17-2.ディアブロ・シス



 一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけキリストと目が合った。


 そして、次の瞬間には身体を袈裟斬りにされ、右腕が宙を飛んだ。


 灼熱のような痛みが傷口に灯り、真っ赤な鮮血が溢れ出す。

 大量の血液が失われ、生命活動に支障が出始める。

 俺のスキル『延命』と『神の加護』が総動員しているのがわかる。


 しかし、それでもなお足りぬほどの致命傷――


 そのとき、俺は終わりの恐怖と解放の喜びを同時に感じていた。

 死ぬのは怖い。

 けれど、同時に先のない人生も怖かったのだ。


 倒れつつ、視界がぼやけ、ちらつく。

 ここではないどこかの景色が見えた気がした。


 そして、思い出す。


 ああ。

 これが、走馬灯――?




◆◆◆◆◆




 …………。


 過去の話だ。

 いまはディアと名乗る探索者の昔の話。


 俺には名前がない。

 この世に誕生したとき、母に悪魔と恐れられ、そのままずっと名前を名づけられることがなかったからだ。


 俺は生まれながらにして巨大な魔力を持っていた。

 ちょっとやそっとの魔力ではない。

 常人が見れば、気分が悪くなるほどの量を生まれたばかりの赤子が持っていたのだ。


 その上、身体も人間とは異なり、小さな羽が背中に生えている。

 普通の人間ではなく、明らかに違う種族。


 純粋な人間と人間の間にそんな子供が生まれては、両親が恐怖してしまったのも無理はないだろう。こうして、俺は育児を放棄され、村の教会に預けられた。


 運良く、その後の待遇は良かった。

 神父は俺を『使徒』と称し、崇拝したからだ。


 『使徒』というのは、この大陸の主教になっているレヴァン教からすると神の代行者にあたるらしい。村の神父は、いかに俺が素晴らしい存在かを説き続け、手厚く育ててくれた。


 俺が五歳になる頃には、奇跡をもたらす存在ということで村中に知れ渡っていた。

 そして、村に伝わる伝説にちなんで、俺は『シス』と呼ばれるようになった。


 伝説の使徒シスは天から舞い降りた神の使いで、貧困に苦しんでいた人々に奇跡をもたらしたらしい。伝承の最後、使徒シスはある英雄と結婚し、その子孫がこの村の人々である――と信じられている。

 村人たちは、その奇跡の部分に期待して、俺をシスと呼び続けた。


 その頃には、もう両親も俺を怯えた目では見なくなっていた。

 けれど、村の中で神のように崇められている俺を、実の子のように扱ってはくれなかった。


 ――右も左もわからない俺は『使徒』としての責務を全うしていった。


 神父から神聖魔法を教わり、その力で怪我をした村人を治していった。

 村を襲うモンスターを遠ざけるために、命を削って結界を作った。

 病気に苦しむ子供のために、寝る間を惜しんで魔法を極めた。

 俺の力は、まさしく奇跡だったのだ。


 努力していれば両親も俺を認めてくれると、子供心に思っていたのかもしれない。


 けれど、その努力は俺の神格化を進めるだけだった。村人は俺に頭を下げ、直視すらも畏れるようになる。それほどまでに、俺の力は異様な域に達していた。両親も俺に頭を下げ始めるのに時間はかからなかった。


 新生した『使徒シス』の話は、各国で有名になっていく。


 十歳になった俺は、ようやく自我らしい自我を持ち始めた。言われるがまま褒められるがままに、魔法を極めていったことが自分を孤独にしていったことに気づく。が、全ては遅い。

 もう俺は両親を奪われ、生き方を奪われ、隣人を奪われ終えたところだった。


 そして、次は国が『使徒シス』を手中に収めようと動き出す。


 そこからは、もう瞬く間だ。

 国に対して、俺の生まれた村は小さ過ぎた。

 ちょっとした不作を口実に、俺は国に献上されてしまう。


 思えば、このときからだ。

 力のあるものが欲しいと思えば、その通りになってしまう。そんな理不尽を痛感したのは、これが最初だ。


 そこから俺は、あらゆる場所を転々とした。

 領主の館で奇跡を望まれたり。商家の利益のため見世物になったり。貴族たちの好奇心を満たしたり。最後には、とある王の前で祈りを捧げさせられていた。


 貧困に苦しむ人のための奇跡が、私腹を肥やす権力者たちにしか使われないという事実があった。俺は故郷の神父から教わった『使徒』というものを見失いかけた。


 俺は何のために生きて、何が欲しいのかがわからなくなった。

 だから、原点を確かめたいと、国に頼んで故郷を眺めさせてもらった。


 ――それが今年。


 そこには質素だけど暖かな村が広がっていた。

 貧しいながらも強く生きる村人たちがいた。

 当然、俺は自分の生まれた家を見に行った。


 そこには、見たことのない笑顔で暮らす両親がいた。

 両親と手を繋いで歩く子供がいた。


 その子供は弟だった。いつの間にか、俺には弟ができていたのだ。

 知らなかった。年は俺と、そう変わらない。にも関わらず、それを俺は知らなかった。


 弟は子供らしく遊んでいた。

 中でも剣を使った遊びが大好きで、何度も騎士になると言っていた。

 母は「頼もしいわ」と笑っていた。

 父は「剣ならば俺が教えてやろう」と笑っていた。

 笑っていた。「あなたのような息子がいて、安心だわ」「息子が生まれたならば、俺が剣を教えてやろうとずっと思っていたのだ」「立派な男の子ね」「強い男の子だ、将来は俺にも負けぬ剣士となるぞ」「ええ、私たちの自慢の息子だもの」「自慢の子供だ」「私たちの子供」――


「――私は・・?」


 ざわついた・・・・・

 だから、俺は呟いた。


「ねえ、私は・・? 私、頑張ったよ。私だっておとぎ話が大好きで、かっこいい剣士になりたかったよ……。けど、みんなが魔法を覚えろって、使徒は神聖魔法で奇跡を起こすんだって言ったから。だから私、必死で覚えたよ。お父さんも、お母さんも、そう言ったじゃない。だから、私……、私――」


 村には本が多かった。

 多くの伝説を伝承していくために、英雄譚やおとぎ話が記された本が残されていた。


 それは俺の家も、教会も同じだった。


 使徒としての責務を全うする中、俺の唯一の娯楽はそれだけだった。

 いや、村の娯楽がそれしかなかったと言うほうが正しいか。だから、弟も同じようにそれを読み、俺と同じように剣士に憧れたのだろう。


「私も、私も――」


 気づけば俺は、両親の前に姿を現していた。

 国には眺めるだけだと念を押されていたが、身体が勝手に動いていた。


「シ、シス様――!?」

「なぜ、このようなところに!?」


 両親は私を見るや否や、頭を垂れる。

 ざわつきが、確かな悲しみに変わる瞬間だった。


「ねえ、その綺麗な人は誰?」


 弟は俺を知らなかった。

 おそらく、両親が俺のことを必死に隠したのだろう。

 あなたは一人っ子なのよと、優しく育ててきたのだろう。


「わ、私はね……。あなたの――」


 俺は言葉を紡ごうとして、


「この方はシス様よ。天から使わされた使徒様なの」


 その言葉を母が覆い隠した。


「――っ!!」


 死にたくなるほどの感情の動乱。

 全てを灰燼に返したくなる、そんな『私』の人生の終着。


 それが、『いまの俺』が生まれた瞬間だった。


 その後、俺は国から離反した。

 国に仕える理由が最初からなかったことを知ったからだ。

 俺が離反したことによって、あの小さな村がどうなるかは考えなかった。考えたくもなかった。


 俺は俺の欲しいものを知った。


 俺はあの弟のようになりたかったのだ。

 弟のように男に生まれて、英雄譚を読んで育ち、剣士に憧れ、父と母の愛情の中、夢を追いかける。果ては立派な騎士となり、勇敢な剣の英雄として、両親の元に帰る。


 それが俺の欲しいもの。


 それを手に入れるのに必要なものを俺は知っていた。


 結局、力のあるものだけが全てを手に入れる。

 金が権力が、欲しいものを手繰り寄せる。

 俺は早熟にもそれを理解していた。


 そして、それは同時に、国が俺を手に入れ直すのは時間の問題ということだった。


 国は俺の有用性を知っている。

 ずっと従順だったから、今回は上手く行方をくらませることができた。けれど、国の財力と権力を持ってすれば、俺が捕まるのはそう遠くない未来だろう。


 それまでに、俺は金と力を手に入れなければならない。

 対抗するための金と力だ。


 ――俺は旅立つ。


 俺が読んできた伝説の中でも一際輝いてた物語の舞台を目指す。


 大陸に現れる巨大迷宮。

 それに挑む英雄。

 仲間との出会いと別れ。

 迫りくる困難。

 その先に待つ金銀財宝。

 与えられる栄光。


 偏った知識しか持たなかった俺は、迷宮という宝箱を選択する。


 『使徒シス』ではなく、『名前のない少年』として冒険に出た。

 その『名前のない少年』は剣士を目指している。

 自分の大切なものを奪った『神聖魔法』なんてものは使えない。

 おとぎ話に出てくるどこにでもいる少年だ。


 それによって、何かがやり直せるかもしれないと、俺は淡い夢を抱いた。


 一直線に大陸の迷宮に向かって歩いた。

 道中、盗賊に遭って逃げ出した。道案内に騙された。手を差し伸べてくれた商人に商品にされかけた。モンスターに食われかけた。金が尽きて、食べるものもなくなった。


 長い旅の末、辿り着いたのは迷宮連合国の一つ。

 ヴァルト。


 苦難の旅だった。

 辿りつくだけで、世界の厳しさに心が折れかけていた。


「いや、違うか……。もう俺は……」


 思い直す。

 そんなもの、最初から折れていたのだろう。

 あれ・・を機に、俺の心は壊死して、腐って、狂っていたのだろう。


 金と力が欲しいのならば神聖魔法を使うべきだし、夢を守りたいのなら迷宮にこだわることはなかった。

 心がバランス感覚を失っていた。

 愚かにも、その両立を望んでしまった。


 所詮、自分は子供だと思い知る。

 あれもこれも全部欲しい。

 欲深く、自己中心で、我がままで、何より浅ましい。


 負の循環の中で、身体が動かなくなる。

 座り込んでしまい、立てなくなる。


 蹲ってしまう。

 何もわからなくなる。

 不安が俺の涙腺を緩くする。

 でも、流すわけにいかない。

 いかない、けど、もうどうしても――


 そのときだったのだ。


 俺は出会った。

 首から火傷の跡が見える、黒髪黒目の少年と。


ねえ・・起きてる・・・・?」

「――っ!」


 俺は咄嗟に顔をあげた。


 人が見ている。

 『女の子じゃない』のだから、涙を見せるわけにはいかない。

 くだらない見栄が、少しだけ自分を奮い立たせた。


 視界にちらつく白い結晶の中、俺は少年としての戦いを再開させる。


 そう。

 それは、魔力の雪が降る、寒い夜のことだった。



◆◆◆◆◆




 ――キリストの顔を最後に、走馬灯が終わる。


 現実に戻る。

 俺は右腕を斬り飛ばされ――ついには化け物ティーダの返す刃が、俺の首を飛ばそうとしている。


「ディアァァアア――!!」


 しかし、ボロボロになったキリストが俺を守るために、その刃を弾いてくれた。


 その一閃は鋭く――夢見た英雄のようだった。

 まるで目の追いつかない剣と剣の邂逅。

 場違いながらも、綺麗だと――そして、羨ましいと思った。


 俺はキリストの邪魔にならないように這いずって距離をとろうとして、身体を持ち上げるための腕が一本少ないことに気づく。

 同時に視線の先に転がる剣を握った俺の右腕を見つける。


 ああ、これが『俺』の結末か……。

 ははは……。

 『私』の結末があんなものなら、『俺』の結末もこんなものか……。


 流れ出る血液がつくる血溜まりを呆然と見つめる。


 あと少しすれば俺は死んでしまう。

 このまま何の手当てもしなければそれは当然だ。


 それはいい。

 それはいいんだ。


 けど、キリストが死んでしまうのは絶対に許せない。


 酒場で働いていたただの店員だったキリストを、無理に連れ出したのは俺だ。

 そのせいでキリストが死ぬのだけは、何に代えても阻止しなければならない。


 だから、まず俺は、命をもってキリストを助けようと思った。


 しかし、俺の命程度じゃキリストは助からない。 

 ティーダのやつの隙すら作れない。


 ――俺は選ばないといけない。


 命よりも、夢は大事だ。

 それはずっと心に決めていたことだ。


 なら、キリストは?


 初めての仲間。

 初めて、ディアという少年を認めてくれた人。

 数日の付き合いでしかないが、多くのものを俺に与えてくれた人。


 ああ。

 つまりは――

 夢は命よりも大事だけど、友達キリストは夢よりも大事になってしまったのか。


 だから俺は、死んでも使わないと決めていた神聖魔法を構築し始める。

 仇のように憎んでいた魔法の光が、身体の内から生成されていく。


 捨てたはずの『私』の懐かしい魔法。

 何万回と繰り返した――ごっそりと精神をもっていく感覚。


「――神聖魔法《シオン》」


 迷宮に光の圧縮魔法が満ちた。

 『代償』に、くらりと視界が暗転しそうになった。

 まだだ。まだ意識を失っては駄目だ。


 あのティーダとかいうモンスターを倒さないと終わりじゃない。

 あいつは精神魔法に特化していると言っているものの、その真価はあの不定形な身体にあると思う。あれをキリストの氷結魔法のように、もっと固めないといけない。


 そのための魔法はいくらでもある。

 幼少から培った、あらゆる局面に対応できる神聖魔法の数々がある。


 正直、冷静に魔法を取捨選択できるほどの余裕はない。

 血液が脳に回っていない。ならば、感覚で選んでいくしかない。


 暗転ブラックアウトしていく視界。

 歪んでいく現実。


 それでも、敵を見る。

 死んでも、あいつを倒す。

 それだけを考える。


 キリストを守るために。

 キリストを守るために。

 キリストを守るために。


 ただ、それだけの為に、身体の限界を超えて、魔法が構築されていく。


 俺の夢は潰えた。

 でも、代わりのものが、限界を超えさせる力を俺に与えてくれる。


 だから、『私』は彼を絶対に守りたいと思った。

 心から。

 命にかけて。

 必ず、と――



【スキル『過捕護』が暴走しました】

 一定の感情と引き換えに、特定の感情が強化されます



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