68.I give up my eyes to fly….Alty….


「カナミ……。アイカワ、カナミ……」


 マリアは僕の本当の名前を繰り返す。


 それと共に、マリアの炎が弱まっていく。

 炎剣は綻び、剣としての形状を保てなくなり、その手を抑える僕の左手の熱も失われていく。


 言葉が届いていると実感する。


 さらに、魔法《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》が、マリアの熱を奪い、その身に宿った混乱を弱めている。


「ああ、もうマリアを苦しませない。マリアの恋だって、『悲恋』にしない。僕はマリアのものになる。それで、全て終わりだ……」


 僕は油断なく、マリアの身体を冷やし続けながら宣言する。


 それを聞いたマリアは手の炎剣を霧散させ、ゆっくりと僕のほうに身体を預ける。

 顔を僕の胸にうずめ、嬉しそうに名前を呼ぶ。


「カナミ、カナミカナミ……!! カナミさん! カナミさんの名前はカナミ――!!」


 僕は剣を手放した手で、マリアの頭を撫でる。

 マリアは撫でられながら、頭を上げ、潤んだ目で僕を見据え、叫ぶ。告白する。


「カナミさん、好きです……! 大好きです! 優しいところが好きです、大甘なところが好きです、情けないところが好きです、臆病なところが好きです、子供っぽいところが好きです、好きです好きです好きです、全部好きです――!! やっと、思い出しました・・・・・・・!!」


 ああ、似ている。

 本当によく似ている……。


 ずっと、そう思っていた。

 いまなら声を大にして言える。

 マリアは妹の陽滝と似ている。


家族・・のように、のように、好きです。もちろん、異性としても好きです。だから、ずっと……。ずっと私と一緒にいてください!!」


 叫びに合わせて、周囲の温度が上がった気がした。


 吐き出された感情が、炎となって周囲を舞っていた。

 また混乱が増すのかと、少しだけ警戒する。しかし、それを肌で感じ、杞憂であることがわかった。


 それは害をなす黒い炎ではなく、もっと純粋な歓喜の赤い炎だった。


 その炎を吐き出させながら、マリアを冷やしていく。

 マリアが安心できるように、全ての熱を奪っていく。


「ああ、僕はマリアのものだ。もう一人にしないって約束する。それで許して欲しい……」


 マリアを抱き寄せ、僕の感情全てを乗せ、目一杯の冷気で冷やしていく。

 それをマリアも受け入れている。


 一度も見たことのない表情で、僕を強く抱きしめる。


「ああ……。カナミさんは、ひんやりして気持ちいいです……」


 それを最後に、マリアの炎は全て消えていった。

 その身に宿った熱も消えていくのを感じる。


 そして、抱え込んでいた感情を吐き出し尽くし、悩みの晴れた声でマリアは呟く。


「やっと……。やっと私を見てくれました……。隣にいるって肌で感じます……」


 その言葉が全て。

 ちゃんとマリアを見て、隣にいてあげるだけでよかったのだ。

 恋心や嫉妬、炎や混乱。

 そんな難しいことは重要じゃなかった。


 ただ、目を逸らさずに、偽りなく伝えれば、それだけで――



【ステータス】

 状態:精神汚染0.12 混乱0.38 記憶障害0.48



 目に見えて、状態は回復していった。

 予想は的中していた。


 いまならばわかる。

 感情が炎を掻き立て、炎が感情を掻き立てていたのだろう。


 きっと冷気で炎だけ抑えても、言葉で感情だけを抑えても駄目だったはずだ。その両方を同時に静めることでしか、マリアは自分を取り戻せなかった。


 僕はマリアを抱きしめながら、無傷で彼女を取り戻したことに歓喜する。


 ――しかし、当然、それに納得しないやつもいる。


 僕とマリアの間に熱源が生まれ、渦のような焔が小さく弾けた。

 それによって、僕たちは離される。


 そして、宙に残った炎が喋る。


「待つんだ、マリア……。それが本当だって、信じるのか? キリストは、ずっと嘘をつき続けた男だ。また口先だけだ。この場を収めるためだけに、君を騙そうとしているんだ。君の優しさにつけこんでいるんだ……!!」


 アルティはマリアの中にいるのは間違いない。

 ゆえに炎だけでしか、僕たちに干渉することしかできない。


 僕はアルティの炎を消すため、近づこうとする。

 その間も、アルティは叫び続ける。


「『目』でわかるだろう!? 本心を曝け出したキリストならば、『目』だって通用する! 見ろっ、その男は絶対に君を幸せにしない! できない! 英雄なんて、結局、どいつもこいつも自分勝手で、周囲に不幸しか撒き散らさない!!」


 マリアは首を振って、僕の接近を制止した。


 マリアの目は確かな意思を持っていた。

 自分のことは自分で終わらせるといった覚悟も感じ取れた。僕は迷った末に、足を止めて、マリアを信じて託す。


「はい……。『目』で見えています。けど、私はカナミさんを・・・・・・信じます。信じたいんです……」

「信じちゃ駄目だ!! 私には分かるんだ……! 知っているんだ!! 英雄キリストは絶対に約束を守らない!!」


 アルティの炎は、冷えたマリアの身体を温めようと燃え盛る。

 燃え盛りながら吼える。


 それに対し、マリアは冷静さを保って答える。


「アルティさん……。同化して、少しだけですが、あなたの人生を感じました。『目』のせいで、全てを失ったあなたは、私よりもずっと悲惨で……ずっと不幸でした。アルティさんが同じ道を進ませまいと、私のために必死なのもわかります……」


 マリアはアルティに対して、何の憎しみも抱いていない。

 言葉の端々からも、その目からも、それがわかる。


「けど、私は信じたいんです。――『キリスト』、『ご主人様』は信じられません。けど、カナミさんは・・・・・・信じられます。だから、かつてのアルティさんと同じように、進ませてください」

「駄目だ駄目だ駄目だ!! 信じても、もっと辛くなるだけだ!! 届かない想いがどこまでも積もって、もっともっと苦しんで、最後に裏切られてしまう!!」


 僕には二人の話していることが全くわからなかった。

 逃げ続けた僕は、二人の関係性を全く知らないからだ。


 けれど、二人は二人にとって大切な話をしている。

 それがわかる。だから、僕は決して口を挟まない。


「いいえ、それはわかりません。まだ・・、わかりません。だって、私とアルティさんは違う人間なんです。だから、同じ最後になるとは限りません」

「限る! 同じに決まっている! 全く同じになる! だって、マリアは私と同じ――」

「いいえ、私にはアルティさんがいました。けど、アルティさんの人生には、アルティさんのような人はいませんでした。それは、大きな差です」


 ゆっくりとマリアは、アルティに感謝の念を込めて、語りかける。


「…………っ!!」


 それを聞いて、アルティは一瞬だけ口ごもる。しかし、すぐに勢いを取り戻し、炎を荒立たせて叫ぶ。


「私なんて、大した差じゃない! 私にはわかる! そうなるって、身体で知っている! 私のときはそうだった! 『目』が教えるんだ、絶対に幸せになれないって! だから――!!」

「アルティさん、ありがとうございます。私は違う道を行きます。違う道を行く方法もわかりました。そう……。なまじ『目』が見えるから、駄目だったんです……」


 その言葉と共に、マリアは両手を頭部に持っていく。


「これで、この先は誰にもわかりません――」


 そして、その指を両目に抉りこませた。


「あ、あぁあっ! ぁああぁぁぁぁっ、マリアぁあっ――!!」


 僕は足を浮かせ、それを止めさせようと思ったが、それはアルティの悲痛な声に遮られる。


 いまマリアは誰に操られることなく、自分の意思で目を抜こう・・・としている。

 それがアルティにとって、最も受け入れがたいことであるのは、その声でわかった。


 マリアの意志と決意を信じて、僕は地に足をつけて、それを見守る。


「くっ――、うぅ、ぁあぁああああっ――!」


 マリアは激痛に耐え、両目を焼きながら取り出した。

 そして、すぐに取り出した両目を、炎で燃やしてカスに変えた。


「ぁあっ、マリア! なんてことっ、なんてことを――!!」


 アルティは泣くように叫ぶ。

 それに対して、マリア優しい声で返す。


「これで、私とあなたは同じじゃありません……。もう私は『こんなもの』に惑わされない。私は私のために、カナミさんを信じます。アルティさん、お願いです……。『悲恋』で終わらないって、私に信じさせてください……」

「ぁあ……、あぁああぁぁ……」


 アルティは嘆き、咽び泣き、その炎を震わせる。


 マリアの中から炎が漏れていき、ドロリドロリと這い出る。

 それは集まると共に固まり、人型に変わっていく。


 それは幼い少女の形をとった。

 少女の形をした炎――アルティは、両手を地面について呟く。


「あ、ぁあ……。最後の親和性・・・まで崩れた……。もう一緒になれない。わ、私はまた、一人……」


 もはや、アルティの炎に力強さを感じない。


 よく見れば、周囲の炎も弱まってきている。

 アルティの心は折れかけ、それに呼応して、場の炎も弱まっているのだ。

 マリアと同じく、アルティの炎も感情と強く結びついている。


 そして、いまのやり取りが決定的だったのは間違いない。


 アルティは消える直前のロウソクの炎のように、揺らめいて、弱々しく立ち上がる。

 そこに、かつての尊大な雰囲気はない。

 年相応の子供のような目でこちらを見る。


「アルティ、まだやるのか……?」


 勝負はついたと思い、僕はアルティに確認を取る。

 マリアという盾を失った、魔法特化のアルティに勝機はない。


「ああ、やるさ……」


 しかし、アルティは弱々しさを押さえ込み、かつてのように尊大な物言いで返す。


 張りぼてだ。

 見るからに力が伴っていない。

 もはや、もう――


「確かに、マリアの『悲恋』――いや、『恋』は成就したかもしれない……。けど、まだ私の『悲恋』は成就していない。まだやる意義はある……」


 アルティは虚勢を張り続ける。

 手に炎剣を構築し、薄笑いを浮かべてこちらに歩きながら、言葉を続ける。


 それは断頭台に向かう不遜な罪人を思い浮かばせた。


「「人とモンスターが出会えば殺しあう。それがこの世の不文律」、か……。ははっ、ティーダの自分ルールも、たまには真理を突くな……」


 しかし、その身体の炎も、炎剣も、いまにも消えてしまいそうだ。


「おまえ……」


 僕はアルティを許すつもりはない。

 落ちた剣を拾い、いつでも迎撃できるように構える。


 しかし、アルティの悲痛の叫びを聞き、マリアが戻ってきた以上、僕の中の怒りが収まってきているのも確かだった。


 血迷ったような告白合戦を終え、冷静さを取り戻しつつある脳が、アルティとの和解の可能性を示唆する。


「うるさい……!! なにより、私はキリストみたいなやつが大嫌いなんだ!! 死ねっ、英雄なんて絶滅しろぉっ――!!」


 その可能性は、アルティの怨念のこもった叫びによって掻き消える。


 アルティは地を蹴って接近し、炎剣を横に振った。

 それを僕は剣の腹で受ける。


 軽い。

 力も、炎も、軽い。


「アルティ、もう――」


 もはや、アルティに力は残っていない。

 いまにも蝋燭の最後の炎のように、消えてしまう寸前だ。


 大魔法を重ね、冷気を受け続け、マリアに拒否されたとはいえ、この力のなさは異常だ。


 思い至るのは一つ。


 ――戦わずに守護者ガーディアンを殺す方法。


 守護者ガーディアンは『未練』がなくなると共に力を失い、果てには消える。


 アルティは『未練』を失いかけている。

 そうとしか考えられなかった。


 マリアに寄生していた状態で、マリアの目的達成を身近に感じてしまったせいか?

 『悲恋の成就』の一端を感じた?


 いや、違う。


 それも一因となっているだろうが……それは違うと、直感的に僕は思った。

 アルティは、もっと別の何かの『未練』が解消され、いま消えようとしている。


 おそらく、それはアルティ本人しかわからないもので、本人が最も認めたくなかった『未練』だろう。


 ゆえに、アルティは叫ぶ。


「まだ――! まだ私は『未練』がある! まだやれるっ!!」


 僕の表情から考えていることが伝わったのか、アルティは「まだ自分には『未練』がある」と必死に主張した。


 叫びながら、炎を噴出させ、剣を振るう。

 その姿は、その身に残った最後の力を燃焼させようとしているとしか見えない。


 その決死の炎剣を、徐々に僕は防ぎ切れなくなってくる。

 アルティが消える直前とはいえ、僕だって死ぬ直前だ。


 ――結果、手加減することができず、僕はアルティの身体を撫で斬りにする。


 それでも、アルティは止まらない。

 アルティの炎剣が僕の首を捉えかけ、僕は咄嗟に彼女の腕を斬り飛ばす。


 アルティの細い腕が宙を舞い、赤い血が地面を彩る。

 飛んだ腕は炎となって消え、赤い血は地面に炎の花を咲かせた。


 堪らなく美しく、堪らなく不快だった。

 アルティの腕を斬ったという事実。その感触。全てが不快だった。


 対照的に、アルティは笑う。

 充足しているような顔で呟きながら、炎剣を残った手に構築する。


「ああ、『血が、肉が燃える』……。『血油を足し、肉体が燃え盛る』……。しかし、かまわない。『人は肉体に生きるのではない、心に灯った炎に生きる』のだから……。『魂に燃え盛る煉獄』が消えぬ限り、私は止まらない……」


 アルティは血を吐きながら『詠唱』し、僕に斬りかかる。

 いや、吐いているのは血じゃない。炎を――自分を、削りながらアルティは戦っている。


 その気迫に、僅かながら圧される。

 決死の覚悟が僕の剣を鈍らせる。


 しかし、それでもアルティの剣は届かない。


 アルティの最後の一閃は、間に入ったマリアの炎剣によって遮られたのだ。

 炎剣と炎剣が絡み合い、溶け合い、消えていく。


「すみません、アルティさん――」

「マ、マリア――」


 アルティは悲しそうに名前を呼び返し――そして、目まぐるしく表情を変える。


 悲しいような、喜んでいるような、不満げな、満足げな、様々な感情を織り成し、ついには後ろに下がる。


 距離を取り、俯いて、呟く。


「負けだ……」


 アルティは呟く。


「私の負けだよ……。おめでとう、キリスト。いや、アイカワ・カナミ。これで、10層の『試練』は終わりだ……」


 終わりを告げた。


 アルティの胴体は千切れかけ、腕を失い、炎も魔力も残り僅かしかない。誰の目から見ても、勝敗は明らかだ。アルティ自身、それを認めた。


 しかし、しおらしく敗北を受け入れたのも束の間で、すぐに薄笑いを浮かべて、強気に僕を睨む。


「しかし、私が負けたのはおまえじゃない。マリアにだ。そこを勘違いしないでくれよ」


 そう言いながら、アルティはマリアを見て微笑む。

 そして、僕とマリアが見守る中、アルティは自分の両目に指を入れる。


「おいっ、アルティ! 何を――」

「本当なら、勝者には魔石が与えられる。が、今回はなしだ。悪いな、カナミ。こればっかりは譲れない」


 アルティは笑ったまま、両目をくりぬき、的外れな返答ではぐらかす。

 くりぬかれた両目は、マリアの時と同じく、炎となって消えた。アルティはマリアと『同じ』になった。


 それを見たマリアは、何かを感じ取ったのか、真剣な面持ちで前に出る。

 僕は危険を感じて止めようとしたが、逆に制止をかけられる。


 マリアは厳粛な表情で、アルティに近づいていく。

 アルティも同じような表情で、マリアに近づいていく。


 二人は手を合わせ、額を合わせ、最後の別れを告げ合う。


「これで、同じだ・・・。――連れて行ってくれ、マリア」

「もちろんです。アルティさんは、私の『親友』です――」


 二人の間に、どんな時間が存在していたのか僕には分からない。


 僕にとって、アルティはマリアを狂わせた化け物でしかない。

 しかし、マリアは彼女を『親友』と呼んだ。

 それが、なぜか、心のどこかを――ちくりと痛めた。


 本当なら、その役目は、きっと――


 アルティは頭部さえも固形に保てなくなっていた。

 そして、僕にも最後の言葉を告げる。


「カナミ。マリアをいじめてくれるなよ。見てるからな」


 何も言い返せない。

 言い返せるほど、僕はアルティのことを知らない。

 知ろうとしなかった。それだけのこと。


 無言の僕を見て、アルティは溜め息をつく。

 しかし、どこか満足げだ。それ以上、何も言ってこない。


 アルティは満足げに空を見上げる。

 大量の炎と煙によって、空は曇り空に変わっていた。

 しかし、その灰色の空をアルティは眩しそうに見上げる。


 炎が光に、少しずつ変換されていく。


「ああ、最悪だ……。けど、今回は・・・、言いたいことが言えたかな。それだ、け、でいい、か……」


 誰に言うわけでもなく、アルティは空に呟く。

 アルティの全てが光となっていき、その言葉は掠れていく。


「わ、たし……、がん、ばっ、たよ……――」


 その途切れ途切れの言葉を最後に、アルティは消えた。


 消えて、魔石が一つ、マリアの手に落ちる。しかし、それはすぐに形状を失い、小さな炎となって、マリアの身体に吸収された。



【称号『火の灰かぶり』を獲得しました】

 火炎魔法に+0.50の補正がつきます



 『表示』が網膜に映し出され、アルティという名前のモンスターが確かに死んだことを伝える。


 アルティという主を失い、周囲を囲んでいた炎も弱まっていく。


 同時に、雨が降る。

 この炎の空間をなかったことしようと、曇り空から雨が降ってきた。


「あ、雨……」


 家についた炎が消え、気温も下がるため、僕にとっては都合がいい。

 しかし、炎が一気に消えてしまうと、おそらく炎のせいで近づけなかったヴァルトの警備兵などが近づけるようになる。


 僕は急いで、マリアに近づいて話しかける。


「大丈夫か、マリア……。目は……」

「いえ、炎があれば見えます。それより、カナミさんこそ……」


 マリアは両の手のひらで空間を作り、その中に炎を生んでいる。

 いつの間に修得したのかはわからないが、アルティと同じ能力だろう。それで周囲の情報が拾えるようだ。


「僕は大丈夫だ。それよりも、ここを離れるぞ。炎が消えれば、人がここまで来てしまう」


 正直、油断すると、いまにも意識が飛びそうだ。

 しかし、ここにきてそれは許されない。


 ヴァルトを出て、安全を確保するまでは気を失うわけにはいかない。できれば、今日中にはラスティアラたちと合流をしたい。

 合流さえすれば、もう怖いものはないのだ。


 それで皆、元通りだ。

 色々とあったけど、マリアは取り戻した。

 これでまた――


 僕とマリアは倒れそうな身体に鞭を打って、歩き出そうとして――



 ――拍手の音が・・・・・聞こえてくる・・・・・・



 冷たい手で背中をなぞられたような寒気がした。


 この展開、この拍手を、僕は何度も経験した。一段落を終えたときの油断を突かれて、いつの間にか接近を許している。いつもの展開――


 拍手は、弱まった炎の一角から聞こえた。

 その炎の向こう側から、一人の男がこちらに歩いてくる。


「おめでとう、キリストの兄さん。いや、もうアイカワ・カナミか」


 嬉しそうに拍手を鳴らしながら現れていたのは、パリンクロン。

 パリンクロン・レガシィだった。 


「――パリンクロン! なんで、ここに!?」


 驚きの声をあげる。

 ラスティアラたちを追っていると思っていた。

 しかし、パリンクロンはタイミングを見計らったかのように現れた。


「こっちはすぐに終わった。色々あって冷めちまってな。こっちへ来たわけだ」 


 終わった……?

 それはラスティアラ一行がパリンクロンに負けたということか?


 実力的にありえない。

 負傷があれど、その全員がパリンクロンより上位の存在だ。


 なにより、パリンクロンは不満そうな顔をしている。

 予定外のことがあって、思い通りにいかなかったため、ここに早く戻ってこれたように見える。


 パリンクロンは血塗れの剣に目をやって、何かを思い出している。

 不快そうに……。


 僕は即座に逃走経路を頭の中で浮かべる。

 

 正直なところ、一対一の戦闘ならば負ける気はしない。

 あと少し最大HPを削れば、他の『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』と同じく無傷で勝てるはずだ。


 ――しかし、戦いたくない。


 この男と戦うな。

 そう僕の本能がそう告げている。


 逃げるのならば、パリンクロンのいる方向の逆しかない。

 だが、そちらはフーズヤーズの方向だ。それに、マリアがパリンクロンの速さを下回っているため、ただ逃走するだけでは簡単に追いつかれてしまう。


 僕は必死に頭を回転させながら、パリンクロンの一挙一動を『注視』する。


 それに対し、パリンクロンは余裕の表情で宣言する。


「おめでとう、カナミ。しかし、まだだ。まだ『試練』は終わらないぜ。そうだな、前口上は真似させてもらおうか」


 試練は終わらない? 

 前口上?


 ぞわりと背中を震わせる。

 同時に、空から降る雨が、黒く見える錯覚が――


いまからだ・・・・・いまから・・・この連合国が・・・・・・二十層・・。『闇の理を盗むもの』ティーダの階層だ。出張の上、急造で申し訳ないが、この国々は迷宮の二十層だと思ってくれ。さあ、『第二十の試練』を始めようか」


 パリンクロンは血塗れの剣を構えて、戦う意思を見せた。




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