339.ラグネの三節目


 ラグネは立ち止まり、前方に手を伸ばした。

 すぐに私は振り返って、彼女の目線の先にあるものを確認する。そこには先ほど助けてくれた『血の人形』が、私の背中を守るように立っていた。


 ラグネは『血の人形』に目を奪われている。

 身体を震わせ、瞳を揺らし、縋るように小さな声を一言「――リ、リエル?」と名前らしき単語を発した。そして、ラグネが『血の人形』に近づこうと一歩、前に踏み出したとき、


「あ――」


 『血の人形』は大きく首を振り、形を崩した。

 ただの大量の血液となって、屋上の床にある血の浅瀬に混ざって消えていく。


 その光景を見たラグネは呆ける。

 はっきり言って、無防備だ。だが、私は彼女に襲いかかることはなく、声をかける。


「いまの方はラグネの知り合いですか?」


 はっとラグネは我に返り、その口を閉じて、真剣な眼差しを私に向ける。


「ノスフィーさん……。もしかして、いまの騎士が、ノスフィーさんをここまで連れて来たっすか……?」


 ラグネは私の質問には答えず、逆に聞き返した。

 彼女との『話し合い』を目的としている私は、特に気にすることなく正直に答えていく。


「はい、そうです。危ないところを助けて頂きました」

「そうっすか……。彼が、ノスフィーさんを助けたっすか……」


 ラグネは僅かに眉をひそめて、微笑した。

 その神妙な声から、彼女にとって先ほどの『血の人形』は核心に触れるもので、同時に予定外なものであったとわかる。


 ラグネは出鼻をくじかれたのか、それとも別の理由があるのか。らしくもなく、私の望む『話し合い』を続けてくれる。


「それで、その姿……。えっと、モンスターのスネイク系っすか……? 久しぶりに見たっす。迷宮の低階層に出てくるやつっすよね?」


 そして、言葉を選びに選んで、とても場にそぐわない話題を投げかけられてしまった。


 その様子は、お父様の姿を少し思い出してしまう。

 私に聞きたいことはあるのだろう。しかし、その本題が上手く切り出せない。聞けば、大事な何かを崩してしまう気がして、どうしても遠回りをしてしまう。勘違いでなければ、いまのラグネも、そんな風に見える。


「ええ。これがわたくしの本来の姿です。千年前だと蛇人ラミアという種類にあたる『魔人』です」


 私は自分の姿を恥じることなく認めた。

 この身体のおかげで、ここまで来れたのは間違いない。感謝することはあっても、否定することはない。


「……なんか随分と変わったっすね。今朝とは別人みたいな表情っす。もしかして、私の言ったこと、わかってくれたっすか? その『不老不死』は、私かノスフィーさん。より強いほうが有効活用すべきだって」

「すみません、ラグネ。今朝から、わたくしの答えは変わりません。わたくしは――いや、わたくしたちは『相川渦波を助けたい』。『光の理を盗むもの』の本当の『魔法・・』は、わたくしでもラグネでもなく、お父様に使います。――必ず」


 今朝と比べて別人みたいなのは当然だ。

 いまの私は、仲間たち全員の『代わり』に、ここに立っている。いわば、魂がノスフィー一人で構成されていない。


「必ずっすか……。正直、ずっと半信半疑だったっすけど、その魔法で本当に生き返るんすか?」


 ラグネの返答は私の予想していたものと違った。

 今朝以上の激昂が返ってくると覚悟していたが、彼女はとても冷静だった。自信を持って断言し続ける私に、前提を一つ確認してくる。今朝と別人なのは、むしろ私よりもラグネのような気がしてくる静かさだ。


「はい、絶対に生き返ります。わたくしの『盗んだ理』の力は、それが全てだったのです」


 その蘇生の術式は一工程で、さほど魔力も使わない。

 そう時間もかからないだろう。いつも通りに『詠唱』して、『代わり』になって、それだけで生き返る。


 その魔法の単純さを、ラグネは読み取ったのだろう。

 乾いた笑いを零していく。


「本当に人って生き返るんすねー……。それも、結構あっさりと……。は、ははは。ははははは」


 ラグネからすれば、ほぼ全てを賭けて殺した怨敵カナミの復活となる。その皮肉めいた現実に、ショックを受けているようだ。


 そして、さらに目を虚ろにして、彷徨わせる。

 自分の後方にいる『お父様』の死体と私の後方で消えた『血の人形』の跡、なぜかこの二つを見比べている。


「ははは。――この期に及んで、まだ私を惑わせるつもりっすか? 私かノスフィーさんじゃなくて、リエル様も? さっきのママといい、『親和』の邪魔といい、ほんと……! ほんとにもう、さあっ……!!」


 苛立たしげにラグネは頭を掻き毟った。

 その様子から、いま彼女は心の底からの言葉を吐いている。私の魔法が良くも悪くも効いている――そう私は思った。


 私は手に持った光の旗を強く握って、さらに効果を強める。

 この魔法《光の御旗ノスフィー・フラグ》の効果の中には、光属性の真骨頂ともいえる力がある。それは光の魔法の基礎であり、私が陥っている『代償』でもある。


 ――光の魔力は人を『素直』にする。


 自分自身も敵も『素直』にして、戦いではなく『話し合い』での解決を誘発する。まさに世界平和のためだけの属性。それが光。

 その光の専門家スペシャリストである私が、命を犠牲にして過去最高の光を大聖都全体に撒き散らしているのだ。いま大聖都は、歴史上、過去最高に優しい空間となっている。


 兵士たちも仲間たちも、ファフナーも私も――ラグネも例外ではない。

 全てが私の光の対象だ。


 ゆえに、何重もの意味で『話し合い』は、いましかないと私は思っている。

 誰よりも『素直』でないであろうラグネを相手にできるのは、この『光の理を盗むもの』の最後の輝きの瞬間しかない。

 私は十分な勝算を確認したあと、先ほどラグネが口にした二つの名前を繰り返す。


「ラグネ……。その『ママ』と『リエル』、この二人があなたにとっての大切な人なのですか……?」


 全く聞いたことのない名前『リエル』に、私たちの誰も会ったことのない『ママ』。

 この二人がラグネ・カイクヲラの芯となっていると予測し、問いかけた。


「…………」


 口の達者なラグネが黙りこむ。

 私は自分の予測が遠くはないと確信して、さらに深く聞いていく。


「いま大聖都にいない二人……。この二人とラグネは再会したいのですか? 再会して、一緒に故郷に帰って、三人で暮らしたいと……もし、そう思っているのならば、あなたが進むべき道は間違っています。その願いは『風の理を盗むもの』であるロード・ティティーとよく似ています。その心の閉塞感を晴らすには、こんな『頂上』でなく、一度故郷へ戻って――」

「違うっす、ノスフィーさん。……私は故郷なんてどうでもいいっす。大事なのは『一番』になることだけ。そこに大切な人が待っているかどうか、確認すること。そう、確認するだけで私はいいっす。それが私の子供の頃のからの『夢』っすから」


 ラグネと付き合いの長かったラスティアラたちは、ラグネの真の目的は『故郷の復活』か『母との再会』ではないかと言っていた。だが、それは間髪入れずに否定されてしまった。仕方なく、私は違う切り口を探していく。


「しかし、もうあなたは十分に『一番』でしょう。ここは『頂上』で、あなたは誰よりも上に立っていて……。単純な強さで言っても、『一番』です。いまやあなたは、この城にいる誰よりも強い」

「……まあ、そうっすね。正直、ここが普通は『頂上』っすよねえ。ははは」


 いまラグネは腰に『アレイス家の宝剣』と『ヘルミナの心臓』をき、さらに闇と木と風の『理を盗むもの』の魔石も所持し、その全てから力を引き出している。

 私はラグネこそが現在の世界最強であると本気で思っているし、彼女も自負していた。


 しかし、ラグネは『最強』で『頂上』で『一番』でありながらも、首を振る。


「けど、絶対に違うっす。だって、まだ私の世界は暗いっす。……暗いんすよ。ここにママはいなかったし、私の人生は終わらなかった。この『頂上』には、何もなかったっす。いや、あったかもしれないけど、何の価値もなかった。値打ちがなかった。だから、ここは『一番』じゃない。そんなわけがない。――絶対に違う」


 独特な理論で、さらに強い否定が返ってくる。

 感情的な上、言葉が抽象的過ぎる。およそ、他人に伝わりようのない話だ。

 だが、その荒々しい気持ちが、私には薄らとわかる。


 明るい光を前にして暗く感じてしまうのは、私にも経験がある。頑張っても頑張っても世界は暗くて、生きているという実感が全くしない日々。

 色々あって、そこから私は抜け出せた。けど、まだラグネは一度も明るいところへ出たことがないのだろうか。そうでなければ、ああも見事に『理を盗むもの』たち全員と『親和』できるはずがない。いや、それどころか、この少女は下手をすれば、他の『理を盗むもの』たちの全てを――


「大丈夫っすよ、ノスフィーさん。それでも、なんとか私はやれてるし、ゴールだってすぐそこっす。『一番』まで、ほんとにあとちょっとなんっすよ」


 その私の心配する目を見て、その必要はないと、すぐにラグネは強がった。

 やはり、彼女は違う。常に誰かに助けを求めている『理を盗むもの』との違いを、はっきりさせないといけない。


「……そのラグネのゴールとは、一体何なのですか?」

「今朝も言ったっすよね。殺して殺して殺し続けて、世界に誰もいなくなって、独りになれば『一番』だって。いまの私がファフナーさんと協力すれば、そう難しくないことっす」


 殺せば『一番』になれると、軽くラグネは言う。

 お父様と『元老院』、さらにフーズヤーズという国を殺して、それでも駄目なら全部らしい。


 『話し合い』をすると強く覚悟してきた私だが、一瞬返す言葉を失ってしまう。

 以前からわかっていことだが、ラグネは人を殺すことでしか物事を考えられない節がある。人を殺して、その人の価値を奪って、人として成長することが、人の生き方であると信じ切っている。だからこそ、そのスキルと力が、それに特化している。


 その魂に染み付いた価値観を、私は正せるだろうか……。

 いや、そもそも、それは本当に間違っているのだろうか。

 他人が気軽に否定してもいい価値観かさえ、まだ私には決められない。


 そして、私が言葉を失う間も、彼女は身の全てを吐き出すように、『夢』を語っていく。


「世界のありとあらゆるものを殺し尽くして……この世界の裏で糸を引くやつも引きずり出して殺して……殺して殺して殺して! 私は最後の一人になるっす! そうすれば、もう誰も文句のつけようのない『一番』っすからね!」


 光のおかげか、彼女の言葉は軽くなかった。ちゃんと中身がある。


 だから、わかる。

 いまラグネに罪悪感は全くない。

 過程で死んでいく人々の気持ちを、彼女は考えることができない。いや、死んでいく人々を惜しむことは、むしろ侮辱だと思っているのかもしれない。


 ――彼女はそうなっている・・・・・・・


 そういう人間になった。

 いや、この歪に強固過ぎる作りはされた・・・のか。

 お父様と同じで・・・・・・・、その作りを疑えなくもされている。

 でないと説明がつかない矛盾が多いのだ。


「そのためにも、『不老不死』は大切だって言ってるっす! この私が! 使徒でも『理を盗むもの』でもなく、『異邦人』でもない――この世界に生まれた、この世界の代表の私が!! この世界の何もかも壊して! 世界の仕組みも全て否定して! 裏で糸引いていたやつらを全員殺す! もちろん、そのときにはノスフィーさんの人生のことも謝らせてやるっすよ! だから――!!」


 そして、その矛盾をラグネは全て理解した上で、生きているようにも見える。

 自分は道を間違えていて、果てに破滅が待っていて、全て何の意味もない戦いだとわかっていて、それでも『一番』を目指すつもりのように――


「だから、手伝ってくださいっす! ノスフィーさん!! カナミじゃなくて、このラグネに! このラグネの力となってくださいっす!!」


 ラグネは全てを吐き出し、最後に協力を求めた。

 心からの要請だ。

 ここまでの言葉全てに偽りは感じなかった。

 お父様のときと同じくらいの『話し合い』だった。


 ただ、心と心をぶつけ合った末にわかったのは、ラグネ・カイクヲラとノスフィー・フーズヤーズの生き方と信念が、『逆』であることだけだった。


「ラグネの言いたいことはわかります……。もしかしたら、あなたの言い分が一番正しいのかもしれません。いまのあなたからは、わたくしたち『理を盗むもの』のような弱さと間違いだけではなく、『人』としての強さと正しさも感じます。……ただ、わたくしにはできません。できないのです」


 私はラグネの後方にある台座で横たわるお父様に視線を向けた。

 釣られて彼女も見て、私と似た暖かな表情を見せる。


「それでも、あれを……カナミのお兄さんを生き返らせるんすね」

「わたくしはお父様と家族です。やっと、わたくしはわたくしの家族を得ました。その家族を見捨てることだけはできません」


 はっきりと断言する。

 それをラグネは微笑で受け止めた。

 先ほどの『血の人形』を見たときの表情に似ている。まるで、そうなることはわかっていたかのような穏やかな微笑で、彼女は忌々しく悪態をつく。


「……家族。ああ、家族っすか。誰も彼も、家族家族……。家族、家族家族家族……。ああ、ほんとくだらないっすね。――そんなこと、言われなくてもわかってるっすよ」


 ただ、否定はし切らない。

 そこに希望を感じ、私は言葉を続ける。


「ラグネ……! きっと家族だけが、あなたの感じる暗さを払ってくれます……! わたくしも、同じ『理を盗むもの』のティティーもアイドも、みな! ラグネと同じ暗い世界を歩いていました! けれど、家族が救ってくれた!!」

「家族……。救ってくれる家族っすか……」

「ラグネ、あなたの『ママ』について話を聞かせてください。何かわたくしにできることがあるかもしれません。納得がいくまで『話し合い』をしましょう。『未練』がなくなるまで相談しましょう。全員が救われる解決策を探しましょう。だって、ここに敵なんていません。わたくしはあなたの敵ではありません。むしろ、逆です。私はあなたを助けに来ました……!」


 その言葉を証明する為に、私は武器である旗を近くの地面に突き立て、血塗れの手を前に伸ばした。

 それは私にできる最大の好意の表現だったが――ラグネにとっては逆だったようだ。侮辱されたかのような表情を見せて、笑う。


「ははは。ノスフィーさんまで、あのクズたち・・と同じことを言うっすか? そういうのが胡散臭いんすよ。さっきから、本当に胡散臭い。胡散臭い、胡散臭い胡散臭い胡散臭い――」

「確かに、そう言いたくなるのもわかります。それでも、信じてください。お願いします。どうか、わたくしのことを信じてください」


 甘言を弄することはできる。私は洗脳や扇動の専門家と言ってもいい。しかし、決してその類の技術スキルを使わず、飾りのない言葉だけをかけ続ける。


 ラグネを救うのに――いや、『理を盗むもの』を救うのに必要なものを、私は一番近くで見せてもらった。

 それに倣い、私は無防備に、一切の魔力もなく、彼女に近づいていく。ただ、手だけを彼女に伸ばす。


「ははは。……それでも・・・・信じる・・・?」


 ラグネは私の全てを曝け出した言葉を聞き、口に出して反芻していた。


 聞く耳を持ってくれている。出来る限り私の『話し合い』に付き合おうとする意志がある。


 だからこそ、ラグネは顔をしかめ、唇を一度だけ強く噛む。

 そして、視線を彷徨わせる。空と地面、自分の足元と私の足元――どうにか、自分の納得できそうな心の着地点を探しているような――そんな目の動きだ。


「――家族・・信じる・・・――」


 そして、最後に顔を僅かにそらし、背後のお父様を見て、小さく呟いた。


 瞬間、ラグネの魔力が膨らみ、私の前髪が前に揺れた。

 ずっと静かだった彼女の魔力が地鳴りのような音を出し、その色を変える。

 今朝と同じ黒に染まり、強い引力を伴っていく。

 もう一つ屋上に穴が空いたかのように、床に広がる血液を全て吸い込み始める。


 その黒い魔力の中、彼女の双眸が光り、細い声が響く。


「――それでも、信じるなんて、そんな……。信じられたら、私とお兄さんは……こんなことになってない。……信じたくても、その材料がなかった。むしろ、真実は逆ばかり。何もかも望んだ逆ばかりで……。だから、信じ続ける振りをするしか、もう……――」


 いまも尚、私の後方で『光の御旗ノスフィー・フラグ』は輝いている。

 夜の闇を払い、屋上全体を昼に変えるほどの明るさだ。


 しかし、その光を全て、ラグネの黒い魔力が弾いていく。

 暗いと嘆く彼女自身が、照らす光を拒否し、その身体を覆い隠していく。当然だが、彼女の表情が一切読み取れなくなる。


 もう無駄だと言わんばかりに、『話し合い』に必要なものが消えていく。

 そして、ラグネの口から冷たい言葉が漏れてしまう。とうとう――



「――ノスフィーさん、大嫌いっす」



 階下のファフナーと同じく、どこか狂気の混じった声だった。

 対面する者に終わりを悟らせる拒絶が濃く含まれている。


 ファフナーと違って、なまじ直前までラグネが歩み寄る努力をしていたからこそ、決裂の溝は深かった。


 間違いなく、ラグネは頑張っていた。

 あの『血の人形』が間に入ったくれたおかげで、とても冷静に『話し合い』は始まり、『素直』に心をぶつけ合えて、和解の道を両者が歩んだ。しかし、それでも無理だった。


 それを証明するラグネの攻撃が刺さる。

 いつの間にか、私の胴体の鳩尾から刃の先が生え出てきた。


「――っ!!」


 私は呻き声と共に、それを視認する。

 血に塗れたことで視認できる透明の刃を見て、ライナーから聞いていたラグネの能力を思い出す。どんな魔法だろうとも、その透明な剣を視認どころか――認識する手段はないとライナーが断言していた代物だ。


「私の名は『星の理を盗むもの』ラグネ・カイクヲラ。『光の理を盗むもの』ノスフィー・フーズヤーズの光を奪い、『永遠』に輝き続け、この世界に挑戦し続ける」


 よろける私に向かって、ラグネは事務的に名乗りを上げ、敵対の宣言をしていく。

 そこに感情は一つも乗っていない。演技者が『星の理を盗むもの』という役をこなしているかのように無機質で、低い声――


「結局、『話し合い』など無意味。勝ち残れるのは一人だけ。殺し合い、比べ合い、その命の重さで天秤を揺らし、どちらか一方を決めるだけ。世界はそう出来ている。片方は全てを失い、片方が全てを背負うだけ。背負ったものは、次へと進むだけ。どこまでも次へ次へ次へ進む。それが『人』というもの――」


 その声色から、ラグネが私の協力要請を断念し、殺害による『魔石』の入手に切り替えていることがわかる。

 懐柔なんて生ぬるい手段は終わりだと、目前の闇の球体から伝わってくる。


「それで、あなたはいいのですか……? あなた自身、よくはないと思っているのではないのですか?」

「ラグネ・カイクヲラは『一番』になると決めた。幼い頃に、あの日、あの場所で、ママと約束をした。私はママが好きで、ママも私が好き――だから、その約束は破れない。そう、私はママが好きで好きで好きで、ここまでやって来た。『一番』になればママに会えるという理由だけで、色んな人を殺して来た。いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、もはや関係ない。その意味や理由の有無も、関係ない。その価値さえも、いまや関係なくなった。たとえ、私に『生まれた意味』がなくて、『生きている理由』がなくて、『死んでいく価値』がなくても、『一番』になるという――『が私そのもの・・・・・・


 あからさまに私と会話をする気がない。

 まともな論理を保つ気すらない。

 私はラグネ・カイクヲラ。だから、『一番』を目指す。

 それだけ。たったそれだけが、彼女の理由として成立してしまっている。


「ラグネ……!!」

「だから、私という『夢』の為に死ね。『光の理を盗むもの』」


 ラグネという『夢』。

 『話し合い』は終わったが――終わったいま、やっと『星の理を盗むもの』ラグネ・カイクヲラの本質が見えてきた。


 しかし、その本質が魔法となって、私に牙を向く。

 ラグネの黒い魔力が城の屋上に広がっていき、私が立てた《光の御旗ノスフィー・フラグ》を入念に包みこみ、屋上に在る最後の光源を消失させた。さらには空さえも覆いつくし、流れる雲の形さえも捉えられなくしていく。


 ラグネは明かりを拒絶する暗闇を作り出し、そこに彼女の最大の武器である魔力の刃を浮かばせた。

 数は十ほど。

 何も見えないはずの世界に、くっきりと刃の輪郭だけは浮かんでいた。

 間もなく、それらは回り始める。


 ラグネという引力の塊を中心にして、刃が闇の海を遊泳する。

 今朝、ラグネがお父様を殺したときに見たものと同じだ。つまり、私をお父様と同じほどの怨敵と認定し、切り札を発動させたということ。


「くっ――!!」


 なんとか正面にいるラグネの表情を確認しようとすると、その隙を突いて真横から刃から迫り来る。

 身体が反射的に攻撃を避けようと動く。見え難い刃だが、私の動体視力があれば避けきれないものではない。


 首をそらし、皮一枚斬られながらも避けきる。


「――っ!!」


 けれど、それを避けたと同時に視界がずれる。

 横腹に強い衝撃が奔り、私の身体が大きく傾いていた。

 続く痛みと熱を認識して、私は刃を避け切れなかったことを理解する。


 血塗られた刃が、私の腹部を横に突き抜けているのを視認する。私が避けたと思ったものは囮で、こちらが本命だったようだ。おそらく、いま屋上には、私が感知できている以上の刃が周回しているのだろう。


 それら全てを避けきるのは体調が万全でも至難の業だ。

 いまの私には到底不可能。


 そう判断した私は――回避も防御も取らずに、前進を選ぶ。


「ラグネ、どうか……――」


 名前を呼び、ただ前に進んでいく。

 当然だが、その無防備すぎる私の前進は大きな犠牲をともなう。

 まず蛇と化している下半身に、感知できている刃とできていない刃が二つ、両方とも刺さった。


「くぅっ――!!」


 それでも、私は前に進む。

 すると次は、腹部へ追加の剣が刺さる。

 その数は十以上。


「――――っ!!」


 もう声は漏らさない。

 それでも、私は止まらない。

 首にある脊髄が断たれても、体勢の維持だけに集中する。

 手は防御でなく、刺さった刃を抜くことだけに使う。

 魔力は攻撃でなく、自身の回復だけに使う。

 決して戦うことなく、前進だけしていく。


 ただ、真っ直ぐ。

 前へ前へ。いつか辿りつけると、信じて――


「死なない……! いや、どうして、私と戦わない……!? おまえはあれを取り返しに来たんだろう!?」


 その途中、ラグネの攻撃の手が止まり、私の無抵抗を問い質してきた。

 私は『話し合い』のチャンスだけは逃すまいと、急いで返答しようとする。


「そ、それ――は、――っ、ごほっ!!」


 だが、口から血が零れて、上手く言葉が出ない。仕方なく私は立ち止まり、修復を肺と喉に優先させて、治ったばかりの声帯を震わせる。


「……ラグネと戦う意味がありません。戦う前より、わたくしは負けを認めています。お父様に勝ったあなたに、わたくしは勝てる気が全くしません。『光の理を盗むもの』が認めましょう。間違いなく、『星の理を盗むもの』は誰よりも強い。あなたは世界で『一番』です」


 敗北を認め、敵を讃えて、私はラグネの『夢』を――彼女そのものを祝福する。


「私の勝利……? 違う。まだ私はあなたを殺してすらいない。何の価値も奪えていない……! このくらいでは、まだ終わっていない……!!」


 しかし、ラグネは拒否した。


 もう視界は機能していないが、遠くで首を強く振っているのがわかる。

 まだラグネの世界は暗く、『一番』に相応しい明るさなんて、どこにもないのだろう。だから、まだ違うと主張している。


 そのかたくなな思い込みを前に、私は心を決める。


「いいえ。先程から、ラグネは何度もわたくしを殺しています。この穴だらけのわたくしをよく見てください」

「そんな詭弁!! まだ私は殺せていない! 『光の理を盗むもの』は死んでいない! だから、まだ――!!」

「ラグネ、詭弁はあなたのほうです。まだと言って、自分が『一番』だと認めないのは、なぜですか? あんなにも『一番』になりたいと言っておきながら、それを遠ざけているのは他ならぬあなたの心です」


 ラグネの本質が見え始めたいまだからこそ、はっきりと彼女の主張を否定した。


 ずっと思っていたことだが、ラグネの口にする『一番』というものには中身がない。

 『一番』なんて抽象的な言葉を使うならば、まず何の・・『一番』かを決めなければいけない。もしラグネが騎士の『一番』やフーズヤーズの『一番』と決めていたら、とっくの昔に戦いは終わっているだろう。たとえ、目標を世界の『一番』と決めていたとしても、それにすら彼女は到達してしまっている。


 ――だから、この戦いには意味がない。


 ラグネは基準を一つ決めるだけで、いつでも全てを終わらせれる。ラグネが目指した『一番』たちは全て、明るくもなければ、特に何もない場所だったと認めれば、それだけで――


「いま、あなたは自分を『夢そのもの』と称しました。ならば、その夢を叶えたとき、あなたは――」

「――っ!! 死ねっ!! 死ね、死ね死ね死ね、死ねぇええええええ!! 『星の理』ぃいいいい!!」


 もう確認できているけれど確認を終わらせない行為。

 その矛盾を指摘しようとしたとき、彼女は叫びと魔力を膨らませて拒絶した。


 何も見えない闇の中ですら視認できるほどの魔力の毒が、周回する刃に塗布されていく。


 闇の中でも、世界の歪みを強く感じた。

 その禁忌の波動から、例の『星の理を盗むもの』の『盗んだ理』であると、同類の力を使っている私は確信した。


 その例の力を受けた仲間たちから、事前に効果は聞いている。

 マリアさんは『魔力を掻き消され』『意識を飛ばされた』と言っていた。

 スノウさんは『魔力を掻き消され』『竜化を治療された』と言っていた。

 ラグネと長時間戦ったライナーは『物事の性質を裏返す力』ではないかと言っていた。


 そして、いま使ったタイミング。

 ラグネは私に祝福され、勝利を譲られ、『一番』に追い詰められかけたとき、力に頼ってしまった。


 同じ『理を盗むもの』だからこそわかる。

 ラグネの『星の理』は、彼女の認めたくないものを『反転さかさま』にする力だ。

 私が『代わり』になりたいと心の底から願ったとき、私の『光の理』は完全に開花した。それと同じように、彼女も心の底から逆さまにしたいと願った瞬間があったはずだ。


 私は『星の理』の仕組みを理解している。だから、ラグネを守るために・・・・・・・・・、その刃を私は全て避けようとする。


 だが、避けきれない。『星の理』の塗布された刃を身に受けてしまう。

 結果、私の中のあらゆるものが『反転』されて、


「――ぅ、うぐぅぁっ! ぐぇえっ、ぁあアアアッ!!」


 遠くでラグネの呻き声が響いた。

 続いて、水の跳ねる音――ラグネが嘔吐したであろう音も聞こえた。


 私は足を止めたまま、その意味を理解する。

 いま、私とラグネの戦いが始まってしまった。

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