415.異世界の宗教



 僕に続いて、ライナーとフェーデルトも《コネクション》から出てくる。

 移動したのを確認してから、一番近くの『魔石人間ジュエルクルス』に声をかける。


「予定通り、建築完了。いま出てきた《コネクション》の隣に、『西南西地域第二居住区』って立て札を置いてね」

「はいっ、ただいま! 報告書用に、街のご確認もさせて頂きます!」


 先ほどまで事務机で仕事をしていたであろう『魔石人間ジュエルクルス』たちが一斉に動き出す。

 アイコンタクトだけで、立て札作成役・報告書役・実地の検査役と、役割分担を済ませられるのは彼女たち『魔石人間ジュエルクルス』ならではの連携能力だろう。

 本当に有能な彼女たちだったが、《コネクション》の先を覗いて、動揺で動きを止める。


「――――っ! き、昨日まで何もなかったところに、本当に……」

「街が出来てる!」

「よく目に焼き付けなさい。これが、アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー様の奇跡の力……」


 一夜城ならぬ一時間街の完成を見て、それぞれが感想を口にしつつ、身体を震わせた。

 だが、すぐに僕の視線に気づいて、無駄話を止めて仕事をこなしていく。


「し、始祖様! しっかりと確認しました! お疲れ様です! あとの処理は私たちにお任せください!」

「ありがとう。……ただ、その始祖様って呼び方は止めようね。そういうのは、もう『彼女』に全て任せてるから」


 アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー様も辛いが、始祖呼びはもっと辛い。


 始祖と呼ばれるに至った経緯を考えると、あらゆる失敗を連想してしまうからだ。

 しかし、『魔石人間ジュエルクルス』たちは平伏する勢いで、僕のお願いに首を振る。


「いえ、真の歴史を知ってしまった以上、私たちにとってカナミ様は伝説の始祖様のままです! その上、いまは『現人神』ラスティアラ様でもあり、『聖人』ティアラ様でもあり、私たち『魔石人間ジュエルクルス』の救い主であったヴィアイシア国元宰相アイド様も、その中にいらっしゃるとあれば……本当は! 偉大なる救世主カナミ様と、大声でお呼びしたいほどです!!」


 彼女に悪意はない。

 魔法やスキルがなくても経験で、縋る対象を欲しがっている子なのだと察した。


 元々、彼女たちは廃棄寸前のところで、ラスティアラに救われた『魔石人間ジュエルクルス』たちだ。

 だから、僕と同じく、行き場を失ったラスティアラへの親愛が暴走してしまっている。

 おそらく、いまも毎晩ラスティアラと一緒にいた頃の夢を見て、毎朝ラスティアラの姿を探していると思うと……、強気に出れない。


「……わかった。もう降参するから、好きに呼んでいいよ。でも、その代わり、ちゃんとお仕事頑張ってね」

「はい、頑張ります!! ああ! その言葉一つで、もう私は……! 私は、もうっ!」


 それでも、興奮し過ぎだとも思う。

 その身を捻らせて喜ぶ『魔石人間ジュエルクルス』の隣では、さらに小さい子がぶつぶつと呟いているのも聞こえてきた。


「やはり、カナミ様が始祖様である為にも、レヴァン教は一つに纏まらなくては……。偉大なる救世主である『始祖』の名の下に。我々、レヴァン教改新派の手で、いつかレヴァン教保守派のやつらを排除して――」


 中々面倒くさそうな話が聞こえてくる。


 ――いま、このレヴァン教総本山ともいえるフーズヤーズ大聖堂では、このような話が至るところで囁かれている状態だ。


 結局、あのティアラの作ったレヴァン教は残り、続いてしまっていた。

 本当ならば相川陽滝を倒したあと、『元老院』が秘匿していた真実の歴史が世界に公開されて、自然消滅していくはずだったのだが……むしろ、以前より勢力を増して、宗派閥まで生まれていた。


 ――現在、誰をレヴァン教の始祖と解釈するかで、宗派は三つに分かれている。


 まず、ずっと元老院が秘匿していた真実の歴史に基づいて、始祖カナミ・ティアラの二人と使徒ディプラクラ・シス・レガシィの三名を、平等に信仰する『真史派』。


 『改新派』は乱暴にも、信仰対象を僕一人だけに集中させている。裏でディプラクラさんが、「現存する奇跡の体現者を、積極的に崇めるべきだ」と推し進めて出来た宗派だ。


 『保守派』は、いままで通りのレヴァン教を続けていこうと主張する派閥で、基本的にはティアラ・ラスティアラのみを信仰対象としている。

 ここは僕の存在そのものを良く思わず、既得権益を保ちたい人々が多い。


 個人的にはレヴァン教の廃止をしたかった。

 しかし、信仰対象の一人である僕が「止めよう」と主張しても、『改新派』は増え続けるのだから、その道は諦めた。

 なにより、スキル『感応』が、このレヴァン教に新たな流れ・・を感じていた。


「ディプラクラさんめ……」


 『白い糸』『赤い糸』に匹敵する力でなければ、この流れを変えることは難しいだろう。


 もしくは、アイドだ。

 もし彼が隣にいてくれたら、このように宗派が別れることはなかっただろう。入り乱れた宗教の舵取りを、『彼女』に頼ることもなかった。


 こうして、短い時間ながらも政治の真似事をして、かつ『統べる王ロード』ティティーに近い立場となって痛感する。

 本当にヴィアイシア国の宰相アイドは偉大だったと。


 街の水路や『魔石線ライン』の設計も、周辺国との駆け引きも、民衆との付き合い方も、あらゆる問題で僕は「アイドがいれば、めんどくさいの全部後任せできるのに……」と感じた。


 あと欲を言えば、ティーダやラグネのような間者に特化した存在も欲しい。

 もしノスフィーがいてくれたなら、レヴァン教対策を二人で取り組めた。ローウェンは……最近、リーパーが寂しそうなので、居てくれたら助かるかもしれない。


 ――と、いなくなった『理を盗むもの』たちに思いを馳せていると、いま現在残っている二人が気になり、近くにいた『魔石人間ジュエルクルス』に聞く。


「……ねえ。いま、マリアはどこにいるかわかる?」

「マリア様ですか? マリア様でしたら、フーズヤーズの外ですね。ギルド『エピックシーカー』の活動に勤しんでいるようですよ。最近は、スノウ様よりも人気です!」

「じゃあ、セルドラは……?」

「えーっと、そのスノウ様の挑戦を終えて……、下の『元老院合議室』にて先んじて待ってますね。いつも通り、歩きながら異世界の本を『読書』しておりました。……一冊貸してくださいっていくら頼んでも、一度も貸してくれません」


 『火』と『無』の魔石の現在地を知り、僕は予定通りであることを確認する。


 そして、それを隣で聞いていたフェーデルトが、セルドラと合流することを促してくる。


「ふむ。総司令代役代理・・・・殿が、すでに元老院合議室に? お待たせするのは良くないですね。我々も急いで向かいましょうか」


 元老院合議室とは、大聖堂の最下層にある部屋のことだ。

 このワープ部屋よりも、さらに下の部屋で『ファフナー・ヘルミナ確保計画』を話し合うことが決まっている。

 二ヶ月の準備期間を経て、とうとう彼のいる『血陸・・』に進攻するときが来たので、その最終確認だ。


 ただ、予定していた集合時間よりも少し早い。

 僕は上に目を向けつつ、答えていく。


「フェーデルトさん、先に行ってて下さい。僕は神殿にいる『彼女』を迎えに行ってから、向かいます」

「……ああ。かしこまりました。では、私は先に、下でお待ちしておりますね」


 その提案をフェーデルトは拒否せずに、恭しく頭を垂れて了承した。


 会議メンバーの中で、唯一『彼女』だけが遅刻するかもしれないと思っているからだろう。僕の送迎理由に納得して、一人で下に続く階段へ歩いていった。


 その中、ライナーだけは不満そうに、口を尖らせる。


「キリスト、あいつを迎えに行く必要はないんじゃないのか? もし遅れたら、放置して、先に話し合いを始めればいい。あいつも余り、話し合いに出たがってなかったろ」

「一度、それをしたらしたで、泣きそうになってたから……。それに、空いた時間を少しでも有効活用したいんだ。できれば、上の大聖堂の様子は小まめに見ておきたい」

「空いた時間って言っても、ほんのちょっとだぞ」


 ライナーの言うとおり、いま空いた間は、ほんの数分。けれど――


「最近、秒単位でも空白があると、落ち着かないんだ。だから、余裕がある限りは、できることがしたい」

「働き過ぎだ。あんた、いま仕事中毒ワーカーホリックってやつになってる自覚あるか?」


 ライナーは言葉を飾ることなく、心から僕の心配をして、はっきりと病気だと言ってくれた。だから、僕も飾ることなく、心から素直に頷き返す。


「……かもね」

「何度も言うが、もうあんたは隠居していい。何もかもが自由だし、たっぷり金もある。力も功績もあって、あんたを好く女性だって多い。……適当な豪邸にでも住んで、美味いものを食べながら、死ぬまでゆっくりしてても、誰も文句は言わない」


 長い付き合いだからわかる。

 ライナーは本気で提案している。


 そして、どこかで聞いたことがある話だとも思った。

 かつてレベル一桁で、この迷宮連合国で道を迷っていたときに、同じ問いかけをディアから聞いた。


 当然、あのときから、僕の価値観は変わっていない。

 たとえ作られた価値観だとしても、それはもう『本物』だからと、自信を持って首を振る。


「大丈夫、僕はこれがいいんだ。いま、この時間がすごく楽しい。嘘じゃない」

「……確かに、活き活きとはしてるかもな。迷宮で戦ったりしていたときよりも、ずっと」

「元々、こういうのが好きなんだよ。だから、この手の届く範囲を助けるだけの生活は本当に楽しいし、満足してる。だって、もう届かないものに向かって、無理して手を伸ばさないでいい。この世にありもしないものを、死ぬまで探さないでいい。――全てが、この胸の中に、すでに収まってる。だから、一秒一秒がすごく安心できて、穏やかで、心地よくて……」


 口にしながら、感極まってくる。


 それは久しぶり過ぎる休日の感覚。

 余った時間に、二週目のゲームをしているかのような安心感。

 柔らかなソファに寝転がって、お気に入りの本を読み直しているときの充実感。

 いまの異世界での生活は、ただただ落ち着いて、緩やかで――


 その僕の表情を見て、ライナーは提案を取り下げる。


「……はあ、わかった。あんたが楽しいんなら、中毒でもいいさ。ただ、経験上、順調なときのあんたはやらかしがちだ。もしスキル『悪感』が少しでも反応したら、容赦なく四肢を斬り離して、眠らせる。それでいいなら、秒単位で働けばいい」

「ありがとう、ライナー。『呪い』の呼びかけも大事だけど、それを僕は一番ライナーに期待してる」


 なにより、親友ライナーが、道を間違えないかどうか見張ってくれる。

 いま僕が感じている安心感は彼のおかげでもあると、いま再確認していくのだが――


「あの金髪ちびぃ……!」

「始祖様を斬るですって? ちっ……」

「殺す……。あいつ、いつか殺す……」


 『聖カナミ様の・・・・・・西南西地域居住区』という余計な文言が足された立て札を立て終えた『魔石人間ジュエルクルス』たちが、親の仇を見るかのよう形相でライナーを睨んでいた。


 ここで僕が「いや、いまのは僕らなりの友情確認であって……」と言い訳しても、ライナーへの評価は変わらないだろう。

 仕方なく、僕は真の騎士と共に、場所の移動を早めに行うことにする。


「と、とりあえず、行こうか。上に」

「ああ、行くか……!」


 ワープ部屋を出て、地上に向かう階段を上がっていく。


 じめじめとした長い石造りのトンネルを抜けると、壁画の描かれた明るい回廊に出た。

 そこに新たな石碑が作られているのを横目に見ながら、かつてラスティアラが『再誕』の儀式を行っていた神殿に向かって進む。


 この先に、『彼女』が――『使徒シス・・・・』がいる。


 かつて本土ヴィアイシア国でアイド・ティティー姉弟と別れたとき、《ディスタンスミュート》と《アイス》で入念に封印された彼女は、いまフーズヤーズ大聖堂で働いていた。


「しかし、シスか……。正直、苦手なやつだ。別に、あいつはこの世界にいなくてもいいんじゃないか? ずっと魔石にして氷付けにしてたほうが、色々と安心できる」

「わりと酷いことを、あっさり言うよね。ライナーって」


 世間話のノリで、これから会う相手の永久封印をライナーは希望した。


 それに僕は頷けない。

 理由は色々あるのだけれど、まず第一に『ファフナー・ヘルミナ確保計画』にシスの存在が必要だ。


 そのために一ヶ月ほど前、僕はシスを根気よく説得し続けた。

 最初、千年前に妹扱いしていた陽滝・ティアラの真実に、彼女は酷くショックを受けていた。心を許し合えている仲間だったと思いきや、全て一人相撲だったと知ったのだから当然だろう。けれど、そこで彼女は折れることなく、また「世界を救う」という決意を固め直した。

 色々と暴走しがちな彼女だが、使徒の中で最も芯が強いと思える一幕だったと思う。


 ――その芯の強い彼女と、新たな・・・契約・・、僕は交わした。


 結果、今回は誰かの身体を犠牲にすることなく、ティアラやリーパーと同じく『魔法の身体』で使徒シスは現世に蘇った。


 その仕組みは、魔法《ティアラ》《レヴァン》の流用だ(基本的に、いまの僕がやっていることは全て、『元の世界』『異世界』の過去の偉人たちの模倣パクリである。だからこそ、安心が保障されているとも言える)。


 僕なりに術式を改良しているものの、彼女の生命力・魔力は「人々がレヴァン教を信仰するという『代償』」によって賄われている状態だ。

 逆に言えば、彼女が強くなりたいと願うのなら、レベルアップではなくレヴァン教への信仰を増やすしかない。


 ――あのときの説得・魔法改良の苦労を考えると、いまさらシスを封印し直すのは気が引ける。


 そんな彼女の状況を再確認しつつ、僕たちは回廊の奥に進み続けて、とうとう大聖堂で最も厳かな建物までやってくる。


 神殿の扉をくぐった瞬間、熱気が吹き抜けた。

 以前までは、神聖な行事や儀式のときだけしか開放されなかった静かな空間が、いまは人でごった返しとなっていた。

 身なりのいい賓客だけでなく一般市民まで、幅広い客層が来訪している。

 煌びやかな魔石で飾られた長椅子には、市井の子供たちが仲良く並んで座っていた。


 そして、この空間にいる全員の視線の先で、目当ての女性が大きな笑い声をあげる。


「――あーっはっはっはっは!! はっはっはっはーーー!! もっともっと敬いなさい! この私を、尊崇そんすうなさい!!」


 シスが千年前と全く変わらない長身の姿で、壇上で両手を広げていた。

 その目の前では、膝を突いた女性が祈りを捧げながら、その要求どおりにシスを敬っているところだった。


「ああっ……、ありがとうございます……!!」


 女性の隣には、松葉杖のような棒が置かれてある。

 おそらく、何らかの足の怪我を、いま、シスの神聖魔法で直してもらったのだろう。

 当然だが、魔法《レヴァン》で集まった魔力は信者たちに特効の上、回復系の神聖魔法と相性がいい。


 その奇跡としか表現しようのない最上位の回復魔法を前に、人々は畏敬し、心酔し、祈りながら順番を待っていた。


 いまフーズヤーズ大聖堂は、千年前のファニアの『第七魔障研究院』と同じだ。

 病院の機能も兼ねていて、裏で魔法《シス》の研究・開発をしている。


 神殿は千年前と同じく大盛況で、最初の一ヶ月で重傷者の治療は終えても、未だに人が減る傾向はない。

 ここで治療を受けた人々が、その奇跡の力に心を打たれて、口コミで国を跨ぐほどに噂が広がっているらしい。


「使徒シス様! 私のような者まで、その尊い奇跡を分けて頂き、心から感謝します……! しかし、お布施できるものが、私には……」

「ああ、そんなものは気にしないでいいわよ。勘違いしないように。これはあなたのためじゃなくて、世界を救う為の一環よ。だから、御代は信仰だけで良し。……逆に言えば、祈りだけは手を抜いちゃ駄目よ! これからは、レヴァン教の使徒代表である私を! この使徒シスを! ディプラクラではなく、シスの名を崇め奉りなさい! あーっはっはっはっはーー!!」

「ああっ、使徒シス様……!!」


 シスは何度も消失の憂き目に遭いながらも、未だに普通の人間は見下しがちだ。

 ゆえに、シスの再封印を望む声は、本当に多い。ライナーやディプラクラさんあたりは、シスの名前が話題に上がる度に提案するほど、彼女を警戒している。


「……なあ、キリスト。あれが本当に『血の理を盗むもの』攻略に必要なのか?」

「生きてる魔法は、『血の力』の発見者ヘルミナ・ネイシャの『未練』の一つだからね。いないと、ちょっと困る」

「同じ魔法生命体なら、リーパーのやつでいいだろ。あいつのほうが、ずっと大人だ」

「リーパーは童話『グリム・リム・リーパー』が元だから……、ヘルミナさんの考えた『五カ年計画』とは少しずれてるんだよ。宗教が源になってるのが大事なんだ」

「……はあ。不安だ」


 という僕の建前を・・・・・・・・聞く度・・・、いつもライナーは溜息をつく。


 そして、大笑いしている不遜なシスを睨みつつ、「あいつ、千年前の『世界奉還陣』の実行犯だろ……? 絶対何かやらかすだろ、絶対……」と、ぶつぶつと呟く。


 気持ちはわかる。

 過去の僕も、似た危機感を抱いていた。しかし、千年前を知る僕だからこそ、いまのシスは「昔と違う」とも言い切れる。


 例えば、それは隣にいる友人の違い。

 かつて陽滝やティアラがいた場所に、いまは――


「ん、こっちもオーケーだ。もう筋は治らないだろうが、訓練すれば歩けるはずだ。養生しろよ」


 シスの隣で静かに治療を行う隻腕の――いや、片腕片足を輝く魔力で構築した少女ディアがいる。


 装いは場所と状況に合わせて、シスとお揃いだ。

 こちらも奇跡的な魔法で患者たちを治しつつ、同じく人々から尊敬の目を、その神秘的な姿に向けられている。


「えっと……、可愛らしいほうの使徒シス様も、ありがとうございます……」

「もうシスは、そっちの馬鹿だけだ。俺はこいつに身体を貸してただけの一市民。ずっと騙して悪かったな。これからは、俺のことはディアって呼んでくれ。……そうだな、かっこいいほうのディアとでも」

「は、はい……!」


 治療を終えた女性は恭しく頭を下げたあと、愛でるような視線をディアに向けていた。

 間違いなく、彼女はディアの要望を無視して、街に戻っても「可愛らしいほうの」と頭に付けて呼ぶことだろう。


 ただ、名前の部分は理解してくれたようで、「ディア様ですね。ずっと身体を貸していたディア様……」と繰り返す。

 そこに隣のシスが説明を付け足す。


「――つまり、彼女は『巫女』ってことね。この私、使徒シスの巫女。ディア!」


 いつも通りの上から目線で、ディアの立場を勝手に決めた。

 それにディアは反論する。


「は? 俺は巫女じゃない。ただの手伝いだ」

「そういうのを巫女って言うらしいわよ? そう噂されているのを聞いて、採用しただけだから、文句なら街の人たちに言って頂戴」

「は、はあ……!? くっそう……、明日からは、顔を隠して治すか」

「そう照れなくてもいいわ! 間違いなく、あなたは世界で一番優秀な私の巫女よ! もっと誇りに思いなさい!」

「それ、おまえにとって一番都合のいいやつって称号だろうが。不名誉だから辞退だ、辞退」


 滅多にシスは他人を褒めない。

 その彼女が、見たことのない優しい顔つきで隣のディアを讃えていく。


「そう思われても仕方ないけど……、口だけのお世辞じゃないってことも信じて。いま、やってくれている布教の手伝いだけじゃない。私という魔法《シス》を構築するために、血肉が必要だって話になったときも、あなたは快諾してくれた。本当に感謝してるわ、ディアブロちゃん」

「……別に。要らない部分だったからな、あの羽。……あと、俺がしてるのは布教の手伝いじゃなくて、治療の手伝いだ」

「ふっふっふーん! そう言いつつ、なんだかんだディアブロちゃんは、私の手助けばっかりしてくれるから好きよ! 『世界を救う』という使徒の使命の手助けをね!」

使徒おまえの使命の手助けじゃない。ただ、やったほうがいいと思ったことをやってるだけだ、俺は」

それが・・・いいのよ・・・・。その裏表のない行動が、とてもいいの……。余り頭のよくなかった私にとってはね……」


 二人の相性は、想像以上に良い。

 元々、同じ身体に同居できる魂の親和性があったとはいえ、いまでは肩を並べて同じ仕事をできていた。


 そして、その最大の理由は、間違いなくシスの心の変化にある。


「ディアブロちゃん、何度でもお礼を言うわ。たぶん、あなたが頷かなければ、盟友は魔法《シス》を作ろうとしなかった。……本当にありがとう」

「あー……。はあ……、なんか中途半端に丸くなってから、ぶっ飛ばしにくいな。いざとなれば、次は消し炭にすればいいって思ってたんだ、こっちは」

「もう消えるのは嫌だから――というより、もう『友達』が減るのが私は嫌なのよ。だから、色々考えて、やり方だって変えていくわ。この私なりにね」

「……『友達』が減るのは嫌、か。そこだけは、俺も同意だ。そこだけな」


 千年前の真実を知ったことで、シスは変わった。


 というより、いままでは陽滝とティアラによって、コンプレックスを刺激され続け、危ない知識を与えられ、巧妙に暴走を促されていただけで……これが、本来の彼女だろう。


 思い返せば、出会ったばかりの彼女はとても素直で、僕たち『異邦人』を『友達』認定するのが早かった。

 ディプラクラさんやレガシィよりも柔軟で、人に馴染みやすいのは間違いない。


 そして、その変化の果てに、とうとうディアとまで彼女は和解した。

 そもそも、ディアがシスを恨んでいたのは「使徒シスは、カナミとヒタキに酷いことをしていた」という記憶が最大の理由だ。しかし、実際は「ヒタキとティアラが、使徒シスに酷いことをしていた」のほうが正しかったのだから、接し方も柔らかくなる。


 さらに、ディアはシスと一緒に里帰りをしたとも聞いた。

 あの陽滝の《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》で見た幸せな時間を――いや、より素晴らしい時間を、この世界が進んでいるのがよくわかる話だ。


「――と、は、い、えっ! 『世界を救う』という使徒の使命だけは、変えるつもりはないわよ! この新しい身体で強くなって、いつか私が主の代わりになるわ! そのためにも、ばんばん信仰しなさい、あなたたち!!」

「その使命とやらのために、おまえが俺の身体を勝手に使って、そのまま犠牲にしようとしたのは忘れてないからな?」

「あれはあれで、中々悪くない案だったじゃない? って、いまでも思ってるのだけど……?」 

「はあ。やっぱり、おまえは俺が見張ってないと駄目だな。次、誰かの命を犠牲にしようとしたら、止めを刺す。この俺の手で、じかにな」

「わ、わかってるわよ! だから、いまは命じゃなくて、祈りを集めてるの!」


 二人が言い争っているのを見て、僕は安心する。

 初期のマリアとディアの交流と、そっくりだったからだ。


 もし、いつかシスに「主の代わりとなれる瞬間」が来ても、そのときの彼女の周りには『友達』がたくさんいるだろう。

 そして、いまよりもさらに成長した彼女は、自分の使命を躊躇い、自分の進むべき道をよく考えるはずだ。


 そんな悪巧みを僕は抱えつつ、神殿の端を歩いていく。

 そして、彼女のすぐ隣まで近づいて、静かに名前を呼ぶ。


「シスー。そろそろ、『元老院合議室』で最後の確認をする時間だ。このままだと、遅刻するぞー」


 いつの間にか近くに居た僕を見て、シスとディアは口を開けて驚いていた。

 ティーダの『闇の力』が宿ったローブと仮面のおかげで、順番待ちしていた人たちも含めて、僕の接近に気づかなかったようだ。


「め、盟友? あー、会議ね、会議。ちゃんと覚えてるわ。でも、絶対に行かないといけない? いっつも似たような話ばっかりで……どうせ、前の計画の確認だけでしょう? いま私は信仰を集めるのに忙しいのだけど……」

「おまえな……。世界を救う為にも、『理を盗むもの』の魔石を集めるのはいいことだって、協力を約束してくれただろ? これだけは手を抜くな。頼むから」


 シスは会議を面倒がった。

 だが、彼女の保護者と化しているディアがあやしてくれる。


「シス。ここは俺に任せて、行ってこい。約束は大事なことだぞ」


 その背中を押す。

 出席を促されたシスは少しだけ悩んで、嬉しそうに踏ん反り返る。


「むぅ……、そこまで盟友たちに頼まれたら……仕方ないわね! そこまで、この私が必要なら! このシスが! ふふっ!」


 シスは神殿の仕事をディアに任せて、周囲の人々に惜しまれながらも動き出す。


 ――ちなみに、ディアは今回の『ファフナー・ヘルミナ確保計画』に関わらない。


 理由は多々ある。


 『血の力』を相手には、少数精鋭のほうが有効ということ。

 それと、すでにファフナーを相手に圧勝していること。


 大聖都での戦いでは、もし陽滝の介入がなければ、ディア・マリア・リーパーの三人パーティーだけで『血の理を盗むもの』は確保できていた。ディアの魔法《シオン》だけで拘束できるのは確認済みの上に、いまの彼は弱体化しているという情報まである。

 なにより、一番の理由は、いつだって『理を盗むもの』との戦いでは話し合いが大事だということだ。


 『血の理を盗むもの』戦は「ボスと戦いに行くのではなく、ファフナーとヘルミナという二人の人間を救うこと」に主眼を置いている。

 だから、『一次攻略隊』は千年前のメンバーだけで組まれ、血の気の多い面々は『二次討伐隊』に回っている。


「あ、カナミ……。ちょっと待ってくれ……」


 そう決まっていたのだが、思うところがある様子のディアは僕を呼び止めた。

 魔力の腕を伸ばしつつ、次の言葉を言いよどむ。


「その、えっと……」


 ディアは戦いの心配はしていないだろう。

 それでも、それ以外の面で、色々と心配をしてくれている。

 そのディアの頭に、僕は手を置く。


「ディア、心配は要らない。ファフナーとは、シスとディアみたいに『友達』なんだ。あの日・・・、施設の案内を頼んだときから、僕たちは対等な『友達』だった……。だから、いままでのみんなと同じように、笑って別れられると思う」

「あ――」


 撫でられて、ディアは嬉しそうに目を細めた。


 しかし、まだ心配の全てを拭えないようで、微笑を浮かべながらも少し悲しそうな顔をしている。

 僕の向こう側にいる魂を見ているとわかり、すぐに僕は答える。


「〝大丈夫だよ。――ディア、笑って。私はディアの笑顔が見たいな〟」


 ディアも、ラスティアラのことは大好きだった。

 だから、ディアが本当に安心するには、心の支えだった彼女からの言葉も必要だろう。


「もし、ここにラスティアラがいたら、そう言うと思う。……楽観的なやつだしね」


 そう付け加えて、僕は笑った。

 その僕にディアは驚きつつ、顔を赤らめて、一応名前の確認をする。


「カナミ……? す、凄いな……。声真似というか、振動魔法の一種か? 本当にラスティアラが、いま、そこにいたみたいだった。あのラスティアラが――」

「魔法じゃなくて、スキルかな? 実は、僕の両親は演技と歌手のプロで、声に関する訓練を子供の頃から受けてたんだ」

「そうだったのか……。どうりで」


 どうりで?

 わりとショッキングな事実が待っている気がするので、聞き返さないでおこう。


 ただ、いまの一連の会話で、少しだけディアの顔が晴れたのは見て取れた。

 一旦僕はディアと別れる。


「カナミ、悪い。明日、また会えるってのに引き止めてしまって……」

「それじゃあ、行ってくるね……。また明日」


 これから『ファフナー・ヘルミナ確保計画』の最終確認を終えれば――予定していた復興作業の大体が終わりを迎える。


 そして、久しぶりに固まった自由時間が手に入る。

 その休暇期間をディアは楽しみにしてくれているようだ。

 もちろん、僕も楽しみにしている。里帰りの詳しい話とか、すごく聞きたい。


 まだ互いに色々と話したいことはあったが、それは休日に取っておき、僕は壇上から降りて、神殿から退出していく。

 その別れ際、シスがディアに向かって手を振って――


「我が巫女! あとは頼んだわよ!」

「……ああ、任せとけ」


 その巫女という呼称を、ディアは否定しなかった。

 続いてシスは、僕とライナーの前に立って、先導していく。


「さあ、行くわよ! 二人とも遅れないように、ついてきなさい!」


 それにライナーは「遅れかけてたのは、おまえだろ……」と反論して、シスから「今日も、この生意気な子がいるのね。ちっ」と舌打ちを、また打たれる。


 些細な喧嘩を二人が隣で始めるのを見守りながら、僕は歩いていく。

 懐かしさと新しさの入り混じる大聖堂の中を――



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