158.木の理を盗むもの

 すぐに『木の理を盗むもの』の戦意は霧散した。

 霧散したのは、恐れの感情からだと誰もがわかった。

 しかし、目の前の守護者ガーディアンが僕の何に恐れたのかはわからない。僕は魔力を放ってもいなければ、剣も抜いていなかった。


 できるだけ彼を刺激しないように、僕は丁寧に自己紹介を始める。


「……初めまして、相川渦波です」


 それを聞いた『木の理を盗むもの』は目を見開く。


「は、初めまして……? もしやもしや、このアイドのことがおわかりにならない?」


 アイドと名乗り、両手を広げて自分の存在を示す。

 しかし、僕に覚えはない。

 ここまで特徴的な魔力と身体の男、一度見れば忘れるわけがない。


「ええ、あなたと会うのは初めてです……」


 本心からそう言う。

 その言葉に偽りのないことを感じ取った『木の理を盗むもの』アイドは不思議がる。そして、僕や仲間たちを置いて、ぶつぶつと呟き始めた。

 僕は《ディメンション》でその言葉を拾う。


「な、何がどうなっているのでしょう? つまり、渦波様は『魔法陣』や『迷宮』どころか、『再誕』にも失敗した? 誰の『悲願』も叶わなかった? だから守護者ガーディアンのルールがこんなにも甘い? ならっ、ならばあのあと世界はどうなって――!」


 混乱しているのは明らかだった。

 青い顔で自問自答を繰り返し続け、頭をかきむしる。


 僕は『木の理を盗むもの』を落ち着かせようと、近づいて手を伸ばす。

 それに気づいた彼は、はっと顔をあげて、僕から一歩遠ざかる。まるで怯える猫のような反応だ。


 そして、極めて低い声でアイドは自問自答の結論を出す。


「――……ふう。いえ、どちらにせよ、自分には関係ないことですね。もはや、いまとなっては全てが関係ありません」


 大きく深呼吸をして、戸惑いにけりをつけたのがわかる。

 泳いでいた目が定まり、僕を真っすぐと見つめる。

 その目を見つめ返し、僕は聞く。


「すみません、僕を誰かと勘違いしていませんか? 本当に僕と会ったことがあるんですか?」


 彼に色々と聞きたいことはある。その中で、いま一番知りたいのは迷宮や守護者ガーディアンについて――ではなく、僕自身のことだった。


 しかし、彼は問いに答えることなく、独白し続ける。まだ全ての感情を整理しきれてはいないようだ。


「ええ、そうですとも。何もかも終わったのです。ゆえに、あなた様が自分の王を唆したことも忘れましょう。もう終わったこと、もう関係ないことです」


 僕が王を唆した……?

 関係ないと言いつつも、その瞳には敵意が宿っていた。その瞳に僕は覚えがある。


 パリンクロンに記憶を奪われていた状態で、ライナーと再会したときと同じだ。あのとき、ライナーの瞳に隠れた敵意を感じ、しかし身に覚えがないため困惑した。

 同種の困惑が僕を襲う。


「しかし、自分は諦めてはおりませんよ。自分はもう一度、戦う所存です。今度こそ、千年前の無念を晴らしてみせます。自分は、自分は――」


 僕を置いて、彼は宣誓しようとする。

 それを僕は一字一句聞き逃さないようにする。おそらく、それこそが『木の理を盗むもの』の未練であり死に様だからだ。


「もう一度王国を作り、『統べる王ロード』の帰還を待ちます。彼女なら近い将来、間違いなく『あそこ』から抜け出すことができるでしょう。そして今度こそ、『統べる王ロード』が勝利するのです。自分たちの手によって、大陸に平和をもたらす・・・・・・・・・・――! そう、それこそが王の願いであり、自分の願いなのですから――!!」


 その未練は、他の三人と比べ、余りに壮大すぎた。

 世界平和を願う守護者ガーディアンは、宣誓を終えて身体の震えを全て取り除いた。


 恐怖を克服したアイドは、下がった一歩分だけ前へ出て、僕に聞く。


「聞いての通り、自分の望みは以前と変わりません。聞かせてください。いまのカナミ様の望みは何ですか?」


 その気迫に押されるがまま、僕は目的をこぼしてしまう。


「……僕は探索者ですので、迷宮の最深部を目指しています」


 それを聞いた『木の理を盗むもの』は、少しだけ怪しむ気配を見せる。

 一切の油断なく僕を観察して、言葉の真偽を探っているのがわかる。


 こうも警戒されてしまっては情報交換なんてできない。仕方なく、僕自身のことではなく、彼自身のことを聞く。


「ちょ、ちょっと待ってください。正直、僕にはアイドさんの言っているほとんどがよくわかりません。なので、あなたについて少しお聞きしたいのですが……」


 下手に出て、説明を願う。

 それを見た『木の理を盗むもの』は戦意を萎ませていく。いまの対応は予想外だったようだ。


「本当にお変わりになられましたね、渦波様。自分相手に敬語も敬称も必要ありませんよ。こちらがむずかゆいほどです」


 くすりと笑って、彼は肩の力を抜いた。


「……わかった。そうさせてもらうよ、アイド。守護者ガーディアン相手には、僕もこっちのほうがやりやすい」


 僕は彼を気安くアイドと呼ぶ。

 部屋の空気が少し軽くなった気がした。


「して、自分の話ですか……。しかし、いまのあなた様にどこまで話していいものやら」


 アイドは笑いながら、話を始める。

 少しだけ気が楽になった。このまま、彼と笑いあいながら話を進めれば、ここまで来た甲斐がある。欲を言えば、彼ともローウェンのときのように友好的でありたい。


「いまのあなた様なら、自分の食指も動きます。だというのに、そのあなた様に全てを話し、また同じことを繰り返すのは避けたいところです。ええ、二度も騙されたくはありません、ので――」


 しかし、そんな淡い期待はあっけなく裏切られる。


「――ライナー様。渦波様と戦い、追い詰めてみてください」


 それは誰も予想していなかった言葉だった。

 仲間であるはずのライナーたちも口をぽかんと開けた。


「は、は? 何言ってるんだ、アイド」


 ライナーはアイドの言葉を理解しきれず、戸惑う。


「確認しなければなりません。いまのカナミ様は『凡夫』なのか、『英雄』なのか、『王』なのか、それともそれ以上のものなのか。もしも以前と同じならば、そのときは――」

「いや、だから言っている意味がわからないんだって。あんたはキリストと仲良くしたいんじゃないのか? なら、なんでキリストと戦う?」


 我慢しきれず、ライナーは立ち上がる。


「人は追い詰められたときこそ、その本性が出ます。自分は王のために臣下を集めていると言ったでしょう? いわばこれは面接です。渦波様が本当の意味で自分たちの仲間になれるかどうか、試したいのです」

「いつもの適当な面接はどうした! なんで、キリストだけ追い詰める必要がある!」

「確かめるためです。裏のある人間を仲間にするわけにはいかないでしょう?」

「だから、なんでそこで戦うって手段を選ぶんだ。わけがわからないっ」


 ライナーはアイドの目的までは理解した。しかし、その手段を選ぶ理由までは理解できないようだ。話にならないとわかり首を振る。


 ただ、他の仲間は違った。

 後ろに付き添う赤と黒の『魔石人間ジュエルクルス』たちは、誤解なくアイドの思惑を理解していた。


「えーと、つまりアイド先生。この人も仲間になるかもしれないんだね? だから、いまから力を試したいってこと? ついでに本性も探るってこと?」


 ルージュの赤い魔力が漏れ始める。

 いまにも魔法を構築する勢いだった。


「はい。渦波様は『統べる王ロード』が戻るまでの『王』の代用にもなれるほどの方です。なにせ、その実績のある方ですから」


 アイドの言葉を聞き、ルージュとノワールの頬に赤みが差す。

 見るからに興奮した様子で、戦意を表に出し始める。

 物静かだったノワールも、饒舌に語り出す。


「ええ、ええっ。確かに見た目がいいですよね、この英雄様っ。ぜひぜひ仲間になってもらいたいと私も思います……。いや、できれば、私の主に、ふふっ、ふふふ、私の仕える主様に――!」


 ルージュも部屋に魔力を充満させながら言う。


「……人間はみんな仮面を被って生きてる。ギリギリまで追い詰めないと、その素顔は見れないもんね。仕方ないか」


 その中、ライナーとシアの二人は反対し続ける。


「僕は反対だ。こんなことをやってるときじゃない」

「わ、私も反対です! もっと平和な方法でお願いします!!」


 アイドは指を鳴らして、魔法を唱える。


「――《スリープ》。とりあえず、リーダーはハイリ様と同じように眠っていただきましょうか」


 すると、糸の切れた人形のようにシアは崩れ落ちる。

 くかーと暢気な寝息を立てて、ハイリにもたれかかるかのようにシアは眠る。

 その横でライナーは舌打ちをする。


「そして、ライナー様。自分は補助魔法しか使えず、その補助魔法は真人間にしか通りが良くありません。おそらく、ルージュとノワールだけでは力が足らないことでしょう。――この子たちに限界まで戦わせる気ですか?」


 アイドの言葉にライナーは歯を食いしばる。

 少しだけ目を伏せて思考したあと、忌々しく呟いた。


「……やればいいんだろ。やればっ」


 風の魔力が、赤と黒の魔力に上乗せされる。

 僕はライナーの制止を期待して静観していたが、もはや戦闘が避けられないと悟る。


「ライナー、できれば止めてほしいんだけど……」


 最も話の通じるライナーに確認を取る。これを断られたら、本格的に戦闘態勢へ入らないといけない。

 ライナーは申し訳なさそうに首を振る。


「悪い、キリスト……」


 その返答を聞き、僕もライナーと同じ表情を作る。

 席を立ち、『持ち物』から『アレイス家の宝剣ローウェン』を抜く。


 ライナーも剣を抜く。

 手錠はされたままだ。しかし、魔法の風による浮力で、腰の鞘から『ルフ・ブリンガー』を器用に抜いた。


「……正直なところ、僕もアイドの言う『キリストの本性』ってやつが気になる」


 折れた『ルフ・ブリンガー』が宙に浮く。その魔剣は半分に折れているため、剣先側と柄側の二つに分かれている。その両方の刃が、僕へと向けられる。

 そして、ライナーは死相の浮いた顔で微笑む。


「危なくなったら、こっちを殺してくれても構わない。あんたなら簡単だろ? 心配しなくても、ここにいる全員、どうせ放っておいても死ぬやつらだ。死んでも文句は言わない」


 面倒なら殺せと薦めながら、距離を詰める。


「それはそれでやりにくいんだけどね……」


 だからと言って「はい、そうですか」と殺せるわけがない。

 僕はシアから受け取った手紙を『持ち物』へ入れながら、逃走ルートを《ディメンション》で割り出し始める。

 パリンクロンの情報は得た。これ以上の長居は無用だ。


 客間の空気が張り詰めていく。

 物音一つで、空気が破けてしまいそうなほど。


「――では、お願いします」


 そして、アイドによる戦闘開始の合図が下される。

 同時に全員の魔力が爆発的に膨らむ。


「共鳴魔法――」

「共鳴魔法――」


 まず、ルージュとノワールの重なった声が響き渡る。二人の魔力がパレットの絵の具のように混ざり合い、全く別の魔力へと変換されていく。

 僕は距離を取りながら、その魔法構築に干渉する。


「――魔法《次元の冬ディ・ウィンター》!」


 展開していた《ディメンション》に氷結属性の魔力を足して、少女たちの魔法を妨害しにいく。


「――《ズィッテルト・ワインド》」


 柔らかな一陣の風が吹く。

 その風は魔法《次元の冬ディ・ウィンター》に絡みついた。

 妨害しようとする冷気を、逆にライナーの風が妨害してきたのだと理解する。

 『魔法相殺カウンターマジック』に失敗し、ルージュとノワールの共鳴魔法が完成してしまう。


「――《グラヴィティ・グリード》!」

「――《グラヴィティ・グリード》!」


 共鳴魔法《グラヴィティ・グリード》。

 初めて聞く魔法だ。

 そして、それを構築する魔力の質も初めて見る。ゆえに、その効果を事前に予測することは不可能だった。


 少女二人で練り上げた魔力が客間全体へ満たされた瞬間――視界の色彩が反転する。

 空間が、上から下へと、ずれる。


 まるでエレベーターで急上昇しているかのような力に襲われ、部屋の家具が軋みをあげる。そして、背中に成人男性が十人乗ったかのような重みを感じ、僕は膝を突いてしまう。

 『重力』。もしくは、それに近い何かを操る魔法だと直感する。


 そして、まだ魔法《グラヴィティ・グリード》の効果は終わらない。


 この急激な重力増加は、いわば状況作り。《フレイム・守護炎イージス》の本命が《フレイム・アロー》であるように、この共鳴魔法にも本命があった。


 黒い少女ノワールから尋常でない量の魔力が膨らみ、――弾ける。

 続いて鼓膜を破るかのような轟音。

 目には映らない。しかし、客間の床も天井も捻じ曲げる魔力の塊が、真っすぐ僕へと向かってきているのを《ディメンション》で感じ取る。


「――す、水晶魔法《クォーツ》!」


 重力によって身体を抑えつけられているため、回避ではなく防御を選択する。

 魔力を『アレイス家の宝剣ローウェン』に通し、強引に形状を剣から盾へと変化させる。攻撃手段を減らすことになるが仕方ない。そこらの土や木を錬金するより、水晶の剣そのものに干渉するほうが早いのだ。

 盾の精製は間一髪で間に合い、魔力の塊を受けきる。


 しかし、恐ろしい魔力の圧力が、盾越しに僕の身体を押してくる。

 簡単に両足は床を離れ、後方の壁へと叩き付けられる。老朽化していた木製の壁は、砂糖菓子のように砕けた。

 その勢いのまま、僕は別荘の庭へと吹き飛ばされる。


 背中を強打し、僕は呻き声をあげる。

 ステータスを見ずとも、HPが減ったのは間違いないだろう。けれど、これで館の外へ出れた。このまま、脇目も振らずに走って逃げようとして――


「――《ワインド》」


 逃げる先で、禍々しい魔剣が宙を舞っていた。

 ライナーの『魔力風刃化』の補修によって、折れた『ルフ・ブリンガー』は見事な二本の長剣と化していた。踊るように風の魔剣が、僕へと襲いかかってくる。


 片方を盾状の『アレイス家の宝剣ローウェン』で防ぎ、もう片方は『持ち物』から出した『クレセントペクトラズリの直剣』で受ける。


 人が持って扱う双剣とは異なる剣筋に、僕は翻弄される。ローウェンの剣術の経験の中にも、こんな特殊な条件下の戦闘はない。

 魔剣に足止めされている間に、館の中から守護者ガーディアンアイド、『魔石人間ジュエルクルス』のルージュとノワールが出てくる。


 ライナーの姿が見えない。そう思ったとき、空から風が落ちてくる。

 咄嗟に剣を振るう。


 足から風の刃を伸ばしたライナーが降ってきた。

 寸前で『クレセントペクトラズリの直剣』が、ライナーの『魔力風刃化』の刃を弾く。ライナーは弾き飛ばされながら、宙を踊っていた二本の魔剣を引き寄せる。

 華麗に着地したあとは、『ルフ・ブリンガー』を身体の周りに浮遊させている。


 そして、前方にはアイド、ルージュ、ノワール、後方にライナーという包囲網が完成してしまう。


 ライナーの奇襲に気づけなかったことを不可解に思い、《ディメンション》を強める。ライナーの周囲を流れる柔らかい風が《ディメンション》に干渉していた。あの風によって、魔法の知覚範囲に穴ができているようだ。


「ちょっと苦しいかな……」


 僕は四対一という状況に汗を垂らす。

 とはいえ、まだ守護者ガーディアンであるアイドは戦闘にほとんど参加していない。緑色の魔力を目の前の少女二人に纏わせているだけだ。

 警戒を途切れさせることなく、ルージュたちの状態を確認する。



【ステータス】

 状態:身体強化1.45 魔力強化2.02



 見る限り、ただの強化魔法だ。先ほどの回復魔法からして前に出て戦うタイプでないようだ。

 いまの間を使って、ステータスも素早く確認する。



 【ステータス】

 名前:イレブンエス HP88/88 MP312/345 クラス:魔法使い

 レベル20

 筋力2.47 体力2.22 技量3.19 速さ2.12 賢さ4.24 魔力24.77 素質2.11

 先天スキル:星魔法2.03 属性魔法1.02  血術1.01

 後天スキル:素体0.44 体術1.12

 【ステータス】

 名前:プロトエス HP86/86 MP352/385 クラス:魔法使い

 レベル16

 筋力2.23 体力2.04 技量3.45 速さ2.01 賢さ4.20 魔力26.23 素質2.70

 先天スキル:星魔法2.72 属性魔法2.12  血術1.01

 後天スキル:素体0.35

 【ステータス】

 名前:ライナー・ヘルヴィルシャイン HP229/229 MP77/144 クラス:騎士

 レベル18

 筋力8.14 体力5.72 技量6.21 速さ9.56 賢さ7.89 魔力7.44 素質1.89

 先天スキル:風魔法1.82

 後天スキル:剣術1.98 神聖魔法1.07 最適行動1.01



 少女たちの名前とスキルから、特殊な属性の魔法使いとして作られたことがわかる。


 未知数の魔法使い三人と騎士一人。

 逃げるだけならば、いくらでも手はある。しかし、守護者ガーディアンの底が見えない。この状況で容易に背中を見せていいものかと迷う。

 結果、大型の攻撃魔法を選択する。


「――氷結魔法《ミドガルズ・フリーズ》!」


 氷の蛇が足元から昇るように精製されていく。

 僕の魔法に反応して、ルージュとノワールも大型の魔法を構築する。


「共鳴魔法《グラヴィティ・デーモン》!」

「共鳴魔法《グラヴィティ・デーモン》!」


 発声と同時に、目に見えない『何か』が庭に産まれる。

 その『何か』は大型の獣が大地を踏み荒らすかのように、庭の地面を抉りながら僕へ向かって走り出す。

 庭の草花が散り、木が砕けていく。


 僕は用意した氷の蛇をその『何か』ではなく、空へ向けて放つ。

 氷の蛇は天高く舞い、空で氷の花火となって弾けた。


 その大型魔法の無駄使いを見て、ルージュとノワールは困惑する。

 

 彼女らの困惑を置いて、僕は見えない『何か』を身体能力だけで対応する。

 館を出たことで、身体を束縛する重みからは抜け出した。部屋の中と違って、十分な広さもある。わざわざ純正魔法使いに魔法で対抗する必要性は感じない。


 横に飛び跳ねて、見えない『何か』を避ける。

 しかし、避けられた『何か』は進行方向を途中で変えて、逃げる僕を追いかける。どうやら、獲物を追う獣のごとく、誘導する魔法のようだ。


 さらにライナーが僕の逃げる先を予測して距離を詰めてくる。

 少し苦しくなってきた。


 しかし、少女二人は手を緩めない。

 僕の身体能力の高さを見て、魔法を追加する。


「《ヴァブリアル・グリード》!」

「《ヴァブリアル・グリード》!」


 少女二人の足元から、水しぶきのように次元魔法《フォーム》に似た泡が大量に溢れ出す。

 手のひらサイズほどの泡はシャボン玉のように浮いて、庭を埋め尽くしていった。僕は《ディメンション》でその魔法を観察する。


 『何か』が大木を倒したことで多くの葉っぱが庭に舞っていた。その一つの葉に泡が付着する。途端に葉っぱは地面へと急落下した。


 その情報から、僕はルージュとノワールの魔法について当たりをつける。

 ぱっと見たところ、まるで重力を操っているように見える。もしくは抵抗力や浮力、引力や斥力に干渉しているのかもしれない。

 そこまで考え――すぐに元の世界の常識にのっとった科学的な思考を振り払う。

 魔法を真面目に考察すれば馬鹿を見るのはこっちだ。仲間のマリアやディアのおかげで、それを僕はよくわかっている。

 下手をすれば、物の質量を変更したり、世界の法則そのものを書き換えている可能性もある。

 いまは『魔力で下へ引っ張る』のが得意な魔法使いたち、と漠然に考えたほうがいい。


 つまり、いま迫ってきている見えない『何か』の魔法に触れれば、地面へ束縛される可能性が高い。剣で触れるのも避けるべきだ。


 僕は庭を跳び回りながら『何か』から逃げる。周囲に浮いている無数の泡も避けているため、その動きは曲芸に近くなっている。


 当然、飛び跳ねながら脱出の隙を窺ってはいる。

 しかし、要所でライナーが双剣で攻撃してくるため、庭からの脱出ルートを確立できない。ライナーの出入りは激しく、反撃で彼を倒すことは難しいのも厄介だ。


 なかなか厳しい状況だ。

 このまま、ルージュとノワールの魔法が足されていけば、そのうちどれかの魔法を食らってしまうだろう。


 しかし、それでも僕は長期戦を選択する。


 一向に捕まらない僕に苛立ち、ルージュとノワールは泡と見えない『何か』の数を増やしていく。比例して、庭もさらに荒れていく。見えない『何か』によって地面を掘り起こされ、緑に溢れた庭が見るも無残な茶色い耕地へと変わっていく。


「あーもうっ、すばしっこい! でも、あと少しで、捕まえられる!!」

「もう、逃げ場はない……! これで、詰み……!」


 ルージュとノワールは勝利を確信して、とどめを刺すべく魔法を足そうとする。

 確かに彼女たちの言うとおり、僕の限界は近い。

 けれど「これで詰み」と言いたいのは、むしろ僕のほうだった。


 もしハイリが起きていれば気づけただろう。しかし、いまここに次元魔法使いは僕しかいない。僕は勝利を確信する。


 四方から迫り来る見えない『何か』。

 囲い込んだ泡によって僕の逃げ場はなし。

 ガッツポーズを取るルージュとノワール。

 そこへ響く声――


「――共鳴魔法《フレイム・守護炎イージス》!」

「――共鳴魔法《フレイム・守護炎イージス》!」


 四角形や輪状といった様々な形の炎が、空を覆いつくす。

 それはまるで日中に煌く星々のようだった。


「《フレイムアロー・散花フォールフラワー》!」


 そして、星々から、白い雨が振る。

 光線にも似た火炎魔法が、大量に庭へと落ちる。

 その暴虐なる火炎魔法は、庭に展開していた全ての泡を散らし、見えない『何か』を貫いた。ルージュとノワールが時間をかけて作った魔法の包囲網が、一瞬で全壊する。

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