484.呪いの心臓


 ――『適応』し続ける。


 今日までの俺を『なかったこと』にはできないから。

 カナミの魔法とせめぎ合い、自分の生きてきた時間を守り続ける。

 その人生の防衛戦は、どこか走馬灯に似て――


(――セルドラさん、心配は要りません! 必ず、『理を盗むもの』たちなら『呪い』を乗り越えれます――)


 体内の『黒い糸』から、ゴースト混じりの少年の声が響いた気がした。

 ■■■の中、強く深く大きく、振動する。

 こんな状況だからか? もっと『適応』できる方法はないかと、『呪い』に関する記憶がよぎり――


 少年と旅をしていたとき、世界には三人の『理を盗むもの』が生まれていた。

 それぞれが使徒により、不相応な理を盗まされて、『呪い』を背負った。

 ティーダは『不信』を。

 アルティは『忘却』を。

 ティティーは『自失』を。


 当時の俺は仕組みを理解していて、使徒たちを「クソだ」と罵った。

 だが、千年前のファフナーは逆に目を輝かせて、使徒たちを「素晴らしい!」と讃え出す。


(――だって、そうでしょう!? その『呪い』を乗り越えた先で、いつかきっと!

 『闇の理を盗むもの』は、本当に信じられる友を。

 『火の理を盗むもの』は、本当に忘れられない人を。

 『風の理を盗むもの』は、本当に失いたくない自分を。

 手に入れられます。だから、『祝福』でもあるんです。いつか二人一緒に、『理を盗むもの』になりましょうね、セルドラさん!)


 『試練』好きの狂信者が手を叩いて、大喜びした。

 あのとき、俺は眉を顰めて、適当な相槌で『逃避にげ』たが……。

 いまならば、少しだけあいつの言っていることが分かる気がする。


 千年後の世界で、みんな満足げに、先へ行ってしまったからか……。

 こうして、『呪い』のはずの『適応』が、最後の頼みの綱となったからか……。


 もし本当に『祝福』だったならばと。

 『適応』し続けていく中、願う自分がいた。


 これを乗り越えれば、本当に慣れることのないものを俺は手に入れられる? それとも、何重にも複雑に絡み合った『呪い』を背負ってしまった俺は、みんなと違う?


 確かめたい。

 確かめる為にも、いまは『適応』し続けるしかない。

 『適応』して、抗い続けて、乗り越え続けるしかない。


 だから、カナミの《ブラックシフト・オーバーライト・ライフ》に、何度でも《神殺しの悪竜シン・ファフニール》で食らいつき、呑み込み続ける。

 その互いの『なかったこと』と『適応』という概念を食らい合うかのようなせめぎ合いは壮大で――しかし、すでに時間の概念は喰われてしまい、走馬灯を追いかけるかのように曖昧で――『適応』しては『なかったこと』にされて、『適応』しては『なかったこと』にされていく――を繰り返す。その果てに、ついに俺たちは――



「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!!」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」



 場所は『次元の狭間』ではなく、100層の玉座の前。

 浅瀬に敷かれた石畳の道の上で、男二人が両手両膝を突いて、肩を大きく上下させていた。


 息切れしているのは、俺とカナミ。

 いつの間にか、俺たちは戻っていた。

 場所だけでなく、姿も。


 視線を少し横にずらすと、自分の身体が普通の『人』に収まっているのが見えた。竜人ドラゴニュートの通常状態に近い。ただ、右半身のドラゴンの特徴が、完全に『なかったこと』になっている。

 右角と右翼と尾に、無理やりがれたかのような損傷があって、そこから止め処なく血が溢れ続けている。そして、その傷が竜人ドラゴニュートだというのに、全く治る気配がない。


 対して、正面のカナミの身体は『半魔法』の特徴が、虫に食われたかのように欠けていた。手足に浮かんでいた紋様の至る所が、術式として機能していなかった。

 『人』と『半魔法』の部分の繋ぎ目は、普通の裂傷に近く、俺と同じく血が流れている。全身から紫色の魔力の粒子が零れていたが、回復魔法が成立する様子は全くない。


 ――二人揃って、激しく損耗している。


 つまり、奇跡的にも。

 《神殺しの悪竜シン・ファフニール》と《ブラックシフト・オーバーライト・ライフ》の食らい合いは、拮抗したということだった。


 衝突の規模を考えれば、この状況は綺麗な『魔法相殺カウンターマジック』が成立したと言っていいだろう。


 ただ、その余波だけで、どちらも自らの強みを乱暴に剥がされて、身体が酷く不安定となっていた。

 蓄積されたダメージは計り知れず、当然のように両者の魔力は空っぽ。

 少しでも回復しようと、俺は乱れた息で空気を吸い続ける。


「……ハァッ、ハァッ、ハァッ!」


 しかし、苦しい。

 周囲の酸素と魔力を吸収していくが、まるで回復には足りなかった。

 ただ、それは目の前のカナミも同じで、息を整えようと必死になっている。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 まともな『人』のように、肺が空気を求める。


 俺もカナミも、先ほどまで『本当の悪竜』と『偽りの邪神』として戦っていたとは思えない姿だった。

 特殊な強化バフ弱化デバフ魔法のぶつかり合いの影響か、どちらも弱り方が奇妙で、根深く、異常だった。


 しかし、どちらのほうがダメージは浅いかと問われれば、もう答えは出ている。

 明らかにカナミの息のほうが落ち着いていた。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」

「はぁ、はぁ、はぁ」


 不味い。


 俺は慌てて、周囲を確認する。

 おそらく、《ブラックシフト・オーバーライト・ライフ》と《神殺しの悪竜シン・ファフニール》のぶつかり合いによって、様々な次元が歪んだ。


 カナミが戦いそのものを嫌ったせいで、特に時間が歪んだのだろう。

 だから、戦い始める前の100層の玉座前に、俺たちは戻されている。


 しかし、どれだけ周囲を見回しても、俺が99層から連れてきたスノウがいない。ノイが連れて行ったのだろう。そして、あいつの性格ならば、俺が消滅するまで必ず隠れ続ける。


 つまり、ここには、俺とカナミの二人だけ。

 他に邪魔は入らない――ならば、先に立ち上がったほうが、勝つ。


「っがぁあぁぁ!!」


 俺は声と力を振り絞った。


 何度だって立ち上がると決めて来た。

 両脚に力を込めて、立ち上がり、戦おうとする瞬間――


 光が煌めく。

 暗い100層に、輝く魔力の刃が奔った。


「はぁ、はぁ……、ま、『魔力物質化』……。はぁ……」

「く、くそっ――! はぁっ、はぁっ……!」


 両脚の腱を数か所ほど綺麗に斬られて、俺は膝を突かされる。


 カナミは俺と違って、立ち上がるよりも先に、『魔力物質化』で手に剣を構築していた。術式を必要としない『剣術』に全ての力をこめて、這い蹲ったまま振るったのだろう。


 俺の皮膚に竜人ドラゴニュートの防御力は一切なく、まるで紙を切るかのように容易く切断されて、出血箇所が増す。

 そして、屈した俺の前で、カナミは息を深く、長く、整えていく。


「はぁー……、はぁー……、はぁー……」


 さらに、その魔力の剣を杖にして、ゆっくりとカナミは立ち上がる。

 よろけながらも石畳の上を歩き、俺の手の届く距離まで詰めて、また魔力の刃を煌めかせた。


「ぐっ――、ぁあっ」


 そして、その『魔力物質化』で固められた剣が、粉雪のように魔力の粒子に戻る。

 代わりに、俺は両腕の腱も綺麗に斬られて、だらりと。

 肩から先が下に落ちて、流血と共に全く動かなくなる。


 痛みは問題ない。

 問題は、竜人ドラゴニュートの特性を警戒したカナミが、最低限の攻撃で確認できてしまったことだ。

 たかが腱が絶たれた程度で動けず、回復の予兆もない俺を見て、やっと喋り始める。


「はぁ、はぁ……、ふう……。セルドラ……、いい戦いだったよ。今度の『第八十の試練』は戦いだった、間違いなく。だが、僕の勝ちだ」


 先にカナミの息が整い切った。

 しかし、こっちは駄目だ。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 まだまだ乱れ続けている。


 明らかにおかしい。正直、何年経っても、息が整う気がしない。

 竜人ドラゴニュートの特徴が残っている左半身も含めて、俺の種族としての強さの数々が、さっきのもやで塗り潰されているとしか思えない。


「君は運命に抗い、僕の『糸』を超えて、生き抜いた……。本当に凄かった。感動した。苦しかった。恰好よかった。悲しかった。嬉しかった。だから、僕も本気になった。『魔法カナミ』の構築を中断して、その術式を流用せざるを得なかったほどに……」


 戦った相手を、カナミは称賛する。

 その称賛は、さらに続く。


「僕の『計画』は完全にずれた……。見事、セルドラが『計画』を超えた……おかげだよ。その見事生き抜いた『無の理を盗むもの』の魔石を得れば、僕は当初の『計画』を超える力を手に入れられるだろう……。その本当の『最強』の力が、『最深部』の先を行く僕の旅路を支えてくれる……! ああ、つまり……、セルドラのおかげで、僕は『ラスティアラ』に一歩近づいたんだ! 全てが『計画』通りに! 僕は『ラスティアラ』の格好いい・・・・主人公のまま! 何もかも順調に! どれだけ複雑で困難な道だとしても、全てが順調に進んでる!! ははは、はははははっ!!」


 死力を尽くした戦いを乗り越えて、カナミは自画自賛した。


 ずっと前から言っていたことだが、カナミは『計画』を超えられることをマイナスだとは思っていない。

 俺は忌々しげに、その他人任せで適当で楽な『計画』に悪態をつく。


「ハァッ、ハァッ……。そりゃぁ、最終的に魔石を総取りするおまえにとって……、都合がいい展開だろうな。これは……」


 喉から声を絞り出した。


 それにカナミは否定することなく、申し訳なさそうに「うん、最高の展開だよ」と頷き返す。

 だが、決して手は緩めないという面持ちで、自らの両腕を眺める。

 いまの短い問答の間で、『半魔法の腕』が修復され切っていた。


 両腕を紫色に発光させながら、カナミは近づいてくる。

 宣言通りに総取りを始めようと、昇華し切った俺の『無の理を盗むもの』の魔石を手に入れるつもりだ。


「セルドラ、君に次元魔法は効かない。『なかったこと』にさえ耐えて、むしろ食い返す。さらに、その複雑に絡み合い過ぎた『未練』は、もう正しい手順で解消するのは不可能だろう……。ゆえに、僕は君のルールに則り、いま、捕食しよう。君が食らってきた全てを、僕も食らって、受け継ぐ。……『約束』するよ」


 少しだけ考えて、カナミは『約束』という言葉を使った。

 そのカナミなりの誠意は嬉しいが、おまえの『約束』ほど信用できないものはない。


「まだだ……。やらせは、しねえ……」

「必ず、君と『親和』する。君という大切な友達がいたことも、僕は絶対に忘れない。僕の中でセルドラ・クイーンフィリオンは輝き続けるんだ。伝説の『悪竜』を超えて、真なる『最強』になった大英雄として、永遠に――」


 本当に優しく、腹の立つ甘やかし男だ。


 そっちも余裕はないだろうに、まだおれのことを考えて、言葉を選んでいる。

 あえて、捕食というルールに付き合ってくれている。


 だから、目の前に近づく『半魔法の右腕』に、一切の恐怖はなかった。

 これから、カナミの腕は俺の胸を貫き、魔石をうばうだろう。

 ただ、それは当初の願いである「誰かに託して、死ねる流れ」そのものであり、俺の『幸せ』そのもの。


 しかし、だからこそ、俺の全細胞は拒否する。


「ハァッ……、っがぁあああああっ!!」


 跳ねた。


 もう腕も足も使えない。

 だから、自慢の顎を大きく開けて、身体を絞るように捩り、俺は噛みついた。


 カナミは反射的に喉と心臓を守ろうと、上半身を仰け反らせる。

 しかし、俺の噛みつきの狙いは、腕だった。

 無防備に差し出されていたカナミの『半魔法の右腕』を、手首の奥まで大口で呑み込んで、噛み千切る。


「…………っ!?」


 カナミは驚いていた。

 まだ俺に力が残っていたこと――ではなくて、せっかく最後の力を使ったのに、急所でなく腕を丸呑みしようとしたことに驚き、微笑む。


「――は、ははは、ぶっ殺してやる? 口だけだったね・・・・・・・、セルドラ。……やっぱり、みんなの言う通り。君は生まれながら、この異世界で一番弱く、優しい『魔人』だった。ははは」

「ハァッ……、ハァッ……、ハァッ……」


 息が切れて、何も言い返せない。

 身体の中にあったものを全て使い果たしてしまい、口にしたカナミの前腕部分の咀嚼に忙しかった。


「無駄だよ。何を食べても、そこから逆転は不可能だ……。もう終わろう。心優しいセルドラが苦しむのを、僕は見たくない……」


 カナミは介錯するかのように、もう片方の左腕を伸ばす。

 その紫色の発光は、防御不可の即死魔法《ディスタンスミュート》の証。

 回避するしかないのだが、いまの俺に動ける余裕はない。


 あっさりと胸に突き刺さる。

 弱りきった俺の身体の皮膚は本当に柔らかく、抵抗は一切なかった。

 中に腕を入れられて、俺は掴まれる。


 ――その優しくて暖かい手に、俺の魔石たましいを。


 そして、軽くだが、カナミは前腕が半分なくなった右腕を、俺の背中に回した。

 もう最期だからだろう。

 カナミは膝を突いて、愚かな竜人ドラゴニュートを憐れもうと、抱き締める。


「セルドラ、さよなら……。ごめん……。この最後の頁が、僕には視えていた……。最初から……」


 カナミらしい勝利宣言だった。


 だが、謝らなくていい。

 俺も最初からだ。 


 おまえみたいに『未来』は視えなくても、最初から分かっていた。

 俺は絶対に勝てないし、また失敗だと予感していた。

 こうして、優しすぎるおまえが最後に俺を憐れみ、近くで看取ろうとすることも――


 その予感通りに、いま、俺の魂は抜き出される。

 点滅する視界に、走馬灯が奔った。

 脳裏に、懐かしい顔が浮かぶ――


(――俺もあなたみたいな『人』になりたい――)


 またあいつだ。

 やはり、あの『魔人』の少年に出会ったのが、俺の人生の分岐点。

 上手く騙せてしまったのが、セルドラ・クイーンフィリオンの始まり。


 あいつに憧れられたことを思い出して、すぐに――ガリガリと・・・・・

 何かが削られるような振動おとと共に、そのしつこい走馬灯を振り払う。


 ――懐かしい顔を見ている場合じゃない。


 俺は魂を抜かれた。


 すぐに視線を落とす。

 俺の胸から抜け出たカナミの左腕には、無色透明に光り輝く魔石。


 『無の理を盗むもの』の魔石が握られていた。

 この石ころ一つを通って、全ての魂は肉体と繋がっている。


 それを俺は知っていた。最後の『理を盗むもの』だからこそ、ティアラとノイの術式に詳しく――そして、期待していた。

 この待ちに待った瞬間を。


「――――――――」

「…………? 身体が……、『魔の毒』に戻らない?」


 カナミは俺の身体を抱きしめたまま、疑問の声を零した。


 無理もないだろう。

 魔石を抜いたということは、もう魂がないということ。

 『迷宮』では、全ての生き物が『魔の毒』に変換される。

 なのに、「魂がない」と考える魂のない俺が、未だ消えない。


 様々な仮説がある。

 だが、全て無視して、俺は自分の『魔法』だけを信じて、喉を震わせる。


「ぁ、ぁあ――」


 この死をも超えた消滅という瞬間を、ずっと俺は待っていた。

 精神の死は繰り返し過ぎて、慣れている。だからこそ、きっと肉体の消滅の瞬間は、とても新鮮で耐えがたい快楽になると、千年前から期待していた。


 だからこそ、いま――

 その死にも消滅にも、俺は絶対に『逃避にげ』ない。

 ファフナーの言っていた『呪い』を乗り越えた先にあるものを、信じる。


 ――本当に『適応』すべきものを。

 ――本当に『逃避』してはいけないものを。


 その二つに向かい、俺の本当の『魔法』《神殺しの悪竜シン・ファフニール》が昇華していく――のを応援する別の・・本当の・・・魔法・・』。

 白虹に輝く無差別強化の『魔法』を、触れ合うカナミから感じる。


 ああ、だよな……。

 何度も俺は、心臓がない程度で止まるなと言ってきた。

 その俺が、魂がない程度で止まれるはずがない……!


「クハッ……、カ……、ナ、ミィ……!!」


 抱き締めるカナミを、俺は抱き締め返そうとする。


 もう腕は動かないはずだった。だが、いまの俺の腹の中には、「『次元の狭間』で食らった『半魔法の左腕』」と「いま咀嚼した『半魔法の右前腕』」がある。

 その最後の晩餐が《神殺しの悪竜シン・ファフニール》で消化されて、力に換わり、腱の切れた両腕を動かす――だけでなく、俺の左腕と右前腕が『半魔法』の紋様ひかりを浮かべていた。


 抱き締めてから、その実体のない『半魔法の両腕』を俺は、カナミの背中から沈みこませていく。

 疑似的だが《ディスタンスミュート》が成立していた。


「……手? 手だって? セルドラの手が、入って――」


 数秒も保たないだろう。

 俺の『半魔法の両腕』は長さが不揃いで、質も合わず、不適合。

 ただ、その数秒を、俺は絶対に無駄にしない。できない。


「こ、この為に……、俺は、生きてきた……。『神殺し』の先……、助けたい・・・・。『悪竜』じゃない、『英雄』として……。みんなと……、『本当の……――」


 呟き、カナミの『中身』をまさぐる。


 いまやカナミの魂は世界一広く複雑だが、猶予は一瞬しかない。

 思考する暇はない。

 そもそも、《ディスタンスミュート》の術式を理解していない俺では、『半魔法の両腕』を使っても、こちらからは大したことができない。


 だから、狙うのは、向こうから応えてくれる縁があって、俺でも掴み易い魂のみ。

 両手で二人――ならば、我が王と宰相殿だろうか。


 しかし、「違う」と、直感的に否定した。

 あの二人は優しすぎる。

 もっと直接的な戦う力でないといけない。

 いま必要なものは何かと考えて、またよぎる――


 ――剣と剣が結ばれるとき・・・・・・・・・・、『本当の英雄・・・・・――


 その一文。

 聖人ティアラ・フーズヤーズの『予言』。

 いや、それも「違う」。これは俺に勝ったグレン・ウォーカーの『予言』だ。

 背中の『黒い糸』を通じて、あいつが推挙している。


 ――俺に勝ったグレンに勝った二人を。


 咄嗟だった。

 反射的だった。

 選ぶ。

 二つを掴み――


「くっ――!」


 カナミは呻きつつ、逃げ跳ねるように後退した。

 俺の魔石を手に持ったまま、数メートルほどの距離を取る。

 そして、石畳の上で、膝を突いた。

 俺も膝を突く。


 また俺もカナミも屈して、互いを見合う形となる。

 俺の視線は、俺の魔石を抜き取ったカナミの左手へ。

 カナミの視線は、二つも魔石を抜き取った俺の両手へ。

 見合って、カナミは何が起きたのかを理解して、吐き気を抑えるように、口元に左の手のひらを当てた。


「…………っ!?」


 大事な『理を盗むもの』の魔石を二つも急に抜き取られて、身体のバランスが大きく崩れたのだろう。

 カナミは器代わりとなる魔石たちを前提として、地上の儀式から魔力を搔き集めて、自らの『半魔法』の身体を維持していた。

 その土台となる力の源を崩されて、今日一番のダメージを受けているのが分かる。


 ――神の力が欠ける。


 正確には、神を騙る力が欠けるか。

 何にせよ、これでカナミは『星の理を盗むもの』ではない。足り得ない。

 欠けた弦月のように、『月の理を盗むもの』とでも呼ぶべきか。

 その心身を崩したカナミが、首を振る。

 今日の俺の最大戦果を否定していく。


「む、無駄だ、セルドラ……。すぐに僕は戻る……。それは無意味だ……」


 カナミは口元に手を当てたまま、崩れたバランスの修復にかかる。


 それができるのは、全ての術式を自ら考案しているからこそだろう。

 千年前より謳われた『始祖』ゆえに、どれだけ構築を崩されても、咄嗟にオリジナル魔法で応急処置できる技量があった。


 対して、俺は――もう回復できない。二度と無理そうだ。

 いくら魔法が得意でも、カナミから抜いた『理を盗むもの』の魔石を有効活用できる状態ではない。


 つまり、すぐに回復したカナミに、俺の手にある魔石二つは取り返されるだろう。

 どう足掻いても、俺の敗北は覆らない。

 だから、いまの俺の行為は無駄で、無意味で、無価値――


「い……、いいや、全てが……、無駄じゃなかった……」


 とは絶対に思わない。


 俺は悪足掻きし続ける。

 死んでも、負けを認める気はない。

 まだ生きて、詠んで、呼ぶ――


「『その幼竜は貪り続けた』……、『贖罪に飢えるまで』……。しかし、気づいた。『人は何者にも赦されない、いつか許せる自分になる』だけ……、だとしても。『魂を震わせる死者の声』が消えぬ限り、俺は楽に死ねない……」


 先ほど振動おとが聞こえたほうへ、振動こえを出し返す。


 必ず、来てくれる。

 それまでは、死に耐えろ。

 死ぬまでは、必死に生きろ。


「何を、言って……、――――っ!?」


 カナミが言い返そうとしたときだった。


 ――ガリガリガリと・・・・・・・


 また何かを擦り、削るような振動おと

 真っ暗な100層に響く。

 乱雑な振動だったが、ここまでの異常な戦いの音と比べると、現実的。


 本当に、普通の音だった。

 ここまでカナミが気づかなかったのは、普通過ぎて余りに無害だったからだろう。


 その振動おとの発生源を信じて、俺は首だけ後ろに向けた。

 石畳の道の奥から、一人の男が引き摺りながら現れる。


 ――ガリガリガリガリガリと。


 とても原始的な振動おとだ。

 その石と金属が擦れる音と共に、その男は歩いて来た。

 俺の通ってきた後ろを、追いかけてくれていた。


 その『最悪』の道を歩く脚は透けている。

 ファニアの実験で得たゴーストの『魔人』の特徴だ。

 白い服を纏う姿は変わらず、心臓も変わらず無い。

 だが、いつもの黒髪赤目ではなかった。出会った頃の少年時代の金髪碧眼でもない。黒の長髪と金の癖毛が不揃いに混じり合い、瞳は赤と碧のオッドアイ。

 さらに、両手は『血の人形』のように真っ赤で、あちこち皮膚が剥げている。その歪さは『血の魔獣』も少し想起する。初めて見る状態だ。だが、見間違えはしない。


 ――その男は、地獄に落ちたはずのファフナー・ヘルヴィルシャイン。


 ファフナーが涙を流しながら、ふらついて。

 何かの『糸』に――いや、間違いなくグレンの『黒い糸』に導かれて、真っすぐ歩いて来ていた。


 俺は引き摺っている大剣を見て、ファフナーの身に何が起こったのかを、薄らとだが察する。

 その大剣は血が滴って、赤く、長い。

 俺の知る魔障研究院の院長ヘルミナと同じ背丈だ。

 その『ヘルミナの心臓』と呼ばれる剣は、形が非常に特徴的で十字架と見紛う。

 そして、中心部には必ず、彼女の心臓が脈動しているはずなのだが――


 心臓が、二つ・・

 寄り添い合い、その脈動をドクンッドクンッと合わせていた。


 本当の・・・ヘルミナの心臓・・・・・・・』を引き摺って、ファフナーは現れた。


 まるで亡霊のように、俺と同じく、啜り泣きながら。

 俺がグレンから継いだ道に沿って、かつての少年が――


「セルドラさん……。カナミさん……」


 ファフナーは嬉しそうに微笑した。

 十字架を引き摺り歩きながら、溢れ止まらない涙を零しつつも、瞳を輝かせて、楽しそうに喋る。


「俺も、あなたたちのように、なりたい……」


 あぁ……、相変わらず……。

 『夢』でも『現実』でも、こいつだけは全く変わらない……わけではないか。


 こんなときだというのに、呑気に思うことが一つ。

 大きくなったなと、少年の成長を素直に喜んだ。


 千年前、北と南に別れてから、俺とファフナーの人生は遠く離れていた。

 しかし、合わずとも、ずっと憧れ合っていた。

 互いを目指し続けてきた。


 その別々の道が、いま、人生の頂きで交じわる。

 本当の『繋がり』だった。

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