294.理の力

 ファフナーの――いや、『血の理を盗むもの』による『魔法・・』が発動した。


 その結果、鳴動する血の池に一つ、ぽつんと赤い十字架が立つ。

 赤く細く、歪な十字架だ。

 大きさは地面からファフナーの胸辺りまであり、約一メートル半。《ディメンション》によると一メートル四十九センチ二ミリと――女の子の背丈ほどだ・・・・・・・・・


 教会などでよく見られる装飾のなされた十字架で、見ようによっては片刃の剣に見えないこともない。


 変わらず脈打つ姿から、血で被覆コーティングされ形を変えようとも、未だに人の心臓であることがわかる。

 ファフナーの宣言どおり、あれが『血の理を盗むもの』のコアであると確信できる。


 つまり、いまファフナーは一番大切なものが身体から抜けて、からということでもある。『注視』しても、守護者ガーディアンの『表示』がされなくなっていた。


 目に見える情報全てがファフナーの話の正しさを示している。

 最後に僕は、悠然と待ち構えるファフナーに視線を投げかけ、それに彼は答える。


「そういうことだ。この十字架の形をした心臓こそが『血の理を盗むもの』で、俺は迷宮とか使徒とかとは全く関係のない一般人ってことだぜ。俺は才能がなくて――いや、才能があったからか。とにかく俺は『理を盗むもの』にはなれなかった。周囲から『地獄の明かりたちヘルヴィルシャイン』と呼ばれ、『終末の悪竜ファフナー』なんて称号を譲ってもらったりしたが……まあ、どこにでもいる魔人だった」


 守護者ガーディアンでありながら、同時にただの人間でもある。

 それがファフナー・ヘルヴィルシャイン。


 その少し複雑な事情をファフナー自身が説明していく。


「『血の理を盗むものあいつ』の身体はぐちゃぐちゃになっちまってな……。まともに残ったのは心臓だけだった。だから、こうなった・・・・・。でも、まだマシだと思ってるぜ。アルティの頭だけみたいなもんだ。大事な心は、ちゃんと残ってる。心すら失ったやつらと比べたら、大分マシだ。だから、これでいい。いいんだ」


 心臓だけとなったヘルミナという少女に、僕は憐憫の情を僅かに抱いたが、その必要はないとファフナーに首を振られてしまう。


 そして、『魔法・・』を前に身構える僕の前で、彼は近くに落ちていた本を拾う。

 最初、木に背中を預けて読んでいた本だ。いまは《ディメンション》があるので、その本の詳細を得ることができる。


 ファフナーは『レヴァン教の経典』を左手に、戦いの再開を宣言する。


「さあ、続きをやろうか。この状態の俺は、騎士っぽい戦い方じゃなくて、鮮血魔法使いっぽい戦い方になる。渦波風に言うと攻撃力アップで防御力ダウン――諸刃の剣ってやつだな」


 嘘ではない。

 《ディメンション》がファフナーの魔法の力を見抜いている。


 ファフナーの身体という外殻からコアが外に出たということは、『血の理を盗むもの』の魔法が外殻に遮られて減衰しないということでもある。

 もちろん、外殻という守りを失ったことで防御力は大幅ダウンしている。


 ただ、せっかく上昇した攻撃力だが、『一切の死人を出すな』というルールを背負うファフナーには活かしきれない。まず間違いなく、マイナスと言っていい状態だろう。

 ファフナーが本気で負けようと――消滅されてもいいと思っているのがよくわかる。


「渦波、この十字架が奪えるか?」


 ファフナーは一歩前に出る。

 自らの晒された弱点を守るように、十字架の前に立ち塞がる。

 そして、その右手を軽く横に振った。


「――大地の亡霊たちよ。我が声に応え、ヘルミナの魔法を認めろ――」


 ファフナーの透明な身体の後ろで、十字架が赤く輝く。

 魔力の動きから、ファフナーではなく十字架が魔法を使ったことがわかる。


 十字架の放った光が地下空間を満たし、視界が真っ赤に染まる。

 その赤い魔力に刺激されて血の池の鳴動が強まり、ぼこりぼこりと泡がたっていく。


 おどろおどろしい沸騰の後、血の池から人の形をとった何かが産まれる。

 その人型を構成するのは魔力と血のみ。真っ赤な人形だ。けれど、四肢があり、騎士のように鎧を着込み、剣を佩いている。


 血の騎士が十体ほど産まれ、僕の周囲を取り囲み、すぐさま血の剣を振り上げて襲い掛かってくる。

 《ディメンション》で血の騎士たち全員を把握し、『アレイス家の宝剣ローウェン』を強く握る。


 正面からの剣を後退してかわし、死角からの剣を避け様に『アレイス家の宝剣ローウェン』を振り抜く。一体の血の騎士の胴体が僕の剣に両断され、溶けるように人の形を失った。

 だが、すぐに溶けたところから、また同じ形の騎士が産まれて、再度剣を振り上げてくる。


「これは……! ネクロマンサーみたいなことを!」


 厄介な能力だ。

 なによりも、ただの木偶人形が襲ってきているのではなく、血の騎士たち一体一体に個性があるところが面倒である。


 まるで、どこかの戦場から熟練の騎士十人ほど調達され、相手にしている感覚だ。

 というより、まさしくそう・・なのだろう。ファフナーの発言から、そういう召喚魔法であると推測ができる。


「ははっ、俺が死霊使いネクロマンサー? そいつは心外だな。この魔法は俺の本質じゃない。俺のクラスは、いつだって盾持ちのつもりだぜ。もし、いまの俺のステータスを見れたら、絶対にそう書かれてる!」

「た、盾持ち……? どこが!?」

「この身体が! この肉と血がっ、渦波を守る盾だった! 主を守り続けるのが俺の役割だった――!」


 盾持ち――騎士見習いという意味ではなく、自分の身体を盾にして戦う者と言いたいらしい。ふざけたクラスを捏造しているが、そこには誇りと矜持があるように見えた。


 ただ、主張とは逆の攻撃方法が現実には行われている。

 血の騎士による物量が、絶え間なく四方から襲い掛かってくる。

 さらには遠く後方のファフナーから次々と魔法が足されていく。


「――鮮血魔法《ブラッド・クロスフィールド》、《ブラッドヒール》、《ブラッドアロー》」


 棒立ちからの連続魔法の詠唱だ。

 その純正の魔法使いとしか思えない戦術に少しだけ腹を立たせながら、僕は加熱する猛攻をしのいでいく。


 血の池の赤色が増し、鮮血属性の魔法効果を増幅させる。血の騎士たちが魔法で強化され、活き活きと動きを加速させていく。さらに血の騎士に集中しているところに、血の矢が飛来してくる。


 これが『血の理を盗むもの』の戦い方。

 息をつく間もない。赤い騎士たちが壁となって、後衛となっているファフナーとコアまで辿りつけない。次第に額が汗ばみだし、呼吸が荒れていく。刻一刻と削られる体力を認識しながら思う――


 ――この程度なら、いけなくはない・・・・・・・


 ファフナーの主張どおり、このネクロマンサーな戦い方は彼本来のものではないのだろう。『血の理を盗むもの』の力を最大限に使ってはいるが、どこか全体的にぎこちない。


 付け焼き刃の戦法ならば、いつでも突破できる。

 例えば、僕の本気の魔法――《ディメンション・決戦演算グラディエイト》の一つ上を発動させればいい。

 ティティーやシス相手に使ったときよりも、さらに精度の増しているであろう未来予知の魔法だ。防御不可能の未来を引き寄せてしまえば、必ず十字架は破壊できる。


 ただ、いけると思うと同時に、余りに楽すぎる話だとも思う。


 かつてここまで楽な守護者ガーディアン戦はなかった。

 そのせいか、本当にこれで終わっていいのかと頭の隅で考えてしまう。


 いまファフナーは消滅を受け入れている。

 『未練』解消よりも楽な道を、わざわざ僕のために作ってくれている。

 遠慮する必要はないはずだ。それで彼は構わないと思っているからこそ、自らの弱点全てを曝け出したのだ。本当の『魔法・・』を使ってまで。


 ただ、本当の『魔法・・』は使えど……間違いなく、ファフナーは本気ではない。

 身体が勝手に動くまま、流れ・・で戦っている。

 僕だって本気の魔法は使っていない。こちらも流していると言っていい状態だろう。


 本気のぶつかり合いではない。

 本心は全く交わっていない。

 茶番にも似た模擬戦で、僕たち二人は実に中途半端な戦いを繰り広げている。


 ……こんな戦いで本当にファフナーの人生が終わっていいのか?

 ……何か大切なことを忘れたまま、僕は友達を一人失うのではないのか?

 ……ここはノスフィーの魔法解除に努めて、ファフナーとの決着は後回しにすべきではないか?


 そんな迷いが頭によぎる。

 その最中一人――迷いを払うかのような本気の声が混じる。


「――終わっていいに・・・・・・・決まってるっす・・・・・・・


 それは僕でもファフナーでもない声。

 僕の後方にいるはずのラグネちゃんの声だった。


 それがファフナーよりも奥――『血の理を盗むもの』のコアの赤い十字架――その更に後ろから聞こえてきた。

 当然だが目の前の敵に集中していた僕とファフナーは驚く。


「――っ!?」

「なっ――!」


 ファフナーは声に反応して後ろに振り返る。

 僕は目の前の光景に目を見開く。


 いつの間にか、ラグネちゃんが血の池に突き刺さった十字架を手に持っていた。

 脈打つ十字架を剣のように持ち、ラグネちゃんは勝利を確信して笑い、そのまま逃げようと大きく飛び跳ねようとしている。


「よし、盗ったっす。あとは――!」

「――っ!!」


 それにファフナーは追い縋ろうと手を伸ばす。

 当然だろう。ファフナーは負けない為に最善を尽くすルールがある。

 ただ……一つだけ、先までと違いすぎる点があった。


 ファフナーは今日初めて見る冷たい無表情を顔に張り付けていた。そして、右手に『何か』を構えて振り抜こうとしている。


 その構えた『何か』を見た瞬間、僕は怖気が立った。

 恐怖で竦んだと言っていい。

 身体が硬直し、肺が石みたいに硬くなり、息は止まり、動けなくなる。


 ただ、その『何か』が何であるか頭に入ってこない。

 困惑が困惑を呼ぶ感覚だ。


 その『何か』は赤かった。

 とにかく赤い。

 人生で一番の赤だろう。

 世界が終わるまで赤の頂点で在り続けると理解わかる赤は――血、紅、朱、桜、躑躅つつじ柘榴ざくろ、珊瑚、蘇芳といった僕の知る赤色のどれよりも赤い。


 恐ろしいことに、その痛烈すぎる色の情報だけが目に入り、脳を叩き、『何か』の実体がどうなっているかわからない。

 かろうじて、その『何か』の輪郭線を辿ると、それが剣のような棒状のものであることがわかるだけだ。


 色の濃さだけで人の認識を狂わす赤い『何か』。

 殺意どころではない。世界をも殺そうとする怨念を感じる。

 まさしく、『空に爪を突きたて、世界を掻き切る』までの怨念を――


 見ているだけで死が頭によぎる。

 この世にあらざる色が、拒否と嫌悪の信号だけで脳を埋め尽くす。狙われているのは僕ではないのに、走馬灯が見えそうになった。


 ――一瞬がどこまでも引き伸ばされる。


 『何か』がラグネちゃんに襲いかかるのを、スローモーションで僕は見る。

 その『何か』の輪郭線が吸い込まれるように、ラグネちゃんの首に近づいていく。このままだと間違いなく、彼女は死ぬ。ギロチンで処刑されたかのように、綺麗に首が飛ばされる未来が見える。次元魔法使いだからではなく、人間の本能として鮮明に見えてしまう。


 ファフナーの動きが速過ぎる。いままでの戦いがまさに茶番であったと証明する速さだ。


 止められるタイミングではない。

 避けられるタイミングでもない。


 ラグネちゃんもそれがわかっているのだろう。

 赤い『何か』を見て、死の恐怖で青ざめていた。僕と同じように走馬灯を見ているかのような体感時間の遅さの中、あらゆる生き残る手段を模索しているのが表情でわかる。


 そして、その思考の果て、ラグネちゃんが選択したのは――


「ぐ、ぬぅっ――!」


 飛び跳ねながら、上体を後ろに大きく反らす。

 もちろん、それだけでは足りない。避けきれない。

 その不足分をラグネちゃんは自分ではなく、他で補う。


 ラグネちゃんは避けながら、手に持った十字架をファフナーに放り投げていた。

 ファフナーは敵から自分のコアが手放されたのを目で追いかけた。それを境に、一閃から鋭さが消える。ほんの僅かだが減衰した。


 避けられない攻撃ならば、相手に避けられる攻撃に変えてもらう。

 それがラグネちゃんの選択だった。


 ――そして、引き伸ばされた一瞬が終わる。


 スパッと一閃が振り抜かれ、血が飛んだ。

 続いてけ反り過ぎて体勢を崩したラグネちゃんが、血の池の上に着地する。さらに体勢を整えながら油断なく距離を取り、話が違うと文句を口にする。


「あ、危ねぇっす……! ファフナーさんは人殺しできないんじゃなかったっすか……!?」


 もし失敗しても死にはしないと思っての突貫だったのだろう。

 しかし、実際は違った。もう少しで首が飛ぶところだった。


 ファフナーの一閃によって、ぱっくりとラグネちゃんの左頬が裂けている。

 見たところ、傷は深い。もしかしたら口内まで達していそうな斬り傷から、放置できない量の血液が流れている。


 ラグネちゃんは手で傷口を押さえ、神聖魔法で回復させようとする。

 その姿を、十字架を手にしたファフナーは驚きながら見つめていた。自分でしたことが信じられず、理解が追いついていないように見える。そこにはもう先のような無表情や殺意はなく、元のファフナーに戻っている。


 そして、十分な混乱の後、ファフナーは口を開く。


「チ、チビっ子……。なあ、いまどうやって近づいた……?」


 何よりもまずファフナーはラグネちゃんの奇襲の方法を気にした。


 正直、それは僕も聞きたい。

 戦いの間、ずっと僕は《ディメンション》を発動させていた。おそらく、ファフナーも血を介して空間全てを把握していたはずだ。

 その僕たち二人の目を掻い潜って、あそこまで接近するのは不可能――のはずだ。


「どうやってって……教えるわけないっすよ。胡散臭いお二人と違って私は真剣に生きてるので、そうほいほいと自分のスキルを説明なんてしないっす……」


 ラグネちゃんは頬を押さえた状態で眉をひそめる。

 戦う者として当然の反応を見せて、自分の能力を秘匿する。


 自分の弱点や攻略法を語るほうがおかしいと、ファフナーは理解しているのだろう。すぐに謝罪しながら、別件に話を移していく。


「……そりゃそうだ。平和ボケしたことを聞いたぜ、すまん。……それよりも問題は俺のほうだな。――いま俺は盗んだ理を・・・・・剣に乗せて・・・・・斬りかかった。どうして……」


 ファフナーは先ほどの自分の行動に困惑し続ける。

 言葉からすると、本気中の本気の一撃だったのだろう。ティティーの何もかも分解してしまう『風の理』の一撃に似た凶悪さを感じた。


 ぶつぶつと独り言を呟きながら、ファフナーは自分の状態を見直していく。


「いまの感覚、ルールは『殺されそうになったら相手を殺してもいい』か……? いや、少し違うか。『世界樹よりもヘルミナを優先しろ』ってことか……? ノスフィーのやつ、なんで俺の『未練』解消の手伝いみたいな真似を……」


 原因はノスフィーにあると決め付けているようだ。

 彼女の課した六つ目のルールを考えると同時に、その思惑も推測していく。


 しかし、ファフナーは見当すらつけられず、最後には髪を掻きながら悪態をつく。


「くそっ。あの馬鹿のほうの主は、相変わらずシャイすぎる……! 口に出してくれねえと、言いたいことが全然わかんねえ……!」


 その様子を僕は『持ち物』に剣を収めながら見守る。


 もう完全に戦闘の空気ではない。

 僕を囲んでいた血の騎士たちは全員形を崩して、血液に戻っている。周囲を満たしていた魔力は霧散し、徐々に血の池の水位も下がっていっている。


 一安心して呼吸を整えていると、ファフナーを避けて僕の近くまで寄って来たラグネちゃんが慌てた声を出す。


「カ、カナミのお兄さん! 血が止まらないっす……! これ、一体……!」


 頬を抑える手の隙間から、止めどなく血液が流れ続けている。

 まだ安心しきれないことがわかり、すぐに僕は傷口に《ディメンション》を集中させる。


 いま間違いなくラグネちゃんは回復魔法を成功させている。『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の総長に相応しい見事な神聖魔法だ。

 しかし、傷が一向に治る気配がなく、出血し続けている。明らかに異常だ。


「おい! チビっ子、すぐにこっちに来い! ヘルミナの理で斬られたら、普通の回復魔法じゃ無理だ! 俺が治療する!!」


 異常の答えはファフナーが知っていたようだ。

 その場から動けないので、叫ぶことでラグネちゃんを呼ぶ。


 だが、治療をすると言われても、ラグネちゃんは怯えた様子で僕の後ろから動けない。

 先ほどの一撃のせいで、近づくのも恐ろしいのかもしれない。遠くから見ていた僕でも本能的な恐怖で動けなくなったのだ。直面したラグネちゃんの恐怖は計り知れない。


「遠隔操作で治療するから安心しろ! というか来ないと、どっちみち死ぬぞ!」


 ファフナーは治療を急ぐ。

 そこに善意しかないと思う僕は、背中に隠れるラグネちゃんを促す。


「ラグネちゃん、治せる可能性があるのはファフナーだけだと思う。……僕は彼を信頼してる。少なくとも、嘘をつく性格じゃない」


 ときおり狂った言動をするが、ファフナーは一貫して誠実な態度を取っている。騎士と呼ぶに相応しい献身的な行動ばかりだ。


 それはラグネちゃんもわかってはいるのだろう。

 仕方なく血を止めるため、恐る恐ると僕の背中から出て、ゆっくりとファフナーに近づいていく。


 ある程度近づいたところで、ファフナーはラグネちゃんの歩みを止めてから鮮血魔法を編む。


「よし、そこでいい。動かず、傷口を見せろ……。――鮮血魔法《エルメスミア・リンカー》」


 ファフナーは地面に両手を突いて、直立するラグネちゃんの両隣に新たな血の人型を生み出していく。

 その血の人型たちは産まれたと同時にラグネちゃんに駆け寄り、その傷を見つめ始める。


「ひ、ひえ……!」


 当然だがラグネちゃんは怯えて、小さく体を震わせた。


「ビビるな、腕の立つ軍医たちだ。回復系の魔法を専門にしてる」


 ファフナーは血の人型たちが医師として診断しているだけだと言って、ラグネちゃんを落ちかせる。そして、その医師たちが魔法を唱え始めたところで、ファフナーは僕たちに説明を始める。


「……もうわかってると思うが、その傷は普通の傷じゃない。『血の理を盗むもの』ヘルミナの盗んだ世界の理は【二度と元には戻らない】だ。――つまり、一度傷を負えば、二度と治ることはない。……すまねえ。『一切の死人を出すな』ってルールがあれば、どんなことがあっても俺は絶対にヘルミナの刃を使わないって油断してた……」


 先ほどの『何か』の一閃が回復不可能の攻撃であることがわかり、僕とラグネちゃんの顔が同時に青ざめる。いまの説明だと、このままラグネちゃんの出血は永遠に止まらないということになる。


 そこで一息ついたファフナーが両手を地面から離して立ち上がる。同時にラグネちゃんを囲んでいた血の人型たちの形が崩れて血の池に還っていった。


「ふう……。よし。とりあえず、上手く俺の血で埋めて、傷の修繕はできたな……」

「しゅ、修繕って……。これ、治ったんすか……?」


 ラグネちゃんの頬の傷に、瘡蓋のような赤黒いものが覆っていた。

 あれだけ脅しておきながら、あっさりと出血は止まっている。


「治ってはいねえ。ただ、もう出血死することもない。そんなところだ」


 とりあえず死にはしないとわかり、ラグネちゃんは人心地ついたのか、ファフナーと同じように一息つく。だが、すぐに自分の頬に手を当てて、心配げに顔を曇らせる。

 それを見たファフナーはラグネちゃん以上に顔を曇らせ、深々と頭を下げた。


「本当にすまねえ、チビっ子。たぶん、死ぬまでその赤い痕は残る……」


 僕の火傷跡と同じで一生ものであるとわかり、僕は無理を言っているとわかっていながら再確認する。


「ファフナー、どうにかならないのか……。女の子の顔だ」

「ああ、わかってる。ただ、俺は血を操るのは得意だが、肉を弄ることはできない。そういうのはアイドあたりが得意なんだが……もういねえみたいだしな」


 痕の治療できる人物はアイドらしい。

 だが、そのアイドは少し前に消えた。二度と蘇ることはない。

 可能性があるとすれば、アイドとティティーの魔石と繋がり、その知識と魔法を得ることだろう。


「あとは化粧とかで隠すしかねえ。……そうだ。渦波がこいつに上手いこと教えてやってくれねえか?」

「え、化粧なんて僕には全然わからないけど……」

「は? いまはそうなのか? 昔は得意だったんだけどな……。なら他には――」


 僕とファフナーは真剣にラグネちゃんの傷痕を消す方法について話し込む。

 その途中、ラグネちゃんが少し呆れながら間に入ってくる。


「あ、あのー……お二人とも、死なないなら傷痕くらい何の問題もないっすよ……? むしろ、一人前の騎士として貫禄ついた気がするっす。なんかペルシオナ先輩みたいで悪い気しないっす」


 ラグネちゃんは傷痕を撫でながら、陽気に笑っていた。

 無理をしているようには見えない。斜めについた頬の傷がかっこいいと思っていそうなほどの余裕が見える。


 それにファフナーは救われたのか、苦笑いと共に感謝する。


「ははは……、嘘でもそう言ってくれるとありがたい……」


 十分に苦笑いを見せたあと、ファフナーは目の前の少女を真っ直ぐ見据える。

 もはや僕のお供おまけではなく、一人の人物としてラグネちゃんを見ていた。


「なあ、チビっ子。名前は何ていう……?」

「えーっと、ラグネ・カイクヲラっす……」

「ラグネ、助かった。おまえの冷やっとした奇襲のおかげで頭も冷えた。正直、渦波に会えて興奮し過ぎてたぜ」

「そうっすね。傍目で見ると、かなり頭のやられた人だったっすよ。落ち着いてくれて非常に助かるっす」

「くははっ。はっきり言うぜ。そのちょっと変なところが俺のチャームポイントのつもりなんだがな」

「あれが魅力になると思ってるところがまた頭おかしいっすね。あはは」


 気を許しあった友人かのように、二人は冗談を飛ばし合う。

 妙なわだかまりが残ることなく和解できてよかったと思う反面、少し仲良くなるのが早いような気もする。どこか共感する部分が二人にはあるのかもしれない。


 そして、二人が十分に皮肉を含んだ掛け合いをしたところで、ファフナーは手にした赤い十字架を見ながら僕に話し掛けてくる。


「――もう今日は終わりおひらきだな。妙な六つ目のルールがあるとわかった以上、穏便に俺を消滅させる方法はない。……本当に色々とすまねえな、渦波。まさかノスフィーが渦波よりも俺を優先するルールを課してるとは思わなかった。生前、数え切れないほど命令違反して嫌がらせしたから、殺したいほど憎まれてると思っていたんだが……どうも、俺は思い違いしてるかもしれねえ」


 恐ろしいことにファフナーは、あのノスフィーに度重なる嫌がらせをしてきたらしい。

 それも殺されても不思議ではないレベルでの嫌がらせをだ。


 もしかして、トラウマルールで心を弄られているのは自業自得ではないかという疑いが出てきたところで、ファフナーは赤い十字架を心臓に戻し、本来あるべき場所である胸の中に入れた。


「心臓を戻してっと……模者コピーも止めて、人間に戻るか。マジで今日は疲れたぜ」


 さらに周囲に漂っていた魔力を身体に戻し、地面に残っていた血溜まりも全て足元から吸い込む。

 色を失い、薄くなっていたファフナーの身体に色が戻っていき、存在感が膨らんでいく。亡霊ゴーストではなく、徐々に生身の普通の人間になっていく。

 その果て、今日一度も見ていない姿に変わる。それを見て、ラグネちゃんが感嘆の声を漏らす。


「わ、わぁ……。金髪碧眼……。急に貴族っぽくなったっすね……」


 ファフナーの癖っ毛は金色に輝き、瞳は海のように色濃い蒼となった。

 雰囲気も丸々変わった。高貴さが顔立ちから窺え始め、少しだけヘルヴィルシャイン家のハインさんやフランリューレの面影があるように見える。


 その驚くラグネちゃんに対して、ファフナーは嘯く。


「かっこいいだろ? これが本来の俺だぜ。惚れたか?」

「いやあ、それはないっす。私はカナミのお兄さんのほうが好みっすね」

「へえ……。だとよ。よかったな、渦波」


 ラグネちゃんが見せ付けるように僕の腕に抱きついたのを見て、ファフナーは自分が褒められたかのように喜んだ。

 対して僕は、その急な彼女のスキンシップに動揺し、平静を努めながら答える。


「……ありがとう、ラグネちゃん。ただ、ラグネちゃんって色々わかっててこういうことやるよね」

「そうやって簡単に照れるから、こうやってからかわれるんすよ。もっと女性の扱いを精進してくださいっす」


 これも女心を知るための訓練の一環と言いたいのだろうか。しかし、逆にこのスキンシップで一切の動揺がないのは、女性に対して失礼ではないかとも思うが。


「くははっ。渦波はなんでもかんでもマジに受け取るからな。けど、そこが渦波のいいところなんだぜ、ラグネ」

「いやあ、そこがカナミさんの胡散臭いところっす。これがあるから、私が本気で渦波さんに惚れることはないっすねー」

「へー。ラグネは渦波を胡散臭いって思ってるのか? 珍しいな」

「いえいえ、珍しくないっすよ。たぶん、十人女性がいれば何人かは渦波さんを怪しいって思うはずっす」

「そうか……? なら、カナミ。もっと精進しないとな。ラグネに胡散臭いと思われないように、もっともっと女性の扱いを上手くなろうぜ? 昔みたいに、なあ?」


 ファフナーは本気か冗談か、ラグネちゃんの提案に賛同した。

 さらに、最近評判がすこぶる悪い千年前の僕を持ち出してきた。ティアラが暴露した女性遍歴のいくつかを彼も知っているのだろう。にやにやとからかうように笑っている。


 真面目に答えたら負けだと思って僕は「気が向いたらね。気が向いたら」と適当に返す。

 その反応を見て僕が拗ねたかと思ったのか、ファフナーは軽く謝罪しながら冗談から真剣な話題に移っていく。


「わりいわりい、冗談だ。……そんな馬鹿なことよりもやって欲しいことがちゃんとある。……渦波、次ここへ来るときまでにノスフィーから俺の経典を取り返してくれ。あれさえあれば、色々と話が変わる」

「経典……? もしかして、それがファフナーの命よりも大切なもの……?」


 ここへ来る前に、ノスフィーはファフナーの大切なものを人質に取っていると言っていた。

 その話をしているのだと推測する。


「ああ、そうだ。正攻法でも攻略法でもない裏技になるが、それでも俺を無力化できる。経典はヘルミナの次に大切なものだ。あれを人質に取られたせいで、俺はこんな目に遭っている。逆に言えば、あれさえあれば俺は好き放題ってわけだ。俺を囲んで袋叩きにするにしても、あって損はないアイテムだぜ?」


 ノスフィーからは聞け出せなかった情報だ。

 物の種類がわかれば探すのは随分と楽になるだろう。

 ただ、その話を聞いて期待感を持つ僕とは対照的に、ラグネちゃんは情報の真偽を少し疑っている。


「それ、嘘じゃないっすよね……? もしそうなら、ファフナーさんって本当に弱点ばっかりっすよ?」

「ほんとはっきり言うなあ、おまえ……。ゴーストモンスター混じりのせいか、俺は弱点ばっかりなんだよ。悪かったな」


 横からラグネちゃんの茶々が入ったけれど、ファフナーに話を逸らされることなく、僕に頼みこみ続ける。


「本当に頼むぜ、渦波。あれは最後の一冊だ。どこにでもある経典だが、あれで最後なんだ……」

「ちなみに見た目はどんな感じ?」

「千年前のレギア地方で流行った『碑白教の経典』で、よくある革の装丁がされてる。滅茶苦茶古い本だから見たらすぐわかるはずだぜ」

「……わかった。どうにか見つけてくるよ」


 ここまで情報が揃えば、ノスフィーに白を切らせることもないだろう。


 最初はファフナーの異常性に振り回されたが、終わってみれば十分過ぎる情報を得られた。戦った甲斐があったと思う。手を合わせたことでしか解らないファフナーの力もあったし、マリアには良い報告ができそうだ。


 そして、そろそろ解散かといったところで、ファフナーが両手を合わせて神官のように祈り始める。


「じゃあな、二人とも……。これからの相川渦波とラグネ・カイクヲラの人生に多くの苦難を……」

「え、え? なんで苦難を祈るんすか……!?」


 ファフナーが物騒なことを言ってきたので、間髪いれずにラグネちゃんは非難する。


「くははっ。千年前の伝説の騎士様の祈りだ。たぶん、めっちゃ効くと思うぜ?」

「やっぱりこの人、頭おかしいっす……! 性質たち悪いっす……!!」


 ファフナーほどの存在から祈られると、何かしらの加護が乗っていそうで本当に恐ろしい。

 その感情を代弁してくれるラグネちゃんに、ファフナーは「ははは」と笑い返し――最後に真剣な別れの挨拶を投げかける。


「マジで頑張れよ、おまえら。フーズヤーズだと俺は、どう足掻いても端役だからな。ここで大人しくノスフィーの駒をやって、おまえらを待つことくらいしかできねえ。絶対に俺のいないところで死んだりするなよ? それだけは・・・・・絶対に守ってくれ・・・・・・・・

「……もちろん。そう簡単には死なない自信はあるから安心して。ラグネちゃんとかもついてるしね」


 迷いなく僕は返し、それを見たファフナーは頷く。

 確認するように何度も頷き――ゆっくりと手を振った。


「ああ、信じてるぜ。俺は渦波を信じてる。……それじゃあな」

「それじゃあ、また――」

「できれば、もう二度と会いたくないっす。ばいばいっすー」


 僕たちも手を振り返し、別れを告げる。

 ファフナーは僕たちの反応に納得したのか、それ以上は何も言うことはなく、地下空間にそびえる世界樹の幹に背中を預けて座り込んだ。


 その姿を尻目に、僕とラグネちゃんは階段へ向かう。遠巻きに見守っていた騎士たちと共に上へ――フーズヤーズの暗い地の底から、栄耀栄華を極めた城へと戻っていく。

 こうして、僕とファフナーの一度目の邂逅は終わった。

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