19.迷宮に潜りたくないけど潜る話



 迷宮内。

 昆虫モンスターの生息するエリア。

 湿気の混じった緑の回廊を、僕は一人で駆け抜ける。


 四方八方から襲い掛かる鎌をかわし、時には剣で逸らしていく。


 正面には巨大な蝶のボスモンスター。

 そして、カマキリの姿をした眷属モンスターが僕を囲んでいる。


 《ディメンション》が与えてくれる情報を頭の中で整理し、この状況を突破する最短のルートを割り出す。僕はカマキリの鎌を放置して、脇目を振らずに巨大な蝶――クイーン・オブ・フォレストに向かって突貫する。


 対して、クイーン・オブ・フォレストは羽を揺らし、カマイタチを発生させ、僕に放つ。

 大した脅威ではない。

 横に数メートルほどの幅しかない空気の刃では、普通に斬りつけられているのと変わらない。僕は何の問題もなく、身を屈めてかわした。そして、そのまま距離を詰め、敵の心臓部に剣を繰り出す。


 クイーン・オブ・フォレストは剣を防ごうと、甲殻に覆われた腕を前に出した。

 それを見てから、僕は剣の軌道を変える。


 僕の剣は綺麗に敵の首を刎ね、さらに力を失った肢体も斬りつける。

 周囲の眷属たちの声が一際大きくなり、怒り狂って襲い掛かってきた。


 けれど、無駄だ。

 クイーン・オブ・フォレストの遠距離攻撃の援護を失った前衛だけでは相手にならない。


 僕は襲い掛かってくるカマキリたちを、順に斬り裂いていく。


 こうして、時間にして一分にも満たない戦いが終わった。

 クイーン・オブ・フォレストとその眷属たちは光となって消えていく。


「ふう……」


 一息つく。


 結果だけを見れば、余裕の戦いだった。

 それも当然だ。以前とはレベルが違う。

 けれど、以前は二人で倒したボスを、一人だけで倒したという精神的な達成感は大きい。


 すぐにステータスを確認する。



【ステータス】

 名前:相川渦波 HP302/322 MP506/512 クラス:

 レベル10

 筋力6.19 体力6.28 技量7.21 速さ9.44 賢さ9.33 魔力21.66 素質7.00 

 状態:混乱8.59

 経験値:17501/20000

 装備:アレイス家の宝剣

    異界の服

    丈夫な外套

    異界の靴



 ティーダを撃破して数万の経験値を得た僕は、レベル10までレベルアップしていた。レベル6のときと比べれば能力値は格段に跳ね上がり、いまではあのティーダの動きにもついていける気さえする。


 ただ、例の混乱も格段に跳ね上がっている。


 ちなみに、スキルポイントは温存。

 ボーナスポイントはHPに振った。

 まだ力や魔力に不満を感じていないので、とりあえずはMPの代わりにもなると発覚したHPに注ぎ込んだのだ。


 ここまでレベルが上がってしまうと、クイーン・オブ・フォレストの経験値では微々たる量にしかならない。だが、『表示』には現れない何かが大きく成長していっている気がする。


 僕は《ディメンション》の展開をやめる。


 序盤の層でMPを消費する必要はないという判断だ。

 序盤の層のモンスターや罠は把握しているし、レベル的に死ぬ危険が少ないというのもある。

 なにより、普通の探索者は《ディメンション》なんて便利なレーダーを持っていないのだ。これに頼りきった探索は控えて、本来の観察力や注意力を養おうと思う。これを節約できるようになれば継戦能力も上がる。


 僕はドロップ品を『持ち物』に入れ、『マップ』を『表示』させる。


 通ったことのある道がマッピングされており、次の層までの最短距離が記されていた。


 僕は魔法ではなく、五感を鋭くして周囲を窺いながら、その道を進む。


「あぁ……。普通に怖い……」


 久しぶりに独り言を呟いた。


 けれど、初日のような悲壮感による独り言ではない。

 それでも大丈夫だと、自分に言い聞かせるための独り言だ。


 僕は何も見逃さないように、時には独り言で自分を落ち着けながら、回廊を歩いていく。



◆◆◆◆◆



 今日の目標は二つ。


 一つ目は、一人で迷宮を進むこと。


 ただ、『正道』だけを進んでいては意味がないので、1層につき一ボス撃破を目安にしている。

 敵をスルーし過ぎて、身の丈に合わない層に進んでしまうのを防ぐためでもあったが……。序盤層のボスでは、レベル10になった僕の相手になるものは一匹もいなかった。


 2層、3層、4層と問題なくクリアしていく。


 そして、5層を歩き、あの空間まで辿りつく。


 5層から6層に続く最後の部屋。

 ティーダと戦った空間だ。

 ここで今回の探索の二つ目の目標であるディアの腕を探す。


 ぐるりと部屋中を探してみたが、見つけることはできなかった。

 あのときは『持ち物』に入らず、手も空いていなかった為に諦めてしまったが、この様子だと二度と戻ってくることはなさそうだ。

 誰かが持ち去ったか、もしくは迷宮には清浄化するための仕組みが何かあるのかもしれない。例えば、汚物やゴミを糧とするモンスターが徘徊しているといったところか。


 ないものは仕方がないので、僕は次の層への階段を下りていく。

 そして、酒場で得た情報を元に《ディメンション》を広げて、近いボスを索敵しようとして――


「――うわあぁあああああああっ!!」


 甲高い悲鳴に遮られた。


 迷宮ではよくあることだ。

 誰もが自己責任で挑戦しているのだから、いつもならば心を冷たく保って無視をする。けれど、今回は悲鳴の種類が悪かった。


 甲高い悲鳴。

 つまり、子供の声だった。


 これが成人しているであろう声だったならば、僕は通り過ぎることができただろう。けれど、子供となると、僕の良心が自己主張し始める。


 偽善だとはわかっていても、ここで良心に抗い続けるのは苦痛だった。

 ただでさえ眠りにくい異界の夜が、もっと眠りにくくなる。


 僕は自分の性が嫌になりながらも、悲鳴のする方角に走り出す。


 ――さっと行って、さっと助けよう。


 《ディメンション》を広げ、到着前に情報を取得していく。

 距離にして数百メートル先。横幅の広い回廊で四人パーティーがモンスター達と交戦していた。


 触手を無数に生やした巨大な怪物が中心で暴れ、それに付き従う眷属と思われるタコ型のモンスターが十匹ほどいる。


 四人パーティーの内の一人の少年が怪物に捕まっていた。

 その少年を助けようと、ツインテールの少女が無理やり突撃しようとしている。他の二人は眷属のタコ型モンスターを相手にしているため、援護ができないといった状態のようだ。


 ――最悪だ。


 僕と同じくらいの年齢の探索者パーティー。それも女子供までいる。

 これを見殺しにしてしまえば、僕のストレスが大変なことになる。


 僕は全力で走り続け――次第に、周囲の回廊の水気が増していく。

 ついには浅瀬を走っているような状態になったところで、戦場に辿り着いた。


「――僕は敵じゃない!! すぐに助ける!!」


 まず僕が行ったのは、敵対する意思はないという宣言だった。

 場合によってはハイエナ扱いされ、攻撃される危険があるからだ。


 宣言をしながら、敵に近づく。


 事態は悪化している。

 捕まっていた少年は化け物の巨大な口に近づいている。

 よく見れば、いまの短い時間で、強行していた少女も捕まっている。


「――魔法《ディメンション・決戦演算グラディエイト》」


 魔法を唱えたと同時に、僕の乱入に気づいた眷族モンスターたちが、僕を捕まえようと手を伸ばす。


 それを最小限の動きでかわし、立ちはだかるものは斬り捨てながら、巨大な化け物に向かって突き進む。


 まず触手に捕まり、宙へと放り投げられそうになっている少女に辿り着き、その触手を剣で斬り裂いた。

 すぐに剣を鞘に戻し、落下してくる少女を僕は抱きとめる。


「きゃっ――……えっ?」


 少女は何が起きたのかわからないようだ。

 小さな悲鳴のあと、疑問符を浮かべた。


 そして、数瞬の後、僕に抱きとめられたことに気づき、少女は顔を赤くした。


 すぐに僕は少女を地面に降ろして走る。

 一番の問題は少年だ。

 この少女だけに構ってはいられない。


 いまにも少年がモンスターの口の中に放り込まれる寸前、間一髪のところで僕は間に合う。

 すぐに絡まった触手を斬り裂き、少年を抱き寄せ、モンスターの巨大な口から守る。


「――大丈夫!?」

「ぁ、あ……」


 少年は恐怖で言葉が発せないようだった。

 年の頃は僕より少し下くらいだろうか。顔を青ざめさせて、身体を震わせている。このままだと身体がろくに動かなそうだ。


 それを見て、僕は少年の頭を撫でる。


「もう大丈夫だよ。安心していい。だから、ちょっと離れててね」

「ぁ、あぁ、はい……」


 できる限り、優しく見えるように微笑んだ。

 その僕の顔を見た少年は頷き、後方に下がっていく。


 そして、僕は身体を化け物に向き直す。


 眷属はタコだったが、その主である化け物は別物だ。

 無数の触手がタコを彷彿とさせるが、その本体にあたるところは甲殻類を思わせ、タコとエビが合わさったような姿になっている。カチャカチャと気味の悪い音をたてながら、甲殻類の足のようなものを巨大な口の周りで蠢かせている。


 大きさは五メートルほどだろうか。

 そのほとんどが口になっている怪物だ。


 いままで見てきたモンスターの中でもトップクラスの気持ち悪さだ。


「――っ!!」


 僕は息を止めて駆け出し、まず剣で、その不快な口周りを削いでいく。

 すると本体の危険を感じた触手が、僕のほうに集まってきた。


 見たところ、本体は鈍く、触手が主力となっているモンスターのようだ。水棲であることが特徴から見て取れる。しかし、特殊な能力を使ってくる様子はない。


 僕は次々と触手を切り裂き、最後に本体の口を横に切り裂く。そして、感覚器官だと思われる箇所、目や空気孔を見つけては潰していく。

 そして、モンスターが悲鳴をあげて動きを止めたところで、その巨体の上に飛び乗り、剣を脳天から突き刺した。


「キィッ、ギィァアアァアアアアアアアアアッ――――!!」


 化け物は金切り声をあげた。

 僕は脳天に突き刺した剣に力を入れ直し、縦に切り裂く。その一撃に必殺の感触を感じ、すぐに化け物から離れる。


 噴水のように化け物から体液が溢れ、その巨体は地面に倒れた。

 それにならって無数の触手も動かなくなり、ほどなくして全てが光となって消える。



【称号『深海の暗闇』を獲得しました】

 技量に+0.01の補正がつきます



 その『表示』を見届けた僕は、周囲の眷属に目を向ける。

 迷宮の眷属たちは主が倒れてもいなくならない。それどころか、主を殺した僕のほうに向かって、怒り狂って襲い掛かってくる。


 良かった。

 四人パーティーと交戦していたモンスターもこちらに向かってきているので、これでもう死人が出ることはなさそうだ。


 僕は迫りくるモンスターたちを斬り捨てていく。

 軟体を活かした攻撃をしてくるものの、動きは遅い。

 《ディメンション・決戦演算グラディエイト》を展開していれば、後れをとる要素はなかった。


 僕に辿り着いた瞬間、モンスターたちは斬られ、崩れ落ち、光となって消えていく。

 殲滅を終えるのに時間はかからなかった。


「――はあ、はあ、はあっ!」


 ただ、ダメージは負わなかったものの、肩で息をする。


 呼吸を整えながら、魔法で周囲にモンスターがいなくなったことを確認する。場に残ったのはパーティーが一組と、回廊の浅瀬に落ちた魔石だけ。


 なんとか、今夜は安心して眠りにつけそうだ……。


「あ、あの……!!」


 そう僕が安心していると、パーティーの中の一人が声をかけてきた。


 最初に助けた少女だ。

 長い金の髪をツインテールにした――なかなかファッションの尖った子である。身につけているものは高そうなものばかりで、迷宮には不釣合いな衣服を纏っている。まるで、学校の制服みたいだと思った。清潔さと実用さを重視した、藍色の立派な服だ。


「……えっと。危なそうだったから助けたけど、駄目だった?」


 助けた後のことを何も考えていなかった。

 なので、変な言葉が口に出てしまう。


 それを聞いた少女は焦ったように、顔を振り出す。


「い、いいえ! そんなことありませんわ!」


 ありません、わ?


 両方の世界を合わせても、初めて耳にする喋り方だ。いや、物語やゲームでなら聞いたことはあるのだけど、実際に喋る生身の人を見ると驚いてしまう。


「……そう。それは良かった」

「危ないところを助けていただき、感謝していますわ。あの凶暴なモンスターを一瞬で倒すだなんて……。よろしければ、お名前を、お名前を聞かせてもらっても……」


 少女は目をキラキラと輝かせ、名前を尋ねてくる。

 先ほどから頬を高潮させ、鼻腔が少しばかり膨らんでいるようにも見える。簡単に言えば、興奮状態にあるみたいだ。

 深窓の令嬢のような端整な顔立ちが台無しになっている。


「い、いや、名乗るほどの――」


 面倒事は嫌だし、僕は名乗らないことにしようと思った。だが、そうなると「名乗るほどのものではない」という言い回しになってしまう。物語ではよくある言葉だが、いざ自分が使うとなると、なぜか恥ずかしいものがあった。そのため、途中で言葉が詰まってしまった。


「そんな、お願いします……。お名前を……!!」

「あ、はい。キリストです」


 少女の剣幕に押されて名乗ってしまう。


「まあ、キリスト様と仰りますのね。なんて、美しい響き」


 少女は恍惚とした表情で僕の名前を反芻する。


 ――あ、なんか駄目な人だこれ。


 僕の少女に対する第一印象は、その一言に集約されていた。

 そして、その感想は間違っておらず、無言で立ち去ればよかったと、すぐに僕は後悔することになる。




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