165.崩壊
「――
その事実に直面して僕は、
「え?」
ハイリにとって、その反応は予想外のものだったらしい。
口を開けて呆ける。
『
らしいが――けれど、それはまだ
この場合の対応は、もう『並列思考』で考え終えている。
「そのくらいなら大丈夫。だから、行くよ。もし千年前の『相川渦波』が、僕と代わりたいなら代わってもいい。マリアにも言ったことだけど、別に『陽滝』を助けるのは僕じゃなくてもいいんだ」
聖誕祭の終わりの絶望は、こんなものじゃなかった。
あの苦しみと比べれば、この程度の話あってないようなものだ。
まだまだ希望は残っている。
僕が『
別にすぐに死ぬというわけでもないし、陽滝とディアを助けられなくなるわけでもない。
余りに温い。
「そ、
心外なことに、ハイリは狂人を見るかのような目で見つめてくる。その誤解を解くために、僕は淡々と説明していく。
「ハイリの言うとおり、僕は『始祖カナミ』の記憶ってやつがある。だから、知ってるんだ。……そいつはすごく妹想いで、仲間を大切にしてて、誰か見捨てるようなやつじゃなかった。正直、僕とほとんど変わりなく見えた。『
「ま、まま待ってください! 少年っ、代わるというのがどういうことか本当にわかってますか!?」
「ああ、わかってる。とても危険なことなんだろうね。でも、陽滝のためになるならやれるよ」
「だからっ、ヒタキのためヒタキのためヒタキのためって! そのヒタキって人は、少年の兄妹じゃないって言っているでしょう!? 血も繋がっていない赤の他人を助けてどうするんです!?」
ハイリは見当外れのことを言う。
僕の事情には詳しかったかもしれないが、僕のことは何もわかってないようだ。
「……? 別に血の繋がりがあるから助けるわけじゃないよ。陽滝って女の子が心の優しい子だって僕は知ってる。そんな子が理不尽に死ぬのは許せない。
人として当然のことを言っているつもりだ。
しかし、ハイリの表情はより一層と歪んでいく。
「い、いや、おかしいですよ! その想いは『始祖カナミ』のものです! 少年のじゃない! 少年の抱いている相川陽滝への想いは偽物なんですよ!? それがわかっていて、どうして!?」
「それは違うよ、ハイリ。確かに最初は偽物だったのかもしれない。
冷静に答える。
これがこの数日の間、胃を痛ませてまで理論武装し続けた成果。『僕』という存在の納得できる最も合理的な答えだ。
――ただ、逆に言えば、
その不安は隠しながら、僕は淡々と話を続ける。
「もちろん、陽滝を助けるのが終わったら身体は返してもらうつもりだよ。僕が『
「……か、返してもらう? そう都合よく取り返せるわけありません! そんな簡単な話じゃないんです!!」
「そこは話し合って何とかするよ」
「話し合うって、誰と!?」
「『始祖カナミ』と話し合う。そして、折り合いをつけてみせる。統合するなり、何なりする」
「で、できるわけありません! できないと私は知っているから、こうやって忠告しにきてるんです! そうですっ、一人と一人が混ざりあうなんてできない! できなかった!!」
叫ぶハイリに、僕は首を振る。
「いや、そんなのわからない。まだ誰にもわからない。……だから、まだ諦めちゃいけないんだ。
僕は毅然として立ち向かう姿勢を崩さない。その表情を見て、ハイリはたじろぐ。
自分でも無茶なことを言っているとわかっている。けど、その道が困難だからと言って、諦める理由にはならない。
どんな真実が待っていたとしても、僕は諦めない。前へ進む。――強がってみせる。
パリンクロンと戦うと決めたときから、決めていたことだ。
そうしなければ、消えた
あそこまで偉そうに説教をしておきながら、自分だけ絶望で足を止めるわけにはいかない。
その固い意思を感じ取ったのか、ハイリは震えながら呟く。
「この記憶たちと折り合いをつける……? できるんですか……、本当にそんなことが……? いや、ありえない、できるはずがない……。私はできなかった……」
その弱々しい確認に、僕は自信を持って返す。
「きっとできるよ。……たぶんだけど、いまディアもそれをやろうとしてるんだと思う」
僕は同じ境遇にいたであろうディアを例に出す。
ずっとディアの様子がおかしかったのは、おそらく使徒シスと話していたからだろう。そして、身体を奪われたいまも続いてるはずだ。
「だから、僕も同じ状況になれば同じことをする。ディアが諦めていないのに、僕が諦めるわけにはいかない」
そのでたらめな答えを受けて、ハイリは困惑する。
「そんな……、なら私は……。私は、どうすれば……――」
それを僕は冷静に見守る。
同じ苦悩を抱えているものの、確かな温度差が僕たちにはあった。
薄情かもしれないが、ここまで激しく言い合ったものの――
――正直、僕はハイリの言っていることが全て正しいとは思っていない。
僕が『
パリンクロンの介入の余地がある以上、どこかで認識が食い違っている可能性もある。それどころか、この通せんぼ自体、パリンクロンの罠の可能性がある。
それに『
確かにハイリの言っていることは筋道が通っている。けれど、どこか違和感がある。
『並列思考』で情報の全てを見渡すと、僅かな
それでもハイリと真っ向から議論を続けたのは、穏便にここを切り抜けるためだ。
僕はとどめを刺すべく、ゆっくりと慇懃に頼みこむ。
「だから、そこをどいて欲しい。ハイリ・
彼女の本名を告げて、真っすぐに見つめる。
「ど、どうしてその名前を……」
名を呼ばれ、ハイリは動揺した。
理由はよくわからないが、ただでさえ満身創痍だったハイリの心が、さらに崩れていくのがわかる。
ハイリは嘆き、よろめき、顔をうつむけ、全身の力を抜いた。
そして、笑いながら降参の意思を見せる。
「……ふふっ、ふふふっ。……やはり、どこかの出来損ないとは比べ物になりませんね」
もはや、ここを通さないという強い意志は残っていなかった。
絶対に乗り越えられないと思っていた壁を、僕とディアが乗り越えようとしているのを見て、自分には立ち塞がる資格がないと思ったのだろうか。
自嘲しながら、自らの弱さを認める。
歓喜と共に、僕を憧憬の目で見つめる。
「確かに、ディアさんも少年も、未だに自分を保っています。ふふっ、私と何が違うんでしょうか。願い、夢、想い……、それとも未練でしょうか……?」
ディアも僕も命よりも大切なものがある。しかし、ハイリにはない。その差だろう。
「どれも私にはないものです。だから私は
そして間違いを認める。
話の詳細は掴めないが、彼女が後悔しているのはよくわかる。
自分の両手を見つめながら、僕へ問う。
「少年や使徒様のように自分を証明できる大切なものがあれば、私も生きていると証明できるんでしょうか……。私も大切なものさえ、見つければ……」
軽々しく頷くことはできない。
けれど、見つめ返すことで、少なくとも僕はそうだったことを伝える。
その目を見て、ハイリは道を空けた。
「……行ってください。少年の言葉を信じます」
そして、ハイリは指輪を一つ砕いて、魔法《コネクション》を発動させた。魔法の扉が平原に精製され、その中へ軍馬ごと進もうとする。
最後にハイリは言い残す。
「ようやく、私の生き方が見えてきました」
死ぬことではなく、生きることを見据えた言葉だった。
その言葉を聞いて、僕は二重の意味で安堵する。
説得に失敗していれば、強引に突破するしかなかった。そうなっていれば、彼女の寿命を大きく削っていたことだろう。僕も無傷とはいかなかったはずだ。
安堵の間に、ハイリは《コネクション》をくぐって消えた。同時に彼女の《コネクション》も平原に吹く風へ混じって崩れる。
僕は大きくため息をつき、すぐに魔法を唱える。
「――魔法《コネクション》」
同じ場所へ色違いの《コネクション》を精製しながら、ハイリとの会話を思い出す。
正直なところ、戦闘になるかどうかはすれすれだった。
何があっても諦めないと僕は言ったが、だからといって不安が全くないわけじゃない。
例えば、ただ一つ。ただ一つだけ――あることを覆された場合、僕は何も言い返すことはできなくなる。
けれど、それはなんとか最後までメッキの下に隠し続けた。『並列思考』のおかげで、言い繕うのは楽だった。
だが、覚悟はしておかないといけない。
心優しいハイリと違って、これから戦う敵がそれを見逃すとは思えない。
いまのはリハーサルのようなもの。本番はこれからだ。
そのときも、いまのように強がりを保たないといけない。
そう決意を固めなおしたところで《コネクション》が完成し、中からリヴィングレジェンド号の面々が現れる。
「つ、繋がった! よかった、カナミ……!」
まずラスティアラが出てきて、一人で僕が先走っていないことを安堵する。
顔を赤らめながら僕の手をとって、僕がここにいることを確認している。
ハイリの話を信じるならば、このラスティアラは嘘をついている。
それも出会った当初からずっと。
しかし、すぐにそれを思考の外へと追い出す。
ラウラヴィアの『舞闘会』で、ラスティアラを信じると決めたばかりだ。もし、仮に彼女が嘘をついていたとしても、それは僕のための嘘に違いない。そう思おう。
確かめるには時間がないし、『僕』のことは優先順位の低い話でもある。
まずはパリンクロンとディアだ。『僕』のことはその次――、いや、陽滝を助けたあとでいい。
「みんな準備万端です、カナミさん」
次にマリアが出てくる。
誰よりも厳しい表情で、これから起こる戦いに備えている。
そして、その隣に誰よりも情けない表情のスノウがいた。
「と、とうとう来たね、このときが……。やるよぅ……」
情けなく震えているけれど、逃げようとはしてない。
スノウなりに勇気を出しているのがわかる。
その後ろにリーパーとセラさんが続く。
もう事情は把握しているようで、無駄なく僕の言葉を待っている。
僕も同じように無駄なく話を始める。
「時間がないから手短に話すよ。一番大事なのはパリンクロン打倒ではなく、ディアの奪還。それだけは絶対に間違えないで」
全員が頷き返す。
ディアを放置して復讐に走るやつは一人もいないようだ。それに安心しながら、いつものようにパーティー分けを行う。
「まず、僕とマリアの二人でディアを捕まえる。使徒シスが何を言ってこようが、気絶させて船に突っ込んで見せる」
おそらく、使徒シスとの戦いでは、ディアへの呼びかけが重要になってくるはずだ。ゆえに、ディアへ声の届きやすいメンバーを個人的に選ぶ。
付き合いの長そうなラスティアラは不満を言わずに了承した。彼女も、自分よりマリアのほうが呼びかけに向いていると思ったようだ。
「その間、パリンクロンと
当初の目的。パリンクロン打倒を行うとしても、シスを捕獲したあとだ。
二兎を追いかけて、一兎を逃したくない。
「ならば、不出来な同僚の始末は私がやろう」
「私もパリンクロンに行く……。私がやらないと、前に進めない気がするから……」
セラさんとスノウがパリンクロンの相手を買って出る。
船旅の間に『闇の理を盗むもの』対策は考えてあるので、時間稼ぎだけならば二人でも問題ないはずだ。
「へえ、あの
ラスティアラは昨日と違って血色がよくなっている。
同じ轍は踏まないと言わんばかりに、力を漲らせてアイドへのリベンジに燃える。
そして、最後の一人。
「ねえ、お兄ちゃんは行けるの……?」
『繋がり』があるため、リーパーは誰よりも僕の状態を把握している。その彼女にとって、一番の心配は僕らしい。
「ああ、行けるよ。『舞闘大会』のときも思ったけど、やっぱり一日寝ないくらいが一番調子いい」
それを聞いたリーパーは、少しの間だけ僕を見つめ、神妙な顔つきで頷いた。
「……わかったよ。それじゃあ、アタシはみんなの間で足りないところを補うね」
「……助かる」
最も難しいポジションを最も幼いリーパーへ頼むことになってしまった。しかし、それをこなせるのは彼女しかいないのも事実だった。
これで全員の役割は決まった。
あとはディアを取り戻すだけだ。
それが終われば、パリンクロンを倒し、安全に迷宮最深部を目指して、陽滝を助けるだけ。何も変わらない。
そう。
この戦いのあと、僕が『どちらになるにせよ』、やることは変わらない。
僕が人間だろうが、『化け物』だろうが。『
――どうでもいいんだ。
その考えをリーパーだけが感じ取り、顔をしかめる。
そして、十分に襲撃の手順を全員で摺り合わせたあと、僕たちは砦へと向かい始める。
欠けた仲間を助けるために、リヴィングレジェンドパーティーの戦いが始まる。
マリアは獣化したセラさんの背中に乗り、残りの四人は大きく助走をつけ――
砦の防壁を飛び越える。
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