2章.聖誕祭の終わりに

18.毒されあう二人


 迷宮を脱出した後、最初に向かったのは病院だった。


 僕は迷いなく、ヴァルトで最も大きい病院を選んで入った。そして、大量の失血・瀕死での魔法使用・強引な肉体修復で満身創痍となったディアの身体を診てもらう。


 そして、入院が必要だと医師から通達される。

 それは承諾したものの、提示される莫大な治療費を見て、僕は焦りに焦った。

 前金は何とか払えたが、最終的に必要となるであろう額は、僕の手持ちでは全く足りなかったのだ。


 すぐに僕は金をつくるため、『持ち物』を売りさばきに動き出す。


 ――結果から言えば、金の問題はすぐに解決された。


 ティーダの落とした魔石が破格の代物だったのだ。


 現在確認されている最上級の魔石よりも純度が高く、前例のないものだったらしい。換金の際、最後は国のお偉いさんまで出張ってきての交渉をして――色々と悶着はあったものの、無事ティーダの魔石は大金に変わった。すぐに僕は病院に戻って、支払いを済ませた。


 こうして、ディアが追い出されることがなくなり、僕は一安心する。

 支払いのあと、そのまま受付の人に病室に案内されていく。


 国内最大の病院ということで、用意された病室は上等なものだった。

 木造の建築物ながらも丁寧な掃除が行き届いており、清潔さにおいて不満を感じない。

 僕の世界の衛生と比べると天と地の差はあるが、この世界の水準から見るとかなりのものである。


 病室内には簡素な看病道具と、見たことがない魔法器具が設置されていた。

 この世界では魔法による治療技術が発達しているので、それをサポートする器具なのだろう。


 ベージュのカーテンが風に揺れ、その下にベッドが置かれていた。

 そのベッドの上で、ディアは寝息を立てている。

 医師の処置によって、顔色はかなり良かった。


 そして、そのディアの寝るベッドの傍には、老年の医師が木の椅子に座っていた。

 医師はこちらに気づいて、声をかける。


「――ああ、ディアさんの仲間の方ですな。お支払いのほうは大丈夫でしたかな?」

「ご心配をおかけして、すみませんでした。持ち物を換金したところ問題ありませんでした」

「それは良かった。それではディアさんの状態を詳しく説明したいと思いますが、よろしいですかな」

「お願いします」


 医師は部屋にあったもう一つの木の椅子を持ってきて、僕に座るよう促す。

 それに僕は座って、静かに話を聞く。


「最初から話しましょう。……まず右腕の損失ですが、元に戻すのは不可能でしょう。最適な環境で最上の魔法をもってしてでも、腕の縫合は難しいものなのです。切断から時間が経過し過ぎている上、強引な魔法修復によって傷口がぐちゃぐちゃとなっています。キリストさんが最も気にしていた右腕ですが、申し訳ないが諦めて貰いたい……」

「……わかりました」


 唇を噛む。


 この世界の医療レベルはわからないが、魔法のある世界だからと僕は一縷の望みをかけていた。

 だが、それは儚い夢だったようだ。もし、そう簡単に治るのならば、腕や足を失った冒険者が町に歩いていない。


「次に、肩口から腰元まで伸びる胴体の斬り傷。こちらは大きな跡が残ります。ディアさん本人が行った回復魔法が原因です。瀕死状態で構築した魔法では、繊細な修復までは望めなかったのでしょう」

「……跡、ですか? それは構いません」

「む? 構わないのでしたらいいのですが……。次ですね。次は、失血による『魔力精製欠乏』です。これは専用の食事で治療できますし、いざとなれば魔法器具でどうにかできます。完治まで一週間といったところでしょうか」


 失血による魔力精製欠乏? 

 MPの回復が遅くなるとかだろうか?


 図書館の情報から血と魔力の関係性が深いことは知っていたが、そんな症状もあるらしい。知識の浅い僕にはどうしようもないので、医師の言うとおりにするしかない。


「お願いします」

「わかりました。そして、最後ですが、右腕を失ったことにより心身のバランスが崩れることが懸念されます。間違いなく、剣を使うことや魔力の構築に支障が出ますので、探索者であるディアさんにとってはかなりのショックなことでしょう」

「そうでしょうね……」

「よく考えてこれからのことを決めたほうがいいと思いますよ。――説明は以上です。とりあえず、一週間入院ということにしておきます。リハビリを希望なさる場合は別途の手続きが必要なので受付にてお願いします」


 まざまざと予想していた結果を突きつけられ、僕は心が苦しくなっていく。


「――ああ。あと、キリストさんはよろしいのですか? 傷は回復魔法で塞がっているとはいえ、かなり辛そうに見えますよ」

「……僕は元気です。違う理由で、気分が落ち込んでいるだけです」


 嘘はない。

 僕のHPとMPは自然回復を始めているし、体感的にも問題ない。


 ただ、その理由が、単純に僕の身体が丈夫にできているからか、システム的なものなのか――その判断はつかない。


「余り無理はならさらずに。それでは」

「ありがとうございました」


 医師は一通りの説明を終え、部屋から出て行く。


 それを僕は座ったまま見送った。

 途端に部屋は静まり、窓から入ってくる風だけが音をたてる。


「――神聖魔法《キュアフール》」


 背後で声が聞こえ、部屋全体を暖かな光が埋め尽くしていく。


「ハッ。あの爺さんも大げさだ。確かにバランスは悪くなったけど、問題ない」

「起きてたのか……」


 ベッドの上で身体を起こしたディアが魔法を使っていた。

 その光を指差して、僕は呟く。


「それ――」

「いままでごめん、キリスト。この魔法を、ずっと俺は隠してた……」


 ディアは頭を下げた。


 僕は居た堪れなくなる。

 それを僕は知っていて容認してきた。だが、ディアにとっては仲間の死活に関わる存在を、自分の勝手で隠してきたと思っているのだろう。易々と頭を上げる様子はなかった。


「い、いや……ディア、いいんだっ! 確かにびっくりしたけど、それだけだ。隠していたのは、何か理由があったんだろ?」

「理由……、理由か。くだらない理由だよ……」


 そう言ってディアは頭を少しだけ上げて、魔法の光をお手玉のように弾いた。


「それのおかげで助かったんだ。僕に文句なんてあるはずない。これからは、また大事なときにだけ使ってくれればいいよ」

「いや、いつでも使うよ。これからは、これを俺は使い続ける。そう決めた」


 ディアは弾いていた光を握り潰し、強く呟いた。


 ――いままで使わなかった魔法を使う。


 それも死ぬ間際まで使わなかった魔法を。

 それを使うと決めたのは一体どんな理由だろうか。


 心当たりが少しある。

 知らずと僕の視線はディアの失われた右腕に向く。

 それに気づいたディアは穏やかな口調で話し始める。


「……キリスト、別にこれが理由じゃない。迷宮を探索しているんだから、これくらいの覚悟はしていたさ。だから、この腕のことで悲しい顔はしないでくれ。俺のせいでキリストが苦しそうだと、俺が耐えられない」

「けど、利き手が……! 剣だってもう……!」


 何でもないように、逆にディアは僕のことを気にかける。

 けれど、僕はディアのようには割り切れない。そんな僕の言葉をディア自身が遮る。


「――剣はもういいんだ・・・・・・・・

「え?」

「俺には神聖魔法があるからな。本調子に戻るまで、ある程度かかりそうだけど……まあ、見ての通り問題ない」


 僕を置いて、ディアは話し続ける。


「逆に魔法に専念できる良い切っ掛けになったと思う。戦い方や考え方を見つめ直すのに丁度いい。そうだ……。休んでいる間はそこらへんを考えようかな」

「ちょ、ちょっと。え?」


 百八十度ひっくり返ったかのような答え。

 以前とは真逆の考え方。


 まるで魔法にかかったような……。

 僕がスキル『???』を使ったときのような豹変ぶりだ……。


 あそこまで剣に固執していたというのに、あっさりとそれを諦める姿は異様だった。

 それが冷静に現実的な転換を考えた結果ならばいい。けれど、ディアはそういう考えのできる人間ではないと僕は思っている。

 ここまでディアが余裕を持っていることに違和感を覚える。


 あのとき、斬り飛ばされた腕を見つめていたディアの目は、絶望と虚無に満ちていた。なのに、その感情が、いまは全く見えない。


 僕の観察力不足とは思えない。人を見る目はないほうだが、それでもディアはわかりやすい人間の部類のはずだ。


 確かに――いまディアは、本当に、剣なんてもういい・・・・・・・・と思っている。


「……っ!?」


 命の危機に瀕して考え方が変わったとでも言うのだろうか。


 本や物語では、よくある話かもしれない。

 けれど、それを実際に目の当たりにすると、ボタンを掛け間違えたままのような感覚になって、少し気持ちが悪い。


「キリスト、どうした?」

「……いや、ディアがいいなら、それでいいんだ。まずは、ゆっくり休んでくれ……。ここの支払いは大丈夫だから何日でもいいよ。――ああっ、そうだ! ディア、すごいぞ! あのティーダのやつの魔石を売り払ったら、大金になったんだ!」


 ここで今回の成果を僕は報告する。

 ディアの迷宮での目的の一つはお金なのだから、この大成果を喜んでくれるはずだ。


へえ・・。そうなのか。でも、いまはキリストが全て預かっててくれ。俺は病床だし、すぐに必要じゃない。逆に必要があれば、キリストが俺の取り分を使ってくれてもいいからな」

「……え。けど、ディアはお金が必要だったんじゃ?」

「いつかな。もう、いまは要らないんだ」


 ディアの目に固い意思がない。

 ぶれることのなかったあの執着を感じられない。


 僕はディアにどういった感情の推移があったのかを考える。

 やはり考えられるのは、腕を失って、大切な何かを諦めたということ。


「…………」

「いまは休むしかないからな……。でも、待っててくれ、キリスト。すぐに戻る。それまで、キリストを助けられないのは心苦しいけど……」


 心苦しいと言い、ディアらしい表情を見せる。

 これは僕の知っているディアだ。無駄に僕を信頼していて、自分が僕の力になれないことを申し訳なさそうにするディアだ。


「いや、ディアがいないなら、僕も迷宮探索を休もうかと思っているんだ……。一人だと、僕も厳しいと思うし」

「…………。そんなことない」


 ここで予期せぬディアの否定が割り込んできた。

 その目には固い意思があった。

 ただ、それがどんな意思なのか、いまの僕にはわからない。


「キリストは一人でも迷宮を進んでいけると、俺は思う。初めて迷宮に入ろうとした日、キリストが怯えていたのは知ってる。けど、もうキリストは大丈夫だ。絶対に大丈夫だ」


 僕は一人でも大丈夫だとディアは言う。

 その確信的な物言いに、僕は困惑する。


「僕一人でも……?」

「キリストは一人でモンスターを斬り倒せるし、ほとんどのことを自分だけで賄える。俺にとっては、逆に疑問だったんだ。なんでこんなに強いのに、俺を仲間にするのか……。ずっと疑問だった。でも言い出せなかった。俺にはキリストが必要だったから……」


 なぜ、ディアを使うのか?


 それは……、才能があったから……。

 それもある。

 けど、いまならはっきりと、それだけではないとわかる。

 一番の理由は、一人で迷宮に入るのが嫌だったから。


「ディア、僕は臆病だから……。道連れがいないと安心できないんだ……」

「キリスト、俺が保障する。キリストは強い。いい機会だから、それをキリストにも見つめ直して欲しいんだ。その上で、決めて欲しい、本当に俺が必要なのかどうかを。じゃないと、俺は……。俺は……」


 ディアにはディアの迷いと苦しみがあり、それをいま、打ち明けようとしてくれているのがわかる。


 その真っ直ぐな想いを感じた僕は、それを真摯に受け止めようと思った。


「……わかった。一人で進んでみるよ。どこまでいけるかわからないけどね」

「ああ、安心した。俺のせいで、足踏みして欲しくなかったんだ。キリストにもキリストの夢があるんだからな」


 僕が約束すると、ディアは笑った。

 表も裏もない、屈託のない笑顔だ。


 ディアは真剣に僕のことを考えて、僕の前進を喜んでいることがわかる。

 そして、そのままディアは続ける。


「そうだ。これを使ってくれ。もう俺には必要ないものだ」


 そう言ってディアは立てかけていた自分の剣を僕のほうに投げた。

 慌てて僕は受け取って、その剣の名を『表示』で確認する。


 ――『アレイス家の宝剣』。


 ディアにとって何かしらの思い入れがあるはずであろう剣。


「助かるけど、いいの? 本当に剣を――」


 単純に剣を渡すだけの話ではないと、僕はわかった。


「いいんだ。俺がいない間、その剣がキリストを守ってくれたら、俺は嬉しい」


 そこに迷いはなかった。

 むしろ、以前のような固い意志さえ感じる。


「……ありがとう。とりあえず、預かっておくよ」


 確かに、寝ている人間が持っているよりは、僕に貸してくれたほうが有意義ではある。断る理由はなかった。


 じっくりと僕は剣を眺める。

 使い込まれ、古臭さが感じられる一品だ。実用さを優先しながらも、それを邪魔しない程度の銀細工が刻まれている。シンプルながらも美しい片手剣だ。



【アレイス家の宝剣】

 攻撃力5

 装備者の技量20%分の攻撃力を加算する



「――キリストも、キリストの夢も、『私』が絶対に守る。『私』が絶対に」

「え――」


 僕が剣に目を奪われていると、ディアの小さな声が聞こえた。

 それは僕に語りかけたのではなく、自分に言い聞かせた言葉だったようだ。


 その小さな決意表明の――内容よりも、僕は一人称が違ったことが気になった


「それじゃあ、俺はちょっと眠るぜ……。早く治さないといけないから……」


 しかし、ディアは何もなかったかのように横になった。


 さっきのは、聞き間違いだったのだろうか……。 

 もう少し話をしたいところだったが、ディアは治すために眠ると言っている。そうなると、これ以上話を続けることはできない。もし話をするにしても日を変えたほうがいいだろう。


「わかった。ここでディアはゆっくりと休んでてくれ。その間に、僕一人でどこまでいけるのか、試してみる。数日後くらいにでも報告にくるよ」


 そうディアに宣言して、僕は病室から出た。


 そして、病院の回廊を歩く中、単独で迷宮に挑戦する算段を始める。


 言い訳を重ねた消極的な算段ではなく、自分の実力に見合った本当の算段を始める。

 僕らは互いに、このくらいの負傷では何も変わらぬことを見せ合わないといけない。


 それが病床のディアの望みだと、僕は思った。



 ◆◆◆◆◆



 ――翌日の朝。


 僕は迷宮の前に一人で立っていた。


 体調は問題ない。

 最大HPを削ったことで後遺症が残るかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。いたって健康体だ。今朝にはHPもMPも最大まで回復していた。なんだかんだで、深い傷は受けてはいないのだ。


 準備は万全。


 目的は元の世界への早急な『帰還』。

 なにより、ディアとの約束がある。

 潜らないわけにはいかない。

 

 一人で来るのは最初の日以来だ。

 あの日の出来事は、いまでも鮮明に思い出せる。

 けれど、あれはレベル1だったから起きた出来事ばかりで、いまの僕ならば命を脅かすような事態にはならないという自信がある。


 これからのことを考えれば、一人が怖いなんて子供のようなことは、もう言ってられない。


 いままでの僕は、ゲーム的なレベルを、ゲーム的に上げすぎた。

 けど、必要なのはそれだけじゃない。


 『数値に表れない数値』。

 心を強くするために僕は踏み出す。


 僕は迷宮の入り口を潜った。



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