485.その騎士たちの名は



 ファフナーが『ヘルミナの心臓』を引き摺って、現れた。

 現れるのを予期していた俺と違って、カナミは心底驚く。


「な、なんで……。『計画』を超えて、落ちたはずじゃ……」


 99層の血溜まりの奥にあった『地獄』の結末を、途中まで・・・・見届けていたからこその疑問だろう。


 しかし、俺と本気で戦っている間、カナミはファフナーから目を離した。

 そして、その隙に、ファフナーはここまで普通に歩いて来た。

 ただそれだけのことだったが、それは俺にとって人生最高の『幸運』となる。


 ファフナーに向かって、身体を向けた。

 もう立ち上がれないから、上半身だけを捻った。


 ――魂が抜けても尚動く『悪竜』の姿を、見せつけてやる。


 ついでに、俺の魔石たましいを手に持って、不安定となっているカナミの姿も。

 すると、ファフナーの表情が綻んだ。

 俺が一目で察したように、ファフナーも状況を理解したようだ。


 この100層で、セルドラ・クイーンフィリオンは敗北した。

 それはつまり、俺の《神殺しの悪竜シン・ファフニール》が通じずに負けたということであり――


 ――この100層に、ファフナーの求め続けた『神』はいないということでもある。


 その事実にファフナーは耐えられないかもしれない。

 そう不安に思ったが、すぐに杞憂だと知らされる。


「それでも……、みんなを救います……。それが、俺のヘルヴィルシャインでした……」


 即答された。

 どこにも『神』はいないと知っても、「それでも」と石畳の道を歩き続けていくファフナー・ヘルヴィルシャイン。


 笑っているけれど、泣いてもいた。

 どこか狂っているような表情だ。

 だが、自らの人生に決着をつけて来たかのような清々しさも感じられる。


 その表情かおと足取りで、膝を突いた俺の隣までファフナーは辿りついてくれる。

 千年来の旧知が並び立ち、すぐに俺は両腕を伸ばす。


 俺は手にした二つの魔石を――

 『闇の理を盗むもの』ティーダ・ランズ。

 『地の理を盗むもの』ローウェン・アレイス。

 ――この二人を、ファフナーに託そうとする。


 同時に、南の『光の御旗ノスフィー』の三騎士に願う。 

 北の『総大将セルドラ』として認める。

 おまえたちは本当に強き騎士たちだった。

 その強き三人に、いま、恥を忍んで――


「カ……、カナ……、ミを……――」


 頼む。

 手助けを、北と南の垣根を越えて、要請したい。


 その俺の両腕を、ファフナーの左手が受け取る。

 右手は『ヘルミナの心臓』で塞がっていたから、左手で俺の両腕を纏めて――合わせる・・・・


 瞬間、俺の身体は『糸』が切れたように倒れ込む。

 ファフナーが左手一つで支えようとしてくれたが、無駄だった。


「セ、セルドラさん!」


 二つの魔石を託した俺の身体は、『魔の毒』に変換され始めていた。

 他のモンスターたちと同じく、光の粒子を舞い上がらせながら、身体が透けて、消えていっている。

 それを見て、ファフナーは名前の続きを口にする。


「俺のところまで聞こえていました、セルドラ・クイーンフィリオンさん。……都合のいい神はどこにもいない。神の否定。それがあなたの本当の『魔法』となった」

「ファ……、ナー……。カ……、ミを……」

「……あなたもまた、『生まれ持った違い』に悩まされた一人でした。俺にとって、あなたは他の『魔人』たちと何も変わらない。……それでも、あなたは欲望の本能に抗い続けて、最後まで諦めずに、ここまで来た。死ぬまで、誰かを救おうとした。尊敬します。……ずっとあなたは、恰好いいセルドラさんです。だからこそ、その恰好いいあなたに憧れた俺に――」


 慣れていると思った。


 こうして、何人もの死に際を看取ってきたのだろう。

 『魔人』の性質に引っ張られた哀れな魂たちを、たくさん。

 『地獄』では、愛するヘルミナたちも。


 だから、ファフナーはよく分かっていた。

 自らの左の手のひらに乗せられた二つの魔石を見て、俺の願いを悟り、倒れた俺を置いて、立ち上がる。


「俺に任せてください。――いや、あとは全部俺に任せろ、セルドラ」


 口調を変えた。

 弔うかのように、俺と同じ口調に、合わせてくれる。


 上手い奴だ。

 昔っから、本当に。

 ただ、だからこそ、こいつなら俺がカナミと合わせられなかったものを、合わせられる気がした。


 ファフナーは涙でぐちゃぐちゃの顔を歪ませつつ――しかし、いま確かに涙を止めて、ニカッと笑って、見送る。


「この俺が……、【ファフナーニール・ヘルヴィルシャインローレライ】が、必ずカナミを救うと誓うぜ。あんたに負けないほど、恰好良くなッ!」

「――――、――は? は、ぁ……、ははっ」


 笑ってしまう。

 あの地獄で何があったかは知らないが、長過ぎる。ふざけた名前だと思った。


 二つの世界の知識を知る俺には、奇妙な弔いジョークにも感じた。

 もちろん、ファフナーは何も知らないだろう。ただ、こいつをここまで送り込み、これを名乗らせたであろう清掃員やつは違うはずだ。あいつも向こうの知識を、カナミから得ている――


 なら、このタイミングの良さは……、あいつの差し金?

 あぁ……、あいつは俺の足を蹴ったときから、本当に……。

 迂遠な嫌がらせばかりで……――


 俺を笑わせることに成功したファフナーは、満足げに「ははっ、よしっ」ともう一笑いした。


「とっとと死んでろ、セルドラ。あとのことは、この俺に任せればいい。必ず、みんな救うからな。この俺が――」


 そして、ここから先は「他の誰でもない自分がやる」と、俺を置いて、先へと歩き出していく。


 看取り慣れ過ぎだと思った。

 俺の死に水を余すことなく取ったファフナーは、慣れた様子で『詠唱』を始める。


「――『名はない』『捨て忘れてった』『だから、もうない』――」


 魔法の『詠唱』ではない。

 何かの属性の強化でもない。

 それは注目を集めるだけの『詠唱』。


 ただ、聞けと。


 俺に。

 世界に。 

 この100層の魂たちに。

 仲間の『理を盗むもの』たちに。

 助けられず死んでいった『魔人』たちに。

 カナミに向かって、ファフナーは『詠唱』しながら、歩く。

 俺の歩いた道の続きを――


「――『だが、呼ばれている。ずっと呼ばれていた。いま、呼ばれて来た』――」


 ファフナーの手にある魔石の形が変わった。

 元同僚の詩に応えて、『闇の理を盗むもの』ティーダの魔石が、見慣れた仮面となっていた。

 それをファフナーは頭部に持っていく。ただ、かおと視界を遮らないように、側頭部に傾けて、被った。その意志を汲んだのか、急に仮面は形を崩していく。もう隠れて、逃げて、誤魔化す為の形状ではない。ファフナーの白一色だった服に纏わりついて、黒に染め上げた。独特な形状の黒き軽鎧が生まれる。さらに、その腰には、大小二つの黒い鞘。


 ファフナーは有り難そうに、引き摺っていた『ヘルミナの心臓』を鞘に収めた。

 続いて、もう片方の鞘に収まるのは『アレイス家の宝剣ローウェン』。


 ファフナーは双剣を腰に佩き、前だけを見据えて、毅然と歩いて行く。

 軽い足取りだった。

 その透ける足には、鮮やかな『血』が脈打つ。



「――『双剣の騎士の名は、地獄明かりヘルヴィルシャイン』――」



 その姿で、そう名乗った。


 限界だった。

 余りに、まばゆくて。

 俺は目を閉じさせられる。


 だが、その眩しさは、瞼で遮り切れない。

 真っ暗なはずの瞼の裏に、深くて鮮やかな光が脈打ち続けていた。


 おかげで、そう簡単に俺は逝けそうにない。

 ファフナーの声は大きくて、どこまでも明るくて。

 その口ずさむ詩には、幽かな旋律が乗っていて。

 まるで死に行く魂への子守歌のように、心地良くて。


「――『世界あなたを救う光として、いま、地獄ここに焼き付こう』――」


 臆病で怖がりの俺が暗闇で怯えないようにと、明るい光が瞼の裏を灯し続ける。


 夜明けの陽光と見紛った。

 俺の虚無の空に、幽玄の光が差し込んでいく。


 あぁ……。

 と、また一息をつきそうになる。


 長い道を歩き続けて、生き抜いて、ついに俺は……。

 『ファフナー』こそが、ずっと俺の人生の明かりだったと知る……。


「くはっ、くはははは! ほんっっと待たせたなあっ、カナミ! やっと、あんたの『本当の騎士』の登場だ! 我が魂の『経典』通りっ、救わせてもらうぜ! 俺たちがあんたたちをなァ!!」


 そして、その『ファフナー』が、いま、『本当の騎士』になった。


 ゴースト混じりの少年にとっては何気ない名乗りだろう。

 だが、俺たちにとっては大きな意味を持った。

 儀式から生まれた『ファフナー』が、いま、次の世代へと託されたのだ。

 俺たちが歩いてきた道の続きを、俺に憧れた少年が継いでくれて、さらに先の未来へと繋いで、行く――


 従姉さん、みんな……。

 これが、みんなの本当に望んだ儀式の結末だったはずだ……。


 誰も儀式から逃げることなく、『セルドラ』は生き抜いて、『悪竜ファフナー』の意味さえも変えてしまって……、新しい運命を紡ぐ……――


 『未練』が……、消えていく……。

 …………。

 しかし、まだだ……。

 分かってる、グレン。みんなと違って、俺たちの贖罪はここからだ。


 その道を選んだのは、他ならぬ俺たち自身。

 ここから先は、誰かじゃない。

 俺たちは俺たちだから、楽にならないと決めて、ここまで来た。


 ――ここからだ。


 たとえ魂だけとなり、地獄に落ちても。

 ここを住処として、俺たちは振動こえを出し続けよう。


 きっとその振動こえは、誰にも届かない。

 所詮、地上うえの生者が聞きたい声を選ぶだけだからだ。 


 それでも、信じて、得意の振動こえを出し続ける。

 本当の『魔法』《神殺しの悪竜シン・ファフニール》を維持し続ける。


 つまり、カナミ……。

 『第八十の試練』は、これからだ……。


 魔石おれは、叫び続ける。

 おまえの中からだ。


 死して尚離さない竜の『祝福のろい』を……。

 地獄明かりのある限り、震わせ続ける……。


 食われても……、次元を超えて……。

 おまえに勝つ……。絶対に、諦めない……。

 もう俺は……、諦めなくても、いい……、から……。


 やっと俺も……、『適応』と『逃避』の先に……。

 あるものを……、見つけられた……、から……。


 いま……、ここに、いる……、千年前の……。

 友人たちと……、一緒に……。

 叫び続ける……。


 聞け、カナミ……。

 俺たちの本当の振動こえを……――


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