182.パリンクロン
そして、帰ってくる。
千年前の焼き直しのような戦場の『中心』。
ライナーがパリンクロンと戦っている後ろで膝を突いている僕。
そう、『僕』――
光を得て、感情を取り戻した今ならば、はっきりと言える。
僕は『相川渦波』だ。その『
だが、それは少し違う。
なにせ、『
けれど、それも少し違う。
ハイリのおかげで答えを得て――そしていま、答えに納得した。
ようやくわかった。
『僕』は『僕』だ。
千年前のカナミだろうが、無価値の自分だろうが、誰であろうが、僕が僕であることはずっと変わらなかった。
「キリスト! 目を覚ましたか!!」
満身創痍のライナーが僕の覚醒を察して、名前を呼ぶ。
それに反応して、僕は立ち上がる。
『カナミ』ではなく『キリスト』という呼びかけに応える。
ああ、つまり、『キリスト』でも良かったのだ。怯えることなく、ディアに『キリスト』と呼んで貰っても構わなかった。僕は『キリスト』でもあって『カナミ』でもあって、『千年前の始祖カナミ』でもあって『相川渦波』でもあって――極論、『陽滝』でもある。だから、好きな名前を言い張って使えばよかった。
間違っているとわかっていながらも強がって押し通す。
それが人として生きるということに他ならないのだろう。
これは『
誰もが自分を見失い、自分の名前すら疑うときがあるだろう。鏡の前の自分が誰なのかわからなくなるときがあるだろう。
特別『
苦しいのは僕だけじゃない。
きっと、世界中の誰もが強がって生きている。
パリンクロンもライナーもマリアも、例外なく皆――
「は、ははっ、あはははは!」
その答えに、僕は笑った。
笑うしかない酷い答えだ。だから、最後のハイリも、あんなに明るかったのだろう。
こんな簡単なことに苦しんでいた自分が馬鹿みたいに思えるから。
「ああっ、なんで、こんな簡単なことに気づかなかったんだろう……! 僕は『
視界を覆っていた不安という名の霧が晴れていく。思考にまとわりついていた絶望の暗雲が晴れていく。戦場はこんなにも暗いというのに、世界が明るくて仕方がない。
世界の底のような大地を踏みしめ、暗闇の中で大きく息を吸う。
息ができる。それだけで幸福感に包まれる。
空気を美味しいと感じるのは初めての経験だ。
また、ドッドッドッと心臓が速まる。しかし、胸が張り裂けてしまうような怖いビジョンは、もう浮かばない。むしろ、生命が活性化している証に思える。
身体の底から、力が漲ってくる。
足元が崩れそうだと、あんなに怯えていた自分はもういない。
それも当然だ。僕は一人じゃない。
震える胸を握り締め、僕は強く強く呟く。
「――『陽滝』はいた……! 僕の中に! ずっと!!」
自らの核心を確信する。そして、革新もする。
まさしく、生まれ変わったかのような気分だった。
ハイリの『道』を進み、ピースは全て揃った。
ずっと見えなかった心の
探して探して探し続けた妹、『陽滝』の居場所――それは僕自身だったのだ。
「ここにいたんだ! 僕は大切なものを、ずっと守ってたんだ!! 確かに聞こえた! 陽滝の声が、僕の中から!!」
自らの腕で自らの胸を抱きしめる。
そこから聞こえてくる鼓動を愛おしく感じる。
心臓の音は一つだ。
だが、重なっている。
魂の鼓動が二つ聞こえてくる。
「ここには魔石が二つある! 僕自身の『次元の理を盗むもの』の魔石! そして、陽滝の『水の理を盗むもの』の魔石! 二つあるんだ!!」
目を見開き、地面に落とした剣を拾う。
身体を蝕んでいた倦怠感は、もう微塵も残っていない。
僕は魔力を漲らせ、すぐ傍まで這い寄っていたスキル『???』に意識を伸ばす。
「そして、このスキルは感情を奪うスキルなんかじゃない! 『悪意』なんかじゃなかった!!」
もうスキル『???』は正体不明ではない。
このスキルの本質は感情の廃棄じゃない。これは『レベル』なんて張りぼての強さに頼らないため作ったスキルだ。どんなことがあろうと、陽滝を助けるのを諦めないがために作ったスキルだ。
このスキルの本質は、おそらく『正しき成長』。
『魔力』や『魔石』による強化だけでは行き詰ると、過去の僕はわかっていたのだろう。
力だけ強くなっては『化け物』と変わりない。それで過去の僕は大失敗した。
だから、別の力に注目した。
それはつまり、心の強さ――運命に抗う力――『数値に表れない数値』。
『始祖カナミ』は自分の心が弱いと痛感していた。運命に屈しやすい魂だと理解していた。年下の『ティアラ』に助けられたとき、悔やみに悔やんだことだろう。
未熟な自分には受け止め切れない感情が必ず存在すると、『始祖カナミ』は確信していた。だから、それを受け止めきれるまで猶予を作るスキルを作った。
つまりこれは『棄てる』のではなく『乗り越える』ためのスキル。
これは『
『
『陽滝』を死なせないためのスキルだった。
未完成で名前すらついていない失敗作のスキルだけれど――これは確かに、陽滝を最深部へ送り届ける為に作った僕のスキルだ。
そしていまこそ、このスキルに名を与えるときだと思う。
名があるからこそ、魔法もスキルも真価を発揮する。
名があるからこそ、心は躍り、想いが力となり、言霊となって世界に作用する。
ならば、あとは僕の好きに考え、僕の好きに名を与えてやるだけでいい。
――僕は『異世界迷宮の最深部を目指すもの』。
妹のために、そう誓った。
千年前も、いまも、それだけは変わらない!
ゆえに、このスキルに名づけるならば――!!
「いまこそ僕を導けっ! 『
ディ・カヴェナンター。
『最深部』に至ることを誓約した者と名づける。
そして、千年の時を超えて名を獲得したことにより、スキルは昇華していく。
【スキル『
混乱を1.00解消します。
スキルによって隔離されていた感情が、次々と返ってくる。
もちろん、その中には絶望、孤独感、焦燥、屈辱、ストレス、不快感、恐怖、汚染――悪感情の数々が含まれている。
けれど、
記憶を失い、レベル1となって迷宮に迷いこんだ日、僕は多くのものを受け止め切れなかった。
あの日の僕は独りだった。異世界を信じられなかった。怖かった。死にたくなかった。
けど、もう大丈夫。
本当の意味で僕はレベルアップした。
強がりは強さに変わった。
あの日とは、まるで状況が違う!
「ああっ、僕は強くなった! やっと心の底から、そう言える! 成長したと! だから、もう何も怖くなんかない!!」
悪感情が心を埋め尽くしていったが、その全てを僕は叩き伏せてみせた。
強くなった心で、感情の整理を完了させていく。
当然、心身は一致する。『感応』の力を取り戻し、ローウェンと戦ったときの力を取り戻す。
『並列思考』だって抑える必要もない。いまの僕ならば、このスキルに振りまわされることはない。使いこなすことができる。
そして、僕はボロボロになっていたライナーを助けるため、前へと出る。
「ありがとう、ライナー! あとは僕に任せろ!!」
「遅いんだよ……! キリスト……!」
僕が動けなくなっている間、ライナーは一人でパリンクロンと戦っていた。いまも黒い刃と鍔迫り合いをして、食い止めてくれている。
ライナーの身体に負傷は少ないが、黒い液体が大量に付着している。僕が復活すると信じて、敵の精神魔法を受け続けていたのがわかる。
その信頼に応えるべく、パリンクロンへと斬りかかる。
「ごめん! けど、もう安心していい! パリンクロンは僕が倒す!!」
黒い液体が付着することなど気にせず、真っ直ぐ前へと進む。
『
僕は二人の鍔迫り合いに加わり、押し負けかけていたライナーを助ける。
「はっ、ははっ! 少年、自分で戻ったのか!? 以前は精神魔法を何百もかけて、ようやく持ち直したっていうのによ!!」
パリンクロンはスキル『???』の『払い戻し』から僕が帰ってくるとは思っていなかったらしい。
驚きながら笑い、黒い刃で押し返そうとする。
「ああ、戻った! そして、全部わかった! おまえがどれだけ底意地の悪い隠し方をしていたかもな! 何が『
「――っ!! ああ、そういうことか! 何もかも知ってしまったのか! ははっ、自信あったんだがな! どうだった!? なかなか面白い作り話だったろ!? カナミの兄さん!!」
僕の表情を見て、潔く嘘であったことをパリンクロンは認める。
そして、僕もそれを潔く賞賛する。
「ああ、騙された! 嫌になるくらい巧妙な大嘘だった! だが、それもこれで終わりだ!!」
僕は心身の一致した身体から、魔力を溢れさせる。長い不調が嘘だったかのように、泉のごとく魔力は湧く。
合わせて、ライナーも身体に魔力を漲らせる。
僕の宣言を聞き、ライナーは戦いの終わりを感じ取ったのだろう。搾り出すように全ての魔力を『アレイス家の宝剣ローウェン』へ集中させた。
「ここで全てを出し切る! ――ローウェンさんッ!!」
名を呼ばれ、ドクンッとライナーの持つ『魔石』が脈動する。
双剣が『地の理を盗むもの』の水晶によって包まれていく。
剣の質量が増していくことで、拮抗していた鍔迫り合いが傾いていく。何者にも侵されない水晶が、黒い刃を斬り裂こうとしている。
当然、パリンクロンも黙ってはいない。
同じように黒い刃の質量を増させて対抗しようとする。
しかし、それは僕が許さない。
「その全てを凍らせる! ――
名を呼ばれ、ドクンッと僕の持つ『魔石』も脈動する。
パリンクロンの刃を強化しようとする黒い液体が『水の理を盗むもの』の冷気によって凍らされていく。その凶悪な冷気は、『
黒い刃の質量は増すどころか、氷結によって強度を損なった。当然、水晶の双剣の切れ味に耐えることはできず、黒い刃は砕け散る。
「行けええっ、キリストぉおおッ!!」
同時にライナーの水晶の双剣も砕け散る。
文字通り、全てを出し切ったのだろう。その一撃を最後にライナーは限界を迎え、散る水晶とともに地面へ倒れた。
二つの『魔石』の力により、パリンクロンは黒い刃を失った。もはや、パリンクロンに防御する術はない。それでも僕は万全を期して、全力の斬撃を繰り出す。
「凍れぇえ、パリンクロン! ――魔法《
氷の剣がパリンクロンの胴体を袈裟斬りにする。
青い刃が黒い身体を裂きながら、傷口を凍らせていく。その冷気はパリンクロンの身体の芯から凍らせ、全ての自由を奪っていく。
修復など絶対にさせない。
その冷気には『水の理』が含まれている。【世界を停止させる】という【理】が。
流動する液体全てが停止していく。命の脈動すらも止める冷酷な魔力が、パリンクロンの身体を侵食し尽くした。
そして、僕が氷の剣を振り切ったとき、パリンクロンの身体のほとんどが凍りついていた。
その氷結は通常と違う。ただ、凍らせるだけの氷結ではない。
凍らせたのは物質以外のものも含む。空間と時間、そして魔力を停止させた。それが『水の理を盗むもの』の真価――氷結の極地。
その一撃を身に受けたパリンクロンは、大きく後逸する。
そして、自分の身体の異常を理解し、笑った。
「……は、ははっ、なんだこれ。修復されないどころじゃねえな。『魔力』がぴくりとも動かねえ。……魔力が使えないとか、勝てるかよこんなの」
魔力が動かないというのは、この世界では致命的だ。
『魔力』がステータスを形作り、『魔力』が魔法を構築する。それを封印されてしまえば、子供以下の身体能力しか残らない。
僕は勝利を確信した。パリンクロンも敗北を確信し、
「……完敗か。……これで満足かよ。ティーダ、レガシィ」
自分の中に潜む使徒と
「はあっ、はあっ……!」
一方で僕は肩を揺らす。過去最高の氷結魔法によって息が切れていた。
最後の鍔迫り合いは、余裕の圧勝だったわけではない。ライナーが無理をしてくれなければ、ここまで完璧にパリンクロンを斬ることはできなかっただろう。
いい勝負だった。どちらに勝負が傾いてもおかしくはなかった。
だからこそ、パリンクロンは顔を歪ませる。
「で、残った
本気で悔しそうなパリンクロンを見るのは初めてだった。
そして、大地が震える。
パリンクロンは戦闘不能になったが黒い地面は蠢き続ける。それはパリンクロンの悔やしさを世界が表現しているように思えた。
「――ああ、
同じ言葉をパリンクロンは繰り返す。
その表情から危険を感じ、僕は剣に力をこめ直す。
「遊べたから未練は晴れた? 戦って満足? いい戦いだった? 同じ舞台に上がれて嬉しい? 勝敗が全てじゃない? 結果よりも過程が大事? ――ハア? 違うだろ。戦うってのはそうじゃないだろ……! 戦うのはなんでだ。譲れないものがあるからじゃないのか……!?」
どれだけパリンクロンが呪詛を呟こうと、もはや魔力はぴくりとも動かない。
モンスターの召喚も、四肢の修復も、液体の操作も、魔法構築も、何もできない。
下手をすれば、そこらの子供にも負ける状態だろう。
だというのに、その戦意は衰えるどころか、なお燃え上がった。
「いま、やっと、はっきりわかったぜ……! 俺はおまえらと違う! 戦うだけじゃなくて勝ちたいんだ! カナミの兄さんを超えたい! 本当のカナミの兄さんと戦って、超えてみたい! ああっ、そうだ!
その熱風にも似た戦意を浴び、僕は悪寒を感じる。
ハイリの示した『道』を突き進み、完全勝利を手にした。それは間違いない。
もはや、パリンクロンに成す術はない。それも間違いない。
謎だらけのパリンクロンを尋問できる、またとない機会だ。
けれど、僕は悪寒に従い、とどめを刺しに駆け出そうとする。
だが――
「勝つ!! 絶対にっ、負けてたまるものか――あ、ぁッ――!?」
――全く予想していなかった光景を前にして、その足は止まった。
呪詛を繰り返すパリンクロンの胸から――『闇の理を盗むもの』の『魔石』が
ぽとりと。とてもあっけなく。
パリンクロンは自らの力の根源を、
そして、パリンクロンの黒い身体が弾ける。
霧のように人外の証であった
似た光景を僕は見たことがある。
あれはマリアが目をくりぬいたことでアルティが身体から追い出されたときだ。あのときと同じだと、僕にはわかった。
唐突な出来事に、僕もパリンクロンも同じ表情を見せた。一瞬だけ、二人の時は止まった。
「――は? い、いや待てよ、何でだ? ティ、ティーダが抜けたのか? もしかして、親和が崩れたのか? こんな最悪のタイミングで……?」
先に状況を受け入れたのはパリンクロンだ。
落ちた魔石を見て、大口を開けている。
だが、すぐにパリンクロンは冷静となる。何かに気づき、一人だけ状況に納得する。
「いや、違うか。このタイミングだからこそか……。
何かを諦め、そして納得した様子で身体の力を抜いた。
パリンクロンと同じように、僕も落ちた『魔石』を見つめている。
これがパリンクロンの罠でないと確信できれば、いますぐにでも回収したい代物だった。なにせ、これさえなくなれば、もうここに僕と比類できる力は存在しない。
パリンクロンが僕と戦えていたのは、この魔石あってこそだ。いわば諸悪の根源とも言える。
「……パリンクロン。ティーダは僕が貰うぞ」
降伏勧告にも似た言葉で、探りを入れる。
それを聞いたパリンクロンは一拍遅れて頷く。
「……ん、ああ、そうだな。それは構わないぜ。好きに持って行けばいいさ。元々はカナミの兄さんのものだしな」
そう言って、パリンクロンは魔石から一歩遠ざかる。
一つあれば国をも傾ける宝に対し、パリンクロンは小金を落としたかのような対応だった。
その真意が読めず、少しだけ躊躇する。
罠ではないと確信できない。
いまのパリンクロンは『守護者』でも『使徒』でもなくなり、『化け物』としての力も失った。ただの人間だ。依然として氷結の力によって『魔力』は使えず、身体は死ぬ直前。その四肢は、まともに動きやしないだろう。
間違いなく、死に体――だというのに、この男は勝負を諦めていない。
目に光が残っている。
何があっても絶対に最後まで諦めないと確信させる光だ。
「さあ、拾えよ。カナミの兄さん」
距離を取りながら、地面に落ちた『魔石』を取るように促してくる。
その姿に僕はたじろぐ。
油断するな。
まだ戦いは終わっていない。
あのパリンクロンならば、
それだけの信用を、なぜか僕はパリンクロンに持っていた。
ゆえに僕は十分な魔力を保ち、臨戦態勢のまま、足を一歩前へと踏み出す。
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