142.軋みに気づけない
帰る途中、リーパーは僕の作った指輪を見て首をかしげる。
「何それ?」
「ああ、魔法道具を作ったんだ」
手のひらに乗せて、指輪『晶盾』をじっくりと見せる。
「お、おー! これが魔法道具ってやつ!? キラキラの指輪だねー!」
「別に触っていいよ。じっくり見ればいい」
自分の作品が褒められると、妙に嬉しくなる。僕は一丁前にクリエイターとしての喜びを感じていた。
「ねっ、つけていい?」
「もちろん。というか、それはおまえにやるよ。元々、誰かにあげるつもりだったんだ」
「やったー! つけよー! ……ん、む、むむ? 上手く入らないなー、あ、ここなら綺麗に入る!」
リングの大きさは適当だ。
アリバーズさんは僕の仲間を察して小さめのリングを用意してくれたが、正確な数値は伝えていない。
その結果、リーパーの指で丁度はまったのは――左手の薬指だった。
「ん、ん……?」
その習慣があるのは僕の世界だけのはずだ。
たまたまだろう。気にするのは、そのことを知っている僕だけだ。なので、僕は特に何も咎めないことにする。
「どう、お兄ちゃん。似合う?」
「あ、ああ。よく似合っているよ、リーパー」
リーパーは嬉しそうに左手の薬指にはめた水晶の指輪を眺める。
その習慣はないとわかっていても、異様な恥ずかしさが残る。しかし、こうも大喜びしているリーパーに水を差したくないので、別の指に代えてとは言えない。
そのまま何も言わず、執務室の《コネクション》を通ろうとして――スキル『感応』が
その警報の音は乱暴で、このままでは死の危険すらあるとまで叫んでいた。
唐突な忠告に身体を硬直させる。
「――!?」
「うわっ! ど、どうしたの? お兄ちゃん?」
突然に歩みを止めたせいで、リーパーが僕の背中にぶつかりかける。
振り返り、困惑しているリーパーを置いて、スキル『感応』が発動した元を見つける。
リーパーの薬指の指輪。
これをつけたまま戻っては危険だ。そのことにすんでのところで気づく。どうやら、鍛冶で集中力を使い果たし、頭が茹っていたようだ。こんな簡単な方程式の答えにも気づけないなんて。
「あ、ああ、すまない。リーパー、悪いんだけど、その指輪はしまっててくれないか?」
「え? うん、いいけど……」
「あまり人には見せびらかさないでくれ。一個しかないから……」
「わかった!」
リーパーは素直に頷き、お腹あたりにある横空きのポケットへと指輪をしまった。
それと同時に、スキル『感応』のけたたましい
「ふう……」
一安心する。
あと少しで無用の面倒ごとが増えるところだった。
深呼吸を繰り返して、緊張を解く。
そして、
次元を越え、船の甲板へと移動する。
船上特有の揺れと潮風を感じつつ、周囲を見回す。
甲板には大きめのテーブルが置かれ、その上に多種多様な料理が配膳されていた。その周りを仲間たちが囲んで座っている。お腹を空かせながら談笑している様子から、僕が来るのを全員で待っていたことがわかる。
「あっ、おかえりです、カナミさん。そこへ座ってください、昼食にしましょう」
マリアは遅れた僕を怒ることなく、優しげに席へ
ラスティアラあたりは遠慮なく不満を漏らしていたので、「遅れてごめん」と謝りながら席へつく。
そして、全員で食事を摂り始める。
新鮮な魚料理が主体の豪華な昼食だ。おそらく、スノウたちが釣ったであろう魚全てを使い、刺身から焼き魚まで揃っている。
醤油なんて気の利いたものはないので、柚子に似た果実の汁を使って魚を食べていく。
ただ、見たことのない異世界独特の料理は手が出しづらい。
パイ包みに似た料理はあったものの、食べ方がわからないので様子を見続ける。気心知れた仲間たちが相手とはいえ、礼儀知らずと思われたくない。
その様子を不信に思ったマリアが不安げに聞いてくる。
「えっと、カナミさんの嫌いなものでもありましたか……?」
「いや、僕に苦手な食べものはないよ。ただ、初めて見る料理だから、みんなの食べ方を真似ようと待っていただけで……」
「ああ、なるほど。気になさらないでいいのに。……では、私が選り分けてあげますね」
「ありがとう。お願いするよ」
マリアは小皿を使って、パイ包みの料理を選り分けようとする。
その献身的な姿は、まるで新婚の伴侶のように健気だ。ついこの間、お嫁さんになるとか宣言していた
ちなみに、スノウは満足げに料理を頬張っているだけで、マリアの手伝いをしようとはしない。
そして、マリアが料理を分けているのを見て、リーパーが身を乗り出す。
「あっ、マリアお姉ちゃん! 私の分も!」
リーパーは手元にあった小皿を、向かいにいるマリアへと手渡そうとする。
当然、身体の体勢は伸びきっている。
――スキル『感応』の
ここで重要なのは、リーパーの服がぶかぶかであるということだ。
30層へ出現したときに魔力で生成した外套と似ている黒い服だ(リーパーはこれを好んで着ている。愛着があるらしい)。
「――!?」
リーパーが強引に身を乗り出したため、たわんでいたぶかぶかの服も伸び切る。結果、いい加減にしまっていたリーパーの指輪が、懐から落ちかけようとしていた。
激戦をくぐりぬけた僕の身体が咄嗟に動く。それは思考でなく、反射の域だった。
リーパーと同じように身を乗り出して、彼女の懐にある指輪へと手を伸ばす。
「リーパー!!」
「え、ええ、え!?」
無詠唱で《ディメンション・
体内の魔力が急沸騰し、脳に電撃を走らせる。続いて、全身に奔った電流が全細胞を叩き起こす。
覚醒した意識により、世界はスローモーションのように動いていく。刹那の世界の中、僕の右腕がゆっくりとリーパーの懐へと伸びていく。そして、指輪がこぼれ落ちる前に、僕の手がそれをなんとか掴み、懐の中へと押し戻すことに成功する。
「――よし!」
「え、なに!? お兄ちゃん!」
突然のことにリーパーは戸惑っていた。
僕は『並列思考』で状況を確認し、最適な言い訳を導き出す。
「……あー、えっと。リーパーの服が料理につきそうだったんだ」
「あ、ありがと……、お兄ちゃん」
リーパーは顔を赤くして、お礼を言う。
僕は礼は要らないと答えようとしたところ、どん引きしているマリアの声が挟まれる。
「カナミさん、いつまで手を突っ込んでるんですか……。リーパーの服の中、裸なんですから、それ以上は、その……」
その言葉の意味を理解するのに、時間がかかった。
理解したとき、身体が凍りつく。同時にスキル『感応』の
安心したところへ
しかし、このまま硬直しているわけにはいかない。早くリーパーの服の中から手を抜かないと、セクハラだと思われてしまう。ただ、スキル『感応』の
そして、慌てて手を抜こうとして、ポケットの中身が落ちてしまう。
テーブルの上に、ころんと水晶の指輪が落ちる。
エンゲージリングと同じ意匠を凝らした指輪が太陽光を反射して輝く。
いままでの苦労が水の泡になる無情の輝きだった。
「ん、リーパー、なにそれ……?」
隣に座っていたスノウが目ざとくそれを見咎める。
「え、これ? さっき、お兄ちゃんからもらったんだ」
「え、カナミから……、指輪……?」
「――っ!?」
即座に『並列思考』を限界まで展開する。
演算と呼べるほどまでに脳は急回転する。間違いなく、今日の速度は過去最高を記録しているだろう。
「指輪だって!」
「指輪!?」
「指輪!?」
ラスティアラは嬉々として叫び、ディアとマリアが呼応する。
全員がちらちらと指輪を見ているのがわかる。
スキル『感応』『並列思考』《ディメンション》――だけでなく、僕の持てる全てが動員しているのがわかる。いまの必死さなら、《
僕は動揺を顔を出さずに、考えた言い訳をすらすらと口にする。
「――あ、ああっ、それねそれ。それ
よどみなく言い切る。
僕の全能力を費やした言い訳で、やましいことは一つもないと訴えてみせた。
「そ、そういうことですか」
勢いに押されて、まずマリアが納得する。
そして、他のみんなもマリアと同じように頷いてくれた。
ふう、助かった。
迅速な対応によって、最悪の事態は免れたようだ。
「え、えと、私は服より指輪がいいかな? こう、契約の証とかになりそうな、指輪……! うん、指輪がいい……!!」
スノウが何か言ってるような気がするけど無視する。
もう乗り切ったことにさせてくれ……。
苦笑いを顔に貼り付けて、僕は全て誤魔化す。
しかし、話は終われど、皆の視線はリーパーの指輪へとちらちら向けられているのがわかる。
本当に油断だった。
左手薬指にはめるのが僕の世界の習慣とはいえ、指輪自体はこの世界でも結婚式で使うものだ。それを女の子に贈ったとなるとみんなが過剰反応するのは当然だ。
せめて、腕輪とかにすればよかった。
そして、この小さな油断のせいで、みんなへ服を贈ることが確定してしまった。
憂鬱なため息が出てしまう。
おそらく、誰かに装備を渡すたび、今日のように言い訳を重ねないといけないだろう。僕にとってはパーティーの強化のつもりでも、彼女らにとっては異性からの贈りものになってしまう。
それを考えるだけで、僕の胃がちくちくと痛んでくる。
なまじ、スキルによって最悪の事態を察知し、回避できてしまうのも辛い。
真綿で首をしめるかのように、少しずつ胃壁がボロボロになっていくのを、何もできずに耐えるしかないのだ。
その後、パーティー全員の欲しいものを聞くはめになり、いつかそれをプレゼントしなければならなくなった。本当は無骨で機能的な装備を配りたかったのだが、それが実現するのはずっと先だろう。
結局、途中からマリアの美味しい料理の味はわからなくなり、数少ない楽しみである昼食の時間はいつの間にか過ぎていった。
◆◆◆◆◆
昼食を食べ終えた僕たちは、迷宮探索の準備を進める。
『持ち物』の中にあるアリバーズさんから貰った武具を確認していると、船の壁に背中を預けたラスティアラが話しかけてくる。
「ふっ。迷宮探索はそろそろのようね……?」
自信満々の様子だ。
ただ、昼食の片付けを手伝わずに、ずっとそこで待っていたのを知っているので、いまさら格好つけても遅い。遠足を待ちきれない子供にしか見えない。
相変わらず頭おかしいものの、しかし、その気持ちはわかる。
「自信ありげだな、ラスティアラ」
「進化した私に期待しなさい。鮮血魔法の真価を、今日見せてあげるわ……!」
ラスティアラは足元から赤い霧を発生させてにやりと笑う。
見た目少し格好いいが、ただのMPの無駄である。
しかし、仕方ないので僕も応えて見せる。これでも一緒に特訓した仲だ。
『アレイス家の宝剣ローウェン』を取り出し、空気中に水晶の粒子を散布する。
点描のような輝きが散る中、にやりと笑ってみせる。当然これもMPの無駄だ。
「僕もだ。親友ローウェンとの友情パワーを、今日お見せしよう……」
「ふふふ」
「ふふふ」
悪役のように笑い合う。
僕もパワーアップした自分の力を見せびらかすのが楽しみなのは確かだ。
そして、延々と笑い合う気持ち悪い僕たちにつっこみが入る。
「カナミさん、ラスティアラさん、一体何やってるんですか……」
操舵室の上に洗濯物を干し始めているマリアは呆れ返っていた。
昼食の片付けを終えたあと、すぐ次の仕事に取り掛かったようだ。本当に仕事が速い子だ。誰とは言わないが、どこかのお嫁さん志望とかいう妄言をのたまっている
「何って、迷宮探索の準備だよ! さー、マリアちゃん行こっ! 私が頼りになるお姉ちゃんだってところ見せるから!」
ラスティアラは鼻息を荒くして、マリアを階下へと誘う。
それに乗っかって、僕も手招きする。
「さあ、行こう、マリア。前とは違うから、期待してくれ」
しかし、マリアは少し困った顔を見せる。
「えっと、すみませんが、私は今日行きませんよ? あとディアも」
「って、ええ、あれ!? なんで? マリアちゃんなんでぇ!?」
特訓の成果を見せびらかすことができないことに、ラスティアラは不満一杯だ。
「だって、本気で洗濯物がたまってるので……」
「そんなのスノウにでもやらせとけ!」
僕もラスティアラと同じ気持ちなのでマリアの参加を訴える。
「スノウさんがやってくれるならやらせてますよ……」
マリアは苦い顔で答える。
つまり、話は持ちかけたもののスノウは拒否したということだ。
「あいつ……! ――魔法《ディメンション》!」
船内にいるスノウを探し出す。
部屋に一人でいたスノウは、びくっと肩を震わせたあと、突如首を振る。そして、宙に向けて「えへへー」と笑って誤魔化し始めた。
おそらく、僕の《ディメンション》の発動宣言を振動魔法《ヴィブレーション》で聞き取っていたのだろう。その上で責務から逃れるための先手を打ってきたというわけだ。
というかあいつ、日常生活での盗聴を止める気配が全くない……!
「いいからこっちこい、スノウ……!」
聞こえているであろうスノウを呼び出す。
すると、スノウは顔を青くして走り出した。
「あっ、逃げるなこら!」
スノウは眠っているディアの元へと真っ直ぐ向かっていた。
また他人に取り入って、なんとか難をやりすごそうとしているのが丸わかりだ。
僕は笑顔でマリアに言う。
「うん、マリア。ちょっと、スノウのやつを捕まえてくるから。待ってて」
「いえ、そこまでしなくても構いませんよ? もうリーパーとセラさんに、迷宮探索の代わりをお願いしていますので……」
甲板の端に居たリーパーとセラがこちらへ合流してくる。
「というわけでっ、気が向いたよ!!」
「ディア様とマリアに頼まれたからな。参加させてもらおう」
なぜか、メイド服で上機嫌のセラさんがリーパーを肩車していた。
僕の知らぬところで少しずつパーティーの交流は深まっているようだ。そして、セラさんは僕以外と概ね良好の関係を築いている。いいことだ。
たぶん、僕が頼んでもセラさんは参加してくれなかっただろう。
「つまり、今日は僕、ラスティアラ、リーパー、セラ?」
「そうなりますね」
マリアは洗濯物をぱんぱんと広げ、手早く干していく。話している間も、全く手は止めていないのだから大したものだ。
「見事に前衛のみだな……」
ゲーム的な思考をする僕は、パーティーバランスの悪さに気分が悪くなりそうだった。
そこへラスティアラがフォローを入れる。
「待って、カナミ! せっかく魔法の特訓したんだから、今日は私たちが後衛をすればいいんじゃない!?」
「そ、そうだな……。そういう日があってもいいかもな……」
悪い方向ばかりへ考えるのはよそう。
ラスティアラのポジティブさを見習って、今日の探索は新しい戦術にチャレンジしよう。その経験が思いもしないところで役に立つかもしれない。
ただ、あとでスノウはとっちめる。
まず、ヴォルザークさんから頼まれた通り、収支計算の帳簿をやらせる。正直、僕は数字を忘れないので必要ないが、それでもしてもらおう。
スノウは話がまとまったのを盗み聞きして、額の汗をぬぐいながら満足そうな顔で歩いていた。
今日も自由でご満悦の様子だ。いつか、引きずってでも迷宮に連れて行ってやる。
そう誓って、僕は二度目の迷宮探索へと向かった。
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