102.西エリア第一試合、北エリア第二試合



 ローウェンの勝利を見届けたところで、僕は《ディメンション》内に高速移動する生物を感知する。


 試合に集中していたため、気づくのが少し遅れてしまった。

 巨大な青い狼が一人の少女を乗せ、川を行き来する小船を足場にして、こちらへ向かって接近して来ている。川を越えた狼は船団に飛び移り、さらに速度を上げて船の建造物の屋根上を走る。


 最後に大きく跳躍して、西エリア闘技場の壁さえも跳び越えた。

 こうして、正門を無視して闘技場内に現れた狼は、疾風のように客席を駆け抜け、戦いの場に飛び込もうとする。


 狼が飛び、宙を滞空している間に、背中の少女が跳ぶ。

 晴天の白い太陽を背にして飛び上がった少女は、闘技場の中心へ華麗に着地してみせた。


 舞う砂埃を少女は、その身を包んでいた外套を振り回して払う。

 そして、その外套を投げ捨てて、姿を露にする。


 姿を現したのは、金の髪を羽のようになびかせる少女。

 見るものに畏怖の念を抱かせるほどに美しく、その場に立つだけで周囲を現実から幻想へ塗り替える異質の存在。

 この連合国で最も高貴で尊い少女、ラスティアラ・フーズヤーズだった。


 ラスティアラは腰の剣を流麗に抜いて、空気を裂いた。

 それは、まるで劇のワンシーンのような登場だった。


 その豪快な登場に、観客は興奮と共に沸く。 

 状況を把握した司会は慌てた様子で声を出す。


(――ま、間に合いました! 見間違えようがありません! レヴァン教の現人神にて、フーズヤーズの天上の姫セレスティアル・プリンセス! ラスティアラ・フーズヤーズ様の入場です!)


 宣言と共に客席の歓声は最高潮に達する。

 ラスティアラは笑顔で手を振って、歓声に応えた。


 すぐに運営している係員は試合の準備を進める。

 この盛り上がりのまま、『舞闘大会』を進めたいのだろう。急いで対戦相手が門から現れて、ラスティアラと向かい合う形になる。


 年は三十から四十頃の男性が三人。

 厳めしい面構えをして、軍服に似た黒い服を着ている。自由な冒険者や探索者ではなく、何らかの公的機関の人間に見える。


 古傷が多く、歴戦の戦士であることは一目でわかった。ただ、それでもラスティアラの相手は厳しいだろう。

 それほどまでにラスティアラは異質な存在だ。


 両チームの準備が整ったことを確認した司会は進行を開始する。


(――それでは試合方式の決定を行います)


 僕は手元の資料を眺めながら、試合前の取り決めを確認する。

 どうやら、『舞闘大会』の試合方式は毎試合違うらしい。両チームの話し合いが基本となっていて、そこで決闘の誓いと賭けるものを決めると書いている。


 ただ、話が長引きそうになれば、司会の判断でスタンダードルールが適応されるという注意書きもある。

 進行に問題がでない範囲であれば、出場者の自由にやっていいということだろう。


 対戦相手の内の一人が前に出て、ラスティアラへ深く礼をする。


「お初にお目にかかります、ラスティアラ様。私はヴァルト本国の方で軍職につかせて頂いているファーレ家のシェイドです」


 彼の声が近くにいる司会の魔法道具に入り、会場全体へ伝わる。

 ラスティアラは笑みを崩さず、フランクに対応する。


「よろしく、シェイドさん。でも、ここでは立場なんて関係ないから気楽にね」

「もったいないお言葉です……」

「ま、そうは言っても、どうしようもないか……。それで、勝負方法はどうするの?」

「『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』のスタンダードルールである『胸花落とし』、もしくは『武器落とし』を希望します」


 初めて聞く単語だ。

 僕は慌てて資料から、ルールの詳細を確認する。


「花で飾ったほうが見栄えがいいから、『胸花落とし』にしようか。司会さん、お花頂戴」

 

 『胸花落とし』。

 胸部に花を飾り、散らし合う戦いと資料では説明されている。

 僕の世界でも聞いたことがあるクラシックなルールだ。


 ラスティアラは司会からバラのような色の濃い花飾りを受け取って胸に挿す。

 対戦相手も同様だ。


「――そして、我々が勝利した際には、フーズヤーズの大聖堂へお帰り頂きたいと思っています」

「うん、わかった。それでいいよ」


 戦いの準備を終えて、対戦相手は決闘の報酬を提案する。

 それをラスティアラはあっさりと了承し、逆に男の方が戸惑っていた。


「構わない、のですか……?」

「構わないよ。それを覚悟で参加してるから」

「負ければ即送還を覚悟しての出場ですか……。とても良い覚悟です。ならば、ラスティアラ様が勝利した際は――」

「そのときは私たちの新たな門出を祝福して」


 対して、ラスティアラの要望は曖昧なものだった。


「協力も応援も要らない。祈ってくれるだけでいいよ」


 祈りの要求。

 対価としてはゼロに等しいだろう。

 しかし、それをラスティアラは望んだ。


「……わかりました」

「対戦方式もそっちで決めていいよ。遠慮せず三対一で一気にかかってきてもいいからね」

「いえ、こちらの代表である私との一対一で全てを決めましょう。最も無駄がありません」

「わかった。なら、それでやろっか」


 それを最後に、二人は距離を取る。

 思った以上にすんなりとルールは決まった。あとは戦うだけだ。


 司会は話し合いが終わったことを確認し、その詳細をわかりやすく全体に知らせる。


(畏れ多くて多くて口を挟めませんでしたが……、どうやら対戦方式が決まったようです! 単純明快な代表者同士の決闘です! そして、ラスティアラ・フーズヤーズ様の大聖堂への送還が賭けられました! ここでファーレ卿が勝利すれば、その時点で聖誕祭の一騒動は解決です!)


 司会の口上に合わせて、会場の歓声は激流のように鳴り響く。

 会場の盛り上がりはローウェンの試合と比にならない。


 ラスティアラはこの世界の有名人だ。僕の世界ならば、トップアイドルがオリンピックに出ているようなものかもしれない。

 

(――それでは『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』西エリア第一試合、開始します!)


 司会が開始を宣言すると同時に、ラスティアラと軍人さんの距離がゼロになる。同時に剣が結ばれ、甲高い金属音が鳴った。


 慌てて司会は戦場外まで退避する。


 闘技場の中央で剣を打ちつけ合った二人は、弾かれるように距離を取る。

 軍人さんは驚愕の表情を浮かべたが、すぐに厳しい表情に変えて詠唱を始める。それに対し、ラスティアラは微笑みながら歩いて距離を詰める。


 この時点で、僕は試合の終わりまでの流れが見えた。

 そもそも、あのラスティアラと剣を打ちつけ合って、両者が弾け飛ぶなんてことはありえないのだ。彼女の圧倒的な膂力の前では、もっと一方的な結果にならないとおかしい。


 僕はラスティアラが観客のために互角を演出していることを理解した。


「――『切裂け』! 《アルト・ゼーア》!」


 軍人さんは風の魔法を放った。

 その魔法の出来をラスティアラはよく見てから、独楽のように回転しながら魔法の風を斬り払った。


 かわすこともできたのだろうが、四散する風のほうが見栄えがいいと判断したのだろう。わざわざ、防いでみせた。


 軍人さんは魔法の風と共に突進していた。

 しかし、魔法の風をいとも容易く防がれてしまったので、もはやただの突進でしかない。


 ラスティアラは悠然と軍人さんを迎え撃つ。

 軍人さんの豪快な剣戟を、ラスティアラが華麗に受け捌いていく。


 その剛と柔の競演に、観客は沸き立つ。

 しかし、僕から見れば、出鱈目なことこの上ない。ラスティアラの剣技は滅茶苦茶だ。実のところ、柔でも何でもない。柔っぽく見える別の何かだ。


 ローウェンから剣の基礎を教えてもらったからこそわかる。むしろ、軍人さんの剣技の方が理に適っている柔の剣だ。


 ラスティアラの剣技は真逆。

 理なんて二の次、ただ格好良く見えるように剣を振っているだけ。


 それでも戦いになっているのは、ラスティアラの動体視力と反射神経が化け物じみているせいだ。

 なにより、剣の速度が段違いだ。ラスティアラがどれだけ無駄な動きをしようと、その遅れを速度だけで取り返せてしまう。

  

 僕は軍人さんに同情する。

 ほどなくして、ラスティアラは呟いた。


「いい太刀筋、威力も申し分ない――」


 明らかに格好つけている。

 まるで演劇のようにわざとらしく、その涼やかな声を場内に響かせる。


 そして、声に合わせて踏みこむ。


「けど、まだまだ舞台ステージには上がれないかな」


 ラスティアラの容赦ない一閃によって、軍人さんの剣は弾き飛ばされる。

 同時に、胸花も散らされ、闘技場の空に銀の剣と白い花が舞った。


 ふわりとラスティアラの髪が舞う。踏み込んだ際に舞った砂埃は、まるで絵画のふちのようだった。

 その幻想的なまでに美しい光景を見て、観客たちは今日一番の歓声をあげた。


 爆発音のような歓声をかきわけ、司会は試合終了の合図を出す。


(――ラスティア・フーズヤーズ様、勝利条件を満たしました! 勝利ですっ、二回戦進出!!)


 その合図に合わせて、ラスティアラは剣を収め、軍人さんに手を差し出す。あっけにとられていた軍人さんも、苦笑いと共に手を差し出して握手する


「シェイドさん、ありがとうございました」

「見事でした、ラスティアラ様。まさか、ここまで手も足も出ないとは……」

「いえいえ、いい勝負でしたよ?」


 ラスティアラは笑って軍人さんの健闘を讃える。

 確かに互角の剣戟が長く続いていた以上、観客から見れば『いい勝負』に見えただろう。


 しかし、それがラスティアラの演出であることが相対していた軍人さんにはわかる。ゆえに、彼は笑って応えることしかできなかった。


 こうして、ラスティアラの第一試合は終わった。

 次の試合が始まるため、ラスティアラは奥に控え室があるであろう門まで歩いていく。最後までファンサービスを忘れずに、笑顔を振りまくのを忘れない。


 その門と観客席の距離は近い。

 僕はチャンスだと思って、観客たちの合間を縫って最前列まで出る。


 そして、多くの人の声が行き交う中、ラスティアラに呼びかける。


「おい、ラスティアラ!」


 しかし、声は届かない。

 周りの声に押しつぶされてしまう。

 僕は仕方がなく《次元の冬ディ・ウィンター》を展開して、冷気でラスティアラに呼びかける。


「ラスティアラッ――!!」


 声を張り上げて、僕はラスティアラの名前を呼ぶ。

 ラスティアラは冷気と声に反応して、きょろきょろとあたりを見回して僕を見つける


「――ん。あれ、カナミ? 応援してくれてたの?」


 そして、まるで旧知の友を見つけたかのように話し返してくれた。

 その対応に僕は心温まる。


 しかし、周囲の声で聞き取りづらい。《ディメンション》があるからなんとか聞こえるほどだ。


「ラスティアラ! このあと、話せる時間はあるか!?」


 とにかく、僕は用件だけ伝えることにする。


「え? う、うーん。初日は二戦目があるから、その後なら大丈夫かな?」


 ここまで話したところで、周囲の人たちがラスティアラと話している人間がいることに気づく。あのラスティアラ・フーズヤーズと親しげに話すやつは誰かと、多くの奇異の目が向けられる。


 僕は目立つのを避けるため、すぐに会話を切り上げることにする。


「わかった。二戦目のあとだな!」

「うん。カナミもちゃんと勝ち進んでてよー!?」


 ラスティアラは笑顔で僕を見送る。

 僕は周囲の好奇の目を振り切って、西エリアの闘技場から逃げ出した。



◆◆◆◆◆



 ラスティアラの試合を見たあと、とある船上レストランまで僕はやってきていた。


 午後の二回戦まで暇だったので食事を摂っているのだ。

 ただ、どこまでも船が連なっているため、船上で食べている気はしない。遥か遠くの地平線に綺麗な青色が見える程度だ。


 それなりに景色のいいところで腹を満たし、僕は自室まで向かう。


 自室で待っていれば、係員が第二試合の案内をしてくれるだろう。

 色々と立て込んでいる状況だが、一ギルドマスターとして逃げ出す気は――まだない。僕は自室で『舞闘大会』の資料を読みながら、係員を待った。


 そして、日が完全に昇りきり、正午となったところで第二試合の案内がやって来る。


 案内されるがままに、北エリアの闘技場へ赴き、僕は専用の控え室に入る。

 控え室は当たり前のように個室だった。宿泊するための個室といい、『舞闘大会』の出場者にはお金がかけられている。

 そのことから、この本選でかなりのお金が動いていることがわかる。


 ――あと少しで僕の初試合が始まる。


 僕は個室にあった椅子に座って《ディメンション》を展開する。

 事前に対戦相手を把握しようと思ったのだ。


 感覚を広げ、対戦相手と思われる名前を見つける。

 そして、その細かな情報を取得するために『注視』する。



【ステータス】

 名前:アニエス・クルーナー HP143/147 MP156/156 クラス:魔法使い

 レベル15

 筋力3.31 体力3.15 技量1.89 速さ1.26 賢さ6.23 魔力8.23 素質1.42



 リーダーの名はアニエスという名前だった。その子を中心にした魔法使いの少女たちが、僕の対戦相手らしい。

 少女たちの制服と会話内容から北西の国エルトラリューの学院生であることがわかる。


 少女たちは最後の時間まで、生真面目に戦いの作戦を確認していた。

 

「――いい? 相手はあの『エピックシーカー』のギルドマスターだよ。油断せず、最初から全力で行くよっ」

「うん、わかってる。氷結魔法を得意とするらしいから、火炎魔法を中心にね」

「私は一番後ろで火炎魔法を撃ち続けるわ――」


 試合前の最後のミーティングが筒抜けだった。これはひどい。


 フォーメーションの確認まで行い始めたところで、僕は聞いていられなくなり《ディメンション》を切る。試合前に全てが終わってしまうところだった。フェアじゃないにも程がある。


 仕方がなく、僕は最後の時間を精神集中に費やして過ごした。

 焦る心を静める。

 すぐにでも真実を知りたい衝動を、理性的に押さえ込む。


 そして、半刻ほど過ぎたところで、係員が闘技場へ入るように促してきた。


 僕は頷き返して、『持ち物』から『クレセントペクトラズリの直剣』を取り出し、ゆっくりと闘技場内への道を歩いた。

 十数メートルの暗い通路を通り、入場門をくぐる。


 僕が闘技場へ入った瞬間、空から刺すような光と共に歓声が降り注ぐ。

 腹の底に響くほどの轟音だ。その全てが僕へ向けられていることに恐怖すら感じる。朝にローウェンとラスティアラの試合で聞いた歓声とは別物だった。


 声量だけならラスティアラのときのほうが大きかった。

 しかし、声の方向性ベクトルが違う。 


 数千人もの観客たちの大歓声は、確かな質量を持って出場者である僕だけに向けられている。観客席の後ろから聞いた大歓声と別物なのは当然だろう。


 僕は砂の地面を歩きながら、全観客の声と視線を受け止める。

 過度なプレッシャーのせいで喉が渇く。

 胸の動悸が速まり、緊張で体が固くなっていく。


 それを悟られぬように無表情で、対戦相手の三人のいる中央まで歩く。どうやら、僕は後からの入場だったらしい。


 そこで司会の紹介が闘技場内に響く。

 

(――彼こそが、ラウラヴィアの代表! いまをときめくギルド『エピックシーカー』、そのマスターアイカワ・カナミだ! それもっ、なんと此度は単独ソロでの出場! この本選を一人で出ている勇者は彼だけです! それは絶対的な自信の表れか、それとも別の思惑があるのかああああっ――!!)


 パリンクロンの思惑だ。

 僕もできることなら三人で出たかった。


 紹介内容が思いのほか恥ずかしく、僕は顔を俯けて耐える。

 そして、なんとか試合前の口上を耐え切ったところで、対戦相手がこちらに近づいてくる。


(――それでは試合方式を決めてください)


 司会は僕たちに試合前の相談を促す。


 学院生の三人も僕と同じく緊張している様子だ。年は僕と同じくらいに見える。10代の女の子に、この会場の熱気は耐え難いだろう。


 リーダーであるアニエス・クルーナーが、意を決して前に出てくる。

 僕も覚悟を決める。予定としては賭け事なしのスタンダードルールを押し通すつもりだ。断固として自分の要望を取り下げるつもりはない。


 しかし、そんな僕の覚悟は脆かった。


「え、えっと、ファンなんです! 握手してください!」


 女の子は顔を赤くして深々と頭を下げて、右手を僕の方に差し出してきた。


「え、え……。あ、はい」


 その惚れ惚れとする低姿勢に圧倒され、僕は握手を返してしまった。

 そして、女の子にペースと手を握られたまま、話しかけられ続ける。


「ラウラヴィアでの噂は聞いています! 私たちと同年代でありながら、ギルドの長として活躍しているなんてっ、とても尊敬しています! 戦う姿も拝見しましたが、すごく格好良かったです!!」

「どうも……」


 僕は思ってもいなかった展開にたじろぐ。

 僕のファンとやらに出会うのは二人目だ。

 まさか、対戦相手がそうだとは思わなかった。


「私たち、卒業後は連合国でギルドで働くことを希望しているので、各国のギルドを調べていたのですが……。やはり、一番は『エピックシーカー』でした! 中でもアイカワさんは別格です!」

「あ、ありがとね……」

「ですのでっ、恥を忍んでお願いします! 私たちが勝ったら学院まで来てくれませんか!?」

「え、学院まで?」

「はい! アイカワさんは熟練の魔法使いであり、探索者でもあると聞いています! 臨時教師――いや、できれば、私たちの家庭教師として来て頂きたいのです! そして、ギルドと迷宮について教えてください!」


 思いもしない要求をされて僕は混乱する。

 

「家庭教師……? 僕なんかが?」

「はい、お願いします。同じ出場者のフランリューレ先輩から、迷宮での戦いも凄まじいと聞きました。憧れのアイカワさんに来ていただけたら、とても嬉しいです」


 フランリューレ。

 確か、舞踏会で出会った少女騎士だ。

 彼女は僕を『キリスト』と呼んでいる。もしかしたら、過去に彼女と迷宮探索を共にしたことがあるのかもしれない。そして、同じ学院生で出場者である彼女たちと情報交換を行ったのだろう。


 ――予想外だ。


 有り金を賭けたりすることは覚悟していたが、まさか教師になって欲しいとは思わなかった。

 ただ、可愛らしい要求だとは思う。サッカー少年がプロサッカー選手にコーチして欲しいようなものだろう。僕は要求自体は許容範囲だと判断する。

 誰かに知識を教えられる自信はないが、もし負けたとしても致命的なものではない。 

 それに、女の子の真剣なお願いを断わるのは、国直属のギルドマスターとして格好がつかない。


 ――ただ、僕が頷くメリットがないのも確かだ。


 僕は目の前の少女から欲しいものがないため、賭けが成立しない。

 負けない自信はあるが、無意味に僕のリスクだけ増やすのは僕の方針に反している。

 

 その要求を呑むか呑まないか、僕は悩む。


 そんな僕の姿を見て、女の子は焦った様子で言葉を叫び足した。


「も、もし、私たちが負けたら何でもしますので!」


 僕は顔が引き攣る。


 これ以上放っておくと、とんでもないことを言い出しかねない。受付のお姉さんから、色々と洒落にならない例を聞いている。


 僕は状況が悪化する前に、仕方がなく今の条件を了承することにする。

 さっさと勝って、何も要らないと言って終わらせよう。


「ん、んー……。か、勝ったらね。君たちが勝ったら、別にそれでいいよ?」

「ありがとうございます!」


 お互いの要求が決まったことで、会場の声が大きくなった気がする。

 女の子が「何でもする」というのを聞いて、その賭け金ベットの大きさに興奮しているのかもしれない。


 しかし、残念ながら僕が勝っても何も要求するつもりはない。あるとすれば『エピックシーカー』を贔屓してくださいと言うくらいだ。


 僕は盛り上がる観客を置いて、勝負方法を決める。


「その代わり、ルールは『胸花落とし』にしてね。怪我したくないから。あと三対一でも構わないよ。それが基本ルールらしいし」

「はいっ、私たちも『胸花落とし』にしようと思っていました! 人数も、遠慮なく三人でやらせてもらいます! 胸をお借りしますね!」


 女の子は笑顔でルールを了承して、僕から距離を取る。そして、そわそわしながら、司会から胸花を受け取る。かなり緊張しているように見える。


 その様子を僕は不審に思いながら、同じように胸花をつける。

 そこで司会が大声で状況を説明していく。


(――なんとっ、アイカワ選手! 恐ろしい条件を、軽く引き受けてしまったぁ! 言葉は柔らかいが、これはお互いの身柄を賭けているということに彼は気づいているのか!? それとも、これは彼の圧倒的自信の表れなのか!?)


 それは僕の勘違いを正すのに十分な説明だった。


「え? 身柄?」

(やはり、気づいていない! 巷の噂どおり、腕は立つもののかなりの天然だ!)


 僕は状況を理解する。


 家庭教師という平和な単語に騙されていたようだ。

 結局のところ、目の前の顔の赤い女の子は、自分の身体を賭けて僕の身体を手に入れようとしているのだ。そして、それを僕は軽く受けてしまった。


「あ……」


 受付のお姉さんに注意されたにも関わらず、この失態である。


 そりゃ観客も興奮するだろう。

 闘技場の空気はさらに熱され、試合開始を待ち望んでいる。


(――それでは『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』北エリア第二試合、開始します!)


 そして、僕が制止をかける暇もなく試合は始まった。


「――『柱よ、連なれ』! 《フレイムピラー》!」

「――《フレイム》《フレイム》《フレイム》!」

「――『犠牲を重ねろ』、『時間をくべろ』、『決意を奏でろ』!」


 そして、女の子たちは同時に魔法を展開する。前衛、中衛、後衛と陣取っているにもかかわらず、全員が魔法を選択した。ただ、後衛の女の子は詠唱が長い。


 文句を言う暇はない。

 僕も同じく魔法を展開しながら、一番近くの女の子に近づく。

 ちなみに腰の剣は収めた。女の子に傷がついたら大変だ。


「――魔法《次元の冬ディ・ウィンター》!」


 全魔法に対して干渉を始める。

 幸い、いまの僕は火炎魔法に対して理解がある。ずらす・・・どころか、魔法を霧散させることも容易だろう。


 前衛の《フレイムピラー》を霧散させ、後衛の長時間詠唱を邪魔して、中衛の連続初級魔法《フレイム》を解体させようとして――その内の一つの干渉に失敗する。


 中衛の唱えていた《フレイム》に干渉する隙が全くなかったのだ。


 その原因を僕は即座に理解する。

 中衛の女の子は多くの指輪をはめていた。

 そして、高価そうな赤い指輪が、いくつか砕けているのを確認する。僕は砕けていない指輪を『注視』する。



【魔石『散炎』の指輪】

 『散炎』の力を宿した指輪



 それが特定の魔法が組み込まれた魔法道具であることがわかる。

 《次元の冬ディ・ウィンター》は魔法道具内で完成していた魔法に対して干渉ができなかったのだ。


 僕は前衛の胸花を摘もうとするのをやめる。このまま攻撃しても、あと少しのところで手が届かないだろう。仕方がなく、向かってくる《フレイム》に対応する。


 しかし、僕は状況を分析しつつ、選択肢が限られていることに気づく。


 僕自身は炎を問題としていない。もし直撃したとしても、さほどHPは減らないだろう。僕の身体はレベルの上昇によって、耐久力が人間を越えつつある。

 さらに言えば、火炎に対する抵抗力が僕は高い。火炎に対する魔法道具『レッドタリスマン』を首に下げているのも大きい。


 けれど、胸花は・・・僕のように丈夫ではない。火の粉の欠片でも燃えてしまう。それが問題だった。


 その事実が僕に過剰な防御を選択させる。


「くっ、――《フリーズ》!」


 僕は魔法の冷気を展開しながら、身体能力で全ての《フレイム》をオーバーアクションでかわしていく。掠ることも許されないからだ。


 こうして一手目が終わり、中衛にいるリーダー格の女の子が指示を出す。


「これが噂の『魔法相殺カウンターマジック』! みんなっ、予定通り魔法道具中心に!!」


 発動しようとした魔法を失敗したことに対する動揺は少ない。どうやら、僕の《次元の冬ディ・ウィンター》の効果をある程度は知っているようだ。流石は僕のファンだ。


 そして、女の子たちは身につけたアクセサリーを砕きながら魔法を展開する。

 そのどれもが『胸花落とし』に向いている広範囲の火炎魔法だ。


 その迅速で的確な行動に僕は感嘆する。

 多種多様な火炎魔法が襲い掛かってくるのを《次元の冬ディ・ウィンター》で減衰し、時には一瞬の《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》で消失させて防ぐ。


 見るからに高価な魔法道具がじゃらじゃらと破損していく。それを女の子たちは気にも留めていない。おそらく、家が金持ちなのだろう。学院はそういった貴族が多いと聞いている。


 炎を防ぎながら、彼女たちが手馴れていると僕は感じた。一連の流れに澱みが一切ない。エルトラリュー学院とやらで『胸花落とし』の訓練があったことがわかる。


 彼女たちは全力を尽くし、ルール内で最善の手を打っている。

 僕とは大違いだった。


 僕は彼女たちの手腕に感嘆しつつ剣を抜く。次に『持ち物』から厚手の布と水を取り出す。そして、自分の傲慢さを戒める。


 負ける可能性はゼロだと思っていた。だから、試合前の取り決めが適当になった。

 怪我させないように武器を持たなかった。そのせいで、一手目で前衛を倒しそびれた。

 どんな相手でも一方的に勝てると確信していた。それが情報収集の怠慢に繋がった。


 結果、場合によっては敗北する可能性まで生まれている。


「――魔法《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》」


 魔法を呟くと共に、自分の愚かさを気づかせてくれた少女たちに感謝する。

 濡れた布で胸の花を包んで、周囲に氷の膜を創る。


 これで、数秒は持つ。


 そして、僕は全力で火炎魔法の吹き荒れる中を駆ける。

 服と表皮を焦がされながら距離を詰めていく。


 一瞬の内に近づいてきた僕を見て、前衛の女の子は驚きの表情を見せる。

 しかし、その表情を見せる前に勝負は終わっていた。剣によって胸花は散り、彼女の背後まで進み終えていた。


 中衛と後衛は僕が前衛を抜けたことを見て、防御の体勢を取ろうとする。

 しかし、その防御の体勢をとる前に中衛との勝負も終わっていた。『魔力氷結化』によって伸びた剣先が、彼女の胸花を散らし終えていた。


 そして、最後の一人だけ、僕と勝負する時間が許される。

 後衛は杖を正眼に構え、魔法道具を砕いて急造の火炎魔法を放った。


「――ふ、《フレイム》!!」

「――魔法《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》。――魔法《氷結剣アイス・フランベルジュ》」


 僕は一瞬だけ、氷の刃に《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》を這わせる。そして、放たれた《フレイム》を剣で撫でた。


 氷結属性の振動を抑制する魔力が《フレイム》に浸透し、火炎は消滅した。

 僕は火炎が失われたのを確認し、躊躇いなく距離をゼロにする。


 そして、女の子の杖は空を切り、同時に胸花は空に散り舞っていた。


 僕は後衛の女の子の後ろに駆け抜けて、熱で発火しかけている胸の布を放り捨てる。

 自分の胸花が無事であることを確認し、僕は一息つく。


 そして、女の子たちの花が散っていることを指差しながら、僕の姿を見失っていた司会に呼びかける。


「えっと、司会者さん。これで僕の勝ちですよね?」


 司会は何が起きたのか理解できていなかったようだ。

 しかし、現に女の子たちの花は全て散り、僕の花だけが残っている。


(――い、一瞬です! まさに刹那の攻防! 学院生チームが優位に戦っていたと思えば、次の瞬間には全員の胸花が散っていました! こ、これが『エピックシーカー』のマスターアイカワ・カナミの実力なのか!!)


 大げさな司会の煽りで、闘技場は興奮の渦に包まれる。


(アイカワ・カナミ選手、勝利条件を満たしました! 華麗に三回戦進出!!)


 無事に試合を終え、安堵の溜息を漏らす。


 こうして、僕は三回戦へ進出した。


 そのあと、妙に恥ずかしそうな女の子たちが負けた場合の要求を確認してきたが、それを僕はやんわりと断った。


 それを見た観客たちはブーイングの嵐を巻き起こす。

 最後にはヘタレコールまで鳴り響く中、すごすごと僕は闘技場を後にしたのだった。



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