403.詰める


 僕が歩き出したのを見て、陽滝も合わせて前に出た。


 剣戟が再開され、陽滝のとどめも始まる。

 ただ、選ばれたのは『陽滝の剣が僕の腕を斬り飛ばす未来』ではなかった。『光の理を盗むもの』ノスフィーの力によって、僕の身体も陽滝と同じく、首を飛ばしても無意味だからだ。


 だから、選ばれたのは『互いの剣が交差する未来』。ただ、今度は陽滝の氷の剣に《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》が乗っている。


 軽く接触するだけで『過去視』は発動し、僕は強制的に視せられることになる。

 頭の中の本棚から、過去の記憶を掘り出されていく。



〝――『運命の日』。

 フーズヤーズ城の『頂上』で、妹と僕は再会した。

 それは異世界での最大の目的を果たした瞬間でもあった。しかし、喜ぶよりも先に、僕は『話し合い』を選ぶ。

 もう隠し事はしないと付け加えて、長い異世界の物語の『答え合わせ』を僕たちは始めていく。

 それを聞けば終わるとは、わかっていた。けれど、最後まで諦めないという生き方を、この新しい世界で亡くした新しい家族たちに僕は教えてもらった。

 だから、もう二度と逃げないと心に誓って、聞く――〟



 『運命の日』という題名の本が開かれた。

 そして、弾き合った水晶の剣と氷の剣が、弧を描き、もう一合。

 一合につき一頁、捲られていく――



〝――どうして、父と母はいなくなったのか?

 どうして、僕は死ぬ瞬間まで、大事な家族の記憶を思い出せなかったのか?

 再会した妹に、僕は聞いた。しかし、妹の返答は――

「いま知っても、無意味です。もう兄さんには、どうしようもないことです」

 その冷たさが、全ての答えでもあった。

 大切な質問に答えようとしない妹に、僕は激昂していく。

「無意味なわけあるか……! 僕にとって、父さんは大切な人だった! その父さんと和解した記憶を、おまえは奪った!」

「兄さんには、もう大切な人なんて必要ないからです。私たち兄妹は、私たち兄妹だけいればいい」

「大切な人が必要ないなんて……、そんなわけないだろ! たった二人だけで生きて、その先どうする!?」

「『不老不死』となった私たちに、大切な人たちはついてこれないんです。これから先の長い長い旅には、もう誰も――」

 陽滝は話しながら、中央の吹き抜けから階下を睨んだ。その視線の先にいるであろう大切な仲間たちも「ついてこれない大切な人たち」の中に入っているとわかり、僕は叫ぶ。

「陽滝、みんなをどうした……!? どうして、いまここにみんなはいない!?」

「……ふふっ」

 ただ、その質問に返ってくるのは、陽滝の冷笑だけで――〟



 二合、三合と、剣が触れ合う度に『過去視』は進む。


 陽滝の言ったとおり、ほぼ同じ問答を、すでに僕たちは終えていた。そして、それはいかにして僕が敗北するかの『答え合わせ』でもあった。


 正直、この先は見たくない。

 そう僕が願っても、陽滝の《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》の剣を受け続ける限り、『過去視』から逃れることはできなかった。


 また剣と剣が弧を描き、一合。

 一頁ずつ、捲られる。



〝――『話し合い』の中、僕はラスティアラの死を知らされる。

 そして、その理由を知る為に、僕は妹と戦うことを選んだ。《ディフォルト》の押し合いから始まり、『剣術』勝負を通して、『未来視』の競い合いが行われていく。その剣戟の最中、陽滝は僕の目を見つめながら、優しく微笑む。

「安心してください、兄さん。この異世界に『たった一人の運命の人』を置いていくことで、もう二度と『呪い』に悩まされることがなくなりますから」

「くっ……!」

 過去のトラウマに怯えて、僕の手は震えていた。

 しかし、もう決して諦めないと、この『頂上』で分かれた家族たちと、僕は約束をしていた。だから、前に進む。何が合っても、前へ前へ前へと――

「置いていくわけない……! 僕がラスティアラを忘れることだけは、絶対にない!!」

「ええ。『次元の理を盗むもの』の性質上、完全には忘れることはないでしょうね。……ただ、薄まっていくのは、確か。たった一ヶ月も満たないラスティアラとの思い出は、これから『永遠』を生きる兄さんの中で、どうしても希薄なものとなっていく」

 戦いの中で、僕は陽滝の目的を少しずつ知っていく。

「事実、いま兄さんは元の世界の『両親と湖凪さんの思い出』が薄まってきています。この異世界で得た『ラスティアラとの思い出』が、塗り潰してしまったからです」

 同時に、そんなことのためにノスフィーを犠牲にして、僕を『不死』にしたとわかり、抑えようのない怒りが膨らみ始める。

「それと同じように、次は『私と二人きりの日々』が『ラスティアラの思い出』を塗り潰すでしょう。兄さんの精神こころがラスティアラを失った悲しみを乗り越えるまで、何度だって繰り返すつもりです。それができる時間を、今日、兄さんは手に入れた。今回のような千年の物語を、『永遠』に繰り返してもいい時間を――」

「ふざけるな!! 陽滝、そんな未来はない! 今日、ここで僕たちは終わりだ! ――僕たち兄妹は、もう終わらないと駄目だ!!」

 僕は相討ちを決意した。

 ただ、陽滝と袂を別ちながらも、まだ僕は『話し合い』を止めない。戦いつつも、どうにかして「なぜ、そんなことを陽滝はしたのか」を知りたかったからだ。ただ、その質問にだけは、絶対に陽滝は答えようとしない。

「ええ。兄さんが勝てば、終わりですよ。もし、私に勝てれば――」

 相討ちの決意も何もかもが、その手の平の上だと言うように、また笑うだけだった――〟



 本当に、全く同じ戦いだ。

 そして、いま僕が陽滝と行っている剣戟の終わりも、その『過去視』には含まれていた。

 あの日の結末を、やっと僕は知っていく。



〝――兄妹の戦いは終わった。

 いや、厳密には、戦いになっていなかった。陽滝が相手に合わせていたおかげで、そう見えただけ。この戦いは最初から結末が決まっていた。いつだって、最後の頁は【相川陽滝には誰も勝てない】と、世の理からして定められていた。

 結局、僕は次元魔法も『剣術』も『未来視』も『過去視』も、全てを真正面から打ち破られて、完全敗北した。

 その前のめりに倒れていく僕の身体を、陽滝が抱き止める。

「どうして……、陽滝――」

「……私の勝ちです」

 とどめは《ディスタンスミュート》だった。陽滝の腕が胸に差し込まれて、身体の芯から魔法の冷気で凍りつかされていく。徐々に僕の意識が遠のいていく中、陽滝の呟き声が聞こえる。

「これから、この異世界は凍ります。私たちの世界と同じように、もう二度と冷めることはないでしょう。ただ、一つだけ……兄さんのおかげで、救いがあります。――《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》」

 かつて僕が作った魔法が、ここで使われた。

 あの冬の魔法が、『本土』の空を覆っていく。『世界』が陽滝の支配下となっていく。

「この優しい『夢』を通じて、全ての『魔の毒』が兄さんのものとなる。……元の世界と比べれば、こちらの異世界は『相川渦波に救われた』と言っていいと思います」

 そんな訳がない。そう悪態をつこうとしたが、僕の口は凍りついて動かない。もはや、敗者には言葉すら許されていなかった。

 そして、勝者は相川陽滝、唯一人。

 彼女の魔法が『世界』全てを呑みこんでいく。

 その『運命の日』、フーズヤーズ城の戦いで、相川陽滝には誰も勝てなかった――〟



 先んじて戦いの結末を見せられ、僕の剣は鈍る。

 どれだけ抗っても、最後に僕は負けると知ってしまった。

 僕は心を持ち直そうと自分を叱咤するが、容赦なく『過去視』は続けられる。



〝――こうして、異世界は陽滝の《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》に包まれ、『糸』という鎖に繋がれた。

 『異邦人』に侵略されたことに、誰も気づけない。

 少し肌寒いけれど平穏な『夢』を、人々は視続ける。

 ただ、その中で、僕だけは偶に意識を取り戻すことがあった。

 陽滝の《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》に不備があったわけではなく、ただ単純に『妹との偽りの日々』や『記憶が欠けている幸せ』に慣れていたおかげだろう。

 違和感に気づいて、反逆できることが何度かあった。ただ、『運命の日』と全く同じ問答を、僕は繰り返してしまう。

「――陽滝、どうしてこんなことを!! もう止めろ!!」

 何度も挑戦する。そして、いつも結末は同じだった。妹は全く同じとどめをして、溜息と共に宣言していく。

「……はあ。また私の勝ちです」

 胸に《ディスタンスミュート》を差し込まれた僕は、再び凍結されていく――〟


 そんな敗北の頁が、いくつもあった。

 僕は何度も目覚めては――その度に、相川陽滝に挑戦して、負けていたとわかる。


 どの戦いでも、全く同じ負け方をしていた。

 記憶を奪われてしまっているせいで、いつも戦術が同じだからだろう。


 だから、何度も目覚めては、何度も挑んで、何度も負け続ける。

 何度も何度も何度も、繰り返して繰り返して繰り返して――


「――無駄という意味が、わかってくれましたか? 絶対に兄さんは、私に勝てません」


 十合近く『過去視』したところで、急に剣戟が止まった。

 そして、陽滝は降参を促すように、つい先ほどの言葉を繰り返す。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……。同じ負けを、何度も……」


 息が切れる。

 身体がふらつく。

 魔力と体力の消耗ではない。

 負ける自分を繰り返し見せられたことによって、精神が疲弊していた。


 《ディフォルト》や『未来視』の競い合いではびくともしなかった心身が、たった数秒の剣戟で崩れかけている。


 いま僕が倒れていないのは、ひとえに陽滝の配慮だろう。どうせ負けるのだから、早々に敗北を認めたほうがいいと、妹に気遣われているだけだ。


「ええ、兄さん。全く同じ戦いを、すでに私たちは終えているんです。だから、今回の戦いも、全く同じ『最後の頁』を迎えることでしょう。……もう無意味な戦いは、やめませんか?」


 強制的に相手の過去トラウマを掘り起こす《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》は、本当に恐ろしい魔法だ。


 いまさらながら、『風の理を盗むもの』ティティーに勝てたのは、この反則的な魔法のおかげだったと痛感する。


「無意味……? 無意味だから、どうした……!」


 ただ、それでも折れはしない。「どれだけ頑張っても、全て無意味」なんて、あの馬鹿ラグネと戦ったときからわかっていたことだ。


 剣は手離さない。

 退くのではなく、一歩前に出る。

 前へ前へ前へと、進み続ける。


 その姿を見て、陽滝は目を見開いて、驚き――笑みを浮かべた。

 僕の無駄な努力を嘲笑ったのかと思ったが、違った・・・


「はい、違います・・・・。……嬉しいんです。ただただ、嬉しいです。だって、もう兄さんは逃げない。壊れない。死なない。無意味とわかっていても、何十回、何百回……いや、何万何億でも! 『永遠』に! 挑戦し続けることのできる精神こころを手に入れた! その強さこそ、ずっと私が兄さんに求めていたもの!」


 歓喜していた。

 ただ、すぐに僕は陽滝の評価を否定する。


「違う……! いま僕が諦めないのは、無意味であることを受け入れたからだけじゃない……! 前に進んだ分だけ未来は変わるかもしれないって、やっと信じられるようになったからだ! ノスフィーたちのおかげで!!」

「……へえっ!」


 陽滝は否定し返すことはなく、珍しく感心した様子を見せた。

 それは『対等』じゃないからこその反応だった。遥か上から見下され、「それでこそ、兄さん。より『理想』の主人公らしいですね」と拍手されているかのように感じた。


「陽滝、僕に降参はない! とどめに来るなら、さっさと来い!!」

「ふっ、ふふふ……、あはっ、ははははは!! い……。ああ、目に見えて、兄さんが良くなってる……!」


 とうとう陽滝は我慢し切れずに、大笑いした。

 千年以上もの時間をかけた計画が実る瞬間を前に、興奮し切っているのだろう。それは陽滝の見ている『最後の頁』――『相川陽滝が勝利する未来』まで、あと少しいうことでもあった。


「ええ、あと少し・・・・! 本当にあと少しで、私と兄さんは一緒!! その『対等』な『私の兄さん』さえいれば、もう私は他に何も要らない!!」

「『おまえの』じゃない!! 相川渦波ぼくは『ラスティアラの』『たった一人の運命の人』になった!!」


 心を読まれ続けている。


 けれど、怯むことなく叫び返し、剣を手にして、身体から魔力を搾り切り、魔法を紡ぐ。戦いの結末が視えていても、僕は全力で戦い抜く。


「――魔法《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》!!」


 陽滝に勝つ未来を、魔法で手繰り寄せる。


「――《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》!!」


 もちろん、合わせて、陽滝も同じ魔法を使った。


 より濃い魔力とより精密な魔法で、僕の『未来視』を真っ向から包み込んでくる。

 先ほどの《ディフォルト》の押し合い以上に、周囲の景色が歪んだ。あらゆる可能性を秘めた未来が、僕の視界に重なっていくのが視えた――けれど、その全てが陽滝の魔力によって、一瞬でたった一つの未来に染まっていく。


 僕は『未来視』を使ったが、『全く同じ負け方をする未来』しか視ることができなかった。


 結果、僕の振り抜いた『アレイス家の宝剣ローウェン』は紙一重のところで、陽滝の肉体には届かない。

 対して、陽滝の振り抜いた『天剣ノア』は見事に、僕の肉体まで届く。


 完全に剣が胴体に入り込んでいた。

 しかし、斬り裂かれてはいない。いまの陽滝の剣には、《ディスタンスミュート》が乗っていた。


 やはり、とどめは、先ほど『過去視』で視たのと同じだった。

 胸部に《ディスタンスミュート》の剣が差し込まれ、身体の芯から魔法の冷気が発生していく。

 そのゼロ距離の魔法に、抵抗は不可能。

 僕の全身が凍りついていく中、陽滝は呟く。


「だから、無意味と言いました。……同じです」


 その冷気は、僕の意識を徐々に遠のかせていく。

 抗いようのない魔法の眠気が襲ってきた。

 どうにか振り払おうと、腹の底に力を込めるが――


「ぁ、が、ぁあァ……」


 声すら出ない。

 悪態をつく権利を失ったことで、いま完全に敗者になったことを実感する。


「ただ、今回は確かに、全くの無意味というわけではありませんでしたね。兄さんの精神こころの成長具合から、あと少しとわかったのは大きいです。……予定通り、レベル99に間に合いそうで、私は一安心しました」


 勝者は悠々と感想を述べていく。

 戦いの軽さを示すように、これからの予定を余裕を持って見直していく。


 その余裕を奪いたくて、堪らなかった。しかし、その力が湧くことはない。『氷の力』による『静止』が、あらゆる僕の力を冷ましていく。


「ァ、あぁァ――」


 身体から全ての力が失われて、ついに僕の膝は折れた。

 前のめりに倒れていく僕の身体を、陽滝は『天剣ノア』を地面に突き刺して、両腕で受け止めた。まるで母親のように優しく抱いて、また冬の魔法を唱えていく。


「――《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》」


 陽滝は目を瞑り、魔法に集中する。

 次に僕が目を覚ましたときは、全ての辛いことを忘れて、夢のような幸せの毎日を過ごして欲しいのだろう。その真剣さと優しさが、彼女の両腕から伝わってくる。


 ――ただ、その優しさは本当に冷たい。


 骨の髄まで凍りつく。

 息は浅くなり、目が霞んでいく。

 ここで気を失えば、あの優しい冬の世界に僕は戻される。


 だから、いま頭の中に思い浮かぶのは、連合国で妹と共に過ごす穏やかな日々――


 ではなく・・・・、敗北の間際でありながら、僕は遊戯盤ボードを思い浮かべていた。

 それはチェス盤に少し似ているけれど、全く大きさの異なる盤。

 8×8マスどころではない。遥か地平の先まで続く、大きさだ。傷だらけの罅割れだらけで、あらゆるところに白い霜が張っていて、まともに遊べそうにない。


 その盤上で、たくさんの駒が倒れている。

 僕だけじゃない。ラスティアラだけでもない。

 いましがた倒れたライナーの駒。その少し後ろには、ディア・マリア・スノウといった仲間たちを含めた『南北連合』の精鋭たちの駒。この世界を生きる全ての人々が全て、駒として扱われては、例外なく倒れていた。


 ――いや、正確には、倒されていた。


 その駒たちを倒れるように動かしたのは、あの『運命の赤い糸』。


 彼女の次の指し手を思い浮かべた瞬間とき、目の前の陽滝は溜息をつこうとしていた。

 何度も繰り返してきた勝利の宣言を、いま口にしようとして――


「……はあ。また私の勝――」


 言い終える前に、陽滝の胸から、剣の切っ先が・・・・・・生え出ていた・・・・・・

 『天剣ノア』が胴体を貫き、その勝利宣言を止めた。



(――千年。全ての『糸』は、この瞬間・・・・の為に――)



 勝利宣言の代わりに、ティアラの声が聞こえる。

 その発生源を、微かに残っていた《ディメンション》は捉えていた。


 先ほど、陽滝は僕を抱き止める為に、凍った『天剣ノア』を地面に突き刺した。その地面から、染み出るように真っ赤な血が湧き出ているのが見えた。


 その湧き出る血が模るのは『糸』でなく、『人形ひとがた』。

 『血の理を盗むもの』ファフナーと同じ力で、海から這い上がるように『血の人形』を現させて、突き刺さった『天剣ノア』を引き抜いたのだ。


 刀身を覆っていた真っ白な霜は、いつの間にか剣自身が吸い込んでいた。

 その仕組みに、心当たりがあった。

 千年前の『魔力を吸収する鉱石』だ。

 『神鉄鍛冶』の当初の目的である「相川陽滝の『魔の毒』の吸収」が、この千年後に達成されていた。


 それを可能とする『術式』が、『天剣ノア』には隠されていた。

 試作品の『ルフ・ブリンガー』が『闇の理を盗むもの』ティーダの『魔の毒』で染まったように、『天剣ノア』も陽滝の『魔の毒』で染まる。


 冷気を帯びた新生『天剣ノア』は、完全に『水の理を盗むもの』の力を宿している。


 ようやく、真の一振り・・・が完成した。

 そして、その『陽滝姉の為の武器アイテム』が、いま、陽滝の胸を刺し貫いている。


 もちろん、それだけで終わりではない。

 『天剣ノア』には、この瞬間の為に用意された『術式』が他にもある。

 なにより、千年も積み重ねた『代償』が乗っている。

 それを陽滝の体内から、発動させれば――



「――不正解です・・・・・。『私の』可愛いティアラ」



 ――と、そこまで詰めて・・・何も起こらない・・・・・・・


 陽滝は自分の胸から生え出た『天剣ノア』の切っ先を掴み、再度凍結し直しながら笑っていた。先ほどのライナーの『風の腕』が凍ったときと同じように、『血の人形』が真っ白な霜に覆われていく。


 陽滝は僕の身体を地面に横たわらせたあと、ゆっくりと身体を前に動かして、突き刺さった『天剣ノア』を抜いて立ち上がる。

 凍った『血の人形』に向き直り、『答え合わせ』を行なっていく。


「いい手ですね、ティアラ。一度、奇襲を失敗させて、次の奇襲への警戒を薄める。とても正しい『未来視』対策ですね。……ただ、私の魔力を利用するのも含めて、どれも正攻法過ぎます」


 陽滝の力で陽滝を攻撃することで、【相川陽滝には誰も勝てない】という理をすり抜けようとしていた。

 本好きのティアラならではの発想で、記述の穴を突いたはずだったが――それは、正攻法ありがちという評価に終わる。


 陽滝は手の平をかざして、『血の人形』を『静止』させつつ、千年前の旧友の戦術を採点していく。


「私には読めない地下で、色々とやっていたのはわかっていました。『影慕う死神グリム・リム・リーパー』の童話を参考にして、聖人が『再誕』する伝説を大陸に広めたのでしょうが……それでは、いつか魔法となって背後を突くと、私に言っているようなもの」


 ここまで全てが『ヒタキの』脚本通りであり、対策はされていたと、無慈悲な解答が伝えられていく。


「ティアラ……。どうやら、あなたが私と『対等』になることはなかったようです。……私の『最後の頁』よりも先に、あなたの『最後の頁』がやってきた。これで、長かった『決闘』も、真の意味で終わりを迎える」


 そのまま、陽滝はかざした手に《ディスタンスミュート》を纏わせて、凍りついた『血の人形』に突き刺した。


 魔石を取り出した瞬間、『血の人形』は光の粒子となって消えた。手に持っていた『天剣ノア』も、からんと地面に落ちる。


 陽滝の手の中では、赤黒い魔石が輝いていた。

 『理を盗むもの』に匹敵する濃さから、いま取り出されたのは『ティアラの魔石たましい』であると確信できる。

 その『魔石たましい』を、陽滝は――


「さよなら、私の可愛いティアラ」


 凍らせて、強く握り締めて、砕いた。

 ティアラの『魔石たましい』が、雪の結晶のように粉々となって、地面に舞い落ちていく。


 『次元の理を盗むもの』の感覚からしても、千年前の記憶の情報からしても、いまティアラが完全に『世界』から消え去ったとわかった。

 これで、もうティアラは蘇らない。


「これで、完全に……、終わりですね……。この『世界』には、もう駒が一つも残っていない」


 陽滝は歪んだ空を見上げて、話す。

 『世界』に向かって、言い聞かせていく。


「――世界の敵わたしを討つために用意されていた『元老院』は倒れた」


 いま陽滝も、あの広い盤面をイメージしているのだろう。

 駒という表現を使って、倒れていった脅威を一つずつ確認していく。


「――使徒の力を受け継いだ『パリンクロン・レガシィ』も、異邦人を殺す為の刃『ラグネ・カイクヲラ』も倒れた。レヴァン教の力を一つに集める器『ラスティアラ・フーズヤーズ』も、その仲間たちも、『南北連合』を含めて、全員が倒れた。未来を変えられるはずだった『ライナー・ヘルヴィルシャイン』も、最後の希望となっていた『兄さん』も――」


 その終わりに視線を落として、いま散っていった魔石の欠片を見つめた。


「その全員を用意して、裏で操っていた『ティアラ・フーズヤーズ』本人すら、いまここに倒れた。それは、この世界の代表である指し手が敗北したということに他ならない」


 全ての駒が倒れたのを確認してから、かつてなく寂しそうに勝利宣言を終わらせる。


「……私の勝ちです。報酬として、この『世界』は私のもの」


 『切れ目』の奥から返答はなかった。だが、否定されようがない。誰がどう見ても、一人勝ち残った陽滝こそが、『世界』の支配者だった。


 勝者の陽滝は「……はあ」と溜息をつきながら、凍り切った世界を歩き出す。自分が勝利したのは当たり前といった様子で、たった独りで、つまらなそうに――


「最初から、わかってました。この異世界に訪れた日から、ずっと……。この一文を、先に私は読んでいたのだから……」


 呟く。


 それが初めて聞く妹の本音であり、弱音・・のような気がした。


 そして、陽滝は友人だったはずの少女の遺品を手に取って、まじまじと見つめる。

 今度は氷で封印することはない。

 戦いが終わった今、腰を据えて、内部を確認しているのだろう。


 ただ、その行動こそ、陽滝の中で戦いが完全に終わったことを意味している。


「…………? こんなものが『天剣ノア』? 大それた名前がついている割には、余り大したことがない……。おそらく、私たちの世界の『ノアの方舟』の話から、この命名をしたはず。けれど、魔力吸収の性質を隠す『術式』はあっても、基本はただの壊れない剣。隠し『術式』が他にも、一つや二つくらいあっても、おかしくは――」


 ようやく、陽滝にとっての『異世界の物語』は終わった。

 長い長い千年越しの『決闘』が終わって、本は閉じられたと言っていい。

 残っているのは、もう後処理だけ。

 早く終わらせて、次の『異世界の物語』に移ろうと――



 ――あの陽滝が、勘違いしていた・・・・・・・



 すぐ近くで倒れている僕は、遠のく意識を必死に繋ぎ止めながら、確認した。


 陽滝はティアラの口にした「この瞬間・・・・」の意味を、完全に履き違えている。

 そう確信できるのは、陽滝が勘違いしているところを《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》の中でも一度見たからだろう。


 陽滝も同じ人間。

 数多くの反則的な力があっても、僕たちと同じように考えて、選んで、戦って、生きている。

 決して、例外というわけではない。

 つまり――


 どんな反則的なスキルや魔法も術者次第という基本ルールに、陽滝も準じている。


 だから、『天剣ノア』が切り札とは知っていても、その詳細・意味をわかってない。

 いつも『最後の頁』しか読んでいないからだ。

 陽滝自身、「自分は『世界という本を逆から読めるスキル』を持っていて、もったいない真似をしている」と言っていた。


 間違いなく、陽滝は物語の途中を読み飛ばしている。

 だから、齟齬が発生する。

 同じ本を読んでいても、その感想が異なっていく。


 ――その齟齬が、唯一の隙となる。


 ティアラは「この瞬間・・・・」の為に、僕に記憶を視せたのだろう。

 たとえ僕の身体が芯まで凍りついてしまっても、動ける『おまじない』をかけたのだろう。


ラスティアラ・・・・・・――」


 その『お呪い』の名を口にして、僕は彼女の顔を思い浮かべる。


 この戦いが始まる前から、もう僕はラスティアラしか見えていない。目を開いていても、閉じていても、ずっと彼女だけを見て、前に進んできた。


 ――もう『次元の理を盗むもの』カナミは、そういう『未練』で動く『化け物』となってしまっている。


 だから、凍りついて軋む上体を、強引に起こせた。

 棒のように硬い右腕を杖にして、立ち上がれた。

 ただ、剣を握る力はないから、地面に落としたローウェンは拾えない。魔力は動かないから、『未来視』なんて便利なものもない。『過去視』の繰り返しで、心身はバラバラ。どのスキルも、もうまともに使えそうにない。けれど、左手にある『彼女ラスティアラ』だけは離していない。


 本だけを手にして、一歩二歩三歩と、前に進む。

 『天剣ノア』を調べている陽滝の背中に近づく。

 ゆっくりと右手を持ち上げて、伸ばした。


 もちろん、その手には、何の力もこめられていない。

 剣も魔法もない。

 全く無意味な手。

 もう戦いになんてなりようがない。

 だからこそ、何の警戒もなく――


「兄さん……? どうしました?」


 振り返った陽滝は、肩に手を置かれるのを受け入れた。


 さらに兄を心配して、優しい声まで出した。

 戦いではないからこその反応だろう。


 こうして、何年かけても届く気がしなかった陽滝に、あっさりと触れて、掴むことに成功する。


「いや……、いま、何を見て――」


 すぐに陽滝は何かに気づいた様子で、虚ろな僕の目の先に顔を向けた。

 そして、その先に立っていた人物を目にして、驚く。

 僕の視ている『お呪い』ではなく、その確かな『本物』を見て――


「あ、ありえない……」


 ――ラスティアラ・・・・・・フーズヤーズが・・・・・・・大聖堂の庭に・・・・・・立っていた・・・・・


 誰も入れないはずの《トルシオン・フィールド》の中で、しんしんと降り積もっていく雪を背にして、その金砂のような長髪を揺らめかせている。

 陽滝は心底驚いていたが、すぐにラスティアラが現れた理由を察する。


「あの地下からここまで、歩いて……? 中身は……、ティアラ?」


 戦いの直前、陽滝はラスティアラの死を悼んでいた。

 『呪い』を果たした少女に敬意を持って、『糸』の外にある地下空間で、静かな眠りにつかせてあげようとしていた。


 その地下空間にあった死体を、ティアラが運んだのだと、瞬時に陽滝は見抜いた。

 ただ、その答えに達したものの、まだ納得し切れない様子だった。


 地面にばら撒かれた魔石の残骸に、目を向ける。

 あれは確かに、ティアラの『魔石たましい』だった。そして、いま目の前にいるラスティアラの遺体にも、確かにティアラの『魔石たましい』が入っている。


この瞬間・・・・とは――」


 その意味を陽滝が理解する前に。

 ラスティアラの口から、ティアラの言葉が漏れる。


「――私も含めて・・・・・、世界の駒を全て捨て切った瞬間――」


 その手には何も持っていない。

 奇襲をする様子もない。


「この『最後の頁』――、その続きを、ずっと私は信じていた――」


 けれど、武器がないわけではない。

 身体から白虹はっこうのように輝く『星の魔力』が溢れ出ていた。

 その魔力で、すぐにティアラは魔法を唱える。


「――神聖・・魔法《レヴァン》」


 以前に視た《レヴァン》とは別物だ。


 ――ここからが、本当の魔法・・・・・


 魔法《レヴァン》。

 魔法《ライン》。

 魔法《ティアラ》。

 の続きだと。

 そう思わせるだけの違いが、いまの彼女にはあった。


 けれど、向かい合う陽滝は落ち着いていた。

 まだ動揺はない。

 この程度、まだ後処理の一部に過ぎないという絶対的自信が、表情から窺えた。


 その陽滝の肩を掴んでいる僕は、『理を盗むもの』代表として、みんなの本当の魔法を構築していく。

 僕たちにとっては、ここからが本当の詰め・・となる。


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