402.背比べ
舞台は整い、戦いが始まる。
そのとき、陽滝の表情には余裕があった。
魔法の擬似的なものとはいえ、空気中にあった無数の神経を引きちぎられて、未だ薄らと笑みを浮かべ続けている。
「ふふ。この大きな《トルシオン》は、一度出れば二度と戻って来れない仕組みですね。いい魔法です。……これで存分に二人で戦えます」
彼女の見上げる空は、次元魔法によって水に浸しすぎた水彩画のように滲んでいた。
その滲んだ空に、引きちぎられた『糸』が光の粒子となって降り注いでいる。本当の雪と魔力の雪が混ざり合って、煌きながら揺れ落ちて、地面に染みこんでいく。
その新たな
「ああ、これで存分に
「では、まず軽く運動してみますか? ……昔みたいに。また兄妹一緒に」
本当に嬉しそうに笑う。
その陽滝に向かって、僕は『アレイス家の宝剣ローウェン』を右手に持って近づく。
彼女も全く同じ形状の剣を氷で生成した。
――やはり、戦い方を合わせる気だ。
その余裕を崩すべく、間合いに入った瞬間、僕は剣を全力で真横に振り抜いた。
陽滝も全く同じタイミングで剣を振った。
鏡に映るかのように、二つの一閃が打ち合わされる。
同時に、互いの足元で風が生まれる。
地面に積もった雪が吹き飛び、さらに舗装された地面に亀裂が入った。
度重なる『
手足の中に限界まで詰め込まれた『質量を持たない筋肉』によって、『人間大の生き物』同士のぶつかり合いでなく『巨大な化け物』同士のぶつかり合いとなってしまっている。
続く二閃目は、お互いに
斬り上げた二つ剣の圧が、
三閃目の横薙ぎも、互いの身体に届くことはなかった。
その三合で、『剣術』のみならば、僕と陽滝の間に大きな差はないと感じる。
もちろん、『アレイス家の宝剣ローウェン』の補助あっての話だ。なにより、先ほどの『過去視』で、ラスティアラの『剣術』を視たのが大きい。
彼女の剣は最終的に、この世界を生きた人々の歴史そのものとなっていた。
あれは『ローウェンの生きた千年前』と『僕たちの生きている現代』の間にある『空白の千年』が詰まった剣だった。
その空白の千年が、僕の『剣術』に加算され、力となってくれている。
つまり、ローウェンから受け継いだアレイス流『剣術』の続きを、いま、僕が書いているということ。
ラスティアラの遺言どおりに、みんなの続きを僕が紡いで――
「懐かしいですね、兄さん」
『剣術』勝負によって、互いの集中力は際限なく高まっていく中、陽滝の声が耳に届く。
「懐かしい……?」
「ええ。昔もこうやって、二人で運動しました」
そう言われて、僕は過去を思い出す。
千年前よりも昔、元の世界の記憶。
幼少の頃も確かに、こうやって僕たちは競い合っていた。
だだっ広い運動場で、身体測定も兼ねて、二人で運動能力を比べ合った。
あのときも、雪が降っていた気がする。
季節は冬で、金に物を言わせて貸し切った運動場は白く染まっていて、いくつもの足跡を二人で作った。
幼い僕が父と母に認められたくて、世界で『一番』になろうと必死だった時期だ。
そして、僕よりも少し上の結果を出し続ける陽滝が、いつだって隣に居た時期でもある。
「ただ、一度も兄さんは私に勝ったことがない。ただの一度も」
その事実を、陽滝は剣に乗せて振る。
「…………ッ!!」
剣は弾いた。
だが、彼女の言葉は防げない。
だから、過去の敗北が頭によぎる。
こんなときだというのに、幼少の自分の物語を、いま少しだけ読み返す。
〝――何度も僕は負けた。
真っ白な運動場に一人残り、膝を突いて泣いた。
そして、両親は
どうにかあいつに勝ちたいと、あらゆる勝負方法で挑んだ。
何度も何度も何度も、挑戦して挑戦して挑戦して――僕は心を折られる。
結局、僕は年の離れた妹相手に、何をしても勝てなかった。
ただの一度も、勝てなかった。
次第に両親は妹だけしか見なくなり、兄の僕は家の中で『いないもの』扱いとなっていく。そんな昔の辛く、苦しい思い出を――〟
思い出して、確かに懐かしいと僕も思った。
「だから、今日、僕はおまえに勝つんだ。……
そして、力強く剣を振り返した。
その僕を見る陽滝は、笑みを深める。
「ええ……! だから、私たちは
家族で共有する思い出を語り合いながら、『化け物』同士の剣戟は続く。
全く関係のない『異世界』を壊しつつ、周囲の『魔の毒』を食らっていく。
一歩一歩が大地を砕き、一振り一振りが空を刻んだ。
大聖堂の庭が、徐々に庭の体裁を保てなくなる。しかし、周囲の被害を気にせず、僕たちは全力で戦い続ける。意識を戦いにだけに集中する。
戦いつつ、アレイス流の『剣術』を昇華させ続けて、その果てに――
「陽滝ぃっ!!」
「ふっ、ふふ――」
剣戟の中で、妹の名前を呼んだ。
もう皮肉めいた軽口は返って来なかった。徐々にだけれども、陽滝も意識を戦いのみに集中していっているように見える。
僕に同調して、陽滝も名前だけを叫び返す。
「兄さん!!」
常に冷静で、声を荒らげることのない妹が、形振り構わない返答をしていた。
その事実に僕は戦いの手応えを感じる。
――いま、間違いなく、陽滝は僕との剣戟に集中している。
互いに勝つだけことを考えて、互いの力が引き出されていく。
全力と全力が拮抗した戦い。
その隙を――
「ああ。やっと、この瞬間まで来た」
ライナーの声。
いつの間にか、彼は僕の背後にいた。
その背中から横に出て、この拮抗した剣戟に割り込もうとしている。
「――っ!?
その第三者の登場に、すぐに陽滝も気づいた。
しかし、そのライナーの登場に驚くことはなく、ただ呆れた顔を見せた。
それは慣れているし無駄だと、言葉はなくとも表情から伝わってくる。
水を差された形となった陽滝は、ライナーに目もくれない。
片腕しか残っていない双剣使いに、全く脅威を抱いていないのだろう。
僕に意識を集中させたまま、例の自動で動く氷だけで彼を追い払おうとする。事実、その見立ては間違っていないと、仲間である僕もわかっている。
ただ、僕は感じていた。
――ライナーが二つ目の剣を手にする感触を。
いや、正確にはライナーの肩から生えた風で出来た腕――『
僕の『持ち物』から勝手に、『
そのとき、この『風の腕』こそが、死した騎士ハインさんの腕であり、死した『
『風の腕』に通う『血の力』は、一つの頁が読み取れるほどに濃い。
〝――この
それは新暦3年の時点から、すでに始まっていた。
あの日からずっと、私は陽滝姉に対抗できる手札として、スキル『神鉄鍛冶』を利用すると心に決めていた。
だから、陽滝姉が『化け物』になったあとも、師匠が迷宮に呑み込まれたあとも、大陸で国と宗教を興したあとも、独り年老いていっても、ずっと私はスキル『神鉄鍛冶』を鍛え続けた。何年も何年も何年も、ずっとずっとずっと――
気の遠くなるような鍛錬の終わりに、私は『天剣ノア』という剣を作った。
ただ、この『神鉄鍛冶』の結晶である剣は、未完成だ。
あえて、そうした。
その真の『役割』を隠す為に。
書き込んだ『術式』を隠す為に。
積み重なる『代償』を隠す為に。
あえて、『天剣ノア』が完成するのは、千年後とした。
千年後に、『私たち』の手で『天剣ノア』は完成に至る。そして、その一振りの剣こそが、きっと『世界』で唯一陽滝姉に届きうる
その千年前からの届け物を、いま一人の騎士の腕が受け取った。
そして、『風の腕』が一振りの剣を握り締めて、振り抜く。
僕の影に隠れたライナーの剣の影に隠れて、拮抗した剣戟の中に『天剣ノア』が交じる。
まず、当然のようにライナーの奇襲の剣は止められた。
例の自由自在に動く氷の刃が弾いた。
そこで陽滝の防御は一旦止まり――しかし、隠れた『風の腕』は止まらない。
止められた剣の影から現れ、その一振りの剣が奔る。
合わせて、ライナーは叫ぶ。
「行ってください!!」
『天剣ノア』が陽滝の氷の防御を越える。
「――なっ!?」
陽滝は存在するはずのない双剣を目にして、今日初めて驚きの声を口にした。
僕ですら初めて見る表情だった。
その反応に、ライナーは笑みを浮かべる。
きっと彼は信じていたのだろう。
自分自身の腕は届かない。自分自身なんて、信じられるわけがない。
しかし、この『風の腕』だけは違う。
この『少年少女二人の為に』という舞台において、この双剣だけは誰にも負けるはずはない。そう信じて、ライナーは勝利の声を、いま零そうとして――
「よし、決まっ――」
「
遮られる。
いままでの全ては演技だと言うように、陽滝の表情には余裕が戻っていた。
さらには、いつの間にか、陽滝の肩から生えた氷で出来た腕――『氷の腕』が、『風の腕』の手首を掴んでいた。
『天剣ノア』の切っ先は、あと少しというところで届かない。
「なっ――」
陽滝が演技で零した声を、次はライナーが繰り返す。
『氷の腕』から白い霜が這い寄り、剣ごと『風の腕』が凍らされていた。
さらには、その『風の腕』の土台となっていたライナーの身体も、白い霜に侵食されていく。
「ど、どうして……!? あのときと、違――」
困惑して呟くライナーに向かって、僕は手を伸ばそうとする。
だが、途端に対面していた陽滝の剣の速度が上がった。
こちらも全て演技だったと言わんばかりの鋭い剣の動きだった。
陽滝の剣によって、僕の身体は後方に大きく弾き飛ばされてしまった。
数メートルの距離が空く。
そして、僕が顔をあげたときには、もう陽滝は全ての氷の刃を崩していた。その指先で凍りついた『風の腕』を突き砕き、落ちる『天剣ノア』の柄を右手で掴む。
「ライナー君、頑張りましたね。……偉いです。本当に、偉い偉い」
ライナーは剣を振るう体勢で、完全に『静止』していた。
陽滝の持つ【水の力】だろう。
もはや、二度と自力での復帰は不可能とわかる氷結だった。
「あなたというイレギュラーのおかげで、とても掃除がやり易かったです。……感謝してますよ」
さらに無詠唱の氷結魔法《アイス》を足して、ライナーを綺麗な氷の棺に納めつつ、その批評を続けていく。
それは、先ほどの千年前から続く頁の『答え』の一つだった。
「千年前からティアラは、本当にたくさんの駒を用意してきました。その中でも目立ったのは、使徒レガシィを継承した『パリンクロン・レガシィ』と兄さんの写し身の『ラグネ・カイクヲラ』でしょうか。もちろん、本命の駒はラスティアラ・フーズヤーズだった。……けれど、あえてティアラは自らの記憶を、早い段階でライナー・ヘルヴィルシャインに託していた。唯一、千年前の『予言』には存在しない
陽滝が油断していたように見えたのは、演技だったとわかる。
ライナーこそが、ティアラのチェックメイト用の駒だったと読み切り、それに気づかない振りをしていた。そして、『天剣ノア』の真の『役割』を知っている彼を、ずっと泳がし続けて――利用した。
「その結果、あなたは『糸』に導かれるがまま、異世界に残された希望を一箇所に纏めてくれた。私にとって面倒だったのは、世界各地に大量の『魔の毒』を持った『素質』ある人間たちが散らばり、逃げ回られることでしたが――」
話しつつ、陽滝は周囲に目を向ける。
《トルシオン》によって引き伸ばされた大聖堂の庭には誰もいないが、陽滝の目はさらに遠くを捉えていた。その視線を、僕は《ディメンション》の力で追いかけることができる。
大聖堂の外で倒れるディア・マリア・スノウ。
さらに連合国の外では、『南北連合』から送り出された軍隊が倒れているのが見える。
ペルシオナさんやセラさんといった優秀な騎士たちも含めて、現代の精鋭たちが陽滝討伐に駆り出されて、無念にも凍りついているのも。
みんなが僕を起こすという作戦の為に、全力で戦い――
「――こうして、全滅です。ライナー君、全てあなたのおかげですよ」
陽滝の予定通りだったと明かされる。
「なにより、『火の理を盗むもの』アルティを宿すマリアを、この手で処理できたのは本当に助かりました。そして、最後の仕掛けらしき『天剣ノア』も、いま――」
陽滝は大事そうに『天剣ノア』の刃を指でなぞりつつ、真っ白な霜で覆わせた。
全ての『術式』と『代償』が封印されていると、一目でわかった。
「いま、私のものとなった。……ああ、本当にありがとう。兄さんの騎士、ライナー・ヘルヴィルシャイン君」
ここでライナーの氷像は完成する。
念入りに大きな氷で封じられていた。
そして、これだけ皮肉を言われながら、ライナーの身体も魔力も微動だにしない。その様子を見て、陽滝は「はあ」と溜息をつく。
「……別に、一閃くらいは受けてあげても良かったですね。ごめんなさい、少し大人げなかったかもしれません。……あなたの戦いぶりは、本当に立派なものだったというのに」
勝敗が決してからは、控えめに讃えた。
ここまでの煽りは勝負の一環で、本心では捨て駒にされたライナーを、どこか憐れんでいるように見える。
『天剣ノア』を奪い取った陽滝は、一仕事終えた演技者の顔で僕に向き直る。
「さて……。――《アイス・フランベルジュ》」
手に持った『天剣ノア』に追加で氷を纏わせて、新たな氷の剣とした。
ただの壊れない剣として使う気なのだろう。
数度、軽く振って、その剣の感触を確かめる。
「ふふっ。かっこいい魔法ですよね、これ。あえて、
その冗談を、もう素直に受け取ることはできない。
病の演技から始まって、か弱い妹の演技。
そして、いまの呆れた演技に、追い詰められた演技。
褒め称える演技に、憐れんだ演技。
子供の頃、兄妹で競い合っていたときから思っていたことだ。
陽滝は信用できない。
なにせ、僕の妹は、演技が余りに――
「ええ、私は演技が上手いです。……私たち兄妹は、プロの俳優さんから直接指導して貰いましたからね。得意にもなります」
その僕の思考を読んで、先んじて陽滝は答えた。
すぐに僕は、『糸』が付着していないかを確かめた。
僕に繋がっていたものは全て引き千切られている。
いまも、宙には陽滝の髪先から延びた『糸』が揺らめいているが、僕に繋がろうとする様子はない。
その仕組みは簡単だった。
別に『糸』がなくても、陽滝は他人の思考を読む。
持ち前のスキルだけで、人の心を読み、行動を読み、呼吸するかのように誘導する。
思えば、昔から陽滝はそうだったと思いつつ、話す。
「……そうだった。そういえば、そんなこともあった」
「ただ、結局兄さんは、演技でも私に勝てなかった」
僕が隠れたライナーを活かすために、少し過剰な演出をしていたのは最初から見破られていたらしい。
心の中で自分の騎士に謝罪しつつ、僕は前に進む。
右手の『アレイス家の宝剣ローウェン』は、まだ手離さない。
「少し邪魔が入りましたが、再開しましょうか。……本当のところ、『剣術』はどうなんでしょうね?」
いままでの剣戟は本気でなかったと、暗に陽滝は忠告してくる。
しかし、退く理由にはならない。
元々、僕は勝てない相手に勝つ為に戦っている。
決して届かない高みに向かって、挑戦している。
「……勝つ」
その言葉を繰り返して、再度『剣術』の勝負を挑む。
このスキル『剣術』を、僕は最も信じている。親友であり、最も尊敬する師から受け継いだスキルは、次元魔法よりも信頼に値する。
このスキル『剣術』だけは、妹にだって負けない。絶対に――
「それも、懐かしいです。……何度も聞きました」
その心の声にも陽滝は答える。
そして、剣と剣は打ち合わされる中、教えられる。
「実は、ずっと聞こえていました。子供の頃の兄さんが、私に何度も勝負を挑んで、そうやって心の中で叫んでいたのを――」
子供の頃と言われて、先の続きの頁が僕の頭に浮かぶ。
〝――僕が初めて勝負を意識したのは、涙を自由に出す特訓。
妹は僕の半分以下の時間で達成して、父と母の愛情を独り占めとした。
それから、僕は『一番』であることを取り返そうと、何度も妹に挑戦した。
兄としての誇りからか、決して言葉にはしなかった。心の中で挑んでは、数え切れないほど敗北して、独りで挫折していった。
誰にも知られようがないはずだった。
負けて負けて負けて、丹念に心を折られ続けて、自殺寸前まで追い込まれていたのは、僕一人だけの思い出のはずで――「
スキル『読書』中に、陽滝の声が割り込む。
さらに「思い出ではなく、いまの私を見ろ」と鍔迫り合いを起こして、その顔を近づけてくる。
「他の誰も見ていなくても、あなたの妹だけは、ずっと兄さんの頑張りを見ていました。何度も私に負けて、負けて、負けて、負け続ける兄さんの必死な姿を――」
「…………っ!!」
あの連敗記録を知られていた。
途端に息が浅く細くなっていく。
陽滝に挑戦しようとするだけで、本能的に身体が硬直する。
例の【陽滝には誰も勝てない】という理なんてなくとも、僕の心は認めてしまっているのだろう。
僕の妹には勝てない。
だから、逆らうな。
そんなトラウマが溢れて出て、ずっと保たれていた心身のバランスが崩れそうになる。
けれど――
「――だから、どうした!!」
叫び返して、振り払う。
鍔迫り合いとなった剣を押し弾き、間合いを作った。
さらに心身を整えて、アレイス流の奥義を発動させる。
まだ『剣術』の競い合いは負けていない。
相手が圧倒的な強者相手であればこそ、アレイス流『剣術』の柔軟性は活きる。
世界の
僕は《ディメンション》さえも一時的に解除して、スキル『感応』のみに集中していく。
「『
しかし、『感応』でも、何も見えない。
暗闇の中でも戦えるはずの『感応』が、陽滝の前では何も感じてくれなかった。
慌てて《ディメンション》を再発動させると、目の前には僕の失敗を見逃した陽滝がたおやかに微笑んでいた。
「そのスキル『感応』を名づけたのも、千年前の私です。確かに、ローウェン・アレイスの『世界』の流れを感じるスキルは大したものです……。けれど、こちらは『世界』を操り、流れを作れます。上下関係は、とてもはっきりしている」
陽滝は自らの『糸』に目を向ける。
宙に伸びた『糸』は全て引き千切ったが、まだ髪先から地面に伸びたものは残っている。その残った『糸』が地面を這って、この『世界』に白い波――
「私には勝てないと決まっているスキルなんです。『
説明を終えた陽滝は、ゆっくりと歩き出し、『剣術』の戦いを再開させていく。
それに僕は『アレイス家の宝剣ローウェン』で対応するが、陽滝の『天剣ノア』の速さに徐々に追いつけなくなっていく。
『感応』を使おうとしても、陽滝の作った
剣戟が劣勢となっていくのを、僕は耐えることしかできない。
――やはり、ずっと陽滝は『剣術』で手を抜いていた。
僕とローウェンとラスティアラの三人分を合わせても、まだ陽滝一人のほうが上。
このままでは先に四肢を切断されて、無力化という勝利条件を満たされてしまう。
その未来が見える。ならば、その前に
「
スッと陽滝は一歩退いた。
大技を使うのに必要な時間を、あえて僕に贈る。
「彼の人生は、『魔を絶つ剣』というアレイス家の家訓そのもの。ゆえに、あの魔法は『必ず敵を斬る』ことでしょう。……ええ、
言葉を選んでいるが、陽滝は無意味と言っている。
僕はティアラの記憶で、頭部に銃弾を受けても平気だった陽滝を見ている。ただ、首を飛ばすだけでは、陽滝相手には無意味なのは間違いないだろう。
「…………。――魔法《
無限に枝分かれした未来を視るという反則的な魔法を中心に、僕は戦いを再開させていく。
「次は魔法の――いえ、『未来視』勝負ですか。もちろん、付き合いますよ。久しぶりの兄さんとの運動ですから」
その反則にも陽滝は「合わせる」と宣言して、凍った『天剣ノア』を構え直す。
そして、また僕と陽滝の距離は詰められ、鏡に映ったかのように水晶の剣と氷の剣が打ち合わされる。
先ほどの『剣術』と同じ始まりだ。
ただ、そこに至った過程は大きく異なる。
僕は駆けながら、何百もの戦いの未来を、先んじて魔法で視ていた。
その中から、『陽滝の腕を斬り飛ばす未来』を選んで、引き寄せようとした。
けれど、現実で辿りつくのは常に『互いの剣が交差する未来』。
剣が打ち合わされ、互いの身体が弾かれる。
すぐさま、僕と陽滝は剣を振り直そうとする。
その前に、また『未来視』は行われる。
数ある剣の技から、僕は最良の一閃を選び取り、『僕の剣が陽滝の腕を斬り飛ばす未来』を引き寄せようとするが――また辿りつくのは『互いの剣が交差する未来』。
「くっ――、『糸』は切ってる……!」
それでも、剣は打ち合わされ続け、甲高い剣戟の音色が響く。
陽滝の選び取った『互いの剣が交差する未来』だけが訪れる。
どうにか、その未来から抜け出そうと僕は『未来視』に全神経を集中させていく。
全身の血が巡り、特に頭部が茹だるように熱される。
毛細血管が膨らみ、目が充血していく。
結果、《ディメンション・
時間が圧縮に圧縮され、とうとう降り注ぐ雪が止まったように動かなくなる。
その『静止』した時間の中で、僕は最速の剣を振り抜く。
――しかし、剣は届かない。
また剣と剣が打ち合わされる。
陽滝の選ぶ『互いの剣が交差する未来』から、何度やっても抜け出せなかった。
――例の『白い糸』がなくても、何一つ変わらない。
僕は目に見えない糸で操られ続けて、逃れられない。
その操り主の底知れない瞳を、僕は戦いながら見る。
嫌味のように、僕の魔法《
ただ、無造作に空間全体に《
合理的だ。
確かに、視て引き寄せるのならば、そこだけでいい。
陽滝の《
無駄が少ない。
魔力の濃さが違う。
同じ魔法でも、まるで出来が違う。
それを痛感したとき、声が聞こえてくる。
「……仕方ありません。兄さんよりも私のほうが、この『未来視』の魔法は使い慣れてますから」
とても優しい声だった。
さらに謝罪を交えて、丹念に僕の心を折りに来る。
「ごめんなさい、兄さん。……実は最初から、私は魔法が使えたんです。千年前、使徒たちから『世界の取引』を教わる前……、元の世界にいたときから、もう既に」
既に、あの段階で、妹は『未来視』を使えていた。
千年前の僕は、この異世界にやってきて、やっと陽滝に勝てる分野ができたと喜んでいた。しかし、それもまた陽滝の『作りもの』だったわけだ。
ずっと僕は負けて、負けて、負けて、負け続けていて、勝ったことなど一度もない。
それを知らされて、心と身体が大きく揺れる。
「だから、千年前の異邦人召喚は『ディプラクラが私を召喚した』のでなく、『私がディプラクラの召喚に割り込んだ』のが真相ですね。……ティアラ風に言うならば、この異世界の物語全てが、私の手書きの本だった」
陽滝はティアラの趣向に合わせて、表現を寄せた。
全力の僕と戦っていても、陽滝は余裕に満ち溢れている。
現実主義な陽滝は、剣にも本にも余り興味はないだろう。しかし、相手の趣向に合わせるだけの心の余裕が、僕と違ってあった。
「――ゆえに、その本の中で生まれた力が、筆者である私に通用する道理はない」
そう宣言したところで、ついに『世界』は『互いの剣が交差する未来』から外れる。
いや、それ以外の未来を、陽滝が選んだ。
――ただ、陽滝が選んだだけ。
たったそれだけで、その通りに『世界』は進む。
ゆっくりと『陽滝の剣が僕の肩に突き刺さる未来』が近づいてくる。
避けられない。
そう判断した僕は、咄嗟に身体を魔法で透化させようとする。
「――魔法《ディスタンスミュート》!」
「通用しません。それも、私のもの」
しかし、一言。
陽滝が呟くだけで、陽滝の氷の剣にも《ディスタンスミュート》が展開されて、透化による回避を無効化される。
ゆっくりと氷の剣が、僕の肩の肉を裂いて、貫いた。
「――魔法《ディフォルト》!」
「それも、です」
すぐに距離を空ける魔法を口にするが、相殺されて発動しなかった。
もう陽滝は魔法名すら口にしていない。
魔法を相殺され続ける僕は、後退することで氷の剣を引き抜くしかなかった。
それを陽滝は余裕を持って見送った。
再度氷の剣を構えて、待つ。
――寒い。
陽滝と向かい合うだけで、冷たくて、身体が震える。
現実のはずなのに、夢の中と同じ寒さだった。
そして、この冷たすぎる陽滝に向かっていくことは、余りに恐ろしい。
――なにせ、勝負になっていない。
確かに、僕はレベルが上がった。
『次元の理を盗むもの』として完成した。
目覚めた頃と比べれば、心身共に成長した。
それでも、まだ陽滝と僕では、
ずっと陽滝が言っていることだ。
いまの僕で、
根本的な力が、僕には足りていないのだ。
時間も想いも、切り札も覚悟も、何もかもが足りない。
足りない。足りない足りない足りない――
「そんなことは、最初からわかってる。だとしても、僕はぁああ――!!」
前に向かって、歩く。
勝利だけを信じて、前へ。
何度揺れようとも、僕は折れない。
その姿を見て、また陽滝は笑みを深めた。
そして、容赦なく、さらなる魔法を発動させて、力の差を見せ付けてくる。
「ふふ。無駄ですよ、兄さん。なにせ、これとほぼ同じお話を、もう私たちは終えているんですから。……あの『運命の日』に、あの『頂上』で、家族会議をしたのをちゃんと覚えてますか? ――《
もし覚えてないのならば、思い出すのは手伝うと『過去視』の魔法を口にした。
その効果範囲も『未来視』と同様、とても合理的だった。
次は眼球でなく、氷の剣の表面を覆っている。
あの剣で斬られれば、アイドやティティーが敗北したときのように、僕も行動不能となってしまうだろう。それが確信できるほどの魔力の濃さが、『天剣ノア』に宿った。
何よりも、あっさりと《
「……そうショックを受けないでください。これは、そういうものなんです。兄さんの魔法は全て、『
「全て、おまえの……?」
「兄さんの全てには、『私の』という言葉が頭につきます。なぜかわかりますよね? だって、兄さんは始まりからして『私の』です。だから、何をするにしても、何を得ても、全ての頭に『私の』がつく」
その暴論を頷かせるだけの力が、いまの陽滝にはあった。
《
《
「――久しぶりのいい運動でしたよ。では、この『私の兄さんの魔法』で、
揺れて揺れて揺れて、いまにも折れる。
けれど、その名前を聞いただけで、僕は持ち直した。
折れるどころか、左手に力が入る。
色んなものを失ってきた僕だけど、
「大丈夫です。次の異世界の物語で、大切な妹と一緒に幸せを掴む。そんな大団円が、兄さんには待っています」
異世界の物語が終わったあとは、大切なラスティアラと一緒に幸せになる。
その『夢』を信じている限り、僕が戦いを諦めることは決してない。
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