243.時を経た先にあるもの


 センチドレッドノートの討伐が終わったあと、僕たちは港町コルクの近くにある砦までスノウに案内された。そして、彼女の自室と思われる場所まで逃げこんだところで、ちらりとスノウはティティーを見た。


 少し不満げだ。

 どうやら、僕の隣にいるティティーを邪魔者だと思っているようだ。

 すぐに僕はティティーが重要人物であることを説明する。


「……えっと、こちら、五十層の守護者ガーディアンティティー」

「うむ、童はティティーじゃ。よろしく頼むぞ。聞いての通り、迷宮のモンスターゆえ敬語も何も要らぬからの」


 ティティーは親しげに前へ出て自己紹介した。


「ど、どうも。私はスノウ。よろしく。……このやり取り、前もやった記憶ある」


 恐る恐るとスノウは頭を下げる。その後、眉をひそめたまま、僕も思っていたことを口にした。

 一年前の三十層の守護者ガーディアンローウェンとスノウの出会い――あのときも、いまと同じ会話をしていた記憶がある。


「ああ、そうだな。こいつも悪いやつじゃなかったから迷宮から連れ出したんだ」


 だから僕は、あのときと同じ言葉を返すしかなかった。


 ただ、その次に待っていたスノウの言葉は少し違う。

 僕の軽挙を責めるのではなく、むしろ逆――安心したような声が返ってくる。


「あなたもローウェンと一緒なんだね」


 その言葉こそ、あのときのスノウといまのスノウが違う真の証明だろう。

 以前とは違い、今度はスノウから一礼し、守護者ガーディアンに握手を求めた。


「そうじゃの。あやつとは未練こそ違うが、同じ結末を望んでおる。できれば、そなたにも協力をして欲しい」


 それにティティーは笑って応える。

 そして、その握手のあと、スノウは最も大切なことを僕に聞く。


「五十層の守護者ガーディアンってことは、この一年間、カナミは迷宮にいたの?」

「ああ、そうだ。スノウ、聞いてくれ。あれから僕はどうなって、これから何をするかを――」


 すぐに僕は、おおまかにだが今日までのことを話していく。

 まず、一年前のパリンクロンとの戦いの末に、迷宮の中へ落下したこと。そこで守護者ガーディアンであるティティーやノスフィーと出会い、ライナーと共に脱出したこと。そして、地上でラスティアラがフーズヤーズから動かないことを聞き、まずスノウに会いに来たこと。要所は話が長くなるので伏せたが、その一連の流れを説明した。


 それに対して、スノウもおおまかに一年について話してくれる。

 僕と別れたあと、僕の代わりにみんなをまとめようとしたこと。アイドと使徒シスに挑み、何度も敗北を喫してしまったこと。そして、喧嘩してしまったマリアとラスティアラを必死に繋ぎとめ、二つに分断されたパーティーの間に立ち続けたこと。基本的にはマリアの旅を補助し、ラスティアラの立場を上げるために国の依頼をこなしていたらしい。


「――私も頑張ったよ。あのあと、みんな喧嘩し始めて……カナミに言われていたとおり、私が頑張らないといけないって思って……。だから、今日まで必死に頑張ったよ。きっとカナミは帰ってきてくれるって信じてたから……」


 少しだけ目を潤ませて、スノウは微笑んだ。

 その姿は儚げで――美しかった。不覚にも一瞬だけ、彼女に見蕩れてしまった。


 よく観察すれば、一年前と違うところは多い。

 以前は竜人の特徴は尻尾と角しかなかったはずなのに、右腕に変化が現れている。服で上手く隠しているけれど、《ディメンション》が使える僕にはよくわかる。皮膚の硬質化によって、右肩の周辺が人間のものではなくなっている。おそらくは彼女の切り札である『竜化』を使った後遺症だろう。

 一年でこれならば、数年放っておいたらどうなったか想像は容易い。もし、帰って来るのが十年後だったならば、完全にスノウは――


「ああ、頑張ったな……。本当に……」


 僕は一年前よりも傷んでいるように見えるスノウの髪を手ですいた。

 その綺麗な桜色の瞳には色濃い疲れが見え、頬は少しこけてしまっている。

 それでも、僕は美しいと思った。

 間違いなく、僕の知っているどのスノウよりも――


「えへへ……」


 成長したスノウは照れるように笑った。

 それに僕も微笑み返す。

 言葉は少なく、魔法の『繋がり』もないが、確かに心が通じていると思った。


 そして、それを後ろで眺めていたティティーが、僕たち以上にいい笑顔を見せる。


「うむ、ちょっとした感動シーンじゃのー! スノウは今日まで無理してたっぽいようじゃから、これからは存分にかなみんに甘えるとよい。無理や虚栄など、駄目絶対じゃ。さっき言っておったが、英雄なんてやめるのが一番じゃ。ろくなもんじゃないゆえな!」


 どうやら、スノウの頑張りをティティーも推測できたようだ。

 自分が千年かけて得た教訓を、惜しみなくスノウに伝える。その心からの祝福を感じ取ったスノウは、嬉しそうにお礼を言う。


「ありがとう……。ティティーは守護者ガーディアンだけど、ローウェンやティーダと違って優しいね。全然、怖くない」

「うむっ、当然じゃ。あの頭おかしい三騎士野郎共と一緒にするでないぞ! 童は優しい優しいお姉さんじゃからな!」

「なんかティティーってあったかいね。私、ティティーみたいな人は好きだよ」

「童もスノウが好きじゃぞ。なぜか、みょーに愛着が湧くのじゃ。娘とは言わんが、童に似た妹みたいじゃのー」

「妹……? お姉ちゃん……?」

「ふはははー! 好きに呼ぶとよい! かなみんだけでなく、童にも存分と甘えてよいからな!」

「やった! ティティーって理想のお姉ちゃん! すっごい理想のお姉ちゃん! 私、今日からティティーの妹になる!」


 相性がよかったのか、ものすごい勢いで二人は仲良くなっていく。

 しかし、スノウ……。その発言はグレンさんが泣くぞ。しかも、かなりのガチ泣きで。


 そんな僕の心配など気づかず、スノウはティティーの胸の中に飛び込んだ。そして、その彼女の頭をティティーは撫でる。


「うむうむ! こういう妹もよいの!」

「えへへー、頑張った甲斐があったー! 私を甘やかしてくれるお姉ちゃんが出来て、私の旦那様も帰ってきてくれた! あー、本当によかったー!!」


 スノウに守護者ガーディアンであるティティーを会わせるのは、少しだけ不安があった。しかし、その心配は杞憂に終わったようだ。まるで、二人は仲睦まじい姉妹のように戯れあう。

 

 一安心したところで、もう一つの問題を解決しにいく。さっきは口を挟むことは出来なかったが、一段落ついたいまならば、じっくりと話せる。


「楽しそうなところ悪いんだが、スノウ。その『旦那様』ってやつ、できれば控えてくれないか……? 前も言ったよな?」


 その一言に、少しだけ仲良し姉妹の動きが鈍る。

 まず返答したのはティティーだった。


「それは童も気になっておった。えーと、つまりスノウは、この時代のかなみんのお嫁さん。もしくはお妾さんってことか?」


 そして、それは最も危惧していた最悪の答えだった。


「こ、こうやって周りが勘違いするのがやばいんだ!」


 ティティーと同じことを、さっきのクロエさんにも思われていたかもしれないと思うと、この部屋から出るのが大変辛い。


「んー、私は気にしないよ? 前はラスティアラ様やディア様、あとマリアちゃんがいたから諦めてたけど、いまなら平気だし……。あっ。もしかして、ティティーお姉ちゃんもカナミのことを――」


 スノウはクロエさんや砦の同僚たちの印象など眼中になさそうだ。それよりも、ティティーと僕の関係性のほうが気になるらしい。それにティティーが誤解ないように素早く答える。


「え、童がかなみんをか? んー、そーじゃねー。お姉ちゃんとしてかなみんは、ちょーっと恋愛対象としては見れないかのー? 年下じゃからかなー?」


 なぜか上から目線でティティーにお断りされてしまう。

 というか、全人類がおまえの年下だろうが。


「――というかの。余りそういうことを考えたことがなかったせいか、よくわからぬな。もし童が結婚するとしても、それは間違いなく政略結婚だと思っておったからかのう」

「政略結婚……」

「以前、童は王様をやっていたものでな。そういう風に結婚すると覚悟していたのじゃ。しかし、気にするでないぞ。結局、最期まで結婚はしなかったゆえな」

「王様として、覚悟を……」

「と、とにかくスノウよ! 童にとってかなみんとはな――!」


 政略結婚の話のせいでスノウの顔が曇ったのをティティーは素早く察知し、話を強引に戻していく。


「最初は敵で、仲間で、共犯者で、恩人で、いまは弟……かなみんは童の二番目の弟ってところじゃの! 末弟はライナーじゃ!」


 もうそれにこだわってはいないだろうが、それでもティティーは僕が弟ということにしたいらしい。それを聞いたスノウは安心と共に、少し冗談を交えて聞き返す。


「お、弟ですか、王様! つまり、異性の恋愛的なものはないということですか!?」

「そうじゃな。どっちかつーと弟じゃ」

「でしたら、カナミは私の旦那様でも構いませんよね!?」

「む、むむうっ。それでも童は良いのじゃが……色々と問題があるのではないかのう? まず袂を別ったとはいえ、かなみんにはノスフィーがおる」

「ノスフィー……って誰ですか?」

「ん、知らぬのか? 千年前のかなみんのお嫁さんじゃ」

「――え、およめさん?」


 ティティーが上手いことスノウを落ち着かせてくれると思って見守っていた僕だったが、これにはストップをかけざるを得なかった。


「ティティー!! そういうのはもっとタイミングを見ていかない!?」


 上手くぼかしていたところを暴露され、僕は焦りに焦る。

 それはスノウも同じだった。


「え、え?」


 千年前のお嫁さんという言葉に困惑しながら、ゆらりゆらりとティティーから離れていき、僕のほうに近づいていく。なぜか両手を肩まで上げて、その両の手のひらを僕の首に向けて――


「な、なんで、首に手を!?」


 一歩引いて、なんとかそれをかわす。

 しかし、かわされたスノウは涙ぐんで震えだす。今度は歓喜でなく、悲哀の感情でだ。


「だ、だってだって……。この一年の間に、どっかでカナミはお嫁さん作ってきて……。 私たち一杯一杯心配してたのに……、酷い……」

「違う! お嫁さんなんて作ってきてない! ノスフィーは違うんだ! あいつと結婚したことなんて、僕は覚えてないし! それを認めた国はもうない! お互いになかったことにしようって決めたから無効なんだ! そもそも、あいつは守護者ガーディアンだし! ちょっと数日前、殺し合いしたところだ!」


 スノウの誤解を解くためにも、そして自分自身のためにも、必死の弁解をする僕だった。


「うーむ、言い訳が酷いのじゃ……。もうちょいあるじゃろ、別の言い訳が……」


 ティティーが文句を言ってくるが、こっちは死活問題だ。黙ってて欲しい。

 いまのスノウの顔を見ろ。

 間違いなく、ここ一ヶ月は僕を盗聴する顔だ。

 その程度なら、もう僕は気にならないからいいけど。本当は大事だぞ、盗聴って。

 なんで、このタイミングでノスフィーの話を出したんだ。


 そして、その僕の必死な弁解のおかげか、少しずつスノウの目から正気ハイライトが取り戻されていく。


守護者ガーディアンなの……? な、なら、大丈夫なのかな……?」


 どうやらノスフィーが、いつかは消える存在というのが大きかったようだ。


「ああ、あいつは六十層の守護者ガーディアンとして現れた。そして、ティティーとは違って、僕の敵になったんだ。まだティティーはノスフィーを友達と思っているみたいだけど、僕のほうは無理だ。あいつは余りに……僕に対して悪意がありすぎる」


 ノスフィーに対する心からの感情を吐露する。

 いまでも、はっきりと思い出せる。あいつの悪意に満ちた嘲笑を。

 あいつと恋仲になることなんて、絶対にない。


 その僕のノスフィーの評価を聞き、スノウは完全に冷静さを取り戻した。


「そのノスフィーって人はカナミの敵で、お姉ちゃんの友達なの?」

「いや、童が一方的にノスフィーを友達と思っておるだけじゃ。ノスフィーには、もう友達でないとはっきり言われたからの……。まあ、それはいいのじゃ。きっと、いつかかなみんが童のときのようにノスフィーを救ってくれると信じておるからな。余りノスフィーの心配はしておらん」


 ノスフィーは僕が救うとティティーは本気で信じているようだ。確かに、ずっと敵だったと聞くティティーより僕のほうが適任なのは間違いないが、その期待に応えられる自信は正直ない。


 そのティティーの話と僕の表情を見て、スノウはいつもの表情に戻っていく。


「うん。そのノスフィーって人のことは大体わかったよ。……ね、ねえ、お姉ちゃん。その友達のノスフィーって人よりも、私のほうを応援してくれないかな……? お願い。私、かなみんのお嫁さん志望なんだ。えへへ……」


 そして、なぜか媚びるように下から見上げて、お願いを重ねだす。


「む、むむう。うーむ、応援と言ってもな、まだ問題はあるからのう……。つい数日前、かなみんのやつ、ラスティアラという美女に告白しておったぞ。ゆえに、そなたとかなみんが両思いとなるのは、そう簡単なことではないと思うのじゃが……」

「え……? こく、はく……?」


 しかし、そのお願いはティティーのさらなる爆弾の投下によって遮られる。


「ティティー! 本当に頼むから、ちょっと手加減して!!」


 冗談でなく、そろそろ本当に死傷者が出てしまう。スノウの目が、また一段階暗く沈んだのを見て、今度は僕が涙ぐむ。だが、それでもティティーは引き下がることはなかった。


「童は仲間と認めた相手に隠しごとはせん主義じゃ」

「僕だって、そう思う! けど、切り出すタイミングとかあるだろ!?」

「タイミングとか言い出したら、いつまで経ってもかなみんは言わんじゃろ? もちろん、ちゃんと告白の結末も教えるつもりじゃ。――スノウよ、安心するがよい。こやつ、童の見てる前で見事にふられおったぞ」


 続いて、僕が玉砕したことをスノウに伝える。


「……ふられた? ……なんで?」


 心底不思議そうにスノウは僕を見た。

 どうやら、その結末が信じられないようだ。

 ふられた当の僕を含めた誰よりも、驚いた表情していた。


「そ、そこは僕もわからない……。地上に戻って、すぐに告白したら冷たく拒否された……」

「…………」


 僕だってティティーと同じで隠しごとはしない主義だ。なので、一切包み隠すことなく答える。


 それを聞いたスノウは無言だ。

 じっと僕の顔を見て、嘘をついていないことを確認し、そのあとに熟考に熟考を重ね、最後にとても穏やかな声を出した。


「……ふられたのなら、いいかな。元々、ラスティアラ様に一歩先んじられてたのはわかってたことだしね」


 そして、冷静に自分の立ち位置を把握し、その目の明度を戻していく。いや、戻るどころか、一度も見たことのない力強い光を秘めた瞳を僕に向ける。


「たとえ、カナミがラスティアラ様を好きだとしても私の気持ちは変わらないよ。だって、もう私は絶対に最後まで諦めたくないから。だから、頑張るよ。カナミに好かれるように、私らしいやり方で」


 そして、スノウが言わないであろう言葉を続けた。その一軍の総司令であることを思い出させる姿に、僕もティティーも息を呑む。


 僕にいたっては滲んだ涙がこぼれそうだ。共に船旅をしていた頃は洗濯と料理すらからも逃げていた彼女が、ここまで立派になったのだ。その成長に言葉を失い、目頭が熱くなるばかりだ。

 その姿にティティーも感動し、褒める。


「おーう……。いい顔をするのー……」

「だから、お姉ちゃん……。頑張る私の味方になって、色々と応援してくれると嬉しいな?」


 だが、スノウは流れるようにティティーに甘えてみせる。僕の目頭が急速に冷えていくのを感じた。


「え、そこは平等の精神じゃから……。誰かだけに肩入れとかそういうのは――」

「お願い、お姉様。スノウからの一生のお願い……!」

「お、お姉様とな? ちょっと懐かしい響き……!」


 スノウが成長したのは心の強さだけではない。

 甘え方にも磨きがかかっていると、ようやく僕は気づく。


 スノウは鋭い眼光でティティーの表情を読み取り、最適なおねだりをしていっている。結果、見事に弱点を突かれたティティーは孫を前にしたお婆ちゃんのような顔になるのだった。


「う、うーむ。仕方ないのー」

「本当!? ありがとう!!」

「うむ! 今日から童はスノウを応援しようぞ! かなみんとスノウの結婚、この童が後押ししてやろう!!」

「ああ、お姉様、寛大! 器が大きい! 本当に王様みたいだね! うん、私の王様! 王様、ばんざーいばんざーい!!」


 スノウはティティーを煽てていくが、その言葉には少し問題があった。


「王様万歳……? うっ……!」


 ティティーはトラウマを刺激され、頭を手で抑える。その原因のわからないスノウは「王様、大丈夫!?」と肩を揺らす。


 それを見て、スノウは急成長していても、変わらないところは変わらないことを知る。

 こうやって上手いことやってるようでいて、実は悪い方向へ進んでいるスノウを見てると、不思議と懐かしい。

 

「スノウ、ティティーを王様って言うのはやめてやってくれ。そう呼ばれることがトラウマになってるから」

「え、ご、ごめん!」

 

 すぐにスノウは謝り、ティティーは脂汗を額に垂らしながら笑ってみせる。


「いや、童なら大丈夫じゃぞ。せっかくの仲間じゃ妹じゃ! 気分を取り直して、もっともっと色々とお話しようぞ!」

「そうだね。私もティティーと色々話したいかな。ただ、いま一番気になってるのは、さっき言った千年前って話。詳しく聞きたいな」


 鋭い目つきでスノウは僕に話を促した。


「千年前の話か……。話すと長くなるし、この話は正直――」


 千年前の戦いは僕と『理を盗むもの』たちの問題だ。過去との因縁のない人間を巻き込んでもいいものかと少し迷う。だが、その迷いはティティーに断ち切られる。

 

「確かに、千年前の確執に現代の人間を巻き込むのは心苦しいものがある。しかし、使徒シスとの戦いに参戦する仲間には、話しておいたほうがいいと童は思うぞ」

「そうだな。スノウ、聞いてくれ。僕たち兄妹を助けて欲しい――」


 自分の知っている範囲で、千年前の話を始め――そして、助けを求める。


 僕が思い出した記憶は、使徒シスと聖人ティアラと妹の陽滝の三人と過ごした日々。その後、陽滝が使徒シスのミスによって化け物となり、自暴自棄に戦い続ける僕を聖人ティアラが救うまでの物語。それをティティーが補足しながら、ゆっくりと丁寧に話していった。


 それは余りに荒唐無稽で、いまを生きる人間ならば一笑に付す話だろう。なにせ、大陸の伝説を否定し、その上で主要登場人物の始祖が自分であると言っているのだ。レヴァン教の信者相手に話せば、激昂の末にナイフで刺されてもおかしくはない。


 ただスノウは、あっさりとそれを受け入れてくれた。

 スノウにとって千年前の伝説は、おとぎ話のようなものだ。その千年前に僕がいようがいまいが余り実感がないらしい。千年前の世界から僕が召喚されたという話をしても「ふーん、そうなんだ。カナミならありえるかもね」だけで終わった。彼女にとって大事なのは、いま目の前にいる僕だけのようだ。


 おそらく、マリアあたりも同じ反応かもしれない。

 千年前と因縁があるのはディアとラスティアラだけだ。その二人に話すときだけ、慎重になればよさそうだ。


 ――その千年前の話は夜まで続いてしまう。


 ことのついでにティティーの物語も話してしまったのがよくなかった。僕の物語には淡白な反応だったスノウだったけれど、ティティーの物語にはかなり感情移入していたのだ。

 二人は夜になっても夕食を食べ終えても、延々と慰め合い、戯れ合い続けた。


 こうして、パーティーの結束を固めながら、夜は更けていく。


 本土での一日目が過ぎていく。


 スノウという仲間が帰ってきて、パーティー内の不安もなくなった。

 旅が順調であることを喜び、スノウとティティーの話し声を子守唄に、僕はスノウの部屋の隅で眠りにつくのだった。



◆◆◆◆◆



 ――翌日の朝。


 一つのベッドで寝ていたスノウとティティーを叩き起こし、すぐにコルクを出ることを伝える。急ぐ旅ではないが、時間を無駄にしていいわけではない。

 夜更かしで眠そうな二人に準備をさせて、すぐに出発しようとする。


 ただ、スノウの部屋を出る前に《ディメンション》が、扉の外でうろうろしている人がいるのを僕は感じ取った。その人に挨拶をかけながら、スノウの部屋から出る。


「えーっと、おはようございます」


 部屋の外にいたのは、眉間にしわを寄せたクロエさんだった。その様子から、随分と前からここで待っていたことが解る。

 クロエさんはひとしきり睨んできたあと、僕に詰め寄ってなじり出す。


「な、なにが、おはようございますですか! 結局、スノウ様の部屋に泊まりましたね! いかがわしい! 一体、スノウ様の部屋で何をしていたのですか!? 夜遅くまで声が聞こえました!」

「……神に誓って何もしてません。ただ、昔話をしていただけです」

「ただ昔話をするだけならば、別のところでも構わないでしょう! なぜ、人払いをしたんですか!?」


 無罪であることを主張するものの、クロエさんは全く信用してくれない。

 ここで聞かれたくない話があったと言い訳をしても無駄であると早々に悟った僕は、返答に困ってしまう。すると、それを見かねたスノウが間に入ってくる。


「お願い、クロエ……。カナミを責めないで。全部、私がお願いしたことなんだ……。えへへ」


 何とか落ち着いてもらおうとスノウは作り笑いで対応したが、当然火に油を注ぐ結果となった。


「これ、昨日のクウネル様と同じじゃないですか! 英雄カナミ――こ、この変態!!」


 とうとう罵声を浴びせられることになる。

 確かに、彼女の視点からすれば、僕のせいで色んな女性が急変しているように見える。それも、かなり不自然に。


「すみません。そんなつもりはなかったんですが……」

「謝ってもらっても困ります! それよりも、いますぐこのコルクから消えてください! あなたがいるとスノウ様が駄目になる!!」

「……今日にも僕は消えます。ただ、昨日の紹介状の紙に書いてあったとおり、総司令代理を辞任したスノウは僕達が連れて行きます」

「そ、それは駄目です! スノウ様は私達のスノウ様です! そんな命令っ! 私は信じません! 何が無期限の休息辞令です! おかしいでしょう!? こんな辞令!!」


 クロエさんは手に例の辞令書を持っていた。そして、それを握り締めて怒りを露にする。


「しかし、それは本物です。確認して貰っても構いません」

「どうせ、フーズヤーズのお姫様を誑しこんで手に入れたものでしょう! だから、いかがわしいって私は言っているんです!!」


 それが本物であると主張すれば、今度は人格の非難が飛んで来た。

 どれだけ冷静に話しても、全く納得してくれる気配がない。このまま真面目に話をしていても出発が遅れてしまうだけだと思い、僕は困り果てる。


 その面倒をティティーも感じ取ったのか、僕の腕を手に取って、前に突き出させようとする。


「うーむ、めんどい。かなみん、そいつの胸に手を突っ込めば一発じゃぞ? ほら、やれやれい」

「《ディスタンスミュート》のことか? 同意なくやれるか、馬鹿。あと変な言い方するな。勘違いされるだろ……!」


 心を繋げる魔法の使用を促されるが、フーズヤーズ大聖堂での出来事が記憶に新しい僕は拒否する。


「ど、同意があれば、胸を触るつもりなんですか……!? やっぱり!!」


 クロエさんは自らの胸を両腕で隠して、一歩後ずさった。


「やっぱり……」


 もうクロエさんの中の僕の人物像はボロボロだ。

 取り返しがつかないかもしれない。


「何をされても私はあなたを認めません! コルクの街を任された副官としても、絶対に引けません! スノウ様がいなくなれば、それを機に『北連盟』が攻めてくるのは確実です! 現在、『境界戦争』の海戦のほとんどはスノウ様の力で持っているようなものなんですよ!? スノウ様の力は絶対にっ、ここに必要な方なのです! いまいなくなってしまえば、あらゆるバランスが崩れてしまいます! 国のため、いえ世界のためにも! 絶対に通しません!!」


 すぐにクロエさんは一歩下がった分だけ前に出て、僕の前に立ちふさがる。

 そこには国を守る軍属の一人としての誇りが垣間見えた。


 その誇りに真っ先に反応したのはティティーだった。彼女の言葉に思うところがあるのは、その表情からわかった。


「……そこまで言われると弱ったの。この時代で手は出すまいと思っておったが、仕方あるまい。ならば、童がクロエ・シッダルク殿の不安を解消してやろうかの。どれ、いまのスノウの仕事を教えてみよ」

「スノウ様の仕事をですか? たとえ、あなたほどの魔法使いでも解消などできませんよ。スノウ様の仕事は『北』の襲撃に備えて、ここを守り、民を纏め――」

「なるほどな。もう大体わかったぞ。ならば、わらわがちょっと戦場に行ってきて、その『北連盟』とやらが動けなくしてこよう。それならば、問題あるまい」

「な、な!?」


 その無茶苦茶な話にクロエさんは驚き、言葉を失う。


 ティティーは力技に出ようとしていた。その様子から、何があってもスノウを連れ出そうとしているのがわかる。この砦のスノウに頼りきりの状態が気に入らないのかもしれない。 


「ティティー!」


 僕は大声をあげて止める。ティティーの王時代を知っている僕は、彼女なら有言実行すると知っているからだ。


「案ずるな、かなみん。ちょっと行ってきて、ちょっと向こうの総司令を行動不能にするだけじゃ。要は、平等に両方とも将がいなくなればいいのじゃ。自動的に少しの間、戦争が機能しなくなる。簡単な話じゃろう?」


 ティティーは大真面目に話す。

 そのふざけた話を本気で提案しているとクロエさんはわかり、声を震わせる。


「そんな馬鹿な真似……。いえ、たとえそれができたとしても、まだ……」

「ならば、向こうの前線を崩壊させたら、そのときは納得するか?」

「そ、そういう問題じゃないんです! 私はっ、そこの男の都合でスノウ様がここを去ることに納得がいかないんです! スノウ様の力は、たった一人の都合で使われていいものじゃない!!」

「おぬしは本当にスノウの力が好きなのじゃな……。しかし、これに納得できぬというのならば、童はあっちもこっちも全滅させてスノウを連れて行くしかなくなるのじゃが……」

「あっちもこっちもって……!? そんなこと……」


 淡々とティティーは解決策をあげていく。だが、その全てが余りに突飛でクロエさんの思考が追いついていない。

 とうとう声を失い、膝を折りかけたクロエさんを見て、ティティーは頭を掻く。


「……むむ。……いじめすぎたの。すまぬ、少し我を失ったようじゃ」


 個人の強大な力なんてろくなものでないから頼るなと遠まわしに伝えたかったのかもしれないが、その結論に辿りつく前にクロエさんの心が折れてしまった。

 守護者ガーディアンのプレッシャーに当たっているだけで、常人ならば気絶ものだ。むしろ、よくここまで持ったほうだ。


 ティティーは申し訳なさそうな顔になって、続きを話す。


「あー、クロエよ。本当に心配はいらん。なにせ、あと数日で『北』は崩壊する。北の同盟の盟主である『統べる王ロード』は消える。裏で操っている『アイド』も消える。童たちの手によってな」


 そして、仕方なく僕たちの旅の目的を明かした。


「『北連盟』の『統べる王ロード』が消える……? そ、それはどういうことですか……?」

「いまからかなみんと童で、その二人を消しに行くからじゃ。その暗殺計画にスノウも同行させようと、連合国のトップである現人神ラスティアラ・フーズヤーズが指示した。『英雄』に『英雄』を足しての戦力強化じゃな。その決定に反対するのは、軍属のものとしてどうかと思うぞ?」

「そんな話……、聞いてません……」


 ティティーは適当な作り話で丸め込もうとする。

 少しずつ弱々しくなっていくクロエさんの声のあとに、次はスノウが続いた。


「ごめん、クロエ。私、行ってくる」

「スノウ様……」

「昨日は舞い上がって変なこと言っちゃったけど、いまは冷静だから安心して」


 沈むクロエさんの肩を抱いて、先ほどのティティーの作り話に乗り、彼女を納得させようとする。


「ここでカナミと北へ行くのは『南連盟』にとって勝利の道だと私は思ってる。もちろん、私自身がカナミと一緒にいたいって願望もあるけどね」


 尊敬するスノウに諭され、クロエさんは唇を噛んで現実を受け入れていく。

 だが、まだだ。まだクロエさんはスノウの服の裾を掴んで、引きとめようとしている。

 それを断ち切るための言葉が、スノウから投げられる。


「クロエが私に期待してくれてるのはわかってる。けど、ごめん。それには応えられない……。クロエが私と一緒にいたいように、私はカナミと一緒にいたいんだ……。だから、私を行かせて」

「……そう、……みたいですね」


 その言葉をクロエさんは否定できようがなかった。

 顔を俯けて、ゆっくりと裾を離し、僕たちから離れていく。


 それを僕とティティーは見る。――その『一つの理想』を見る。


 そして、またクロエさんは最初と同じように僕を睨み出す。けれど、次の言葉は大分違ったものだった。


「カナミ様! スノウ様を泣かせたら、絶対に許しませんから! それだけは覚えていてください!!」

「……う、うん。わかった。しっかりと覚えておくよ」


 クロエさんと約束する。

 つまり、スノウファンクラブの一員がまた一人増えたということだ。前と変わらないと思い、咄嗟に安請け合いをしてしまった。


 僕が承諾したのを見て、クロエさんは一度だけ深いため息をついて、僕たちの旅の移動手段を確認してくる。


「……仕方ありません。いま、みなさんの馬車の用意をします。馬車でいいんですよね?」


 一時はどうなるかと思ったが、ティティーとスノウのおかげで説得は成功したようだ。『南連盟』の彼女を味方につけたことで、これからの旅路は楽になるのは間違いない。


「助かります。ここからの陸路はどうしようかと思ってたところなんです」

「道中で面倒ごとが起きないように、こちらで色々と手配しておきましょう。ここで使ってる地図もお渡しします。確か、『コルク』から『ダリル』まで向かう予定ですよね?」

「はい、そこから北にある『ヴィアイシア』へ入ろうと思ってます」

「それならば、北の山脈に沿っていくのが一番ですね。道順のほうは――」


 スノウさえ振り切ってしまえば、クロエさんは有能なものだ。

 とんとん拍子で話は決まっていき、小一時間も経たぬうちに、僕たちが使う馬車が砦の外に用意された。

 

 その馬車の中には、旅に必要であろうものは全て揃っていた。よく見れば、『リヴィングレジェンド号』の中にあった私物も入ってある。

 そして、出発前にスノウとクロエさんは別れの挨拶をすませていく。


「――ありがとう、クロエ。あとはよろしくね……」

「いいえ。私の我がままで、みなさんを困らせてしまいました……。細かな手続きのことは私に任せてください。スノウ様は憂いなく出発してください」

「うん、いってくる」


 その別れを、ティティーは誰よりも真剣な表情で見ていた。

 僕の隣で二人を、じっと見つめている。


 彼女の胸中にある感情は複雑だろう。同じものなどないと頭でわかっていても、過去の自分とスノウを重ねている可能性は高い。


 先の発言を反省して無言で見守るティティーの姿は、いつもより少し大人びて見えた。死した守護者ガーディアンでありながら、どこか成長しているように感じる。


 こうして、僕達は『コルク』から本土の中央にある噂の『第二迷宮都市ダリル』へ向かって出発する。そこにいるであろうマリアを拾えば、北の『ヴィアイシア』はすぐそこだ。間にいくつか戦場を挟んでいるものの、僕の魔法ならば問題なく素通りできるはずだ。


 もちろん、『ヴィアイシア』にアイドたちがいるという保証なんてない。けれど、僕とティティーには、そこにあいつがいるという予感があった。

 『現在』の『ヴィアイシア』こそが『帰り道』の終着点であるという確信が――

 

 この『帰り道』の途中、ティティーは色々なものを見つけていっている。

 その果て、ティティーはアイドに何を伝えるのか……少しだけ気になりながら、僕は馬車を走らせ出した。

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