130.エピローグ後


「――持ち金で足りないものは、別のもので払ってもらいますよ。それが当然なんですよね? 持ち物、馬車の荷、権利書、あらゆるものが対象です。こちらも時間はないので、遠慮なく頂きますね」


 僕はフェイ・エールスから全てを奪い取ったあと、彼を放逐した。

 最低限のお金は残したものの、今後彼が再起できる可能性は薄い。


 彼の人生を破滅させた事実を噛み締めながら、見送る。

 この時代に少しずつでも慣れないといけない。

 でないと、いつまで経ってもスキル『???』発動の危険がつきまとってしまう。

 僕はアルティを否定し続け、死に追いやったことを思い返して、なんとか心を保った。


 これから僕は、もっと直接的な殺人を犯しにいくのかもしれないのだ。

 こんなところで躓いてはいられない。


「甘いな……」


 それでもセラさんからの評価は厳しかった。

 彼女は最低限のお金すらも許そうとしなかった。


 報復を防ぐため、再起の可能性は摘み取るべきだと最後まで言っていた。けれど、僕は改心の可能性を訴え続けることで、なんとか折れてもらった。


 仏頂面のセラさんの横で、僕はゲームで得た金貨や権利書を処理していく。

 カジノ側が用意してくれた裏部屋だ。

 大金持ちとなった僕に対して、カジノ側はとても快く協力してくれる。


 フェイ・エールスの馬車や奴隷たちが、所狭しと詰まっていた。流石は五国に名を轟かせる悪徳商人だ。ふらっと立ち寄っただけでも、所持品の多さが尋常ではない。


 つまり、時間がかかっているのは、得るまでよりも得たあとだった。


「うーん、全部お金に変えるつもりだけど……。困ったな、奴隷の所有権が面倒だ……」


 セラさんに負けた男性奴隷たちも、所在なさげに隅へ立っている。

 他にも、馬車の中には商売用の奴隷もいた。

 彼は奴隷商を中心に仕事をしていたようだ。


 ――奴隷。


 僕の苦手な存在の一つだ。

 経験から、僕には抱え切れないとわかっている。


「仕方ない。《ディメンション・多重展開マルチプル》で、いい引き取り先を街から探そう」


 幸い、目標の金額は大きく上回っている。

 解放するだけなら簡単だ。

 しかし、解放されても彼らには頼る先がない。野垂れ死ぬのがほとんどになるだろう。それがわかっているからこそ、僕は時間と魔力をかけて情報収集を開始する。


「おい。そんなことをしている時間はないぞ?」

「ごめん、セラさん。でも、僕にはこれが必要なんだ。最低でも、おんなどもくらいは優遇してあげたい……」

「……そんな目で見るな。……わかった。やればいい。私だって、そこはおまえと同意見だ」

「よかった、セラさんが優しい人で……。マリアとかスノウあたりは、絶対反対すると思うからね」

「そ、そうなのか? 二人とも優しい子に見えるが……」

「あの二人、身内以外にはびっくりするくらい冷たいよ?」

「見かけによらないものだな……」


 世間話をしながらも、着々と事を進める。

 意外にも、僕とセラさんの意見が対立することは少ない。ラスティアラさえ絡まなければ、彼女と僕の価値観はとても近しいのだ。


 セラ・レイディアントは、この殺伐とした異世界の中で生きながらも異様にモラルが高い。騎士内では潔癖症と言われるほどらしい。

 そのモラルは、元の世界で生きてきた僕と丁度同じくらいだった。


 彼女の隣は、とにかく落ち着く。

 ラスティアラの絡んでいないセラさんは最高だ。まず、距離感がいい。

 どこかの誰かたちと違って、狂気も不安定さも感じない。


 強すぎず弱すぎず、確固とした信念を持っている。

 その信念は、僕の持っている信念と近く、意思疎通に齟齬が発生しない。

 まさしく、理想の女性だ。


 そんなことを考えながら、僕は情報収集を終える。というより、そんなことを考えていないと、奴隷という問題はストレスが大きすぎた。

 そして、その結果を奴隷たちに伝える。


「――えーっと、急で申し訳ないですが、これからあなたたちの仕事場は変わります。あなたたちの所有権が僕に移り、それを僕がさらに別の場所へ売り払うからです。……では、まずそこのあなたたち。あなたたちは、開拓団護衛の仕事になります」


 部屋の隅に立っていた屈強な男たちに、適切な仕事を紹介する。

 『表示』でステータスを見る限り、彼らに護衛の仕事は天職だ。《ディメンション・多重展開マルチプル》で職場の環境の確認も終わっている。

 

「土木作業や剣闘士のほうがいい方は言ってくださいね。あと解放されたい人も言ってください。その後の責任は持てませんが、解放するだけなら解放します。けど、奴隷として働いたほうが状況が良い場合もあるので、そこはよく考えて判断してください。……じゃあ、どんどん次の仕事先を振り分けていきますから、要望は早めに言ってください」


 僕は大量の書類を取り出し、羽ペンを走らせながら奴隷たちの処遇を決めていく。

 それを聞いて、奴隷たちは色めき立つ。中でも『解放』という単語は、奴隷たちにとって聞き捨てならないものだったようだ。


 多くの奴隷が立ち上がり、僕に詰め寄る。

 思い思いの希望を同時に発言していき、すぐに裏部屋内は騒がしくなる。


「――ええ、一気に言ってくれていいですよ。ちゃんと聞き取れますから」


 その全てを漏らすことなく把握していく。

 僕はギルド『エピックシーカー』の書類整理を一日で終わらせたこともある。その情報処理能力を使い、全員の発言と名前を書類に記していく。名前は『表示』を使えば一発でわかるし、同時にその人物の適正も確認できる。


 明らかに合わないであろう仕事を望む者には、そのモチベーションをしっかりと確認していく。このあと、僕がいなくなっても奴隷たちは生きていけるように、全能力を使って采配していく。


 しかし、それでも問題は残る。

 自己主張の激しい奴隷たちが発言を終えて、歓喜の声をあげる中、まだ何も状況を理解していない子達もいた。


 身寄りのない子どもの奴隷たちだ。

 子どもたちには経験と知識がなければ、目の前の好機を活かすこともできない。


 おそらく、理不尽に家族を失ったであろう子達だろう。

 そんな子どもたちを集めて、僕は優しく説明する。


「……いいかい。解放されたいなら、解放してあげる。それなりのお金も持たせる。さっき、悪い大人から一杯お金を巻き上げたから、余裕はあるんだ。けど、僕にできるのはそこまで。あとは自分でなんとかするしかない。……僕は君たちを救ってあげるような、都合の良い人にはなれないから」


 僕はこの世界に慈善活動をしにきたわけじゃない。

 妹のために、一刻も早く迷宮を踏破する必要がある。


 だから、やろうと思えば全員を救える状況を見ても、手は差し伸べない。疼く良心を抑え付け、きっぱりと「救わない」と言う。これが、いまの僕に出せる答えだった。


 それを聞いた子どもたちは、少しずつ自分の要望を吐き出し始める。


 しかし、それでも動けない子は動けない。

 目は虚ろで、生きる希望を完全に失っている。


 動けない子達を僕の判断で解放してしまえば、必ず野垂れ死ぬだろう。

 奴隷として売り払うしかない。僕は馬鹿だが、奴隷じゃないと生きていけない人間がいることくらいは知っている。


 生きてさえいれば、いつかはいい事がある。

 そう信じるしかない。


「ここで何も動けないようなら、予定通り奴隷市場に流れるだけだよ。本来より、ずっと全うな市場ところを選ぶつもりだけど、正直、そのあとは運次第だ……。それで、いいね……?」


 子どもたちは何の反応も示さない。

 ただ、まっすぐと僕の目を見つめた。


「そんな目で見るな……。辛くなる……」


 体が震え始める。

 じわりと汗がにじんでくる。

 子供たちの言いたいことはわかる。わかるからこそ、それをわからないように努力している。

 スキル『並列思考』が発動しないように、スキル『???』が這いよらないように、必死で僕は首を振る。


「……僕は奴隷に懲りてる。関わり合いたくない。だから、君たちを傍に置きたくない。……わかって欲しい」


 そう言い切り、背中を向けて魔法を唱える。


「――《ディメンション・多重展開マルチプル》!!」


 スキル『感応』も混ぜ、大量の魔力を使って《ディメンション》を使う。


 奴隷を必要としている大口の引き取り先だけでなく、細かな仕事場まで意識を割く。子どもでも下働きできるようなところを、スキル『並列思考』を駆使して探す。

 膨大な情報量のせいで、脳が熱で溶けそうになった。それでも僕は、目を血走らせて魔法を継続させる。正直、ローウェンと戦っているときと同じくらい必死だ。


 こうして、残った魔力を搾り出すことで、僕は動けない子達全員分の引き取り先を見つけ――血の味の滲んだ息を吐き出す。


「はぁっ、はぁっ――! こ、これで、なんとかなりそうかな……」


 体の震えが止まっていくのがわかる。

 僕は僕にできるだけのことをした。

 その自己満足が、僕の精神を安定させてくれた。


 すぐに僕は子どもたちに、これからの仕事について説明していく。

 返事は弱々しい。けれど、僕の懸命な姿を見て、少しずつ目の輝きを取り戻していっているような気がした。


 これから奴隷として生きていくしかないとしても、まだ小さな希望があるということを子どもたちは理解していく。


 こうして、僕は請け負った奴隷全員分の今後を確定させた。

 大金を使ってカジノ側から紹介してもらった業者を仲介し、手続きを行っていく。


 だが、その途中、問題が一つ起こる。

 目に生気のなかった子の中の一人が、じっと僕を見ていた。《ディメンション》を展開しているからわかる。

 僕は何か言いたいことがあるのかと思い、その奴隷の少女に声をかける。


 すると、その少女は目じりに涙を浮かべて訴える。


「――お、お願いします。何でもします! だから、私をあなたの奴隷にしてください!」


 唐突な懇願に僕は驚く。


「……駄目だ。さっき言っただろ。僕は奴隷が苦手なんだ」

「なら、奴隷じゃなくてもいいです!」


 少女は少しずつにじり寄ってくる。

 必死に自分の望みを叶えようと、まっすぐと僕の目を見つめる。


 僕は困った。

 『注視』をしたところ、少女は迷宮探索どころか戦闘にすら向いていない。もっと別の場所が彼女の生きる場所なのは間違いなかった。


 だが、その熱意に押され、僕はたじろぐ。


「そう言われても困るよ。君を引き取る理由が僕にはない。君にも適職を用意したから、そこへ行ってくれないかな……?」

「奴隷なんて関係なく、自分の意思で私は貴方についていきたいと思いました……。だから、お願いします。どうか私を連れていってください……」


 溜めていた涙をこぼしながら、少女は僕を見上げる。

 頬は紅潮し、身体が震えている。

 彼女は勇気を振り絞って告白しているとよくわかる。


 しかし、僕には迷宮最深部を目指すという目的がある。ここで首を縦に振っていては、いつまで経ってもその目的を果たすことはできないだろう。


 以前の僕とは違う。

 意思を固めて、首を振る。


「……君は何か勘違いしてる。言っとくが、僕はろくなやつじゃない。賭場を荒らし、人を食い物にしたろくでなしだ」

「それでも……、私はあなたがいいと思いました……。私にはあなたしかいないと……」

「駄目だ。僕は君を連れて行くことに利益を感じない。だから、連れて行くことはできない。頼むから、わかってくれ」

「お願いします、何でもします……。私は、私は……――」


 少女との距離が近づく。

 同時に、僕の心も揺れ動く。


 その健気な少女の姿は、僕の心臓の音をはやらせる。


 疑問が浮かんでしまう。

 果たして、この少女を見捨てて、僕は明日からの人生を気持ちよく過ごせるだろうか。いつか元の世界に戻ったとき、僕はこの出来事を死ぬまで後悔し続けるかもしれない。なにより、胸を張って妹と会うことができないというのが苦しい。


 ならば、この少女の手を取ることは間違いでないのかもしれない。

 そう思ってしまう。


 少女の震える手が伸びる。

 その手に、僕の震える手が触れそうになり――


「ストォオーーップ!!」


 ――恐ろしい速度で突進してきたラスティアラに阻まれる。


 常人の頭部ならばスイカのように弾けるであろう飛び蹴りを、僕は両手で咄嗟に受け流す。そして、唐突な攻撃をしてきた彼女に文句を言う。


「な、何するんだ! ラスティアラ!」


 けど、文句を言いたいのはこっちだと言わんばかりに、ラスティアラは言う。


「うん、奇襲にも慣れてきたね。いいことだよ。……けど、ちょっと別行動させたら、すぐ新たなラブストーリーを展開させるとか、節操なさすぎ。流石カナミ、すごいね。いやほんとすごい。すごすぎて、つい足が出ちゃったよ」

「は、はあ? ラブストーリー? 違うぞ、ラスティアラ。勘違いするな。これは……」


 僕は事情を説明しようとする。

 けれど、それはラスティアラに続いて入ってきたマリアの重圧プレッシャーに阻まれる。


 その重圧プレッシャーは僕に向けられたものではなかった。


「――解散です。カナミさんをそそのかさないでください」


 マリアは笑顔で奴隷たちに語りかける。


 けれど、その重圧プレッシャーは戦いの素人に向けていいレベルではない。

 当然だが、僕の傍にいた少女は後ずさりする。


「お、おい、マリア、待て――」


 その荒々しい対応を咎めようとして、


「――ちっ・・


 僕の言葉は、少女の舌打ちによって止まった。

 身体が氷のように硬直する。

 ぎしぎしと音が鳴るかのように、ゆっくりと僕は少女に目を向けた。


「え、え? あれ?」


 そこに、先ほどまでの弱々しく可愛らしい少女はいなかった。

 フェイ・エールスにも負けないほど悪い顔の女の子が一人。


 誰かを騙し、己の糧に変えることを厭わない表情を前に、僕は困惑する。


 あれ……?

 さ、さっきまでの可愛い子は、どこに……?

 

 舌打した少女が忌々しげにマリアから距離を取るのを見て、僕は今日一番のショックを受ける。『舞闘大会』の決勝とフェイ・エールスとの賭けゲームをも含めて、一番のショックだった。


 『感応』と『詐術』をマスターした僕を――、『舞闘大会』を優勝した僕を――、この賭場カジノで最高の資産家に一日で成りあがった僕を――、そこの少女は、あっさりと陥落させかけていたのだ。


 注意深く『感応』で少女を観察すると、よくわかった。

 むしろ、そこまでしなければ気づけなかったが、少女は僕のお金だけが目的だったようだ。


 さっきまで少女を世界一可愛いとか思っていた自分が恥ずかしい。

 偽ラブレターに騙されたかのごとく、顔が真っ赤になっていくのが自分でわかる。


「……っ!」


 どうやら、『詐術』のスキルを手に入れたとはいえ、万能ではないらしい。

 意識して適切なタイミングで発動させなければ、効果は薄いようだ。


 両隣ではラスティアラとマリアが、じと目で僕を見ていた。

 そこにセラさんが慌てた様子で間に入る。


「お、お嬢様! お嬢様がこんなところにまで来る必要なんてありません! 汚れ仕事は私とカナミにお任せください!!」


 あ、ああ……。

 セラさんも元に戻る……。

 僕の癒しが、全て失われていく……。


「こっちの準備が終わったから、心配になって見にきたんだよ。なら、案の定だよ。やっぱり、カナミとセラちゃんに汚れ仕事は向いてないね」

「い、いえ、これはその……、何と言いますか……」

「とりあえず、なんでこんなことになってるのか説明して」

「はい、わかりました!」


 セラさんは尻尾を振る子犬のように、あるじに事情を説明し始める。

 こうなると彼女はもう駄目だ。

 僕を目の敵にして、ラスティアラに絶対服従する騎士となる。


 セラさんの説明は悪徳商人を破滅させ、全財産を巻き上げたところまで進む。そこまでラスティアラとマリアは笑顔だったが、奴隷の所有権の話に入ったところで呆れ顔に変わる。


 ラスティアラは信じられないといった様子で確認する。


「――それで、引き取った奴隷全員の今後を、ぜーんぶ面倒見ようとしたの?」


 僕は頷く。

 そこにマリアの駄目出しが入る。


「カナミさん……。甘いを超えて、馬鹿みたいですよ? 『英雄』になりたくないんですよね? なのに、何やってるんですか。それ、もう『英雄』そのものじゃないですか」


 僕は敬語で反省の意思を示す。


「急に奴隷さんたちの所有権を得てしまい、酷く混乱してました……。すみません……」

「いいですか、カナミさん。優しいことが全て正しいとは限りません。ただでさえ、騙されやすいんですから、気をつけてください」


 もっと言いたいことはあるのだろう。

 けれど、元は自分も奴隷だったこともあり、すぐにマリアの小言は終わってくれた。二人で迷宮探索していたときほど、長く食いついてこない。


「お願いしますね……。私はカナミさんが心配なんです、本当に……」


 マリアは心から僕の身を案じていた。

 あの煉獄の日、自分自身の過ちを思い出しているのかもしれない。僕が軽い気持ちで誰かに手を伸ばし、その重みで潰れることを危惧している。


「で、カナミ。資金の調達はできたの?」


 湿った空気を気にして、ラスティアラが話題を変えてくれる。


「ああ、それは大丈夫。指定した金額は超えてるよ。余ってるくらいだ」


 現在の資金が書かれた書類をラスティアラに見せる。


「うわっ、流石だね。半日も経ってないのに」


 生粋のお嬢様であるラスティアラでも驚く金額に膨れ上がっていた。

 これで『船』が手に入るのは間違いないだろう。


 ラスティアラは満足げに先導し始める。


「それじゃ、急いで合流しよっか。そろそろ《コネクション》を設置したリーパーたちが戻ってくると思うからね」


 そして、僕たちはラスティアラに引き連れられ、カジノをあとにする。


 残っていたフェイ・エールスの財産処理は、ラスティアラとマリアが大雑把に片付けた。奴隷たちの引き取り先の決定は終わっているので、特に僕が口を挟むことはなかった。


 港へ向かう道すがら、僕は溜息をつく。


「はぁ……」


 僕は記憶を取り戻し、新たな力も手に入れた。

 しかし、まだまだ弱いと再確認する。

 いくら『表示』されるステータスが伸びようとも、『数値に表れない数値』は未熟なままだ。


 これでは、成長させてくれたローウェンに申し訳ない。

 彼から受け継いだスキル『感応』を宝の持ち腐れにしていないか心配だ。


 もう僕が意思を違えることはないだろう。

 しかし、これからは強かで柔軟な精神力も手に入れないといけない。

 それがよくわかる半日となった。


「おい、カナミ」


 一人で反省していると、僕の隣を歩くセラさんが、声をかけてくる。


「なんですか?」

「おまえはやれるだけのことはやろうとしただけだ。私がそれを認める。だから、なんだ……、その、気を落とすな……」


 意外にも、セラさんが僕を慰めてくれた。

 彼女にとって、僕の行為は正しかったのだろう。彼女は最後まで僕の行動を止めようとしなかった。僕と同じ考えだったのは間違いない。


 けれど、ラスティアラの前ではそれを言えないため、小声でフォローしてくれているようだ。


「ありがとう、セラさん……」

「ふん……」


 僕がお礼というと、セラさんは気恥ずかしそうに顔を背けた。

 顔が赤くなっているのを見られたくないようだ。


 たとえ、仲間たちの誰ともモラルが合わなくとも、セラさんだけは僕の価値観をわかってくれる。それがわかり、僕は少しだけ安心した。


 そう。

 セラさんは単体なら、最高の仲間なのだ。

 前方を歩くラスティアラたちと関わらなければ――


 夜が更けていく。

 僕たちは、すっかり暗くなった街中を黙々と歩く。


 こうして、僕たちは目標の金額を得て、『船』のある港へ向かったのだった。



◆◆◆◆◆


 

 南の国のグリアード。

 その南端の港に僕たちは辿りつく。

 

 目星をつけていた『船』が、真夜中の海に浮かんでいた。

 大きな船ではない。しかし、装飾は過剰で、多様な魔石が使われている。一目で高級船ということがわかる代物だ。


 『船』の傍には、責任者であろう商人が立っていた。そこには別行動を取っていたリーパーたちもいる。

 その商人に、ラスティアラは金貨の入った袋を広げて見せる。


 その法外な金額を前に、商人は喉を鳴らす。

 

「こ、これは、驚きですね……。一体どうやって、この短期間で……」


 夕方の時点では、お金は足りていなかった。

 だというのに、たった数時間で、そのお金を何千倍にも増やしてきたのだ。一人の商人として、彼は声を震わせる。


 それに付き合うことなく、ラスティアラは話を進める。


「即金なら、譲ってくれるって言ったよね? 相場の倍に、さらに色もついての即金。これで文句なしだよね?」

「ええ、それは構いませんが……。しかし、たった七人だけで、この船を扱うのは無茶ですよ?」

「たった七人だから、この船を選んだんだよ。この船、魔力さえあれば何とかなるんでしょ?」

「ええ、そうですが……。しかし、数百人の魔法使いが魔力を込めて、一度航海できるという燃費の悪い代物ですよ?」


 商人は船が失敗作品であることを白状する。

 夕方時ならともかく、いまの僕たちは大金を持った上客だ。これっきりのお付き合いにならないほうがいいと、考えを改めたのかもしれない。


 けれど、そういう言い方をするからラスティアラが嬉々として食いつくのだ。

 このピーキーで引き取り手のなさそうな一品を、彼女は玩具を欲しがる子どものように見つめる。


 もう手遅れだ。

 本当のところ僕は、こんないつ爆発してもおかしくない船ではなく、風力が主体の安全な船が欲しかった。けれど、こうなったラスティアラを止めることは不可能だろう。


 《ディメンション》で確認する限り、この船が立派な造りであるのはわかる。

 けれど、通常より爆発しやすい火種が多いのは確かだ。高価な魔石というのは、便利なだけではない。便利さに比例して危険も内包している。


 そして、その魔石製の船にディア、ラスティアラ、マリア、スノウの人間爆弾たち四人が乗るのだ。不安は否応なく高まる。


 かつて炎上してしまった可哀そうな高級家屋を思い出す。

 この船は同じ運命を辿らせまいと、僕は決意する。同じ失敗は繰り返さない。あの日と違い、僕には頼りになるスキルもある。


 しかし、スキル『感応』はローウェンの声で「それは私でも無理だ」と言っているような気もする。

 それでも、僕は絶対に運命には負けないと、心の中で何度も誓っておく。


「ふっふっふ。それじゃあ、ディア。ゴー」


 ラスティアラは魔力が必要と聞き、後ろにいたディアを向かわせる。

 ディアは首を傾げながら、船に近づく。


「ん、魔力を送るだけでいいのか?」

「うん、お願い。この中だとディアが一番魔力高いからね」

「わかった。やってみる――」


 ディアの膨大な魔力が船に注ぎ込まれる。

 実態のない魔力だというのに、船は震えた。

 海を波打たせ、船が俄かに発光する。


「な、なっ!?」


 商人は悲鳴をあげそうになった。

 一般人ならば、その魔力の波動だけで尻餅をつくほどの力だ。しかし、彼は商人としての意地を見せて、何とか声を抑え切った。


「ほら、大丈夫でしょ?」


 ラスティアラは得意げに、魔力が満タンになった船を商人に示す。


 商人は言葉を失う。

 用意された大量の金貨も、小柄な少女の発した魔力も、全てが異常だ。思考が追いついていないのがわかる。


 その呆然を、ラスティアラは商談成立したと解釈する。


「あ、船の資料はカナミたちが読んでね」

「ああ。僕もリーパーも、もう読み終わった。船の仕様もわかった。……たぶん、七人で行ける」

「うん、アタシも大体わかったよー」


 ラスティアラが商人と話している間、僕とリーパーは分厚い資料を読んでいた。

 次元魔法使いは《ディメンション》を使って速読できるので、こういったときに便利だ。


「オーケー! 《コネクション》の設置も、補給も完了! 準備は万端! はい、商人さんお金っ! それじゃあ、みんなー! 乗り込めー!!」


 ラスティアラは強引に金貨の入った袋を商人に持たせ、はしゃぎながら船へ向かう。

 セラさんとスノウがラスティアラに付き合って、「お、おー」と言いながら後に続く。


 夜中だから静かにして欲しい。


 船の側面から乗り込むな……。

 せっかく掛け梯子はしごがあるんだから、それを使え……。


 僕は商人さんに礼をして、ゆっくりと船へ乗り込む。

 もちろん、掛け梯子を使ってだ。


 甲板に全員が揃い、ラスティアラは楽しそうに宣言する。


「名前は『リヴィングレジェンド号』!」

「リ、生きる伝説リヴィングレジェンド……?」


 大言壮語が過ぎる。

 これから各国で使うであろう船には適さない名前だと、僕は思った。

 けれど、輝かんばかりのラスティアラの笑顔を前に、僕は反対のタイミングを逃す。


 大げさに拍手するスノウの横で、セラさんが僕を睨む。


「貴様……、お嬢様のネーミングセンスに何か文句でもあるのか……?」

「いや、文句があるわけじゃ……」


 よくよく考えたら、僕の考える魔法名も似たようなものだった。

 なんだかんだで、ラスティアラとはゲーム的なところでセンスは合う。


 船首へ乗り出すラスティアラを置いて、僕は出航の準備を進める。


「リーパー、おまえなら場所わかるだろ? ちょっと補助動力部に火を点けてきてくれ。僕は錨を上げたり、帆を広げたりするから」

「ん、わかった。行ってくる」


 リーパーは《ディメンション》を広げ、迷いなく船の中へ進む。

 大量の魔石で造られた船『リヴィングレジェンド号』は、風や波に頼らない動力がある。資料を読んだリーパーは、それをわかっていた。


 そして、僕たちは手分けしてマストに登り、帆を広げていく。この船は生粋の帆船ではないため、帆の数は少ない。それでも、素人である僕たちには大変だった。リーパーが帰ってきても、なかなか出航の準備は終わらなかったほどだ。


 資料の全てが頭に入っている僕とリーパーが指示を出し合い、それなりの時間をかけて、ようやく何とかなる。


 のしりと、少しずつリヴィングレジェンド号は海を進み始める。


「お、進んだ進んだー! 凄い! これが船かぁ! 英雄譚に必須の船!!」


 一番興奮しているのはラスティアラだ。

 次にリーパーだ。この二人は海自体が初めてなのかもしれない。


「ようやく進んだな……。というかこれ、このまま進んでも大丈夫なのか……?」

「大丈夫だよ、カナミ。こういうのは大体で行けるって、大体で!」


 相変わらず、ラスティアラは無計画だった。

 おそらく、自分のセンスに裏づけされた自信なのだろうが、それでも大きなリスクがあるのは間違いない。


 僕は仕方がなく、海図を甲板に広げてリーパーを呼ぶ。


「リーパー、一先ずは《ディメンション》で航海しよう。交代でやれば、遭難だけは免れるはずだ」


 才能と魔法で無理やり解決するしかなかった。

 陸地に沿って動かせば、僕たちの拙い航海術でも何とかなるだろう。もしくは、すれ違う船乗りたちからスキルを奪うことさえできれば、それで解決だ。


 リーパーと相談しながら、船の向きを変えていく。

 そして、何とか本土への針路を割り出し、運行を安定させる。


 一息ついた僕たちは、甲板の中心にある大きなテーブルに着く。

 ラスティアラ、ディア、マリア、スノウ、リーパー、セラさん。

 頼れる仲間たちがずらりと並ぶ。


 いままで、多くても三人でしかパーティーを組んだことはなかった。そのため、現在の七人パーティーは圧巻としか言いようがない。


 みんなの顔を見渡し、僕はリーダーとして発言する。


「みんな、目指すは『本土』だ。『本土』にいるパリンクロンを追う」


 端的に、いまの目標を宣言する。

 パリンクロンという名前を聞いた仲間たちは、それぞれの反応を見せる。


 怒りや嫌悪だけじゃない。

 パリンクロンと交流があったスノウやセラさんは、神妙な顔になる。


「パリンクロンを放ってはおけない。いま、あいつの中には守護者ガーディアンティーダの魔石がある。……危険だ」


 守護者ガーディアンの魔石。

 フーズヤーズの上層部は、血眼になってこれを手に入れようとした。そして、それに見合うだけの力が、守護者ガーディアンの魔石にはある。

 パリンクロンとマリアのステータスの変化を見る限り、間違いない。


 守護者ガーディアンの力を得たパリンクロン。

 あいつが見えないところで何かをやっていると考えるだけで、不安が付きまとう。


「……いや、それは建前だな。きっと、僕はパリンクロンを許せないんだ。ただただ、許せない。あいつは人としてやってはいけないことをやった。だから、僕はあいつと戦う。戦わないといけない」


 聖誕祭の日、パリンクロンと戦って僕は負けた。

 けれど、今度こそ負けない。

 その自信がある。


 僕は『試練』を乗り越えて強くなった。

 『火の理を盗むものアルティ』と『地の理を盗むものローウェン』から、たくさんのことを教えてもらった。


 そして、仲間がいる。

 もう僕は一人じゃない。

 一人で戦う必要はない。


「――みんな、僕に力を貸してくれ」


 僕は頼む。

 もう間違えないためにも、心から助けて欲しいと願う。


 それ聞いた仲間たちは、ゆっくりと口を開いていく。


 まず、ラスティアラが当然のように、「当たり前でしょ」と笑った。

 ディアやマリアは静かに怒りを示し、同じように協力を約束してくれる。

 スノウやリーパーは仕方がないといった様子で、それに続く。

 セラさんも「お嬢様のためだ」と言って、溜息をつきながらも力強く頷いてくれた。


 全員が快く承諾してくれた。


 そして、僕は実感する。


 やっと、胸を張って言える――

 この広い異世界で、確かに独りじゃないと――


 その気持ちを言葉に変える。


「……みんな、ありがとう」


 自然と口から零れた。

 その感謝には様々な想いが詰まっていた。


 同意を得られて嬉しいだけの話じゃない。

 もっと複雑で、とても単純な意味も含んでいた。


 そして、僕の心の有様を表すかのように、夜の海に光が差し込む。


 ――夜明けだ。


 白い太陽が地平線から昇る。

 黄金色の夜明けが海を照らしていく。


 それに合わせて、僕は出発を謳う。


「――行こう! 出航だ!!」


 船は光に向かって進む。


 光り輝く空の下、仲間たちと共に突き進む。


 こうして、僕は失敗を乗り越えた。

 相川渦波として生きる。

 その始まりの夜明けだった。




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