353.雛形たち


 異世界の物語が始まってから――数日。


 僕と陽滝は、少しずつ新たな環境に慣れ始めていた。


 正直、元の世界と比べると文化レベルの低い世界だ。

 城内に用意された上等な部屋で生活していても、現代人的な不満が度々出る。水を初めとした食事関連に、衛生観念や慣習。例を挙げればキリがない。


 それでも、前にいた世界より、ずっと世界は明るかった。

 いつ家族を失い、独りぼっちになるかわからないという恐怖がない。陽滝と一緒ならば、太陽が暗雲に遮られていても天国だ。


 もし異世界に一人だけで召喚されていたら、きっと僕は不安で発狂していたことだろう。下手をすれば、熱いシャワーを浴びられないというだけで癇癪を起こしていた可能性すらある。


 そんな冗談を思い浮かべられるほど、僕には異世界での生活に余裕があった。


 ――その余裕の中、僕の新たな一日が始まる。


 目覚めたのはフーズヤーズ城の一室。

 広さは十畳くらいで、天井が異様に高い造り。床には無地の絨毯が敷き詰められ、その上にはベッドやテーブルといった最低限の家具が置かれている。広さの割りに物の少ない部屋だ。聞いたところ、昔は調度品などがたくさんあったらしいが、国の財政難が続き、国外からやってきた商人たちに掻っ攫われたらしい。このことから、この小国フーズヤーズの状況が窺える。

 

 その部屋で共同生活を送っている僕と陽滝は、同時に目を覚まし、一日の始まりの準備をしていく。


 その途中のことだった。部屋の扉に軽めのノックが響き、僕らの許可を得たあと、一人の侍女が部屋に入ってくる。


「おはようございます、カナミ様、ヒタキ様。今日はディプラクラ様からお二人にお届け物がありますよ」


 癖の強い赤毛を垂らした女性は、明らかに日本人ではなかったが、何の引っかかりもなく日本語を話す。


 これもまた僕たち兄妹の異世界適応の成果の一つ。

 僕が呪術《レベルアップ》を開発している間に、陽滝が別の呪術を完成させたのだ。


 木陰で僕を見ているだけでは暇だから休むついでだと、陽滝は言っていたが……尋常でないことは間違いない。

 そのときの陽滝の言葉は、本当に軽かったのでよく覚えている。


「ああ、なるほど。兄さんのおかげで、大体わかってきました。つまり、日本語を『代償』にして、異界語を世界に要求すればいいんですね? もう私は、こちらの言語をマスターしていますからね。『日異辞書』なるものを頭の中に作って、それを『術式』にすればいいだけの話。そして、小難しく考えず、小説や映画の吹き替えをするイメージで――」


 と、その数日後には、呪術《リーディング》なるものが完成していた。

 初日の僕とティアラの努力は何だったのだろうかと思えるほど、あっさりな問題解決である。


 これが陽滝にとっては、休むついでなのだ。

 もし妹が万全だったのならば、僕の存在意義などないかもしれない。


 そんなちょっとしたコンプレックスを感じながらも、僕は陽滝の呪術《リーディング》に感謝する。これで僕はティアラと二人で、長々と拙い言語の交換をしなくて済む。こうして、異世界人である侍女さんとだって交流ができる。


「おはようございます。……届け物って、もしかして、例の服かな?」

「はい。ディプラクラ様が製作したヒタキ様用の衣装です」


 にっこりと侍女さんは笑って、手に持っている織物を持ってきてくれる。

 ちなみに彼女は、ずっと僕たちの身の回りの世話をしてくれている専属の侍女さんで、こうして毎朝起こしに来てくれている。


 僕は彼女から渡された織物を受け取り、それが以前に約束していたものであるとわかり、歓喜の声をあげる。


「――っ! やっぱり! 届けてくれて、ありがとう! これで陽滝の症状が和らぐよ!」

「い、いえ。私は侍女としての役目を果たしただけで……」


 織物を小脇に抱えて、両手で侍女さんの手を握って感謝を述べた。そして、すぐに陽滝に手渡し、部屋の出口に向かっていく。


「陽滝っ、ほら! 例のやつだ! 僕は外に出てるから、いますぐ着替えて!」


 僕と着替えを求められた陽滝は、溜め息と共に承諾していく。


「……はあ。そう大声を出さずとも、着替えますよ。少し待っててください」


 すぐに部屋着を脱ぎ始めた陽滝を置いて、僕は侍女さんと共に部屋の外へ出る。侍女さんは陽滝に着替えの手伝いを申し出ていたが、優しく首を振られて断られていた。


 僕は部屋の外の廊下に出て、その通路の窓の外を見ながら身体を揺する。

 興奮で落ち着くことが出来ない。

 陽滝の病状が一つずつ解決され、改善されていくのが嬉し過ぎる。なにせ、この異世界に来るまで、ずっと僕は悪化していく姿だけを見てきた。その期間があったからこそ、喜びが何倍にも感じられる。


 こうして、いまかいまかと陽滝が部屋から出てくるのを待つ中、隣の侍女が声をかけてくる。


「カナミ様」

「ん、なに?」

「今朝、私の妹が自分の足で動けるようになりました。カナミ様の奇跡を賜わったおかげです。あれから、本当に……、あの子は見違えるように元気になって、その……」


 業務に忠実な侍女さんには珍しく、私事を僕に話していく。それは、この数日の間に行った呪術《レベルアップ》の実験についてだった。


「よかった! あのあと、元気になったんだね。妹さんは、いままで見てきた中でも一番の重症で、声も出ない状態だったから……実はちょっと心配だったんだ」

「はい、妹は終わりを待つばかりでした。けれど、いま妹は生きています。カナミ様のおかげで、今朝も挨拶を交わすことができました……」


 数日前、例の『魔の毒』によって侵された侍女さんの妹に対して、僕は呪術《レベルアップ》を施した。


 経緯は単純だ。専属の侍女さんとは長い付き合いになると思って、初日に色々と聞いた結果――ティアラと同じ病で末期の妹がいるとわかったのだ。


 他人事だと思えなかった僕は、すぐに妹さんの居場所を強引に聞き出して、できうる限りの治療を行った。その成果が、今日になって色濃く表れたようだ。


「でも、まだ油断は禁物だよ。治りかけのときほど、要注意だからね。なにより、僕の呪術は実験段階で、まだまだ未完成だから――」

「カナミ様の力は奇跡です!! 今日まで、私は『魔の毒』によって息絶える友人を何人も見てきました……! きっと妹も、同じようになると! そう、私は思っていました……! けれど、カナミ様の奇跡の力によって! 妹はっ、妹は……!!」


 侍女さんは話していくうちに涙ぐみ始め、頬を紅潮させ、僕の両手を強く握った。そして、僕以上に興奮して、何度もお礼を言う。


「ありがとうございます、カナミ様……。本当にありがとうございます。いつか、この奇跡の恩は姉妹共々、必ずお返しします……」

「う、うん。ありがとう」


 僕は侍女さんの熱意に押され、他の言葉を口にすることはできなかった。

 実験的な要素を含んだ治療だったので、本当は多くの注意点を伝えたかったのだが、聞いてくれそうにない。


 しかし、その気持ちが僕にはよくわかる。

 というか、異世界初日の僕も、シスさんに対して同じ剣幕だったはずだ。他の人から見たら、いつも僕はこんな感じなのか……と反省をしていると、部屋の中から陽滝が出てくる。


「……はあ。少し目を離すと、これです」


 呆れ顔の陽滝が、例の衣装に身を包んで現れる。

 何よりもまず、僕は目を凝らして、陽滝の症状の変化を確認する。いつも通り、陽滝の周囲には濃い『魔の毒』が停滞している。しかし、それが体内に入っていくスピードが格段に遅い。もちろん、出ていく場合も同様だ。


「すごい。これがディプラクラさんの作った『魔の毒』を弾く服……!」


 世界の『源』である『魔の毒』の動きを完全に遮断するのは不可能とはいえ、それに近い効力を持った衣装だ。

 僕の強引な呪術とは違い、この異世界特有の繊維の性質を上手く活かしている。使徒の名に相応しい一品だろう。


 僕が感嘆で言葉を失う中、陽滝の呆れ顔が深まる。


「いや、兄さん。他に言うことありませんか?」

「ひ、陽滝様! よくお似合いです!」


 僕が答えるよりも先に、隣にいた侍女さんが諸手を挙げて、陽滝を褒め称えた。

 それを聞き、陽滝は呆れ顔から笑顔に変わる。


「ええ、ありがとうございます。……これです。兄さん、まずこれです」


 笑顔になれど、僕に対しては、まだ対応が辛らつだ。

 その意味が分かり、とりあえず内心を口にする。


「え? ああ、うん。陽滝だから当たり前だけど、似合ってるよ。色もデザインも僕好みだ」


 白を基調にした服で、派手さよりも清廉さの色が強い。デザインは異世界特有で、元の世界では中々見られない形状だ。服の裾から覗く手足の動きから、機能性は十分であると見て取れる。総じて、ディプラクラさんの仕事は見事と言わざるを得ない。


「……はあ。どうも」


 ただ、陽滝はお気に召していないのか、僕の目の前で大きな溜め息をついた。


 ちゃんと侍女さんの言葉を繰り返したにも関わらず、こうも不満そうな顔をされるのは少し理不尽だ。そう僕が思っていると、侍女さんは頭を深く下げて、別れの挨拶をする。


「…………。それでは、これで私は失礼します。いつもの場所でいつもの仕事をしていますので、もし何かあれば気軽にお申し付けください」

「ええ、お仕事頑張ってくださいね。私たちも例の場所で、いつも通りです」

 

 陽滝は僕のときと違って、侍女さんには満面の笑みを作って送り出す。僕も去っていく侍女さんの背中に「頑張ってください」と声をかけて、見送った。


 そして、残された僕たちは、ゆっくりと廊下を歩き出す。

 つかつかと床を鳴らしながら陽滝は先導していき、その後ろを僕がついていく。その途中、おもむろに陽滝は、また溜め息をつく。


「はあ」

「……え、怒ってる?」

「色々な意味で」


 と短く陽滝は答え、もっと新調した衣服のことを褒めるべきだったと僕が後悔し始めたとき、


「――なぜ、私に黙って、メイドさんの妹を治療したのですか?」


 思ってもいなかったことを聞かれる。

 どうやら、扉越しに侍女との話を聞かれていたようだ。


「それは……。聞いてしまった以上、放っておけなかったんだ。僕の呪術が安全かどうかわからなくても、やらないよりはやって後悔したほうがいいって思ったから」

「ええ、安全確認の問題もありますね。けれど、今回の一番の問題は、一人助けてしまうとキリがないということです。きっと、あの侍女は自分の妹に『異邦人』が奇跡をもたらしてくれたと周囲に吹聴することでしょう。それを知った多くの患者が、兄さんのところまでかけつきますよ? それに全て対応できますか?」

「……全員を治すは無理だと思う。でも、手の届く範囲は助けたいとも思ってる」

「そこで「助ける人は選り好みする」って言ってくれないから、私は不安なんです。はあ、ティアラだけなら、王族だからという言い訳ができたのに……。まさか、ちょっと目を離した隙に、メイドの女の子を治すなんて……」


 ここまで陽滝が繰り返すということは、僕がやったことは想像以上によくなかったらしい。


 けれど、こればっかりはどうしようもないと思う。

 数日前、あの侍女さんたち姉妹の話を聞き、その少女を前にしたとき、僕の頭の中は真っ白だった。なぜだかわからないが、絶対に助けるべきだと思ったのだ。そう、理由がわからないけど、僕は――


「けど、それが兄さんのいいところですけどね。困っている人がいると周りが見えなくなるところも、普段は抜けているところも……。とても兄さんらしい・・・・・・です」

僕らしい・・・・……?」


 僕自身、理由をつけられない衝動に対して、陽滝は僕らしいから仕方がないと言った。


「ええ、兄さんらしいです。なので、もう諦めます……。ふふ」


 陽滝は微笑んで、これ以上の追求をやめる。

 僕も同時に、これ以上の反省をやめて、答えを出す。


 侍女さんの妹を治したのは、僕らしい行動だったらしい。

 ならば、これから先も僕は同じ場面に遭遇したとき、同じ行動を取るだろう。

 だって、それが陽滝の兄『相川渦波』なのだから――


 それを再確認したところで、僕たちは廊下を歩き切り、建物の外に出る。

 そして、フーズヤーズ城のすぐ隣にある塔に入っていく。


 敷地内にある中で、最も高く、最も広い塔だ。小さめの城と言っていいほど立派な外観をしている。

 とはいえ、内部は複雑な造りになっておらず、物は非常に少ない。石造りの床と壁に、高めの天井のみ。何か目的があって建てたものの、途中で放棄されたのが丸分かりの空っぽっぷりだ。


 その空き塔を、いま僕たちは呪術開発に使わせてもらっている。


 すぐに僕は部屋の中心に移動して、実験を始める。


 『魔の毒』の問題を解決する新たな呪術開発だ。使徒たちからは《レベルアップ》の広範囲化が指示されているが――こっそり僕は陽滝の体質改善の呪術を優先している。


 ただ、この数日は余り変化がない。

 初日は目覚ましい呪術開発をしてみせた僕だが、あの《レベルアップ》以上のものはまだ一つもできていない。

 ちょっとしたスランプの中、今日はどのようなアプローチで呪術に取り組むべきかと、元の世界でのゲームや漫画を思い出そうとしたとき――


「――おはよう! また来たよ、師匠!!」


 三人目の塔の利用者が入ってくる。


「おはよう、ティアラ」

「おはようございます、ティアラ」


 このフーズヤーズのお姫様の一人、ティアラ・フーズヤーズだ。

 塔の中でティアラを迎え、いつもの挨拶を僕たち兄妹は返す。

 

 そこに言語の壁はない。

 陽滝の呪術《リーディング》によって、ティアラと僕たちは同じ国の生まれのように話せる。


 ちなみに師匠とは僕のことである。

 呪術を教える約束をしてから、ずっとティアラは無邪気にそう僕を呼んでいる。最初は止めたのだが、『師匠』を封印すると次は『救世主様』と呼ぼうとするので、仕方なくだ。


 ティアラは僕の隣に座り込み、自身の『魔の毒』に干渉していく。


「さーて。今日こそ、《レベルアップ》ってやつを私も使えるようになるぞー」

「では、私は《リーディング》を調整しつつ、ティアラを見ていましょうか」


 あれからティアラは、身体を治してもらったお礼をしたいと言って、僕たちと行動を共にしている。その立場上、城内では我侭が通りやすく、時間も有り余っていたので、本当に四六時中ずっと一緒だ。


 そして、僕の呪術開発に協力してくれている。とはいえ、まだ一歩目の呪術《レベルアップ》を学んでいる段階だが……。


 陽滝は塔内に持ち込まれた書物を読み始めた。こちらの世界の知識と言葉を少しで増やし、呪術《リーディング》の翻訳精度を高める狙いだろう。


「ん……? ティアラ、何してるんだ?」


 二人の様子を見ていると、ティアラが妙なものを持ち込んでいるのを見つけた。

 なぜか羽ペンを持ち、大量の羊皮紙を床にたくさん広げている。


「今日は《レベルアップ》の『術式』を紙に書き留めて、私用に直していこうかなって! 正直、師匠の考えた『術式』っての難し過ぎ!」


 どうやら、呪術《レベルアップ》を習得するのにアプローチを変えるつもりのようだ。


「……そんなに難しかった? あれ、イメージしやすくていいと思うんだけど」

「あー、また出た! 師匠ってば、隙あらばナチュラルに天才様っぷりを見せつけようとする! そういうのって凡人のやる気を削ぐからやめてよね!」

「え、えぇえ……? いや、陽滝と違って、僕は天才じゃないって……」

「私から見たら、どっちもやばいよ! 『異邦人』ってだけで、もう話すこと全部エキセントリック!」


 わたわたと両手を振り回し、ティアラは抗議する。


 彼女は数日前の呪術《レベルアップ》によって、本当に元気になった。初めて会った頃のイメージとは大きく変わってしまったが、床に伏していたばかりの生活から解放されれば、誰でもこうなるだろう。


 その僕とティアラの会話の途中、陽滝が立ち上がって近づいてくる。


「んー、まだ会話の翻訳が少し変ですね……。直しましょう。まず捕まえて……。――呪術《リーディング》っと」


 そして、騒ぐティアラを後ろから抱き締めて、容赦なく呪術の実験台にした。


「わわっ! 陽滝姉! いきなりはやめてよ! ぞわっとするから!」

「……はあ。やめません。そのぞわっとしてるティアラを見るのが好きなので」


 僕に対する溜め息と違い、恍惚とした表情で陽滝は息を吐いた。


「えぇ!? もうちょっと本音を隠そうよ!?」


 年が近いおかげか、すぐに陽滝とティアラは仲良くなった。

 ティアラは陽滝を姉のように扱って慕っているので、僕たち兄妹に新しい妹ができたような感覚がある。


 僕はイチャつく二人の間に、会話で割り込んでいく。

 こいつらは放っておくと、延々と話を脱線させ続けるのだ。


「ティアラ。それよりも《レベルアップ》の『術式』の話なんだけど、そんなに駄目だった?」


 あの呪術は、あれからシスさんやレガシィも使えるようになった。

 だからこそ、僕は自信を持って、同じ『術式』をティアラに薦めていたのだが……。


「いや、駄目じゃないよ。あれは呪術として、たぶん完璧。ただ、完璧すぎて、普通の人にとっては高度過ぎるなーって私は思ってる。あれを正しく理解できるのは、師匠たち『異邦人』や使徒様たちだけだよ」


 《レベルアップ》のイメージは、その名の通りに元の世界の文化が詰め込まれている。それ自体は間違っていないが、そのイメージがこちらの世界の人が習得する際に大きな壁となっているのかもしれない。


「師匠、私はね。この呪術《レベルアップ》を、この世界の誰でも習得できるようにしたいんだ。師匠たち数人が使える程度じゃ、世界の『魔の毒』の量は大して変わんないからね。もしこれを世界のみんなが使えるようになったら、すっごいよね。どんと世界が変わるよ!」

「世界のみんなが使えるように……?」


 自分たちのことばかり考えている僕たち兄妹と違って、ティアラは自分でない誰かのことを考えていた。

 その志の高さと輝きに僕は目を眩ませ、陽滝は彼女の頭をわしゃわしゃと撫で続ける。


「あー、いい子ですねー。ティアラはほんといい子で可愛いですー。世界の為とか、誰かの為とか、私たちでは絶対に出てこない言葉ですからー。はぁー」

「ティアラ、おまえ……」


 僕たち兄妹は感動し、真っ直ぐな光を放つ少女を見つめる。


「いやっ、身の丈に合わないこと言ってるってわかってるよ! まだ私は呪術を一つも習得できていないのに、こんなこと言って……!」


 ティアラは何か勘違いしたのか、顔を赤くして首を何度も振った。

 すぐに僕は、謙遜する彼女を否定する。


「いや、ティアラ。そのおまえの考えは立派だよ。僕は応援する。……僕が異世界の文化で考えた呪術を、ティアラがこちらの世界に合わせて作り直す。いい役割分担だ」

「うん……。私はそんな感じでみんなに貢献できたらいいなあって思ったんだ」


 ぼそりとティアラは呟いた。彼女なりによく考えている言葉だ。

 僕や陽滝には『異邦人』としての強みがあって、ティアラには『現地人』としての強みがある。その考える力さえあれば、『素質』は劣っていても彼女は僕たちの大きな助けとなるに違いない。


 そして、ティアラは自分のできる範囲で恩返しをしようとしているのがわかったところで、広間に新たな来客が現れる。

 

「――渦波、陽滝! 貴重な澄んだ水を持ってきたわ! 飲みなさい!!」


 水差しを持ったシスさんが、壊れるくらい乱暴に扉を押し開けて入ってきた。

 そのまま、靴の踵で石の床を打ち鳴らし、僕の傍に近寄ってくる。


「大丈夫、渦波? 怪我してない? 何かあったら、すぐ私に言いなさい。なんとかしてあげるわ」


 呪術開発に集中していた僕の身体を、無遠慮にまさぐり始める。触診で異常がないかを確認しているのだろうが、その行為自体が僕の体調悪化を誘発している。


「シ、シスさん……! ちょっと……!!」

「むっ、顔が赤いわね。熱があるとまずいってディプラクラから聞いたわ。えーっと、確か熱を計るときは、こうやって……」


 僕は素早くシスさんを押し退けようとするが、彼女の異常な膂力によって逆に押し返された。その上、顔を近づけられる。

 互いの額を合わせるつもりなのだと、すぐにわかった。だが、彼女のような美人にそんなことをされては、顔の熱は高まるばかりだ。


 その意味を理解しているティアラが、僕とシスさんの間に割り込んで、無理やり引き離してくれる。

 

「シス様、近過ぎます! もっと離れてください!!」

「え、え? なんで……?」


 それにシスさんは純粋に不思議そうな顔を返す。


「なんでって……むしろ、なんでそんなにシス様は、師匠の体を気にするんですか?」

「それは簡単な話ね。渦波の身体は、私にとってとても大事なものだからよ」


 答えられることには、すぱっと即答する。シスさんのいいところではあるが、それを聞いたティアラは神妙な顔になり――


「シス様は……その、師匠のことが好きなのですか……?」


 とてもデリケートなところに、すぱっと彼女も切り込んでいった。

 それにシスさんは当然のように、また即答を返す。


「好きよ。好きじゃないと、こんな風に何度も会いに来ないわ」

「……っ!!」


 ティアラだけが目を見開いて驚く。

 ただ、いまの発言がシスさんにとって異性を意識したものでないことは、ティアラ以外はわかっている。少し遠くで見守っていた陽滝が、やれやれと肩をすくめて一言質問する。


「……シス、兄さんのどのあたりが好きなんです?」

「そりゃあ、使えるところよ! 渦波の身体ほど、世界の礎とするのに向いているモノはないわ! 渦波、この調子でどんどん呪術を極めなさい! ただ、その身は世界に捧げる大事なモノだから、失敗は許さないわ!」


 わかっていたことだが、モノ扱いの上での「使える」発言である。

 僕は安堵と落胆の半々の感情を抱きつつ、「はい、精進します」と頷き返した。それにシスさんはガキ大将のように踏ん反り返って、「よろしい!」と喜ぶ。


「とのことです。大丈夫ですよ、ティアラ」

「……う、うん」


 陽滝はティアラに笑いかける。

 その意味を僕は理解していたが……、目の前のシスさんと話を続ける。


「聞いたわ聞いたわ、渦波ぃー。また新たな呪術が増えたようねー。ふふっ、ふーふっふー! ディプラクラのやつ、なーにが十世代かけての長期計画よ! 渦波と陽滝の代で、全部終わるわよ! あははっ! この調子だと、主の言っていた本当の・・・魔法・・』が使えるようになるのも近いわ! 近いわぁー!」

「いや、まだ『魔法・・』って呼べるほど便利なものは一つもありませんよ……? 本来のあるべき力に変換する《レベルアップ》と違って、他のは『代償』がほんときついですから」

「そうなの? ちょっと前に聞いた限りでは、きついなんて私は思わなかったけれど……」

「いや、軽く発火させるだけなのに記憶が吹っ飛ぶとか、そんなものばかりですよ……? きついです。明らかに割に合ってません」


 ゲームだと基本中の基本である『火をおこす呪術』を、もう僕は開発し終えている。ただ、その『術式』は正直なところ失敗であるといわざるを得ない。

 そのふざけた『代償』を例にして、僕はシスさんの言葉を否定していく。


「普通に火をおこすよりは楽じゃない? 記憶をちょっと削ったくらいで、あのめんどくさい作業を丸カットできるのだから……私は素晴らしいと思うわ!」

「シスさん。人にとって記憶ってのは、とても大切なものなんです。記憶を失うくらいなら、誰だって木を使って火をおこすでしょう。だから、まだまだ……僕の呪術は未完成です」

「そういうものなの? ……まあ、いいわ。渦波は他の人間たちと違って、手を抜くことがないってのはわかってるから。ふふふっ、きっとすぐに《レベルアップ》もパワーアップして……。『魔法のような何か』を超えて、本当の・・・魔法・・』になるわ!」


 シスさんは最近、ことあるごとにその単語を口にする。

 それは僕にとっても一番の目標でもあった。


 いつか呪術を極め、陽滝を治し切り、世界も救えるようになったとき――僕は記念に呪術を『魔法』と呼称することを決めてある。

 だからこそ、僕はシスさんに誓う。


「ええ、約束します。いまは無理だけど……いつか、これを『魔法・・』って呼べるものにします。この命の限りを尽くして、必ず――」

「命の限りを尽くすのは当然よ! 世界のため、身を粉にして働くのは、約束するまでもなく、人の当然の義務なのだから!」

「そうですね……。それでも、いま約束させてください。シスさんと」

「……? ああっ、もしかして、この会話も呪術の一つ? 何かの『代償』になってるの?」

「流石、シスさん。これは呪術と言えるほど立派なものではありませんが……近いものです。言うなれば、『契約』ですかね」


 僕は昨日考えたばかりの『術式』に、イメージ固定の為に格好よさそうな名前をつける。

 遠くで陽滝が「またですか」と呆れた顔をしている気はするけれど、気にせず続ける。


「『契約』……」

「はい。口にしたことを守ると、世界に向かって誓うんです。世界はいつだって僕たちを見守ってくれてるってわかりましたから……。それだけで、ちょっとした『代償』になって、ちょっとした意味と力が生まれるはずです」


 力が得られるほどの『代償』ではない。だけれど、普通の口約束とは違う意味を持っていると、根拠はないけれど僕は確信していた。


「わかったわ。私と『契約』をしましょう。渦波」


 その確信をシスさんも持ってくれたようで、珍しく真剣な表情で答えてくれる。


「いつか必ず、私に本当の・・・魔法・・』を見せるように。『契約』よ」

「はい。『契約』します」


 頷き合い――瞬間、視線を感じる。

 同じ部屋にいる陽滝やティアラではない。この世界が『契約』を見届け、立会人になってくれたような感覚だった。


 こうして、僕は視察してきたシスさんに開発報告を続けていく。


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