159.すれ違い


 続いて、空から両脇にディアとマリアを抱えたラスティアラが落ちてくる。

 どうやら、家屋の屋根の上を跳んで移動してきたようだ。


「カナミ! 大丈夫!?」


 隣に降り立ったラスティアラは僕の安否を確認しながら、両脇の二人を地面に下ろす。


「こいつら……、よくもカナミを……!」

「カナミさん、この人たち殺しても構いませんか? 許可をください。いますぐ許可を」


 怒りでディアとマリアの表情が大変なことになっていた。


 援軍は嬉しいが、これはこれで厄介だ。正直、さっきの炎の雨もやりすぎた。明らかに地上で撃っていい出力じゃなかった。

 二人が暴走しないように、まず宥めにかかる。


「い、いや、そこまでしなくていい! これは試合みたいなものだから! 向こうに殺意はないから!」

「試合、ですか……? それにしては尋常でない様子に見えましたが……」


 マリアは殺気を収めることなく、周囲を見回す。


 ライナーはマリアから目を背け、ルージュとノワールは大口を開けて驚いていた。

 その中、アイドだけが冷静に状況を把握して、挨拶をする。


「ふむ、お客様が増えたようですね。初めまして、自分の名前はアイドと言います」


 値踏みするかのように僕たち四人を眺める。

 そして、その目は宝石を見るかのように輝いていた。


「ふっ、ふふふっ、圧巻ですね。お客様方、みな才能と気品に満ちています。……ライナー様! このままお客様方全員と戦ってください!」

「ま、待ってくれ、アイド先生! この面子に手を出すのだけはまずい!」


 戦闘の続行をライナーへと指示するが、ライナーは顔を青くして首を振った。

 彼は『舞闘会』の試合を見ている。そのせいか、本気になったラスティアラを相手にはしたくなさそうだ。


 僕もライナーの言葉に乗っかって、停戦を提案する。


「アイド! 僕なら試合で納得できるが、こっちの三人に冗談は通じない! もうやめろ!!」


 下手をすれば、この場で四十層の試練が始まってしまう。


 まだ僕はアイドという存在について何も理解していない。分かり合えるかもしれない相手を、ただ倒すのだけは避けたかった。

 しかし、その必死な配慮はアイドに届かない。


「お気になさらず、渦波様。自分の魔法ならば、死にさえしなければ完治します。こと治療において、自分の右に出るものはいませんからね。存分に、ええ、存分に・・・戦ってください。そして見せてください、あなた様の心の底を――!」


 アイドに引く気はないようだった。

 それを聞いたマリアは炎を漲らせる。


「カナミさん、ああ言ってますが……?」


 許可さえあれば、いまにも館を吹き飛ばしそうだ。

 ディアなんて無言で魔法構築を終えている。レイルさんの館を更地にした実績は記憶に新しいので、冷や汗が流れてしまう。


 その剣呑な空気に、僕は仲間を呼んだことを早々に後悔する。

 そして、どう説得しようかと考える僕を置いて、ルージュとノワールが魔法を構築し始めてしまう。


「そうこう言ってる間にやるよぉー!」

「ちょっとびっくりしましたけど、奇襲でなければ私たちが魔法で負けるわけありません!」 

「――共鳴魔法《グラヴィティ・デーモン》!」

「――共鳴魔法《グラヴィティ・デーモン》!」


 全てを押し潰す魔力の塊が、地面を削りながらこちらへ襲い掛かってくる。

 敵の攻撃に呼応して、こちらの魔法使い二人も魔法を使う。


「――神聖魔法《シオン》」

「――火炎魔法《フレイムフランベルジュ》」


 ディアの光が魔法の勢いを衰えさせ、マリアの炎が真っ二つに切り裂く。

 一瞬にしてルージュとノワールの渾身の魔法は消されてしまった。


「へ、え……?」

「あれ……?」


 よほど自分たちの魔法に自信があったのだろう。魔法を消されたルージュとノワールは、目の前の状況が信じられない様子だった。


 その隙を突いて、ラスティアラが少女たちへ襲いかかる。

 彼女の性格上、いきなり殺しにいきはしないだろうが、腕の一本や二本は平気で折りそうだ。それを舞闘会準決勝を見て知っているライナーは、慌てて間に入る。


「ま、待ってくれ、現人神!」

「弟っ、邪魔!」


 ライナーの双剣術を、あっさりとラスティアラは超える。何の援護もない真っ向勝負となれば、まだライナーは僕たちに及ばない。

 ラスティアラの猛攻を受け止めきれず、ライナーは蹴り飛ばされる。 

 しかし、その攻防で時間は稼げてしまった。その後方のルージュとノワールが半狂乱な様子で、魔法を唱えている。


「さ、さっきの何かの間違いなんだから! ――《グラヴィティ・デーモン》!」

「まだ負けてないです! ――《グラヴィティ・デーモン》!」


 一際大きな魔力の塊がこちらへと向かってくる。

 当然、こちらも対応して魔法を唱える。


「――《フレイム・決戦演算グラディエイト》」

「――《フレイムアロー》」


 マリアによって炎の道が作られ、そこへディアの魔法の炎の矢が通る。手加減されているため、光線ではなく炎の形をとっている《フレイムアロー》だ。

 両陣営の魔法と魔法がぶつかり合い、魔力による押し合いが始まる。


 ただ押し合いは一瞬だった。


 汗をたらして魔法を放つルージュとノワールに対し、マリアとディアは涼しげに魔力をこめるだけ。それでも火炎魔法が魔力の塊を簡単に掻き消し、炎の爆発の余波でルージュとノワールを吹き飛ばした。

 どうやらマリアとディアの理性は残っているようだ。僕の言葉を聞いて、かなり手加減してくれているのがわかる。


 しりもちをついたルージュとノワールは力の差を理解して愕然とする。

 そこへ不機嫌なディアが二人へ忠告する。


「カナミが試合と言った以上、とどめはささない。けど、立ち上がるなら、今度は死んでも知らないからな」


 ルージュとノワールは戦意を喪失する。


「強すぎだよ、この人たち! ハイリねえ以上に化け物じゃん!」

「む、むむむ無理です。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」


 それを見てライナーは安心し、ラスティアラも攻撃の手を止める。

 しかし、まだアイドだけは戦いを諦めていなかった。


「まだ終わりじゃありませんよ……」


 そう言って、戦闘中一度も動かなかったアイドが一歩前に出る。

 そして、守護者ガーディアンに相応しい異様な魔力を放出しながら、転んだ二人を立たせる。


「教育に悪いですが、仕方ありません。自分も参加します。さらに魔法の効果を強めましょう。 ――《グロース》《センスブレス》《ブランチウッドシェル》」

 

 一呼吸で魔法を三つも構築する。そして、エメラルドグリーンの魔力が二人へ浸透していく。

 それだけでルージュとノワールの周囲の世界が歪む。ただの強化魔法だというのに、その魔力は異常だった。


 目に見えて、『理』を越える魔法が使役されたとわかる。


 その魔力を受け取り、強化してもらっているルージュとノワールが誰よりも驚く。


「え、えええぇ、なにこれ? 強化魔法って、ここまでできるのもなの……? これが補助に特化した魔法使いの究極ってやつ……!?」

「す、すごい! これなら、あと一回くらいやってもいいかな……!?」


 ルージュとノワールは自分の手のひらを眺めて驚いていた。


 僕も驚く。

 『注視』でステータスを見ると、予測もつかないレベルの強化がなされていた。



【ステータス】

 状態:身体強化24.77 魔力強化30.98 魔法障壁3.28



 二人にかかっていた強化魔法の数値が十倍以上にまで跳ね上がっている。


「さあ、ここからが本番、『木の理を盗むもの』の本領ですよ……! ――《キュアフールフィールド》《ストラスフィールド》《リムーブフィールド》!!」


 アイドは両手を広げ、自らの魔力を庭一杯に広げる。

 蛍の光のような粒子が舞い、戦場の色を緑へと染め上げていく。


 掘り返された大地から、小さな命が芽吹く。その命は急速に成長して、立派な草へと変貌する。荒れ果てた庭が大草原に変わっていく。


 迷宮で見た四十層の光景に近づく。

 目の前の守護者ガーディアンが本気になったことがわかる。


 アイドの濃い魔力が僕たちを包む。

 そして、目の前にはアイドの魔法によって強化された『魔石人間ジュエルクルス』が二人。僕の後方には冗談の通じない戦略級の仲間が二人。


 まずい。

 このままだと、本気の戦いが始まってしまう。

 魔法のぶつかりあいによって港町コルクが更地になるかもしれない。

 

「――ま、待て――、――えっ!?」


 間に入って戦いを止めようとして――大きな違和感に気づく。

 緑色の光は僕たちの身体にも染み込んでいたのだ。


 ――アイドの魔法が、僕たちをも癒している?


 庭を満たすアイドのフィールド魔法が、自分たちにも作用している。

 眩い魔法の光が、僕たちをも『補助』している。その魔法は優しく、そこに悪意はない。


 アイドが宣言した魔法は《キュアフールフィールド》《ストラスフィールド》《リムーブフィールド》の三つ。確か、特に珍しくない広範囲の回復魔法と補助魔法だったはずだ。

 《ディメンション》で感じる限り、魔法名と効果に齟齬もない。


 ただ、その回復魔法たちの優しさが――濃すぎる・・・・

 この世全てを治すつもりかのような、執念にも似た回復魔法だ。密度が普通ではない。


 その魔法の影響を受け、僕の身体に異変が出る。

 いや、異変というのはおかしい。なにせ、いま受けている魔法は異変を治す魔法だ。それは間違いない。――だから正確に言うならば、身体の異変が強制的に治癒され、『正常』になろうとしている。


 ただ、『回復』で得たその『正常』が、僕にとって異変としか思えなかっただけだ。


 『理』を盗むものの『回復魔法』によって――


 ――魔法が解けていく・・・・・・・・


 解けているのは展開した次元魔法《ディメンション》ではない。むしろ、僕の魔法は研ぎ澄まされていっている。


 もっと違う別の『何か』がほどけていっている。それはマフラーの端のほつれから糸をするすると抜いていくかのような感覚だった。


 どくどくどくと大切なものが抜けていき、取り返しがつかなくなっている気がする。

 僕の知らない――しかし、僕の中にある『何か』が失われている。


「な、なんだ、これ……?」


 その『何か』は僕を縛っていたもの。

 束縛を失い、とある記憶が解放される。

 フラッシュバックのように、様々な記憶が点滅する。


 通り過ぎる記憶の数々。これは、確か――


 ――『黒い空』――そびえたつ巨大な城――苦しみに喘ぐ大勢の人――人々を守るように、仮面の男と少女が――見たこともない化け物たちと戦っている――見るもおぞましき化け物の群れ――天をも貫くかのような大樹が歩き――大陸を被う暗雲が巨人へと変貌し、人々を絶望させる――そして二人は辿りつく――触れたもの全てを凍らせる『化け物』の下へ――その『化け物』を前に――二人は――


 ――ガリッと、頭に激痛が走る。


 肉の中へ異物が入り込んだかのような痛みだ。

 その痛みのせいで、記憶へ集中できなくなる。


 ――痛い。


 痛い痛い痛い!


 頭が痛む。けれど、それ以上に痛む場所がある。

 これは身体の痛みではなく精神の痛みだ。僕の心が、この記憶を拒んで悲鳴をあげている。

 心と身体を強引に引き剥がすかのような断裂の痛みに、僕は意識を飛ばしかける。


 叫び声をあげかけ――背後からの別の叫び声によって止められる。


「――あ、あぁ、あああぁっ、ああアァアア゛ア゛ーーーー!!」


 僕は痛みを我慢して後方へと目を向ける。

 それはディアの声だった。


「ディアっ、どうしました!?」


 マリアがディアの肩を持って呼びかける。

 しかし、ディアは天へと目を向けて、絶叫し続けるだけだった。


 ――まずい。


 このままではまずい。


 すぐにディアへと駆け寄らなければならない。けれど僕の身体は動いてくれなかった。

 代わりに信じられない感情が湧き上がる。


 ――ディアが憎くて憎くてたまらないから、助けたくない・・・・・・


 そう僕は思ってしまっている。


「な、なんだ、これ……!」


 どろどろとした感情が渦巻く。

 精神の異常を感じ、すぐに僕は『注視』でステータスを確認する。



【ステータス】

 状態:混乱7.88



 しかし、何も変わっていなかった。

 スキル『???』が混乱を守っているため、『混乱7.88』は残っている。

 だが、それだけだ。

 『正常』だ。だからスキル『???』が発動する気配もない。


 僕は助けを求めて、ラスティアラへと目を向ける。

 魔法に詳しい彼女なら、この状況を説明できるかもしれない。


 しかし、目を向けた先にいたのは、両手で頭を抱え込んでいる少女だった。


「う、うぅ……、なん、で……!? なんでなんでなんで、なんで・・・……!」


 ラスティアラは震えていた。

 そして、顔を赤くして、息を荒らげ、ずっと自問し続けている。


 僕はラスティアラのステータスも確認する。

 しかし、当然のように状態異常は見られなかった。

 だというのに、ラスティアラは尋常でない様子だ。いつかの夜のように顔を真っ赤にして落ち着きを失っている。いまにも駆け出してしまいそうなほど、興奮している。


「くっ、うぅっ――!」


 僕は血が出るほど、自分の胸を握り締めた。


 誰にも状態異常はない。むしろ、『正常』だ。

 なのに、感情が揺れる。いや、揺れるどころではない。

 恐ろしい感情が湧き出して止まらない。その激流を止めることができない。


 ――ディアが憎い。

 ――ラスティアラが信じられない。

 ――マリアを遠ざけたい。


 憎しみと殺意。不信感と猜疑心。忌避感と失望。

 身に覚えもなければ、脈絡もない感情が溢れ出てくる。


 ――間違いない。


 これは敵の精神攻撃に決まっている。すぐにでも精神魔法で治さないといけない。わかってはいる。けれど、感情を抑えるのに精一杯で、僕は動くことができない。


 守護者ガーディアンという強敵を前にして、僕とラスティアラとディアの三人は膝を突いてしまい、一歩も動けなくなる。


 決定的な隙だった。


 しかし、敵の攻撃は訪れない。

 この状況に困惑していたのは、向こうも同じだった。

 ルージュは僕たちの絶叫に驚き、怖がっている。


「な、なにこれ……。急に全員ボロボロになったけど……。アイド先生、こんな攻撃魔法持ってたんだ……」


 戦闘は望むところだが、無防備な相手を攻撃するのは本意でないようだ。


 ノワールの方は何が起こっているのかわからず右往左往している。

 ライナーは怒鳴りながらアイドに詰め寄っていた。


「おいっ、アイド! これはどういうことだ! あいつらに何をした!?」


 だが、この状況を作ったであろう張本人アイドさえも困惑していた。

 あれだけの宣言をして、全員を煽っておきながら、崩壊した現状を前に戦意を失っていた。


「い、いえ、驚いているのは自分もです……。自分は回復魔法の領域フィールドを展開し、存分に戦える状況を作っただけです。知っての通り、自分は攻撃魔法は何一つ持っていませんから……、自分にできるのは回復魔法の光で注意を逸らす程度までです……」


 アイドも予期していなかったことらしい。

 戦意の喪失と共に、庭の緑の光を少しずつ消失させていく。展開した魔法を解除しながら、次に何をすればいいかを迷っている。


 その様子からして、本当に『木の理を盗むもの』には攻撃魔法がないようだ。


「けど、キリストと使徒は苦しんでるぞ! 現人神も様子がおかしい!」


 苦しみ動けない僕たちの代わりに、ライナーは追求し続ける。

 胸倉を掴まれながら、アイドは手を顎に当てて考える。そして、ゆっくりと自分の考えを吐露し始めた。


「……自分が展開したのは基礎中の基礎、『傷を治す魔法』と『状態異常を治す魔法』です。もちろん、自分特製なので、その効果は究極的です。いわば、すべてのしがらみを断ち切り、『あるがまま』に戻す魔法へと昇華しております。……もしかしたら、それが原因かもしれません」

「あるがまま? これがキリストたちのあるがままだって言うのか!?」


 いまにも胃の中身をぶちまけて気を失いそうな僕たち三人を示して、ライナーは激昂して叫ぶ。

 それに対して、アイドは無言で頷いてみせた。


「え、えーっと、それで、このまま倒してもいいのかな……?」


 完全に取り残された形になっているルージュが魔法の準備を始める。

 隙だらけの僕たちを倒すのは造作もないことだろう。


 そこへ僕たちの中で唯一被害のなかったマリアが立ちふさがった。

 守護者ガーディアンのアイドに負けぬ濃い魔力を纏い、敵を睨む。


「これ以上はやらせません……。寄れば、燃やします」

「げっ、火炎魔法使いさんが残ってる」


 マリアは何が起きているのかわかっていないが、現状は把握しているようだ。

 いま戦えるのは自分だけであり、動けない三人を守る。そう心に誓っているように見える。


 しかし、僕の胸中は穏やかではない。

 前衛もなしにマリア一人で戦うのはまずい。


 幸い、向こうが揉めている間に、ラスティアラがふらつきながらもこちらへ歩いてきていた。被害を受けた三人の中では、彼女が最も症状が軽そうに見える。


「ラ、ラスティアラ……、神聖魔法を――」


 ――頼む。


 と言おうとして言葉に詰まる。


 頼みたい。けれど不可解なことに、頼むのを怖がっている自分がいた。

 正体不明の感情のせいで、僕はラスティアラを正視することすらできない。


 なぜか・・・ラスティアラを・・・・・・・仲間だと・・・・思えない・・・・……。


「カナミ――」


 反比例して、ラスティアラのほうの視線は熱い。僕を見つめて、目を逸らそうとしない。

 顔を真っ赤にして、目は潤んでいた。

 呼吸は荒いままだ。


 僕は正体不明の感情を何とか振り切って、指示を出す。


「――頼む、ラスティアラ。神聖魔法で何とかしてくれ。このままじゃまずいっ」


 目と目を合わせて、ラスティアラに魔法を頼む。


「……う、うん。――《ストラスフィールド》」


 ラスティアラは顔をうつむけながら、神聖魔法を発動させた。

 その身体から優しい光が漏れ、僕とラスティアラ、そして遠くのディアを包み込んでいく。


 暖かで心地よい光だ。

 全ての悪意を溶かすかのような力を感じる。


 しかし――


「――ァアアァアア゛ーーーー! 黙れ、喋るなァ!!」


 後方のディアの狂乱は止まらない。

 僕も同じだ。正体不明の感情の噴出は収まらず、頭の痛みが止まらない。

 ずきずきと脳を石臼で挽かれているように痛む。


 見ればラスティアラも、変わらず呼吸が荒いままだ。


「な、なんでだっ! なんで治らない!?」


 それどころか悪化している気さえする。

 黒い感情が頭の中を埋め尽くし、痛みだけでなく、苛立ちや怒りが膨らむ。


 理性が感情に侵食されていくのが、手に取るようにわかる。


 ああ、憎い――

 もう――、抑え切れない――


 憎い憎い憎い憎い憎い、と正体不明の憎悪が満ちていく。

 嘘だ嘘だ嘘だ噓だ嘘だ、と正体不明の不信が満ちていく。

 消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ、と正体不明の忌避感が満ちていく。


 ――ああ、もう何も信じられない。


 その感情に埋め尽くされきったとき。

 ラスティアラ、ディア、マリア。誰一人、仲間とは思えなくなっていた。


 そして、身体が勝手に動く。

 正体不明の感情が最も憎んでいたのは、後方で叫ぶディアだった。


 隣にいるラスティアラを置いて、守ってくれているマリアを置いて、敵であるライナーたちを置いて、守護者ガーディアンさえも置いて、僕はディアだけを視界に入れて、足を動かしていた。


 視線の先にいるディアも僕を見ていた。

 その青く発光している目が、僕の姿を映している。


「あぁあ、あぁぁ……、キリ、スト……! 違うんだ、あれはカナミじゃ、ない! カナミじゃない!!」


 言葉を漏らしながら、ディアもゆっくりと僕のほうへと歩き出していた。

 僕とディアの距離が近づいていく。

 比例して、正体不明の感情の噴出も加速する。

 憎しみが憎しみを助長し、絡み合って増幅した黒い感情は、全て殺意へと転じた。


 僕の両手が剣を握りなおし、その切っ先をディアへと向けた。


 震えながら、僕は口を動かす。


「ディ、ディア、待て! これ以上っ、僕に近寄ると――」


 ――殺し合いになる。


 僕たちの意志に関係なく、させられてしまう。


 しかし、ディアは止まってくれない。それどころか大量の魔力を練って、見たことのない魔法を構築している。

 失われた右腕の先から見たことのない魔法陣が展開され、金砂のような光が噴出する。その光は瞬く間に収束され、純白の腕へと変質した。その光景は守護者ガーディアンティーダを思い出させる。

 正体不明の魔法陣は右腕だけでなく、右目と背中にも展開されている。ディアの綺麗な蒼い目が片方だけ発光する。そして、背中からは魔力の粒子が羽のように噴出していた。


 これがディアの本当の姿であり――『真の敵』だと思った。


 このまま近づけば、僕はディアという敵を斬るだろう。

 それだけの感情が、思考を埋め尽くしている。


 僕の意志に関わらず、斬る。

 そう。

 意志なんて、何の意味も―― 

 

「――ふざ、けるなぁアああアァアアーー!!」


 僕は握った剣で、自分の太ももを突き刺す。

 そして、そのまま身体を沈ませ、地面へと剣を突きたて縫い付けた。


 ディアが敵?

 そんなわけがない! 異世界へ来てから初めてできた友達で、仲間だ! その記憶がある! 思い出せば、昨日のことのように思い出せる! いまの僕は『正常』じゃない! ディアが味方でなければ、誰が味方だって言うんだ!


 僕は全員へ宣言する。僕を含めた全員へだ。


「――違うっ、ディアもラスティアラも敵じゃない! もう惑わされるか!!」


 意志を捻じ曲げ、弄ばれる――それは何よりも許しがたいこと。

 それを思い出し、心を奮い立たせ、正体不明の感情を弾く。


 感情や記憶の操作には、もう二度と屈したくはない。


 僕は怒りを利用して、自分の悪感情を抑え付ける。

 刺した剣を捻り、足の痛みで頭の痛みは上書きする。


 これで僕の身体は僕のものだ……!


「――キリスト!」


 自傷行為をした僕を見て、ディアの目にも意志が灯る。

 発光していた目の光が消え、生身の左腕で白い右腕を掴む。まるで高熱の鉄を握ったかのように、じゅうっとディアの左の手のひらから煙があがる。

 それでもディアは力を緩めることなく、その白い腕を握り潰してみせた。


「キリストは俺の友達だ! これ以上はやら、せ――ない――! ――神聖魔法《インフェイト』!!」


 全身の魔力を使って魔法構築を行い、特大の神聖魔法を自分にぶつける。

 そのままディアは意識を失い、地面へと倒れこんだ。


 ――助かった。


 ディアが気絶したことで、僕の中で膨らんでいた悪感情が薄まっていくのがわかる。

 とりあえず、同士討ちになることは避けることができた。

 同時に僕も意識が遠のいていくのを感じる。戦うべき敵を失い、全身から力が抜けていっている。


 そして、ディアから敵へと目を移す。

 そこには、苦しむ僕たちに関係なく、新たな魔法を唱えるアイドがいた。


「あまり得意ではないのですが、言ってられませんね。――呪術・・注視鑑定アナライズ》」


 聞いたことのある魔法名。そして、感じたことのある魔法構築だった。

 アイドは苦悶の表情を浮かべながら、僕を『注視』する。


「……そういうことですか」


 その結果に驚愕して、納得して、少しの逡巡の後にアイドは何かを決意したかのような顔になる。


 しかし、僕にとってアイドの変化なんて関係ない。

 魔法によってディアと同士討ちさせられかけたことだけが全てだ。


「どいつもっ、こいつもっ、人の心をおもちゃみたいに扱いやがって!」


 僕は刺した剣を抜いて、冷静に観察しているアイドへと叫ぶ。

 全身全霊の魔力をもって、敵であるアイドを威圧する。本当は剣を持って襲いかかってやりたい。しかし、怒りと戦意に漲っているものの、身体は全く言うことを聞いてくれなかった。


 剣を抜かれた太ももから、恐ろしい量の血が流れている。痛みの感覚はなくなり、傷口が冷たくすら感じる。

 

 戦意に当てられたアイドは、悲しそうに首を振る。


「それは誤解です、渦波様。自分は本当に、ただ、あるがままの姿にしただけなのです。これが渦波様の真実。……確かに、あなた様の心の底、見せてもらいました」


 そう言い残し、アイドは全ての魔法を消失させる。

 庭の光は全て消え去り、ルージュとノワールたちへの強化も切れる。

 アイドは自分一人で全てに納得したようだ。戦意はなくなり、むしろ哀れんでいるかのように見える。


「輝く原石といえど、これでは『予備の王』にはできませんね。余りに歪すぎる……。ありえるとすれば、盲目の少女だけですが――」


 ちらりと目をマリアを向ける。

 マリアは後方の僕たちを守ろうと魔力を漲らせた。 


「いや、同じ間違いを繰り返すのはよしましょう」


 すぐにアイドは視線をマリアから逸らす。

 顔を上げて、青い空を見ながら微笑んでいた。


「鑑定はすみました。行きましょう、みな様」


 そして、背中を見せ、この場から去ろうとする。

 その背中に対して、マリアは何もしない。顔は前に向いているものの、炎の意識はこちらに向いている。冷静に仲間の安全を最優先しているようだ。


 僕も動けない。


 目はかすみ、頭がくらくらする。

 血を失いすぎた。正直、一歩進むのも難しい状態だ。

 身体と精神、両方の痛みで意識が遠のきかけ、もはや話す声も聞き取りにくい。

 剣を杖にして、倒れないだけで精一杯だ。


 アイドはルージュとノワールに指示を出して、館内のシアとハイリを連れ出させる。その途中、不満顔のライナーがアイドに聞く。


「お、おいっ。このままあいつらを置いても大丈夫なのか?」

「大丈夫です、ライナー様。いわば、あれは治療の痛みです。じきに収まります」

「あれが治療の痛み……?」

「ええ、お客様方は一時的に全ての魔法――外的要因を打ち消され、本来の自分と向き合っているのです。自分が行ったのは、ただの状態異常回復の魔法ですからね。まあ、最上級の特別製ではありますが」

「いや、本当に回復ならいいんだ……」


 シアパーティーは僕たちを置いて、屋敷から離れていく。

 とりあえず、脅威が離れるのは間違いなさそうだ。緊張が解け、僕の意識が更に薄まっていくのがわかる。


 視界が霧の中へと沈んでいく。

 もう、どの声が誰の声かもわからなってきた。


「それよりも早くパリンクロン・レガシィのいる場所へ向かいましょう。急がなくてはならなくなりました――」


 朦朧とする意識の中、アイドたちの会話が聞こえてくる。

 しかし、声は遠ざかり、途切れ途切れにしか聞こえない。


「ではさようなら、皆様。そして、アルティ。今度は想い人と一緒のようで、何よりです」

「――っ!? あ、あなた、アルティを知っているんですか……?」

「彼女は渦波様と同じ『予備の王』でした。結局、最後まで彼女を使うことはありませんでしたが……――」


 そして、館の敷地内から出て行くアイドたちを《ディメンション》で確認したあと、僕は意識を手放した。

 もう精神の限界はとうの昔に越えていたようだ。

 ぷつりと視界が真っ黒に染まる。


「――良かった」


 だから、最後に聞こえた優しい声は、誰のものか僕にはわからなかった。




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