402.背比べ



 舞台は整い、戦いが始まる。


 そのとき、陽滝の表情には余裕があった。

 魔法の擬似的なものとはいえ、空気中にあった無数の神経を引きちぎられて、未だ薄らと笑みを浮かべ続けている。


「ふふ。この大きな《トルシオン》は、一度出れば二度と戻って来れない仕組みですね。いい魔法です。……これで存分に二人で戦えます」


 彼女の見上げる空は、次元魔法によって水に浸しすぎた水彩画のように滲んでいた。


 その滲んだ空に、引きちぎられた『糸』が光の粒子となって降り注いでいる。本当の雪と魔力の雪が混ざり合って、煌きながら揺れ落ちて、地面に染みこんでいく。


 その新たな領域テリトリーを二人で眺めつつ、戦いの準備が終わったことを頷き合う。


「ああ、これで存分にれる。……そろそろ僕も、新しい魔力に慣れてきた」

「では、まず軽く運動してみますか? ……昔みたいに。また兄妹一緒に」


 本当に嬉しそうに笑う。


 その陽滝に向かって、僕は『アレイス家の宝剣ローウェン』を右手に持って近づく。

 彼女も全く同じ形状の剣を氷で生成した。


 ――やはり、戦い方を合わせる気だ。


 その余裕を崩すべく、間合いに入った瞬間、僕は剣を全力で真横に振り抜いた。

 陽滝も全く同じタイミングで剣を振った。


 鏡に映るかのように、二つの一閃が打ち合わされる。

 同時に、互いの足元で風が生まれる。

 地面に積もった雪が吹き飛び、さらに舗装された地面に亀裂が入った。


 度重なる『魔力変換レベルアップ』によって僕たちは、もう人間の範疇内になかった。

 手足の中に限界まで詰め込まれた『質量を持たない筋肉』によって、『人間大の生き物』同士のぶつかり合いでなく『巨大な化け物』同士のぶつかり合いとなってしまっている。


 続く二閃目は、お互いにくうを切った。

 斬り上げた二つ剣の圧が、そらまで届き、覆っていた雲が三つに裂かれる。

 三閃目の横薙ぎも、互いの身体に届くことはなかった。


 その三合で、『剣術』のみならば、僕と陽滝の間に大きな差はないと感じる。

 もちろん、『アレイス家の宝剣ローウェン』の補助あっての話だ。なにより、先ほどの『過去視』で、ラスティアラの『剣術』を視たのが大きい。


 彼女の剣は最終的に、この世界を生きた人々の歴史そのものとなっていた。

 あれは『ローウェンの生きた千年前』と『僕たちの生きている現代』の間にある『空白の千年』が詰まった剣だった。

 その空白の千年が、僕の『剣術』に加算され、力となってくれている。


 つまり、ローウェンから受け継いだアレイス流『剣術』の続きを、いま、僕が書いているということ。

 ラスティアラの遺言どおりに、みんなの続きを僕が紡いで――


「懐かしいですね、兄さん」


 『剣術』勝負によって、互いの集中力は際限なく高まっていく中、陽滝の声が耳に届く。


「懐かしい……?」

「ええ。昔もこうやって、二人で運動しました」


 そう言われて、僕は過去を思い出す。


 千年前よりも昔、元の世界の記憶。

 幼少の頃も確かに、こうやって僕たちは競い合っていた。


 だだっ広い運動場で、身体測定も兼ねて、二人で運動能力を比べ合った。

 あのときも、雪が降っていた気がする。

 季節は冬で、金に物を言わせて貸し切った運動場は白く染まっていて、いくつもの足跡を二人で作った。


 幼い僕が父と母に認められたくて、世界で『一番』になろうと必死だった時期だ。

 そして、僕よりも少し上の結果を出し続ける陽滝が、いつだって隣に居た時期でもある。


「ただ、一度も兄さんは私に勝ったことがない。ただの一度も」


 その事実を、陽滝は剣に乗せて振る。


「…………ッ!!」


 剣は弾いた。

 だが、彼女の言葉は防げない。


 だから、過去の敗北が頭によぎる。

 こんなときだというのに、幼少の自分の物語を、いま少しだけ読み返す。


〝――何度も僕は負けた。

 真っ白な運動場に一人残り、膝を突いて泣いた。

 そして、両親はヒタキばかりを褒め続けていた。両親はカナミの不甲斐なさを叱り続けていた。だから、僕は妹を恨んだ。

 どうにかあいつに勝ちたいと、あらゆる勝負方法で挑んだ。

 何度も何度も何度も、挑戦して挑戦して挑戦して――僕は心を折られる。

 結局、僕は年の離れた妹相手に、何をしても勝てなかった。

 ただの一度も、勝てなかった。

 次第に両親は妹だけしか見なくなり、兄の僕は家の中で『いないもの』扱いとなっていく。そんな昔の辛く、苦しい思い出を――〟


 思い出して、確かに懐かしいと僕も思った。


「だから、今日、僕はおまえに勝つんだ。……ここ・・で」


 そして、力強く剣を振り返した。

 その僕を見る陽滝は、笑みを深める。


「ええ……! だから、私たちはここ・・まで来た。今日という日まで、やって来た。ようやく、今日、ここまで――!」


 家族で共有する思い出を語り合いながら、『化け物』同士の剣戟は続く。

 全く関係のない『異世界』を壊しつつ、周囲の『魔の毒』を食らっていく。


 一歩一歩が大地を砕き、一振り一振りが空を刻んだ。

 大聖堂の庭が、徐々に庭の体裁を保てなくなる。しかし、周囲の被害を気にせず、僕たちは全力で戦い続ける。意識を戦いにだけに集中する。

 戦いつつ、アレイス流の『剣術』を昇華させ続けて、その果てに――


「陽滝ぃっ!!」

「ふっ、ふふ――」


 剣戟の中で、妹の名前を呼んだ。

 もう皮肉めいた軽口は返って来なかった。徐々にだけれども、陽滝も意識を戦いのみに集中していっているように見える。

 僕に同調して、陽滝も名前だけを叫び返す。


「兄さん!!」


 常に冷静で、声を荒らげることのない妹が、形振り構わない返答をしていた。

 その事実に僕は戦いの手応えを感じる。


 ――いま、間違いなく、陽滝は僕との剣戟に集中している。


 互いに勝つだけことを考えて、互いの力が引き出されていく。

 全力と全力が拮抗した戦い。

 その隙を――彼が・・突く・・


「ああ。やっと、この瞬間まで来た」


 ライナーの声。

 いつの間にか、彼は僕の背後にいた。

 その背中から横に出て、この拮抗した剣戟に割り込もうとしている。


「――っ!? また・・……」


 その第三者の登場に、すぐに陽滝も気づいた。

 しかし、そのライナーの登場に驚くことはなく、ただ呆れた顔を見せた。


 また・・同じ奇襲かと、落胆した様子だった。

 それは慣れているし無駄だと、言葉はなくとも表情から伝わってくる。


 水を差された形となった陽滝は、ライナーに目もくれない。

 片腕しか残っていない双剣使いに、全く脅威を抱いていないのだろう。

 僕に意識を集中させたまま、例の自動で動く氷だけで彼を追い払おうとする。事実、その見立ては間違っていないと、仲間である僕もわかっている。


 ただ、僕は感じていた。


 ――ライナーが二つ目の剣を手にする感触を。


 いや、正確にはライナーの肩から生えた風で出来た腕――『風の腕・・・』が、僕の背中から体内に差し込み、次元魔法を発動させていた。


 僕の『持ち物』から勝手に、『天剣ノア・・・・が抜かれる・・・・・

 そのとき、この『風の腕』こそが、死した騎士ハインさんの腕であり、死した『魔石人間ジュエルクルス』ハイリさんの腕でもあり――ライナーが受け継いできた人々の腕でもあるとわかった。


 『風の腕』に通う『血の力』は、一つの頁が読み取れるほどに濃い。


〝――この一振り・・・

 それは新暦3年の時点から、すでに始まっていた。

 あの日からずっと、私は陽滝姉に対抗できる手札として、スキル『神鉄鍛冶』を利用すると心に決めていた。

 だから、陽滝姉が『化け物』になったあとも、師匠が迷宮に呑み込まれたあとも、大陸で国と宗教を興したあとも、独り年老いていっても、ずっと私はスキル『神鉄鍛冶』を鍛え続けた。何年も何年も何年も、ずっとずっとずっと――

 気の遠くなるような鍛錬の終わりに、私は『天剣ノア』という剣を作った。

 ただ、この『神鉄鍛冶』の結晶である剣は、未完成だ。

 あえて、そうした。

 その真の『役割』を隠す為に。

 書き込んだ『術式』を隠す為に。

 積み重なる『代償』を隠す為に。

 あえて、『天剣ノア』が完成するのは、千年後とした。

 千年後に、『私たち』の手で『天剣ノア』は完成に至る。そして、その一振りの剣こそが、きっと『世界』で唯一陽滝姉に届きうる武器アイテムとなる。そう信じて――〟


 その千年前からの届け物を、いま一人の騎士の腕が受け取った。


 そして、『風の腕』が一振りの剣を握り締めて、振り抜く。

 僕の影に隠れたライナーの剣の影に隠れて、拮抗した剣戟の中に『天剣ノア』が交じる。


 まず、当然のようにライナーの奇襲の剣は止められた。

 例の自由自在に動く氷の刃が弾いた。


 そこで陽滝の防御は一旦止まり――しかし、隠れた『風の腕』は止まらない。

 止められた剣の影から現れ、その一振りの剣が奔る。

 合わせて、ライナーは叫ぶ。


「行ってください!!」


 『天剣ノア』が陽滝の氷の防御を越える。


「――なっ!?」


 陽滝は存在するはずのない双剣を目にして、今日初めて驚きの声を口にした。

 僕ですら初めて見る表情だった。


 その反応に、ライナーは笑みを浮かべる。


 きっと彼は信じていたのだろう。

 自分自身の腕は届かない。自分自身なんて、信じられるわけがない。

 しかし、この『風の腕』だけは違う。

 この『少年少女二人の為に』という舞台において、この双剣だけは誰にも負けるはずはない。そう信じて、ライナーは勝利の声を、いま零そうとして――



「よし、決まっ――」

でしょうね・・・・・



 遮られる。

 流れ・・が『静止』する。

 いままでの全ては演技だと言うように、陽滝の表情には余裕が戻っていた。


 さらには、いつの間にか、陽滝の肩から生えた氷で出来た腕――『氷の腕』が、『風の腕』の手首を掴んでいた。

 『天剣ノア』の切っ先は、あと少しというところで届かない。


「なっ――」


 陽滝が演技で零した声を、次はライナーが繰り返す。

 『氷の腕』から白い霜が這い寄り、剣ごと『風の腕』が凍らされていた。

 さらには、その『風の腕』の土台となっていたライナーの身体も、白い霜に侵食されていく。


「ど、どうして……!? あのときと、違――」


 困惑して呟くライナーに向かって、僕は手を伸ばそうとする。

 だが、途端に対面していた陽滝の剣の速度が上がった。


 こちらも全て演技だったと言わんばかりの鋭い剣の動きだった。

 陽滝の剣によって、僕の身体は後方に大きく弾き飛ばされてしまった。


 数メートルの距離が空く。

 そして、僕が顔をあげたときには、もう陽滝は全ての氷の刃を崩していた。その指先で凍りついた『風の腕』を突き砕き、落ちる『天剣ノア』の柄を右手で掴む。


「ライナー君、頑張りましたね。……偉いです。本当に、偉い偉い」


 ライナーは剣を振るう体勢で、完全に『静止』していた。

 陽滝の持つ【水の力】だろう。

 もはや、二度と自力での復帰は不可能とわかる氷結だった。


「あなたというイレギュラーのおかげで、とても掃除がやり易かったです。……感謝してますよ」


 さらに無詠唱の氷結魔法《アイス》を足して、ライナーを綺麗な氷の棺に納めつつ、その批評を続けていく。

 それは、先ほどの千年前から続く頁の『答え』の一つだった。


「千年前からティアラは、本当にたくさんの駒を用意してきました。その中でも目立ったのは、使徒レガシィを継承した『パリンクロン・レガシィ』と兄さんの写し身の『ラグネ・カイクヲラ』でしょうか。もちろん、本命の駒はラスティアラ・フーズヤーズだった。……けれど、あえてティアラは自らの記憶を、早い段階でライナー・ヘルヴィルシャインに託していた。唯一、千年前の『予言』には存在しないあなたイレギュラーに。決まりきった未来を変えて欲しいと願って……。――だから、私はあなたを、ずっと見て・・・・・いましたよ・・・・・


 陽滝が油断していたように見えたのは、演技だったとわかる。


 ライナーこそが、ティアラのチェックメイト用の駒だったと読み切り、それに気づかない振りをしていた。そして、『天剣ノア』の真の『役割』を知っている彼を、ずっと泳がし続けて――利用した。


「その結果、あなたは『糸』に導かれるがまま、異世界に残された希望を一箇所に纏めてくれた。私にとって面倒だったのは、世界各地に大量の『魔の毒』を持った『素質』ある人間たちが散らばり、逃げ回られることでしたが――」


 話しつつ、陽滝は周囲に目を向ける。

 《トルシオン》によって引き伸ばされた大聖堂の庭には誰もいないが、陽滝の目はさらに遠くを捉えていた。その視線を、僕は《ディメンション》の力で追いかけることができる。


 大聖堂の外で倒れるディア・マリア・スノウ。

 さらに連合国の外では、『南北連合』から送り出された軍隊が倒れているのが見える。

 ペルシオナさんやセラさんといった優秀な騎士たちも含めて、現代の精鋭たちが陽滝討伐に駆り出されて、無念にも凍りついているのも。

 みんなが僕を起こすという作戦の為に、全力で戦い――


「――こうして、全滅です。ライナー君、全てあなたのおかげですよ」


 陽滝の予定通りだったと明かされる。


「なにより、『火の理を盗むもの』アルティを宿すマリアを、この手で処理できたのは本当に助かりました。そして、最後の仕掛けらしき『天剣ノア』も、いま――」


 陽滝は大事そうに『天剣ノア』の刃を指でなぞりつつ、真っ白な霜で覆わせた。

 全ての『術式』と『代償』が封印されていると、一目でわかった。


「いま、私のものとなった。……ああ、本当にありがとう。兄さんの騎士、ライナー・ヘルヴィルシャイン君」


 ここでライナーの氷像は完成する。


 念入りに大きな氷で封じられていた。

 そして、これだけ皮肉を言われながら、ライナーの身体も魔力も微動だにしない。その様子を見て、陽滝は「はあ」と溜息をつく。


「……別に、一閃くらいは受けてあげても良かったですね。ごめんなさい、少し大人げなかったかもしれません。……あなたの戦いぶりは、本当に立派なものだったというのに」


 勝敗が決してからは、控えめに讃えた。

 ここまでの煽りは勝負の一環で、本心では捨て駒にされたライナーを、どこか憐れんでいるように見える。


 『天剣ノア』を奪い取った陽滝は、一仕事終えた演技者の顔で僕に向き直る。


「さて……。――《アイス・フランベルジュ》」


 手に持った『天剣ノア』に追加で氷を纏わせて、新たな氷の剣とした。

 ただの壊れない剣として使う気なのだろう。

 数度、軽く振って、その剣の感触を確かめる。


「ふふっ。かっこいい魔法ですよね、これ。あえて、炎の形をした剣フランベルジュってところが、ふ、ふふ――」


 その冗談を、もう素直に受け取ることはできない。

 病の演技から始まって、か弱い妹の演技。

 そして、いまの呆れた演技に、追い詰められた演技。

 褒め称える演技に、憐れんだ演技。


 子供の頃、兄妹で競い合っていたときから思っていたことだ。

 陽滝は信用できない。

 なにせ、僕の妹は、演技が余りに――


「ええ、私は演技が上手いです。……私たち兄妹は、プロの俳優さんから直接指導して貰いましたからね。得意にもなります」


 その僕の思考を読んで、先んじて陽滝は答えた。


 すぐに僕は、『糸』が付着していないかを確かめた。

 僕に繋がっていたものは全て引き千切られている。

 いまも、宙には陽滝の髪先から延びた『糸』が揺らめいているが、僕に繋がろうとする様子はない。


 その仕組みは簡単だった。

 別に『糸』がなくても、陽滝は他人の思考を読む。

 持ち前のスキルだけで、人の心を読み、行動を読み、呼吸するかのように誘導する。


 思えば、昔から陽滝はそうだったと思いつつ、話す。


「……そうだった。そういえば、そんなこともあった」

「ただ、結局兄さんは、演技でも私に勝てなかった」


 僕が隠れたライナーを活かすために、少し過剰な演出をしていたのは最初から見破られていたらしい。


 心の中で自分の騎士に謝罪しつつ、僕は前に進む。

 右手の『アレイス家の宝剣ローウェン』は、まだ手離さない。


「少し邪魔が入りましたが、再開しましょうか。……本当のところ、『剣術』はどうなんでしょうね?」


 いままでの剣戟は本気でなかったと、暗に陽滝は忠告してくる。


 しかし、退く理由にはならない。

 元々、僕は勝てない相手に勝つ為に戦っている。

 決して届かない高みに向かって、挑戦している。


「……勝つ」


 その言葉を繰り返して、再度『剣術』の勝負を挑む。


 このスキル『剣術』を、僕は最も信じている。親友であり、最も尊敬する師から受け継いだスキルは、次元魔法よりも信頼に値する。

 このスキル『剣術』だけは、妹にだって負けない。絶対に――


「それも、懐かしいです。……何度も聞きました」


 その心の声にも陽滝は答える。

 そして、剣と剣は打ち合わされる中、教えられる。


「実は、ずっと聞こえていました。子供の頃の兄さんが、私に何度も勝負を挑んで、そうやって心の中で叫んでいたのを――」


 子供の頃と言われて、先の続きの頁が僕の頭に浮かぶ。


〝――僕が初めて勝負を意識したのは、涙を自由に出す特訓。

 妹は僕の半分以下の時間で達成して、父と母の愛情を独り占めとした。

 それから、僕は『一番』であることを取り返そうと、何度も妹に挑戦した。

 兄としての誇りからか、決して言葉にはしなかった。心の中で挑んでは、数え切れないほど敗北して、独りで挫折していった。

 誰にも知られようがないはずだった。

 負けて負けて負けて、丹念に心を折られ続けて、自殺寸前まで追い込まれていたのは、僕一人だけの思い出のはずで――「いいえ・・・、ずっと私は見ていましたよ」〟


 スキル『読書』中に、陽滝の声が割り込む。

 さらに「思い出ではなく、いまの私を見ろ」と鍔迫り合いを起こして、その顔を近づけてくる。


 うろのような瞳が二つ、眼前で揺らめく。


「他の誰も見ていなくても、あなたの妹だけは、ずっと兄さんの頑張りを見ていました。何度も私に負けて、負けて、負けて、負け続ける兄さんの必死な姿を――」

「…………っ!!」


 あの連敗記録を知られていた。

 途端に息が浅く細くなっていく。


 陽滝に挑戦しようとするだけで、本能的に身体が硬直する。

 例の【陽滝には誰も勝てない】という理なんてなくとも、僕の心は認めてしまっているのだろう。


 僕の妹には勝てない。

 だから、逆らうな。


 そんなトラウマが溢れて出て、ずっと保たれていた心身のバランスが崩れそうになる。

 けれど――


「――だから、どうした!!」


 叫び返して、振り払う。

 鍔迫り合いとなった剣を押し弾き、間合いを作った。


 さらに心身を整えて、アレイス流の奥義を発動させる。

 まだ『剣術』の競い合いは負けていない。

 相手が圧倒的な強者相手であればこそ、アレイス流『剣術』の柔軟性は活きる。

 世界の流れ・・を感じるスキル『感応』が、強敵の対応策を見つけ出してくれる。


 僕は《ディメンション》さえも一時的に解除して、スキル『感応』のみに集中していく。


「『感応それ』も、通用しません。……そもそも、あのローウェン・アレイスを見出したのは、私ですよ?」


 しかし、『感応』でも、何も見えない。

 暗闇の中でも戦えるはずの『感応』が、陽滝の前では何も感じてくれなかった。


 慌てて《ディメンション》を再発動させると、目の前には僕の失敗を見逃した陽滝がたおやかに微笑んでいた。


「そのスキル『感応』を名づけたのも、千年前の私です。確かに、ローウェン・アレイスの『世界』の流れを感じるスキルは大したものです……。けれど、こちらは『世界』を操り、流れを作れます。上下関係は、とてもはっきりしている」


 陽滝は自らの『糸』に目を向ける。


 宙に伸びた『糸』は全て引き千切ったが、まだ髪先から地面に伸びたものは残っている。その残った『糸』が地面を這って、この『世界』に白い波――流れ・・を作り続けていた。


「私には勝てないと決まっているスキルなんです。『感応それ』は」


 説明を終えた陽滝は、ゆっくりと歩き出し、『剣術』の戦いを再開させていく。

 それに僕は『アレイス家の宝剣ローウェン』で対応するが、陽滝の『天剣ノア』の速さに徐々に追いつけなくなっていく。


 『感応』を使おうとしても、陽滝の作った流れ・・しか感じられない。

 剣戟が劣勢となっていくのを、僕は耐えることしかできない。


 ――やはり、ずっと陽滝は『剣術』で手を抜いていた。


 僕とローウェンとラスティアラの三人分を合わせても、まだ陽滝一人のほうが上。

 このままでは先に四肢を切断されて、無力化という勝利条件を満たされてしまう。

 その未来が見える。ならば、その前に魔法・・を――


魔法・・亡霊の一閃フォン・ア・レイス》を使いますか?」


 スッと陽滝は一歩退いた。

 大技を使うのに必要な時間を、あえて僕に贈る。


「彼の人生は、『魔を絶つ剣』というアレイス家の家訓そのもの。ゆえに、あの魔法は『必ず敵を斬る』ことでしょう。……ええ、それだけ・・・・の魔法・・・。正直、私相手には相性が悪いと思いますよ」


 言葉を選んでいるが、陽滝は無意味と言っている。


 僕はティアラの記憶で、頭部に銃弾を受けても平気だった陽滝を見ている。ただ、首を飛ばすだけでは、陽滝相手には無意味なのは間違いないだろう。


「…………。――魔法《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》」


 だから・・・、僕は陽滝のくれた時間を使って、自身の持つ最高の補助魔法を強めた。

 無限に枝分かれした未来を視るという反則的な魔法を中心に、僕は戦いを再開させていく。


「次は魔法の――いえ、『未来視』勝負ですか。もちろん、付き合いますよ。久しぶりの兄さんとの運動ですから」


 その反則にも陽滝は「合わせる」と宣言して、凍った『天剣ノア』を構え直す。


 そして、また僕と陽滝の距離は詰められ、鏡に映ったかのように水晶の剣と氷の剣が打ち合わされる。


 先ほどの『剣術』と同じ始まりだ。

 ただ、そこに至った過程は大きく異なる。


 僕は駆けながら、何百もの戦いの未来を、先んじて魔法で視ていた。

 その中から、『陽滝の腕を斬り飛ばす未来』を選んで、引き寄せようとした。

 けれど、現実で辿りつくのは常に『互いの剣が交差する未来』。


 剣が打ち合わされ、互いの身体が弾かれる。

 すぐさま、僕と陽滝は剣を振り直そうとする。

 その前に、また『未来視』は行われる。


 数ある剣の技から、僕は最良の一閃を選び取り、『僕の剣が陽滝の腕を斬り飛ばす未来』を引き寄せようとするが――また辿りつくのは『互いの剣が交差する未来』。


「くっ――、『糸』は切ってる……!」


 それでも、剣は打ち合わされ続け、甲高い剣戟の音色が響く。

 陽滝の選び取った『互いの剣が交差する未来』だけが訪れる。

 どうにか、その未来から抜け出そうと僕は『未来視』に全神経を集中させていく。


 全身の血が巡り、特に頭部が茹だるように熱される。

 毛細血管が膨らみ、目が充血していく。

 表皮かわに収まりきらない膨大な魔力が、いまにも破裂しそうだ。過去最高の集中力によって、充血で赤く染まった視界から、徐々に色が抜けていく。魔法の感覚だけが研ぎ澄まされて、代わりに身体の五感が失われていく。


 結果、《ディメンション・決戦演算グラディエイト》による体感時間の引き延ばしが、限界を超えた。

 時間が圧縮に圧縮され、とうとう降り注ぐ雪が止まったように動かなくなる。

 その『静止』した時間の中で、僕は最速の剣を振り抜く。


 ――しかし、剣は届かない。


 また剣と剣が打ち合わされる。

 陽滝の選ぶ『互いの剣が交差する未来』から、何度やっても抜け出せなかった。


 ――例の『白い糸』がなくても、何一つ変わらない。


 僕は目に見えない糸で操られ続けて、逃れられない。

 その操り主の底知れない瞳を、僕は戦いながら見る。

 嫌味のように、僕の魔法《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》を真似て、使っていた。そして、明らかに僕の魔法を超えているのもわかってしまう。


 ただ、無造作に空間全体に《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》を満たしている僕と違って、陽滝は眼球だけに展開していた。


 合理的だ。

 確かに、視て引き寄せるのならば、そこだけでいい。

 陽滝の《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》のほうが、より洗練されている。


 無駄が少ない。

 魔力の濃さが違う。

 同じ魔法でも、まるで出来が違う。


 それを痛感したとき、声が聞こえてくる。


「……仕方ありません。兄さんよりも私のほうが、この『未来視』の魔法は使い慣れてますから」


 とても優しい声だった。

 さらに謝罪を交えて、丹念に僕の心を折りに来る。


「ごめんなさい、兄さん。……実は最初から、私は魔法が使えたんです。千年前、使徒たちから『世界の取引』を教わる前……、元の世界にいたときから、もう既に」


 既に、あの段階で、妹は『未来視』を使えていた。


 千年前の僕は、この異世界にやってきて、やっと陽滝に勝てる分野ができたと喜んでいた。しかし、それもまた陽滝の『作りもの』だったわけだ。


 ずっと僕は負けて、負けて、負けて、負け続けていて、勝ったことなど一度もない。

 それを知らされて、心と身体が大きく揺れる。


「だから、千年前の異邦人召喚は『ディプラクラが私を召喚した』のでなく、『私がディプラクラの召喚に割り込んだ』のが真相ですね。……ティアラ風に言うならば、この異世界の物語全てが、私の手書きの本だった」


 陽滝はティアラの趣向に合わせて、表現を寄せた。


 全力の僕と戦っていても、陽滝は余裕に満ち溢れている。

 現実主義な陽滝は、剣にも本にも余り興味はないだろう。しかし、相手の趣向に合わせるだけの心の余裕が、僕と違ってあった。


「――ゆえに、その本の中で生まれた力が、筆者である私に通用する道理はない」


 そう宣言したところで、ついに『世界』は『互いの剣が交差する未来』から外れる。

 いや、それ以外の未来を、陽滝が選んだ。


 ――ただ、陽滝が選んだだけ。


 たったそれだけで、その通りに『世界』は進む。


 ゆっくりと『陽滝の剣が僕の肩に突き刺さる未来』が近づいてくる。

 避けられない。

 そう判断した僕は、咄嗟に身体を魔法で透化させようとする。


「――魔法《ディスタンスミュート》!」

「通用しません。それも、私のもの」


 しかし、一言。

 陽滝が呟くだけで、陽滝の氷の剣にも《ディスタンスミュート》が展開されて、透化による回避を無効化される。

 ゆっくりと氷の剣が、僕の肩の肉を裂いて、貫いた。


「――魔法《ディフォルト》!」

「それも、です」


 すぐに距離を空ける魔法を口にするが、相殺されて発動しなかった。

 もう陽滝は魔法名すら口にしていない。


 魔法を相殺され続ける僕は、後退することで氷の剣を引き抜くしかなかった。


 それを陽滝は余裕を持って見送った。

 再度氷の剣を構えて、待つ。


 ――寒い。


 陽滝と向かい合うだけで、冷たくて、身体が震える。

 現実のはずなのに、夢の中と同じ寒さだった。

 そして、この冷たすぎる陽滝に向かっていくことは、余りに恐ろしい。


 ――なにせ、勝負になっていない。


 確かに、僕はレベルが上がった。

 『次元の理を盗むもの』として完成した。

 目覚めた頃と比べれば、心身共に成長した。


 それでも、まだ陽滝と僕では、次元が違う・・・・・


 ずっと陽滝が言っていることだ。

 いまの僕で、やっと一緒に・・・・・・運動ができる程度・・・・・・・・


 根本的な力が、僕には足りていないのだ。

 時間も想いも、切り札も覚悟も、何もかもが足りない。

 足りない。足りない足りない足りない――


「そんなことは、最初からわかってる。だとしても、僕はぁああ――!!」


 前に向かって、歩く。

 勝利だけを信じて、前へ。


 何度揺れようとも、僕は折れない。

 その姿を見て、また陽滝は笑みを深めた。


 そして、容赦なく、さらなる魔法を発動させて、力の差を見せ付けてくる。


「ふふ。無駄ですよ、兄さん。なにせ、これとほぼ同じお話を、もう私たちは終えているんですから。……あの『運命の日』に、あの『頂上』で、家族会議をしたのをちゃんと覚えてますか? ――《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》」


 もし覚えてないのならば、思い出すのは手伝うと『過去視』の魔法を口にした。

 その効果範囲も『未来視』と同様、とても合理的だった。


 次は眼球でなく、氷の剣の表面を覆っている。

 あの剣で斬られれば、アイドやティティーが敗北したときのように、僕も行動不能となってしまうだろう。それが確信できるほどの魔力の濃さが、『天剣ノア』に宿った。


 何よりも、あっさりと《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》が真似されたのを見て、「足りない」という言葉が、さらに重く僕の肩に圧し掛かる。


「……そうショックを受けないでください。これは、そういうものなんです。兄さんの魔法は全て、『私の・・兄さんの魔法』なんです」

「全て、おまえの……?」

「兄さんの全てには、『私の』という言葉が頭につきます。なぜかわかりますよね? だって、兄さんは始まりからして『私の』です。だから、何をするにしても、何を得ても、全ての頭に『私の』がつく」


 その暴論を頷かせるだけの力が、いまの陽滝にはあった。


 《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》が宿った黒の双眸。

 《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》が宿った氷の剣。

 合わされ・・・・、僕の切り札を僕以上に上手く扱う陽滝に、心が折れそうになる。


「――久しぶりのいい運動でしたよ。では、この『私の兄さんの魔法』で、とどめにしましょうか。また全てを忘れて、《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》に戻りましょう。今度は誰の助けも来ません。二度と邪魔が入ることはなく、兄さんは私と『対等』の存在になる。そして、絞り切った異世界にラスティアラ・・・・・・という『代償』を置いて、さよなら。……二人で、次の異世界に行きましょう」


 揺れて揺れて揺れて、いまにも折れる。

 けれど、その名前を聞いただけで、僕は持ち直した。


 折れるどころか、左手に力が入る。

 色んなものを失ってきた僕だけど、これだけは二度と手離さないと決めている。


「大丈夫です。次の異世界の物語で、大切な妹と一緒に幸せを掴む。そんな大団円が、兄さんには待っています」


 異世界の物語が終わったあとは、大切なラスティアラと一緒に幸せになる。

 その『夢』を信じている限り、僕が戦いを諦めることは決してない。


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