104.一日目、夜


 そのあとも、準決勝で『腕輪』を外すための計画を練り続けた。


 セラさんとも、話していくうちに少しずつ仲が良くなってきた気がする。

 ただ、その全てをスノウに聞かれていると思うと不安で堪らない。


 そして、話の最後にラスティアラは、さらに不安が増すようなことを言ってきた。


「――それじゃあ、カナミ。ディアと一緒に遊んできて」

「は?」

「デートとも言う」

「いや、いやいや、待て。そんなことしてる場合じゃないだろ?」


 唐突すぎて意味が解らない。


「『腕輪』を破壊するのに必要なことだから、ほら早く準備して」

「必要ってどういう意味だ?」

「カナミと私たちの試合までに、カナミには疲労困憊になってもらわないといけないの。不眠不休でくたくたなカナミのほうが、計画を成功させやすいでしょ?」

「『腕輪』のせいで勝手に反撃するなら、反撃できないまで弱らせるってことか?」

「うん。準決勝に合わせて絶不調になってもらうから、そのつもりでいて」


 狙いはわかった。

 筋も通っている。

 ラスティアラは『腕輪』の影響力を甘く見ていない。


 たとえ意識を失っていても、『腕輪』が危険になれば装備者は勝手に動くとまで考えている。それを前提に考えれば妥当な話だ。


 それでも、大会というやり直しできない場で、強敵に合わせて体調を整えるのではなく、体調を崩していくという行為に抵抗を覚える。


「けど、それをすると僕が三回戦と四回戦で負ける場合もあるぞ。大丈夫か?」

「うーん、トーナメント表を見る限りは大丈夫かな」


 ラスティアラはトーナメント表を眺めながら、気楽そうに言う。


「注意すべきはスノウと守護者ガーディアンローウェン。この二人だけだね。スノウは私たちと当たるし、ローウェンは出場ブロックが完全に反対側。カナミが順当に進めば……『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』チームとギルド『スプリーム』チームと当たるのかな、これ。どっちも大したことないから、カナミ弱体化作戦はありだよ」


 僕もラスティアラと同じく表を見る。

 両方とも顔見知りだ。


 リーダーはペルシオナ・クエイガーとエルミラード・シッダルク。

 フーズヤーズの最高位騎士チームと、ラウラヴィアの最高位ギルドチームだ。


「大したことないって……。どっちも国の最高レベルだぞ……?」

「確かに、人間の中では最高クラスだろうけど……。人間やめてない相手なら平気平気」


 ラスティアラは両チームに興味なさそうだ。

 本気で相手にならないと思っている。


「えっと、それはつまり、僕たちは人間やめてるって言ってるのか?」

「……まあね。立っている舞台ステージが違う。結局、この大会は人間をやめてる四チームの戦いでしかないんだよ」


 少しだけ悲しそうな顔をして、ラスティアラはそのチームの名前をあげていく。


「私たちか、カナミか、スノウか、守護者ガーディアンの四チーム。間違いなく、この内の誰かしか優勝できない。いやぁ、今年参加した人たちは悲惨だねぇ。規格外の争いに巻き込まれて」

「ローウェンはわかるけど、スノウ……? それよりも『最強』と名高いお兄さんのほうが危険じゃないのか?」


 ステータスを見る限り、グレンさんのほうが危険な気がした。

 それに『最強』に上り詰めたまでの経験も侮れないだろう。僕は最も注意すべき相手だと思っている。


「まあ、次点でグレンもそこそこ強いけどね……。ん、あれ……? もしかして、カナミってスノウの本気見たことない?」


 しかし、ラスティアラのグレンさんに対する評価は妙に低かった。

 そして、スノウの強さについて認識の違いを確認する。


「本気……? いや、ないけど……」


 僕は常にスノウの代わりをしてきた。

 その愚かな行為のせいで、彼女が本気で戦っているのを見たことがない。


「なら、この『舞闘大会』でわかると思うよ。スノウだけが、私たちに届きうる存在だということが」


 ラスティアラは珍しく真剣な表情だった。


 ステータスだけ見れば、スノウよりラスティアラのほうが圧倒的に高い。それでも、彼女から余裕を消すほどの何かがスノウにはあるということらしい。


「だから、スノウと戦うときまでに万全のディアを用意して欲しいわけで。ほら、さっさと気分転換に行ってこーい」


 そして、ラスティアラは表情を崩して、僕たちを送り出そうとする。


 いつの間にか、ディアちゃんは隣の部屋に移動してお出かけの準備を始めていた。遊びに行く理由はわかっていないが、遊びに行くことは賛成のようだ。

 僕と一緒に異論を挟んでくれそうにもない。


「え、だからなんで気分転換に……?」

「……ディアの機嫌も取れて、カナミも疲れる。一石二鳥でしょ? スノウ戦のときに、ディアの精神状態が万全であることはとっても大切なんだから。魔法が精神状態に影響されることくらいは知ってるでしょ?」


 ラスティアラは顔を寄せて、小さな声で僕に言う。


「心を落ち着かせるだけなら、もっと別の方法があるんじゃないのか……?」

「ううん。これがディアにとってベストなの。カナミ・・・にはわからないと思うけどね」


 ラスティアラは『カナミ』を強調した。僕が『キリスト』でない以上、返す言葉はない。

 ディアちゃんや『キリスト』と付き合いが長いであろうラスティアラの言葉を信じることにする。


「それに上手くスノウが釣れれば、本戦の前に失格にできるしね」


 悪そうな顔でラスティアラは笑う。

 もしかしたら、それが本命なのかもしれない。


「そこまで言うならそうする……。ラスティアラが一番状況をわかっているのは間違いないからな……」

「よし、決まり。それじゃあ、私はディアちゃんの服をコーディネートしてくるね」


 そう言ってラスティアラは隣の部屋と嬉しそうに移動した。

 そして、僕はセラさんと二人きりになる。


 セラさんは盛大な溜息をついたあと、僕に近づいてくる。


「仕方ない。ならば、私がおまえのコーディネートをしてやろう。ディア様のエスコートをするのだから、それに相応しい格好でなくてはな……」

「あ、はい。お願いします」

「はぁ……。なぜ私が男のコーディネートなどしなくてはならないのだ……」

「すみません」


 その後、セラさんの見事なコーディネートにより、まるでフーズヤーズの騎士のような格好になった。武器は持っていないが、清廉で高価そうなもので統一された姿は、誰が見ても上流階級の人間だろう。

 こうして、僕とディアは『ヴアルフウラ』へ遊びに出て行くのだった。


 追い出されたとも言う。



◆◆◆◆◆



 僕とディアちゃんは『ヴアルフウラ』にある劇場船の一つまでやってきていた。


 別れる際には、絶対に一人で行動しないようにラスティアラから念を押された。スノウの件がある以上、最低でも二人一組で動くべきらしい。


 なので、常にディアちゃんから目を離さないようにしている。妙に懐いてくれているので、それ自体は楽だった。


 ただ、どんなときでも僕の手を掴んだまま離そうとしないので困っている。

 こんな純真そうで危うい女の子をここまで懐かせた過去の僕は、一体何を考えていたのだろう。すごく気になる。


 彼女の服装は、ラスティアラの好みでワンピースに似たパーティードレスへと変わっていた。出発直前まで、そのフリフリの服をディアちゃんは嫌がっていたが、最後にはラスティアラの強引さに負けていた。

 強引だったが、その白色に統一されたコーディネートは見事と言わざるを得ない。ディアちゃんの白い肌と金の髪によく似合っていて、多くの人々の注目を浴びている。ちなみに彼女の隻腕は、ラスティアラのコーディネートが上手く誤魔化してくれている。ゆったりとした袖のおかげで、遠目で気づくことはできないだろう。

 

 そんな特殊な美少女と常に手を繋いでいる僕も目立つ。

 髪の色からして家族と言い訳はできないだろう。あらゆる意味で恥ずかしい。が、我慢するしかない。それが、いまの僕の役目だ。


 そして、いま僕たちは、とある演劇を一つ見終えたところだった。

 劇場から出ながら、ディアは満面の笑みで話しかけてくる。


「――いやあ、熱かったな、カナミ!」

「熱い? ああ、劇のことか。そうだね、王道で熱い物語だった。戦士の人生というのがよくわかる面白い劇だったよ」

「気に入ってくれて良かった。俺の知ってる英雄譚の中でも、お勧めのやつだったんだこれ」

「へえ、ディアちゃんは英雄譚が好きなんだね」


 可愛らしい外見に似合わない趣味だと思った。しかし、遊びに行くと決まったあと、ディアちゃんは英雄譚の演劇を即決した。他にも、女の子の好きそうな恋愛劇が揃っていたのに迷いは全くなかった。


「ディアちゃん……か」


 ディアちゃんは僕の呼び方を聞いて、少しだけ笑顔が陰った。

 僕の手を握る力が少しだけ強まる。


「ちゃん付けはまずかった?」

「できれば呼び捨てのほうが……いや、やっぱりいい。いまは・・・それでいいんだ」

「……わかった。そうするよ」


 どうやら、過去の僕は『ディア』と呼び捨てていたのかもしれない。

 ディアちゃんなりに区別しようとしているのを邪魔するわけにもいかないと思い、僕は素直に『ディアちゃん』と呼び続けることにする。


「それじゃあ、ディアちゃん。次は何をする?」

「えーっと、次は……」


 ディアちゃんは「むむむ」と顔をしかめながら、次の行き先に悩む。

 その姿は子供っぽくて可愛らしい。


 その外見の美しさも相まって、道行く人々の目に留まる。そして、微笑ましそうにディアちゃんを眺めたあとは、次は僕に目が向く。

 これでも僕は『舞闘大会』の出場者だ。

 北エリアの一戦を見た人が、時々話しかけてくる。劇場船を歩き回る僕たちは目立ちまくりだ。


 憧れや嫉妬、奇異や好奇、様々な目に晒されて本当に落ち着かない。

 逆にディアちゃんは全く周囲を気にしていない。その生来の美しさからこういった目に慣れているのかもしれない。


 目立つのは苦手なので、もう少しディアちゃんには大人しくしてもらいたかった。しかし、その楽しそうな姿を見ると何も言えない。

 ぶっちゃけると、ちょっとしたことで発狂されそうで怖いというのもある。

 

「――あっ、あの物語も劇になってるんだな! カナミ、次はこっちに行こう! これも面白いぞ!!」

「待って、ディアちゃん。その前に夕食にしないか。この劇場船、食堂船と繋がっているみたいだ」


 劇場を見続けて時間感覚が狂い掛けていたが、船外を《ディメンション》で確認するとすっかり暗くなっていた。

 なので、僕は小休止に食事を提案する。


「……そうだな。ここらで夕食を摂ってもいいな。そういえば、カナミは食事してもいいのか? 限界まで弱くなるんだろ?」

「あ、そういえばそうだね……。なら、僕は水だけにしておくよ……」

「な、なんだか、悪いな……」

「いや、気にしなくていいよ。僕は『腕輪』のことを頼んでいる側だからね。これくらいは我慢するよ」

「それは違うぞ、カナミ! 俺たちは頼まれたからやってるんじゃない。俺たちがカナミを助けたいからやってるんだ!」


 どうやら、そこはディアちゃんにとって間違えてはならない点だったらしい。

 そして、それはもう僕も、よくわかっていることだった。ディアちゃんは出会ったときから、ずっと『キリスト』を助けようとしている。誰に頼まれることなく、自分の意思で。 

 その明確で偽りない好意を感じ取って、僕は少しだけ暖かな気持ちになっていく。


「そっか……。ありがと、ディアちゃん……。本当に僕と君たちは仲間だったんだね」

「ああ、俺と『キリスト』は仲間だった。お互い、迷宮の一層で痛い目に遭って、二人で協力し始めたんだ。俺にとって、キリストは最初の仲間で、最高の相棒だった……」

「二人、か……。ねえ、そのとき、僕に家族は居た?」

「家族? いや、一人で遠くから連合国に来たって聞いてたぞ?」

「そう……」


 聞いたところ、ディアが最初の仲間らしいが、そこに妹の影はない。

 僕は一人で異世界に迷い込んでいることがわかる。


「……どうかしたのか?」

「ああ、やっぱり『キリスト』は一人だったんだなって。それを確認したかったんだ」

「……違う。キリストは一人じゃないぞ。俺がいる。何があっても俺は絶対にキリストの隣にいる!」

「そっか、『キリスト』は幸せものだったんだな。こんな可愛い子に慕ってもらえて」

「かっ、かわいい? え、いや、それは違うぞ、カナミっ。俺は、その――」


 意気消沈する僕を見て、ディアちゃんは懸命に励まそうとしてくれる。

 それは荒んでいた僕の心を癒してくれた。

 気が緩んだ僕は、まるで口説くかのような言葉を吐いていた。


 ディアちゃんが照れるのに釣られて、僕も顔が熱くなっていくのを感じる。 

 どう誤魔化そうかと考え始めたところで、僕は聞いたことのある声を《ディメンション》で捉える。


「――ラグネさん、はしたないですわ! もっと淑女らしく、節度を持ってください!」


 どちらかといえば、聞いたことのある『口調』か。


「え、えぇー? 買い食いも駄目っすか? それだとここでの楽しみがなくなるんすけど……」


 それに対する声も特徴的な『口調』だ。

 特徴的な口調の二人は口論しながら、こちらに近づいてくる。


「お腹が空いたのでしたら、わたくしが美味しいお店を紹介しますわ。そこまで我慢してくださいませ」

「いや、こういうのは目に付いたやつをその場で食べるから美味しいんすよ? というか、それ以前に高級店のお行儀のいい料理は苦手なんすよ……」

「それはラグネさんが上流階級の空気に慣れてないからですわ。よい機会です。いまからわたくしがラグネさんに上流階級のマナーを叩き込んでさしあげますわ」

「え、え? それはちょっと、勘弁してもらいたいかなぁーって……」

「さあ、行きますわよ! ここからならすぐですわ!」

「――ぐ、ぐぬぬ、聞いてねぇー。セラ先輩も厄介だったけど、フランちゃんも負けず劣らず厄介っす」


 金髪ツインテールのお嬢様が、髪の短い女の子の手を引っ張っていた。

 フランリューレ・ヘルヴィルシャインとラグネ・カイクヲラだ。


 確か、彼女たちも僕を『キリスト』と呼ぶグループだったはずだ。

 交流すれば『腕輪』か記憶についての進展があるかもしれない。


 しかし、すぐに僕は思い直す。

 いまはラスティアラの計画に集中したほうがいい。余計なイレギュラーは事故の元だ。それも大事故の。


 それにあの金髪ツインテール少女は、なぜだか妙に苦手だ。無意識レベルで距離を取りたくなるのは、過去の僕と彼女の間に何かあったのだろうか。


 僕はディアの手を引いて距離を取ろうとしたところで、ラグネ・カイクヲラのほうが目をこちらに向ける。


「――ん?」


 この人ごみの中で、彼女は的確に僕たちを見つけた。


 僕は驚く。

 《ディメンション》を使って、ようやく見つけられる距離だ。


 ラグネ・カイクヲラの魔力が動いていないのは《ディメンション》で把握している。まるでローウェンみたいな勘の良さだった。


 彼女はスキル『魔力物質化』を持っている。あと、どことなくローウェンと雰囲気が似ている気もする。もしかしたら、ローウェンの遠縁にあたるのかもしれない。

 その血にはスキル『感応』に近い力が潜在的に備わっていたのだろうか。


 ラグネ・カイクヲラは顔を明るくして、逆にフランリューレ・ヘルヴィルシャインを引っ張って、こっちにやってくる。

 そして、親しげに挨拶をしてきた。


「やー、どうもっす、人攫いのお兄さん」

「……また会ったね。けど、人攫いのお兄さんは止めてほしいんだけど。えっと、ラグネ、ちゃん?」


 周囲の目が怪訝なものへと変わった。

 いまはディアちゃんを手に引いてるから洒落にならない。

 僕は苦笑いしながら、過去の僕の所業を恨む。


「冗談っす。本気じゃないっすよ。なんだか、アレはなかったことにされてるみたいっすから。上は面子と実益を優先したみたいっすね。というわけで、いま私はお兄さんと気兼ねなく話せるわけっす。どうっすか、せっかく会ったんすから、一緒に夕食でも行かないっすか?」

「んー、悪いけど、いまの僕は――」


 僕はディアを優先し断わろうとする。

 よくよく考えれば彼女たちは次の対戦相手なのだ。


「――あぁっ! キリスト様、わたくしです。フランリューレ・ヘルヴィルシャインです!!」


 しかし、それは最後まで言わせてもらえなかった。


「え、えっと、久しぶりでいいのかな……? フランリューレ、ちゃん?」


 彼女は僕を『キリスト』と呼んでいる。もう、それを訂正しようとは思わない。

 

 ただ、過去の僕と知り合いと話すとき、呼び名にいつも迷う。

 ラグネちゃんは僕よりも目に見えて幼いので「ちゃん付け」を選択したが、目の前の彼女はきわどい。


 僕よりもほんの少し年下に見えたので、また『ちゃん付け』に挑戦してみた。


「ああ、あぁ……! やはり、キリスト様はわたくしのことを覚えてくださっていたのですね。そしてわたくしのことを『フランリューレちゃん』と親しげに呼んでくださるなんて、感激ですわ! 距離が縮まったと解釈しますわ!」

「あ、あれ……?」


 選択肢を間違えたようだ。

 どうやら、前の僕は彼女を『ちゃん付け』にしてはいなかったようだ。なんだか、過去の僕と判断が合わないことが多い。


「よろしければ、これから一緒に食事でも頂きませんか? この『ヴアルフウラ』で最上の料理をご馳走しますわ!」

「いや、遠慮しとくよ……。連れがいるし……」

「遠慮なさらずに。さあさあこちらへ」


 僕がやんわりと断わろうとしても、フランリューレは聞いてくれない。

 見かねたディアちゃんが間に入る。


「――待てよ。なに勝手に決めてんだ。カナミはこれから俺と劇を見に行くんだ」


 必然とディアちゃんとフランリューレが睨み合う形になる。


「あら、あなたは……?」

「ただのディアだ。家名はない」


 目を鋭くして、ディアちゃんは睨む。

 一瞬だけなくなった腕を見る。しかし、すぐに逸らした。気を遣って見なかったことにしてくれたようだ。


「そうですの。……あなた、どこかで見たことがあるような、ないような」

「俺はおまえみたいな愉快なやつ、見たことないけどな」

「む、失礼な子供ですわね……」

「こ、子供じゃねえよ! たぶん、おまえと同じくらいだっての!」

「それにあなた、言葉遣いがなってませんわ。まるで男の子みたいですわよ?」

「俺はこれで合ってるんだよ! というか、おまえに言葉遣いについてとやかく言われたくねえ!」


 僕から見れば、この場でまともな言葉遣いなのは自分だけだ。だが、全員が自分だけまともだと思ってそうで怖い。


「いいえ、全く合ってませんわ。せっかくの綺麗な顔が台無し……。よろしければ、わたくしが言葉遣いを教えてあげてもいいですわよ?」

「その妙な口調を、俺にもしろと……?」

「大変優雅な言葉遣いでしょう?」

「――カナミ、行こう。すぐ行こう。これ以上こいつと話してると、頭が痛くなる」


 ディアちゃんは僕の手を引いて、この場を離れようとする。

 僕は軽く頭を下げる。


「わ、悪いけど、これから劇を見に行こうとしていたんだ。食事はまた今度ということで……」

「ならば、その演劇鑑賞にお付き合いしますわ! 思えば、大してお腹も減ってません!」


 しかし、反対側の手を取られて止められてしまった。


「ついてくんな!」


 反射的にディアちゃんは叫ぶ。

 その様子を見ていたラグネちゃんは静かにフランリューレを諭す。


「……フランちゃん。私たち中央の舞踏会に呼ばれてるっすよ? 夕食を摂って、まっすぐ向かわないと間に合わないっす。劇なんて見てる時間は流石にないっす」

「あそこにはライナーがいるから大丈夫ですわ! それよりも、いまはキリスト様です!!」

「え、ええー? 本気っすか?」

「いまは総長がいないから、チャンスなんです! 同じ乙女として、協力してくださいラグネさん!」

「ん、んー、ライナー君がいるなら大丈夫、なのかなぁ……?」

「ライナーは器用だから大丈夫ですわ。さあ、キリスト様。私たちも時間が空きましたので、ご一緒しますわ」


 どうやら、用事をライナー君に押し付けて、このままついてくる気満々のようだ。

 その輝く目からは、何があっても去らないという気概が伝わってくる。


「ま、まあ、目的には反していないか……?」


 このかしましい少女と一緒に歩いていれば、それだけで疲れることだろう。

 そういう意味では、いまの僕に必要な人なのかもしれない。


 僕が同行を承諾しようとして、ディアちゃんの手を離した瞬間――


「『キリスト』……」


 ――隣にいる僕だけがわかる範囲で、ディアちゃんの様子が変わる。


 ディアちゃんは小声で例の名前を呼び、僕の服の裾を掴んだ。危うく後ろに倒れそうなほど強い力だった。


 ぎょっとして僕はディアちゃんの顔を見る。

 俯いているが、《ディメンション》でわかる。目は虚ろになり、先の狂乱していた状態に戻りかけている。


 そして、本当に小さな声で呟き続ける。


「『キリスト』は俺が守らないと……、今度こそ『私』が……!」


 すぐさま僕はディアちゃんの手を握り直して、彼女だけに聞こえるよう小声で話しかける。

 

「……お、落ち着いて、ディアちゃん」

「まも、らないと……。でないとまた、遠くに。遠くに遠くに……。『キリスト』が――」

「ち、違うっ。僕はキリストじゃなくて渦波かなみだよ。カナミだから……!」

「……カナミ?」


 僕の言葉を聞いたディアちゃんはとても不思議そうな顔をして、少し経ったあと、とても悲しいことに気づいたような顔に変わる。

 そして、数回の深呼吸をして、冷静にゆっくりと答える。


「そ、そっか……。いまは『キリスト』じゃないんだもんな。『キリスト』じゃなくて、カナミだ……」


 ディアちゃんは僕の手を離す。


 彼女の一つしかない手は掴むものを失った。それがとても寂しそうに見えて、いまからでも僕は「自分が『キリスト』だ」と言いたくなる。しかし、それはできない。

 それだけはできない。


 ディアちゃんは顔をあげて、無理に笑う。


「ははっ、ごめん。混乱してた、カナミ。もう大丈夫。大丈夫だ……」


 そして、何でもないようにフランリューレたちの同行を認め、歩き出す。


「さあ、どこの劇場へ行くのですか!? よろしければ、わたくしのお勧めを案内しますわよ!」


 気の早いフランリューレは背中を見せて、先導していた。ディアちゃんの不満なんて欠片も気づいていないだろう。


 ただ、ラグネちゃんだけは一部始終を見ていた気がする。けれど何も言ってこない。聞こえていて気を遣っているのか、小声すぎて聞こえていなかっただけかわからない。

 少しだけ微笑んで、お転婆なフランリューレの後ろをついていっている。


 こうして、僕たちは意気揚々と歩くフランリューレと共に演劇を見ることになった。



◆◆◆◆◆



 四人で演劇を見に行くことは決まったが、その後、演目を選ぶのに大変時間がかかってしまう。


 ディアちゃんとフランリューレが、英雄譚か恋愛劇を見るかで大いに揉めたのだ。ディアちゃんが「俺たちは英雄譚を見に来たんだって!」と主張すると、「遅れてますわ、ディア! いま貴族の間では男女の恋愛劇が流行っているのだから、それにするべきですわ!」と返されていた。


 長い口論の末、結局は二人の意見の間を取った劇に落ち着いた。

 丁度いいものがあって助かった。『ヴアルフウラ』内の演劇数が異常に多かったおかげだ。


 演劇のチケットを取ろうとすると、どこからかフランリューレが貴賓席を確保してきた。ヘルヴィルシャインという名からわかってはいたが、やはり相当のお嬢様のようだ。


 そして、僕たちは特等席で劇を見る。

 最初はディアちゃんもフランリューレちゃんも自分の望んでいない劇に不満そうだったが、すぐに劇へのめりこんでいった。二人とも演劇ならば何でもよかったのかもしれない。


 同時に安心する。

 手を離したことでディアちゃんがどうなるか不安だったが、さほど変わらない様子だ。

 フランリューレと一緒に目を輝かせて観劇している。


 ただ、すぐ後ろで見ているラグネちゃんは大して楽しそうではない。

 ニュースでも見ているかのように、ぼうっと眺めているだけだ。演劇は趣味じゃないようだ。


 こうして、温度差のはっきりとした観劇の時間は過ぎていった。

 内容はありきたりなものだったが、ディアちゃんとフランリューレは満足そうだった。劇が終わった後は立ち上がってはしゃぎ、退出の際には二人で劇について討論まで始めていた。


 レストランに向かう道すがらにも劇の話をしていた。


「――あそこで主人公が命を投げ出したのは頂けませんわ。待っている愛しい人がいるのなら、どんなことをしても帰るべきでしたわ」

「違うぞ、フランリューレ。あれは男として絶対に引けない場面だった。だからあれでいいんだ」

「いいわけありませんわ。あれでは残された女性が不幸すぎます。あれは、ただの男の独りよがりですわ」

「わかってないな、それもロマンなんだ。そういう恋の終わりも美しいとは思わないか?」

「ディアとは分かり合えませんわね。確かに美しいことも大切ですが、それが全てじゃありません。というか、想い会う二人がハッピーエンドじゃないとわたくしは納得いきませんの!」

「そうか? 人生、上手くいかない方が多いんだ。ハッピーエンドじゃないほうが説得力があって俺は好きだけどな――」


 同じ趣味を通じて、いつの間にか仲が良くなっていた。

 出会ったときとは打って変わり、和気藹々としている。


 ディアちゃんは『キリスト』に依存している危うい子という印象だったが、少しずつ印象は変わっていく。僕が関わっていなければ、とても普通だ。


 それを僕が後ろから眺めていると、いままで無言だったラグネちゃんが声をかけてくる。


「――お兄さん」


 前にいる二人には聞こえない程度の絶妙な声量だ。

 どうやら、僕にだけ聞いて欲しい話のようだ。


 ラグネちゃんは真面目な表情で話す。


「お兄さん、明日の試合について話があるっす……」

「明日の試合?」


 僕は『舞闘大会』の話を振られて驚く。


「明日の試合、絶対に油断しないで欲しいっす。本気でお願いするっす」

「……いきなり、真剣な話だね。そっちは次の対戦相手が僕だって気づいていないかと思ってたよ」

「そんなわけないっす。こちとら、お兄さんに二連敗中っすから。この『舞闘大会』の対戦相手の中では、お兄さんしか眼中になしっす」

「へ、へえ……」


 僕は目の前の少女に二連勝中らしい。

 そのおかげで、好敵手認定されているようだ。過去の僕の所業に頭を悩ませながら、僕は頷く。


「そこで明日の試合をスムーズに進めるためにも、ここでルールを決めておかないっすか?」

「ルールを? 別に構わないけど……」

「おそらく、総長は遠慮なく三対一でやるつもりっす。あと、希望ルールは『武器落とし』っすね」

「ん、両方とも別に構わないよ。スタンダードルールだから、文句のつけようがない」

「よかったっす。あとこれが一番重要っすけど、絶対に何も賭けないでくださいっす」

「何も賭けるなって……?」


 僕は意外な要求に首をかしげる。


「お兄さんは気が弱いから嫌な予感がするんっすよ。総長はあの手この手を使って、お兄さんから言質を引き出そうとするっす。そうなる前に、はっきりと何も賭けないと宣言して欲しいっす。万が一があるから、どんな挑発をされても無視する感じでお願いするっす」

「そういえば、前に言っていたな。ペルシオナさんは僕をフーズヤーズの騎士にするって……」

「きっと、上からアイカワ・カナミをフーズヤーズまで連れてこいって指示が来てるんだと思うっす。お兄さんがフーズヤーズに来たらえらいことになるっす。だから、どんな条件でも飲んじゃ駄目っす」


 あっさりとラグネちゃんはフーズヤーズの裏話を僕にばらした。


「わ、わかった……。けど、君も『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』ってやつなんだろ? ペルシオナさんに協力しなくていいのか?」

「私は『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』である前に、お嬢やセラ先輩の友達っすからね。お兄さんがフーズヤーズに捕まるとあの二人が困ると思うから、忠告させてもらったわけっす」

「お嬢……?」

「ラスティアラ・フーズヤーズ様のことっす」

「ああ、なるほど。あの二人と仲が良いんだ」

「ちょっとした幼馴染みたいなものっす。ただ、いまは立場が変わって敵同士っすけどね……」


 少しずつ、目の前の少女の事情が見えてきた。

 妙に僕へ話しかけてくるのは、あの二人を心配してのことなのだろう。彼女にとってラスティアラとセラさんは、上司であるペルシオナさんに反抗してでも助けたい友達ということだ。


 その暖かな友情を感じ取り、力強く頷く。


「わかった。ペルシオナさんの思惑には絶対に乗らない。ラスティアラとセラさんを困らせない。約束するよ」


 それを聞いたラグネちゃんは、はにかんだ。


「ありがとうっす」


 そして、彼女は安心した様子で、僕の前を歩き始める。

 ずっとこの話をするタイミングを窺っていたようだ。重荷を一つ下ろしたかのような軽い足取りだ。


 僕は前の三人に置いて行かれないように歩く。

 前方から聞こえてくるディアちゃんとフランリューレの話は、いつの間にか変なところに飛んでいた。


「――あら、本当にそんな小さな身体で剣が使えますの?」

「舐めるなよ、これでも昔はアレイス家で習ってたんだ。ヘルヴィルシャインにも負けないぜ」

「あのアレイス家で? それは面白そうですわね。それじゃあ、次は空いてる闘技場にでも行きましょうか?」

「ボコボコにしてやるぜ、金髪」

「あなたも金髪でしょうに……」


 すっかり意気投合していた二人は、行き先を闘技場へ変えていた。

 夜に試合はないため、空いているところを借りれるようだ。そこでお互いの腕を見せ合うことになっていた。

 どうも、英雄の話が飛びに飛んで、剣技の話に落ちてしまったようだ。


「あっ、そうですわ! キリスト様! よろしければ、キリスト様の力も見せて欲しいですわ!」

「え? ああ、別にいいけど……」


 唐突に話を振られて、僕は思わず頷いてしまう。


「よかったですわ! あれから、キリスト様がどれほど強くなったのか気になって仕方ありませんでしたの!」

「私はやめとくっす。手の内をさらすと極端に弱くなる騎士っすから」


 ラグネちゃんはさらっと辞退する。

 よく考えれば、次の対戦前に手の内をさらけだすことになる。僕は自分の軽はずみな発言を後悔しながら、苦笑いと共に闘技場へ向かう。


 隣ではディアちゃんも目を輝かせて僕を見ていたので、今更断わることはできなかった。


 その後、僕たちは闘技場で模擬戦を行った。

 僕は手加減した上で全勝したが、ディアちゃんの戦績は酷いものだった。

 全敗の上に、勝ち目が最後まで全く見えてこなかった。


 ステータス的にはフランリューレとさほど変わらないのだが、圧倒的な差がそこにはあった。

 ディアちゃんの剣からは、それなりの努力の跡が見られる。しかし、剣を扱うセンスが絶望的なのだ。


「ディア……。その、ドンマイですわ……」

「う、うるさい! もう一回だ! カナミには勝てなくても、おまえには勝つ!」


 逆にフランリューレから気遣われている始末だった。

 この異世界で才能の差は絶対すぎた。


 ディアちゃん対フランリューレの模擬戦は十回以上行われたが、ディアちゃんの剣が届くことは一度もなかった。

 悔しがったディアちゃんは他にも槍などでフランリューレと競ったが、どれも全敗だった。


 薄々と感じていたことだったが、ディアちゃんは身体を使うことが壊滅的に下手だ。


「くそぅ、なんで勝てないんだ……!!」


 ディアちゃんは悪態をつきながら、へとへとになった身体でしりもちをつく。

 どうやら、ようやくこの長い戦いも終わりのようだ。


 そろそろ深夜に突入しそうだったので、僕たちは解散することになる。


 別れ際、フランリューレはディアちゃんと珍しく真面目そうな顔で話す。


「――あなた、わたくしがヘルヴィルシャインと知りながら、最後までその態度を全く変えませんでしたわね」

「当たり前だ。おまえみたいな我がまま女に見せる礼儀なんてない」

「……なかなか見所がありますわね。その幼稚な剣では生活していけないと悟ったら、私を尋ねなさい。わたくしの侍女にしてあげますわよ?」

「それだけは絶対にないな。おまえの侍女になるくらいなら、死んだほうがましだ」


 悪態をつき合っているものの、二人とも笑っている。

 それは僕とラスティアラの関係と似ている気がした。


 妙な感覚に囚われながら二人を見ていると、横からラグネちゃんが呆れたように呟く。


「……フランちゃん、結局最後までシス様がレヴァン教の『使徒』だって気づかなかったっすね。遠目で見たことはあるはずなんすけどねー」

「『使徒』……?」


 ラグネ・カイクヲラはディアちゃんを「シス様」と呼んだ。確か、ステータス画面では「ディアブロ・シス」となっていたので間違いないだろう。

 しかし、その後の単語『使徒』というものは聞いたことがなかった。


「ありゃ、もしかしてお兄さんってば、何も知らずにシス様と一緒に居るんすか?」

「いや、知らずに一緒に居るわけじゃない。知っていた・・はずなんだ。」

「ふむ……。お兄さんにも事情があるんすね。とにかく、お嬢とセラ先輩によろしく言っといてください。いまでも私はお二人のことが好きっす。それだけは伝えて欲しいっす。――あ、一応、お兄さんのこともそこそこ好きっすよ?」

「別にそんなフォローは要らない。――伝言は確かに伝えておいてやるよ」


 ラグネちゃんは人懐っこい笑顔で好意を伝えてきた。

 僕は顔を背けながら、それを受け流す。


 そして、フランリューレの元気な声を最後に僕たちは別れた。


「それではキリスト様、ディア! またですわ!」


 帰り際、隣を歩いていたディアちゃんはフランリューレのことばかり話してきた。

 友達が少なそうな子だと心配していたが、ちゃんと人付きあいはできるようだ。


 ラスティアラから言われた依頼を達成できたことに一安心して、僕たちは帰っていった。

 

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