化してやる……!」

「そ、そう。がんばってね」


 彼女たちの名前を思い出そうとして、脳に切り刻まれるような痛みが走る。

 同時に、見知らぬ記憶が激流のように帰ってくる。


「あぁ、ああぁあ……――、ディア、ラスティアラ――?」


 思い出した。


 少女たちの名前はディアブロ・シスとラスティアラ・フーズヤーズ。

 僕の仲間たちだ。


 助けようとして助けられなかった二人。

 絶対に忘れてはいけなかった二人。


 ディアは僕の回復のために、大量の汗を流している。身体の回復に加え、精神状態も回復させようと全力で魔法を使ってくれている。


 そして、ラスティアラ。見るに堪えないほどボロボロだ。

 綺麗な衣装は切り刻まれ、透き通るような白い肌に無数の傷がついている。青痣と赤い血が痛々しい。何より、あの綺麗な長い髪がざっくりと切られ、短くなっていることに心が痛む。

 ラスティアラは手を喉に当てて、自らに回復魔法をかけていた。その喉を潰したのも僕だ。


「お、カナミ――じゃなくてキリストかな? 気がついた?」


 ラスティアラの美声は見る影もなく掠れていた。

 それが、とても僕の心を痛める。


「ラ、ラスティアラ……、それ……」

「あ、これ? 気にしなくていいよ。治るからね。それよりも、記憶はちゃんと戻ってる?」


 指摘され、すぐに僕は記憶を掘り返す。


 その作業は激痛を伴っていたが、構わずに記憶を検分していく。

 奪われていた記憶――初めて迷宮に迷い込んだときから、パリンクロンに敗北するまでの時間――その全てが戻っていく。


 ぶつぎりになっていた二つの記憶が統合されるのは不思議な感覚だった。

 『キリスト・ユーラシア』という人物と『アイカワ・カナミ』という人物が合わさる感覚だ。


 やっと僕は僕を取り戻した。

 戻したが――


「も、戻った……。やっと取り返した……、けどっ――!!」

「どう、感想は?」


 ――感想?


 『キリスト・ユーラシア』の記憶は愚かで堪えがたいものだ。けれど、『キリスト・ユーラシア』から見れば『アイカワ・カナミ』はもっと愚かで堪えがたい。

 それが僕を絶叫に誘う。


「あぁ、ああぁあああぁああああっ――! ああっ、もうっ――!!」


 『アイカワ・カナミ』のやってきた記憶を『キリスト・ユーラシア』として辿っていく中、とうとう堪えきれなくなる。


「僕はっ!! 僕はなんて、なんてことをっ――!!」


 記憶の始め。

 まずパリンクロンを命の恩人と思い込み、マリアと出会うところの時点で自分の愚かさに堪えきれない。

 頭を掻き毟りながら、その愚かさを僕自身が糾弾する。


「――マリアが僕の妹って! なんで僕は疑わないんだ!? なんで気付かない!? 僕のヒタキへの気持ちは、その程度のものだったのか!? あぁっ、なんて情けない!! 二人を間違えるなんて、二人に申し訳ない! 情けなさ過ぎて、いまなら腹くらい切れそうだ!!」

「え……、腹切りたいの? 回復が面倒だからやめてほしいんだけど?」


 その僕の叫びを、ラスティアラはクールに流した。


 それでも、まだまだ反省は終わらない。

 激流のごとく『キリスト・ユーラシア』の記憶が溢れていき、同時に様々な感情も溢れる。『キリスト・ユーラシア』は『アイカワ・カナミ』の全てが許せなかった。


「あとギルドマスターってなんだ!! あんなに気をつけて組織から遠ざかってたのに、関わるどころか長になってるなんて! お金を稼ぐだけなら、もっと別の方法があるだろ!? パリンクロンに簡単に騙されて僕は! なんてちょろい! 僕はバカか、バカなのか!?」

「き、キリストは馬鹿じゃないぞ! 俺よりかは、全然頭いい!」


 見かねたディアがフォローを入れてくれる。

 しかし、いまはフォローを受ければ受けるほど逆に情けなくなるだけだった。


 記憶を辿る旅はスノウとの邂逅に移る。

 ただ、どれを思い出しても顔から火が出そうなほど恥ずかしい。

 口元が震え、変な声が出てくる。


「ありがとう、ディア! けど、駄目だ! 僕は全然駄目だったんだ!! あれだけディアに手の内を見せるなって言っておきながら、得意げに次元魔法を使いまくってたんだ! それもあっちこっちで! 可愛い女の子スノウに褒められたかったのか? 新しい同僚ギルドメンバーたちに認めてもらいたかったのか? 自分の力が異常だってわかってるなら、もっと隠せよ! 自重しないと色々と目をつけられるって、なんでわからない!?」

「ああ、おまえは最低のクズだな。なに、安心していい。腹を切ったあとの介錯とどめは私がしてやろう」


 僕の自虐をセラさんは楽しそうに聞いていた。

 とてもいい笑顔で介錯を請け負ってくれる。

 

「ありがとうございます、セラさん! でも、まだ反省するべき点は一杯あるんです! ラウラヴィアのギルドマスターという立場にかこつけて、僕はやりたい放題でした! 国からの依頼のときなんて、シッダルクさんを差し置いて、我が物顔で力を見せつけて、僕は何がしたかったんだ!? 彼に凄いって言われたかったのか!? ラウラヴィアのみんなに褒めて欲しかったのか!? ああ、なんて浅ましい!!」

「……キリスト、少し落ち着こう。いや、ほんとまじで落ち着こう」


 ラスティアラは焦った声を出す。

 僕の終わらない叫びを前に、尋常でないと気づいたらしい。


 しかし、止まらない。

 止まれば、溜まった感情が腹の中で爆発する。

 そう思えるほどの感情の噴出だ。


「迷宮探索も杜撰ずさん過ぎる! 杜撰も杜撰! なに遠足気分で30層に行ってんだ、バカか!? 人の話をもっと聞けよ! 守護者ガーディアンは「無数の死者を生み出す狂気の化け物」って聞いただろ! なんで一人で行くんだよっ、剣ならまた作ればいいのに! ……ああ、こいつバカだ! バカなんだ! ごめんディアっ、僕はバカで間違いない!!」

「俺が言っても説得力ないと思うけど……。お、落ち着いてくれ、キリスト……」


 ディアが周囲の目を気にしながら、おろおろと僕を宥めようとする。


 しかし、ここで落ち着いてしまえば、吐き出せなかった感情があとで腐る。そんな予感がした。『記憶』が合わさることで加重された経験が、最悪になる前に吐き出してしまえと判断している。


 だから、僕は叫び続ける。


「30層の守護者ガーディアンなんか余裕だって!? 剣でもローウェンに勝つって!? 『舞闘大会』で勝つのは当然!? ラスティアラより弱いはずなんてないって!? ああ、恥ずかしい! どんだけ自信過剰なんだ僕は!!」


 ここまでくると、誰もが絶句だった。

 その叫びは司会のマイクに入り、会場全体にも聞こえていることだろう。


 司会も、観客たちも、見に来ているであろうギルドの人たちも、ラウラヴィアで仲良くなった人たちも、仲間であるラスティアラたちも――誰もが、僕の狂乱の叫びを、口を開けて唖然として聞いていた。


 けれど、まだまだ莫大な感情の奔流を止めることはできない。

 そもそも、ギルドマスターをやったり、『舞闘大会』に出ている時点で、もう何も隠しようがない。

 

 ゆえに恥も外聞もなく、僕は叫び続ける。

 恥は掻き過ぎたし、外聞も酷いことになってる。

 気にしていても仕方がない。


「負けたことがないとか大嘘だよ! 普通にパリンクロンに負けた! しかも完敗っ、捕縛の上に洗脳までされた! 失敗続きだ! むしろ、成功なんてあったっけってレベルだよ! ディアも、ラスティアラも、マリアも、アルティも、ハインさんも、誰も助けられなかった! 誰も助けられなかったァッ!!」


 自分でも自分の言っていることがわからなくなってきた。


 しかし、すべてを吐き出すことで、かつての秘密主義と決別できる。――というよくわからない理論が頭の隅にあった。だから、まだ叫びは続く。


「それでなんで、ローウェン、リーパーと仲良くなってんだよ! あいつらはモンスターなんだよ! ティーダやアルティと同じ存在なんだぞ、あれ! なに一緒に寝泊りして、暢気に剣術を教えてもらってるんだ!? 仲良く大会登録までしてるし!」


 スノウとリーパー――そして、ローウェンとの思い出を再確認していく。


 それはつまり、あの素晴らしい日々を思い返すということだ。

 妹と共に、遠い異世界で幸せになる夢。

 とても幸福だった日々。


 そこでは、マリアが笑っていて、信頼できる相方スノウがいた。守護者ローウェンやリーパーとは友達になっていて、国のギルドマスターとして仲間や国民には信頼されていた……。


 本当は、ヒタキとは離れ離れ、相方ディアの夢を奪ってしまい、さらに仲間ラスティアラを助けきれなかった。守護者アルティやマリアとはわかりあえず敵対してしまい、誰とも信頼関係なんて結べなかった……。


 僕は過去の失敗をなかったことにして、偽物の世界に逃げていた。


「スノウへの対応が適当すぎる! なんであいつの悩みをわかってやろうとしない! 他人に興味がないから舞踏会であんなことになる! ああなるまで気づきもしない! なったならなったでろくな対応もしない! そのあとの竜討伐なんて違和感ばかりだったろ! スノウもっ、ローウェンもっ、リーパーもっ、みんなおかしかった! 何もかもっ、気づくのが遅い! 遅すぎた!!」


 こうして、記憶の旅は、徐々に現在に近づいていく。


「『舞闘大会』の内容も酷い! 受付さんにあれだけ注意されてたのに、油断しすぎだ! エルミラードとの試合なんて最悪も最悪だ! 何を血迷って、釣られて愛の告白をしてるんだ、僕は! それも衆人環視の中で! イライラしてたからって自爆してどうする!? エルミラードに当たってどうする? 当たるならパリンクロンだろ! ほんとろくなことをしない!」


 僕は『アイカワ・カナミ』がやらかしてしまったことを思い出し、顔を真っ赤にして嘆く。

 その中でもエルミラードさんとの試合は特別だ。おそらく、人生の中でも一番の醜態を見せた。


「意思が薄弱だから、そうなる! この試合だって、もっと僕がしっかりしていれば簡単に終わってた! こんなになってまで戦う必要なんてなかった! ラスティアラの髪も喉も無事だったのに! 全部、僕の心が弱いから! ラスティアラも、ディアも苦しんだ!!」


 そして、僕はラスティアラたちの惨状に目を向け、顔を歪ませる。


 ようやく、記憶の旅は『いま』に至った。

 自虐するのは楽だが、それよりも大切なことがある。

 僕は声量を落とし、全てを吐き出した心を落ち着かせ、ゆっくりと謝る。


「けど、やっと……。やっと辿りついた……。ごめん、ラスティアラ……。あそこから連れ出しておきながら、最後までついてやってあげられなかった……。ディアも僕のせいで腕を失った上に、何度も危険に晒した……。本当に、ごめん……」


 僕は謝る。

 肩を落とし、顔を俯ける。

 長い慟哭の果て、ようやく熱が収まってきた。


「やっと落ち着いた……?」

「落ち着いてきた……。格好悪いところ見せたけど……、もう大丈夫……」


 僕は冷静に、いまの自分を理解する。


 俯瞰的に自分を『注視』して、まずは『状態』を確認する。



【ステータス】

 混乱7.48 精神汚染0.09



 ほとんどの状態異常がディアの魔法によって解除されている。

 ただ、『封印』は消え、『混乱』が残っていることからスキル『???』の危険は残っていると考えたほうがいい。


 先ほどの感情の爆発で発動しなかったのは死の危険がなかったためだろう。むしろ、精神衛生上、いまのは必要だったと判断された可能性は高い。


 瞼が重い。

 立ったまま眠ってしまいそうなほどだ。

 しかし、不眠は『状態』に表れていない。

 多くの体調不良はあれど、その全てを教えてくれるわけではないみたいだ。


 MPはゼロだが、HPは十分に残っている。ただ、体力とHPは別物ということは確認済みだ。死ぬ危険は少ないが、動けなくなる危険は残っている。


 僕は両手を何度も握り締め、どこまで戦えるかを計る。


 ――なにせ場合によっては、いまから連戦も・・・・・・・ありえる・・・・


 できれば回避したいが、そうも言ってられない。

 ここで怠ければ、前と同じ結果になる予感がある。


 記憶の戻ったいま、聖誕祭の日と同じ失敗はしない。

 二度としない。絶対しない。


 僕は現状を確認し、これからのことを必死に思考し続ける。

 不眠だとか、体調不良だとか言ってられない。

 この程度なら、まだまだ温い。聖誕祭の日の最後の絶望と比べたら、まだまだ余裕だ。


 苦しくて苦しくて堪らないが、まだ死にはしない。これより酷い状態を僕は知っている。人生の最悪までは、まだまだ遠い。


 その経験が僕を強くしてくれる。

 僕は並列思考の全てを駆使しして、これからの行動予定を練り直していく。


 どうすれば後悔をしないか。

 どうすれば乗り越えられるか。

 その計画を構築していく。


 そして、僕は最後に聖誕祭の日の誓いを思い返し、深呼吸のあと、ゆっくりと言葉を吐く。


「――ただ、格好悪くて申し訳ないけど、ここからもっと格好悪く足掻くと思う。もう取り繕いも逃げもしない。そうやって、失敗するのはもうたくさんだから……!」

「……お帰り。……『キリスト』が格好悪いのは知ってるから、別に気にしなくていいよ?」


 ラスティアラは本当に安心した様子で、僕の帰りを喜んだ。

 隣のディアも顔を明るくする。


「『キリスト』――! やっと、『キリスト』が帰ってきた!!」


 横から抱きついて、目じりに涙を浮かべてはしゃぐ。


 僕も涙を浮かべそうになる。

 長い暗闇から抜け、この眩しい光を前にして、目が滲む。


 けれど、感慨にふけっている場合ではない。


 僕が考えている通りなら、一秒も無駄にできない。

 僕はディアの肩を掴み、少しだけ身体を離して、目を見つめて話す。


「待って、ディア。――まず、お願いしたいことと謝りたいことがあるんだ。確かに、記憶を取り戻した僕は以前の『キリスト・ユーラシア』と同一人物だけど、いままで通り『カナミ』って呼んで欲しい。『キリスト』のほうが偽名で、『相川渦波』こそが本当の名前だったんだ。今度は、『キリスト』と別人の『カナミ』じゃなくて、『キリスト』と同じ『カナミ』として、僕を『カナミ』と呼んで欲しい」

「え、え……? わけがわからないよ? 『キリスト』じゃ、ない……?」


 少し回りくどかったかもしれない。

 焦ってディアのことを考えていない説明になっていた。


 僕は噛み砕いて、宥めるようにもう一度訴えかける。


「僕は『キリスト』でもあるし『カナミ』でもあるってことだよ。あの頃の僕は、何もかもが信じられなくて、余裕なんて一つもなかった。だから、『キリスト・ユーラシア』って名前に逃げてたんだ。嘘をついて、ディアの信頼を裏切っていたのはわかっている。それでも許して欲しい。もう二度と嘘はつかない。だから――」

「…………」


 ディアは呆然と僕の言葉を聞く。


 やはり、約束やルールを大事にするディアにとって、嘘の名前を使っていたことは受け入れられないことだったのかもしれない。けど、ここでしっかりと本当の渦波カナミについて話しおかないと、後々困ることになる。


 なんとかディアに納得してもらおうと、僕は言葉を足そうとする。

 しかし、ディアは僕の予想していた反応と別の反応を示し、僕ではなくラスティアラに詰め寄り出す。


「――な、なあ、ラスティアラ。なんかおかしくないか?」

「ん、なにが?」


 ディアは表情をしかめているが、ラスティアラは笑顔だ。


「ラスティアラ言ってたじゃないか。『キリスト』の記憶が戻ったら、『カナミ』のときのことは忘れるって……。な、なんだか、どっちの記憶も完璧なように見えるんだけど……」


 そんなことはない。どちらの記憶も残っている。

 純真なディアは見事ラスティアラに騙されていた。


 何適当なこと言ってるんだ、ラスティアラこいつ……。


「あー、あれね。そんなことも言ったね。ごめん、ディア。あれ嘘」

「え、えぇ! 嘘っ!? だ、騙したのか、ラスティアラ! ラスティアラがそう言うから、俺は我慢してあの服を着てたんだぞ! あれを全部! キリストは覚えてるのか!?」

「うん。たぶん、ばっちし覚えてる」


 ラスティアラはいい笑顔で頷いた。


「う、うぁああああーーーーーー!!」


 そして、ディアは顔を真っ赤にして走り出す。


「あ、逃げるな! ここでバラけるのは、まじで駄目!」

「ま、まま待て! 僕も困る! 動くな、ディア!!」


 僕も非常に焦る。

 幸い、ディアの身体能力は低い。僕とラスティアラによって捕縛され、そのままラスティアラの手で意識は落とされた。


 案の定、初っ端から計画通りにいかなかった。

 相変わらず僕は失敗ばかりだ。もう笑うしかない。


 僕とラスティアラが安心して一息ついていると、『獣化』を解いて人の形態となったセラさんが大きな外套を身に纏って、隣に立っていた。


「ディア様は気絶が安定ですね。これで安心です」

「火力が欲しくなったら起こそう。それまでは寝かしとこう。寝起きでも、カナミが壊してって言ったら何でも壊すでしょ、この子」


 セラさんがディアを腕に抱える。

 僕はラスティアラのディアに対する評価を聞き、顔を引き攣らせる。


「それただの危ない子じゃないか……。なんだか、ちょっと見ない間にディアのキャラが変わってるような気がするんだけど……」

「いや、これがこの子の素だよ。ディアは変に格好つける子だからね。『キリスト』の前では特に見栄張ってたんでしょ……」


 ラスティアラは優しい目で眠るディアを見る。

 それは、いつかのキリストがディアを見ていた目とは全く違う。真にディアを理解している目だ。


「そっか……。僕は全然ディアのことを理解していなかったんだな……。いや、理解しようとしなかっただけか……」


 何度も理解できる機会はあった。過去も性別も、強く追求すれば教えてくれたかもしれない。

 そのとき、本当のディアと出会えたかもしれない。

 けれど、それを僕は選択しなかった。


 最初の頃の僕は、異世界の人間をゲームのNPCのように見ていた。

 この世界を――妹のいない世界を信じたくなかったからだ。


 けれど、いまは違う。

 信じなければ、前に進めないとわかっている。


 ことが終われば、ディアと僕はもう一度自己紹介し合って、出会い直そう。

 そのとき、やっと僕たちは本当の意味で出会える。


 しんみりとした空気が流れる。

 そして、間が空いたことで、様子を見ていた司会が近づいてくる。


「え、えーと……、よくわからないのですが、『試合』はどうなったのでしょうか……?」

「すみません、ちょっと黙っててください」

「は、はい」


 僕は冷たくあしらう。

 余計な話をしている時間はない。あと、司会のやってきた所業に対する怒りは、記憶の戻ったいまでもちゃんと残っている。この恨みだけは絶対に忘れはしない。


 ラスティアラも司会を置いて話す。


「それでカナミ、これからどうする予定なの? すぐにでもパリンクロンを追いかけるの?」

「……まず試合を終わらせよう。……ラスティアラ、とりあえず負けてくれ」

「……え、試合? いや、パリンクロンは?」


 本音を言えば、『舞闘大会』の試合なんてどうでもいい。

 いますぐにでもパリンクロンを追いたい。

 あいつが自由に生きているというだけで不安が募る。一秒でも早く決着をつけたい。


 しかし、それこそ、あいつの思う壺だ。

 先ほど練った計画通りに動かないと、致命的な綻びが『舞闘大会』に生じるだろう。


 その綻びは、きっと僕を連合国から出してくれなくなる。

 スノウ、リーパー、ローウェン。

 この三人が僕の前に立ちはだかる。


 確証はないが、パリンクロンの作った『牢獄』が甘いはずない。

 その『牢獄』から出るには、細心の注意を払って動く必要がある。


 ただ、その計画は――


「――それは言えない」


 誰にも言ってはいけない。

 それどころか、深く考えてもいけない・・・・・・・・・・


 そのどちらでも、彼女・・に気づかれてしまう可能性がある。


 彼女に気づかれたら、この計画は終わりだ。

 彼女の性格なら、スノウとマリアの二人すらも平気で犠牲にする。

 その覚悟がある。


 時間が経てば経つほど、気づかれる可能性は増すだろう。

 迅速に慎重に、ことを進めないといけない。


「ふうむ……」


 堂々と隠し事をされて、ラスティアラは不満そうだった。

 僕の記憶が戻ったら、すぐにでも連合国から出るつもりだったのかもしれない。


 しかし、その不満の感情を冷静に押さえ込み、ラスティアラは自分の考えを話す。


「私はすぐにでもパリンクロンを追いかけるべきだと思う。あの守護者ガーディアンを倒すのは、いまじゃなくてもいい。どう見てもローウェン・アレイスはお人好しの善人だから、放っておいても大事にならないはず。けど、パリンクロンは逆。放っておけばおくほど、ろくなことにならない」

「わかってる。パリンクロンは許せない。いますぐ追うべき敵だ。――だからこそ、アルティのときと同じ間違いを繰り返したくない。このままだとあの日と同じになる」

「何を言って――?」


 ラスティアラは僕の核心をはぐらかすような言葉に顔をしかめる。

 矛盾した話をされ、苛立ってきている。


 しかし、僕は譲らない。


「――ラスティアラ、僕を信じてくれ。僕もラスティアラを信じてる」


 過去の僕のように信頼していないから隠しているわけじゃない。信頼しているから何も言わない。

 僕の真剣な訴えから、それをラスティアラは感じ取ったようだ。


 ラスティアラも真剣な表情に変え、確認するように聞いてくる。


「……私に負けろって言ってるけど。いま私と戦って勝てる?」


 ラスティアラの身体は回復魔法で完治しており、魔力もまだ十分に残っている。

 それに対して僕の身体は、いまにも倒れそうなほどふらふらだ。外傷は消えたが、体力と魔力共に空っぽだ。


「勝ち目は薄いだろうね。だから、頼んでるんだ、ラスティアラ。とりあえず試合を終わらせよう」

「とりあえず? ……あぁ」


 僕が妙な言い回しを繰り返していく内に、とうとうラスティアラは違和感に気づいてくれたようだ。僕が誰を警戒して、何を隠しているのかを察した。


 ラスティアラは小さく頷いて、わざとらしく溜息をついた。


「……はぁ」


 そして、いつもの笑顔で肩をすくめる。


「仕方ないか。カナミがそこまで言うなら、それに私は従おうかな。これからどうするつもりかよくわからないけど、とりあえず・・・・・、ここは私が負けておこう」


 そして、様子を窺っていた司会に伝える。


「『ラスティアラチーム』は降参ー。向こうも認めたから、こっちの負けにしといてねー」


 あっさりと敗北を認める。

 しかし、司会は訳がわからないという様子だ。

 

「えっと、『象徴シンボル落とし』の戦いはどうなったのでしょうか……?」

「……ああ、それなら私のほうが早く壊れたと思うよ。でも、ほぼ同時に壊れたのも確かだから、話し合って勝敗を決めてたんだよ。それで、私のチームが降参したって流れ。残念だけど、私たちの負けだね」

「え、ええ? 降参しちゃうんですか?」

「そうだよ」

「しかし、まだ戦えそうに見えますよ……? というか、カナミ選手を治したのはラスティアラ様たちで――」

「当事者同士が言っているんだから認めてくれないかな。私のチームじゃ、カナミに勝てないって判断したの。だから、私たちは降参。何かおかしい?」


 脅すかのような強い口調だ。

 ラスティアラに圧され、司会は頷く。


(は、はい、わかりました。……問題ありません。――『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』北エリア西エリア準決勝戦、アイカワ・カナミ選手の勝利です!)


 司会のアナウンスがしっかりと会場全体に響き渡る。

 これで僕が決勝に進出だ。

 まずはこれで一歩目。


 観客席はざわつき、不満の声が膨らんでいく。

 相打ちかと思いきや、いつの間にか話し合いで勝負が決まっていたのだ。不完全燃焼も甚だしいだろう。


 しかし、申し訳ないがここは我慢してもらう。

 こんな『舞闘大会準決勝たたかい』は、僕にとって前座にすぎない。

 僕の本当の戦いはこれから始まるのに、ここで完全燃焼するわけにはいかない。


 試合終了のアナウンスが響き、観客たちがブーイングを鳴らす中、僕はラスティアラに近づいて小声で話しかける。


「――これから言うことをよく聞いてくれ、ラスティアラ。無事、『舞闘大会』を乗り越えるためにやってほしいことがある」


 ゆっくりと丁寧に――そして、とても曖昧に伝える。

 無茶なことを言っていると自分でもわかっている。


 しかし、それをラスティアラは信頼の目で見返し、頷きながら黙って聞いてくれた。


 僕は安心する。

 自分自身を取り戻したラスティアラは僕を信頼してくれている。それが嬉しくてたまらない。


 けれど、感慨にふけっている場合ではない。

 これから、僕は確実に計画を詰めていかないといけない。


 『舞闘大会』。

 その本当の戦いに勝つために。 




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