352.始祖



 こうして、僕はシスさんと共に『世界との取引』の鍛錬を始める。

 ちなみにディプラクラさんは例の衣服作成のために城内へ移動し、少年レガシィ君はふらふらと城外に出て行った。


 いま庭には、僕とシスさんと陽滝の三人。

 僕は瞑想をするかのように目を閉じて、シスさんから教わった方法を反復練習し始める。


 休むことなく、何度も何度も、体内と体外の『魔の毒』を別の力に変換していく。ただ、何度繰り返しても、先ほどの視界が広がる感覚ばかりで進展がない。


 話によれば、この『魔の毒』とやらは全物質の『源』。

 やろうと思えば、陽滝のように冷気にも換えられる。つまり、まだ僕は未熟で、最も得意なものにしか変換できないだけで――


 そう。

 これはセンスさえあれば、『魔の毒』を『陽滝の病の薬』に換えられるはずなのだ。

 きっと使徒たちも、僕がその領域に至ることを望んでいる。


 ――試行錯誤を繰り返す。


「…………っ!」


 息は切れない。

 しかし、汗が止まらない。

 身体が異変を感じたのか、体温が上昇し続ける。集中力が磨り減るだけでなく、体力も如実に奪われているのがわかる。


 痛みはないが、辛い。

 けれど、僕以上に辛いであろう妹が、治療方法の完成を待っている。傍で陽滝が見守ってくれている限り、僕からギブアップすることは決してない。


 目を瞑り、『世界との取引』を繰り返す。

 シスさんの助言通りに理論よりもイメージを優先して、世界の流れを肌で感じつつ、自らの『循環機能』を意識し、『向こう側』から流れ込んでくる力とやらに集中して、それから――


「――くっ! 回りくどい・・・・・……!!」


 瞑想が一時間を越えたあたりで、とうとう僕は悪態をつく。


 僕が一番最初に躓いたのは、『世界との取引・・・・・・』――という語句・・


 その作業の難しさでなく、語句から伝わるイメージの回りくどさだった。


 使徒たちは実直に丁寧な言葉を使って教えたつもりだろう。

 世界と取引をしているのだから、『世界との取引』。

 とても単純で、とても正しく――けれど、とても表現が固く、つまらない。


「これじゃあ、イメージがしにくい……! もっと、もっと……!」


 シスさんの教えてくれたとおり、イメージが最も重要だというのは間違いないだろう。

 事実、彼女から『魔法のような何か』という柔らかい表現を聞いてから、僕は『世界との取引』は成功した。


 それはつまり、鍛錬する上で、『世界との取引』という言葉は相応しくないってことではないだろうか……。


 まるで教科書に出てくる単語のように固い。それと長い。

 いや、長いのは嫌いじゃない。長い名前を叫んだりするのは好きだ。例えば、マンガやゲームの最終技にありがちな、いままでの技を全て繋げたような長ったらしい必殺技名は好きだ。ただ、こういった地味な反復練習において、名前が長いというのは害にしかならない。妄想で大切なのは、想像に直結できる関連性――


 ――という悪癖によって、僕は『異世界』の語句に手を加えていくことを決める。


「もっとわかりやすく……。『世界との取引』は、もう『魔法』って呼んだほうが……いや、まだ……」


 まだ『魔法』とは呼べない。

 直感的に、そう感じた。


 シスさんから貰った『魔法のような何か』という助言から、こちらの世界では『魔法』という単語は唯一無二の意味を持っている可能性が高い。

 あと単純に、この二文字は僕にとって最も心踊るワードであり、『異邦人』にとって最もイメージのしやすい単語だ。開発段階ではなく完成段階での祝言として残したいと思った。


 だから、僕は次点として選ぶ。

 いまの段階で最も相応しい語句を。


「――これは『呪術・・』。

 『世界との取引』は『呪術』でいこう」


 『代償』という言葉があったときから、僕は思っていた。


 必ず何かを失う必要のある『世界との取引』は、少しダークな印象のある『呪術』という単語が相応しいだろう。個人的な感覚だが、黒っぽい力を扱う呪術師のイメージが直感的に湧く。


「『循環機能』って言葉も、もう必要ないだろ……。身体の機能なんだから、これは意識しなくてもいい。勝手に身体が行ってる。

 ――だから、これはとりあえず『素質・・』。

 『魔の毒』を分解する『素質』ってことでいこう」


 語句の簡略化を続ける。


 つまり、僕には『魔の毒』を循環させる『素質』があるということ。

 それを僕は召喚の際に手に入れた。ただ、その循環の傾向は一人一人、一つに特化されている。僕の最も得意な『呪術』は『次元の力』だった。


 ああ。

 もうこれは完全に――


「――なら、個人が有している傾向は『属性・・』だ。

 僕は次元属性で、陽滝は氷結属性。ああ、そうだ。これは『属性』以外にないだろ……!」


 いい感じに僕用になってきた。


 つまり、僕は『異世界』に呼ばれてきて、自らの次元属性の『素質』を理解し、『魔の毒に適応できる器』となって――


「この『魔の毒に適応できる器』も略そう。これは、率直に『器』。いや、『適者』のほうが格好いいか……?」


 調子が上がっていく。

 徐々に、辛いだけだった身体の熱が心地良くなっていく。


 ただ、その僕を見守る陽滝とシスさんは酷く困惑していた。

 二人の会話内容が、一応僕のところまで届く。


「に、兄さん……。それ、全部ゲーム用語……」

「んぅ? カナミがなんか、ぶつぶつと言い出したわね。変な日本語」

「おそらく、兄さんはシスたちから教わった名称に文句をつけています。いまは『魔の毒に適応できる器』を、『適者』にしようと……。はあ」

「文句……? え、名称に文句? それは、長いのが面倒ってこと?」

「いや、長いのはいいみたいです。ただ、気に入らないようで……」

「……ふうん。『適者』ねえ。つまり、『適者カナミ』って呼んで欲しいことかしら。私たちの『使徒シス』みたいに」


 シスさんが僕の名を口にしたとき、僕の脳裏に電流が走る。


 ……て、『適者カナミ』!?


 『魔の毒に適応できる器』の部分は僕の名乗りに関わっていると気付く。

 すぐさま僕は、本来の目的である短縮化を放り投げ、シスさんに呼んで欲しい名称を考え始める。


 奇をてらわない『適者』も悪くはない。

 が、欲を言えば、もう少し長いほうがいい。

 持論だが、こういった造語は口に出すとき、長ければ長いほうが口にするとき気持ちがいいのだ。いつか来る名乗りのときのため、僕は熟考する。この世界と状況に相応しいものを――


 そして、一つの単語に行き着く。

 とても自然に、その言葉は出てきた。


「――よし。『魔の毒に適応できる器』は『理を盗むもの・・・・・・』にしよう。

 つまり、僕は『次元の理を盗むものカナミ』。こうすれば、『次元の力』を使うとき、一連の手順がイメージしやすい……!」


 そこで僕は瞑想をやめて、遠くで談笑してる陽滝とシスさんをちらりと見た。

 妹は慣れた様子で僕の願いを察し、溜め息をつきつつシスさんに伝えてくれる。


「……はあ。えーっと、シス。兄さんは、『適者カナミ』じゃなくて、『次元の理を盗むものカナミ』って呼んで欲しいようです。……すみません、こんな兄で。でも、悪い兄じゃあないんです」

「盗む、者……?」


 それを聞いたシスさんは驚いた表情を見せた。

 調子に乗って変な名前にし過ぎたかもしれない。そう僕が反省しかけたとき、


「――わかるものなのね・・・・・・・・。私はいい名称だと思うわ。私も次からは『魔の毒に適応できる器』じゃなくて、そう呼ぶことにするわ」

「え?」


 まさかの称賛が返ってきて、それに陽滝は驚く。僕も驚く。


「……っ!?」


 僕のセンスをわかってくれた人は、久方ぶりだった。

 元の世界だと夢見がちだと言われ続けた僕のセンスだが、こちらの『異世界』だと普通に受け入れられるセンスなのかもしれない。


 妙な嬉しさが胸にこみ上がり、その熱を抱き締めながら目を閉じ直す。


 不思議と、今日の疲れが全て消えうせた気がした。

 この世界の『魔の毒』の流れが、より鮮明に感じられ、僕を祝福しているような気がしていた。幸か不幸か、僕たち兄妹は『異世界』に召喚された。しかし、この『異世界』は合っている。下手をすれば、『元の世界・・・・よりも・・・この相川渦波に・・・・・・・合っている・・・・・


 と思った。

 それが偶然か必然かはわからない。

 けれど、その確信の下、僕の『世界との取引』――いや、『呪術』が研ぎ澄まされていく。


 『次元の力』が僕の身から溢れる。

 明らかに先ほどよりも量が多い。

 広がっていく感覚が庭の端まで届く。

 第三の視点が頭上でなく、空に舞い上がっていくかのようだ。


 その『呪術』の進化を、シスさんも感じているようで、満ちていく魔力を目で追っている。そして、その成果を陽滝と話す。


「なっ……!? 短時間で、ここまで……!? 凄いわ! いまの名称を変える行為が、一つの『代償』になってるみたいね……!」

「え、いまので『代償』になるんですか? あんなので?」

「ええ、あれでいいの。新たな名を想い、刻み、記したという行為は立派な『代償』よ。さっきも言ったけど、この世の全てが『代償』足りえるの。とにかく、行動という『代償』さえあれば、世界の取引に介入できるわ」

「…………。そんな簡単にできちゃっていいんですか?」

「まあ、ここまで簡単にできちゃうのはあなたたち二人と、他の……えっと、『理を盗むもの』の三人を含めて、世界で五人だけでしょう。他の人間には、そもそも……『素質』? ってやつがないわ」


 シスさんは僕が勢いで決めた単語を律儀に使ってくれた上で、陽滝にわかりやすく説明していく。


 そして、最後にぼそりと呟く。それは目の前の陽滝にも届かない小さな声だったが、感覚が広がっている僕には聞こえた。


「名を『代償』ね……。少し懐かしいわ。風の子も最初、自分の名を『代償』にして、より強い風を生んでたから……」


 前例がある手段らしい。

 同時に、この世界で名前というのは大事なものであることがわかる。これもRPGの魔法の世界ならありがちだ。またもやイメージしやすくて本当に助かる。


 名前や言葉の一つ一つが力を持ち、世界に干渉するなんて……。

 本当に僕向けだ……。


 世界の僕への贔屓が、推測でなく確信に変わったとき、僕は口にする。

 考える間もなく自然に、けれど一つ一つを大切に、確かな意味をこめて――


「――『あえかに失った』『過去よ時よ懐かしき故郷よ悲しみよ』、『全ては新たな門出の祝福の為に』――」


 元の世界だとあった抵抗が、ここだと皆無に等しかった。


 ここは『異世界』。

 傍には「わかる」「いい」と言ってくれたシスさんに、家族の陽滝しかいない。


 その上、僕は過去最高に興奮していた。

 今日は初めての経験ばかりで、そのどれもが大好きなゲームのようだった。陽滝も快調に向かい始め、多くの希望が降って湧いた。さらに言えば、長時間の鍛錬による酸素不足で、若干のランナーズハイ。簡単に言うと、調子に乗りに乗っていた。


 ――その結果、詩を口ずさんだ。


 その途端、身の魔力が蠢く。

 まるで、初めて詩を聞いたかのように、純真な子供たちがはしゃぐように。

 魔力の粒子一つ一つが跳ねて、踊る。

 さらには、その体積も膨らませる。


 その意味を僕は正確に理解する。

 いま綴った詩と『異世界ここ』までの僕の人生が『代償』となって、世界がお捻りをくれるかのように、僕に『成果』を返してくれたのだ。


 庭一杯まで届いた視界が、とうとう物理的な壁を越えて、複数の塔の内部までも見通した。

 このフーズヤーズ城で生きる人々。つい数時間までは恐怖の象徴だった鋼の騎士たちの、一人一人の顔を確認する。全身鎧の中身は、どこにでもいる大人の男性たち。それに安心して、僕は広がる次元の魔力の中で、笑みを浮かべる。


 正直に言おう。

 楽しい。

 いま、僕は楽しい。


 この『異世界』で、『魔法のような何か』を駆使して、自在に操っている。

 これが楽しくなければ、今日まで僕はゲームの何を楽しんでいたのかわからない。


「ふ、ふふっ、ははははっ! あはっ、あははははははっ――!!」


 自然と笑みは大きくなって、庭全体に響いた。

 その僕に向かって、シスさんは走り寄ってくる。いま僕が行ったことは初見だったようで、かなり興奮した様子だ。


「――カナミ、どうやったの!? いま『魔の毒』が凄いことになったわよ! というか、いまのなに!? なんなの!?」


 ただ、こうやって改めて詳細を聞かれると、僕の興奮は長く続かない。

 我に返れば、これはちょっと――


「えっと、これは……。その、僕らの世界で言うところの詩といいますか……。ま、魔法の『詠唱』です……。僕は『詠唱』って呼ぶことにしました。いまの一連の『呪術』を」

「『詠唱』! いまのは『詠唱』って言うのね!! 凄いわ! 『呪術』ってこういうこともできるのね! 人の心のない私たちにはなかった発想だわ!」


 だが、その僕の感じた恥ずかしさを、シスさんが吹き飛ばしてくれる。

 ありのままに受け止めて、真正面から褒めてくれる。

 その上で、子供のように僕の真似をして『詠唱』しようとまでする。


「えっと、『あえかに失った』『過去よ時よ……――続き、何だっけ?」

「な、懐かしき故郷よ悲しみよ』、『全ては新たな門出の祝福の為に』です」

「――『あえかに失った』『過去よ時よ懐かしき人よ悲しみよ』、『全ては新たな門出の祝福の為に』!!」


 一字一句変えず、シスさんは繰り返した。

 その身から、彼女固有の輝く魔力を放ちながら。


 しかし、その魔力の量は『詠唱』を終えても、余り変わらない。


「あれ……? そんなに変わらない……? カナミ、なんで……?」

「たぶんですが……これは口にするだけの『代償』ではありません。その詩にあったものを差し出す心がなければ、世界との取引が成立せずに、綺麗な『呪術』にならないのかと……」

「ん、んー……? つまり、同時に二つ取引してるってこと……? もうカナミは、そこまで複雑な交渉をしてるのね……! もう一度、やってみるわ……! っとと、また言葉が飛んだわ。えっと、何だっけ。かっこいいけど、難しくて覚え難いのが難点ね」

「ちょっと待ってください。いま、地面に書き留めますから……」


 僕は庭の地面に、足で文字を書いていく。


 『あえかに失った』『過去よ時よ懐かしき故郷よ悲しみよ』、『全ては新たな門出の祝福の為に』のあとは、注意書きとして『かつて失った過去と大切な人を思いながら、強く願って叫ぶ』とも付け足した。


 それを見ながら、シスさんは再び挑戦しようとするが、注意書きを読んでいる途中で、冷静になっていく。


「う……。この『代償』は私には無理ね。だって、私には過去がないもの。ないものでは交渉できないわ。ねえ、カナミ。もっといい『詠唱』はないの?」

「んー。いい『詠唱』と言われましても、シスさんのことを良く知らないと、『詠唱』にはできないと思います。これは形だけの言葉の羅列ではなく……その、心がこもってますから」

「心、か……。それなら仕方ないわね。残念……。けど、そのうち私用の『詠唱』も用意してね。約束だから!」

「はい、約束します。いまは陽滝優先ですが、いつかはきっと」


 力強く頷いて、この約束は忘れまいと心のメモ帳に記す。

 このシスさんの為ならば、いくらでも用意してあげたいと僕は思った。


 そして、僕たち二人は和やかに微笑み合い――ただ、その隣で、ジト目の陽滝が僕を睨んでいた。


「兄さん……。いま自分が何をやってるかわかってます?」

「え、何って……。この世界の『呪術』を、より自分のものにしようと――」

「純真無垢でいたいけなシスを騙して、自分色に染め上げようとしています。悪い男にも程がありますよ」

「いやっ、そんなことしてないから! 普通に助言し合ってるだけだから!」

「はあ。……どうだか」


 まるで僕がシスさんを誑かす悪いやつみたいな扱いだ。


 そんなことはないと思って、シスさん本人に否定して貰おうと思ったが、彼女は先ほど諦めたはずの『詠唱』を少し遠くで繰り返していた。バッと変なポーズをつけて、『全ては新たな門出の祝福の為に!』と叫んで、「んー、上手くいかないわ。心、心、心。人の心をこめて、詩を謳う……」と呟いている。


 もう僕の考えた『詠唱』に夢中も夢中だ。……正直、パッと見、大学生の外人お姉さんが中二病を煩っているような光景だ。そして、まっさらだった彼女に感染させたのは、間違いなく僕だろう。


「んん……。まあ、『詠唱』は本当に使える技だと思うから、多少は……」

「ええ、多少は自分色に染まって欲しいんですね。よかったですね、兄さん。元の世界ではいなかった趣味の理解者ができて。しかも、その相手は、生まれたての超絶美人さん。刷り込み放題でしたね。ああ、本当にお見事です」

「と、棘が多い。……というか、生まれたてって、やっぱりそうなの?」


 薄らと察していたが、深くは聞かなかったことだ。

 それは使徒を名乗る三人の来歴について。それを先んじて召喚された陽滝は知っているらしい。


「ええ。この『世界の主』という偉い人が、身動きできない自分の代わりに地上へ送り込んだ存在が『使徒』らしいので……実は、あの三人とも、私たちより年下ですよ。ただ、それぞれが、それぞれの姿に引っ張られているので、差が出ているようですが」

「三人とも……!? ディプラクラさんだけは違うと思ってた……」

「ディプラクラの感性も相当おかしいですよ。老人の姿に合わせて、理知的な振る舞いをしていますが騙されてはいけません。あれも未完成。人を学んでいる最中です」

「そっか……。いや、でもディプラクラさんが冷静で優しい人なのは確かだとは思うよ」


 ディプラクラさんがいなければ、今日の話は倍以上の時間を使っていただろう。

 いま、僕が落ち着いて鍛錬に集中できているのは、彼の気遣いがあってこそだ。


「……ですね。兄さんの言うとおりです。彼が一番冷静で、心優しいのは確かです」

「うん。まだちょっとしか話してないけど、陽滝を任せられるだけの人柄だと思ったよ。元の世界で会ってきた大人の医師たちよりも、ずっと……」


 多くの患者と向き合う必要のあった医師たちを非難するわけではないが、元の世界で僕たち兄妹が煙たがれていたのは間違いない。

 少なくともディプラクラさんは、陽滝を患者という数字でなく、血の通った個人として扱ってくれている。仕事でなく、使命感で治そうとしてくれている。


 だから、僕は陽滝を任せられると心から思えた。

 鍛錬なんて悠長なことをする余裕が生まれた。でも――


「でも、全てをディプラクラさんだけに任せて、僕は休んでなんかいられない。僕にもできることがある以上、もっと……!」


 雑談を打ち切り、また僕は目を瞑り、『呪術』に集中していく。


 『次元の理を盗むもの』となったことで、いまの僕の『素質』は十分だ。『詠唱』を通じることで、『魔の毒』が何にでも形を変えることも確定した。


 語句を定義したことで、よりイメージは強固となり、確信に変わってきている。

 ここまで、僕は使徒たちの説明に半信半疑だったけれど、もはや全てが現実であり、必然であるとしか思えない。


 いま僕は『次元の理を盗むもの』。

 そう使徒たちに望まれた以上、その『理想』に応える。



 ――僕は『次元の理を盗むもの』であり、決して『■の理を盗むもの』じゃない。



 だから、できる。

 使徒たちだけじゃない。陽滝の期待にだって応えられる。


 あの病気を治す『呪術』を、いま、ここで作ってやる。


 ディプラクラさんのおかげで、原因が『魔の毒』であるのはわかった。どのような原理で、どのような作用が起きて、どのような現象となっているかはわからないが、『魔の毒』が悪さを働いているのは間違いない。


 ならば、身の全ての『魔の毒』を余すことなく、別のものに換える『呪術』。

 もちろん、換えるのは冷気といった危険なものじゃなくて、むしろプラスになるもの。


 例えば、いま僕の身体に溜まっている『魔の毒』を、変換するならば――


「ほ、本当に筋がいいわね。あなたの兄……。正直、予定と随分違うわ。病床の天才より、健常の凡人なのかしら……?」


 僕が自分の身体を使って試行錯誤をする間、シスさんと陽滝は会話をする。

 僕の『次元の力』の性質上、その会話は全て耳に届く。


「きちんと私は言いましたよ? 兄さんも優秀ですって。思い込みが激しい性質なので、こういうのに向いているとも言いました。……なにより、兄さんは誰かの期待に応えるためなら、限界を超えられる人です。そこだけは、この私にも劣りません。ええ、決して兄さんは私に劣らないんです。世界で一番かっこいい兄です。間違いなく」

「すっごい期待してるのね。……でも、渦波が優秀な理由はそれだけなのかしら? もしかしたら、『呪術』は弱者のほうが優先されるのかもしれないわね。世界は強者よりも弱者を救いたがっているって、聞いたことあるし」

「……そうですね。そういった色んな要素が上手く噛み合った結果、こうなっているのだと思います」


 二人の会話を聞き流しながら、イメージを加速させる。

 まだまだ試したいことはある。


 ――力は力でも、『人の生きる力』に変換しよう。


 『魔の毒』を人間の活力に変換するイメージ。

 さらに気力体力といった燃料エネルギーに換えるだけでなく、肉体そのものにも換えていくイメージ。


 まず細胞の一つ一つに染み渡っている『魔の毒』を、その細胞の類似品に変換する。

 もちろん、全く同じものではない。

 そんなことをすれば、二重に存在してしまった細胞が干渉し合い、体内で破裂する。


 普通ただの代わりでは駄目だ。

 より高次元の『魔法のような何か』で構築された血肉。

 皮膚の代わりにも、肉の代わりにも、骨の代わりにも、血の代わりにも、神経の代わりにもなる細胞で――血肉でありながら、『物質としての質量を持たない細胞』が理想だ。


 通常の理に縛られることはない。

 ここは『異世界』で、僕は『次元の理を盗むもの』で、『呪術』を使っているのだから、できて当然と思い込む。


「よし……! これで……!!」


 こうして、僕は『身体の筋肉の量は変わっていないけれど、筋力を高める』という少し危険な実験を、自分の身体で成功させる。


 それを言葉で表現するならば、もちろん――


STRストレングスが1上がった……! 次は――」


 他の補完も可能かどうか、再実験する。

 『魔の毒』を持久力に変換できれば、病の治療には理想的だ。


 他には免疫力。瞬発力。神経の伝達速度。脳領域の拡大。

 増加させたい人間の機能は、いくらでもある。


 集中しろ。

 できる。

 ここが、そういう世界なら、できていい――!


「人のVITバイタリティを、高めるイメージで……!」


 僕はゲームのキャラメイクで行う初期ポイント振り分けの感覚で、自分の体内にある『魔の毒』を全て、人が生きる力に変換していく。


 その工程に澱みはなかった。

 できるという確信の下に、全く問題なく『魔の毒』を変換していく。


 ――途中、ふと集中が途切れる。


 妙に身体が軽くなって、爽快感が頭の中を駆け抜けたのだ。


 僕は瞑っていた目を開けて、両の手の平を軽く打ち付け合う。

 パァンッと、大きな音が鳴った。続いて、骨に届く強い衝撃。


 明らかに普通ではなくなっていた。

 いや、僕の身体は普通のまま。何も変わっていない。

 けれど、その身体の中に僕の新たな力が宿っていた。その力が、筋力でないのに筋力を助けている。『魔法のような何か』で構築された『物質としての質量を持たない細胞』が、『物質としての質量を持つ細胞』と重なり、身体の動きを補助してくれている。

 それが、わかる。


「は、ははは……。まるでゲームみたいだ……。あとは、これを陽滝にも……」


 陽滝にも試したい。

 だが、同じ『呪術』を成功させる自信がなく、立ち止まる。


 全く同じイメージをしろと言われても難しいものだ。

 とりあえず、イメージの手順をまとめたものを作ろうとして、僕は無心に足の先を動かして、地面にメモを取り始める。


 ――『肉』『細胞』『コピー』『非物質』『浸透』『補助』『筋力』『体力』『速さ』『賢さ』『変換』――


「うん、『変換』だ。……この工程のことは『術式』って、とりあえず呼ぼうか」


 僕はメモのとおりに、同じ『術式』を辿って、同じ『呪術』を行う。

 自分の身体に残った『魔の毒』が空になるまで、その『術式』の完成度を高めていく。


 絶対に全く同じ『呪術』となると確信できるまで何度も何度も……。

 そして、数十分後には――


「――よし」


 『魔の毒』を『物質としての質量を持たない細胞』に換える『呪術』の『術式』が完成した手応えを得る。すぐに僕は、新しい『呪術』を評価してもらおうと、見守っていた師にお願いする。


「シスさん、見てください。安全かどうかの確認が欲しいんです」


 陽滝と話し込んでいたシスさんは急に話しかけられて驚き、こちらに聞き返す。


「え、できたって何が?」

「『魔の毒』を変換させる『呪術』です。それも、『素質』のままに変換するんじゃなくて、ちゃんと『人の生きる力』に変換するやつです。たぶん、これで完璧だと思います」

「え、ええ? もう……? まだ、半日も経ってないのに、そんな簡単にできるはずが……」

「だから、見て欲しいんです。いきなり陽滝に使うには不安なので……。ちなみに、これを僕は呪術《レベルアップ》と呼ぶことにしました」


 僕は早口でシスさんを急かす。

 すぐにでも見てもらいたかった。

 陽滝のためという以上に、いま自分が作り出したものを自慢したいという気持ちがあった。


 ただ、僕の世界に疎いシスさんでは、ゲーム用語のイメージを上手く捉えられないようだった。先ほど異世界の言葉を聞き返していた僕のように、言葉の意味を問う。


「れ、れべるあっぷ……? れべるあっぷってなに?」

「『魔の毒』を消費して、『人の生きる力』に換えるイメージの『呪術』です」

「んぅ……?」


 なかなか理解してもらえないので、僕は説明よりも実際の『呪術』を見せたほうが早いと思った。

 目の前で自身に残っている最後の『魔の毒』を、『呪術』で変換していく。


「兄さん、レベルアップって……。それ、もう完全に……」

「これが一番自信あったんだ。シスさんの説明どおりなら、このイメージ方法が僕に向いてる。――呪術《レベルアップ》」


 止められる前に僕は、名を口にして、『呪術』を発動させる。

 もちろん、続くのは『呪術』を補佐する『詠唱』。

 これ専用のオリジナル『詠唱』だ。


「――『汝、刮目し省みよ』『その命の輝きを識れ』、『我に在り、汝に在る』――」


 今回、僕が『代償』とするのは自らの『魔の毒』。

 正当な手順を踏むことで、『次元の力』でなく、『人の力』に変換していく。


 《レベルアップ》が成功と同時に、僕の身体が淡く発光し始める。


 不吉な薄暗い『魔の毒』が、光の粒子となっているのだ。そして、その輝きは僕の身体に染み込んで、消えていった。


 その様を見て、シスさんは大口を開けて驚いてくれる。


「――っ!! す、凄い……! カナミの中の『魔の毒』が、全部消えた……! 代わりに、なんか存在感? が増して、力強く……!!」

「私の目から見ても、兄さんの身体から悪いのが消えたのがわかります。これ、もうこの世界の『魔の毒』の問題は解決じゃないんですか?」

「――っ! は、早く、カナミ! それ、カナミ以外にもできるのか試しましょう! その呪術れべるあっぷってやつ!」


 シスさんは急いで、『呪術』の使用を促す。

 使徒の一番の目的である『魔の毒』の除去手段が、降って湧いたのだ。興奮する気持ちは分かるが、できればもう少し落ち着いて評価をして欲しい。


「えっと、シスさん……。いまの『呪術』の感想を……」

「なにも心配ないわ! すごく綺麗な『呪術』だった! もうカナミは私以上と認めてあげてもいいわ!!」


 というより、いつの間にか僕は師であるシスさんを超えていたようだ。

 このために呼ばれた存在が僕たち『異邦人』とはいえ、こんなにも師匠超えが早いとは思わなかった。


 つまり、もう呪術《レベルアップ》はシスさんの手の外ということ。

 これの責任は開発した僕にしか取れない。

 当然ながら、躊躇いが胸中に生まれる。


 しかし、陽滝が僕の手を取り、


「兄さん、お願いします。信じていますから」


 全ての不安を払ってくれる。

 もう僕に迷いはなかった。

 すぐさま、治療に取り掛かる。


「わかった。じゃあいくよ、陽滝。――呪術《レベルアップ》」


 その呪術のイメージは同じ。

 だが、今度は対象が違う。

 よく知った自分でなく、他人の『魔の毒』に働きかけるのは別次元の難度だ。体内の細胞を一つイメージするだけでも、勝手が違い過ぎる。


「――『汝、刮目し省みよ』『その命の輝きを識れ』、『我に在り、汝に在る』――!!」


 しかし、術者が僕で、対象が陽滝の場合――不安は一つもない。

 僕たち兄妹ほど、よく互いを知り、気持ちを通じ合わせ、仲の良い二人はいない。


 僕は『詠唱』によって、その『呪術』の力を強めていく。

 陽滝の体内にある『魔の毒』を全て、『人の力』に変換していく。特に、重点的に生命力や体力を増やし、あらゆる病への免疫力を高めていき――


「くっ――、ぁアッ――!!」


 しかし、途中で陽滝の悲鳴があがった。

 僕のときのような晴れやかな表情でなく、苦悶が浮かんだことに驚く。


 いま僕の呪術《レベルアップ》は発動し、陽滝の体内の『魔の毒』を消し去った。

 なのに、陽滝は膝を屈する。


「し、失敗……!? 陽滝、ごめん! 大丈夫!?」


 すぐさま僕は陽滝に駆け寄り、その身体を支えた。

 その後ろをシスさんもついてくる。ただ、陽滝を心配するのでなく、その症状の変化をつぶさに観察していた。


「渦波、失敗ってわけじゃないわ。ちゃんと陽滝の『魔の毒』は消えてる。でも、解決にはなってないみたい……」

「消えたのに? どうして……!?」

「よく見て。……『魔の毒』が消えたおかげで、原因が少しわかりやすくなってるわ」


 シスさんは僕にも冷静な観察を求めた。それが、いま最も必要なことであると、『呪術』を使った僕だからこそ理解できていた。

 僕は気持ちを家族から医師に切り替えて、状況の把握に努めていく。


 陽滝の身体を診る。


 苦悶の表情は無視して、皮膚に張り付いた汗の量を測る。手首を掴んで、体温と脈拍を知り、最後に例の『次元の力』を使って、陽滝の体内も視通す。


 体内の『魔の毒』は空っぽとなっていた。

 ここは予想通り。

 しかし、陽滝は苦しんでいる。


 先ほどまでと大きく違うところがあるとすれば、周囲の『魔の毒』の動き。

 陽滝の『魔の毒』の吸引が、格段に強まっている。乾いたスポンジのように、陽滝の身体が周囲の空気中に含まれた『魔の毒』を吸い込もうとしている。空っぽにしたことで、吸引が活性化しているようだ。


「どうやら、陽滝の症状は出入りが一番の問題みたいね。他の人と違って、器が大きすぎるのが原因? いや、単純に器に皹が多いから、出入りで痛むのかしら? ふうん……。なるほどねー」

「痛みの原因は、出入り……? つまり、出入りを防げば、陽滝の身体に痛みが走ることはないということかな……? なら――!」


 僕は次の問題がわかり、すぐさま解決に取り掛かろうと新たな『呪術』を作り出そうとする。だが、それをシスさんは止める。


「いいえ、カナミ!! まずあなたは、いまの呪術れべるあっぷに集中すべきよ! 残念にも陽滝には意味をなさなかったけれど、吸引体質でない人間には効果的なはず! ちょっと待ってて!!」


 僕に動くなと指示を出したあと、シスさんは走り出した。

 

「え、え? シスさん! 僕は先に陽滝のほうを解決したいんだけど……って、足速い!!」 


 返答を終えたときには、もう彼女の背中は庭の奥で小さくなっていた。その細い身体に似合わない俊足ぶりに唖然としていると、僕の背中に陽滝が声をかけてくる。


「兄さん……。いまはできるだけ、シスに従いましょう。すでに私たちは、病の進行を止めてもらい、命を救ってもらったという恩があります。私の身体なら、まだ余裕はありますから、そう焦る必要はありません」

「余裕はあるって言っても、痛みがあるんじゃ……」

「そこまでの痛みではありません。以前と比べると、本当に……。兄さんなら、わかりますよね?」


 言いたいことは分かる。

 いまの陽滝の顔は、数日前の彼女の顔と比べ物にならないほどに血色がいい。汗一つ流れることのなかった危機的状況から考えると、余裕があると言えるだろう。


「……そうだね。今日の陽滝は元気だ。本当に……元気だ」

「ええ、元気です。だから、この元気にして貰った恩を、まず彼女たちに返しましょう。私の細かな治療については、そのあとに考えても遅くはありません」


 陽滝はギブアンドテイクの手順を、きっちり守ろうとしている。

 先に与えられたのだから、次はこちらが返す番。

 そんな人として当たり前の誠実さを、僕に期待している。


 だから、僕は不満が喉の奥に詰まっていても、それを吐き出すことはできなかった。

 陽滝本人が大丈夫だと主張する以上、ここで僕が勝手に動くのは余計なお節介に過ぎない。


「わかった……。陽滝がそう言うなら……」


 僕は身体から力を抜いて、言葉なく頷き返した。

 それを見た陽滝は微笑む。


 その妹の笑顔を眺めながら、僕は心の隅で疑う。


 ――本当に・・・


 僕は妹の演技力を誰よりも、よく知っている。

 たとえ、骨折ほどの激痛でも、いまのように微笑むことができるだろう。その上で彼女は、他人を慮って一人で痛みを抱えてしまうような優しい女の子だ。


 僕は陽滝が致命的な状態になるまで、その病の深刻さに気付けなかった前科がある。


 ――まだ安心はできない。もう二度と・・・・・僕は陽滝に・・・・・騙されはしない・・・・・・・


 そう僕が心に誓っていると、庭の奥からシスさんが帰ってくる。

 思っていたよりも早い帰還だ。


「渦波、陽滝! 連れてきたわ! 次の実験台! 丁度、近くにいてよかったわ!」


 シスさんは一人の少女を抱きかかえて、僕たちの傍まで走ってくる。そして、その少女を乱雑に地面に降ろして、胸を張った。


 荷物のように持ち運ばれた少女は混乱した様子で、きょろきょろと周囲を見回す。

 その少女を見て、まず陽滝が目を丸くする。


「シ、シス……! その方は、この城のお姫様では……?」

「ええ、そうだけど……。それがなに?」

「お姫様相手にできたばっかりの『呪術』を試すのは、流石に……」


 お姫様と呼ばれた少女の顔に、僕は見覚えがあった。

 白とも黄色とも判断のつかない輝く長い髪を垂らし、薄い服を二枚ほど重ねて着ている姿。間違いなく、今日『異世界』に来たばかりのとき、塔の頂上で出会った少女だ。


 その覚えたばかりの名前を僕は口にする。


「『ティアラ』……?」


 それを聞いた少女は、びくんっと肩を強く震わせたあと、身体を硬直させる。

 そして、僕を見て、同じく覚えたばかりだろう名前を口にしてくれる。


「『カナミ』……?」


 僕を認識した瞬間、ティアラは右往左往するのをやめて、のろのろとした動きで僕の背中に隠れた。

 自分を荷物のように扱ったシスさんと初対面の陽滝を警戒しているようだ。


「え……? 兄さん、彼女と知り合いなのですか?」


 当然だが陽滝は疑問を口にする。

 僕の『異世界』での知り合いは、使徒たち以外にいないと思っていたのだろう。


「え、ああ……。ここに迷い込んで逃げてたときに会って、ちょっと助けてもらったんだ。名前はティアラって聞いた……」

「……へえ」


 ぽつりと一言だけ、陽滝は返答した。


 それ以上は何も言ってこない。ただ、じっと僕を――それとティアラを見て、何かを考え込んで動かなくなった。


「さあ! ティアラ! 約束どおり、私の呼んだ『異邦人』が、憐れなあなたを救って――って、日本語じゃ駄目ね! ええっと、フーズヤーズの言葉は……!」


 途中でシスさんは言語を切り替える。

 そして、呪文のようにくぐもった言葉で、僕の背後に隠れるティアラに話しかけていく。


「『――――、――――――』! 『――――』!!」


 言葉の意味はわからない。

 けれど、その洪水のような声を聞いていくうちに、少しずつティアラの警戒が解けていく。心底驚いた様子で僕を見たあと、その姿をゆっくりと全員に晒した。


「渦波! ティアラを説得したわ! 彼女は乗り気よ! ほらっ、やってやって!」


 シスさんはキラキラの目で、僕の『呪術』を心待ちにする。しかし、僕は彼女の許可を鵜呑みにするつもりはない。


 僕は僕の背後から出てきた小さな女の子に近づいて、しっかりと目と目を合わせて、彼女自身の気持ちを探っていく。


「『ティアラ』、本当にいいの……?」


 言葉は通じなくとも、空気ニュアンスは伝わるだろう。


 その自信があった。なにせ、ついさっきまで僕とティアラは空気ニュアンスだけで話をして、お互いの言葉を教え合っていた。このくらいの短いコンタクトならば、可能なはずだ。


「……『カナミ』。『信じる』」


 それに対しティアラは、僕を見つめ返し、胸に手を置き、片言で答えた。


 日本語ではないけれど、知っている言葉だった。

 彼女は僕に教えた言葉だけを使って、自分の意志を表明する。


「『きっと』『このために』『私たちは』『出会った』」


 そして、ティアラは一歩前に出て、僕の手を取って目を瞑った。


 短い会話だったが、信頼の空気ニュアンスがよく伝わってくる。言葉が足りないからこそ、その表情と仕草から彼女の内心が読み取れる。


 ――いまティアラは信頼と共に、運命も感じている。


 そして、同じくらい僕も、彼女との奇妙な縁に戸惑っている。この『異世界』にやってきてから初めて心を許せた人というだけのことだが――この先、彼女とは死ぬまでの付き合いになるような気がした。


 全ては勘違いかもしれない。

 出会いは、ただの偶然だったのかもしれない。


 けれど、ティアラの握った手から伝わる体温を感じていく内に、僕の迷いは確信に変わっていった。


「……わかった。絶対に成功させるよ、ティアラ。――『汝、刮目し省みよ』『その命の輝きを識れ』、『我に在り、汝に在る』――」


 また同じ手順を踏み、『詠唱』を唱え、目を瞑っているティアラの体内の『魔の毒』に働きかけていく。


 その工程は、とてもスムーズだった。


 妹である陽滝のときよりも――いや、下手をすれば僕自身に使ったときよりも、呪術《レベルアップ》の通りがいい。


 本当に運命を感じる。

 全ては、このとき、ティアラのためにあったとでも言うように、それは成功する。


「――呪術《レベルアップ》」


 呪術を完了し、ティアラの身体が淡く発光した。


 『魔の毒』が『人の生きる力』に換わった証だ。

 これで、もうティアラは理不尽に体を蝕まれることはないだろう。身体の隅々まで、新たな力で満ちている。何度も咳き込んでいた呼吸器も、以前より強化されたはずだ。


「ティアラ……。たぶん、成功したと思う……」


 そう声をかけると、ゆっくりティアラは目を開けた。

 そして、僕を見て、その周囲の景色を見て、目を丸くする。次に自分の手の平を見て、身体を震わせる。少しずつ嗚咽を漏らしていく。


「『う』、『うぅ』……。『うあぁあああ』、『あぁああああ』――!!」


 また失敗が頭によぎり、僕はティアラに駆け寄ろうとする。

 しかし、僕が向かうよりも先に彼女は駆け出した。


 目の前の僕の胸に飛び込み、抱きついて――


「『ありがとう』……。『カナミ』……」


 お礼を言った。

 視線を下げて、その彼女の顔を確認して僕は安心する。


 両目からは涙が零れているが、その笑顔から痛みはないとわかる。病とは縁のない人生だった僕には想像できないけれど、止め処ない感情が溢れていることくらいは察することができた。


「うん……。『よかった』……」


 だから、僕は一言。

 教わったばかりの言葉でティアラの解放を祝福し、



「『―――・・・・・』……。『――――――・・・・・・・・』」



 顔をあげた彼女は僕にはわからない言葉で答えた。


 耳と鼻は真っ赤で、涙でぐしゃぐしゃだけれど、満面の笑みだ。きっと、飾りのない心の底からの歓喜の言葉だろう。


 それを僕は我がことのように喜び、シスさんは我が手柄のように高笑いする。


「ふ、ふふっ、ふはははは! やったわ! 成功してる! 大した量ではないけど、確かにできてる! 普通の人の循環ができてる! 今回も私のおかげね! ディプラクラじゃなくて、このシスの!! ふふっ、あーっははははっ!!」


 その隣では陽滝が胸を撫で下ろしている。

 今日一番のとても深い溜め息と共に。


「……はあ。……少しドキドキしましたけど、成功してよかったです。やっぱり、兄さんの『呪術』は完璧だったようですね。問題があったのは、私の身体のほう」


 妹的には、安全確認のできていない『呪術』をお姫様にかけるのは少し反対だったのが窺える。


 だが、結果的には大成功に終わった。

 身体を蝕まれていた異世界の人間を、あるべき姿に戻し、世界の『魔の毒』の総量は僅かながらも確かに減った。


 いま僕の胸の中に一人目の成功者がいる。

 色々あったが、たった一日で大前進だ。


 もしかしたら、この世界の危機なんて、すぐ解決するかもしれない。

 その次は、陽滝の身体の究明だ。こちらも数ヶ月もあれば解決して、僕たちは一年後にはみんなで笑顔で幸せな生活を送っているかも――なんて淡い夢を頭に浮かべて、僕は笑う。


「ははっ、よかった……。ははは、本当に、よかった……」


 少しだけ夢心地な気分だった。


 無理もない。

 たった一日で僕の世界は塗り変わり過ぎた。


 『異世界』に呼ばれ、妹の命は救われ、お姫様と出会って、『魔法のようなもの』が使えるようになって、世界を救う一歩目を歩いたなんて……。


 ――正直、出来すぎている・・・・・・・


 けれど、だからといって喜ぶティアラやシスさんを否定するわけにもいかないだろう。陽滝の体調の改善を、他でもない僕が「嘘だ」と言えるわけがない。


「よかった……。ははは……」


 こうして、僕はいつも通り。

 聞けば終わりかもしれないと怯えて、本当は聞かないといけないことは聞けないまま。

 駄目だった世界は捨てて、全く違う世界で新たな人生を始めていく。


 その物語の一日目は、何一つ失敗のない始まりだった。

 一日目は、まだ僕たち四人は――

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